2021年12月1日 アイドル
あたかもついこの間始まったように感じることも、自分が知らない時代からの連続の一部に過ぎないことがあります。数年前、西城秀樹さんが亡くなった時、テレビでかつての西城秀樹さんの映像や功績が放映されたのでしょうか。「西城秀樹さんはジャニーズの元祖だ」的な発言がネットニュースに出ていました。(もちろん、西城秀樹さんはジャニーズ事務所ではありません。)
個人的には、70年代のアイドルの活躍とともに成長したこともあり、「何を今更」と思ったのですが、70年代と言う時代を知らない人たちからしたら、かつてのアイドル達の活躍を知る由もなく、その延長線上に90年代以降のアイドルがいることなど、思いも寄らないのかもしれません。
振りをつけて歌うのはもちろん、コントもやればドラマにも出る、さらに、映画にも活躍の場を広げています。これは、今のアイドルと、なんら変わりはありません。そして、その人気は、かつての映像を見ればわかるように、とてつもなく高いのです。その姿を知らないある人から、「西城秀樹さんをバカにしていた。」と言う発言を聞いて、大いに驚いたものです。
もちろん、今のアイドル達がかつてのアイドルと全く同じな訳ではありません。時代と共に新たにそのあり方を変えているのは当然のことです。でも、90年代に入って突然アイドルというものが現れたわけではない、70年代、いや、もっと遡って、50年代や60年代からの連続であるということは、忘れてはいけないと思っています。
2021年11月1日 東京
7月1日に書いた「後悔」の続きを書きたいと思います。私が東京が好きな理由は、二つあります。
一つ目は圧倒的な情報量の多さです。
そして二つ目は、押し潰されそうなほどの情報量の中で感じられる孤独感です。
高校生の頃、田舎で暮らすよりも、都会で昼寝している方がマシだという意味のことを言われたことがあります。
そして、実際に東京に行ってみると、渋谷の街にいるだけで、圧倒的な情報に囲まれ、昼寝するよりは・・・というのは言い過ぎだと思いますけど、そこにいるだけで多くの情報が得られるとともに、想像力を刺激されました。
また、多くの情報、多くの人々に囲まれているにも関わらず、東京にいると強く孤独感を感じられました。
大学に入学した当初は、友達もいずに「寂しい」と言っていた同級生もいましたが、むしろ私は、そのこと自体が快適に感じられましたし、東京の情報や人々がそれを強調していることが実に心地よく感じられました。(子供の頃から同じ環境で暮らしていた人たちは、東京での初めての友達作りに、ものすごくストレスを感じるそうですが、私は元々友達がいなくても平気な人間なので、大学生活のスタートは、なんらストレスを感じることがありませんでした。)
インターネットが普及した今、情報が溢れ、人々の言葉で満たされた世界となっています。
それはそれで、私は楽しんでいますけど、物理的な空間での溢れんばかりの情報の方がより私には快く感じられます。
2021年10月1日 テレビ
最近、テレビをうるさく感じます。
特に、夜遅くテレビをつけているとそう感じるのです。
多くの人たちが、ワーワーと喋っていたり、2人のトーク番組でも、観客の声がワーワー入っていたり。
そもそも、テレビがうるさいと感じる様になったのは、大学に入ってからです。
大学に入学して半年ほどテレビのない生活をしたことがあります。その時気がついたのは、テレビがなくても暮らしていけるということと、テレビがない時間、色々と創造的な活動に使うことができるということです。
と言う事で、テレビが来てからも必要な時だけテレビをつけて、その他の時間は、自分の好きな事をして過ごしていました。そもそも、下宿暮らしでは、夜、テレビの音を大きく出すことはできないですし。
そして現在、テレビは見たい番組だけ録画して見るスタイルが、一番しっくりくるなと感じています。夜は、テレビを消して、パソコンをやったり本を読んだりする、それが理想です。
まあ、家族と暮らしていると、理想通りにはいかないものですが。
因みに、テレビに比べ、ラジオの方は、昔も今も好きです。特にNHKは、夜、うるさくなくて良いです。詳しくは、そのうち書く予定です。
そう言えば、ギタリストのリッチー・ブラックモアが、昔、インタビューで「テレビの音を消して、画面を見ながら練習している。」と言う様なことを話していましたが、それなら、いいかも知れません。
2021年9月1日 循環
中古市場というものが存在するのを知ったのは、カメラを趣味とするようになってからです。
価格は市場が決めるという考え方や、古いものを大切に使うという考え方は、大学生の私には、魅力的に感じられました。
大学卒業後は、Olympusのカメラを買い集めるなど、すっかりその世界に浸っていました。
その考え方は、パソコンを始めてからも続き、古い機種を結構長く使ったり、古い機種をわざわざ購入したりもしました。
けれども、2020年代に入った現在、世の中の動きは、それとは異なるものになろうとしているようです。
それは、アップル社が現在行なっているような循環する世界です。実際、アップル社の製品は、新機種を購入時にリサイクルに出せるようになっています。リサイクルに出した機種は、再生されたり素材として利用されたりしているようです。
以前は、一度購入したものは、愛着を持ち、壊れるまで使う、壊れても修理をして使うという風にしてきました。
けれども、その考え方は、技術の進歩を否定するということでもあります。単に、売り上げのためにデザインだけを変更することに顧客が乗ることは正しいことだとは思えませんが、製品の販売サイクルを速めて技術革新を成し遂げようとした会社もあったそうですし、新製品の開発は、そのまま技術革新につながり、生活の利便性のアップにもつながるのではないでしょうか。
そう考えると、アップル社の循環する製品生産の考え方は、資源の無駄を少なくするとともに、技術革新もできるといういいこと尽くしのように思われます。
正直言って、現在の循環する世界には、気持ち的に追いつけていない部分がありますが、それを受け入れられるようになれればと思っています。
2021年8月1日 音楽体験
今朝見た夢について書きたいと思います。
それは、とあるミュージシャンのライブのリハーサルに参加するというものでした。
観客席の最前列で演奏を聴いたり演出への意見を求められたりと、これが現実ならなんと贅沢な体験なんだろうとなるところですが、目を覚まして、これが夢だったことにがっかりするとともに、それはそうだろうと納得したりしました。
さて、最近、ネットでの音楽配信に関する本を読みました。
そこに書かれていたのは、時代が変化する中、音楽産業がいかに新たな収益源を見つけ続けてきたのかということです。
レコードというミュージシャンにとって新たな収入源が誕生するもラジオの登場によりその収入源が破壊されました。時代が下り、ラジオによる広告効果によるレコード(やCD)の収益化が実現するも、今度は、ネットの普及による破壊が行われました。
今書いた内容は、随分と端折った内容なのですが、結局、音楽産業というものは、どの時代にも通用するような一定の収入源があったわけではなく、新たな収入源が生まれては、その破壊が行われ、また新たな収入源が誕生するという繰り返しだったのだということが、その本には書かれていました。
そう考えると、今まさに、新型コロナウィルスによる破壊は、新たな収入源を生み出すキッカケになるのかもしれません。
アルバムの収録曲のダンロードによるバラ売りのおかげで、すっかり収入が減っていた音楽産業は、ライブに活路を見出したというのが、この10年ほどの流れだったと思います。
けれども、そのライブによる売り上げも、ここ1〜2年の新型コロナウィルスの影響で、すっかり、失われてしまいました。
今後、新型コロナウィルスの収束とともに、ライブが復活し、新型コロナウィルス発生以前の売り上げをこえていく未来が待っているのかもしれません。
でもそれは、いつ再び失われても不思議ではありません。個人的には、来年には新型コロナウィルスは収束するのではと考えているのですが、このままエンドレスになるという意見もあります。また、10年周期で未知のウイルスによる病気が広まるとの意見もあります。そう考えると、ライブとは異なる新たな収入源、そして、聴く側からすればライブ以上の新たな音楽体験の誕生が必要になるのではないでしょうか。
2021年7月1日 後悔
最近、YOUTUBEで、東京の街中を歩いて撮影された動画を見ています。
その動画を見ていると、歩きながら撮影しているのに、あまりブレていなくて、しかも、すれ違う人が誰もそのカメラを見ないので、どのように撮影しているのだろうかと思いました。普通、カメラを持って撮影している人がいれば、そのカメラに目を向けるのが普通でしょうから。
さらに疑問に思うのは、今は、コロナ禍ということもあり、すれ違う人のほとんどがマスクをしていますけど、もし、マスクをしていないとしたら、この動画をネットにアップすることができたのだろうかということです。たまたま写った自分の姿を見つけた人たちからの削除要請がバンバン来そうに思うのですが、どうなのでしょうか?
それらの疑問はともかく、遠い昔、東京に住んでいた私は、実に懐かしく、この動画を見て楽しんでいます。
もっとも、渋谷の街並みを見ていても、昔(1980年代)と比べると、ものすごく様変わりしています。建物も、歩道も全てが華やかなデザインとなり、大きく変化したと感じました。でも、道路そのものは変わりはないので、どんなに建物が変わっても、「ここはこの辺りだな。」と分かるものです。
東京から大分に戻って、30年ほど経ちますが、このところ、「なぜ、大分に戻ったんだろう。なぜ、好きだった街を離れたんだろう。」と後悔ばかりしています。
田舎暮らしの方がいい、いや、都会暮らしの方がいい、あるいは、田舎暮らしの方がお金がかからない、いや、都会暮らしでもそんなに変わらない等々、様々な意見をネットで目にしています。
それらは、それぞれの人たちの価値観により、評価が変わるのだと思います。ただ、私は、単純に東京という街が好きなのです。東京には、私の好きなものが全てあり、大分には、私の嫌いなものが全てある、そう、感じるのです。
それなら、なぜ大分に住んでいるのか、それは、私自身、自分のことがよく分かっていなかったからです。
自分にはできそうにない学芸員になろうと思ったり、教員免許を取得したり、今となっては、自分が自分のことをいかに分かっていなかったのかと若い頃の自分に呆れるばかりです。住む場所に関しても、子供の頃に住んでいたからという単純な理由で大分に戻ってはみたのですが、全くミスマッチな選択でした。
いずれにせよ、大分に友達などいない私にとっては、暮らす場所として大分にこだわる理由はなく、自分の住みたい街に住めばよかったのだと思います。
2021年6月1日 ライブ
このところ、様々なミュージシャンによるライブが開催される様になっています。
昨年末から、一部の有名ミュージシャンがライブを行っていて、無事、ツアーを終了させています。今年の春になってからの他のミュージシャンによるライブの開催はその実績を見ての判断なのかもしません。
実際、ライブでの感染は、コロナウイルスが流行り始めた昨年の3月頃以降、聞いていません。コロナウイルスへの対処法が徐々にわかってきて、それに沿ってきちんと感染対策をすれば、ウイルスへの感染は、最小限に抑えることができるからなのかも知れません。
さて、今年の3月頃、いつも行っているミュージシャン数名のチケット販売が告知され、私も参加するのかどうか、迷いました。ちょうどその頃、一時的ではあれ、コロナウイルスの影響が少なくなる、もしくは、地方都市では感染の影響が少なくなる、そのような兆候が見られたからです。
でも、今回は参加することをやめました。地方都市でのコロナウイルスの影響が少なくなり、自分が感染する可能性は少ないと仮定しても、自分やライブに参加した人達が感染した場合の周りへの影響の大きさを考えると、参加を取りやめざるを得ないと考えました。
5月から6月、実際にライブ開始の時期となり、想定外の事態が起こりました。それは、コロナウイルスの再流行が、想像以上にはやくはじまった事です。その様子を見ていて、不参加の判断は正しかったのかもしれない、そう思いました。(その時々の状況によって、その判断への気持ちは変わるのでしょうが。)
また、もう一つ想定外だったのが、普段ならすぐにチケットが売り切れていたのに、今回、チケットが売れる速度が恐ろしく遅いという事です。
普段、ほとんどファンクラブだけでチケットが売り切れていたのに、今回は、一般販売の告知がいつまでも出ています。昨年のオンラインでのライブ配信のチケット販売に多くの人が殺到したのとは、大きな違いです。多くの人が、今はライブに行くような状況ではないと判断したのだと思います。特に、地方都市に住む私のような人間からすれば、県をまたがる移動をしなようにと言われている中、なかなか他県のライブに行く事など出来るものではありません。
ちなみに、ホワイトスネイクのヴォーカリストのデイヴィッド・カヴァデールは次のように語っています。
「エージェントはいま、(2021年)春に俺の気を引こうとしている。それは、俺が思うに……、俺は文字通り、水晶玉は持ってないけどな。最も早くても……、俺は2021年の後半でさえ大勢が集まるのは安全なのか、何の心配もいらないのか、確信が持てない。俺らはそれより2022年を検討するんじゃないかな。その可能性が非常に高い(BARKS、The Rhino Podcastより)」
そう語っていますが、その言葉に同意せざるを得ないというのが、2021年半ばでの日本の現状だと思います。ワクチン接種で、はやく、この状況が変わればと思いますが、こればかりは、実際に来年の春を迎えてみないと分からないと思います。
2021年5月1日 学校
社会で活躍する人などを見ていて、学校というのは何だったのだろうかとずっと感じていました。
1960年代や70年代に活躍したミュージシャンの多くは、中学(または高校)を卒業してからプロとしての活動を始めています。
もちろん、ローリング・ストーンズのミック・ジャガーや、クイーンのメンバー達のような例外はあります。
でも、それは、少数派に過ぎないのではないでしょうか。
最近、学校というところは、座席にじっと座って学ぶ人に適した世界だという意見を聞いて、なるほどと思いました。
また、社会を変革するのは、学校で学んだ高学歴な人達ではなく、そうではない人達なのではないかという意見にも魅力を感じました。
実際、ビートルズのメンバーは、大学を出たわけではありません。
彼らを支えたプロデューサーやレコード会社の人達は、所謂、学校できちんと学んだ高学歴な人達なのかもしれません。でも、音楽そのものを改革したのは、ビートルズのメンバー達です。決して、大学を卒業したエリートではありません。
2021年4月1日 普通
このところ気になる言葉が「普通」です。
コロナ禍ということで、個人的には、ライブに行くことが出来ず、まさにこれまでの普通が普通ではなくなっています。ライブに参加するには、長距離の移動の他、多くの人の中へ行く必要があります。どんなに感染対策をして安全だとわかっていても、ライブへの参加は、何となく後ろめたい気持を感じるのは否定できません。
また、これまでの普通が、本当は必要なかったのではと思われるものがあります。
その仕事、本当に必要なの、これを買う必要はあったの、この行事をやる必要があったのなどなど、具体的には書きませんけど、疑問に思うものが多くあります。
コロナの影響がなくなった頃、この不必要と感じたものが、どのようになるのかは、興味深いところです。なくなってしまうのか、もしくは、コロナによる自粛の反動で、不必要と感じるものが、もっと世の中に蔓延ることになるのか、どうなるのでしょう。
あともう一つ、普通という言葉で気になるのが、見た目の問題です。
整形手術を受けた女の子のインタビューをネットで読んでいた時、その女の子の言葉がとても印象に残りました。それは、
「普通になりたかった」
という言葉です。
普通の側の人には分からないかも知れませんけど、個人的には、この言葉は、実に心に刺さりました。
その女の子は、メイドカフェで働いた経験を例にあげてましたけど、個人的には、職場など多くの人が集まる場で、または、飲み会などで多くの人が集まる場で、普通の人のグループとそれから除外されたそうでない人がいることを常々感じていました。
世の中、差別をなくそう、個性を大事にしよう、違いを認め合おうなどと言われるようになり、表面的には良い時代になったものだと感じる一方で、意外と、普通であるというのは、難しいことだと感じています。
2021年3月1日 昭和
過去と現在がコラボしたら最高なのかもしれない。
ここ最近の昭和歌謡ブームを見ていて、そう思ったりします。
正直な所、この所の昭和歌謡ブームには、「何を今更」という思いがあります。
現在のブログの様な歌詞に対して、映画の一場面を切り取った様な昭和歌謡の歌詞は、今見ても、素晴らしいと思う反面、昭和という時代の現在とは違うモラル感を思い出すと、手放しでは喜べないのです。
昭和って、そんなにいい時代だったか? というのが私の基本的スタンスです。
でも、昭和から平成、令和という時代を経て、失われたもの、変化したものへのノスタルジーを抱くという気持ちはわかるし、そう言ったものの象徴として昭和歌謡が存在しているのでしょう。
現在のモラル感、便利な生活に、今では失われた古き良きものを付け加えるというのは、それはそれで楽しいことなのかも知れません。
2021年2月1日 小学生の心
心が小学生のままの大人というのがいるのかなと最近考えたりします。
ある番組で、テレビで有名な占い師が、とある俳優さんのことを、「心が小学生だ」と言っていて、そう感じたのです。
実際、色々な人に会ってみて、なんとなく、小学生っぽいなと感じる人がいるので、あながち、心が小学生な大人がいるという指摘も、間違いではないのかもしれません。
さて、脳科学的には、脳が成熟するのは意外と遅く、二十歳になってからだそうです。生まれて20年ほどで、ようやく自分が特別な存在ではないと分かるらしいです。
それを聞いてから、自分自身がどうだったのかと振り返って見ると、個人的には、小学校5年生の時、それまで楽しかった事が楽しくなくなったという経験をしています。
また、中学校3年生の時には、人と上手く付き合う事が出来なくなったという経験もしています。これは、もしかしたら、自分の精神的な成長と他の人の成長の差異というのを無意識に感じ取った事が原因なのかもしれません。
この2つの時期には大きな変化を感じたのですが、20歳になった頃には、あまり変化というものを実感していないので、私の成長は、中学校で終わり、ということになるのかと考えたりします。いや、自分が万能であるという感覚は、大学に通っていた20歳頃になくなった様な気はしますが?
いずれにせよ、他の人も同じ様な経験をしているのかどうかは気になる所です。
2021年1月1日 明けましておめでとうございます
いつもの様に、紅白を見ながらこの文章を書いています。
昨年は、今まで体験をしたことがない一年を体験することとなりました。
世界規模で、日常というものが奪われたのですから。
もっとも、日本に暮らしていて、その影響の大きさを実感する様になったのは、3月に入ってからでしたが。
そういうこともあり、今年の紅白は、無観客での開催となり、演出にもその影響が見られる様です。
さて、話は変わって、昨年亡くなられた筒美京平さんのことについて、今月は書いて見たいと思います。
私が子供の頃(1970年代〜1980年代)、他の人にはない個性が大切だと言われていました。いや、どこで言われていたのかは定かではありませんが、そういう社会の空気というものを私は感じていました。
そのため、音楽に関して言えば、自作自演でないミュージシャンには興味が持てなくなっていました。
また、売れなくても構わない、わからない人は放っておけばよい、その様な考え方のミュージシャンに共感を覚えていました。
でも、昨年、筒美京平さんが亡くなってから放送された筒美さんの特集番組を見ていると、その様な考え方とは異なるあり方というものが昭和の時代にあったのだと改めて知ることとなりました。
筒美京平さんは、自己表現として曲を作るのではなく、ヒットすることを命題として掲げ、曲作りをしていたのです。
また、歌手の歌声や感性を最優先して曲を作っていたのです。
実際、歌手ごとにスタイルが異なるばかりでなく、歌手がメロディーラインを変えても、それが本人に合うなら、時代の感性に合うならその変更すら許していたのです。
筒美京平さんのお名前は、昔から知ってはいましたが、その姿をテレビで見ることは全くありませんでした(実際には、いやいや出演させられた事があった様です)。自己主張よりも、時代の空気や歌手を1番に思う筒美京平さんのその姿勢こそ、筒美さんの考え方を表しているとともに、筒美さんの個性と言うことができるのかもしれません。