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鶴賀城攻防戦

 天正14(1586)年の晩秋、薩摩から大挙して豊後に攻め入った島津軍は、大友勢の城や砦を次々と攻略し、府内(大分市)に迫ろうとしていた。その時、島津軍の前に立ちはだかり、進行を阻んだのが鶴賀城(大分市上戸次)である。この城は大友義統(よしむね)のいる大友屋敷(大分市顕徳町)と大友宗麟が守る臼杵城(臼杵市)を結ぶ中間点に位置し、日向街道(現国道10号)から府内へ侵入する敵を防ぐ最後の砦であった。
 城主の利光宗魚(としみつ・そうぎょ)は、家臣7百に領内から集まった老人や婦女子を加えた3千名とともに城に籠り、地の利を生かした戦いを繰り広げ、戦上手で知られる島津家久の軍勢2万を苦しめた。この戦での死者は島津軍3千名、利光軍1千名にも及んだという。
 島津の大軍を1ヶ月間釘付けにし、府内への進行を阻んだ宗魚と領民達を最後まで勇敢に戦わせたものは、単に主君である大友家への忠誠心だけだったのだろうか ・ ・ ・ 。

 ※詳しくは、戦記_鶴賀城攻防戦鶴賀城に登ろう戸次本町を散策をご覧ください。

(2010年3月20日作成)
(2013年7月28日改訂)


松尾山
豊後大野市三重町松尾

天正14(1586)年10月20日、島津軍2万は、日向より攻め込み三重町の松尾山に入る。総大将の島津家久は、ここを拠点として、佐伯の栂牟礼(とがむれ)城、臼杵の丹生島(にゅうじま)城などの城や砦を攻撃して、周辺地域を制圧していく。

(2013年7月撮影)


大塔(おおと)の台地
大分市大字上戸次字大塔

島津家久は、降伏を勧める使者を鶴賀城に送った。城主の利光宗魚は筑前に出陣中であったが、嫡男の統久(むねひさ)は、家臣の牧宗之助を末弟と偽って人質に出して降伏を受け入れた。宗魚の帰還後、宗之助を奪還しようとして大塔の島津陣営を襲ったが、既に殺された後だった。


(2010年3月撮影)


影ノ木の台地
大分市大字上戸次字影ノ木

11月上旬、島津軍は犬飼、川原、上り尾を通って影ノ木まで進軍し、影ノ木の台地に本陣を敷いた。この陣地で、島津家久は鳥巣(とりす)の山で捕らえた農夫と対面し、鶴賀城へ向う道を尋ねる。そして、その農夫の案内で、島津の軍勢が、大野川を下り『古屋の瀬』へと向う。

(2013年7月撮影)


古屋(こや)の瀬
大分市大字竹中字小屋

島津軍は農夫に変装した古屋右馬助から「古屋の瀬を渡れば、簡単に城へ達する」と騙され、大野川に誘い込まれた。島津兵は、対岸で待ち受けていた利光勢の鉄砲に狙い撃ちされ、多くの者が流され、溺れ死んだ。『古屋の瀬』とは、浅瀬ではなく牛盗ヶ淵と呼ばれる深い淵であったという。

(2010年3月撮影)


天面(てんめん)
大分市大字端登と河原内の境界

朝日嶽城(佐伯市宇目)の柴田紹安は島津に内応し、府内への道案内をしていた。しかし、島津家久は紹安を信じきれず、天面山城(標高403m)に留め置いた。その後、紹安は星河城(臼杵市野津町)の妻子を助けようとして山を降りたところを裏切りと間違えられ、島津兵に討たれる。

(2013年7月撮影)


金提(きんてい)
大分市大字上戸次字影ノ木

島津軍は、影ノ木と大塔の境にある筒井で利光勢と激突した。筒井には、大、小2つの筒井川があり、敵の侵入を阻んだ。島津軍は、大筒井川(吉野川)に丸太の橋を架けて大塔に進んだという。幕末、この吉野川には「金提橋」というアーチ上の石橋が架けられ、現在も使われている。

(2013年7月撮影)


念仏坂の磨崖碑
大分市大字上戸次字大塔

利光勢は城から出て、小筒井川の北岸で島津軍を迎え撃った。切岩の上から坂を登って来る島津兵に鉄砲で射撃したり、石を投下するなどして、大損害を与えた。特に、切岩の坂での死者が最も多かったことから、この悲惨を極めた坂は、いつしか『念仏坂』と、呼ばれようになった。念仏坂にある「南無阿弥陀仏」と刻まれた磨崖碑は、ここで戦死した兵を弔うために造られたものだろう ・ ・ ・ 。

(2010年3月撮影)
 


梨尾山
大分市大字上戸次字大塔

鶴賀城の南1Kmに梨尾山がある。島津軍は『念仏坂』での激戦の末、この山を占領した。島津家久は梨尾山に本陣を移し、鶴賀城へ総攻撃を仕掛けた。当時は、この山一帯に「○に十の字(島津の紋)」の旗が、たなびいていたことだろう。現在は、山の麓に高圧電線の鉄塔がそびえたっている。
(2010年3月撮影)


鶴賀城跡
大分市大字上戸次字利光

大分市街地から国道10号線を犬飼方面に行く途中、上戸次の利光地区に近づくと、正面に小高い山が見えてくる。この山が歴史に名高い鶴賀城(標高193m)である。城は西に大野川、東を九六位(くろくい)山系に囲まれ、南北は断崖絶壁という天然の要塞で、島津の大軍を1ヶ月間釘付けにした。

(2013年7月撮影)


利光宗魚の墓
大分市大字上戸次字利光

鶴賀城の麓にある成大寺跡に利光宗魚(鑑教)の墓がある。島津軍の攻撃に対し、僅か3千の兵とともに鶴賀城に立て籠もり、地の利を生かした巧みな戦いで、島津の大軍を苦しめた。戦いの最中、退却する敵を物見櫓から見ていた宗魚は、鉄砲で狙い撃ちされて敢無い最後を遂げる。
(2010年3月撮影)


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