2017年11月1日 人のために生きる
最近、自分自身について考えてみました。
他の人から見たら、私のやっていることは、他の人のサポートをしているように見えるでしょう。
実際、私の選んだ仕事は、人の手助けをする様な仕事が多いです。
そのため、私は、人のために働いているんだと感じていました。
でも、よくよく考えてみると、私は、誰かのためを思って行動しているのではなく、自分のためだけに行動しているだけなんだと感じています。
自分にとって、謎なこと、分からないことを解決するために、とにかくひたすら行動する、それだけなのです。
それが結果的に、人に役立つこともあるというだけです。
もちろん、私にも、他の人に認められたいとか言った欲求もあるのかもしれませんが、私自身は、それよりは、分からないことを解決することの方が優先されているように感じます。
まあ、それだけの話です。
2017年10月1日 遺伝子レベルの話
最近、人と人の相性について色々とネットで見ていると、結構、遺伝子レベルでの相性があるのだなと感じられます。
友達同士の関係を見てみると、遺伝子が似ている人同士の方が、上手く行くそうです。まさに、類は友を呼ぶですよね。
もっとも、お互いが違うから面白みがある場合があるのでしょうけど、経験的に言えば、常に緊張関係があったりして、気を使うことが多いのではないでしょうか?
また、よく似た者夫婦という表現も使われていますが、これは、一緒に暮らしているうちに似てきたのではなく、もともと、遺伝子的に近い人同士が結婚しているのだそうです。
まあ、女性は、自分とは異なる遺伝子の男性に惹かれると言われていますけど、結婚生活に関しては、どうも、遺伝子が似ている人同士の方が、上手く行くそうです。
さらに、お互い、恋愛の時には遺伝子的に相性がいいんだけど、夫婦として長く暮らしていくのには、実は、相性が悪いということもあるんだとか。
正直なところ、遺伝子レベルで似ているというのが、どの様な意味を表しているのか分かりませんけど、これからは、遺伝子の相性で、結婚相手を見つける、その様な時代になるのかもしれません。
さらに言えば、恋愛はこの人、夫婦として連れ添うのは違う人、その様に世の中も変わって行くのかもしれません。その方が、自然の摂理に合致しているのかも? 法律も、それに合わせて行った方が、トラブルが少ないのかも?
2017年9月1日 腑に落ちた話
最近、防犯研修を受けました。
不審者が職場に来た時に、どう対応したらいいのか、さすまた等の使い方を説明するということでしたが、正直なところ、あまり、参加する気にはなりませんでした。
なぜなら、さすまた等を使いこなすことは、恐らく出来ないだろうと思ったからです。さすまたに対するイメージは、それを使って不審者を押さえつけるというものでした。でも、実体験から言って、不審者は、力が強いことが多く、さすまたを奪い取られ、反撃を受けるのが関の山だと思っていました。
でも、不審者と間合を取る道具として使用するという話を聞いて、腑に落ちました。ようは、相手を押さえつけるのではなく、相手を弾くようにして、相手を近づけないようにするための道具として、さすまたを使用するのです。
それでしたら、さすまた以外の道具でも、応用が利きます。
その時の話として、相手を力ずくで押さえようとして怪我をした警察官の話等も聞きましたが、久しぶりの納得のいく話に、気持ちの良ささえ感じた一日でした。
2017年6月1日 名作とは2
先日、とある日本映画を見ました。
漫画を原作とするその映画、実に面白く、なかなか満足のいく内容でした。原作の良さというのもあるのでしょうが、映画としての仕上がりも、その良さを引き出しているように感じました。
でも、ふと、自宅に帰ってから考えたのは、それだけ、面白いと感じるのは、当たり障りのない、凡庸な内容だからではないのかということです。
強い違和感を感じるでもなく、素直に受け取ることが出来るというのは、この様なストーリーに進めば、誰もが納得のいく内容に作られていたからかもしれません。
では、本当の名作とは、どの様なものかと言えば、受け入れられる人もいれば、そうでない人もいるもの、あるいは、自分の考えをはるかに超えているもの、そう言ったものなのかもしれません。
いやはや、面白い映画を見たあとで、この様に考えるのは、ひねくれた考えなのかもしれません。
2017年4月1日 名作とは
とある本だったか、「名作とは何か」という問いに対して、「それ以前、それ以降と言われる様な作品」だと書かれていました。
映画で言えば、マトリックス以降などという表現がありますが、その作品を境として、映画そのものが変わってしまった様な作品こそ、名作だということだそうです。
なるほど、それは面白い考え方だと感じました。映画に限らず、名作というものはたくさんあり、また、駄作も多いのですが、名作なのか、駄作なのかは、人によって様々に言うことが出来ます。
でも、世界観が変わる様な作品ということになれば、それは、限られてくるのではないか、そう感じます。
実際には、それも、人それぞれということが出来る面もあります。例えば、個人的には、ディープ・パープルにいたジョン・ロードのオルガンサウンドを聴いたとき、「ハモンド・オルガンはこの様にも使えるのか」という大いなる衝撃を受けたのですが、それが、オルガン演奏の前後を揺るがすほどのものだったのかどうかは、意見の分かれるところでしょうし、正直、私にはそこまでは分かりません。
いずれにせよ、一つの考え方として、興味深く感じます。
2017年3月1日 アイドルについて
アイドルについて評価が変わったなと感じるようになったのは、最近、AKBなどの楽曲を音楽評論家が高く評価する発言をしているのを目にしてからです。
昔なら、たとえ楽曲がよくても、歌が下手だだとか、演奏を自分たちでしていないというだけで、大バッシングをしていたものです。
でも、昔も今も、アイドルを売るために「最高の楽曲」をそろえ、それを売っていくということには変わりはなく、それに対し、素直に評価できる時代へと変わったのだなと感じました。
小学生の頃、ベイ・シティ・ローラーズなどを聴いていました。周りにいた同級生は、スタジオミュージシャンが演奏していたことを、バカにしたように連呼していましたが、個人的には、「夢の中の恋」や「二人だけのデート」など、すぐれた楽曲が多く、演奏はともかく、聴く価値のある音楽だと感じていました。
最近、ギターでベイ・シティ・ローラーズの曲を爪弾いたりしています。
あらためて、その楽曲のよさを感じています。
2017年2月1日 写実主義
最近、ネットニュースで、映画に出てくる宇宙人が、なぜ、二足歩行なのかの理由が書かれていました。
その理由とは、人間の想像力が、それ以上のことを想像できないからだそうです。
それを読んでいて、ふと気がついたのは、写実主義と抽象主義との関係です。
このところ、書店等に行った時に、とても人間の手で描いたとは思えない写実的な絵を紹介した雑誌や画集等を目にしたりします。その技量には、驚くばかりですが、昔は、その様な写実的な絵に対して、個性がない等の批判がありました。
その様な写実的な絵の対極にあるのが、抽象画です。美術を分からない私の様な人間にとっても、分からないが故に、抽象画を芸術的なものだと感じたりします。しかも、個性的だと感じたりします。
でも、理解し難い抽象画にしてみても、結局は、限界のある人間の産物でしかない、さらに言えば、どんな抽象的な絵でも、人間が目にするものの範疇からは、はみ出すことは出来ないということです。
正直なところ、高校生の頃から、その様に感じてはいたのですが、今回、ネットニュースを見ていて、あらためて、この考えに思い至りました。
2017年1月1日 人とのつながり
明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い致します。
本年もまた、紅白を見ながらこの文章を考えたりしています。昨年は、意外にもNHKの番組が健闘していて、「真田丸」に代表されるように、民放よりも面白い番組が多かった様に感じます。
それに対し、紅白に対しては相変わらず多くの批判があるようですが、私は、なんとなく古くさい中で、新たなことにチャレンジしようとしている、不思議な番組だと思います。でも、今回は、狙いが空回りしているように感じましたが。
それはともかく、最近、よく考えていることがあります。それは、人との関係についてです。
昔、人に会わない仕事はないものかと考えたことがあります。今でも、そんな仕事があればとネット検索したりします。
でも、そんな都合の良い仕事はありません。
そもそも、人間と会うのが苦手というのは、人間としてどうなのだろうと感じます。
最近、人間の脳が完成するためには、人と人とのつながりが必要だと言う説を聞いて、人間は、やっぱり一人では成り立たないんだなと、変に感心しました。
この説が言っているのは、本当に子供の頃の話なのかもしれませんが、物心ついてからも、違った意味で、同じことが言えるのかもしれません。
例えば、人に酷いことをして、傷つけながら何をしたらいけないのかを学んでいくような、道徳的な基盤を身につけるのも、結局、人との関係があって始めてなのだと思います。
もし、子供時代を隔離された状態で育ったら、人のことを思いやれないわがままな人間に育ったり、あるいは、全く人に対して臆病な人間に育ったりするのだろうと思います。なぜなら、その人がよって立つ基盤となる道徳観が育たないだろうからです。
その様に考えると、自分の様な人見知りをする人間は、人間としては問題があるのかもしれません。
もっとも、理屈としてそう思っても、なかなか変われる訳ではありませんが。