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「日出生台から
平和な暮らしを考える」

 

<過去の日出生台での米軍演習の記録>


2012年夏の日米共同訓練



2012年冬の米軍移転訓練

記録(演習開始まで)

記録(演習開始以後


2011年の米軍移転訓練


2010年の米軍移転訓練


2006年の米軍移転訓練


 

 

 

 

<演習初日の夜に毎回行っているピースキャンドル>

2006年1月30日、日出生台での6回目の米軍演習開始初日。
演習場を見下ろす高台の畑に、約30人の周辺住民たちによって
Peace on 9(憲法9条によって平和を守ろう)の
火文字が描かれた。

私たちは、これまで日出生台の米軍指揮官に、私たち演習に反対する住民との直接会見の場を求め、過去4回、それは実現しています

1回目:1999年 ケリー中佐
2回目:2000年 ケリー中佐
3回目:2004年 ラングレー中佐
4回目:2006年 スタッダード中佐


<参考資料>

日出生台米軍使用に関する協定

日出生台米軍使用協定(新)

 

 

この問題に取り組むときに
励まされる素敵な言葉たちです

どんな運動にも、共通するかと思います


キング牧師の言葉より

「最大の悲劇は、悪人の暴力ではなく、善人の沈黙である。沈黙は、暴力の陰に隠れた同罪者である。」



ガンジーの言葉より
「あなたの行う行動が、ほとんど無意味だとしても、それでも、あなたは、それをやらなければなりません。それは、世界を変えるためにではなく、あなたが世界によって、変えられないようにする為です。」

「見たいと思う世界の変化に、あなた自身がなりなさい」 

「自分が行動したこと。すべては取るに足らないことかもしれない。しかし、行動したという、そのこと自体が重要なのである」


 

「ニーバーの祈り」より

「神よ、変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れるだけの冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと変えることのできないものとを、識別する知恵を与えたまえ」


映画「ヒトラー最期の12日間」より:

「ソ連軍に包囲される前にベルリン市民を脱出させるべき」という進言を退けたヒトラーは、平然と「国民の自業自得(自己責任)」だとうそぶく。「(ドイツ)国民が地獄を味わうのは当然の義務。われわれを(選挙で合法的に)選んだのは国民なのだから、最後まで付き合ってもらうさ」


ナチの連中が共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった。私は共産主義者ではなかったから。

社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった。私は社会民主主義ではなかったから。

彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった。私は労働組合員ではなかったから。

彼らがユダヤ人たちを連れて行ったとき、私は声をあげなかった。私はユダヤ人などではなかったから。

そして、彼らが私を攻撃したとき、
私のために声をあげる者は、もはや誰一人残っていなかった。

(*この詩は、いろんな国で、いろんな方が引用して、たくさんのバージョンがあるようです)

 


ある一部の地域、人々に対して
人権侵害がなされるとき、
実はその他のすべてに対しても、
次の人権侵害への地ならしが始まっている。


知ることのできる人間は、
真っ先に行動しなければならない

 

 

 

「愛国心」の本質

ヘルマン・ヴィルヘルム・ゲーリング

1983年1月12日~1946年10月15日

ドイツの政治家、軍人。国家元帥。
ナチ党政権下のドイツにおけるヒトラーに次ぐ実力者。ナチス・ドイツのNo.2。ゲシュタポの創設者。

彼は第2次大戦後のニュルンベルク裁判において以下のように主張した。彼の言葉は、いわゆる「愛国心」というものがどういうふうに利用されてきたかをよく言い表している。


「……もちろん、国民は戦争を望みませんよ。運がよくてもせいぜい無傷で帰ってくるぐらいしかない戦争に、貧しい農民が命を賭けようなんて思うはずがありません。一般国民は戦争を望みません。ソ連でも、イギリスでも、アメリカでも、そしてその点ではドイツでも同じことです。政策を決めるのはその国の指導者です。……そして国民はつねに指導者のいいなりになるように仕向けられます。国民にむかって、われわれは攻撃されかかっているのだと煽り、平和主義者に対しては、愛国心が欠けていると非難すればよいのです。このやりかたはどんな国でも有効ですよ」



米軍普天間基地の移設先として
日出生台が挙がっている問題

 


福岡の西山監督とともに
一つの映画を作りました。

 

韓国の米軍基地問題と住民の暮らしを記録したドキュメンタリー
映画「梅香里」


西山監督と作成した2作目

 
「ぬちどぅ魂の声」

韓国・沖縄・日出生台2001〜2004

安全保障に名を借りたすべての軍事暴力に抗議する人々の記録


元アメリカ海兵隊員
アレン・ネルソンさん

講演録(日本語)

講演録(英語)

ダウンロード用写真(336K


「有事法制ち、何なん?」 
岡本篤尚氏 <講演要旨>
(2002年5月3日 大分文化会館)


「いまなぜ有事法制か」
渡辺治氏 <講演要旨>
(2002年5月6日 湯布院中央公民館)


高橋哲哉さん

「心と戦争

〜今私たちはどんな時代に生きているのか」

講演録


アメリカで起きた同時多発テロとその後の日米両政府の
対応について、
2001年9月20日、
ローカルネットから声明
発表しました。


 

 

日出生台演習場について

 

2022年、初めて春に実施された15回目の日出生台米軍演習。
訓練も外出ワクも問答無用でなし崩しに拡大。

 

日出生台での15回目となる米軍演習が終了した。
「過去最大規模」と言われた今回の訓練は、
人員320名、車両60両、155ミリ榴弾砲10門と、
「日出生台の米軍使用協定」で定められた上限に近い装備が持ち込まれた。


さらに、米軍は、これまで日出生台では一度も使われたことのないHIMARS(高機動ロケット砲システム)という、
米海兵隊が今後の主要装備と位置付けている最新型の兵器を秘密裏に持ち込んでいたことが、
装備陸揚げ時のローカルネットの監視によって判明した。


また、その他にも、今回は、これまた日出生台での米軍訓練では初めてドローンが持ち込まれた。

これらの装備品の拡大が大きく進んだ今回の訓練では、
演習開始前のブリーフィング(説明会)に米軍指揮官は参加せず、また公開訓練も中止とされ
、唯一、訓練について詳細を説明できる米軍指揮官が住民や自治体、報道の前に、
期間中、一度も姿を見せないという前代未聞の事態となった。

そんな中で実施された訓練の内容は、総砲撃数1491発、総砲撃日数10日、夜間訓練日数9日、
朝7時から夜9時までの演習可能枠をギリギリまで使っての激烈極まりない実弾砲撃演習が繰り広げられた。

演習終了後には、演習場から直接、湯布院や周囲の町へと、
徒歩やタクシー、レンタカーを使っての個別自由外出が実施され、
演習場から湯布院の街へと通じる若杉地区の道路は、外出をする米兵らの行列で埋まった。

門限も設定されておらず、深夜の3時にコンビニに買い物に来た米兵もいたほどで、
深夜に若杉地域の生活道路を酔って奇声を上げながら歩いて帰る米兵のグループの姿もあった。


これまでの日出生台での外出が非常に抑制されており、
米軍指揮官一人が外をジョギングしても抗議文が提出され、
翌日の報道になるほどのセンシティブな問題であったものが、
今回は一気に、「自由外出解禁」とでも言わんばかりの形で、
なし崩し的に外出枠が無理矢理に大きくこじあけられた。

<米兵の外出問題について>

私たちがなぜ米兵の外出について強く懸念し、外出の中止を求めているかについて、少し長くなりますが、重要なことなので書いておきます。

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まず、説明の前に、日出生台の米軍の外出問題を考える上で、まず知っておいていただきたい事実を以下に記述します。

 

•米軍の訓練はその後に戦争に行くことが前提の実戦訓練。

•成否は兵士の命に直結。

•訓練のストレスは私たちの想像を絶する。

•訓練直後に、外出、飲酒を許されれば、本人らが普段「いい人」であるかどうかに関係なく、タガが緩みストレスが噴き出す。

•沖縄でも大変の事件、事故は飲酒を伴って起きてきた。

 

•アメリカでは飲酒が許されるのは21歳からだが日出生台の米兵らの平均年齢は19,20歳

•米では公共の場所(路上や公園)での飲酒不可だが日本ではどこで酒を飲んでもとがめられない

 

•日米地位協定によって、日本では警察が通常の捜査、逮捕ができない

•裁判権も日本側にない。(これは公務中か公務外かによって違いがあるが、その判断は、米軍の都合のいいように使い分けられている現実がある)

•米軍は日本の憲法や法律でさえも適用されない超法規的存在

 

【解説】


私たちは、日出生台に来る米兵、あるいは沖縄の米兵を、ある種の「危険人物」のように決めつけて彼らの外出中止を求めているわけではありません。


実際、私たちはこれまで、外出した米兵に対して直接話しかけたり、メッセージの入ったお守り袋を渡したりといった「接触」「交流」を重ねてきており、彼らが気持ちのいい好青年たちであることをその度に実感しています。


 ここで問題なのは、彼らがいい人たちか、そうでないかということではなくて、彼らが米軍という世界で最も実際の戦争をおこなってきた軍隊の一員であるときに、その訓練はまさに生きるか死ぬかの実際の戦場を想定した厳しい訓練とならざるをえないということです。


 そこでしっかりした訓練ができるかどうかは、そのまま彼ら自身の生死に直結する問題となります。その実戦さながらの訓練に伴うストレスは私たち民間人の想像を絶するものと思われます。


これは元アメリカ海兵隊員の方に直接聞いた話なのですが、その戦場さながらの訓練直後に、自由に外出が許可され、飲酒も許可されれば、当然、緊張のたがが緩んで、溜まっていたストレスが、本人が普段いい人であるかどうかに関係なく吹き出してしまうことがあると。


また、日本では法律上、20歳から飲酒が許されていますが、アメリカでは法的には21歳にならないと飲酒が許されていません。日出生台で演習する米兵らの平均年齢は19歳から20歳くらいの若い兵士たちが多く、アメリカでは彼らは飲酒は法的には許されておらず、お酒に慣れてない兵士も多いと思われます。さらに、アメリカでは公園など公共の場で飲酒することは禁じられており、警察が見つければ逮捕されるほどお酒に厳しいですが、日本ではそれはありません。


これまで米軍の集団外出では、米兵らが、お酒とわからないように、お酒をペットボトルのジュースに移し替えて持ち歩いて、夜になるとお酒が回ってしまい、泥酔状態で、公園のトイレで動けなくなって運び出されたり、バーの入り口の階段の前で大の字になって倒れていたり、酔った米兵どうしの喧嘩が路上で起きたりといった、目にあまる状況が繰り返されてきました。

また、別府市のカラオケバーでは酔った米兵による無銭飲食の事件も起きました。この時は福岡防衛施設局(当時)が立替払いをして結果として「もみ消し」たので、警察も処分をせず、事件としてカウントはされませんでした。

この状況を見て、私たちは沖縄で酔った米兵絡みの事件がなぜこれまで続いてきたのかの理由の一端を実感を持って感じました。また、日出生台においても、実戦さながらの厳しい訓練の後に、飲酒もOKの自由な外出を認めれば、やがて沖縄でおきたような悲しい事件もおきかねないなと実感しました。

そのような事件が起きた場合、米兵の場合は、日本人と違って、「日米地位協定」によって特権的に保護されており、日本の警察の捜査や、裁判ができなかったり、その間に基地内に逃げ込んでアメリカ本国へ逃げ帰ってしまい、被害者は泣き寝入りになるという事態も沖縄では繰り替えされてきました。

このような現実があることを考えた時に、私たちはやはり、日出生台に来た米兵の外出について、これまで滞在中の外出は控えてほしい。それでも外出が行われる際には、最低限、協定に規定された「防衛局職員の同行」をしっかりとやってほしいということを九防に求めてきました。
  

これまで米軍指揮官は日出生台の訓練について「展開から撤収まですべてが公務であり訓練」と説明してきました。日出生台に滞在する1ヶ月の間に、「公務外」「オフ」「プライベートな休暇」といった時間はなく、そうした状況そのものが訓練となっています。であれば、演習終了後も演習場内から出ないで過ごしてほしいと私たちは求めてきたわけです。

 

「公務中」の米兵が事件事故を起こしても
日米地位協定によって彼らは特権的に守られています。

その内容が不平等としてたびたび問題となる「日米地位協定」。なかでも第17条により、公務中の在日米軍が起こした事件については、日本が裁判権を有していないため、日本の警察が介入できないことは大きな問題とされてきました。

2005年には、厚木基地に勤務していた米兵が、東京都八王子市でワゴン車を運転していたところ、小学生3人をはね、そのまま逃げてしまった事件が起きています。逃走から1時間後に警視庁によって逮捕されましたが、「公務中」だったため、その後釈放されました。身柄を引き渡されたアメリカは、この米兵に対して裁判をおこなわず、減給処分だけを下しています。

 

この事件にかかわらず、アメリカは「公務中」の事件について、ほぼ裁判を実施していないことが明らかになっています。2005年の調査によると、1985年から2004年までに軍事裁判を受けたのは1人、懲戒処分を受けたのが318人だそうです。

 

その一方で、1985年から2004年までに発生した「公務中」の事件数は7046件。多数の事件や事故が起きているのに、懲戒処分だけでは抑止にならないのは明らかで、犯罪が野放しにされているのではという批判があがっています。

 

(外部リンク)「5分でわかる地位協定」

https://honcierge.jp/articles/shelf_story/7099?fbclid=IwAR1w5mzFpHFZr46UD36b04gJ0d_xHg85jY5-IxXAdB_Pc1n7FNpQQ4u7Rrg

より抜粋。

 

 

 

これまでの日出生台の米軍演習の経緯とそれに対する私たちの取り組みを記録した

ドキュメンタリー映画を作りました。

<ドキュメンタリー映画「風の記憶」上映をお考えの方へ>


この映画は、なるべく多くの方にこの問題について知っていただきたい、一緒に考えていただきたいとの趣旨から、
上映料金を設定せずに、任意カンパでの上映という形をとっています。

映画の製作に関わった者(監督や編集、製作者、登場者)などを招聘したい場合は、交通費などの実費については
ご負担をお願いします。


また映画上映の機材などをこちらで持参して、上映操作員付きでの上映を依頼したい場合には、機材類については
消耗品でもありますので、1回の上映につき、操作員と機材一式持ち込みの費用として、最低5000円お願いします。

(基本、湯布院から1時間程度で行けるぐらいで行ける範囲内での場合の価格設定です。大分県内でも遠隔地や、
県外の場合は、実際にかかる費用に応じて、別途追加をお願いすることもありますので、詳細はご相談ください)


上映用メディアは、ブルーレイかUSBメモリ(動画データ)となります。


(メディアの返却は不要です。何度上映していただいてもかまいませんが、任意カンパが発生した場合には、
後でお振込みいただけますと幸いです。また動画のインターネット、SNS等へのアップ、2次使用はお断りします


上映用メディア(ブルーレイディスクかUSBメモリ)が到着したら、まず最初に再生が問題なくできるかどうかを
確認してください。万一、傷や接触不良によりメディアの再生が不良の場合、すぐに新たなメディアを
お送りしますので、すぐにご連絡をお願いします。


上映代金(金額は任意)のお振込みは以下にお願いします。


【郵便振替口座】01780-3-56320 ローカルネット大分・日出生台


※振替用紙のメモ欄には必ず「風の記憶」とご記載をお願いします。

映画や上映、機材についてのお問い合わせは以下にお願いします。
ローカルネット大分・日出生台 
harappamojasan@gmail.com
TEL 090-7580-8031   大分県由布市湯布院町川上1525-12

 

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<2019年の14回目の日出生台での米軍訓練は大きな転換期となった> 

日出生台で進んでいる事態は、この演習が始まった1999年当初より懸念をしていた通りの方向で、なし崩し的な拡大の傾向を見せている。

特に、前回の訓練において、米軍は地元の約束事項としてこれまで基本的に守られてきた午後8時までに実弾演習を終了するという確認書を完全に無視、再三の抗議と遵守要請をも無視して、5夜にわたって確認書破りの演習を繰り返した。

 

 さらに、事前の演習日程として公表していた日程を終えた翌日、さらに小火器‘(小銃、機関銃)の実弾演習を強行し、本土各地での移転訓練における年間訓練日数の上限35日をも越え、地元の約束と日米の国どうしの約束の両方を破るという前代未聞の事態となった。以下、この状況について、もう少し詳しく説明する。

 

 

日出生台においては、これまで冬期の実弾演習は午後8時までとされてきた。これは2012年に大分県が日出生台の陸上自衛隊との間で「覚書」として締結されたもので、2012年の締結以降、自衛隊はこれを遵守し、今日に至っている。

米軍の訓練は現地で行われている自衛隊の演習の使用状況に準ずることになっているため、結果的に米軍も自衛隊と同様に、これに従うこととなる。 実際、2012年に覚書ができて以降、前回の訓練にいたるまでは、基本的にこれが米軍によっても遵守されてきた。(米軍指揮官の任期は2年交代とされており、新しい指揮官が赴任した2015年と2017年に1日だけ、時間オーバーしたが、大分県や地元住民、各種団体からの猛抗議とこれをマスコミが大きく取り上げたことにより、それ以降、このルールは米軍によっても遵守されてきた) 

しかし、14回目となった前回の日出生台訓練はまったく違う事態となった。米軍は計5回、5夜にわたって午後8時を過ぎる合意違反の夜間砲撃を強行した。過去に、単発で合意違反が起きた時は、大分県や地元住民、各種団体が九州防衛局に抗議をし、九防も県に出向いて謝罪する事態となり、それを受ける形でその後、合意違反は起きず遵守されてきたのがこれまでのパターンだった。だが、今回は違った。

今回もこれまで同様に米軍の合意違反が起きた後には、大分県や地元からの猛抗議、翌日の夜には九州防衛局が県庁に謝罪に訪れるということになったわけだが、今回の米軍による合意違反は単発ではなく、3月14日、15日の2連続、17日、18日、19日の3連続と起きたために、九州防衛局が違反の翌日に県庁を訪れて謝罪をした。しかし、その同じ日の夜に米軍は合意違反を繰り返したために、九州防衛局の面目丸つぶれという事態となった。九州防衛局は謝罪を重ねるたびに位の高い役職の職員を県庁に派遣し、これに対応したが、3月19日には九州防衛局のトップである局長が謝罪に県庁を訪れた

が、その夜、米軍はまた8時をすぎる砲撃を実施するという始末だった。 

これについて、のちに毎日新聞が2月24日に九州防衛局が日出生台の地元で開いた説明会の様子を次のように記事に書いている。

 「我々も何とか阻止しようと米軍側に働きかけたが、かなわなかった」。 同局によると、訓練期間中、再三にわたり、米軍側に合意の順守を要請していたという。しかし、同局の木下恵介・基地対策室長は「米軍側は頑なに自分たちの権利を主張する感じが見受けられた。天気が良ければ、毎日午後8時以後の訓練をしていた可能性がある」と米側と折り合えなかったと話した。 また、公表していた8日間の訓練日数を超えて、予備日に小火器訓練が実施されたことに触れ、木下室長は「我々も信じられないような事態が起きてしまった」と述べた。 その上で、米軍から予備日の使用を伝えられてからも「止める方向で一生懸命やった。徹夜して調整し、米軍にここまで言ったことがないくらい、強い口調で止めてほしいと要請した」と強調した。しかし、結果的に米軍が強行したことを「地域の皆様に負担をかけたと認識し、申し訳なく思う」と陳謝した。 (毎日新聞2020年3月26日 地方版) 

このような九州防衛局でさえも静止できなかった今回の米軍の暴走を受けて、広瀬大分県知事は3月2日、河野防衛大臣を直接訪ね抗議をするとともに、日出生台での合意事項を日米の合意事項とするよう求めた。

 また、3月11日、大分県議会は▽午後8時以降の砲撃自粛を日米の合意事項とする▽国内での訓練日数(年間最大35日間)に小銃などの小火器訓練を含むことを明確にする―の2点を求める意見書提出を決議した。 その後、国からはなんの返事もなく、なしのつぶて状態が続いたが、約1年が過ぎた2021年3月18日、岸信夫防衛大臣は国会内で広瀬知事に対して、「夜間砲撃などの自粛を米側が受け入れなかった」旨の説明をしたという。これに対して、広瀬知事は「残念を通り越して遺憾だ」と怒りをあらわにした。

 以上が、2020年2月に実施された前回の訓練とその後のこれまでのおおまかな経緯だ。 

このような事態となる予兆は、実は前回の米軍訓練の前に実施された、米軍指揮官による地元説明会の場でも実ははっきりと見られた。 先に述べたように、前回の訓練以前は、午後8時までに終了するという「覚書」「確認書」については基本的に守られてきた。2年ごとに変わる米軍指揮官二人がその初年度に1日だけ合意違反をしたという経緯があったので、この合意ができて以降、三人目となる米軍指揮官の任期2年の最初の年になる今年、また合意破りが起きる可能性が予測された。

説明会の場では、「米軍指揮官が今回、この合意を守る意思を持っているのかどうか」の質問がたくさん出された。しかし、これに対する米軍指揮官リチャード・ロビンソン大佐の返事はすべて同じ答えだった。「米軍訓練が優先だ」。米軍は、今回、合意について尊重する気はまったくないと予感されたやりとりだった。そして予感通り、今回の前代未聞の事態へと展開していったわけだ。 

その後、大分県知事は防衛省へ出向き、河野防衛大臣に対して、日米の合意事項とする様に要請。回答は1年を待たされた後にようやく岸防衛大臣からなされた。その内容は、以下の2点。 

1、米軍は大分県、地元3市町と九州防衛局との間で合意されたルールを拒否する。 2、小火器の射撃は155ミリりゅう弾と同様にそれぞれ実弾射撃の日数として取り扱う。 

2については、ここまで触れてこなかったので、少し詳しく説明する。 小火器というのは、小銃、機関銃などをさすが、実際には米兵が二人がかりでも持ち上げるのが大変なほどの重い銃なども含まれるほどに多様な武器がそこには含まれる。また、監視活動に取り組む私たちの大半は武器に詳しくはないので、仮に小火器の範疇を超える武器が持ち込まれても、米軍が自らそのことを明らかにしない限り、監視活動によってそのことを指摘するのは実際上かなり難しいと考えられる。

この小火器訓練が実施できるように許定に盛り込まれたのは2007年の協定更新時であったが、それまでは、155ミリりゅう弾砲のみしか使用できないはずだったものが、小火器が加えられたことで、事実上、米軍にとってはほとんどあらゆる武器を使用するフリーハンドが与えられたことになる。 さて、今回、米軍は日出生台において、演習が終了すると発表されていた2月19日に訓練を終了せずに翌20日に小火器の実弾射撃訓練を実施したわけだが、この後に出てきた米軍側の理屈は「小火器訓練は実弾射撃訓練の日数としてカウントしない」というものだった。 

しかし、これはこれまで九州防衛局が私たちた大分県に対して行ってきた説明とは明らかに異なる。 2007年の協定更新時に、小火器訓練が盛り込まれることになった際、九州防衛局の説明は「小火器の実弾演習もそれのみしか行われなくても訓練日数としてカウントする。小火器の訓練と155ミリりゅう弾砲の実弾砲撃は同時には実施しない。(よって、小火器訓練が加わったとしても、その間、155ミリりゅう弾砲は使えないので、小火器訓練の追加は訓練拡大というわけではないと大分県は説明していた)

しかし、今回、米軍が持ち出してきた理論は、小火器の訓練を実施しても日数としてはカウントしないので、私たちがSACO合意の違反だとして指摘する、年間35日ワクを越えているという指摘はあたらないというわけだ。

しかし、先にも書いたように、これはこれまでの防衛局の説明とは明らかに異なる。これはSACO合意なので日出生台だけに限らずに、本土5カ所の移転地全てに同様に関わる問題であり、少なくとも昨年度の訓練以前は、「小火器も日数としてカウントする」という認識で各地での小火器訓練は取り扱われてきた。それを突然、米軍があらたな解釈を持ち出して、今までのルールをねじ曲げてしまおうとしているのだ。

つまり、米軍が今回、示した姿勢は、1点目として、これからは地元の合意事項は米軍には関係ない、守る気はない、ということであり、2点目としてはSACO合意事項という日米の国どうしの間での合意も同様に関係ない、と、突然言い出したわけだ。 これまでのルールなんてものに米軍は縛られない。日本においては米軍のいいように変える。なぜなら米軍の訓練は最優先だから。とでも言っているかのようだ。 14回目にして日出生台での米軍訓練は、大きな転機、節目を迎えようとしているのかもしれない。 

 

 

 

上の写真は初夏の日出生台です。

「日出生台」と書いてひじゅうだい と読みます。

下の地図の真ん中の赤いところ

「日出生台演習場」とあるのが見えますか?

 

1900年から旧日本軍の演習場とされ、
その後、拡張し続けて、
現在は4,900ヘクタール。

「癒しの里」と呼ばれる温泉観光地、ゆふいんの北部、
由布院駅からクルマで5分のところにある
西日本最大の陸上自衛隊の軍事演習場です。

年間約330日、(実弾演習は約230日)、
ほぼ一年中、軍事訓練が行われています。

○米軍演習が始まった経緯


1995年、沖縄で、米兵3名による
小学生の少女に対する集団強姦事件が起きました。

この事件は、長年、沖縄県民の米軍基地への怒りを爆発させました。
沖縄県議会、市町村議会は米軍への抗議決議を相次いで採択。
事件に抗議する県民総決起大会が開かれ、
約8万5千人もの沖縄県民が参加しました。

これを受けて、日米両政府は、普天間基地の返還などとともに、
沖縄の県道104号線を越えて行われていた
155ミリりゅう弾砲の実弾砲撃演習を
本土5ヶ所(北海道矢臼別、宮城県王城寺原、山梨県北富士、
静岡県東富士、そして、大分県日出生台)に
移転する案を提示しました。


名指しされた場所ではどこも大きな反対の声があがりました。
大分県でも、日出生台の地元、湯布院、玖珠、九重の
3つの町の町長を代表とする
官民一体の反対運動が立ち上がり、
玖珠川原の反対集会では、
16000人が受け入れ反対の声を上げました。

 


(真ん中に当時の湯布院町長を始め、町の代表が全員そろって反対のデモに)

 


国は当初、「地元の理解なしに移転はしない」と、
地元意志を尊重するかのように言っていましたが、
地元が最後まで受け入れる気配がないとみるや、
「国の責任でやらせていただく」として、
日出生台への米軍演習移転をむりやり決定しました。


その後、1999年より、日出生台での米軍演習は、
大分県民の大きな反対の声の中、開始され、
大分県や地元3町、地元住民の「縮小廃止」を求める声を踏みにじって
いまだ強行され続けています。

 

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ローカルネット おおいた ひじゅうだい

「ローカルネット大分・日出生台」は、
大分県の日出生台(ひじゅうだい)演習場(由布市、玖珠町、九重町)で、
住民、大分県民の反対の声を押し切って強行され続けている米軍演習の縮小・廃止を求めて 、
日出生台演習場の周辺住民を中心に、 県内各地から集まった有志で構成する住民、市民のグループです。


「日出生台での米軍演習の縮小・廃止を求める」ということと、
「非暴力」での取り組みということが賛同していただけるなら、
どなたでもご一緒に参加していただけます

2020年2月、日出生台では14回目となる米軍演習がまた、私たち住民の願いを踏み潰して
強行されようとしています。

私たちは、この米軍演習に対して、住民に危険が及ぶ訓練となっていないか、
当初の約束と違う訓練になっていないかなどをチェックするために、
日出生台演習場を見下ろす高台に監視小屋を設置し、監視活動を行っています。

今年の監視活動に取り組む上で、気をつけるべき点をまとめてみました。

【米軍演習をチェックする上で注意すべきポイント】


<演習の変化、拡大強化の兆しを見逃さない> 

・これまでにない武器が使われてないか。 
・白りん弾、照明弾を使うか(昨年、沖縄では燃える照明弾がそのまま場外落下、米軍は無視)
 ・小銃、機関銃などの「小火器」として使用されてる武器の内容に変化はないか 
・砲弾数は増加の傾向にあり、今年はどうなるか  
 ※砲弾の種類を見分けるには現在の監視小屋位置より高い場所からの確認の必要あり

 <米軍指揮官の「日出生台での米軍使用協定」の認識は?> 

・かつて、「地元の協定は知らない」と答えた指揮官がいて大問題に。
 ・新しい指揮官が来るたびに「覚書」の終了時刻規定は破られて来た。特に初日。
 ・前回の指揮官はどんなに問われても「8時以降砲撃をしない」とは明言せず。今年は?

<演習場外の県道使用など、訓練区域の拡大への警戒> 

・米軍車列による演習場外の県道使用が密かに行われていないか  
(かつて日出生台で、深夜に完全武装した米軍車列が県道に) 
・場外を使用したジョギング訓練(宮城県王城寺原では、これを部隊として実施。地元から  
 中止要望を受けながらも完全無視して最後まで強行。日出生台では指揮官の単独ジョギング)

<武器、軍事になれ親しませるための動きへの警戒>

 ・かつて、米軍が公開訓練で155ミリりゅう弾砲を発射させるひもを住民(地元議員)に  
 引かせ、りゅう弾砲を撃たせる事件が起き、大問題となった。
 ・公開訓練において、大砲や武器、砲弾などに触らせるかどうか(参加した側の意識も問われる)

<米軍、防衛局の地元への対応、姿勢、情報開示状況の変化> 

・情報開示の内容と対象の変化。(かつてマスコミを排除して説明会や公開訓練を実施)
・米事前説明会は維持されるか。(対象参加者の範囲) 
・同じく、公開訓練は維持されるか(対象参加者の範囲)  
 ※事前説明会、公開訓練は住民が米軍指揮官に思いを伝えられる唯一の場。これまでには  
  米軍側がから省略されようとしたことも、 
・表敬訪問の状況と変化。(前回は先に来た代理が実施したものの後から到着した大隊長は省略) 
・県、地元自治体の情報開示姿勢の変化にも注意を。

<演習場周辺の環境への影響>

・白リン弾使用後に毎回、林野火災発生。(事前の野焼きは終えているか) 
・水質、大気など環境への影響は?

 

<米軍による住民懐柔策>
 
・演習終了後に地元住民の家にホームステイをしたり、交流会(餅つきなど)を持つことも。 
・「ボランティア」と称する、地元の福祉施設への押しかけ的ボランティア。 

<「テロの危険性」のレベル。警備状況の変化> 

・これまでには集団外出の際、防衛局は自治体に対して、外出情報を「通知はするが口外するな」  
  と情報統制的な動きも。
 ・集団外出に同伴する防衛局員は、不自然なほど「無関係」を装ってきた 

<演習終了後の集団外出の状況、変化> 

・米兵の集団外出については情報が出なくなり、また行き先が福岡など遠方になったために  
 実態の把握が難しくなってきている。かつて、別府市、大分市への集団外出では泥酔米兵に  
 よるトラブル。街中での酔った米兵どうしのケンカ、女性への声かけ、酩酊して店の入り口  
 をふさいだり、酔って公園の公衆トイレで動けなくなってるのを発見され、佐世保の犯罪  
 捜査官に担ぎ出された。無銭飲食で警察出動(防衛局が立替払いをしてもみ消し)
・日出生台での初回、2回目の米軍指揮官は毎晩、大分市に飲みに出ていたことがのちに判明。
 米軍使用協定では「米軍の外出には防衛局職員が同行」となっているが、
 気をつけないと骨抜きにされていく可能性

<地元民間、自治体、自衛隊の協力動員体制の変化 新ガイドラインとの関連> 

・この「米軍訓練」は、米軍だけの訓練ではない。「新ガイドライン」の地元民間施設、業者、  
 警察、自治体などを総動員しての米軍協力訓練。自衛隊の後方支援体制の変化も注意。 
・空港や港湾の利用状況。米兵の移動や米軍車両や武器の搬入のあり方。その変化。

<移転補償措置による演習場周辺住民の生活の状況、地元への影響の推移>

・移転保障措置の実施状況 ・移転後の移転先での状況
・残された人たちの地域コミュニティの 状況


<米軍演習監視にあたっての心得>

1 予断を持たずに見る
今までこうだったから、たぶん今年もこうだろうというような予見、予断を持たずに状況を 見ていく。何が起きるかわからないので、

2 期間中はいつもカメラ、ビデオを持っておく。(記録の重要性。どんな問題も記録されなければ無視される。常に充電されたカメラ、ビデオを手元に)

3 とにかく、米軍が何かをやっているその場に一緒にいることが重要。米軍側が問題を起こしても、彼らの方からそれを公表することは期待できない。こちらから発見され、指摘され、否定できなくなってようやく最後にしぶしぶ認めることはあるけれど。

4 目の前で起きていることを、それがどういう意味を持つのか、この先、どういう事態につながっていく可能性があるかを常に意識しながら見て、対応を考える。

5 恒常化に伴う慣れや緩み、担当者の任期交代時のどさくさまぎれ拡大に注意を

長年にわたって訓練が繰り返されてくると、慣れや緩みが生じやすくなるだけでなく、米軍、防衛局、大分県、地元自治体、報道関係者 などそれぞれ担当者が交代する。そのどさくさに乗じて、さも今までもそうだったかのように情報開示が減らされたり、演習の拡大が起きたりするので要注意。 

6 立場の違いを超えて、それぞれの個人、グループ、組織が直ちに反応することの重要性
「日出生台での米軍使用協定」は、米軍が協定の締結当事者として入っていないという致命的欠陥を持つ。それでももし協定や確認書に違反する訓練が確認されれば、4者協議会(大分県、玖珠町、九重町)、住民や労働団体、平和団体もがすぐに反応し、抗議や説明を求め、マスコミもそれをしっかりと報道してきたために、米軍側も地元を完全に無視することはできない状況で今まではきている。  
 ただし、沖縄や他の地域での状況を見ると、米軍はその時が来れば、地元や国でさえも完全に無視して自分たちの訓練を優先する。これは私たち住民、県民の存在を彼らに常に意識させる活動は重要。(監視活動、抗議、事前説明会、公開訓練などの
省略を許さないこと) 

7 米軍がやりたい訓練を好きにやれる場にさせないこと
米軍側は、自分たちのやりたい訓練を、情報を出さず、なんの制約もなく自由に訓練ができる場、訓練をやりやすい場にしていきたいと考えていると思われる。こちら側は、逆に米軍側に、情報を毎回きちんと出させ、彼らが自由に訓練できる場にさせないことが、今後の拡大を防ぎ、「縮小廃止」につなげていくために必要。

8 継続は力なり。これらの活動はそれにとり組んでいる私たち自身が、まず健康で元気でい続けることが大前提。

 

 

 


 

<これまでの米軍演習から見えてきた問題点>

 

○「155ミリりゅう弾砲の演習」
        だけだったはずが…


当初、米軍が行うのは「155ミリりゅう弾砲の演習」であると
国は説明し、「米軍使用協定」にもそう記されていました。
しかし、2006年、米軍はその他の武器も使用したいと言い始め、
翌年、協定はあっさり書き換えられ、
米軍は、小銃、機関銃など様々な武器を使用できるようになりました。


「米軍演習の歯止め」とされていたはずの協定は、
米軍が望めば、いくらでも書き換え可能であることが明らかになりました。

 

○砲撃数は年々拡大、激化
 砲弾の種類も多様化。
 白リン弾や照明弾も…

日出生台での米軍の砲撃数は、年々増え続け、
2015年の訓練では、日出生台では最多の総砲撃数1070発。
前回の2018年の訓練では2番目に多い792発の実弾砲撃演習が行われた。


2010年からは、使用可能な武器として「小火器」と呼ばれる小銃、機関銃などの
武器が追加さた。
また、同じ年から
国際的にその使用が「あまりに残虐」と批判されてきた白リン弾、
これまで日出生台の米軍演習では使われなかった照明弾までが
使用されるようになった。
2010年は、これにともなって、3件の林野火災(野火)が発生。

白リン弾
2010年の米軍訓練の際、日出生台で初めて撃たれた白リン弾。

白リン弾7連射
白リン弾7連射。この後、火災発生。

照明弾
日出生台の夜空を2分間かけてゆらゆらと落ちていく照明弾。
これも米軍訓練では2010年、初めて日出生台で使われた。

 

拡大はあきらか

 

 

 

○深夜、完全武装した米軍車列が 
 演習場外の住民の生活道へ

2012年の前回の訓練では、あろうことか、
深夜、155ミリりゅう弾砲を牽引した完全武装の米軍車列が、
演習場の外の、住民の生活道である県道に出てくるという、
前代未聞の事件が起きました。
米軍は「道を間違えた」と弁解しましたが、
現場は道を間違えるような場所ではありませんでした。
過去8回一度も起きなかったことが起きたのは、
あわよくば訓練の使用範囲を拡大したいと米軍が
意図したからではないでしょうか。

 

○演習終了後の米兵の集団外出。
 飲酒でハメ外すトラブル多発

日出生台での実弾演習終了後には、
毎回、米兵ら約200人の集団外出が行われています。
これまでの外出では、
お酒を飲んだ米兵どうしのグループのケンガが別府市の町中で起きたり、
酔った米兵が町を歩く若い女性に誘いの声をかけたり、
公園のトイレで泥酔状態で動けなくなり抱え出されたり、
泥酔してバーの入り口をふさいで倒れ動けなくなり、
周囲を不安にさせるというような状況が見られました。


 米軍という存在は、「日米地位協定」によって
特権的に保護されています。
公務中の米兵が事件、事故を起こしても、
通常、行われるような日本の警察の捜査、逮捕、
取り調べ、裁判ができません。
米軍基地に逃げ込んだ容疑者がアメリカに逃げ帰り、
被害車は、泣き寝入りになるというようなことも起きています。


このような不平等な「地位協定」の存在が、
沖縄での度重なる米兵の犯罪、不祥事に繋がっていることは
これまでも指摘されてきたことです。
今、それは日出生台を抱える私たちにとっても同様に直面する問題です。

 


○訓練情報は年々出なくなり…

この数年、当初は出されていた米軍部隊の移動についての
情報が出なくなりつつあります。
情報が出なくなるということが進んでいくと、
米軍がいつ、どんな訓練を行っているのか、
訓練が協定や事前の説明通りに本当に実施されているのかどうか、
わからなくなります。米軍としてはそうして、
自分たちがやりたい訓練を自由にやれる場にしたいのでしょうが、
私たちにとっては、米軍訓練が、気づかないうちに、
私たちの日常生活の安心や安全を直接脅かすようになっていく
不安ぬぐいきれません。

 

 

 

 

○私たちの故郷の自然と
 安心の暮らしを守るために

米軍は世界最大、最強の軍隊です。

しかし、その米軍をもってしても、
今、問題となっているテロをなくしていくことができません。
米軍の軍事力にものを言わせた激しい爆撃こそが、
憎しみと復讐の連鎖を招いているとの指摘もされています。

私たちは、故郷大分の地を
そのようなアメリカ軍の戦争訓練の場として使ってほしくありません。
さらに、今、アメリカは、日本の自衛隊を、
アメリカの戦争に協力させようと大きな圧力をかけてきています。

戦後70年間、一度も戦場で人を殺すことも殺されることも
なかった自衛隊のあり方、日本のあり方が、
今、アメリカによって大きく変えられようとしています。

私たちは、故郷大分・日出生台の自然を守り、
この国の大切にしてきた平和のあり方を守りたいとの思いから、
この日出生台で行われているアメリカ軍の戦争訓練に反対をしています。

私たちの運動は、そのような思いを同じくする人なら
誰でも参加できる市民運動です。

もちろん非暴力を大前提とし、
それぞれのできることで協力しあって、
これまで運動を継続してきています。
 

 


 

私たち市民運動のモットーは

そのときに
できる人が
できることを
できる分だけやる

よく言われる表現ですが、

私たちの力は微力であっても、無力ではありません。

アリが開けた1つの穴が巨象を倒す例えがあります。
そして、アリだからこそできることもあると考えています。

平和で他の国々の民衆と
ともに生きる社会づくりに向けて
ムリをせず、
かといって何もしないのでもなく、
自分のできることを見つけて、
取り組んでいきたいと考えています。

 

下の映像は、日出生台でいつも一緒に声をあげてきた
故 松下竜一さんのスピーチです。

 



 


Google マップ へのリンク

JR由布院駅から日出生台演習場のゲート前
〜監視小屋(米軍演習監視情報センター)までの
道を上記地図上の赤線で示してあります。

JR由布院駅からゲート前まで約4キロ。
JR由布院駅から監視小屋までは約16キロあります。


 

 

<さらに、掘り下げれば、こんな問題も…>

 

米軍訓練は米軍だけの訓練ではない!?

有事の際の米軍への民間協力訓練!?

本土5ヶ所での移転訓練の特徴は、
米軍訓練のあらゆる場面で日本の民間業者が組み込まれていることです。



兵士たちは大分県が管理する大分空港に、
日通がチャーターした民間航空機(コンチネンタル・ミクロネシア航空)で降り立ちます。



その後、地元の民間バスに乗って日出生台演習場入り。

 


米軍車両と155ミリりゅう弾砲は、民間の貨物船に乗って
同じく大分県が管理する大在埠頭に着岸。

 


港湾労働者が米軍車両と155ミリりゅう弾砲を陸揚げします。
本来は、このような武器、兵器を触るはずのない港湾労働者が
毎年のこの作業を繰り返すことで熟練してきたのか、
年々、その時間が短縮し、速やかな作業が行われるようになってきているようです。

 



その後、155ミリりゅう弾砲は日通のトラックに乗せられて日出生台入り。

 

この先導、警備を地元警察、日通などが行います。

米軍を最優先通行

警察は、大在埠頭から高速道路の入り口までのすべての信号機に一人ずつ配置され、
信号を操作。米軍車両、155ミリりゅう弾砲の通行を最優先して通行させていきます。


弾薬輸送も、佐世保から日通の大型トラックで、
高速道路160キロを陸送し、日出生台演習場に入れられます。


実弾を撃つという訓練以外にも、米軍は負傷した兵士らの
救急搬送訓練として、演習場からヘリを飛ばして、
別府市内の病院へと毎回、搬送されます。

99年に成立した周辺事態法では、
「周辺事態」有事に対応するために、
国は、自治体・民間の協力を求めることができ、、
国民・労働者を動員する内容が盛り込まれています。

そして、日出生台をはじめとする本土5ヶ所で1997年より行われてきた米軍演習は、
まるで周辺事態法を先取りするかのように、民間や自治体を協力動員するかたちで
実施されてきました。

このような形で民間が協力すれば、それは「敵対行為」と見なされ、
本来は攻撃対象とならないはずの「民間」が
攻撃対象と見なされる危険性が指摘されています。

さらに自衛隊も米軍の後方支援に組み込まれ…


 

 

 

 

<移転補償措置問題>

 

演習場周辺に暮らす地元住民にとっては、

これこそが最も大きな問題だとも言われています。

 

日出生台演習場の周辺を歩いてまわると、
ところどころに下の写真のような赤い石柱が立っている。


よく見ると、そこには防衛省との文字が刻まれている。

これは、2000年度から国が米軍訓練に伴って打ち出した「移転補償措置」の
結果、さら地にされ、移転した後の姿だ。

 

移転補償は日出生台演習場の拡張への地ならしか!?

 2000年10月27日、福岡防衛施設局は、日出生台演習場周辺の
移転補償対象家屋145戸と住宅防音工事の対象家屋836戸を発表。
「強制ではなく、あくまで希望者のみ」というものの、この措置は
「結果として日出生台周辺地域の過疎化に拍車をかけ、地域をつぶ
すもの」と、住民から国の頭越しの発表に対する怒りの声と地域の
将来に対する不安の声が噴き出た。

移転補償に対する日出生台住民の声

■「これまでは、新たに畑を拡大して作物を植えたいときには、 
 隣の人に頼んで安く借りることができたが、これからは人に貸 す
 よりは国に売る方が金になるからと、今までのようには土地を借
 りられなくなるかもしれない」

■「わしらは生まれ育った日出生台が好きなんじゃ。
  本当に好き好んで出ていきたいもんは誰もおりゃせん」

■「演習場周辺からわしらがおらんなってしまえば、
  苦情を言う者も反対する者もいなくなって好都合なんじゃろう」

■「米軍が一年に1ヶ月だけ来て演習をするちいう問題と
  思っちょったら、いつのまにか自分の暮らす地域が
  のうなるち言う問題になっちょる」

■「これを機会に、逆に住みいい日出生台をつくるんじゃ」

米軍演習を強行決定したとき、国は「国の責任でやらせていただく」と
言ったはず。

であれば、国は、米軍の演習のために住民を立ち退かせていくのではなく、
過疎高齢化している地域の中で、住民の暮らしがより暮らしやすくなり、
多くの人がさらにそこに住み続けなるような方向の措置をとるべきではないか。  

 

2012年夏の日米共同訓練

2012年冬の米軍移転訓練

記録(演習開始まで)

記録(演習開始以後

2011年の米軍移転訓練

2010年の米軍移転訓練

2006年の米軍移転訓練

.


【これまでの米軍演習を振り返って】総括

 <日出生台での過去5回の米軍演習で現れた特徴的な事件、問題点>

これまでの私たちの取り組み

 

 

 

 

 

 

2015年3月に実施された
日出生台での10回目の 米軍実弾演習と
それに対する私たちの取り組みの報告


<湯布院〜日出生台上空・米軍機の低空飛行問題>


<米軍艦船寄港問題>

7月19日10時

大分市大在埠頭にミサイルフリゲート艦ゲイリーが入港

大分を米軍の戦争に巻き込むな!と抗議の声をあげました。

続きを読む


<日出生台演習場での陸自203ミリりゅう弾砲の破片飛散事故>

 

<自衛隊員らとともに生きるために>


------------------------------Information From SOML------------------------------
                            
       「市民ネットワークおおいたML」について
                           
 この「市民ネットワークおおいたML」(以下、SOML)は、
 大分とその近県エリアでの様々な市民活動の垣根を越えた 
  情報交換、情報共有を目的にしています。ML参加者の皆様には、
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ローカルネット大分・日出生台は、

99年より毎年強行されるようになった大分県日出生台での米軍演習の問題をきっかけにして、

どのようにして地域住民の暮らしの安全、安心と、

この国の平和、世界の平和を両立させていくかを考えていこうと集まった

大分県内外の市民、教員、労働者、演習場や基地周辺住民のゆるやかなネットワーク(連絡網)です。



一連の催し、行動はそれを思い立った人の「この指とまれ」式での呼びかけによって行われ、

その参加も、あくまで個人の自発意志と責任に基づくことを原則として、

ゆるやかなつながりの中での市民運動を目指しています。

 

よって、会費や入会金などは集めておらず、

なにかの取組をするときはその都度、カンパを募集して後は参加者の手出しで

すべての活動費用をまかなっています。

 

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