この講演録は、5月6日に湯布院町でおこなわれた一橋大学教授の渡辺治先生の講演の録音をローカルネット事務局がテープ起こしをし、当日のレジメ資料を参考に見出しをつけ、抜粋、要約、編集したものです。
 よって、この講演録の内容における文責はローカルネット事務局にあります。

いまなぜ有事法制か
渡辺治氏 <講演要旨>


湯布院町コミュニティセンター 5月6日 

 こんばんわ。有事法制が今の通常国会にかかっていますが、今日は、この有事法制がどうして出てきたのか、有事法制をつくるにはどんな狙いがあるのか、それに対して私たちがどのように対処していけばいいのかということについてお話をしたいと思います。

■二つの問い

 小泉さんが通常国会の時に、施政方針演説の中でこの有事法制が必要だという理由として、「備えあれば憂いなし」ということを言いました。日本がある国から攻撃を受けた時にきちんと対処する法律ができてないと、万一の事態に備えないと まずい、ということを言ってます。
 それが小泉さんが言っている有事法制を作る理由なんですけれども、実は、有事法制というのは確かに世界のほとんどの国々が持っています。ところが日本にはないんです。ということは、小泉さんの言っていることは正しいように聞こえます。他の国は持っているし、日本の国はどうして備えないのかということになるわけです。
 しかし、考えてみると、戦後もうすでに五十七年がたっています。実は戦後これまでに、日本で有事立法が国会に出てきたことは実は一回もないんです。出そうとした試み自身はまったくないわけじゃないですけれども、国会に法案として登場したのは今回が初めてなんです。
 これは変な話だと思うんです。なぜなら小泉さんが「万一の事態に備えないといけない」から、こういう法律を出すんだ、というんですが、この五十七年間、ほとんどずっと保守政権だったんです。それなのに、これまで一度も有事法制を国会に提出してこなかった。これはおかしいじゃないかと。
 ではなぜ日本では有事法制が五十七年間もの間、出てこないでいて、そして、なぜ五十七年目の今年、急に出てきたのか。この問題は、有事立法が何を狙っているのかということを考えるときにすごく大事な問題なのではないかと思います。
 今日は、「いまなぜ有事法制か?」という問題を今言ったような問いに答えるといったかたちで考えてみたいと思います。つまり、「いまなぜ有事法制か?」と書いた問いの中には、実は二つのちょっと違った疑問があって、有事法制が必要なら、なんで日本は五十七年間もつくらなかったのか、という疑問と、それからもう一つは、それが今年になって、なんでつくらなければいけないということになったのか。この二つの問いに答えるというかたちで、お話をさせていただきたいと思います。

■なぜ今まで有事立法はできなかったのか

 なぜ今まで保守政権がずっと政権を握っていたのにも関わらず、有事立法を国会に出さなかったのか。これには二つの理由があると思います。

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  〜軍国主義に対する強い抵抗

 一つは、出したくても出せなかった。出したら大変なことになるということを保守政治が理解していたから出せなかった。有事法制だけではなくて、国家秘密法、憲法の改悪など日本の軍国主義を復活するような立法を出そうとすると、これまで必ず痛い目にあってきた。
 保守政治は、これまで有事法制を国会に出したことはありませんが、憲法改正とか様々な「普通の国」、軍事的な体制の国に復活したいという様々な試みをやったことがあるんです。ところが戦後の日本の平和運動、民主主義運動というものがそういうものに対して、きわめて大きな反対運動に立ち上がってきた。
 一番大きかったのは、やっぱり六十年の安保反対闘争だと思います。日本がアメリカと対等の軍事同盟を結んで、ゆくゆくは憲法を「改正」して、「普通の国」になりたいという野望を岸信介さんが持った時、大きな国民の反対運動が起こった。そのときには再び日本が昔のような軍国主義になるのはよくない。日本がアメリカの冷戦下で戦争に巻き込まれるのはよくないということで、広範な人々が国会を取り囲んで安保条約の改定に反対したんです。
 私は当時、中学二年生で、東京の下町の学校に行ってました。安保条約が出た当時、クラス討論というのがずっと行われたんです。普段、不良といわれているような人が、突然、安保条約に反対するという学習会を開きまして、みんなで賛成派と反対派に別れてクラス討論をやったんです。それで反対派の生徒たちは安保条約反対のデモに学校から勝手に抜け出していって、警官隊に追われてとっつかまって、帽子を取られて、「おまえの中学校の帽子じゃないか」といって、学校の先生が呼び出されるとかいうことが実際に起こったんです。
 実は、僕はその頃、けっこう臆病な人間で保守派だったので、「安保条約がなくて、日本の安全は守れるのか」なんてことを言っていたんですけれども・・・(笑)。
 そういうことが東京だけではなくて、日本のいろんなところで起こって、国会の周りを数十万人の人々が連日のように取り囲んで、安保条約の問題については反対をしました。そのときに岸信介さんは安保条約の改定を強行した結果として退陣を余儀なくされる。連日、国会の審議の中で、国会の周りを数十万人の人が取り囲む。数十万人の人が取り囲むと国会のまわりはどうなるかというと、人で埋まっちゃってまったく歩けなくなるんです。自動車ももちろん通れない。そうするとデモ隊でいっぱいで、国会議員の人たちは議員会館の前の通りを往き来することができないんです。それから首相官邸から国会にも表通りを通れない。首相官邸から国会というのは地下道があって、首相は国会と官邸を往き来する。しかし、首相が泊まる首相公邸には、地下道がないので帰ることができないんです。そこでずっと岸さんは二ヶ月以上にわたって官邸で寝泊まりをして、弟の佐藤栄作に「もしかしたら、自分はここで死ぬかもしれない。殺されても日米安保条約の改定をやったということは歴史に残るんだ」と言いながら、安保条約の改定を強行するというような事態になったんです。
 安保条約の改定というのは、日本がアメリカと対等になるんだから、当然国民も賛成してくれると思って自民党はやったんですが、この六十年安保闘争で大きな反対を受けた。これから自民党の保守政治というのは、すごく大きな転換をするわけです。正面から軍国主義の復活をするような政治を行った場合には、その岸内閣が倒れるだけではなくて、保守政治全体が危機になるかもしれない。
 アメリカの方も、当時、ライシャワーという人が、新しい日本の大使として登場するんですが、ライシャワーさんも日本の軍国主義の復活とか、日本の自衛隊をアメリカ軍と一緒になって共同で動員するようなことをやったら、日本は赤化すると。日本が赤化したら極東におけるアメリカ軍のプレゼンスはできなくなる。だから、赤化をさせないように、日本については手を触れない。日本の国民を刺激するようなことはしないという方針で、いわゆるケネディ・ライシャワー路線というようなかたちで、日本の労働組合の幹部などをどんどんアメリカに招待する。とにかくあまり強いことは言わないということでやらざるをえないような方針の転換が起きるわけです。
 そういうことがきっかけになって、有事法制とか日本の軍事大国化とかを正面から追求するようなことはやりたくてもできない状況になった。これが五十七年間の間、有事法制を一回も保守政治家が国会に提出することができなかった最大の原因だと思います。

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  〜出さなくてもなんとかなる

 もうひとつは、そうは言っても、反対を押し切ってでもやらなければいけないということになったら、安保条約の改定のようにやるわけです。ということは有事立法は、国民のものすごい抵抗を押し切ってでもやらなければいけないものではなかったということです。危険を冒してまでやる必要のないものだった。
 これは後でお話をしますが、当時、考えられていた有事法制というのは、冷戦の中で、朝鮮半島の有事になって、そのとばっちりを受けて、日本が朝鮮、あるいはソ連軍によって攻撃を受けたと。そのときに日本の自衛隊や国民をどう動員するか。これが当時、考えられていた有事法制の中身なんですね。こういうものはやっぱり当時でも必要だったんではないかというふうに一見すると思われるんですが、そのときに保守政治が考えたのは、そんな日本が朝鮮やソ連に攻められるなんて想定をした法案を出したりして、日本の軍事大国化を警戒する大きな反対運動を招きたくはなかった。
 当時の国会の状況は、社会党が常に百三十から百四十ぐらいの議席を取っていたし、その他の野党も無視できない程度の議席を確保していた。野党は自民党のそういう軍事大国化に反対をしていましたから、有事法制を出して、ソ連が攻めてきたときにどう対処するかなどということを国会に出したら大騒ぎになります。ソ連が攻めてくるようなことがあるのかということから始まって、実際にソ連が攻めてくるような状況というのはどんな状況なのか、冷戦体制の中でアメリカに加担しなければそんなことにならないんじゃないか、ということで大きな議論が起こる。そういうことは消耗だということがひとつありました。
 それに本当に攻められたときは、それはもう国会を通さないでも、独裁的な権限でもって、米軍と協力して一気に突破すればいいと。軍事独裁体制をつくって、戦争に対処しなければいけないし、そういうことについては、国民の合意は取れるだろうと。そういう判断をしていたんだと思うんです。
 つまり、ここで大騒ぎをして有事法制をつくったところで、すべての事態を想定することはできない。実際に攻められたら、米軍と自衛隊が共同して様々なことをやらなきゃいけないわけで、そのとき国会が開かれていれば、おそらく一挙に法案を通すことは可能だろう。実際にソ連から攻められてきたような戦争状態になれば、反対している社会党とか共産党の議員を牢屋にぶち込んで、戦争体制をつくるということはおそらくできるだろう、というふうに踏んでいたと思います。だから、なにもわざわざそういうような事態について、あらかじめ国民の強い反対が起きることがわかっていながら、そういうような法律を出すことはない。出したってどうせ通らないんだし、出さなくたってどうにかなるさというのが、彼らの有事法制というものが必要だとは思っていながら出さずに済んでいた理由だと思います。だから逆に言うと、今、有事法制が出てきたと言うことは、この二つの条件が変わったということになります。

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   〜日本企業のグローバル化
 
 有事法制や軍事大国化に対する国民の警戒心というのは、確かに九十年代に入って少しは減ってきましたけれども、なお依然として強い。そういう中で、小泉さんが有事法制を出すということになってきた背景にあるのは、今まではそんなものはいらなかったかもしれないけれども、現代においてはそういう有事法制が必要だという、ある種の状況の判断の変化というものが起こったというふうに考えざるをえません。
 政府が法律をつくるというときには、小泉さんが言うように「万一に備える」とか「ないよりはあった方がいいだろう」とか、そんなことで法律なんかつくりません。国会だって忙しいわけだし、具体的に何百という法律があるわけで、そういう中でたとえば有事法制を出すということは、もしそれが国会でもめれば他のいくつかの法案はつぶれる危険性があるわけです。たとえば強行採決をすれば、三つか四つの重要法案はつぶれて、もう一回、国会を再開するために、いけにえにいくつかの法律案を提出しなければいけない。そういうことは、国会の場合、様々な政策を遂行する上で、非常に大きなリスクです。そういうリスクを負ってまでやるというのは、それでもやらなければいけないという状況の変化が現れたと考えることが常識的だと思います。国民の反対を押し切ってでも軍事大国化をやっていかないことには、日本の将来は立ちゆかないと判断をせざるをえない条件が生まれた。
 これは私の考えなんですけれども、基本的には、日本の経済、企業のあり方というものが、一九八〇年代の末ぐらいから、それまでのあり方を大きく変える変化が起こった。私は、日本の軍事大国化を、保守政治の側が、国民の反対を押し切ってでもやっていかなければいけないと考えた第一の変化というのは、日本の経済のあり方が八〇年代の末ぐらいから大きく変わってきたということがあると思います。
 ではそれはなんなのか。一言で言いますと、戦後の日本の経済というのは、みなさんよくご存じのように、今でこそ「失われた一〇年」とか言われて、経済の停滞というと日本が代表的な国になっていますが、戦後の三〇年から四〇年間、一九八〇年代の末ぐらいまでの日本というのは、もちろん世界の先進諸国の中でもトップクラス。常にトップランナーとして走るような経済成長の国だったわけです。日本は敗戦の時には世界の生産の中で一%をはるかに下まわっているような経済的には非常に小さな国だったんですけれども、それが度重なる経済成長の結果、一九七〇年代の末には世界のGNPの一割を占めるような生産大国になった。その時点で、日本を上まわる生産大国はアメリカだけだった。アメリカは世界の二十六%ぐらいを当時占めていまして、日本とアメリカをあわせると二つの国だけで世界の生産の四割を占めてしまうという巨大な経済大国に成長した。アメリカは一九二〇年代からずっと一貫して、世界の最大の生産大国ですから、そういう意味で言えば、急速度に日本はアメリカに追いついた。その背景にあるのは、急速な日本の経済成長なんです。その経済成長があって、経済大国になったんですが、一九八〇年代までの日本の経済システムというのは世界の経済大国と非常に違うところがあった。世界の経済大国というのはアメリカ、イギリス、フランスもそうですが、世界の経済大国を基本的に支えている企業というのは、一九五〇年代の末ぐらいから、自分の国、一国で生産するという状況を打破して、グローバルに展開するようになった。

・「グローバル」の意味するもの

 私が一〇年ぐらい前にイギリスに行って、すごく印象に残っているんですが、イギリスでヒースローの空港に降りて、ロンドンに行くタクシーに乗ったんですね。すると運転手が「おまえ、どこから来たのか」って言うんで「日本からだ」。「俺は日本をよく知っている。日本というのはニッサンだ」って言うんです。日本はニッサンだって言われても困るなあ(笑)と思ったんですが、まああまり抵抗しないで「いや、ニッサンは俺もよく知っている」と話したら、「実は俺はニッサンのファンだ。日本のファンだ」と言うわけです。
 それくらいに、ニッサンの生産のかなりの部分は輸出によってまかなわれているんです。トヨタだってそうです。国内生産だけではとてもああいう大企業になることはできない。基本的には輸出によって支えられているわけですから、世界のどこに言っても「ニッサン」とか「トヨタ」とか言えば通用する。世界中でニッサン車というのは走っているんですが、そのことがここで言っている「グローバル」じゃない。そんなことであれば、日本の経済だって、ずっと前からグローバルだった。
 八〇年代の初頭でアメリカとかイギリスとかの企業が「グローバル」だというのは、単に国内で生産したものを外に売るということではなくて、海外に工場を建てて、そこで生産をする。海外生産を展開する。これがここで「グローバル化」と言っていることなんです。グローバル化っていうことがなんで問題になるの?ってことなんですが、グローバル企業というものをもう少し説明しておきます。
 この「グローバル化」は、一九五〇年代末以降の世界経済の基本的な動向なんですが、我々が一番イメージしやすいグローバル企業というと、たとえばマクドナルドという会社があります。マクドナルドはれっきとしたアメリカの企業。アメリカに本社がある企業なんですが、グローバル企業、多国籍企業なんです。どうしてかっていうと、日本にも「日本マクドナルド」っていう会社があります。ロシアにもフランスにもイギリスにもユーゴにも、それぞれマクドナルドという会社があるんですが、じゃあマクドナルドという会社は、昔のニッサンと同じように、アメリカでもって、アメリカの牛肉を使ってハンバーグを作って、それを冷凍して、日本に輸出しているのかというと、そんなことはしないんです。「マクドナルド日本」という会社は、れっきとした日本人の社長がいるんです。そして日本の法人として、日本の政府に登録し、日本の政府に税金を払っている。そして日本人の従業員によって成り立っている。だけどマクドナルドという多国籍企業の一つの会社なんです。
 日本のレタスを使い、日本の牛肉を使って、日本人の口に合うように、マクドナルドのハンバーガーを作っている。私たちはそのハンバーガーを「マクドナルドハンバーガー」だと思って食べている。ところが、アメリカに行って、同じマクドナルドのお店に行くと、同じメニューがあるんですが、入った人はご存じだと思いますが、全然違うハンバーガーが出てくるわけです。レタスなんてしゃれたものは入ってない。アメリカに行けば、ただひたすらでかい肉。あとはトッピングでケチャップかけたりして食べるだけ。その代わり、日本の倍ぐらいの肉が入っているわけです。
 これはどうしてそういうことになっているかというと、同じマクドナルドなんだけど、その国の市場に進出したマクドナルドという会社が、その国の市場の好みに合わせて生産するからなんです。こうして、マクドナルドというグローバル企業は世界に展開する。このマクドナルドが、一九八九年に、まだロシアになっていないソ連に進出して、モスクワにマクドナルドの会社ができた。それでモスクワの住民たちは「こんなおいしいものがあったのか」と当時すごい話題になりました。マクドナルドが社会主義をつぶしたと言われているくらいに、そのマクドナルドにソビエト市民が並んだという状態になったんです。

・グローバル化したくなかった日本企業

 「グローバル化」というのはそんな状況なのですが、そういう世界の大企業がみんな世界に展開して生産をするグローバル化をしている中で一九八〇年代までの日本の企業はそういうことをやらなかったんです。全部日本でつくって、輸出をする。
 トヨタという日本で一番大きい自動車会社がありますが、トヨタはほとんど豊田市でつくっているんです。豊田市に本社があり、豊田市に工場があり、そこのまわりに数万軒という下請け企業、中小企業があって、これが全部生産を行う。トヨタやニッサンという日本企業は大きいんだけれども世界に工場を作らないんです。これが実はすごく日本の軍事大国化の問題とからんでいたんです。
 まず最初になんで日本の大企業がグローバル化しなかったのかというと、結論だけを簡単に言うと、日本の企業は日本の国内で生産をしているから儲かってたんです。日本の国内で生産をするということは日本の労働者を雇えるわけです。日本の労働者は賃金は安くて済む。残業もする。日本の民間大企業の労働組合は企業に非常に協力的で、女性差別もいくらでもできると。
 これがもしアメリカにトヨタの工場を作ったら、アメリカの労働者を雇うわけでしょ。アメリカの労働者はアメリカの労働組合に入ってますから、日本みたいにQC(品質管理)だとか、サービス残業をやってくれるなんてことはありません。アメリカに行った日本のグローバル企業が必ず悩むのは、女性差別をやってしまい、どんどん訴訟を起こされるんです。そしてどんどん負ける。何億とかいう懲罰的な損害賠償をやられる。おまえの会社は女性差別をしている。他の女性たちにも差別をしているということでペナルティとして、何億というペナルティをかけられるようなことになって、三菱にしてもみんな青くなるという状況が起こるわけです。
 つまり、日本の企業が、世界のナンバーワン企業になるようにどんどん儲けて大きくなったのは、日本の労働者を雇って、日本の自民党政治の下で、日本で生産をしているからなんです。だから税金を払って運賃を払っても、日本で作ってアメリカに輸出した方が、アメリカで自動車を作ってアメリカで売るよりも儲かるんです。だから海外には行かなかった。

・グローバル化を余儀なくされ始めた日本企業

 ところが八〇年代の中頃になって、アメリカが日本に経済的に追い越されるかもしれないという危機感を持ち、日本車とか日本製品に立ち向かうために様々な措置を取ってきた。ひとつは経済摩擦です。日本製品はアメリカに入れないと。おたくたちが入りたいなら、アメリカに工場をつくってください。そしてアメリカで生産をしてください。それなら入れますけれど、日本車の輸出は何十万台で規制しますよ。日本のマイクロチップは何十万個で規制します。日本のテレビも。テレビははるか昔に規制されていましたけれども。それから鉄鋼製品も全部規制しますよと。それでも日本は行かざるをえない。行かなければ、市場は取られてしまう。
 もうひとつは、円高ですね。一ドル二〇〇円だった円が一ドル一〇〇円になるということは、今まで一万ドルで売られていた車が突然二万ドルになる。日本で造っている値段は同じなのに。これは競争力が倍あったってパーになっちゃうわけです。こういう円高政策が八五年に取られていってどうにもしかたがない。日本企業もグローバル化しないとどうしようもないってことになって、八〇年代の後半期から八〇年代末にかけて、日本の企業が一斉に海外に展開していくんです。これが実は、日本の政治に対する日本の大企業の要求とか、日本の企業のあり方の大きな変化を生むことになります。

・グローバル化に伴って出てきた軍事大国化の要求

 どういう変化を生んだかというと二つあるんですが、ひとつはそれまで日本の企業や財界がほとんど関心を持たなかった日本の軍事大国化、日本の軍事的なプレゼンス、日本の自衛隊の海外出動態勢というものを確保してほしい、という要求を非常に強く出すようになったことです。
 それからもうひとつは、日本の構造改革。政治に対する構造改革を要求するようになった。こちらは今日の話ではないので省略しますが・・・。
 それではなぜ日本の大企業がグローバル化して海外に展開することによって、軍事大国化の要求を企業がするようになったか。これは非常に簡単なことです。日本の企業というのはいままで国内だけで生産をして輸出をしていたんです。海外に出ていった日本企業の関心は、その国が独裁政権であるかどうかとか、その国が核を持っているかどうかとか、その国が紛争地域なのかとか、どうでもいいんです。一番関心があるのは、その国が輸出についてどのくらい税金をかけるのか。他のことはいっさい関係なかった。
 グローバル化する前の日本企業の関心がある外国というのは、イランとかイラクとかサウジアラビアとか、中東地域だったんです。なぜかというと、そこから石油を買っているから。石油が止まったら日本の企業は大変なことになるから。それからアメリカの市場にも関心がある。しかし、他の外国については、日本の企業はそんな関心がなかった。
 だから以前は、軍事費を増やして自衛隊を大きくするとか、自衛隊を海外に派遣するとか、どうでもよかったんです。むしろ軍事費よりは公共事業投資をやってもらいたい。軍事費にお金を使うというと、NECとか三菱重工とかいった一部の軍需産業しかもうからないんですね。それに日本の産業はアメリカと違って軍事産業は少ないんです。そうすると、日本の産業がもっとも要求するのは、そんな軍事費や福祉にお金を使うよりは、公共投資にお金を使ってほしい。これがそれまでの日本の財界の要求だったんですね。
 ところがグローバル化すると話は変わってきます。特に日本の企業のグローバル化は、ヨーロッパやアメリカの企業にはない大きな特徴があったんです。それはなにかというと、日本企業がアジア太平洋地域に怒濤のごとく進出したことです。最初は、アジアンNIES と言われていた韓国とか台湾に日本の企業はどっと行きました。そして韓国、台湾が経済成長をとげてきて労働者の賃金が上がってくると、日本の企業はさっと逃げて、今度はインドネシアとか、マレーシア、シンガポールなどの東南アジア、ASEAN諸国に行ったんです。ところがASEAN諸国もまた賃金が上がってきた。そこで今、日本の企業が怒濤のごとく行っているのが中国なんです。中国の福建省には工場団地がありますが、福建省では労働者一人あたりの賃金が日本に比べて三十二分の一なんです。そうすると日本で一人雇うのと同じお金で三十二人の中国の労働者が雇えることになる。これはものすごい魅力で、今、中国にどっと行っているんです。
 実は、最初は日本の企業はアメリカとEUに行っていたんです。そしてアメリカでエンパイヤステートビルを買収したり、コロンビア映画を買収したりして、もう悪名をはせたんですが、そのうちアメリカからどんどん撤退して、アジアを中心にシフトをして日本の企業のグローバル化が始まったんです。
 なんでアジアかというと、話は簡単なんです。先ほど言ったように日本の企業はもともとグローバル化をしたくなかったんです。日本の企業は国内で生産するのが一番もうかっていたから。だからアメリカやEUに行った日本の企業は今でも赤字なんですね。その典型で倒れた会社がニッサンでした。ニッサンはグローバル化をしてつぶれて、ゴーンの経営下にはいったわけです。ニッサンがどうしてつぶれたかというと、EU進出、イギリス進出が失敗したんですね。ですからアメリカとかEUに進出している日本の企業というのは、赤字覚悟で市場を確保するために進出している。じゃあ、それらの企業がどこでもうけるかというと、国内でもうけるんですが、国内だけではやっていけないので、当然、出ていくとなればアジアに行く。これはもう低賃金。それから開発独裁政権。インドネシアやフィリピンなんか典型的ですが、日本の企業に来てもらいたいので、労働組合運動は禁止です。女性差別は日本の企業がやっているものよりもっと露骨。それから環境規制基準が非常に緩くて、フィリピンなんかでは新日鉄で使えなくなった公害を垂れ流すようなプラントをそのまま持っていって運転できる。それから労働組合運動や市民運動が緩い環境規制基準に反対すると、この間もフィリピンに行っていたNGOの人の話を聞いたんですけれども、市民運動が弾圧されて、日本企業の環境破壊に反対して活動している市民活動家が殺されたと言ってましたが、そういう形でとにかく政府が弾圧してくる。
 そういうかたちで、日本の企業にとってみると、本当は国内にいるのが一番いいんだけれども、出ていくとすればアジアだと。日本の企業はアジアの開発独裁政権によって特権を確保して、そこに出ていって、フィリピンブランドとかインドネシアブランドで、これをアメリカに輸出するんです。アメリカでは「日本車」は規制されるけど、「インドネシア車」や「台湾車」は規制できないんです。日本製品の名前だけちょっと変えて、台湾製品として、たとえば「パナソニック」という会社名で輸出する。こういうかたちで日本のグローバル化というのは始まった。
 しかし、アジア太平洋地域に出かけていって大丈夫なの?という問題がある。アジア太平洋地域は確かに特権も大きい。低賃金。環境規制基準も緩い。それはみんなその国が開発独裁政権だからです。じゃあその開発独裁政権が倒れたときに、日本の企業はその特権を維持したまま活動できるのか。いかにうまみがあったって、パキスタンに日本企業が行かなかったのはなぜかというと、パキスタンとインドが紛争を起こして核戦争でもなったら、もう企業どころじゃないわけです。どんなにうまみがあったって、十年間ぐらいは元を取れないわけですから、ようやく元を取れたときに戦争が始まったということでは日本の企業はどうしようもないわけです。保険をかけたってとてもじゃないけどやっていけません。
 その典型例としては、日本の三井物産がお金を出して、イランに国営石油化学という会社を作ったんです。この会社はイラン政府の強い要請に基づいて作ったんですが、石油を採掘して日本に運ぶ。イランは石油化学が発達していませんから、その石油を分離して石油化学の工場とかビニールを作る工場を建てたんです。これは三井物産が総力をあげて行ったプロジェクトだったんです。
 ところが、そのプロジェクトが始まって最初に直面した危機は一九七九年のイラン革命だったんです。日本はイランの独裁政権の庇護の下でその会社を作っていましたから、イラン労働者たちが「日本は独裁政権の味方じゃないか。労働者を搾取している」とデモが起こって、会社の運営が二年間止まっちゃったんですね。そしてようやく革命政権も日本の資本を入れないと仕方ないと判断して許可が下りて、業務を再開したとたんに次におこったのがイラン・イラク戦争。フセインが攻めてきたんですね。当然、イラクはイランの最大の生命線であるその石油プラントを爆撃したので、作りたてのプラントもめちゃめちゃになった。日本の労働者たちは命からがら帰るんです。
 ところが、他のアメリカ人労働者やなんかは、イラン革命になったり、イラン・イラク戦争が始まったら、アメリカの第七艦隊がやってきて、アメリカの商社マンとか企業サラリーマンを帰すんですね。日本人の労働者たちはもう怖いから行かないんですが、日本企業の労働者の下請けは全部、韓国人労働者。その下請けはベトナム人労働者がやっていた。韓国人労働者はイラン革命とかイラン・イラク戦争が起こると、大韓航空が来てみんな引き連れていく。大韓航空というのは、韓国軍部の影響力が非常に強い航空会社ですから、ほとんど軍人上がりなんですね。その大韓航空の飛行機が来て韓国人労働者を乗っけていく。
 ところが日本の場合、自衛隊は外へ出ていかない。日本航空や全日空はそういう戦地には行かないっていうことで、イランの日本人労働者たちは命からがら砂漠を越えて、イラクへ行かねばならなかった。当時はイラクの方が優勢でしたから、イラクの空港から日本に帰ってくるということをやらざるをえなかった。その結果、イラン・イラク戦争の間中、そのプラントは止まっちゃった。そして十年たってイラン・イラク戦争が終わった。そのときにはもうイラン国営石油化学のプラントは、十数年野ざらしになっているので、まったく使い物にならなくなって、結局、三井物産は九〇年代になって撤退を余儀なくされた。これで三井物産という日本一の商社が、三菱商事に負けて経営が左前になった。そのくらいに大きなプロジェクトがそんなことで壊れてしまった。
 そのときに、三井物産や日本の財界が要求したのは、安全保障がただでないのは当たり前だ。アメリカとかイギリスとかは、企業がイランに出かけて行ったときに、自国軍の軍事的なプレゼンスによって特権や活動が守られている。ところが日本は憲法九条の下で自衛隊も外に出ていない。国は守ってくれない。こういう事態ではグローバル化した日本の企業を誰が守るんだ、という要求が軍事大国化の要求として強くなってきた。「普通の国」になって、日本もそういう企業の危機、あるいはそういう戦争とか政変が起こったときには、日本の軍隊がプレゼンスをして、自分たちの特権や活動の自由を保全できるようにしろと。

・米軍がアジア太平洋に駐留する理由

 アメリカは、アジア太平洋地域に現在でも十万人の軍隊を派遣しています。沖縄だけではなくて、アジア太平洋地域全体で十万人の軍隊が未だにいます。じゃあこれは共産主義の脅威から守っているのかというとそうではないんです。もう社会主義は基本的には敵ではないと彼らは考えている。じゃあこの十万人の軍隊が何のためにいるのかというと、グローバルに展開したアメリカのそういう企業の権益とグローバル秩序を守るためにいるわけです。
 たとえば、九八年にインドネシアのスハルト政権が倒れたときに、まず最初に急行したのはアメリカの第七艦隊です。沖縄を中心にした第七艦隊がインドネシア海域に急行するわけです。そしてなにをやるのかというと、スハルトを脅して、あまり抵抗するなというわけです。抵抗するな、という理由は、アメリカが非常にリベラルだからではないんです。スハルトが抵抗しすぎると、インドネシアで一度は皆殺しにした共産党政権が復活してしまうとか、民主的な政権が復活してしまうとか、ゲリラが活発になってしまうとかいうことをアメリカは恐れたわけです。スハルトに潔く手を退いてもらって、スハルトの代わりにもうちょっとリベラルな奴が政権につく。これがアメリカとしては一番望ましいわけです。その代わりに、スハルトとその一家に対してはアメリカへの亡命を保証すると。そして次の政権の準備をするために、アメリカ軍のCIA部隊が入っていって、次の政権の候補に対してアメリカの息をつけて、インドネシアにおけるアメリカの特権を保全させる。こういうことをすぐさまにやる。インドネシアと東チモールの関係についても、アメリカはインドネシア軍に対して、ゆくゆくは東チモールを認めろと。そうしなければ安定した秩序はできないじゃないかと、こういう圧力をかけるわけです。アメリカにそれが可能なのは、そういう強大な軍事的プレゼンスが背景にあるからなんです。
 ところが、日本はそれができない。できないからどうするかというと、「ムネオ的」な手法でやるわけです。ODAをばらまいて、カネでもってインドネシアの政権を買収する。しかし、カネはカネで結局のところ紛争が起こってしまったら、それについてはどうしようもない。日本の企業はあわてて新しい政権は誰になるのかということを探って、その政権にカネを貢ぐしかない。しかし、これじゃあ困ると。「普通の国」のようにきちんとした軍事的な背景をもってやらなければいけないと。

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〜企業競争力強化に必要な軍事力

 それからもうひとつは、実は企業のグローバルな競争にとって、強い軍事力を背景にした国であるかどうかということは、企業の競争力にも関わってくるんです。たとえば、今、中国に日本の企業とアメリカの企業が一斉に出ていって競争をしているんです。中国というのは、実際にはよくわからないんですが、人口が十四億から十五億人はいるとも言われている。この十四億とか十五億人というのがいかにすごいかというと、日本は今、一億二千万人ですね。携帯電話の市場ということを考えたら、中国は日本を十四個合わせたほどの巨大携帯電話市場なんです。そうしたら日本の企業は、もうよだれが垂れるほどあそこに進出したいとみんな考えている。そして新幹線とか高速道路とかこれから開発をやるわけですから、JRとかゼネコンとかみんなプラントを持って行きたいわけです。これはもう日本の市場の十数倍ですから絶対に儲かるわけです。
 ところが中国政府がいろんなプロジェクトをやる。山峡開発なんていって、山峡を埋めてダムを作るってやるわけです。ダムの公共工事のノウハウだったら日本が一番ですね。ところがカナダ、日本、アメリカとプロジェクトがあって、同じような条件だったらどこが勝つかというと、みんなアメリカが勝っちゃうんです。それはなぜかというと、中国の政権がアメリカのものを買った方が、アメリカとの戦略的、軍事的な力関係でその方がいい。日本に軍事的な力はないわけですから。他が同じ条件であればですよ。日本の方がはるかにいい条件を出せばともかく、そうでなければそりゃアメリカが勝ちますよ。その方が中国にとって政治的、戦略的にプラスだから、そういう判断をやるわけです。
 つまり競争力というのは純経済的ではない。そうすると日本の強力な競争力というものを本当に確保するためには、その後ろに、強い、恐ろしい軍事力がなければならないということになってくるわけです。それが日本の軍事的なプレゼンスを求める非常に重要な要因になって、軍事大国化への衝動が出てきた。これが八〇年代末ぐらいなんです。
 そうなってくると、保守政治に対して日本の財界は今までそんなことは言ったこともないんだけれども、日本の自衛隊をちゃんと出して、海外プレゼンスで我々の権益をちゃんと守ってくれなければ困るというような要求を出してきた。保守政治はいやいやながら、そういう要求を受け取らざるをえない状況が出てきた。

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 〜冷戦崩壊で世界的に拡大したグローバル市場

 九〇年代に入ってくると、同じグローバル化の結果なんですけれども、アメリカが冷戦に勝利して、世界の唯一の覇権大国になったんですね。冷戦というのは通例「社会主義」対「自由主義」の戦いなどと言いますが、決してそう単純ではありません。その証拠に今、アメリカは中国と仲良くしていますし、ベトナムとも和解しました。イデオロギー的にはベトナムは変わってないんですよ。だったらなぜアメリカはあれだけの五〇万人の軍隊を派遣して数十万人のベトナム人を虐殺したのか。あれだけの侵略戦争をしておきながら、なぜベトナムと関係を回復するのか。イデオロギーの問題であったなら理解できない。確かにアメリカにとってみると社会主義というものは、アメリカ企業のグローバルな活動を安定的に保証するための市場をどのように確保するかという問題に関わっていた。アメリカという国は、日本もそうですが、できるだけグローバルな自由な市場を拡大することによってアメリカの資本主義というものは栄えるわけですね。ところが、そういう自由な市場の拡大にとって一番迷惑なのが社会主義なんです。社会主義というのは自分たちの国民経済を守りますから、アメリカ資本の自由な活動というものを認めてくれない。それどころか、アメリカやイギリスが旧帝国主義の植民地にしていたところが解放されていくと、国民経済を再建するということで、どんどん社会主義になっていくわけですね。アメリカにとってみると、自由な市場がどんどん減っちゃう。それを減らしてはならないというのが、アメリカの冷戦におけるソ連との対峙の最大の目的だったんです。
 それが九〇年にソ連が崩壊して、基本的にはアメリカが求めた自由な市場というものが世界的に拡大したわけです。今、世界の人口が五〇億人から六〇億人くらいいますが、アメリカの企業が活動していたときは、日本とアメリカと西ヨーロッパだけがアメリカの市場だったのでそれまでのアメリカの市場は一〇億人ぐらいだった。
 ところが、冷戦が終わってすごいことが起こった。ソ連、東欧圏が一気に自由市場に入ってきたんです。マクドナルドがどっと拡大できるようになってきた。それから中国十四億人市場が自由解放されたわけです。それから第三世界の国々で、ソ連につくか、アメリカにつくかということを見ていた第三世界の諸国が、ソ連、東欧圏が崩壊してしまったために、全部アメリカの陣営になびいたわけですね。アメリカや日本の資本を進出させ、そちらからお金をもらわなければ、自分たちの経済はなりたたないということで、結局、全部合わせると四〇億から五〇億のアメリカのグローバル市場ができた。今までは一〇億で、一〇億を守るのでさえもあれだけの巨大な軍事力が必要だったのに、今度は四〇億から五〇億のグローバル市場ができてしまった。しかもアメリカを脅かし続けてきたソ連もつぶれちゃった。もうアメリカ一国でもってこの市場をおう歌できるようになったとアメリカはすごい喜んだわけです。

・冷戦後のアメリカの世界戦略と日本への圧力

 これでアメリカは喜んだんだけど、実は同時に困ったんです。四〇億も五〇億もの市場をアメリカ一人で守ることができないわけです。アメリカはもうすでにその段階で世界の警察官として、世界全体に軍事的なプレゼンスを展開している。だけど、アメリカは国内の国会で「冷戦が終わったのに、なんでそんな軍人と軍事費が必要なんだ」という攻撃をガンガン受けるわけです。それでアメリカもそんなに大きな軍事費を確保して、世界的な軍事的プレゼンスを続けているわけにいかない。そこで出てきたのが、NATOと日本に軍事的な協力をさせてグローバル秩序を一緒に守るべきだという圧力。特に日本に対して強烈な圧力がアメリカから加わったんです。
 その理由は、アメリカの財界や政府の立場に立てば当然なんですが、だいたいアメリカ軍の軍事的プレゼンスというのは、世界のグローバルで自由な資本秩序を守るためにやっているんだと。ところがそのアメリカの貢献のおかげで、日本経済がガンガン発達をして、日本は自由に輸出して、アメリカ経済を脅かすような経済発展をしていると。ふざけんじゃないと。アメリカの青年の血であがなって日本の経済が発達する。日本の経済はいまやアメリカの潜在的な敵だというんですね。ソ連に代わって、アメリカの敵は日本になった。その「アメリカの敵」を守るために、アメリカは、アメリカの青年の血を湾岸やなんかで使っているのかと。とんでもない話だと。日本も協力しろと。日本のただ乗り、フリーライドは許さないぞ、と言う要求がアメリカ側から強く出てきた。
 日本の企業もグローバル化をして、軍事的なプレゼンスが必要になった。そこにアメリカの強い要求まで出てきた。今までであれば、どうやってアメリカの要求を排除しようか、というのが日本の保守政治の考え方だったんですが、そうではなくて、そのアメリカの要求は、日本のグローバル企業の要求でもあった。これが日本の軍事大国化というものを生み出していく二つ目の要因になった。
 この二つの要因がくっついて、九〇年代に入って、日本の保守政治が、それまでの小国主義の政治、自衛隊を海外派兵に出さないで、憲法についても憲法の中で自衛隊を大きくしていけばいいやという、そういう考え方を変えて軍事大国化を追求していくようになる大きな背景となっていく。

■日本の軍事大国化を阻む三つの障害物

 ところが、それまで日本の保守政治は、軍事大国化というのをやりたくなかったわけです。やりたくなかった要因はそのまま残っているんです。やらなければいけないと言うのは、今言ったように、日本の企業のグローバル化とアメリカの要求の中ではっきりしてきた。九〇年代に入ってみると、日本の軍事大国化、「普通の国」化はやらなきゃいけませんよと言い出したんですけれども障害物があるんですね。日本の軍事大国化が、ヨーロッパやアメリカの軍事大国化と非常に違ってそのスピードも遅いし、軍事大国とは言えないような状況を作り出すにいたった特殊な要因というものがあると思います。それは日本の軍事大国化を妨げる三つの障害があったからだと思います。

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          〜平和憲法

 ひとつは、憲法です。日本が憲法九条を持っていて、戦争を放棄し、戦力を持たないということは、戦後の日本の軍事大国化に対するきわめて大きな障害物だったと思います。しかし、憲法というのは、実はそれだけとってみてもなんの役にもたたないんですね。憲法を神棚にあげて毎日拝んで暗唱したって、全然それは障害物にならない。たとえば憲法九条がいかに理想的なことを書いてあっても、国会でもって国民の代表がそれを「改正」してしまえば、あっという間にそれは障害物ではなくなるわけでしょ。国民の賛成を得れば、憲法「改正」はいつだってできるわけですよ。だから、憲法というのはただそれだけでは何の力にもならない。
 憲法が力になるというのは、憲法の理念を実現するような政治的な力というのがあってのこと。政治的な力があったときに、いい憲法を持っているか、悪い憲法を持っているかという違いはすごく大きいんだけれども、政治的な力がなければ、いい憲法だろうが悪い憲法だろうが、ほとんど意味がない。だけど、政治的な力、大衆の運動がある場合には、いい憲法を持っているというのは、軍事大国化に対する障害物として非常に大きな力になります。大衆運動をやるときの正当性の根拠にもなるし、保守政治はそれを公然と蹂躙してなにかをやることはできないわけです。いちいち国民に正当化をするための説得をしなければならないので、それは非常に大きい障害物となる。

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  〜日本国民の平和意識と運動

 だけど、憲法を武器にした障害物として、もっと大きいのは日本の国民の平和意識と、平和運動だったと思います。これは先ほど言った安保条約反対闘争だけではなくて、その後の軍事大国化や憲法九条を蹂躙するような動きに対しては、かなり大きな反対運動が起こってきた。

・日本の平和運動の中核としての労働組合運動

 日本の平和運動というのは、私たちが日本にいるから、こういう平和運動が行われてきたことをあたりまえのように思いがちです。たとえば、日本はどこの地域でも労働組合運動が一つの平和運動の中心になってきました。労働組合というのは平和運動をやるもんだというのが、戦後、生きてきた僕なんかにとっては常識なんですが、これは決して世界の常識ではありません。
 たとえばさっき言ったように、十年ぐらい前にイギリスに行った話をしましたが、イギリスの労働組合というのは、日本の労働組合よりも企業に対する規制力から言ったら強いんですね。非常に強い労働組合運動をやっています。その労働組合運動が七月にロンドンで大デモンストレーションをやったんです。それは僕も見に行ったんですけれども、おそらく五万人以上いるデモだったと思います。そのデモは何かということなんですが、冷戦中にNATOはイギリスとフランスとイタリアとドイツで共同開発をして戦闘機を作っていたんです。NATO共同開発の戦闘機というのは、アメリカの戦闘機を買うのはいやだ、EUの自前の戦闘機を持ちたい、ということでNATOが共同開発をして新鋭戦闘機を作っていた。コンピューター系はドイツが分担し、ボディはイギリスが分担することになっていた。ところが、冷戦が終わってソ連がなくなっちゃったわけですから、新鋭戦闘機なんか、このクソ不況の時に作ったってしょうがないということで、構造改革の結果、みんな共同開発をやめちゃったんですね。それに怒ったTUC、労働組合運動が、NATOの戦闘機共同開発を続けろとやったのがこのロンドンでの大デモだったんです。
 それはある意味では当然です。雇用が減るということですから。とんでもないと。だいたい不届きだと。俺たちに相談もなく、戦闘機の開発をやめちゃうなんて。イギリスだけでも続けろと。でもそんなのは絶対無理なんですね。無理なんだけどそういう要求を出す。これを労働組合運動でやったというのに僕はびっくりしたんですね。
 もうなくなってしまいましたが、日本の総評労働組合運動は、そういう自分の雇用が減るという問題にもかかわらず、軍事生産については断固として反対した。それから、そういう雇用の問題とか経済的な問題を考えると、たとえば基地の問題というのは非常に難しいけれども、労働者たちや日本の平和運動は基地反対闘争というのをやってきた。それはある意味では、自分たちの生活というものにとって、ある種の不便とか、ある種の不利ということがあるけれども、そもそも平和な生活、平和な生存というものが確保されてはじめて労働組合運動の前提ができるという考え方があったからです。
 日本の総評労働組合運動というのは、かつて戦争時代に自分たちの労働組合運動というのが弾圧されて、戦争に協力して、日本のあの侵略戦争をやった。その反省というものが日本の戦後の労働運動の原点だったんです。だから日本の労働組合運動は日本の平和運動の常に中心に座ってきた。特に総評労働組合運動というのは、平和四原則以来、常に平和運動の中心に座ってきた。これは、やっぱり日本の平和運動を非常に力のあるものにした大きな原因だと僕は思います。

・日本の労働組合運動の変質と新しい芽〜戦争展

 ところがこの労働組合運動は六〇年代に入ってくると変質を始めるんですね。民間大企業の労働組合運動は、企業の繁栄の中で自分たちの生活を改善すると。だから平和運動とか福祉に反する訴訟に連帯するとか、企業横断的な運動とかはもうやめようと。何人か代表派遣をしてやるけれども、まじめにあんなものをやってお金を使うのはもったいないと。そうして民間大企業の労働組合運動が平和運動から脱落していくんですね。
 一九六五年、僕は浪人していたんですけれども、そのときにベトナム反戦運動があった。僕は浪人していたときに、なんで勉強しないで行ったのかよくわかりませんが、初めてデモに行ったんです。それで、あれが労働者だというのを見ていて、すごく感激したのは、労働者の隊列の先頭に国労とか、動労とか、日教組とかいるわけです。だけど、もうすでにその時点で、僕はそのとき気がつかなかったんですが、ベトナム反戦運動の隊列の中には、六〇年安保闘争のときの一番主力であった鉄鋼労連とか電機労連とか、そういう組合運動はなくなっていたんですね。もうそういう人たちは、そんなものやったってムダだよというかたちでいなくなっていた。だけど、日本の労働組合運動が強かったのは、公共部門の労働組合運動がその後を継いだ。この公共部門の労働組合運動が臨調行革のあたりから、だんだんダメージを受けて、だんだん出るに出られなくなってくる。
 じゃあ日本の平和運動はそれでもう廃れたか、というと、もしそうだったら、日本の軍事大国化はもっと早く進んだと思うんです。八〇年代に入ってくると、今までには見られなかったような運動がいろんなかたちで起こってくるんです。日本の各地の地域で、戦争展というのが、学校の先生とか子供たちとか市民の運動の中で行われてくる。非核の運動というものが、ヨーロッパよりもはるかに強い市民運動のネットワークがつくられて、もともとこの市民運動は労働組合運動と手を組んでやっていたんですけれども、労働組合運動が少し元気がなくなっても、市民運動がいろんなかたちでネットワークをつくって、戦争体験を伝えていくような新しい運動を起こしていくんですね。これは私は、日本の平和運動に新しい生命を吹き込む運動だったと思います。
 たとえば、僕は一九四七年生まれだとさっき言いましたが、日本の国民の中で戦後生まれの人たちが七割五分に近寄っているんですね。つまり、ほとんどの人たちはもう戦争を知らない世代なんです。それじゃあ戦争の記憶、戦争体験というものが受け継がれていかなくなったかというと、そんなことはありません。学校現場では社会科の授業だけではなくて国語の授業でもいろんな授業で、様々なかたちで戦争という問題について考えるような教材とか教育がおこなわれています。こういうことは戦前の日本にはもちろんなかったし、それからアメリカにもイギリスにもないんですね。
 そもそも戦前の日本には戦争体験を教えるなんてことが必要なかったんです。十年に一度は戦争をやってたんですから。一八九四年に日清戦争、その前には朝鮮に侵略してましたけれども、日清戦争が終わって一九〇四年には日露戦争。一九一四年には第一次世界大戦に勝手に参戦し、チンタオを占領した。一九二〇年代には山東出兵をやり、一九三一年には満州事変を始めて中国東北部に侵略して、一九三七年には日中全面戦争をやって、一九四一年にはアジア太平洋戦争をやるわけです。
 体験を教えるどころか、体験をしたくなくたってさせられちゃってるわけですから、学習なんか必要ないんです。〇歳の子供たちも十歳になるまでには必ず一回は戦争を体験する。二〇歳になるまでには必ずもう一回戦争を経験する。そして多くの子供たちは死んでいったわけです。
 あるいはアメリカだって、二十世紀になって、アメリカは二百回侵略戦争をやっているんです。アメリカの国民の中で、戦争を知らない国民というのは、今のブッシュも含めていないわけです。クリントンだってベトナム戦争の世代だし。湾岸の世代もたくさんいますから。そういう状況の中で、アメリカでは戦争体験というものを学習させる必要もないし、学習させる気もない。
 そういう中で、日本の戦争体験学習というのは、これだけ進んで、戦争の記憶のない人たちが七割五分も占めるその国民の中に、「武力によらない平和」という考え方がなお依然として強力に存在する。それはただで存在しているのではないんです。それはまさに五〇年代、六〇年代の平和運動と、それに変わってバトンタッチをした八〇年代以降の様々な地域における市民の平和運動の営みというのものがあったからこそなんです。
 やっている本人たちはあまり自覚がなくて、「なんかだんだんさえなくなってきたな」とか「来年はどうしようかな、あまり盛り上がらなくなってきたし・・・」などと、効果がないと思っているんだけれども、実は思いのほか、相当程度に保守政治を規制し効いているということをきちんと見る必要があると私は思います。そういうことが日本の平和運動を支えて、八〇年代の末ぐらいになるとフェミニズムが、もともとはあまり関心がなかったんですが、強い関心を抱くようになってきた。これらが日本の軍事大国化へのかなり巨大な障害物として存在した。財界、グローバル企業が日本の軍事大国化を言ったからといって、自民党が「はい、そうですか」とぬけぬけとやるようなことはとてもできない状態だった。

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〜アジアの民衆の警戒と反対運動

 そして、第三番目の障害物が八〇年代の後半ぐらいから出てきます。それはアジア諸国の日本の軍事大国化に対する警戒心と反対運動なんですね。九〇年代に入って特に従軍慰安婦の問題とか、日本の戦時下での強制動員に対する戦後補償というような問題を扱うアジアの人たちの運動というものがとても強くなってきた。
 ここでひとこと語っておかなければいけないのは、この運動は日本帝国主義の侵略戦争の記憶に基づく運動だと一般的に考えられている。だから「戦争の記憶」というふうに言われているんですが、私はそうではないと思っています。少なくともそれだけではないと。もし「戦争の記憶」に基づいて、日本帝国主義のアジアへの侵略に抗議するアジア諸国民の運動が起きているのだとしたら、一九四六年頃から盛り上がっていたはずなんですね。ところが一九四〇年代、五〇年代、六〇年代、七〇年代と過ぎて、「戦争の記憶」を持っている人たちが高齢化し次々に死んでいった八〇年代になって、この運動は盛り上がってくるんです。そしてそういう高齢化した従軍慰安婦や戦争体験者、若いアジアの市民たちが手を組んで、日本の戦争責任、従軍慰安婦の問題を扱い、これを追及する運動に八〇年代の後半から立ち上がってくるんです。これは「戦争の記憶」を持った人たちが少なくなった段階になって出てくる。これはどうしてなのか。単純に過去の日本帝国主義の侵略戦争の問題ではない。その背景にあるのは、現代の日本企業のアジアにおけるグローバル化なんですね。

・アジアへの日本の「第二の侵略」

 みなさん、アジアに旅行されると気がつくと思いますが、きわめて好意的ですよね。たとえば韓国に行っても、台湾に行っても、インドネシアに行っても、タイに行ってもそうですが、まず日本語の表示が目抜き通りにはけっこうある。それからインドネシアなんか行っても日本語だけで通じる店がけっこうある。これは日本人にとってみれば、すごく便利なんだけど、考えてみると不思議なことですよね。でも実はこれは、インドネシアやタイやフィリピンの国民たちにとっては、きわめて複雑な気持ちだと思います。かつて自分たちを侵略した連中が再び自分たちのところにカネを持ってきてばらまいていく。そういうところに子供たちが物乞いをしたり、その日本人をタクシーに乗せるために、わざわざイヤな日本の軍歌を歌ってあげたりなんかして日本人を喜ばせている。それは彼らにしてみれば、すごく複雑な気持ちだと思うんですね。
 そういう日本企業、日本人がアジア諸国に出かけて行き、大手を振って歩くのは、さっき言った八〇年代の末からなんですね。彼らにとってみると、日本の企業のこの進出というものは、当然、戦前、戦中の日本帝国主義の侵略戦争と結びつきます。あの当時、日本軍が進出し、日本の国民がたくさん来て、鳥居を建て、靖国神社と称して、そういう方向に向かって参拝を強制した。そういうことをやった奴らが、なんの戦争責任の反省もなく、再びタイやバンコクやインドネシアの街を闊歩している。このまま行ったら、また日本がまた軍事大国になって、アジアにやってくるんじゃないかと。この危機感が、私はアジアの諸国民が、日本の軍事大国化に対する反対運動や、戦争責任問題の追求の運動として立ち上がった原因だと思います。
 その証拠に、フィリピンのレナート・コンスタンティーノという政治学者が、フィリピンに対する日本企業の進出を指して、「第二の侵略」と言っているんです。それは明らかに彼らが「第一の侵略」と「第二の侵略」をオーバーラップさせている。そして、このアジアの諸国民の人たちが日本の軍事大国化に反対して声を上げる。
 靖国神社の問題に対する反応や韓国の様々な日本批判ブームを取り上げて、「そこまでやらなくてもいいんじゃないの」なんて言う人もいますが、「殴った」側はすぐ忘れるんですよね。しかし「殴られた」側っていうのは、そう簡単に忘れてもらっては困るという思いがある。日本は勝手に行って「殴って」いる方だから、こっちはもう帰ってきちゃって「そんな、なにあんたたち、もう忘れてもらいたいなあ」なんて言っているけれども、向こうで「殴られ」殺された方にしてみれば、そう簡単に忘れられるものではないわけです。そのギャップというものに対するアジアの諸国民の危機感というものが、日本の軍事大国化に対するきわめて大きな障害物となってきた。
 軍事大国化をやるには、この三つの障害物。憲法と日本国民の平和意識とアジア諸国民の反対運動をクリアしていかないことには、日本の九〇年代の新しい軍事大国化、グローバル大国化の方向はできないというふうに観念せざるをえない。これでは正面からの軍事大国化なんてことはやろうとしてもできないんですね。そんなことをやったら大変なことになるというのは、小泉さんだって靖国神社で思い知ったわけです。

■九〇年代の日本の軍事大国化の新方式

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 〜大国のナショナリズムを隠す

・国際貢献論

 そこで新たな方法として二つのやり方を、日本の保守政治は新しい軍事大国化の方法として考えたんです。
 一つは日本の大国主義ということを前面には出さないということ。「日本の権益を守る」とか、そういうことを言ったら日本の国民だって反発するし、アジアの諸国民はもっと反発する。日本の軍事大国化、自衛隊の海外派兵をどうやって国民に説得するか。そこで出てきたのが「国際貢献」という議論。いまやグローバル化した世界の中で、冷戦期だったら、日本がアメリカに加担したらソ連と戦争になる。だけど、いまや世界は一つ。そして、イラクとかタリバン政権とか、そういう自由で平和な秩序を乱す、そういう一部の悪漢がいると。こういう人たちを世界の国連に加盟している国々が集まって平和秩序を作るために、これを取り締まろうとしている。そういうときに、日本は憲法九条があるために、軍事的な貢献はできませんと断れるんですかと。そんなことをやって本当に日本の国民は世界の平和に貢献できるんですかと。これが新しい軍事大国化のイデオロギーとして登場した議論です。それを最初に言ったのは、九〇年の湾岸戦争、八月二十九日に読売新聞が社説でこういう議論を展開した。

・憲法前文の再評価論

 今までの日本の軍事大国化を追求する保守政治の人たちやタカ派の政治家の人たちが、一番嫌ったのが国連なんです。それと憲法。ところが同じ保守政治の軍事大国化を主張する人たちが、九〇年を境にして突然、国連が好きになって、「国連の旗の下に世界が平和にやっているのに、国連に協力しなくていいのか」って。おまえら、今までなに言ってたんだって(笑)言いたくなるようなことを平気で言うようになった。もっとひどいのは、憲法「改正」を主張していた人たちが「憲法にいいことが書いてある」と言い出すんですね。それは読売新聞で九〇年の八月二十九日に言った新しい憲法解釈なんですが、どこに「いいこと」が書いてあるかというと、変なところを見つけてきたわけです。憲法前文に書いてあるんですが、「私たちは国際的に名誉ある地位をしめたいと思う」と。「名誉ある地位をしめ」るのに日本は何もしなくていいのかと。憲法前文の精神を生かし、世界の尊敬を受けるような地位になるために、日本は国際貢献をしなければいけないと。九条の考え方を、この「名誉ある地位をしめる」という憲法前文の国際主義の観点から解釈をするということになれば、国際貢献のために自衛隊を出すべきだと。これは侵略戦争のためではないんだから結構なんですよと。こういう解釈を出して登場した。新しい国際貢献のイデオロギーでやってきた。

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〜憲法、安保に手をつけない軍事大国化の追求

 もう一つは、もっと大事な問題なんですが、憲法、安保に手を触れない。憲法、安保に手を触れると、日本の国民はビビッときてたいへんな騒ぎになるし、これに触れると、中国や韓国もどうなるかわからないですから。憲法はそのままにしようと。憲法の枠内でできる範囲の貢献をやりましょうというのが九〇年代の軍事大国化の最大の特徴なんです。九〇年代に入って新しい改憲の動きが起きるんですが、実は憲法「改正」の動きというのはそれほどないんです。で、後で言うように憲法「改正」の動きがラッシュのように出てくるのは、九九年、新ガイドラインの実効体制をつくる周辺事態法ができてからなんです。この時代、九〇年代初めの軍事大国化というのは、憲法には手を触れません。「集団的自衛権の行使は認められない」という解釈についても変えません。それから「日本の武力行使はできない」という解釈も変えません。だからその範囲でやっていきましょう。武力行使にあたらない範囲で日本は貢献しましょう。こういう憲法、安保に手をつけないかたちでの軍事大国化というのが追求された。それをはっきり言って、追求したのが新ガイドライン体制。まさに、憲法、安保に手をつけないかたちで、日本が軍事大国化の第一歩を踏み出すやり方だったんです。
 その証拠に、新ガイドラインをアメリカ側で推進したのが、ジョセフ・ナイという人なんです。一九九五年当時、国務次官補というところにいて、もともと大学教師だったんですが、彼が、「新ガイドライン」をやるときに、「日米の軍事同盟を強化しなければいけない。だけど、日本は憲法改正も安保条約の改正もやる必要はない」とはっきりと繰り返し言っているんです。やる必要がないどころか、やらない方がいいと。なぜか。「憲法改正や安保改正をやると『パンドラの箱』を開けることになる」からだと。「パンドラの箱」の中に含まれているお化けというのは、平和運動のお化けですよ。反発するアジア諸国民のお化け。要するに、彼らにとってみると、あの安保条約改定反対闘争の悪夢がこの「パンドラの箱」を開けたとたんにボロボロ出てくるんじゃないかと。だからこの箱はあけないで軍事大国化をやりましょうと。そのためには、憲法の枠がゴムのように拡大しちゃって、その枠の中でやっていけばいいじゃないのと、これがジョセフ・ナイが言ったことなんですが、ここに象徴されるようなやり方というのが、日本の九〇年代軍事大国化のやり方だったわけです。
 ですから、この段階では軍事大国化の方向というのは、必ずしも有事法制とか憲法「改正」とかと結びついていなかった。ここが重要です。だから、軍事大国化が始まったのは九〇年代初めなんですが、有事法制がそれから十年たって出てきているというギャップがある。じゃあ、新しい軍事大国化で、「国際貢献」のために、憲法、安保にも手をつけないで、日本が軍事大国になるというのはどういう路線だったのか。

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■新ガイドライン体制と軍事大国化

・思い通りにならなかった国連

 最初に日本政府が考えたのは、またアメリカもそれでいいんじゃないのと言ったのは、国連を使うことです。国連のPKO、あるいは国連の多国籍軍の中に日本の自衛隊が参加していく。だけど日の丸は掲げない。国連旗の下で、「国際貢献」のために日本の軍隊を外に出していく。国連のためだから、侵略じゃないんだからいいじゃないかと。これが基本的な追求で、九二年に社会党や共産党の大きな反対を押し切って、PKO協力法が通ったのは、この第一歩だった。
 だけど、国連に軍隊を派遣するだけでは、日本の権益を守るために国連は使えませんから、国連安保理の常任理事国のイスを取りたいと。そのためには、ODAのカネをばらまいて、国連のPKO部隊を派遣して、国連安保理常任理事国を取って、そして日本が国連を媒介にしながら日本の多国籍企業の権益を守っていくと。これが一番いい方法だし、国民やアジアの諸国民に対しても一番これが説得的だと。これならみんな反対しにくいだろうと保守政治は思ったわけです。
 だけど、これは九三年ぐらいに放棄されちゃうんです。それはなぜかと言うと、国連はそう簡単に使い勝手のいいものではなかったということなんです。もともと、なんで国連が使えるようになったかというと、安保理常任理事国五大国のうち、二つの敵対国であるソ連と中国のうち、ソ連が崩壊した。中国もアメリカや日本の資本が欲しくなったということで拒否権を使わなくなった。つまり、五大国が北側の大国の利害を守るために、拒否権を使わなくなった。それどころか、今度のタリバン政権攻撃でもそうですが、中国、ロシアと組んでアメリカはやったわけです。そういうことが可能になったことが、日本の軍事大国化に国連を使う、というふうに発想が転換されたすごく大きな原因なんですが、だけどそうは言っても、国連の百数十カ国のほとんどは途上国ですから、開発途上国の国々が、北側の日本とかアメリカの言うままに「はいはい、そうですか」というかたちでガンガンやれるかというとこれはなかなか難しい。安保理の常任理事国の位置が取れたとしても、安保理総会でもって、そういうアメリカや日本に都合のいいような決議がどんどん通るかというとそう簡単ではない。
 たとえば、この間の湾岸戦争ではそれが通ったけれども、今回のタリバン政権攻撃については、ついに最後まで国連の安保理で、タリバン政権への軍事攻撃を含む共同行動をやるという決議は取れなかったわけですね。だから、しょうがないからNATOは集団的自衛権の行使というかたちで出たし、アメリカは国連の決議が取れなかったから、個別的自衛権の行使というかたちでタリバン政権を軍事攻撃したわけです。それは国連が使い勝手が悪かったから。やっぱり国連の中にいる諸国から異論が出るという問題に当然、直面しますし、いわんや国連総会の中では、日本やアメリカの言うなりになるということは絶対にない。

・日米軍事同盟利用路線へと転換

 そして国連利用をあきらめたのが九三年です。クリントン政権になってから、アメリカはもう国連を使うのはやめたと。単独でもアメリカはやるぞ、というふうに決意をして、それに応じて日本も国連を使うことはやめた。それに変わって出てきたのが、日米軍事同盟を使うということなんです。日米軍事同盟の傘の下で日本はアメリカに協力をすると。
 しかし、日米同盟の場合に日本とアメリカが対等に、日本の国旗とアメリカの国旗を並べて、両方が軍艦を出して、あるいは両方、陸上部隊を出して、戦闘行動に参加する。そんなことをしたら、おしまいだと。
 だから、アメリカに矛(ほこ)になってもらう。日本は盾(たて)になる。つまり日本は後ろでもって後方支援を行うと。だけど軍隊というのはそもそも八割方が後方ですから。その八割方を日本が実質的に担う。自衛隊も後方を担い、そして自衛隊だけではなくて民間も後方部隊を担う。現代の戦争においては、この後方部隊の方が結局のところ重要なんですね。ここを担うことによって、日本は軍事大国化をするし、だけど槍(やり)の役割はアメリカに担ってもらうことによって、アジア太平洋地域において紛争が起こった場合には、日本は後方でしかいけないけれども、アメリカに日本の権益も一緒に守ってもらう。その代わり、日本はアメリカの軍事行動を後方から全面的にサポートする。こういう新ガイドライン体制によって、日本の新しい軍事大国化のまず第一歩を踏み出そうじゃないかというのが、日本の新らしい戦略だったんだと思います。
 司馬遼太郎さんという人が「坂の上の雲」という日露戦争の本を書いていますが、あれを読むと「後方」というのが当時からいかに大事か。「後方」がなければ戦争はできないというのがよくわかります。別に司馬遼太郎さんの本を読まなくても、たとえば湾岸戦争やタリバン政権への軍事攻撃のことを考えてもそうですが、「アメリカ軍が精鋭だ」ということはどういうことかというと、アメリカ兵がみんなミサイルを担いで歩いているという意味じゃないんですね。「米軍が出動する」ということは、武器だけかついで出動するわけじゃないんです。食料から衣服から、休養の施設から、コンピューター、パソコン、パソコンゲームも含めて、全部をセットにして持っていくわけです。湾岸戦争の時には、シャワーがなかったので、簡易プールを大量に持ってアメリカ軍は出かけていったわけです。そういう大量の後方支援というのは、一般的には「民需」と言われているやつですけれども、これの力というのはものすごく大きい。それから兵器だけをとってみても、今の最新兵器の八割はコンピューターなんです。ですから、コンピューターの調達能力と修理能力がなければ兵器そのものが直せないんです。

・現代の「軍事大国」の条件

 だから、よく軍事オタクの人たちが、イラクは軍事大国だとか、タリバンは軍事大国だとか、北朝鮮は軍事大国だとか書いてありますが、それは絶対に間違いです。現代の戦争というものは、コンピュータだけではなくて、技術的な生産能力がなければ、戦争なんかできません。いくら高価なミサイルを十発ぐらい買ったり、ライン生産でもって技術者を雇って生産したって、十発撃ったらおしまいでしょ。戦争なんかできませんよね。だって、アメリカはタリバンにミサイルを含めて数万発を発射しているわけでしょ。一発何億というようなミサイルを何千発と撃っているわけですから、それだけの経済力を持った国、戦争をできる国、軍事大国というのは、もうアメリカと日本とあとイギリスぐらいですか。それ以外はもう軍事大国にはなれないですよ。それを今、一生懸命、経済的な部分を削りに削って追いつこうとしたのが中国ですよ。ソ連はその競争に負けて、経済的に破綻してしまったわけです。あれはもう完全に軍拡競争でアメリカにくっついていったために、運営費が切れて、経済が破綻したということですよね。社会保障もつぶしてああいうことになっちゃったわけで。そういう意味で言うと、「戦争をやる」ということは経済的な力ということが非常に重要なわけで、それを日本が全面的にバックアップする。これが新ガイドライン体制なんです。

・アメリカが本当に欲しかったもの
 〜日本の強大な技術と生産力

 みなさんもよくご存じだと思いますが、日米軍事同盟で、実はアメリカが一番欲しいもの、これが有事法制にかかわってくるんですが、自衛隊の参戦もさることながら、実は自衛隊の参戦はおとりなんですね。私はアメリカが、自衛隊の参戦の中で一番欲しいものはイージス艦とか情報収集とかだと思います。これは欲しい。だけど、これはアメリカが日本にお金を出させて、日本の自衛隊に買わせたイージス艦ですから。要するに、本来はお金があれば、アメリカがそれを使いたいんだけども、まあ日本なら安心できるからと。だから日本には使ってもらわければ困ると。しかし、それ以上に日本に対して一番求めているのは、日本の強大な技術力と生産力です。
 たとえば、アメリカの戦艦というのは、航空母艦もそうだし、原子力潜水艦もそうですが、八割がコンピュータだといわれています。そして世界の基地の中で、この修理能力を持っているのはアメリカの東海岸の基地と、日本の佐世保、横須賀の米軍基地しかないんです。ここしかない。そしていまや佐世保、横須賀の能力は、アメリカ本土の基地を上回ると言われているんです。ただ難点は物価が高い。だから基地の外に外出して兵士たちがバーに入るとべらぼうな額を取られるので、ストレスを解消できないと。その条件を除けば、佐世保、横須賀こそが、実はすべての修理能力において一番大きい。逆に言うと、ここがないとイラクに対する戦争も、タリバン政権に対する攻撃も、米軍が世界で起こす戦争はできないということなんです。
 この日本の力を米軍の戦争において全面的に協力させる。修理、補給、調達能力を全面的に動員する。これが新ガイドライン体制なんです。その横須賀、佐世保の修理能力を戦時において使いたい。そこで修理したり、そこを母港にして出発したい。そのときに日本が強大な力を持っているのは、アメリカ本土に匹敵するような、巨大な調達能力なんです。食料をはじめとするすべての生産物がそこでそろうわけです。だけど、それをやるには、横須賀一港だけではできないわけですから、そのまわりの太平洋岸の様々な港から一斉に輸送をできるようにする必要がある。
 ところが、日本の港や空港の八割は地方自治体の管理なんです。それらの地方自治体の管理にあるローカル空港とローカルな港湾を、アメリカは戦時体制のときに、全面的に動員して使いたい。これが実は新ガイドライン体制の中でのアメリカの本当の要求なんですね。だけど、さすがにそうは言えないから、自衛隊を動員しろと。おまえら、もしそれができないんだったら、せめてこのくらいはやれよと。カネと修理、調達能力。こっちを取りたい。だから、自衛隊というのは彼らにとっては象徴なんです。だけど、日米軍事同盟というのに軍隊抜きで修理と補給だけをやってくださいとは、さすがに言えませんから、日本の自衛隊に全面的な後方支援を頼むと。そして軍艦もそうだけども、普通の輸送艦も含めて、自衛隊にそういう油や武器を運んでもらう役割を果たしてもらう。これが新ガイドライン体制だし、日本ではこの方式しかなかったんですね。この方式しか日本の国民やアジアの諸国民を納得させながら、軍事大国化に向けての一歩を踏み出す方式がなかったためにこれをやった。

■周辺事態法成立と日本の軍事大国化の新段階

 そのような経過で、一九九七年に新ガイドラインが結ばれて、そして九九年の第一四五国会で周辺事態法が成立した。とたんに局面が大きく展開します。私もその九九年を知っていますが、予想を超えるような事態の変化というものが日本の国内で起こってきます。それはなにかというと、周辺事態法が通って、いよいよ新ガイドライン体制を実行するために、アメリカと日本の政府、財界も、この新ガイドライン体制の下で、それを運用するための体制ができると思ったら、なんと、アメリカとそれに相次いで日本の側からも、一斉に周辺事態法に対する不満が噴出したんですね。こんなもんじゃだめだと。ないよりはあった方がいいけれど、こんなもんじゃ不十分だと。これをもっと充実したものにしなければいけないという要望が出てきた。

・日本の保守政治がもった自信

 それから、日本の側でもある変化が出てきた。一四五国会というのを今から思い出してもらえばわかるんですが、小渕内閣のときの一四五国会で周辺事態法が通った直後に、日の丸・君が代の法制化、国旗国歌法が通った。有事法制と同じように国旗国歌法も保守政治が何度も出したいと思いながら、かつて一度も出せずにきた法律がいきなり登場して通ってしまった。そして同じ国会で、憲法調査会を国会に設置する国会法「改正」が通ってしまった。今まで、国民が反対するだろうから、軍事大国化のためには憲法はそのままにしておきますよと、日の丸、君が代のようなナショナリズムは言いませんよ、と言っていたものを次々とやって通ってしまった。これは明らかに、周辺事態法が通ったという効果と同時に、周辺事態法を画期に軍事大国化が新しい局面に入ったというふうに思います。なぜ国旗・国歌法とか、憲法改正を求めるような憲法調査会法というものが通ったのか。二つの理由があります。
 一つは自信がついたということ。憲法とか市民運動とかアジア太平洋諸国の反対とか、こういう障害物を保守政治は慎重により分けながら、軍事大国化を進めてきたんですが、周辺事態法を通してみると、なんだ意外に簡単じゃないかと。恐れるに足らず。張り子の虎。市民運動はたいしたことない。これは突破できる。というふうに思った。これはひとつあると思います。完全に我々を甘く見た。非常に大きな反対運動の盛り上がりというものに欠けた。マスコミはほとんど反対運動を報道しなかった。様々な市民運動は全国各地で行われたけれども全く知られないままだった。
 これで保守政治の側は、自信がついたために、憲法とか、国民の平和意識を過度に警戒する必要はない。憲法「改正」も打って出ようじゃないかと。そもそももう周辺事態法は通っちゃったわけだから、これで憲法改悪を出して大騒ぎになったって、ぜんぶなくなっちゃうということはない。周辺事態法はすでにあるんだから。もう最低限のものは取ったという安心感もあったと思います。憲法改悪とか国旗国歌法も出してきて、さらに自信をつけたことには、これもまた通っちゃった。ここで保守政治の側の市民運動や反対運動に対する警戒心が少し薄まったという問題があると思います。

■成立した周辺事態法への日米双方の不満

 しかし、日米の双方には成立した周辺事態法に不満があったんです。その不満は大きく言って、三つの不満と一つの不十分さがありました。周辺事態法を通したんだけれども、新ガイドラインと周辺事態法の間にはあるギャップがあると。周辺事態法を国会で通すために小渕内閣は様々な譲歩を余儀なくされたんですね。社民党と共産党をあわせても四〇議席とか五〇議席以下だったけれども、とにかく民主党とか公明党も含めて賛成にまわらせるためには、いろんな譲歩を日本の国会ではやらざるをえなかった。それがアメリカにはおもしろくなかったんですね。日本の財界にとってもおもしろくなかった。さらに日米軍事同盟は、まだ周辺事態法を発動したことがないですから、発動してほんとうに機能するのかという疑問が生まれてきた。

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 〜限定されてしまった「周辺」

 第一に、周辺事態法は、日本周辺における平和と安全に重大な事態のときに、米軍の戦闘作戦行動に日本の自衛隊や日本の後方支援を全面的に行う、というんですから、日本の周辺で起こった事態で、米軍が出動した。それにだけ日本の自衛隊や地方自治体や民間は協力をするとあるんですが、日本の周辺以外のところだったらどうなるの?という問題がある。
 ところが、今、アメリカを見るとわかりますように、アメリカが今、最大に狙っているのはイラクです。この間やったのは、タリバン政権です。その前はコソボです。それから湾岸でしょ。アメリカの九〇年代におけるグローバリゼーションのための戦闘作戦行動は、全部日本の「周辺」ではないんです。
 もともとアメリカは、日本に対して、アメリカのグローバルな軍事活動を全部協力させるつもりだったので、「周辺」と言う言葉は地域的じゃないんだよと盛んに言っていたわけです。それで地域的ではない。機能的だっていうのはどういう意味かというと、地域的には離れていても、たとえ地球の裏側であっても、日本の安全に密接な関係があれば、これは「周辺」だと。日本の経済に密接に関係があれば日本の「周辺」だと。
 江戸時代に、高野長英という人が「江戸湾の海はロンドンに通ず」って言ったんですが、これは日本の「周辺」という考え方。なぜならば、一つの海でつながっているじゃないかって。同じ考え方を適用したのが「機能的」という意味。「地域的」じゃないと。ロンドンはすごく遠いけど、機能的には周辺だと、こういう考え方を適用しようとしたんですが、さすがにそんなものは国会で通じもしないわけです。もう社民党とか共産党の議員が繰り返し、周辺ってなんだ、周辺ってなんだ、はっきりしないじゃないかと言うわけです。結局、手をうったときに、小渕さんはどんどん後退をして、「地球の裏側は周辺とは言わない」とか、それからついに「インド洋は周辺とは言わない」とか言っちゃったんです。
 そして今度、インド洋でしょ。これはもう適用できないということになるじゃないですか。国会で言ったことというのは意外に効いているわけですよ。実はそれをやっぱり裏切って何かをするということは、国民が寝ている状態のときはやれますが、国民が様々に反対運動を起こしているときは、国会での発言というのはものすごい重みを持ってくるわけです。これではイラクにはいけない。これがひとつです。おまえ、そんなこと言って大丈夫なのというのがアメリカの不満です。

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    〜「後方支援」の限界

 二番目の不満は、集団的自衛権の行使は禁止されているという解釈は変えません。これを変えたら、大騒ぎになって、蜂の巣をつついたようになるから変えませんと言って、周辺事態法を通したわけです。そのためにわけのわかんない解釈をいろいろやった。周辺事態法で日本は後方支援に協力するけれど、それは集団的自衛権の行使じゃないかと社民党や共産党は追求する。いや、ちがいます。じゃ、どうちがうんだ。日本はアメリカ軍の戦闘作戦行動に、戦闘行動で参加するということはしない。だったら戦闘行動をやっているところに参加したらダメじゃないか。いや、戦闘行動とは一線を画して、戦闘地域とは常時離れたところで日本は補給をする、と言ったわけです。
 そうすると、どうなるかというと、自衛隊が石油を輸送する、武器弾薬を輸送する、その向こうではドンパチやっている。じゃあ、もう米軍がドンパチやっているところに日本の自衛隊はいけないのかって。米軍にインド洋海域からちょっと離れて中継点まで来てもらって、日本もそこまでいくから、まあここで受け渡しを頼むよ、なんてことはできっこないわけです。それなら輸送とか補給とかの都度、またあいだに米軍の艦船を挟むのか。そんな馬鹿なこと、できっこないだろうっていうふうに、米軍としては当然思いますよね。だけど法律だからしょうがない。そうじゃないと武力行使と一体になったものだということで、国会を通らない。こういうことで、「戦闘地域には行かない」とか、「戦闘行為と一体になった行動はしない」とか、まあいろんなことを言うわけです。
 そうするとそれは、僕らから聞いていると、そんなことを言って、結局のところ現場ではやってしまおうとしているんではないかと思うんですが、しかし国会での発言はそれなりに手をしばられるわけです。それがものすごく重要なんです。やっぱり行けないんです。行けないとアメリカ軍としては非常に不満がつのるわけですね。
 「武器弾薬は輸送はするけど、調達はしない」とかね。それじゃあどうするんだと。まずアメリカ軍が買って、それを日本の軍艦に積み込んで、それを持っていくのかと。そうしないと「輸送はするけど、調達はしない」なんてどうすればいいのか。それから戦闘地域と離れたところで武器弾薬をどうやって渡すのかとか。わけのわかんないことになるわけで、そういう限界がある中で本当に後方支援ができるんですかと。
 しかも武器使用基準はきわめて厳格に「周辺事態法」では決められているんですが、じゃあアメリカ軍を支援のために日本の艦船が補給にインド洋に行ったときに、タリバン政権は絶対そんなことはありませんが、イラクだったらもしかしてミサイルを日本の艦船に向けて撃つかもしれない。そのときに、アメリカ軍にそのミサイルから守ってもらうんですかと。冗談じゃないよとアメリカ軍はいうわけです。本当に戦う気があるんだったら、そういう足手まといはやめてくれと。集団的自衛権の行使はちゃんと認めろという要求が当然、二番目に出てくる。

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 〜自治体、民間を強制できない

 三番目に、アメリカ軍が本当に欲しいものというのは、さっき言ったように、自衛隊じゃないんですね。油とか武器弾薬とか食料品とか、補給、修理能力と日本の豊富な物品を調達したい。これがいちばん欲しいんです。そのためには何が必要かというと、周辺事態法九条でもって、この後方支援のためには、周辺事態に際しては、米軍の支援のために、地方自治体と民間に協力を求めることができるという規定を入れたんです。アメリカはこの条項が欲しかった。
 ところが、ここがアメリカが不満だったことなんですが、協力を求めることはできるのに、もしノーと言ったらどうするか、という規定がなかった。求めることはできても、協力を義務づける規定がない。協力する責務を日本は持っているという規定ではないんですね。
 たとえば、高知県の橋本知事が今、有事法制に反対していますから、「私の高知県の港湾、空港は拒否します」と言った場合に、ふざけんじゃない、やりなさいという強制ができるかというと、この規定ではできないんですね。強制をする規定があってはじめて、アメリカ軍としては全面的に日本に協力をさせることができるんですが、それはできなかった。それはなぜかというと、もしそんなノーと言ったら制裁ができるような規定があったら国家総動員態勢じゃないかと言って攻撃を受けるのが怖くて、最後の段階で制裁措置をはずしちゃったんです。だけど、アメリカとしては非常に不満ですよね。おまえら、ノーと言ったらどうするんだと。
 で、日本の側は大丈夫ですと。ノーと言わない態勢をつくっていますと。どういう態勢なのか。それはお金をばらまいているんですね。たとえば、クロネコヤマトがノーと言わないように、クロネコヤマトについては、郵政についての様々な運輸省上の特権利益を与えているわけですから、もしクロネコヤマトがノーと言おうものなら、そういう利益政治の特権を奪ってしまうよと。
 この例としては、モスクワオリンピックのときに、日本政府はボイコットをいち早く宣言したことがあった。モスクワオリンピックに参加したいという選手がたくさんいたなかで最終的にオリンピック参加を断念させたのは、オリンピック協会に対して補助金を出さないよと。あんたたちそれで選手を強化できるのかいと。こういう脅しをかけて、自民党的な利益政治、「ムネオ」的手法でもって脅しをかけてノーと言わせない態勢をつくると強弁した。アメリカは、そんなこと言って、本当に大丈夫なのかよという不満があるので、これについてはきちんとした態勢をとってもらいたいという要求が強い。それで有事法制をつくってもらうと。

・アーミテージ・レポート
   〜日本に有事法制を要請

 そういう眼で日米の不満を眺めて見ると、一番有名なアメリカの不満は、二〇〇〇年の一〇月に、アーミテージ・レポートというのをアメリカが出すんです。これはブッシュ政権の国務副長官アーミテージが中心になって書いたレポートなんですが、ジョセフ・ナイも作成には参加していて、自分たちが中心になって「周辺事態法」をつくっておきながら、この周辺事態法は不十分だと書いてある。周辺事態法は目標ではない。土台だと。英米同盟と同じような目標とするために重要なことが二つあると。一つは、集団的自衛権が行使できないなんてことは解釈を変えろと。そして日本がアメリカと全面的に協力して軍事行動を起こす。そういう態勢をつくれと。
 もうひとつは、有事法制をつくれ。本当にアメリカの戦争に、日本が全面的な支援態勢をとるときに、日本の自治体と民間にノーと言えない協力態勢をつくれと。この二つのことを実施してくれというのが、アーミテージ・レポートの中身。
 この同じ頃、実はアーミテージレポートがあるから、これはしょうがないなと言ってこの見直しに手をつけようとしたんですが、日本の財界、経済同友会や自民党国防部会、世界平和研究所っていう中曽根さんがつくっている研究所や、防衛戦略研究会議や、防衛庁がつくっている研究所なども一斉にレポートの中で同じことを言っているんです。この人たちもみんな周辺事態法をつくった張本人たちであるにもかかわらず、周辺事態法はきわめて不十分であると。日米軍事同盟が本当に機能して、軍隊を守ることができるためには、周辺事態法を強化して、集団的自衛権の見直しと有事法制の実現が必要なんだと異口同音に言うようになった。その背景にあるのは、さっきいった周辺事態法の限界を突破しろという要求なんです。

■小泉政権の登場と
 九・一一テロ事件以後の新段階

・軍事大国化への正面突破戦略

 ここで小泉さんが登場するわけです。小泉さんは「聖域なき構造改革」ということで登場したんですが、実は四月二十七日の小泉さんの就任直後の記者会見では、軍事大国化についてもかなりの程度しゃべっているんです。小泉さんは自民党の総裁選挙の時に構造改革についてしゃべりすぎたんで、記者会見の時には、どっちかというと軍事大国化の方をたくさんしゃべったんです。しかし、マスコミは全然取り上げなかった。昔だったら、マスコミはものすごく取り上げたと思います。何を言ったかというと、憲法の見直しが必要だと。それから九条の見直しが必要だと。それから集団的自衛権の行使ができないなんていうのは常識に沿って解釈を改めるべきだと。それから有事法制をつくる必要がある。靖国神社に参拝する必要がある。これ、みんな言っているんです。
 実は憲法「改正」を自分の内閣の中でやりたいと言ったのは自民党創立以来、小泉さんが初めてなんです。歴代内閣総理大臣の中でただ一人として自分の内閣の中で憲法の見直しをしたいと言った人はいない。それどころか、池田内閣以来、ずらっと一連の内閣総理大臣は、細川さんも羽田さんも含めて、総理就任直後の記者会見で必ず慣行として聞かれるのが、「あなたの内閣の下で憲法改正いたしますか」ということなんです。そうすると「私の内閣では憲法改正は考えていない」というのがすべての歴代総理大臣の一人の例外もない慣行なんです。それを破ったのが小泉さんなんです。それを新聞が報道しないというのは、新聞はそういう歴史を知らなかったし、憲法「改正」という小泉内閣のコメントの重大さについて知らなかった。小泉さんは知っていたと思います。七〇年からずっと彼は議員をやっているわけだし、歴代の内閣総理大臣が記者会見でなんと言っていたかを彼は知っていて、それをわざとひっくり返そうとした。
 なんでそんなことをやったかといえば、さっきいった新しい軍事大国化。周辺事態法の限界を突破して、集団的自衛権の見直しをやる、有事法制をやる、これをやったら憲法の見なおしをせざるをえない。じゃあ自分がやってやろうじゃないか、というのが、彼の国民の人気を背景にした自信だと思います。彼は正面突破を考えていた。ところが、失敗しちゃったんです。小泉さんが最初に手をつけたのが、簡単に自分の決断だけでやれて、一番うまくいくだろうと考えた靖国神社の参拝。しかしこれをやって、第三の障害物を軽視し過ぎていたことに気がついた。アジア諸国民がこんな反撃をするとは思っていなかった。それで、正面突破作戦について小泉さんが意気消沈したところで、小泉さんにとっては「神風」が吹いたのが九・一一のテロ事件だったと思います。これでもって、彼はその後の軍事大国化の新しい段階への局面をスムーズに展開することができた。テロ対策特措法をわずか数十時間の審議で通してしまった。

・テロ特措法成立と
    自衛隊の初参戦の意味

 ここでなにをやったかというと、まず最初にテロ対策法は、少なくとも九・一一のテロを撲滅するという理由ではあるけれども、初めて日本の自衛隊が戦争目的で参戦し、しかも周辺事態法の「周辺」に入らないインド洋に行くことができた。地理的限界を突破することができた。これで、もし九・一一のテロ犯人をかくまっているとか理由がつけば、イラクだろうがスーダンだろうが自衛隊を派遣することができる。これはアメリカにとってみれば、周辺事態法の大きな限界を突破してくれた。戦後史の転換だと私が思うような大きなことをやった。
 しかし、それでも集団的自衛権の見直しはできなかったんです。時間がなくて、すぐに行かなければいけなかったから。できなかったんですが、国会での質問でも明らかなように、NATOが集団的自衛権の発動としておこなったようなことは全部、日本はやったんです。陸上部隊の派遣以外は全部やった。つまり、「集団的自衛権の行使、武力行使と一体となったことはできない」と称しながら、実質上、集団的自衛権の行使にあたることを大きく前進させた。

・論理破綻の中でなし崩しに進められる集団的自衛権の行使

 しかし、そのために、小泉さんや中谷防衛庁長官はすごい困った解釈をせざるをえなくなったわけです。このとき、ミサイルを発射する米軍艦船に日本の護衛艦が補給をしたわけですが、それは「戦闘行為」じゃないかと。あたりまえですけど。なぜならば、ミサイルを発射したその海域に入っただけで、アメリカ軍の兵士たちは戦時手当をもらっているわけです。つまり、アメリカの軍人たちが戦時手当をもらっている、その領域に日本の自衛隊も入っていって給油をしているわけです。そのときに中谷さんがなんと答えたかというと、巡航ミサイルがまっすぐにタリバン政権に飛んでいった場合には戦闘行動だと。しかし、途中を経由して行った場合には、そのミサイルが必ずしもタリバン政権に行くかどうかわからない。これは戦闘行為とはかならずしも言えない、なんて、そういうわけのわからないことを言っているわけです。
 それからもう一つは、反撃をくらわない場合には、必ずしも戦闘行為と一体化したとは言えないとか、じゃあ、塹壕に入っていて安全にバンバン撃っていたり、あるいは一方的に日本が日本海側から北朝鮮に攻撃して、北朝鮮はそんな長距離のミサイルを撃ち返せなかったとしたら、それは「戦闘行為」ではないんですかと。軍事専門家はみんな笑いをこらえて言っているわけですが、そういうことを政府が言わざるをえないというのは、集団的自衛権の行使はできない、ということで言っているわけです。だけど、そうは言っても、いろいろ限界がありながらも、とにかく集団的自衛権の行使については大きく拡大をした。

・「テロ特措法」の限界と保守政治の新たな課題

 じゃあ、テロ対策特措法を通して、自衛隊が参戦して、これで万歳。日本の軍事大国化は完成したのかというと、年末に入って小泉さんが思ったのは、自衛隊を参戦させてみて、また日米の軍事同盟を実際に作動させて、軍事大国化、「普通の国」化の完成にとって、あらためて大きな限界がある、新しい課題があることに気がついた。これが今年の年初における小泉さんの立場だと思います。三つのポイントがあります。

q「テロ特措法」の限界@r

 〜「9・11事件」以外に使えない

 ひとつは、九・一一のテロを口実にして、自衛隊は海外に出動した。しかも一気に「周辺」の限界を超えてしまった。しかし、このとき、テロを口実にしたということは、九・一一のテロ対策以外では使えないことになる。たとえばブッシュ大統領は、施政方針演説で、「悪の枢軸」を攻撃すると言っていて、最初に狙うのはイラクだと言っている。次は北朝鮮、イランだと。イラクとかイランがタリバン政権をかくまっていないというのはアメリカも認めているんです。しかし、アメリカは今、一生懸命、証拠を探しています。ビデオやフロッピーを懸命に探している。それは何の証拠を探しているかというと、タリバン政権とイラクとの関係を探しているんです。だけど見つかってないんです。でもアメリカは関係なくてもやると言っているんです。だけど、日本の側に立ってみると、イラクがもしタリバンと関係ない場合には、これは後方支援ができない。それをやるには国際テロ撲滅支援法みたいな法律をつくって、九・一一以外の問題についても自衛隊は行くよ、後方支援するよという法律をつくって、テロ対策特措法を拡大しないとこれはできないんですね。そして、これをやるということを小泉さんは考えています。

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 〜後方支援に法的強制力がない

 小泉さんのブレーンで岡本行夫という人がいるんですが、この人がワシントンレポートというアメリカが軍事雑誌にレポートを書いて、その中で国際支援法が必要だと言っているんです。つまり、周辺事態法の地域以外のアメリカの軍事作戦に対しても日本は後方支援をする、こういう法律をつくりたいと。つまり「九・一一テロ対策特措法」をもう少し一般化したいと。
 もうひとつは、さっき言った後方支援態勢を確保するための有事法制が必要だと。国民を動員する。自治体にノーと言わせない態勢が必要だと。

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 〜自衛隊の参戦体制がない

・慰霊施設

 自衛隊が参戦をする。日本が戦争態勢に入るときに、世界中のどんな軍隊も持っていて、日本にはないものがある。なにか。たとえば、日本には戦死したときに慰霊の施設がないんですね。どうなっているかというと、自衛隊が交通事故やなんかで殉死したら、護国神社にまつっているというのが多いんですね。これも山口県で自衛官の合祀違憲訴訟が起こって、最高裁判決が出てからは、国家的な施設にしてこれができない。死んだら犬死にだ。国はどうしてこれをまつってくれるのか。ここで出てくるのが靖国なんです。小泉さんは意地でもってとか、遺族会の票が欲しさに靖国に行ったわけではないんですよ。自衛隊が参戦すれば、当然いつかは戦死者が出る。いつかは戦死者が出たときには、それをまつる慰霊施設をつくらなければいけない。一番手っ取り早いのは靖国だけど、靖国がダメなら公的な慰霊施設をつくる。靖国とは別に非宗教的な施設をつくる。どっちだっていいんです。小泉さんが本当に考えているのは僕はこっちだと思います。しかし、そのためには靖国に行って、やっぱり叩かれなければいけないんです。叩かれれば靖国とは別のものをつくる。あるいはもし叩かなければそのまま靖国に行っちゃう。いずれにせよ、靖国には行く。これが小泉さんの第一の路線。

・自衛隊の戦死手当、勲章、恩給

 それからもう一つは、自衛隊員が戦死したときの手当ですね。これは今度の自衛隊法の改正でもって入っていますが、これだけでは不十分なんです。勲章もない。それから恩給もないんです。
 こういうものをやっぱりちゃんとつくっていかないと、国外で戦争をする体制、戦前並みの戦争をする体制はできない。この三つくらいが重要な課題としてある。

 そうして、小泉内閣が第一にやったのが有事法制です。とにかくテロ対策支援で、もしかしたらテロ対策特措法でイラクにいけるかもしれない。そのときに日本の側としては戦争体制の靖国も必要なんですが、なにしろ今、アメリカが日本に一番やってもらいたいのは、今年末にもイラクに軍事攻撃にいくときに、日本に全面的に協力してもらうために一番必要な地方自治体と民間の強制動員体制をつくってもらいたい。これがアメリカにとって有事立法が一番必要だとする理由です。
 小泉内閣にとってみると、三つのどれからやるかと考えたときには、自分が内閣の課題として約束した有事法制。そして実は九・一一テロ事件が起こる前には臨時国会に出そうと考えていた有事法制を最初にやりたい。このようなかたちで、アメリカの要求と小泉さんの要求とが一致して出てきたのが今回の有事法制なんですね。

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q有事立法の内容と問題点r
(一)武力攻撃事態法

 そこでそういう視点から、次に有事立法の内容を解説したいと思います。三つの法案がありますけれども、時間の関係で今日は、一番大事な「武力攻撃事態法」について中心的に解説をしたいと思います。

■日本への武力攻撃は考えられない状況下での法案

 法律というものは、今まで話してきたようなつくる側の思惑というものを念頭において、つくる側の立場から読んだほうがいいんです。法律家は、法律をわざと難しくつくっているんではなくて、国民に有事法制が必要なんだよ、ということを納得させつつ、自分たちの要求を実現するためにつくっているんです。そういう見地からみるとなにが重要かというと、政府与党は、有事法制について、日本が武力攻撃を受けたときに対処する法制だとずっと説明してきた。だけど実はそれだったら、そんなものは意味がないんです。
 なぜかというと、日本が攻められたときに対処する法案が必要だ、と言うけれども、政府の高官だって、防衛庁長官の中谷さんも含めて、再三再四にわたって、当面、近い将来にわたって日本が攻められるような事態というのはありませんよ、と答えている。そのときに念頭にあるのは北朝鮮と中国ですが、これらの国が日本を攻めることは当面ありませんよと。軍事評論家とか軍事専門家とか防衛庁の制服組でもって、日本が北朝鮮や中国に攻められることが近々ありうるとか、将来的にありうるとか思っている人はほとんどいないと思います。むしろ、日本が攻めることはありえますけれども、攻められることはない。だったら、そういう日本が武力攻撃を受け、戦場になったときの万一の法制度をつくるというのは、今までと同じで、いつだっていいんです。そんな中で、今、特段にこの法案を出してくるのは、それが理由ではないはずだ。その視点で読んでみると見えてきます。

■「武力攻撃事態」とは何か

 武力攻撃事態法は日本が武力攻撃を受けたときに日本が対処する法だと言ったのに、二条にはそう書いてないんですね。「武力攻撃事態」とはなにかという定義が二条の二というところにあるんですが、こう書いてあります。

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武力攻撃事態 
武力攻撃(武力攻撃のおそれのある場合を含む)が発生した事態または事態が緊迫し、武力攻撃が予測されるに至った事態をいう。
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 これはどういう意味かというと、二つの大きな事態があります。一つは武力攻撃を受けた事態、あるいは武力攻撃のおそれが発生した事態。たとえば、朝鮮半島の三十八度線に北朝鮮軍が集結をしていて、日本を狙うような長距離ミサイルの発射準備が行われている等々のことがあった場合、それは「おそれがある」。武力攻撃が起こったり、起こりそうだなあという事態が一つなんですね。それだけだったら、まあ言っている通りです。
 もう一つあるんです。「事態が緊迫し、武力攻撃が予測されるに至った事態」って、武力攻撃が起こるかもしれないなと、天気予報じゃありませんが、武力攻撃があるかもしれないよという事態も、「武力攻撃事態」としてこの法律は発動されますよと言っているんです。
 じゃあ、その「武力攻撃が予測されるに至った事態」ってどういう事態なの?っていうと「武力攻撃が発生した事態」より緩いというのは誰でもわかりますよね。だけどどういう事態か。ここには書いてない。そこで「周辺事態はそれにあたりますか?」という質問に政府は「あたります」と繰り返し答弁しています。
 さっき言ったように、周辺事態法というのは、日本周辺で日本国の平和と安全に重大な影響がある事態の場合に、米軍の軍事作戦行動が行われたときに、日本は後方支援をしますよという法律。日本は直接攻撃されてないんだけど、ほっとくと日本の安全が危ないから、米軍が軍事作戦行動に出た段階で日本は支援するよという法律なんです。
 だから「武力攻撃事態」というのは、日本が武力攻撃を受けた事態ではく、その「周辺事態」も「武力攻撃が予測されるに至った事態」に入りますと政府は言っているんです。

・あいまいな「予測される事態」

 たとえば、朝鮮半島で北朝鮮が核の装備をかなり現実的に行いつつあるとして、アメリカは再三再四にわたって、そうしたらアメリカはその核基地を攻撃するよと言っていて、実際にミサイル攻撃をしたと。そういう場合に、これは「周辺事態」にあたるんです。なぜならば、日本が攻撃されたわけではないけれども、アメリカが北朝鮮を攻撃したら、これは「日本の平和と安全に重大に関わる事態」です。朝鮮半島でアメリカと北朝鮮の戦争が始まったわけですから。そのままにしておくと日本の平和と安全に当然影響をしますよね。これは重大な事態、「周辺事態」だからと、日本は米軍の戦闘作戦行動に協力をして後方支援します。
 後方支援するというのはどういうことかというと、佐世保と横須賀が全面的にフル回転するということです。米軍が佐世保と横須賀と沖縄を中心にして朝鮮半島に上陸するということです。こういう状態に日本はゴーサインを出すということです。そういう「周辺事態」は、「武力攻撃が予測される事態」と認められますよと政府はきちんと答弁しています。これは絶対に変えません。
 すると結局、どういうことになるかというと、北朝鮮を攻撃する米軍の戦闘作戦行動に日本が協力をすると決定した時点で、「武力攻撃事態」に入るんです。それは「武力攻撃が予測される」から。なぜ「武力攻撃が予測される」かといえば、北朝鮮が反撃をすれば当然、日本を攻撃してきてもおかしくないですね。能力はないけれど、能力があれば当然やってくるでしょ。能力があれば、佐世保、横須賀、沖縄などを狙います。だって日本が基地になって米軍の後方支援をしているわけですから。能力があれば狙うかもしれない事態だから「武力攻撃が予測される事態」。この時点で「武力攻撃事態法」が発動するんです。

・米国は「周辺事態法」よりももっと自治体・民間を動員したい

 米軍が朝鮮半島を攻撃した。日本が「周辺事態」だと認めて、全面的に自衛隊が動員され、武器や弾薬の輸送が始まり、日本が戦争体制に入っていく。そのときに、おそらく、少なくとも佐世保とか福岡あたりの近辺の空港、港湾は全面動員されますよね。そのときに、仮に福岡県に革新の知事ができてノーと言ったとします。さっき言ったように、「周辺事態」が発動した時点では、地方自治体や民間は一応、協力にノーと言えるんですね。お金をもらえないことを覚悟したり、地方自治体が補助金をカットされたり、県知事が国からいじめられたりするのを覚悟するなら、「周辺事態」ではノーと言えるんです。
 だけどそういうふうに最初は「周辺事態法」で始まったとしても、すぐに「武力攻撃が予測される事態」になりますから、国は「武力攻撃事態」を発動できる。アメリカが欲しかったのは実はそこなんです。

・地方自治体に対する強制措置

 そしてこの「武力攻撃事態法」が発動すれば、地方自治体がどうなるのかというのが、五条に書いてある。実に、アメリカがのどから手が出るほどに欲しくて、周辺事態法にはなかった規定がここにあるわけです。

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 (地方公共団体の責務)
 第五条 地方公共団体は、当該地方公共団体の地域並びに当該地方公共団体の住民の生命、身体及び財産を保護する使命を有することにかんがみ、国及び他の地方公共団体その他の機関と相互に協力し、武力攻撃事態への対処に関し、必要な措置を実施する責務を有する。
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 これは具体的にはどういうことかというと、「武力攻撃事態法」が発動されると、地方自治体は、自衛隊の行動に協力したり、米軍に対する輸送とか補給とか修理とか、そういうものに協力を求められるのですが、「必要な措置」、それは内閣総理大臣が作成し閣議で決定した「対処基本方針」に書かれてあるものですが、それを実施する責務を有すると。「責務」なんていう高尚な言葉を使っていますが、これは基本的に行政庁が行う義務のことなんです。ですから「責務」を有するということは、なんか道徳的にやらなけりゃいけないよという意味じゃないんです。それならわざわざ五条なんて作る必要はない。「責務」ということは、義務づけられているということです。
 そこで、じゃあ「責務」があるのに地方自治体がやらなかったら、どうなるの?ってのが第十五条に書いてある。

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 第十五条 
 内閣総理大臣は、国民の生命、身体もしくは財産の保護または武力攻撃の排除に支障があり、特に必要があると認める場合であって、前条第一項の総合調整に基づく所要の対処措置が実施されないときは、対策本部長の求めに応じ、別に法律で定めるところにより、関係する地方公共団体の長等に対し、当該対処措置を実施すべきことを指示することができる。
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 「責務」があるのにやらない場合、どうなるかというと、内閣総理大臣は調整をおこなって「おまえ、やれよと」。「総合調整措置」というのがあるんですが、これはどういうことかというと、たとえば福岡県と大分県と長崎県の中で、この「補給」、「修理」については福岡県が全面的に分担する。この問題は大分県、これは長崎県、この部分は防衛施設庁がやるというふうに内閣総理大臣総合調整局が分担を決める。そういった調整措置をやって、大分県に「これをやれ」と言って、もしやらないと言った場合に、どうするかというと、「対策本部長の求めに応じて、・・・当該対処措置を実施すべきことを指示することができる」。つまり、「やらない」と言ったら「やれ」と指示できる。
 この「指示」という言葉が重要なんです。この「指示」という言葉が初めて日本の法律に登場したのは、一九三八年の国家総動員法に基づく内閣総理大臣の指示権というところで入ったんですね。この「指示」は強制力を持つ指示権で、その証拠に、この第二項でこの指示を受け付けなかった場合はどうするかということが書いてある。

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 二 内閣総理大臣は、次に掲げる場合において、対策本部長の求めに応じ、別に法律で定めるところにより、関係する地方公共団体の長等に通知した上で、自らまたは当該対処措置に係る事務を所掌する大臣を指揮し、当該地方公共団体または指定公共機関が実施すべき当該対処措置を実施し、または実施させることができる。
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 つまり、「責務を有する」んだけど、その「責務」に応じて、対策本部長、内閣総理大臣が「やれ」と言ったことをやらない場合には、「ちゃんとやりなさいよ」とまず指示を出して、その指示が受けとめられない場合には、内閣総理大臣は、地方公共団体の長に「おまえ、やらせるぞ」と言った上で、「当該対処措置に係る事務を所掌する大臣を指揮し、当該地方公共団体または指定公共機関が実施すべき当該対処措置を実施」すると。
 つまり、たとえば内閣総理大臣が、大分県知事に経済的な動員措置をやれと指示し、もしこれを大分県知事が拒否をした場合には、所轄官庁である国土交通省なり、経済産業省なりが、大分県知事に代わってこれを実施することができる。これは「代執行」といいます。
 または「実施させることができる」。つまり実施を命じることができる。拒否すると裁判になったり、裁判になると時間がかかるので、拒否についてはまたそれについての強制措置というのが行われるんですが、少なくともそういう手段を取るか、代わりにやっちゃう。大分県知事の代わりに、大分県知事ができないと言ったことをやる。こういう強制措置を取るということがこの十五条で決められている。これがアメリカ軍が欲しかったものなんです。

・民間機関に対する強制措置

 もう一つ、アメリカ軍がのどから手が出るほど欲しいものが、民間の協力体制。民間一般に義務づけができなかったんで、何をしたのかというと、六条で事実上、これでほとんどできるという話なんですが、「指定公共機関の責務」というものを定めたんです。

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(指定公共機関の責務)
 第六条 指定公共機関は、国及び地方公共団体その他の機関と相互に協力し、武力攻撃事態への対処に関し、その業務について、必要な措置を実施する責務を有する。
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 この「指定公共機関の責務」というのはなにかというと、米軍が朝鮮を攻めた、イラクを攻めたというときに日本が後方支援をします、となった場合に、相手国から反撃を受ける「武力攻撃が予想」されますと言って、日本は「武力攻撃事態」を発動しますが、発動すると地方公共団体が動員を義務づけられるだけではなくて、この六条で「指定公共機関」も動員を義務づけられるんですね。
 これはなにをやるかというと、「指定公共機関」は「業務について、必要な措置を実施する責務を有する」。ところで、この「指定公共機関」って何なの?というと二条の五項に指定公共機関の定義があります。

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 五 指定公共機関 
 独立行政法人(独立行政法人通則法q平成十一年法律第百三号r第二条第一項に規定する独立行政法人をいう)、日本銀行、日本赤十字社、日本放送協会その他の公共的機関及び電気、ガス、輸送、通信その他の公益的事業を営む法人で、政令で定めるものをいう。
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 これら全部に動員がかかるわけです。つまり、名指しされた日本放送協会(NHK)はもとよりすべての民間放送局も入ります。その他「通信」に関わるものは全部入ります。それから、「輸送」に入るものはなにかというと、日通とかクロネコヤマトとかおそらく西濃運輸とか日本郵船とかの船舶輸送も入る。それからすべてのJRが一斉に入ります。それから東京ガスなど各地のガス。それから東電、九電、その他の電力会社。
 これらを全部、制令で指定すれば事実上、欲しい民間は大半が入るんですね。そして、この制令で定めた指定公共機関については「実施する責務を有し」ますから、責務を有しているにもかかわらず、やらなかった場合には制裁でもって、それを強制することができる。これはこれから法律、あるいは制令ができると思いますが、制令でもって罰則を規定することができます。
 あるいは代執行ということですが、日通やクロネコヤマトに代わって運輸省がなんかをやるというわけにいきませんから、日通やクロネコは動かさなければいけませんので、おそらく制裁措置になると思います。制裁を加えて強制的に動員させる。こういう手段が取られる。これもアメリカ軍が欲しかったものです。この二つのものを実質的に制度化したい。

・対処基本方針の策定(九条)

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(対処基本方針)
 第九条 政府は、武力攻撃事態に至ったときは、武力攻撃事態への対処に関する基本的な方針(以下「対処基本方針」という)を定めるものとする。

二 対処基本方針に定める事項は、
  次のとおりとする。
 一 武力攻撃事態の認定
 二 武力攻撃事態への対処に
   関する全般的な方針
 三 対処措置に関する重要事項
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 そして、やらせたいことをどうやって決めるかというと、これを国会でうだうだと議論していたら、これはもうやらせることができませんから、ここで重要なのは、対処基本方針を作成してこれを実施しなければならないと。ここがまたみそなんですが、九条でそれができるようになっている。

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五 内閣総理大臣は、対処基本方針の案を作成し、閣議の決定を求めなければならない。
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 対処基本方針の作成はまず内閣総理大臣がやる。そして決定は閣議がおこなうと書いてあるんですね。では国会はどうなるのかというと、これはある新聞が読み間違えて、「国会承認が拡大した」なんて、これは大きな間違いなんですが、九条を読むと、そう読み間違えてもしかたないなあというぐらいに巧みに書いてあるんですね。
 九条は対処基本方針を定めるものですが、読み間違えたのは九条の五項と六項なんです。五項ではっきり言っている。対処基本方針の案は内閣総理大臣が作成して閣議の決定で決めると。たとえば、輸送についてはこういう業者を動員すると。それから補給については、これこれの港を動員する。修理については、これこれの港。すべての地方港湾については中央の防衛庁の指令下に入れると。地方港湾というのは、地方公共団体の管理下に入っているんですが、これを中央の管理下に入れると。航空調整については、この空港について中央の管制と軍事管制で調整するというようなことをざーっと決める。それを閣議で決定すると、もう実施に入るんですね。そこが書いてないんですが、もう実施に入ってしまう。決定を求めなければいけないというのはそういうことなんです。
 じゃあ、六項はなんなのか。これが読み間違えたところなんです。

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六 内閣総理大臣は、前項の閣議の決定があったときは、直ちに、対処基本方針につき、国会の承認を求めなければならない。
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と書いてあるんです。そうすると、決定があったときには直ちに国会の承認を求めなければいけないので、事前に承認を求めないと実行できないんじゃないかと読んだんですが、それは間違いです。
 これはもう法律を知らないと、そう読んでしまう。プロが読むとわかるんですが、それはどこでわかるかというと、十項でもって書いてあるんです。

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十 第六項の規定に基づく対処基本方針の承認の求めに対し、不承認の議決があったときは、当該議決に係る対処措置は、速やかに、終了されなければならない。この場合において、内閣総理大臣は、第四項第二号に規定する防衛出動を命じた自衛隊については、直ちに撤収を命じなければならない。
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 「第六項の規定に基づく対処基本方針の承認の求めに対し、不承認の議決があったときは、当該議決に係る対処措置は、速やかに、終了されなければならない」と書いてある。これは、対処措置が始まってなければ「終了」なんかするはずもないということです。
 つまり、やっちゃうんです。やって、その後で国会で不承認になったら、やめますよという意味です。じゃあ、「直ちに」ってどういう意味か。六四年に作られた同じような規定の案では「直ちに」というのは「二〇日以内に」と書いてある。だいたい「直ちに」というのはその程度というふうに法律解釈上は言われているんです。
 つまり、国会が開かれてなかった場合には、まず国会を開く必要があります。直ちに招集手続きを取って、国会が開かれたらそこでできるだけ早く出しなさいよというのが「直ちに」ということ。その間、何にも始まってないわけではなくて、もうドンスカ、ドンスカ動員が始まっているわけです。
 では実際に動員が始まって、後方支援が全面的に始まって二十日間がたったとして、さあ国会で「その承認を取り消せ」と、「こんなものは許せない」と言えますか。戦争が始まっているときに。そりゃ言えないですよ。よほどの覚悟をもって言わなければ、始まってしまった戦争動員について、アメリカ軍の戦闘作戦行動にもう協力しているなかで、国会で「承認取り消し」と言われたからやめましたとは、外務省は口が裂けても言えない。
 一日で、おそらく全会一致とは言わない。社民党、共産党は、かなりのおっかなびっくりだけど、反対を出すかもしれない。ちょうど、アメリカでタリバン政権への軍事攻撃に反対したの議員がたった一人だったというそういう状況になるかもしれないけれども、反対するかもしれない。そして、これは絶対に事前承認にはさせない。事前承認をしたら、有事法制は通らなくなるかもしれないですから。
 つまり、周辺事態で、日本が米軍の後方支援をしたときに続いて有事法制を発動し、地方自治体と民間を強制的に動員する体制をつくり、その動員する計画については閣議が決定すれば実行できるという体制をつくって、国会は事実上スキップされる。反対できないような体制をつくると。これが有事法制の基本骨格なんです。

・二年のうちに中身を決める
        前代未聞の法案

 しかし、実はもうひとつ重要なのが、二十二条と二十三条なんです。

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 (事態対処法制の整備)
第二十二条 政府は、事態対処法制の整備に当たっては、次に掲げる措置が適切かつ効果的に実施されるようにするものとする。

一 次に掲げる措置その他の武力攻撃から国民の生命、身体及び財産を保護するため、または武力攻撃が国民生活及び国民経済に影響を及ぼす場合において当該影響が最小となるようにするための措置

 イ 警報の発令、避難の指示、被災者の救助、消防等に関する措置
 ロ 施設及び設備の応急の復旧に
   関する措置
 ハ 保健衛生の確保及び社会秩序の維持に関する措置
 ニ 輸送及び通信に関する措置
 ホ 国民の生活の安定に関する措置
 ヘ 被害の復旧に関する措置


二 武力攻撃を排除するために必要な自衛隊が実施する行動が円滑かつ効果的に実施されるための次に掲げる措置その他の武力攻撃事態を終結させるための措置(次号に掲げるものを除く)

 イ 捕虜の取り扱いに関する措置
 ロ 電波の利用その他通信に
   関する措置
 ハ 船舶及び航空機の航行に関する措置


三 アメリカ合衆国の軍隊が実施する日米安保条約に従って武力攻撃を排除するために必要な行動が円滑かつ効果的に実施されるための措置

 (事態対処法制の計画的整備)
第二十三条 政府は、事態対処法制の整備を総合的かつ計画的に実施しなければならない。

二 前項の事態対処法制の整備は、その緊要性にかんがみ、この法律の施行の日から二年以内を目標として実施するものとする。
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 二十三条は、これがまた変な法律で、法律の中で二年以内にこういう法律をつくりますよという約束をしているんです。そうするとこの法律を国会が可決したら、どんな法律になるかもわからないのに、こういう法律をつくるということを国会が承認する。そうするとこういう法律は二年以内に国会に出てきたときに、国会はすごく反対しにくいでしょう。だって、この法律をつくることを国会で認めたじゃないですか。そしてこの法律を出してくるんですよ。
 で、どんな法律をつくることを予定しているかというと、武力攻撃事態の時に国民を総動員するための社会秩序の維持のための法律とか、米軍を支援するための、米軍の行動が日本の法令に適用できないだけではなくて、米軍の活動に対して、日本全国の地方自治体や民間が協力するための法律をつくる。しかし、これは米軍がイラクで行動することの支援ではないんです。米軍が日本で戦争するときの支援体制をつくる法律をつくる。
 それから二十四条にいたっては、テロに対して、緊急事態に対して、日本がどういう対処をするかという法律をつくる。こういうものを法律で約束する。

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(その他の緊急事態対処のための措置)
 第二十四条 政府は、我が国を取り巻く諸情勢の変化を踏まえ、我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保を図るため、武力攻撃事態以外の国及び国民の安全に重大な影響を及ぼす緊急事態への対処を迅速かつ的確に実施するために必要な施策を講ずるものとする。
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 今日の読売新聞では、こういう法律の中身については、今国会中に明らかにすると言っているんです。政府もなかなか自信を持ったものだと思います。二十二条の一項のハの「社会秩序の維持」という中には、反対運動の抑止というのが当然入ってくると思います。反対の言論の抑止とか、表現の自由の規制とか当然入ってくると思います。それはもう全世界の有事法制はみんな持っていますから。そういうものも含めて二年以内にそういう法律をつくる。
 今回については、さしあたりもっとも緊急な国民を強制的に動員する体制をつくって、これで後方支援体制をつくる。グローバル秩序を守るための日本の軍隊をつくる。今度の有事立法の内容をきちんと検討すれば、そういうかたちの法律ができてくることになります。

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q有事法制は日本をどこへ導くr

 日本の有事法制が制定されると、日本とアメリカの企業のグローバルな活動の特権と安全を守り、そのグローバル秩序を維持するために、特にアジア太平洋地域や中東地域、アフリカなどで、グローバル秩序に刃向かうような国を力によって押さえ込む。そうしてグローバルで自由な市場活動ができる秩序というものを担保する。

■アメリカの戦略は石油資源確保

 さしあたり、今のところ一番、アメリカが念頭に置いている戦争はイラクです。なんでアメリカは、イラクを目の敵にしてフセイン政権をつぶしたいと考えているのか。それはイラクが世界のエネルギー資源の依然として主要な産地であり、特に最近、原子力発電が十分な可能性を持ち得なくなったときに、あらためて注目されている石油を安定的に供給する地域である中東地域において、イラクを従わせるということは、アメリカ、あるいは世界の先進国にとっては決定的に重要な戦略的役割を持っているからです。
 イスラエルは、一九六八年以来、侵略戦争をしています。イラクが同じことをやったら、アメリカは即座に核攻撃を加えてますよね。イスラエルはアメリカの反対を押し切って核装備をしているわけでしょ。アメリカはその時点で七〇年代にイスラエルに核攻撃をしているはずなんです。アメリカはなぜあれだけイスラエルが増長しているにもかかわらず、一切の攻撃をしないのか。それは、まさに中東地域における石油の安定供給にとって、イスラエルがアメリカの最大の番頭としての軍事的プレゼンスをしているからなんです。イスラエルがなくなったら、中東地域の石油の安全は保てない。アメリカが第七艦隊だけではなくて、第八艦隊をはじめとした艦隊を地中海沿岸地域に常時装備し、サウジアラビアを軍事的に占領でもしない限り、絶対に不可能なんです。アメリカが、イスラエルをあれだけ甘やかすということと、それからイラクをつぶすということは、アメリカのグローバル秩序戦略にとっては同じことなんですね。

■アメリカの対アジア戦略

 それからアメリカが次に狙っているのは北朝鮮です。北朝鮮で戦争が起こった場合には、韓半島だけではなくて、日本を含めた東アジア全体が紛争に巻き込まれることは間違いないんですね。ところでアジア太平洋地域は、アメリカにとってみれば、いまやヨーロッパを数倍する経済的な市場地域なんです。ここはもう絶対に紛争を起こしてはならない。北朝鮮が核を持つにいたっては、アメリカは武力攻撃をする。台湾海峡で紛争がおこったら、アメリカは断固として武力介入をするでしょう。
 それから中国共産党政権がつぶれる事態になっても、アメリカは介入すると思いますね。これは絶対に介入して、共産党政権を維持すると思います。なぜならば、あれだけの強い政権でなければ、中国の十四億市場は維持できない。本来、あれは一つの国ではないんですね。大きすぎるんです。それを維持して自由な市場秩序、十四億の携帯電話市場を獲得しているのは、まさに共産党政権があるから。これが揺らいだらアメリカはやっぱり行くと思います。
 そういうときに日本が国民的に動員体制をつくると。これが有事法制の切実な願いなんです。だから、そういう意味では、これはもう待ったなしなんです。そういうかたちで戦争が起こる。

■かつての「軍国主義」との違い

 じゃあ、この有事法制は日本をどういう位置にもっていくのか。有事法制に反対する人たちの中で、日本は再び軍国主義の昔に戻ると。国民が強制的に戦争に動員され、青年たちが徴兵制でもって戦争に動員される。日本は戦禍にさらされるだろう。なぜならば日本は戦争をする国家になるんだからと。こういう議論があります。
 私はそうはならないというふうに思います。なぜならないのかと言えば、今の有事法制というのは、戦前の国家総動員体制と決定的に違うところがあるからです。なにが違うかというと、民主主義の度合いが違うということももちろんありますが、現代は戦争の形態が違うんです。国家総動員体制で日本帝国主義が戦争をしようとした相手は、中国人民全体であったし、それから場合によってはアメリカを戦争の仮想敵国にしていたんです。アメリカとの戦争、中国大陸との戦争というのは、日本が全生産を戦争に動員しなければやっていけなかった。しかも最終的には負けちゃった戦争なんです。

■国家総動員体制とは

 生産を戦争に動員するということはどういうことかというと、恐ろしいことをやります。すべての生産のほとんどは民需生産なんですね。繊維、自動車、コンピュータ、電気製品をつくったり、今でもそうでしょ。そういうものを全部、軍需生産に切り替えないと、戦争で五年間も総力戦を戦うということはできないわけです。つまり、日本の国家総動員体制で何をやったかというと、今までつくっていた繊維の産業の工場をつぶして、その工場を軍需工場に変えちゃう。それを命令でもってやる。それからそこで働いている繊維産業の労働者を軍需工場に動員する。女性たちも軍需工場に動員する。男たちを総力戦のために全員根こそぎ戦争に動員する。
 それから、あろうことか、繊維産業などの民需産業をつぶすために、そういうところへの外貨は供給しない。外貨は全部、石油とか鉄を買うために外貨を供給するので、外国為替管理を厳格にやって、そういうものを買わせない。たとえば、今、日本では自由に民間でもって為替を買って、アメリカからコンピュータやおもちゃを買ったりしてますよね。そういうことを認めない。アメリカから買うのは全部戦争のための道具、武器だけ。これはイラクとか中国がやっている同じやり方です。外為管理をやって、戦争に必要なもの以外買わせない。お米などの食料も買わせない。ぜいたく品なんて絶対に買わせない。好き勝手にそういうことをやる。地方公共団体ももちろん戦争のために動員する。好き勝手に基地をつくる。家を壊して基地にする。演習場にする。こういうものを自由におこなう体制が国家総動員体制だったんです。これは国をぜんぶまとめて戦争をする体制にする。

■現代の戦争
 〜大国が圧倒的な力で小国をひねりつぶす

 現代の戦争は総力戦ではありません。アメリカがグローバル秩序を維持するために九〇年代におこなった戦争は、第一にイラクでした。第二がソマリア、第三がコソボ、それからタリバン政権でした。これからやろうとしているのは、イラク、北朝鮮、イランです。そのどれも、いまや世界の十六%を占める生産力を誇る日本が、数年にわたって全生産を軍需生産に向けて動員し、労働者たちを全部、軍需生産に集めて戦わなければならないようなことはないんです。
 普通に生産をして、普通に豊かな暮らしをしていて、民需を少し動員し、コンピュータなんかを少し動員して第七艦隊に提供すれば、十分やっていけるような戦争なんです。それだけでイラクはあっという間に負けちゃう。コソボだって、ソマリアだって、北朝鮮だってそうなんです。つまり、現代の戦争というのは、圧倒的な北側の大国が小さな乱暴者の国をつぶす戦争なんです。これは総力戦ではない。
 しかし、日出生台とか沖縄とか、日通の社員とか、日赤の係官とか一部のお医者さんや看護婦さんとか、そういう人たちは、イラクに対する戦争が始まり、日本が後方支援をするようになった場合には、自分たちに問題が迫ってくることをひしひしと感じるでしょう。ものすごい戦闘の演習が始まったり、戦争への動員が始まります。
 しかし、多くの国民はそういうものを七時のニュースで見るだけです。しかも、その七時のニュースは「統制」されています。さっき言ったように、一部の動員体制は国家秘密にあたりますから報道されません。多くのアメリカ人がテレビを見ながら、タリバンが殺されていくのを観戦したような、そういう戦争をやれるようにするのが有事法制なんです。これは一部の本当に戦争に関わる人以外は、ほとんど豊かな暮らしがそのまま続き、ちょっとニュースやなんかで戦争のことが多くなり、同じニュースをどこのチャンネルでもやっているなあと、その程度の違いだけであって、ほとんどの国民の生活は変わらない。その下で、日本は「殴る側」の大国の一員として戦争をする国になっていく。これが有事法制の将来の日本だということです。

■私たちは「殴る」大国の側に立つのか

 それじゃあ、戦前の日本に比べてはるかに幸せな日本なんでしょうか。そんなことはないんです。そういう国は、実際には、世界の秩序を力によって、自分たちの経済的な横暴とか経済格差とか抑圧とか、そういうものを守りながら、それに反抗する人たちをつぶしていく。そうして、日本の「豊かな」暮らし、私たちの「豊かな」暮らし、アメリカの「豊かな」暮らしを守っていく。それは決して二十一世紀の世界平和のための先頭に立っていく日本ではない。それは先進国としての「普通の国」にはなることかもしれないけど、その「普通の国」は世界の多くの国々を「殴る」ことによって、豊かな暮らしを守る国になっていくということ。
 私たちの運動があるけれども、相当程度私たちが運動をしないと、今言ったような「殴る側」の国になる危険性を十分に持っている。それは二十一世紀の日本の本当にあるべき国のかたちかといったら、私は絶対にそうではないと思います。そういうような貧困の国々を力で抑圧した豊かな暮らしというのは、二十一世紀の世界が目指すような世界体制でもないし、日本の本当に豊かな暮らし、平和な暮らしでもないと思うんです。そういう「普通の国」に、今、日本がなるのか、ならないのか。そういう瀬戸際にいる。
 もしかしたら、去年の自衛隊参戦でもって、すでにそちらの方向に大きく踏み出した。それが今の私たちの日本だ。これは戦前とか、戦後の冷戦期の平和運動に比べると、はるかに運動が難しいっていうように言われている。なぜならば、私たちが本当に今ある現実を見ないで、日頃のテレビだけを見て安穏な暮らしをしているだけだったら、もしかしたらこの社会は変わらないかもしれない。
 たとえばミサイルを一発撃ち込まれただけで、みんな怖がるかもしれない。しかし、そのミサイルは決して三〇発、四〇発、一万発というような、タリバン政権に撃ち込まれたようなミサイルは絶対に飛んでこないんです。そういう中で日本が「殴る側」の体制になっていく。
 世界の平和運動の中で、「殴る側」の国が本当に大衆的な平和運動をおこなって、自分たちの国の「殴る」行為を大衆運動によって止めた経験というのは、実はそんなに多くありません。戦前の日本はもちろんそれができませんでした。戦後のアメリカも二百回にわたって侵略戦争を繰り返している。ベトナム戦争が終わったのは、数十万人のアメリカ兵が六、七年にわたって出ていって、数十万人のベトナム人を殺したあげくに、ようやくアメリカ自身が財政危機によって立ちいかなくなって終わったんです。
 つまり、これからの新しい世界の平和と日本の平和をつくっていこうとする僕たちの運動は、これまで通りの運動でいったら、この日本の軍事大国化への動きを遅くすることはできるかもしれないけれども、止めることは難しい。私たちが本当に望む平和な日本をつくっていくことはものすごく難しいという局面に直面している。それだけに二十一世紀の平和を求める運動というのは、大きな役割と可能性を持っているということも言えるし、私たちの運動の創造力と世界平和のための構想力というものが平和運動に求められる時代が来ている、ということを強調して、私の話を終わりたいと思います。

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q会場からの感想と質問を受けてr

■アメリカのイラクへの対応
       〜そのとき日本は

 まず、イラクの問題ですが、おそらくアメリカがイラクをやることは間違いない。これはもうアメリカは再三にわたって言ってますし、アメリカがイラク攻撃をやった場合に、日本はそれを軍事的にも後方支援をしたいということははっきりしていると思います。今のところ、可能性があるのは現実の法律で言えば二つしかないわけで、一つは周辺事態法。これはさっき言ったように、この間の九・一一のテロ事件の場合には、アフガンに行ったアメリカ軍を日本が後方支援するときの理屈としては周辺事態法を使わなかった。周辺事態法を使った場合には、国会でのこれまでの答弁を覆さなければいけなかった。それで周辺事態法を使わずに新法でいくと言ったんです。九・一一のテロは悪いじゃないかと。これを撲滅するためにタリバン政権を壊すのは当然で、そのために日本は軍事的にも後方支援で貢献してもいいんだと、そういう理屈で法律をつくった。
 だけど防衛庁は、そのときに周辺事態法でいきたいと言っていたんです。これは周辺事態法でも適用できるだろうと。政府は「周辺に入らない」と答弁しているけれども、その答弁自身は法律に書いてあるわけではないので、さっき言ったように「周辺」というものを広くとれば、タリバン政権も入ると。そういう余地を残したんだけど、やっぱり小泉政権としては、新法をつくっていった方がいいということでつくったわけです。今度、イラクの場合に、テロ対策法が使えないとなれば、周辺事態法でやってくる可能性はありますね。これは国会答弁を変えると。そもそも「周辺」に入るんだと。これは石油の問題から言って、日本の平和と安全の利害に非常に関係があるから、「周辺事態法」を適用しますよというやり方があると思います。
 もうひとつは、むりやり「今回の九・一一のテロに関係する」とアメリカに言ってもらって、それでテロ対策法を発動して、イラク攻撃に後方支援する。このどちらかだと思います。
 後者でやった場合には、「武力攻撃が予測される事態」だと判断して、今回の有事法案が通ったとしてもそれを発動するというのはなかなか難しいと思います。
 ただ、周辺事態法を発動してやった場合には、イラクであろうとどこであろうと、「武力攻撃が予測される」ことは変わりない。つまりその「予測される」というのは非常に幅の広い話であって、基本的には「周辺事態」においては「日本の平和と安全が脅かされている」という前提ですから、周辺事態法を適用して日本が後方支援した場合には、どんなに遠くであろうと、また実際の能力があろうとなかろうと「武力攻撃が予測される」ことは予測される。テロの攻撃に応じた時にもこの有事法制を発動できるようにしたいと考えたんだけど、これは公明党や与党がそれだとあまりにも幅が広い、それは危険だということで外したわけです。ですから周辺事態法の拡大解釈でやってくる危険性はある。
 それからもうひとつ。今国会で「有事法制」が比較的簡単に通るような場合には、テロ撲滅国際支援法のような法律を臨時国会に出してくる可能性があります。これで新法をつくって、広く国際支援のために日本の自衛隊を出動させるということを正当化する。さっき言ったように、日本政府はそういう方向を岡本行夫さんの論文というかたちで一応出していますので、順序としては「有事法制」の後になりますが、これを出してくる可能性がある。いずれかでしょうね。
 私は、これから相当強烈な反対運動をしない限り、イラク攻撃をする米軍に対して日本は全面的な後方支援に踏み切ると思います。ですから「有事法制」の最初の発動になる可能性は確率的には非常に高いと思います。北朝鮮や台湾海峡よりも確率的にはそちらの方が非常に高いと思います。

■いわゆる「国家総動員体制」は現代戦に必要ない

 私が戦前のような総動員体制にはならないよ、と言ったのは、ある意味では挑発的な言い方で、厳密に言うと、様々な問題を考えなければいけませんし、総動員体制という言葉は、厳密に言うと、国家総力戦体制ということなんですね。現代の戦争は、総力戦体制にはならないと言っているわけです。ただし、かといって民主的な体制がそのまま維持されるということではないと思います。おそらく有事法制が出てくると、様々なかたちで民主的なシステムの改変が起こることはほぼ間違いありません。
 私が考えているのは、その場合のかたちというのは、おそらくアメリカ型だと思うんです。アメリカという国は、戦時でも大統領制の下で議会もちゃんとありますし、アメリカが総動員体制だとか専制体制だという人はいないわけです。アメリカはベトナム戦争の時も民主的な体制でいった。今回も民主的なシステムの下で一応機能しているわけ。
 しかし実際には、アメリカという国は「市民的自由の母国」と言われているにもかかわらず、かなり大きな市民的自由の制限というものがおこなわれています。
 たとえば、今回の「反テロ愛国者法」という法律は、日本でいうと戦前の行政執行法みたいな法律で、「テロリスト」とアメリカの警察が認定すると、現実に犯罪行為がおこなわれていなくてもそれが疑わしい場合には拘禁できる。これは行政執行法の「予防拘禁」という考え方と同じですけれども、そんなことができる。しかもそれだけじゃなくて、テロリストと疑わしい場合には、そのインターネットと携帯電話を盗聴できる。じゃあ、その認定権をなんで行政庁がもっているのか。すくなくともアメリカ的な市民的自由から言えば、最低限、裁判所の決定というものが必要なんですが、そういうものもないわけです。その「反テロ愛国者法」はさすがに若干の反対はありましたが、圧倒的多数でアメリカでは可決されています。これ裁判になれば、違憲判決が出ると思うんですがアメリカの政府としては違憲判決が出るまで使えればいいと判断しているわけです。
 そういう意味でいえば、アメリカと言えども、「反テロ愛国者法」というような法律がまかり通っておこなわれ、イスラム教徒に対する様々な暴力とか、反戦を唱えた大学教授に対する暴力とか、反戦を唱えた高校生に対する退学処分とか、様々なかたちでの民主主義の破壊とか、市民的自由の規制がおこなわれて、それが全体としては強烈なナショナリズムの中で進められているわけです。
 しかし、大半のアメリカ人たちはテレビでそういう戦争を見ているだけ、という状況です。アメリカでは残念ながら反戦運動はかつてほどには起こっていませんし、反戦的な活動家たちは、僕とメールのやりとりをしていると、「率直に言って怖い」と。なかなかそういう言動を大学や市民的な集会でもって言うことさえも非常に難しいという状況になっちゃっているわけで、そういう状況が日本で現出する可能性がある。

■「徴兵制」も必要ない

 せまい意味で、現代の戦争で徴兵制はなぜないか、という問題なんですが。アメリカでは今、選抜的徴兵制度はなくなりました。アメリカの場合には日本の自衛隊よりもさらにすごい訓練をしているし、それこそ二百回にわたる戦争を経験しているわけですから、日本の軍隊とは全然違うんですけれども、しかしそのアメリカでもやはり戦死者が出るということは、国民の戦争に対する正当化を得られないという角度から、「戦死者の出ない戦争」と言ってるんですね。だから、今回のアフガン戦争においても、アメリカは戦死者を隠しているわけです。戦死者はできるだけ出さない。そしてアフガンやタリバンの人々が大量に死んでいる。それが「成功した」戦争だと。逆に言うと、アメリカ国内でさえ、戦死者が出るということは、非常に正当化が難しいというような、現代の戦争の独特の状況が出ているわけです。
 徴兵制が必要だということは、大量の陸上兵力が必要だということなんですが、現代戦は、大量の陸上兵力を必要としない戦争の形態というものを追求しています。ですから、私たちがそういう問題について警戒しているという前提の下では、徴兵制というような方法は取られないだろうと僕は思います。
 そんななかで、自衛隊に対する様々な制裁措置とか、軍法会議とか、自衛隊に対する規律というものは、むしろ今後かなり強力に進められていくことは間違いありません。けれども全体としては、傭兵制(ようへいせい=給料を払って雇う兵隊)のままでいくんじゃないかと思います。

■市民的自由、民主主義の制限
        〜治安国家化

 そういう意味では、日本が戦争する体制をつくるのにともなって、市民的自由や民主主義の制限とかが行われていくわけですが、日本の平和運動のかなり重要な基礎をなしているのは教育なので、日の丸・君が代問題を中心に、教育現場の民主的な言論に対する規制は実際に行われていますし、それからメディア三法自身は、私は有事法制のためにつくられているとは思ってないんですけれども、やっぱり日本の社会がグローバル化の中で既存の社会の安定を喪失してきていますので、少年犯罪の増加とかホームレスの増加とか、ドメスティックバイオレンスとか、児童虐待とか社会の貧困層の堆積など、「アメリカ社会化」してきているので、そういうものに対して、「強い国家」といいますか、少年法の改正とか住民基本台帳法の改正とかメディア三法とか、そういうかたちで社会の締め直しをはかるということが、有事法制におけるグローバル大国化と平行して進んでいるという状態です。
 だから、私が総動員体制にはならないよと言ったのは、一つは、現代の戦争は日本が総力をあげて、日本が戦場になるような戦争ではなくて、一方的に「殴って」いくような戦争だということを強調したかったこと。
 それからもう一つは、今の日本の戦争というのは、そういう意味で形式としての民主主義というものは維持しながら、おそらく市民的自由の制限なんかで戦争体制をまかなっていく。その程度でないと日本の国民はやっぱり納得しないし、アメリカの国民も納得しない。そういう意味で、現代の民主主義というものは保守政治の側も当然、前提にせざるをえない。そういう側面はきちんと見ておかなければいけないというふうに思ったわけです。
 ですから、今言ったような民主主義に対する制限というものはやっぱり様々なかたちで起こるだろうし、テロのような犯罪が日本で起きるなら、そういうものを理由として治安国家化というのはかなり進むだろうと思います。それはまあ総動員体制とはちょっと違いますけれども、今進んでいる社会の分裂を秩序の維持によって守ろうとするような治安国家化というのは、そういうテロが日本で起こった場合にはかなり急速に進む危険性があると思います。

■では有事にどう備えるのか

 私は今日、「有事法制」というものは、日本が万一攻められたときに日本の自衛隊がきちんと対処するための法律ではない、と説明しました。
 それは繰り返し証明したつもりですが、その最大の理由は、先ほど言ったように、もっとも日本が攻められる危険の多かった米ソ冷戦期には有事法制は一度も国会に出されなかったこと。さらに九〇年代は様々なかたちで危険だったとも言われています。しかしその九〇年代にも有事法制は出されませんでした。さて現在はどうか。最新の防衛白書を読めば、冷戦期のような、日本がソ連や中国や北朝鮮から侵攻され、それが現実にかなり大きな戦争の一環としておこなわれるというような想定は現実的にはとられない、というふうに書いてあります。
 もっとも日本が攻められる危険の多かった冷戦期には有事法制はなかったこと。九〇年代は様々なかたちで危険だったと言われています。しかし、防衛白書を読めば、冷戦期のような、日本がソ連や中国や北朝鮮から侵攻され、それが現実にかなり大きな戦争の一環としておこなわ れるというような想定は現実的にはとられない、というふうに書いてあるんですね。
 つまり、日本が攻められたときの法制が必要だということであれば、なぜその法制がもっとも必要であった時にはつくられず、その危険がなくなったときに出てきているのか、というのが今日の話で、それは「攻めるための法制度」だからだと。
 「じゃあ、攻められた時はいったいどうするの?」という話なんですが、日本国憲法の平和主義の考え方というのは、攻められないような状況をどうやって外交的、政治的につくるのかという考え方なんですね。「それでも、おまえ、万一攻められたらどうするんだよ」という話があります。
 この問題を判断するときに、まず私たちは現実の歴史というものを考えなければいけないと思います。単に将来の可能性ということで言うなら、それはアメリカが日本を攻撃する可能性だってあるし、朝鮮が攻撃する可能性だって、中国が攻撃する可能性だって、インドネシアがやってくるかもしれない。そんなことはいくらでも言える。しかし、ここで問題なのは私たちが実際に歩んできた歴史の事実の中から、どんな教訓を取るのかということなんですね。

■アジア太平洋における唯一の侵略国家・日本

 たとえば戦前は、有事法制という点で言えば、憲法上、戒厳令と非常大権、それから緊急勅令と緊急財政処分という四つの規定を持っていました。「攻められたとき」に対処できるような法制度を完璧に完備していた。それだけじゃなくて、実際に総力戦の体制をつくるときには、その四つの憲法上の規定じゃ不十分だということで、国家総動員法というものをつくって、国民を全員、戦争のために動員する体制をつくったんですね。
 さて、日本という国は、敗戦する一九四五年まで、十年と間を置かずして戦争を繰り返してきました。実は、このすべての戦争にわたって「日本がある日、突然に攻められた」ことは一回もありません。これはもうはっきりした歴史的事実です。すべて日本が最初に手を出して、日本が侵略して、外国で始まって、すべて外国で戦争をして、最後の最後にアジア太平洋戦争で、日本の総力戦の戦争の結果、アメリカに本土を爆撃されたり、原子爆弾を落とされて負けた。これが日本の近代の歴史です。少なくとも日本とアジア太平洋地域において、近代、一九四五年までの戦争のすべてに日本が主導的にかんでいます。そしてアジア太平洋地域で、日本以外の国が戦争を起こしたことはありません。

■アジアにおける憲法九条の意味

 ということは、日本国憲法九条ができたときに、日本国憲法九条というのは、日本の平和を守るための規定ではなかったんです。日本の軍事大国化をどうやって阻止するか。日本の侵略体制をつぶせば、アジア太平洋地域の平和は獲得できる。つまり憲法九条というのは、日本の戦力を放棄することによって、アジア太平洋の地域の平和を守るための条項だった。これは明らかに日本の平和ではなくて、日本からの武力、暴力からどのようにアジア太平洋を守って平和を維持するか。日本が手を出さなければアジア太平洋の平和は維持できる、という考え方だったんです。
 この考え方が冷戦期に変わってくるわけです。日本が手を出さなくても、ソ連や中国は手を出すかもしれない。逆に言えば、アメリカが手をだすかもしれない。そういう冷戦期の中で、憲法九条は守られるのかという問題がでてきたわけです。
 日本ははっきりと体制としては、やってくるのはソ連や中国だから、そのためにアメリカと手を組んで日本は自衛隊を作らなければいけないと。そうすることによって、日本の平和を守ると考えたわけですが、それは憲法九条の考え方とは違った。

■「日本が攻められる」唯一の可能性があるとすれば・・・

 今日話したように、戦後、日本は五十七年間、有事法制を持ってきませんでした。戦前、有事法制が完備していた時代には、日本は攻められたことはなく、すべて攻めて戦争をして最後にやられたわけです。日本が悲惨な戦争に巻き込まれたのは、日本が侵略戦争をしたからです。戦後の教訓というのは、戦後五十七年間、有事法制はなかったけれども日本の平和は実現した。攻められたことなどなかった。それは様々な理由があるじゃないかと言うかもしれない。安保体制、あるいは憲法があったからと。そこは意見が分かれるかもしれない。しかし、はっきりしていることは、有事法制がなくても五十七年間、攻められたことはなかったし、現在も、日本の政府の高官のすべての人が、日本は近い将来にわたって、北朝鮮だろうが中国だろうが攻められることはないと言っている。
 では日本は絶対に攻められることはないのか。有事法制がなくても攻められることはないのか。私はあると思います。それがあるという理由として、ただ一つの可能性としてあるのは、日本が手を出したとき。アメリカに次いで手を出したとき。これは日本が先ほど言ったようにやられる可能性はある。それは対等のかたちでやられることではないかもしれないけれども、テロとか様々なかたちでやられることはある。しかしそれでも、防衛庁の軍事的な官僚も、科学的に見て日本本土における戦争の可能性はないと言っている。

■あまりにお粗末な今回の法案

 そうすると仮に、攻められたときだけの法律をつくるならまあいいと。それは憲法九条の有事をつくらないという考え方からすると反するけれども、そういう法律をつくってもまあいいとしましょう。しかし、今、出されている法案はそういう法律じゃまったくないわけです。「攻められた時」の法律だというなら、たとえば武力攻撃事態の第二条の定義において、「日本が武力攻撃を受けた事態」、あるいは「武力攻撃を受けるおそれが生じた事態」、それだけでいいわけです。それだけでつくればいい。つまり、この有事法制については、武力攻撃を受けたときにどうするか、ということだけではなくて、武力攻撃をしたときにどうするかということが書かれているのだという問題がある。
 あるいは、どこの国の有事法制でもそうですが、そういう「攻められた事態」になった時には、国会が有事を決議して国会で議論をしてみんなで守りましょう、とやるわけです。その場合には、地方自治体の首長も当然、その国会の議論に基づいて地方自治体の任務というものを考える。
 ところが、今回の法案では、「攻められたとき」にどんな体制を取るのかを決めるのが内閣総理大臣だという問題です。日本が攻められるということは、国民がその問題についてどう対処するかという、一番、民主主義の根幹に関わる事態です。戦うか、戦わないか。一番、根幹に関わる問題のときに、国会が一切発言できない。これは世界の有事法制の中でも非常に珍しい法律です。でもなかったわけじゃない。戦前の日本がそうでした。戦争するか、しないかを国会がスキップされて、内閣総理大臣が閣議の決定によってできる。こういう法律は、いかんながら、攻められたときのきちんとしたルールにのっとった決定ではないということです。だからもしそういう法律が本当に必要だとするなら、「攻められた事態」ということをはっきりさせて、それだけに限定すべきだ。
 それから、それが「攻められた事態」であるのかどうかの認定、攻められた時にどんなことをするのか、地方自治体にはどんなことをしてもらいたいのか、それを決めるのは国会であるべきだ。そういう法律でなければならない。そうでなければ、これは攻められたときのルールでは絶対にない。攻めるときのルール。しかも一方的に「殴る」時に国民を動員するためのルール。
 有事の時に「地方自治体があっち向いたり、こっち向いたりしちゃいけない」なんてとんでもない。なぜなら、地方自治体は決定に全く参加していない。国会もまったく参加していない。そして内閣総理大臣が決めたら、「大分県についてはこうしろ」と対処基本方針が決まってそのまま実施される。もしも実施しなければ、経済産業省や国土交通省の大臣が大分県に代わってやるというんです。こんなばかな話はない。これはあきらかに「攻められたときのルール」としても欠陥ルールですよ。こういうことはしないほうがいい。

■日本にとっての憲法九条の意味

 実は、この日本という国は、「武力によらない平和」という九条の理念を掲げて、それを戦後の日本が実現したことはなかったんです。自衛隊はあるし、「武力によらない平和」というものを実現した結果として、それが正しかったのか、間違っていたのかということを私たちが判断したことがないんです。残念ながら、この「武力によらない平和」という考え方は、未だ実現してないんです。
 しかし、見方を変えてみると、この憲法九条の大胆な構想というものが部分的にせよ実現したことはあるんです。たとえば日本は平和運動の力というものを背景にはしていましたが、世界の経済大国の中でこんなに軍事費の割合の低いところはないんですね。軍事費の絶対額から言ったら世界で二位か、三位なんです。その点では日本はれっきとした軍事大国であると言ってもおかしくないんですが、日本の防衛費というのは、ここ三十年、一般会計の予算の中で五%を越えたことはないんです。アメリカでも、イギリスでも、五%なんて国はない。たとえば、イラクの場合、公開していませんから正確にはわかりませんが、だいたい八〇%と言われている。日本のアジア太平洋戦争下、日中戦争下からの前は、臨時軍事費も含めると、九割五分以上が軍事費なんです。だから、そういうものから考えると、国家予算の中でわずか五%しか防衛費が使われていない国というのは非常に例外的な国です。それから日本では軍事費がGNPの一%を越えたことがないんです。
 これは単にそのお金がないというだけではなくて、様々なかたちで破られていますが、日本は対外侵攻用の兵器というものを国会がチェックしてなかなか持たせてもらえなかったんですね。最近、たとえば原子力潜水艦とか航空母艦に類似するものを持ってきてはいますが、原潜とか航空母艦とかは外に侵略しない限り持っていても意味はないわけですね。日本を守るためになんの意味もないわけで、ぐるぐると七回半、燃料なくして回ることができたからといって別に日本を守れるわけではありません。それは「ポラリス」といって核ミサイルを積んで世界をぐるぐるまわりながら、どっかから攻撃をするということではじめて意味があるものなんですね。つまり、そういう侵略用の兵器を日本は持っていない。
 それから、これだけの経済大国でありながら、核を兵器体系の中心にしていない軍隊というのがやはり日本なんですね。それもやはり平和運動によって非核三原則がつくられた結果なんです。岩国とかなんかにも核は持ち込まれているというけれども、それはあくまでも隠されて持ち込まれているために、やっぱり地域的にも限定されているし、なにしろ自衛隊が核を中心とした装備をしていないということは世界の平和にとっては非常にプラスになっていると私は思っています。それから、武器輸出をしていない唯一の国であること。
 こういうかたちで、日本が憲法の平和条項というものを完全に実施したことは一度もないんだけれども、少なくとも運動とあいまって、他から攻められる国にならない、他から攻められる脅威を持たない国になってきた。このことが、有事法制がないにもかかわらず、五十七年間、日本が平和でありえたきわめて大きな要因であったと思います。
 だから、そういう意味では徴兵制も持たないし、たとえば同じ敗戦国であるドイツでは一九五四年に徴兵制を復活していますし、六〇年代に緊急事態法を復活させている。しかし、日本と同じようにドイツも、NATO域外派兵というのはなかなかできなかったんです。だけどそのNATO域外派兵にもついに踏み破った。しかし、日本は未だにこの間の一〇月に初めてアフガンに行くまでは日本の自衛隊は参戦をしたことはなかったし、未だにまだかろうじてそういう状態をつくっている。

■憲法九条を21世紀の世界の原則に

 じゃあ、どうするのか。これが憲法九条の理念の不十分な実現をやめて、「普通の国」になるのか、それとも不十分な実現を、もっと十分な実現にしていくのか。どっちの道が二十一世紀の世界と日本の平和にとってプラスになるのか。私は後者だと思う。
 じゃあ、どうするのか。その場合に、問題になるのは、九条の完全実現というのは、日本一国だけではできないということです。世界で武力紛争や戦争が起こり、軍事的なエスカレートが起こっている中で、日本だけがどんどん後退をしていくというのはできないです。そうすると世界の軍備競争と世界の戦争状態を、日本がイニシアティブをとって、段階的に縮小させていかないと、日本だけが九条を実現しますよ、日本だけが自衛隊を削減しますよと、やることはできない。それを国民的に納得させるには、世界の平和にとって、日本の政治がイニシアティブをとって、世界で軍事紛争をさせないような方向を取りながら、その一歩先を日本が追求していく。それが憲法九条を二十一世紀の世界の原則にしていく一番現実的な道だと思います。できるのか、できないのか。

■国連を真の平和の機関に

 たとえば、国連という話がさっき出ました。国連を一つとってみると、緊急の方策と長期の方策というのがあるんですが、緊急の方策においては国連はかなり力があると思うんですね。たとえば国連が武器輸出入について完全に規制する条約をつくると。これはもちろんできない、今のところは。それはなぜできないかというと、常任理事国の五大国が武器輸出の大国だからですね。だから常任理事国が反対することを見越して、じゃあ大国の中でどこがイニシアティブを取れるかというと、これは日本ですよ。日本が武器輸出入についての完全禁止条約を結ぶと。そして、それについての徹底した監視体制をつくる。監視団は武力ですから、自衛隊と米軍とそれからイギリス軍、ロシア軍とかそういうところを入れてプロの監視団をつくる。だけど監視団の主力は自衛隊がなるべきだと思います。つまり、武器輸出入についての基本的な監視団をつくって、条約の批准をめざす。その場合に、条約の批准を最大限に妨害しているのは五大国ですから、これを通すのはなかなか難しい。
 しかし、できないかと言えばできます。京都議定書は通っているんです。京都議定書の批准はなぜできたか。日本がへっぴり腰だけれども、とくかくアメリカが強硬に反対する中で、日本がもっとはっきり言えば、もっと前に批准ができたはずですけれども、とにかく日本の動向が、地球温暖化条約というアメリカがもっとも嫌う京都議定書について、批准を成功させているわけです。あるいは地雷の問題でもそうです。アメリカは徹底して反対したんだけれども、地雷禁止についてはできたんです。
 こういうかたちで、日本の自民党政権でも、日本がイニシアティブをとればできるんです。今の政権ではもちろん、武器輸出入の完全禁止条約なんてのはできないけれども、今の政治を変えることができるのは私たち。もし政治を変えて、政治のイニシアティブをとって、武器輸出入の禁止条約、それから核兵器の完全禁止条約、それから通常兵器の完全禁止条約、軍縮条約。こういうものを次々につくって、巨大な監視団を各国の軍隊から寄せ集めてつくって、アメリカやロシアをはじめとして、監視を入れる。北朝鮮だけに監視を入れるんじゃなくて、イスラエルとか、アメリカ、ロシア、中国にも監視を入れる。そういう体制を実際につくっていくことができるかどうかというのは、非常に大きい問題だと思います。
 今の世界で軍事紛争が起きている場所、そのどれをとってみても、巨大な何万発というミサイルを撃ち込まなくていいんです。たとえば、タリバン政権に対して完全な武器輸出入の禁止をやって、その査察体制をとったら、タリバンは一ヶ月持ちませんよ。それはユーゴだって、イラクだって、北朝鮮だってもたないですよ。
 そういう体制を世界的につくっていくようなイニシアティブを二十一世紀の日本はとっていくべきだし、そういうかたちで使った場合には、国連というのはかなり大きな役割を果たすことができる。その場合には連合国を中心とした大国中心の国連システムというのは構造改革をしていかなければいけないと思います。だけどそれは経済社会理事会ではもうできているんです。安全保障理事会を冷戦後に即したかたちでの国連改革のイニシアティブを日本がとっていく。日本が常任理事国になりたいための国連改革ではなくて、日本がイニシアティブをとって、国連を平和のための機関にしていくという方向でやっていくということが私はすごく重要だと思います。

■世界の貧富の格差をなくす

 最終的には、僕はそれだけでもいけないと思います。それだけでは紛争をなくすことはできないんですね。それだけでは北朝鮮と韓国との地域格差をなくすことはできない。北朝鮮の国民経済を再建するということをしなければ、北朝鮮の軍事化は防げないんですね。それをやっていくためには、日本の経済力を、さっき言ったグローバル企業本位のかたちで使ったり、ODAをグローバル企業のために使って世界の貧富の格差を拡大するんではなくて、そういうものを北朝鮮などの国民経済の再建のために使っていく。
 それは大きな意味では、日本の経済力を世界の紛争と格差をなくしていく方向に使っていくということであり、多国籍企業の野放図な展開を日本政府が規制し、やめさせなくてはいけない。そういう方向を追求していくということが必要だと思います。
 具体的には、短期的な措置として、さっき言った武器輸出入の禁止なんてのは政策的にはそんな難しい問題じゃないんですね。政治的に実力があるかどうかという問題が一番大きいので、政治的な力をつけ、長期的には貧富の格差をなくしていくような経済政策構想をつくっていく。
 そのためになにが必要なのかということですが、私は日本のそういう九条と平和の構想力というものを政治的な力にするための手段というものがどうしても必要だと思います。それは日本の政治を変えていかなければいけない。今の与党の政権はそういうイニシアティブをとろうとしていない。むしろ、「普通の国」になろうとするイニシアティブをとろうとしているわけです。そうじゃなくて、世界平和のためのイニシアティブをとるような政治をつくっていく。
 そのためには、たとえば有事法制の問題についても、本当に日本を平和にしていくためにはどんなことが必要なのかということを徹底して国会で議論できるようなシステムをつくっていく必要がある。ところがまずいことに、今の国会で有事法制に反対し、批判している勢力というのは、四八〇分の四〇しかいないわけです。民主党は半分賛成、半分反対みたいな態度をとっています。だけど四八〇分の四〇というのはどんな意味を持っているかといえば、単にこれは強行採決をすれば通っちゃうというような問題じゃない。有事法制が持っている様々な問題点を発言したり、質問したりする時間が四八〇分の四〇しかないってことなんです。それはすごく大きな問題があります。有事法制の様々な問題点について発言するときに、社民党も共産党も五分とかいう時間で発言するわけです。そうすると、土井さんなんかでもそうですが、いろいろ聞いてわかっていることは 自分で答えちゃうわけです。それは国会の中で本当に議論をするということができないから。なぜできないかとというと、自民党の持ち時間が三十分のときに、社民党、共産党は五分という持ち時間でやっているから。国会の中で四八〇分の四〇しか有事法制について質問をする時間がないとしたら、マスコミはどんなに有事法制の問題を書こうとしても書きようがないんですね。国会でこのような議論がされているんだけどどうなのかという問題提起をマスコミがしたくても、当の国会で議論がされてない。するすると通っちゃったら、マスコミが有事法制の問題点を議論することも、勉強することもできないんですね。そうするとますます市民たちは立ち上がらず、マスコミもますます書かない。少数の人たちがいらだって、どうしようかなと考えているうちに国会を通過する。せいぜい有事法制が通らない原因は小泉内閣がずっこけて、倒れちゃって、取引法案となって国会が流れちゃうという、その程度しか可能性として考えられないというような状況になってしまいます。
 つまり、四八〇分の四〇というのは、様々な国会の民主的な議論を考えるとかなり厳しい限界がある。だけど四八〇分の四〇というのは私たちが選んだんです。その私たち自身が、私たちの政治をもっと民主的なものに、もっと平和なものに、もっと国会を本当に活用できるものに。そういうものに変えることができるかどうかというのが、ものすごく大きな課題であり、私たちはそのためにもっと勉強をしなければいけないし、こういう議論というものをいろんな場で起こしていくことが必要だと思います。
 それから四八〇分の四〇になっちゃって大きいのは、政治改革の問題はすごく大きい。今の選挙制度の下では少数党は出てこれない。少数党で出てこれないとすれば、自民党に入るか、自民党に入れなければ、民主党に入るしか当選可能性がないというようなことになる。

■地方から変革の声を

 そういう中で、中央の政治をどうやって変えていくのかと考えたときに、やっぱりなんといっても、地方からしか手はないですよね。地方というのはそういう意味でいえば、構造改革の問題とか、軍事基地の問題とか、民主主義の問題とか、様々な問題が待ったなしで現れてくるわけですね。小泉さんのように「明るい失業もある」などと言って笑っていられる状況ではないわけですよね。
 やっぱり、失業が多くなり、大店法が廃止された結果、商店街がどんどんつぶれている。そういう中で、どうやって地方を再建するのかという問題が待ったなしで議論できるのは地方ですよ。だから、僕は、地方から政治を変えていく。地方から様々な権益を変えていく。これがすごく大事だし、地方の可能性は中央の政治を変えるだけではなくて、平和の問題一つ取ってみてもいろんな可能性を持っているということを最後に強調して、今日の私の話を終わりたいと思います。 

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