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2009年12月1日 新しい月を迎えて

何を書いても、今は、なんとも言えない感覚があります。

昔のことを書いても、今のことを書いても。

サイレント。

2009年11月1日 わからないことだらけですが

最近、聞いた話によると、ある人物が私との関係について、「彼とはつうかあの仲なんだ」言っていたそうだ。

「ふ~ん、そういう風に思っていたのか。」

よくわからないことだらけで、混乱する毎日ですが、一つ、謎が解けたような気がします。

2009年10月1日 サムライ音楽論

ギタリストのマーティ・フリードマンさんの本「サムライ音楽論」を読んでいて、日本っていい国だなと感じました。

彼の言う、いい国、日本というのは、日本の伝統文化云々とか、侘び寂びとか言うことではなく、日常生活における日本の素晴らしさを指しています。これは、どの様な賞賛の言葉より、すばらしい言葉だと思います。

清潔な環境、便利なコンビニ、人々の仕事へのまじめな取り組み等々、日本人にとっては当たり前だと感じる事ばかりですが、改めて指摘されると、それはすごいことなんだなと再確認出来ます。

しかも、一般に独創性がないと言われる文化面でも、J-POPの独自な発展を指摘されていて、興味深く感じました。

ただ、マーティさんによると、その独自性が出てきたのは、バブルの崩壊以降なのではという指摘は、興味深く感じました。バブルの時は、お金にものを言わせ、外国の有名なスタジオ・ミュージシャンを使い、そのことにあぐらをかいていたけれども、バブル崩壊以降は、お金をかける事が出来ない代わりに、自分たちで工夫をするようになったというのです。

私は外国に行ったことがないので、比較して、善し悪しを言うことが出来ません。ですから、アメリカや日本に住んだ経験を持ち、しかも、各国をツアーでまわったマーティさんの意見には、とても興味深く耳を傾けることができます。

これは余談ですが、文化面に比べると、日本の政治は、外国と比較するまでもなく、恥ずかしい状況だと感じています。それは、結局、日本の国民が無知であると言うことを表していることでもあるのですから。

かくいう私も、経済状況が、今の様に悪い状態になって初めて、日本の向かおうとしている方向、そして、その裏付けとなる法律の悪い面を知るようになったのですが。

政治に関しては、これからに期待するとともに、しっかりと、これからの日本のあり様に目を光らせる必要がありそうです。

2009年9月1日 iMac

姉の提案もあり、自宅のデスクトップ・パソコンをWindowsマシンからiMacに変更しました。

遅かれ早かれ、パソコンを買い替える予定にしていたので、これを機に、その提案に同意しました。

出資者は姉で、「これ欲しかったんだ。」と言っていましたが、大分に置いていては、使うのは一年後になるんですけどね。

それはともかく、デスクトップをiMacにしてしまうと、自宅にはWindowsマシンが一台もなくなるので、VMwareというエミュレータをマックにインストールして、マック上でWindowsを使えるようにしています。

元々、このような使用法を想定して、Windows OSやOfficeに関しては、インストール用のディスクをパッケージで購入していました。 普通に考えれば、メーカー製のパソコンを購入して付属のOSやOfficeを使う方が、経済的です。でも、仕事で使用する場合や、パソコンをシンプルに使いたいと思ったら、主に使用するソフトは、パッケージ版を購入しておくと、何かと便利です。

それはともかく、自宅のマシンがすべてマックになって感じるのは、Windowsは全く必要ないという事です。Windowsを起動するのは、練習のためにOfficeを使う時と、ホームページを作成する時だけです。この事は、ソフトの対立(=OSの対立)が既に過去のものだという事を証明しているのではないでしょうか。マックでは一部、利用出来ない動画サイトなどはありますけど、それは、将来的に解決する事でしょう。

これからは、様々なパソコンで、同じ環境を使えるようになるだろうし、既に、そのようになっています。それは、ソフトがパッケージとして提供されるものから、サービスとして提供されるものへと移行している事を表しているのだと思います。

そういった時代、唯一、注意する点があるとすれば、データの汎用性くらいでしょう。それに関しては、またの機会に書きたいと思います。

以上の話は、Windowsしか使わない人には関係ない話なのかもしれませんけど、これからは、知らないうちに、Linuxを使っているというような、そんな時代になっているかもしれませんから、人ごとではないと思いますよ。

2009年8月1日 振り子のように

基本的に、人間って、振り子のように揺れているのだと思います。状況によって、よい人間にもなるし、悪い人間にもなると言う意味で。

大分の教員採用試験の不正事件での関係者のインタビュー記事を読んでいても、同様のことを感じました。

恐らく、この事件に関係した人達は、そのようなことが悪いことだとわかっていたし、不正が出来る状況でなく、命じられることもなければ、それをやることはなかったでしょう。でも、制度に隙があり、その隙にはまってしまったのだと思います。

もちろん、だからと言って許されることではないですが、それが人間の弱さであり、組織の怖さという事なのでしょう。

悪いと悩みながら不正をしていた人も、何度か不正をやっていくうちに、慣れによる感覚の麻痺というものが生じた人もいたことでしょう。

一方で、つかまりさえしなければOKで、不正を不正とすら思わない人もいるわけで、そう言った人たちは、残念ながら、どのような状況であれ、不正をすることでしょう。もっとも、そのようなことを親切心でしている人もいるので、なんともコメントが難しく感じます。今回の場合は、不正が簡単に出来、しかも、それが見つかりにくいのですから、悪いという認識は、低かったのでしょうが。

いずれにせよ、不正を不正とすら思わないで不正をするような人と関わった人、不正をするように命じられた人は、不幸としか言いようがないですが・・・・・・

私自身は、正しくあろう、そうは思っています。でも、その一方で、気持ちは揺れ動いているのだと思います。人間として最低だと思うこともありますし、そもそも、正しいというその正しいが正しいのかどうか、よく分からなくなります。

世の中には、自分は善人だと公然と言う人がいますけど、羨ましい限りです。正しいの正しいがよく分かっているのでしょうし、不正には、断固戦える強い意志を持っているのでしょうしね。

2009年7月1日 神川先生

大学の頃、私の通っていた大学で教授をされていた神川先生が、今年の三月に亡くなられました。

学生時代に、何度か、神川先生とは、お話をする機会がありました。印象に残ったお話のいくつかは、このホームページにも既に書いています。重複してしまいますが、例えば、次のようなエピソードもその一つです。

神川先生が大学生の頃、元々勉強をしたい研究テーマがあったのに、指導を受けていた教授の専門とは異なるため、そのテーマを選べなかったそうです。神川先生は、後に、研究テーマを自分の勉強したい内容に切り替えたそうですが、それは、ほとんど裏切り行為とされるほどの暴挙だったと話されていました。

そういった経緯もあったためかどうかは分かりませんけど、私の通っていた学部は、テーマを学生が自由に選択できるなど、教授や助教授の研究テーマに縛られることはありませんでした。

このことを、ある大分大学の学生に話した時、「そんなのは、大学ではない。」と馬鹿にしたように言われました。

そう言った人も、本当は研究したいテーマがあったのに、先生の都合で他のテーマを選ばざるを得なかったと言っているにもかかわらずです。

私には、まったく、理解が出来ませんでした。

「卒論で研究するテーマは、君達の一生の研究テーマです。」とおっしゃったのも神川先生だったと思います。いや、もしかしたら、他の先生だったかもしれませんが、神川先生も、そのようなお考えだったのだと思います。

私は、直接、神川先生と接することはほとんどなかったのですが、神川先生の考え方から、大きな影響を受けていると思います。

神川先生は79歳だったそうです。時間は確実に過ぎています。私もその順番待ちをしているわけですが、最近、着実に、その順番が近付いていることを感じます。

目前の問題については、乗り越えるために、日々過ごしていますが、それと共に、もう少し遠くを見つめて過ごせればと思います。

2009年6月1日 快適な場所

好きな場所は、ある料理屋です。

「ある」と書いたのは、そこは、夢の中にしか存在していないからです。

正確に言うと、実際に、その風景は存在するのですが、その建物は存在していません。単に、田んぼがあるだけです。

夢の中では、田んぼの中を通り抜けると、その料理屋に辿り着きます。実に和風なそのお店では、ゆっくりと時間を楽しむことができます。

もっとも、現実の私はといえば、若い人たちの話し声で、あまりゆっくり出来ない場所で食事をしていますけど・・・・・・

もう一つ、お気に入りの場所は、東京に行った時に過ごす、ちょっとした宿です。

畳敷きの古ぼけたその建物は、単に、私が大学の頃過ごした下宿なのですが、実際には、そこはもう存在しません。

私にとっての快適な場所とは、夢の中にしかないのかも、そのように感じます。もちろん、現実的に、好きな場所、快適な場所はあるけれども、今は、それも夢のように感じられます。

でも、これからは、自分で快適に過ごせる場所を作り出せればと、そのようにも感じています。夢では、いつ見られるのか分からないですから。

2009年5月1日 装飾デザイン

中学の頃だったか、適する職業を調べる診断テストのようなものが学校であって、その結果が、服飾関係の仕事だったように記憶しています。

服飾関係には、今でもそれほど興味はないのですが、好みとしては、外してはいないかもしれません。

高校生になって、「装飾デザイン」と言う本(季刊誌)が愛読書のようになっていたからです。その本を通じて、私はアール・ヌーボーやアール・デコ、その他、装飾芸術と言うものを知ることになりました。ウィリアム・モリスの名前を知ったのも、その本の影響だったように思います。

今考えると、当時、バブルへ突入する時期であり、世間でも、そういった西洋アンティークへの関心が高まっていたのだと思います。意識することはなかったとはいえ、時代の流れにのっかってしまっていたのです。でも、アール・ヌーボーやアール・デコを知った私は、「なんて素晴らしい芸術表現があるんだ」と、当時は、ひたすら感動するばかりでした。

そういったこともあり、高校の頃は、完全な西洋かぶれになってしまっていました。もっとも、今では、それほどのことはないですけど。

そのあたりをスタートラインとして、今でも私は、装飾的な芸術作品や、手仕事を重んじた作品が好きだし、そのような作品を作る人達に、常に敬意を持っています。いや、スタートラインは、もっと前だけど、アール・ヌーボーに代表される装飾芸術に興味を持ったのは、間違いなくその頃です。装飾品や、美しい服装ももちろん好きです。

ちなみに、「装飾デザイン」という季刊誌は、大学生の頃に廃刊になりました。やるべきことを果たしたからということでしたが、単なるネタ切れだと、当時、感じました。アール・ヌーボー、アール・デコ、北欧のデザイン等の繰り返しで、だんだんと新鮮味がなくなって来ていましたから。

2009年4月1日 写真を始めたきっかけ

いつも書こうと思って、上手く書けないのが、写真を始めたきっかけです。それは、そもそも、写真そのものにひかれて始めた訳ではないからなのかもしれません。

私は、特定の被写体を撮りたいと思った訳ではありませんし、カメラマンという職業に憧れた訳でもありません。

動機と言えるものがあるとすれば、一つは、以前書いたように、複製技術の一つとして関心があったことと、もう一つは、大学に入った頃に目にした、コンピュータで加工された写真に関心を持ったからです。

そういうこともあって、写真を始めた当初から、コンピュータを使用することを前提としていました。

ただし、個人でパソコンを購入しても、まだまだ出来ることに制約が多かった時代です。仕方ないので、写真を始めた当初は、コンピュータを使用する代わりに、ペンなどで着色をしていました。天井に貼ったその写真を見た知人は、呆れてましたけれどもね。単なるいたずらだと思ったのでしょう。

それから数年経って、デジタル加工をした写真を中心とした写真展を見に行きました。

その写真を見て、作品のクオリティーが大学生の頃に目にした作品から大きく進歩していることが分かりました。ソフトは、フォトショップを使用していたはずです。ただし、その時、その写真展を開いている写真家さんからお話を伺い、機材を揃えるのに200万円かかると言われて、まだまだパソコンを購入するのは、遠い先だと思ったものです。

それからさらに数年が過ぎて、ようやく、自分でパソコンを購入をして、さっそく、写真のデジタル加工を始めることが出来ました。手元にあるのは、一冊の入門書だけでしたけど、それをたよりに、いきなり本番と言う感じでした。

その時ほど、パソコンにのめりこんだ時期はありません。冷暖房のない部屋でしたから、夏は扇風機を回しながら、冬は毛布に包まりながら、ずっと、モニタの前に座っていました。

その時期に学んだ貴重な体験があります。それは、パソコンは壊れやすいという事です。私の購入したパソコンのハードディスクに初期不良があり、購入してすぐに調子が悪くなったのです。こういった体験を、パソコン初心者のうちに出来たことは本当によかったと思っています。

2009年3月1日 出会い

雑誌をパラパラとめくっていて、たまたま、素晴らしいアーティストを見つけることがあります。

もともとは、違う目的のために購入した雑誌なんですけどね。

ラジオもそう。

たまたま電源を入れたラジオから聴こえてきた音楽に、すさまじい衝撃を受けたことがあります。

出会いというのは、偶然かもしれないけど、その出会いは、実は、用意されたものだったのかもしれません。

それこそ、運命なのです。

人との出会いもそう。

出会うタイミングは、まさに奇跡なんだけど、その人に会う事によって、それは、奇跡でも偶然でもなく、必然になるように思います。

つまり、自分にとって大切なもの、それは、私自身の中に用意されているのです。

そう思います。

だから、出会いを私は大切にしたい。

2009年2月1日 山川健一さん

本当に好きなものがある人は、幸せな人だと思います。

作家、山川健一さんの本を読んでいると、いつもそう思います。

「マッキントッシュ・ハイ」、「日曜日のiMac」、「希望のマッキントッシュ」などのマック関連三部作を読んでいても、愛と幸せにあふれた文章に、読んでいて、思わず笑みがこぼれてしまいます。

ブログにも書いたように、マックが好きで、ローリング・ストーンズが好きで、アルファ・ロメオやポルシェが好きで・・・という山川さんの好きな人やものへのまっすぐな思いを見ていると、恐らく、子供のような心の持ち主なのだろうと感じられます。

もちろん、コンピュータの世界は、そんなに楽観的な世界ではありません。犯罪に利用されることもあれば、ファイル共有ソフトをどのように解釈するのかといった問題があります。そういった問題にも、真剣に、真っ直ぐ取り組み悩んでいる様子を見ていても、山川さんの純粋さを感じます。

私は、自分を見失いそうになった時、「マッキントッシュ・ハイ」を読むようにしています。私がパソコンを始めたのは、それでお金儲けをするためではなく、パソコンの向こう側に希望を見ていたからだということを忘れないために。そして、自分は何をやろうとしているのかを、もう一度振り返ることができるのです。私にとって、「マッキントッシュ・ハイ」は、バイブル以上の意味を持っています。

「大人にとっていちばん大切なのは、大人にならないで子供でい続けるということだ」
そう言ってからニヤリと笑うと、彼はこう続けた、
「見たところ君の場合は大丈夫そうだね」

「希望のマッキントッシュ」の中に出てくる一節です。

パーソナル・コンピュータの生みの親である人物による山川さんに対するこの言葉は、山川さんのことを適切に表していると共に、パソコンを学ぶ時に何が必要なのかを端的に表していると思います。

そうやってパソコンに触れていると、「やがてマックは扉を開いてくれるだろう。あなたは、ふと気がつくと、自分が解放され、癒されているのを感じることができるだろう。」(マッキントッシュ・ハイ)

2009年1月1日 アウラとスティーグリッツ

明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

さて、今回は、去年の1月1日に書かれた「今月の一言」の続きを書きたいと思います。

大学に入って、美術館通いをしていた私は、初めて、写真の名作とされるものを目にしました。それは、スティーグリッツのニューヨークの街並みを写した写真です。

スティーグリッツは、20世紀初頭、当時の最先端の街並みを、まさに最先端の技術と感性によって切り取りました。しかし、私の目の前にあったスティーグリッツの作品は、撮影されてから数十年を経て、美術館で、中世の絵画さながらに展示されるものになっていたのです。

実際、彼の作品は、美術館の薄暗いちょっとした空間に展示されていました。写真には興味のなかった私ではありますが、この光景は、実に印象的でした。私にとっての写真とは、家族の思い出を写したもの、印刷物として流通するもの、コンテストなどで目にするものです。それに対して、彼の作品は、多くの絵画作品と同様、崇拝されるもの、守られなければならないもののように思われました。

ちなみに、1980年代、写真論を勉強しようとする時、必読とされる本が3冊ありました。それは、ロラン・バルトの「明るい部屋」、スーザン・ソンタグの「写真論」、そして、ヴァルター・ベンヤミンの「複製技術時代の芸術」です。大学生だった私にとって、ロラン・バルトの深さ、ソンタグの鋭い批評、ベンヤミンの独自性は、いずれも、高い壁のように感じられました。

それら三冊の中で、学生時代の私には、ベンヤミンの著書が、とても魅力的に思われました。特に、写真を論じる際に、とても重要なキーワードとなるベンヤミンのアウラという概念は、神秘的な響きさえ感じさせます。

アウラとは、時間的には過去を、空間的には遠くを指しています。例えば、教会に飾られた絵画は、人の手の触れられない場所に置かれ、時代とともに古びていきます。これが、作品がアウラを帯びた状態なのです。そして、絵画は、アウラを帯びれば帯びるほど、価値が高まるのです。

それに対し、元々写真は、アウラを喪失している存在です。大量に複製され、人の手に触れられる存在です。でも、私が最初に目にした写真作品は、十分にアウラを帯びていたのは皮肉な話です。

今は、ベンヤミンのアウラ論よりも、亡くなった母親の幼い頃の写真の中に、母親の本質を見出したロラン・バルトの方に興味があります。もう一度読み返したいと思いつつ、昔のようにその深さに溺れてしまうかもしれません。