2020年12月1日 フィンガーピッキング
自分にとっての常識が、他の人にとっては常識ではないと言うことはあるものです。最近、右手の中指の爪が折れてしまったのですが、その時の話です。
年齢的なものもあるのでしょうか、ここ数年、指の爪が折れることが時々あります。特に、右手の爪が折れると言うのは、ギターを演奏する際にフィンガーピッキング をしている私としては、実に困った事です。
そういう話を何人かにして見たのですが、揃いも揃って皆んなから、「ギターって、爪を使うんだ?」という初歩的な質問を受けてしまいました。
19世紀には爪を使わずに弾く奏法もあったそうですが(勿論、現在でも爪を使わない人もいるでしょうが)、爪で弦を弾いた方が大きく良く響く音を奏でることができます。そこで、「爪で弾かないと綺麗な音が出ないんだ。」と説明するのですが、相手が納得している感じは受けません。
そもそも、多くの人は、ギターとは、ピックを使って弾くものだという認識を持っているようで、テレビなどでフィンガーピッキング をしている姿も見かけるとは思うのですが、爪を使って弾いているとは全く考えたことがないようでした。
現在、ギターを弾くために、右手の親指・人差し指・中指・薬指の爪を伸ばしています。右手の爪を伸ばしていると、「気持ち悪い。」と言われることがあります。でも、ギターを弾くために必要なんだと説明して、無理やり相手を納得させています。(勿論、相手は納得していないでしょうが。)
それはともかく、個人的なものかもしれませんが、親指・人差し指・中指の使用頻度は高く、中指の代わりに薬指を使おうとしても、なかなか言うことを聞いてくれません。
と言うことで、現在、爪を補強する方法を模索中です。指につけるピックも検討していますが、良い結果にたどり着ければと思います。
2020年11月1日 考えると言うこと
あるラジオ番組で、「部活のリーダーを任されたが、みんな言うことを聞いてくれない。」そんな内容の相談を聞いたことがあります。
その番組は、テレビにも出演されている武井壮さんがゲストとして迎えられていて、視聴者の質問に答えると言うものだったと思います。
さて、肝心の武井さんの答えは、
「役割を分担すれば良い。」
というものでした。
準備体操はAさんがリーダーに、走り込みはBさんがリーダーにと言う風に役割を分担すれば良いと言うのです。
そうすれば、みんながそれぞれの苦労を理解し、きちんとまとまると。
ニュアンスは異なるかもしれませんが、その様なことを話していました。
それを聞いて、武井さんはすごい人だなと感じました。
私なら、なんでも自分でやってしまおう、そう考えるでしょうから、まず、その様な発想は出てきません。
私は、武井壮さんのことをよくは知りません。テレビに出演されているのを見る程度です。
ライオンと戦うなど、突拍子のない発言は、テレビ向きとはいえ、現実的とは思えないにせよ、このラジオでの発言を聞いて、この人は、チームでのあり方を実践を通して考える人なんだなと感じました。
2020年10月14日 1980年
1980年頃、個人的には新たな出会いをしていました。
それは、イギリスのハード・ロック・バンド、Deep Purpleの音楽との出会いです。
当時は、ちょうど、イギリスでDeep Purpleの再評価がされていた時代でもあります。
既に、Deep Purpleのギタリスト、リッチー・ブラックモアが結成したRainbowを聴き始めていて、その源流となるDeep Purpleにも興味を持つようになっていました。
そして購入したのがアルバム「Deep Purple in concert」でした。
1970年と1972年のBBCでのスタジオライブを収録したこのアルバムは、私に決定的な影響を与えるとともに、その後、ずっと愛聴し続ける作品となりました。
特に圧巻なのが、インストゥルメンタルの「Wring That Neck」、そしてライブを締めくくる「Mandrake Root」でした。(後に、実際のライブでは、さらに凄まじい演奏が展開されていたということを知ることになるのですが。)
時としてクラシカルであり、時としてジャジーであり、それでいて完全なロックでもあるこれらの演奏に完全に打ちのめされました。
1980年頃は、ロック・ギターにおいては先日亡くなったエドワード・ヴァン・ヘイレンが大きな影響力を持っていた時代です。
有名ギタリストまでもがその演奏をコピーしていたという事実からも、その影響力がわかります。
そんな中、私は、エドワード・ヴァン・ヘイレンの前の世代であるリッチー・ブラックモアの音楽にハマっていたのです。
当時、ある書籍に、エドワード・ヴァン・ヘイレンは、ワン・コードでギターを弾きまくるリッチーのようなジジイとは違うんだと書かれていたのを覚えています。
まあ、そんな時代ではあったのですが、明るいエドワード・ヴァン・ヘイレンではなく、ミステリアスなリッチーを聞いていたのです。エドワード・ヴァン・ヘイレンの影響力は大きかったとはいえ、少なくとも日本では、まだまだリッチーの様な一つ前の世代の影響力も残っていた、そんな時代だったなとエドワード・ヴァン・ヘイレンが亡くなったというニュースを聞き、思い起こしていました。
追記:その後、エドワード・ヴァン・ヘイレンの影響力の大きさを目の当たりにすることになります。もちろん、ヴァン・ヘイレン以前の音楽の影響力もあるとはいえ、多くのロックギタリスト、そして、日本のロックミュージックを思い起こすと、エドワード・ヴァン・ヘイレンの存在がどれほど大きかったのかがわかります。
リッチー・ブラックモアもインタビューで、「新しいギタリストがどんどん出てきて、全部は判らないくらいだ。だが、どれも同じに聞こえるってのは判るだろ。さらに加速したエディ・ヴァン・ヘイレンみたいなんだ。」と語っていたぐらいですから。
2020年9月1日 配信ライブ
コロナ禍の現在、まさかの現状にどう対応したら良いか混乱しているかに見えた音楽業界ですが、このところ、新たな方向性が見えてきているのかもしれません。それは、インターネットを利用した有料の配信ライブです。
2000年代以降、CDが売れなくなり、苦境に立っていた音楽業界がCDの宣伝の為に行っていたライブ活動を、収入のメインへとシフトし、それなりの成果を達成していたところに発生した今回のウイルス騒動。
最初は、小さなライブハウスなど、募金を募るような活動が見られたものの、短期間ならいざ知らず、こう長期に渡ると、打つ手なしという印象を受けました。
そこでポツポツ見られるようになったのが、無料での配信ライブ、さらに、本当にお金を支払う人がいるのだろうかと主催する側も疑問を感じながら始まった有料での配信ライブです。
これが、予想以上に盛り上がっているようです。
個人的には、2つの有料配信ライブに参加しましたが、臨場感やライブに参加する諸々の体験はできないものの、リアルタイムで体験できる緊張感、そして、後でアーカイブを見られる楽しみ等、ライブの良い点と、DVDなどのメディアによる追体験のような体験ができるなど、個人的には、とても良い方向性が出てきたと感じています。
もともと、田舎暮らしの私からすると、ライブほど贅沢な体験はないと思っています。今は、大人になり、ある程度自由に好きなライブに行けますが、子供の頃、行きたいライブに行けずに、どれほど悔しい思いをしたものか。そう思うと、配信ライブのように、どこでも楽しめるという新しい体験は、とても良いものだと感じます。
また、無料で配信されるミュージシャン自身によるちょっとした配信ライブも、今まで以上にミュージシャンを身近に感じることができ、とても良いものだと感じます。
現在の状況が、これからどのようになるかは分かりませんが、有料の配信ライブは、これからも続いてほしいものです。
2020年7月1日 東京
最近、1980年代の東京を含めた都市の写真と、現代の同じ場所の写真を比較する本を購入しました。
1980年代後半、東京に住んでいた私は、かつての東京と現在の東京の変わりように、驚きを感じました。
当時、東京をあちこち歩いて回っていた私は、東京という都市は、どこまでも無限に続くのではないか、という印象を持ちました。
また、ものすごい近代的な建物があるかと思えば、古臭い木造の建物もあり、その何ともゴチャゴチャした所を、面白いと感じました。
ところが、この本を見ていると、かつて東京に残っていた古臭い街並みが、すっかり近代的な街並みへと様変わりしているのです。
もしかしたら、かつての私の好きだった東京は、もう存在しないのかもしれない、その本を見ていてそう感じました。あの何とも言えず巨大でカオスな東京がです。
2020年6月1日 Kindle
Amazonの電子書籍端末Kindleを購入してから、少しばかり、読書傾向が変わってきています。
以前は、新書をよく読んでいたのですが、最近は、漫画をよく読んでいます。
Kindleの手軽さ、そして、漫画自体も、実に手軽に読むことができます。何と言っても、新書に比べ、あっという間に読むことができます。
はやく読めるというのは、個人的には実に都合よく感じられます。ちょっとした隙間時間に読んでも、負担にならないからです。結構、隙間時間を利用した読書は、読み終わるまでに時間がかかって、結局、読み終わらずに本を放置してしまう事があります。そう考えると、Kindleと漫画の相性は最高なのかもしれません。と言いつつ、新書もなるべく読むようにしていますが。
さて、1990年代から、電子書籍の普及を願ってきたのですが、30年ほど経った現在、電子書籍は、思ったよりも普及しなかったし、今後も、普及することはないんだろうなと感じています。
でも、タブレットやスマホなどが普及した現在、ちょっとした時間を有効に使う一つの手段として、電子書籍には存在意義があるのではと感じています。
2020年5月1日 まさか
昔、ある人から、人生は「まさか」の連続だという意味のことを言われたことがあります。
それを言われてから、私個人の人生は、まさにまさかの連続だったりするのですが、それはともかく、まさに今こそ、その「まさか」の真っ只中だったりします。しかも、全世界を巻き込んでの。
思い起こしてみると、今年の1月の段階で、ありとあらゆる活動が停止する様な状況になるとは、誰が想像できたでしょうか。
今年の1月、大阪に行った時には、マスクもせずに電車内で咳をする男性をみんなで睨みつけたりしたものです。けれども、海外での状況が伝わっていたとはいえ、あくまでそれは外国での出来事であり、それほど危機的な状況として捉える人は、ほとんどいなかったと思います。
2月のaikoさんのライブでは、ライブ会場入り口に消毒液が置かれ、aikoさんも消毒液を利用する様に会場のファンに向かって語りかけていました。でも、会場はまさに人と人が密接している状態で、今では考えられない様な状態でした。ちなみに、2月上旬に行ったこのライブの頃から、マスクの入手が難しくなってきていました。
それから、あっという間に状況は変わり、3月上旬に行く予定だったライブは、直前になり中止となりました。
ライブ会場(もしくは主催者?)から、ライブ中止の電話が直接あり、チケットは払い戻しとなりました。また、利用する予定だったJRも、払い戻しに。本来なら、キャンセル料が取られるところ、今回はキャンセル料は取らないという対応になりました。
その様な状況になる前には、突然のトイレットペーパーがお店の棚から消え去るということもありました。それは、香港でトイレットペーパーがなくなるというニュースが先行してあり、日本のトイレットペーパーがマスクとは違い、通常、なくなることはないという正しい情報があったにもかかわらずです。
その時には、人間の新たな一面を突きつけられた感じがしました。もうこうなったら、大丈夫だとわかっていても、とりあえず買い占めた人の勝ちなのだと主張する人まで出る始末です。
そして、3月末から現在5月初めまでの、行動の制限。
行動を制限された地域の人が、そうでない地域に行って行動をする(正確には、飲み歩く)という、これも、人間の新たな面を見せられたと思いました。
それはともかく、活動が制限される現在、小さな映画館やライブハウスなどを支援する動きがあったりと、この状況を脱してからに繋がる動きもあります。
とにかく今は、次のまさかが、いい意味でのまさかになることを祈るばかりです。
2020年4月1日 一日一捨
旅行でビジネスホテルへ泊まる時いつも感じるのは、なんて快適なんだろうということです。
手元にある私物はカバンの中に入った極わずかなものだけです。
それだけで十分なのです。
そう毎回、旅をする度に感じます。
一方、自宅に戻ると、ものを溜め込む癖のある私の周りは、物で溢れかえっています。
記憶の中ではつい最近に買った本なのだけど、発行された年を確認すると、10年前だったり、20年前だったりします。
20年前は、さすがに昔に感じられますけど、10年前(例えば、Windows Vistaが登場した頃)は、つい昨日のように感じられます。
いずれにせよ、今の私は、10年や20年前のもの、さらには、30年以上前のものに取り囲まれて暮らしている状態なのです。
さて、どうしたものかと考えて最近始めたのが「一日一捨」です。
今まで、ミニマリストに関する本を読んだり、流行りの断捨離について調べて見たりしていましたが、どれもしっくり来なくて、実行には至りませんでした。
そんな中、ネットでたまたま見つけたのが「一日一捨」という言葉です。
そう、その言葉の通り、1日に一つ、何かを捨てるというものです。
これなら無理なく始められそうだ、そう感じました。というのも、負担に感じる日には、レシート一枚でもいいというルールがあるからです。
ただいま実践中ですが、やらなくてはという思いに対する負担が少なく、長く続けられそうに感じます。
2020年3月1日 エレキ・ギター
日曜日になると、エレキ・ギターを持ち出して、ギターの練習をしています。
普段はアコースティック・ギターで練習していますが、エレキ・ギターのサウンドも好きなので、両方を弾けるように練習しているのです。
元々、ギターを弾き始める以前は、エレキ・ギターの音が好きではありませんでした。
最初に、エレキ・ギターの音として認識して聞いたのが、ドラマ「太陽にほえろ」に出演していた犯人が、バンドのメンバーとして演奏していた音でした。その音が、実に嫌な音に聞こえたのです。
随分と前のことなので、正確には覚えていないにせよ、ディストーションの効いたエレキ・ギターの音は、実にアクが強く、嫌らしくさえ感じたことを今でも思い出します。
それから何年も経ってから、ポップスやロックを聞くようになり、エレキ・ギターの音も、随分と耳に馴染むようになったにせよ、クラシック・ギターを弾くようになっていた私には、ソフトなクラシック・ギターの音に比べ、エレキ・ギターの音は、好みの音とは、言い難いものでした。。
例えば、クリームの(というか、エリック・クラプトンの)「Sunshine Of Your Love」の演奏は、曲は好きでも、その歪んだディストーション・サウンドには、馴染むことはできませんでした。
それを変えるきっかけとなった曲が、リッチー・ブラックモアズ・レインボウのライブ・アルバム「On Stage」に収録された、「16世紀のグリーン・スリーブス」でした。
リッチー・ブラックモアによるソフトでクラシカルな独奏からはじまり、イントロに入ってからのディストーション・サウンドへの変化は、衝撃的でした。
あまり好きではなかったディストーション・サウンドも、図太くも実にスッキリした音で、私好みの音でした。
それ以降、いろいろなエレキ・ギターの演奏を聞くようになり、今では、昔のエリック・クラプトンの演奏(音色)にも抵抗がなくなりました。
それでも、ソフトなギター・サウンドが好みなことには変わりはなく、今、練習するときには、どのギターを弾くときにも、ソフトな音で練習しています。
2020年2月1日 読書
映画好きの人と話していると、実に深くまで映画の内容を捉えている人もいれば、そうでもない人もいます。
人それぞれと言えばそれまでなのですが、映画を深くまで捉えているような人と話していると、自分の程度が知れるというものです。
それはともかく、学校にいっていた時、先生から、本を読もうなどとよく言われた記憶があります。
当然のことながら、読解力は、勉強のベースとなるからでしょうし、いろいろな経験を読書は与えてくれるからかも知れません。
でも、最近、たくさん本を読んでも、結局、自分のレベルでしか本を読むことができないので、あまり意味がないのではないかと感じています。
いやいや、そんなことはないという異論反論は十分わかっています。全く読まないよりはいいのは当然です。
でもな〜、それでも限界は感じるな〜、と思うのです。さて、実際のところはどうなのでしょうか?
2020年1月1日 謹賀新年
明けましておめでとうございます
本年もよろしくお願いいたします
いつもの様に、紅白を見ながらこの文章を書いています。相変わらずのカオスな紅白ですが、ここ数年は、ある程度のまとまりは感じます。
それはさておき、この所、杉浦日向子さんの「百日紅(さるすべり)」を読んでいます。江戸時代、浮世絵師の葛飾北斎とその娘お栄を中心とした物語(漫画)です。
この漫画を読むきっかけとなったのは、最近行った、北九州市漫画ミュージアムでのとある漫画との出会いです。
漫画ミュージアムには、漫画の歴史や、その保存についての展示などがあり、さらに、会場出口には漫画図書館が併設されていました。
図書館では多くの人が漫画を読んでいました。椅子に座って漫画を読む人、寝っ転がって漫画を読む親子等、実にリラックスできる空間でした。
私もしばらく図書館内を散策しながら漫画本を眺めていたのですが、その時たまたま目に入ったのが、「金魚屋古書店」でした。
タイトルからイメージされるのは、古書店の内情を描いた漫画といったものですが、実際には、古書店を中心とした人情話が展開する漫画、そう言ったところでしょうか。
そして、この漫画に登場したのが、杉浦日向子さんの「百日紅」です。
杉浦日向子さん、昔よくテレビに出演されていたな、と思うとともに、杉浦さんの漫画、読んだことなかったなと思い、近くの書店で購入してきました。
杉浦さんがお亡くなりになって、すでに十数年、多くの作家さん、漫画家さんがいて、その著作の多くが絶版になるなか、こうやっていまだに手に入るというのは、実に素晴らしいことです。
今は、この漫画をじっくりと読んでいます。それとともに、この作品に私を導いた「金魚屋古書店」も、続きを読みたいと思っています。
昨年末に、新しい出会いがあったように、今年も、新しい世界に出会えれば、そのように思います。