今回の取材で戸次、竹中地区を歩き回ったが、潜在的な歴史財産の多さに驚かされた。この地区は、古来より大野川を利用した水上交通が盛んで、多くの人や物資を積んだ船が行き交っていたことだろう。
現在は国道10号線、JR豊肥本線等の陸上交通が栄え、往来する船の姿は見られないが、それまでは、大野川の水上交通が「速く、多量に」運搬する手段として、現代の高速道路のような役割を果たしていた。竹中は良好な船着場を多く持ち、川の津(みなと)として栄えた。
江戸時代になると、大野川の海上輸送に加え、日向街道(現在の国道10号線)も参勤交代や年貢米の輸送手段として発展していく。現在も戸次本町には、日向街道の要所として栄えた頃の町並みが残っている。
戸次本町は、城や寺社を中心に栄えた城下町や門前町などと違い、街道沿いの農村部に商工業都市の機能を持つ『在郷町』として発展したと言われている。