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2013年12月1日 絶妙なニュアンス

ハード・ロックやヘヴィ・メタルは、これでもかと技術を見せつける希有な音楽だと、ある人が書いていました。

確かに、極端な速弾きなどを見れば、その通りなのでしょう。

この様な音楽自体が嫌いな人は多い様ですが、その過剰な技術至上主義にも嫌気をさしている人が多い様です。

所詮、そんなのは練習すれば出来る程度のものなんだと。

でも、どうなんだろうと思います。

例えば、絶妙なトーンやタイミングなど、極端な速弾きに隠れて聞き逃している部分も多いのではないかと思います。

残念な事に、私はそれを聞き分ける耳を持っていないので、声高にその事を主張する事はできません。けど、本当の所はどうなのでしょうか?

2013年11月1日 写実について

高校生くらいの頃、ある画家が、写実的な絵を描く事には意味がない、個人の個性が表現されていないと絵を描く意味はないという意味のことを言っていました。

なんとなく、納得できると感じると共に、違和感も感じました。私自身、個人の個性と言う幻想にとらわれていた時期であり、その意見は、納得しないといけないものだと自分に言い聞かせていました。

でも、元来写実的なものが好きな私には、写実主義を否定してしまう事に、納得がいきませんでした。

しばらくして、写実主義やスーパーリアリズムは、写真が身体化して、それを表現したものだと言う意見を聞き、なんとなく、写実主義は問題がないんじゃないかと感じるようになりました。

そして今、写実的に描く事は、目の前のものを現実どおりに描かざるを得ない個人的な思いの表出なのだと思うようになりました。

絵画に写実的に描く事を歴史的に見れば、せいぜい、ルネサンス時代にその傾向が見られただけです。それ以降、写実的な絵画は主流を占めますが、近代になりそれは否定され、写真の登場により、抹殺されたと言えるでしょう。

それが、スーパーリアリズムの台頭により復活したのですが、ルネサンス時代の頃とは異なり、よりものや細部に対する執着心が強まった様な印象を受けます。絵画でなく、ミュージシャンをコピーするのを見ても、同様の傾向を感じます。

意外と、写実的に描こうとする欲求は、人間の根本に根ざしたものなのかもしれません。

2013年10月1日 記憶

記憶と言うのはいい加減なもので、しばらくして自分の書いた文章を読んでみると、こんな事があったんだと思う事があります。

基本的に、記憶された内容は、自分の都合のいいように書き換えられるものらしいので、すべては嘘ではないとしても、結構、いい加減なものなのだとか。それと、自分に都合の悪い事は、大胆に忘れ去られる様です。

ということもあって、ブログを書いたり、こうやって、ホームページに文章を書いたりしている訳です。

別に、過去の方がよかったから、それを記録に残し、過去に生きようとするつもりはありません。

自分自身の過去に、驚きを見出したい、それだけです。

2013年9月1日 疑問

近代社会は、一カ所に人が集まり、効率的に生産をしていくものですが、そのあり様に、昔から疑問を感じていました。

結局、仕事と言うのは、単に人のエゴに付き合うものでしかないし、あるいは、人を自分のエゴに付き合わせるものでしかない、そのように感じます。

でも、どうなのでしょう。そのように感じつつ仕事をしている人がどれほどいるのでしょうか?

自分が生きなければならない、もしくは、自分のエゴに隠れて、それを感じる事が出来ないのではないでしょうか? それとも、あまりに当たり前すぎて、どうでもいい事なのでしょうか?

2013年8月1日 飽きてます

自分とは、一生のおつきあい、と言うのは、当然と言えば当然の話です。

でも、時々飽きがくる事があります。

最近、「パズドラやってますよね。」

とある人に聞かれ、

私は、「ハイ?」と答えました。

しばらく、それが何なのかわからなかったからです。

周りにいる人が説明してくれて、ようやくそれが何なのかわかりました。今はやりの、ソマホ向けゲームだったのです。

私の見かけ上、いかにもゲームをやっているように思われたのでしょうが、私はゲームはやらないし、興味すらありません。

でも、見かけだけで、ゲーマーだと思われたり、漫画にはまっていると思われたり、さらには、オタクだと思われたり、どう思うのかは人の勝手だけど、少々そのような反応に飽きてきています。

そこで思い出したのが、小学生の頃読んだ漫画、「バケルくん」です。

この漫画は、主人公が、小さな人形の鼻を押して、その人形のキャラクターに変わる事が出来ると言うものです。

子供ながらに、とても興味を引かれましたが、今現在、その様な人形があったら、どんなにか面白い人生が送れるだろうかと思います。

自分自身の姿が変わる事によって、様々な人格を楽しめるばかりでなく、自分の周りの人の、見た事のない姿(性格)も見る事が出来るのでしょうから。(言うまでもなく、人は、接する相手によって、キャラクターを使い分けていますから。)

まあ、あり得ない話ですけどね。

2013年7月1日 ものへのこだわり

工業製品は、残念な事に、時代とともに古くさくなり、忘れ去られる運命にあります。

Macintoshだって、発売された当時の衝撃は、すでに忘れ去られ、そのデザインも、現在の使用に耐えられるものではありません。もちろん、iPhoneだって、将来、同じ運命を辿る事でしょう。

だからこそ、スティーヴ・ジョブズは、より永遠性のある映画に取り組んだのだと言われています。

でも、個人的には、ものへの愛着は捨てられません。

写真が好きなのも、コンピュータが好きなのも、写真そのものやコンピュータそのものよりも、そのハードに魅せられているのだと思います。

それが生み出されたエピソードを調べるのも楽しいですし、なんと言っても、その手触りは、何物にもかえられません。

もしかしたら、70年代に少年時代を過ごした事の影響が、残っているのかもしれません。

これからは、電子データ中心に過ごしていくつもりですけど、その電子データを扱う端末には、やはり、魅力を感じる事でしょう。

2013年6月1日 ちょっとした感想

昨年、長崎に行ったときのお話。

電車に乗っていると、修学旅行と思われる女子高生達が多く同じ電車に乗っていました。

見るとはなくその女子高生達をボーッと見ていると、何とも彼女たちのその目の美しさに、ハッとさせられました。

その白目が透き通る様に澄んでいたのです。

一般的に、絵を描く時には、黒目をどのように描くかによってその絵の印象は大きく変わります。つまり、絵画にとって、白目より黒目の方がより重要なのです。

また、写真だって、ピントを合わせるのは、白目ではなく黒目です。

さらに言えば、わざわざ黒目を大きく見せるコンタクトレンズだってあります。

でも、実際の人間に接すると、というのも変な表現ですが、むしろ、その白目の美しさの方が際立って見える様に感じました。

まあ、私だけの感想なのか、一般的な意見なのかは分かりませんけど、その美しさは、ものすごく印象に残りました。

2013年5月1日 錯覚

以前、仕事をしていた所で言われたのは、一人のお客さんから出来るだけ多くのお金を出させることが大切だと言う事です。

お客さんの数は限られているので、それを補うために、一人のお客さんに多く出費していただいて、収益増大を狙うのです。

例えば、あるパソコン教室では、パソコン習得に100万円かかったという話をきいた事があります。100万円ならまだ少ない方で、200万円以上という方もいらっしゃいました。

それだけ、お客さんにお金を使わせるテクニックに長けた教室なのでしょう。

もちろん、その金額に相当する満足度があれば、大丈夫なのでしょうが、難しいのは、これを露骨にやると、大いに嫌われてしまう可能性があるということです。

さて、最近、ベテラン・ミュージシャンを見ていると、やたらと値段の高いベスト盤やライヴ盤が発売されていたり、ライヴでのグッズ販売にやたらと力が入っていたりします。

もちろん、ミュージシャンはアーティストだし、何となくお金とは別の所で優れた作品を作り、それを世間に示している・・・と思いがちなんですけど、よく考えると、ミュージシャンのやっている事って、結局は、他の仕事とあまり違いはないのではないでしょうか。

作品は、プロダクトの製造と変わらないわけだし、なんと言っても、一人のファンから多くの金額を引き出そうとする手法は、他の仕事と何ら変わりはありません。

まあそれでも、そのバランス感覚さえあれば、ファンは喜んでお金を払うとは思うのです。でも最近は、ファンの年齢層が上がるのにつれて、金額的に、購入に一瞬ためらう商品が増えている様に感じるのですが、いかがなものでしょうか?

2013年4月1日 インターネット

インターネットを利用する様になってから、意見は多様なのだなと思う様になりました。

例えば、全く面白くないドラマだなと思うものでも、インターネットで感想を確認してみると、意外と、面白いと思っている人がいて、ビックリしてしまいます。

リッチー・ブラックモアに関しても、ネットを見ると、過大評価だという人が、少数ながらいる様です。

個人的には、過大評価だとは思わないにせよ、過大評価だという人の言う意見に、まあ、間違いではないかなと思う部分もあります。

有名な、Child In Timeのギター・ソロにおける決めフレーズなどは、確かに、三連符によるラドミの繰り返し(Key=Am)に過ぎず、もう少しひねりが欲しいと感じる人もいる事でしょう。

でも、この単純なフレーズが後のスイープ奏法へと発展したのだから、決して、侮れないし、なんといっても、かっこ良く聴こえるのだから、それはそれで良い様に感じます。

2013年3月1日 変革

テレビを見ていると、明治維新だ、戦後の復興だと、やたらと変革を扱うドラマが多いものです。

でも、もし自分がその時代に生きていたとしたら、間違いなく、旧世代を代表する人間として生きていただろうと思います。

私に限らず、ほとんどの人たちが、そうなのかもしれません。

それはともかく、現在、変革に躍起となっているのは、自分の地位を守ろうとしている豊かな人たちの様な気がします。

地球規模で見ても、豊かな国がこれから発展しようとしている国々を利用して、自分たちの豊かさを守ろうとする。

日本の中で見ても、収入の多い人たちが、自分たちの収入を維持するために、豊かでない人たちを利用する。

さて、本当の所は、どうなのでしょうか?

2013年2月1日 ライヴへ

先月、1月26日に、aikoさんの追加公演「LOVE LIKE POP vol.15 add.」に参加するため、大阪まで行ってきました。

まだ、ツアー中なので、詳しくはブログに書くこととして、ここでは短めに感想を書きます。

今回のライヴ、ちょっと、時間的な制限があるのか、短め(といっても、3時間くらいはありました。)な感じでした。でも、演奏の方は、一曲ずつ、じっくりと楽しむ事が出来ました。シングルからは2曲のみですけど、ノリのいい曲とバラードとのバランスが実によくとれていました。さらに、腕につけるザイロバンド(スタッフの操作でLEDが光る様になっている)が一人一人に配られ、それも、実に効果的に使われていたと思います。

トークに関しては、地元の大阪という事もあるのか、「27歳でーす」というaikoさんに、「エーッ」と笑いが起こったり、実に和やかな雰囲気でした。

さて、アンコールに入ってから、aikoさんから15周年の感謝の言葉があり、なんと、個人的にはaikoさんと初めて出会った曲が演奏されました。

時の流れを感じつつ、今現在、こうやってこの曲を聴きながら同じ時間を共有できる事を、ファンの一人として、嬉しく感じました。

2013年1月1日 あけましておめでとうございます

明けましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いいたします。

今年も紅白を見ながら、ぽちぽちと文章を書いています。

いつもの様に、新年に向けて、なんの目標も抱負もありません。

ただ、生きていくだけです。

まあ、ただ、生きていくだけと言っても、今更ながら気がつく事があるものです。

例えば、ギターのネックは、細くて丸みのあるタイプが好きだとか、音楽は、ギターだけだとかピアノだけだとかではなく、それらをミックスした多彩なサウンドが好きだとか、この一年ほどで気がついた事です。

自分の事でさえ、40代も後半になって、ようやく分かる様になるのですから、また、新たな一年で、今まで知らなかった自分や世界を知る事が出来るかもしれません。