日出生台ピースアクション2011

 

<九州防衛局が昨年12月27日に発表した今度の米軍訓練に関する情報>

1月下旬 訓練部隊 日出生台演習場到着

2月7日~2月13日 射撃訓練期間7日間(このうち、射撃日数は5日間)

2月下旬 訓練部隊 日出生台演習場出発

 

<今年の米軍の訓練規模>

(1)中隊レベル

(2)人員:約160名

(3)車両:約40両

(4)砲数:4門


2011米軍訓練開始の直前までの取り組みはこちら

 

 

<日出生台ピースアクション2011 米軍訓練開始後>

 

 

 

2月7日
(月)

<米軍実弾砲撃訓練の報告>

2月7日(月)米軍実弾演習開始

 

 

朝、日出生台は静まりかえっている

監視小屋には早くからマスコミもつめかけている

演習場周辺には米軍の車両と通信アンテナらしきものが…

高台から見ると、林の陰にも米軍車両

旧カンテキコウ後にも米軍の車両 赤い旗は実弾演習が始まっている印。

 

 

11時4分。米軍は初弾を発射。

 

正午、大分の島田さんが呼びかけての

ピースウォークスタート!

島田さん(写真左)は、今年もJR由布院駅から日出生台の監視小屋がある場所まで
途中、ゲート前で、肉声のシュプレヒコールをしたりしながら、
総距離16キロを歩いた。

ときどき、ひろみちゃん(写真右)、平野さん(写真なし。ゴメンね)も応援で参加。
この人たち、もともとスポーツ系の人というよりは、むしろ逆なので、
足が棒になったみたいだけど、ひたすらコンジョーで歩き切った。

 

 

米軍の方は、

初弾を撃った後、一気に撃ちまくり、
15時30分までの約4時間半で93発を発射。

一呼吸おいて、夜間訓練に入り、
16時47分から19時29分までの42分間に54発を発射するという
激烈な砲撃訓練を彼らは実施した。

 

その数、あわせて 147発 

 

日出生台でこれまでに米軍が行った、

一日の砲撃数としては過去最多。

 

(これまでの一日最多は124発)

また、夜間砲撃としても54発は過去最多。

(これまでの夜間最多は46発)

 

 

 

住民の思いをピースキャンドルに託して

 

そんな中で、私たちは、毎年、米軍実弾砲撃訓練の始まる初日に行う

ピースキャンドルを今年もおこないました。

以下、その報告です。

 

 

日出生台演習場を見下ろす高台の畑に集まった約20人の参加者たちが、

紙コップに土を入れ、小さなろうそくをさして並べていく。

 

 

午後6時、夕闇の落ちる日出生台でピースキャンドルの点灯が始まった。

このろうそくの火の最初の火だねは、

2000年12月7日に、山田バウさんという方が

日出生台に届けて下さり、その後、11年間、湯布院の見成寺に

預けられて、ともし続けられてきた「原爆の残り火」だ。

 

子どもたちも一緒に火をともしていく。

PEACE FROM HIJUDAI  

日出生台から平和を!

 

畑の向こうは日出生台演習場。

 

 

日出生台は、

110余年にわたって軍事演習場として使われ続けてきた。

この国のいくつもの誤った戦争に常に関わらされてきた場所だ。

 

そんな場所だからこそ、

むしろここから平和を産み出していく運動をつくっていきたい。

 

もう、沖縄や日出生台などの

地域を犠牲にして成り立つ安全保障は

そろそろ変えるべき時期に来ている。

 

そんな思いを込めた言葉。

 

 

でも、

この日、

ピースキャンドルに火を灯す私たちの向こうでは

過去最多の激しい砲撃訓練が

米軍によって行われた

 

 

 

それから、もう一つ。

報道によれば、大分県の職員が、
これまでの日出生台演習場湯布院側ゲート前にある
現地対策本部のほかに、
実際に砲撃が行われる側にある玖珠町の現地対策本部内に
一緒に常駐することになったのだそうだ。

1月14日に県庁交渉の際に申し入れた内容が実現された形。
早速今年の訓練から対応した県の取り組みを率直に評価したい。

住民、地元自治体、県が連携し、
それぞれができる分野で協力し合うことで、
この問題の解決をめざしたい。

 

2月8日
(火)

<2月8日(火)米軍演習2日目>

午前10時

前日の過去最多砲撃について、

抗議と訓練の即時中止の要請文を

米軍に対して出した。

リカルド・ミアガニー中佐殿

私たち住民の縮小廃止の願いを踏みにじって強行し、
かつ、一日としては過去最多の激しい砲撃を行った
米海兵隊の実弾砲撃演習に断固として抗議するとともに、
この日出生台での米軍訓練の即時中止を求める  

 

 昨日、2月7日、日出生台での155ミリ実弾砲撃訓練の初日において、貴米海兵隊は、日出生台での一日の米軍砲撃数として過去最多となる147発を発射。これまでの2000年の124発をはるかに上回る激しい砲撃訓練を実施した。

 また、一日の総砲撃数だけでなく、夜間砲撃としても、これまでの最多であった46発(99年)を大きく上回る54発を発射。特に、18時47分から19時29分までのわずか42分間でこの54発を撃ちまくるという、とんでもない激烈な砲撃であった。

 「せめて夜間だけでもやめてほしい」と再三要望をしてきた住民の切なる願いを踏みにじり、住民に対する配慮のかけらもない演習を実施した貴米海兵隊の訓練に、私たちは満身の怒りを込めて抗議し、この訓練の即時中止を求める。

 

2011年2月8日

ローカルネット大分・日出生台

 

そして、

その抗議文を出した日に米軍が撃った砲撃数は 

なんと…172発(唖然)

2日連続の過去最多更新。

8回目の訓練にして、

もはや住民への配慮よりも

米軍訓練を優先する姿勢を

むき出しにし始めた。

2日間の合計319発。

これは9日間かけて333発を撃った2004年に匹敵する数を

2日で撃ったことになる。

 

2月9日
(水)

<2月9日〔水)米軍演習3日目>

 

2日連続で過去最多の砲撃を行った米軍の指揮官に対して、

この日も朝1番で抗議文を出しました。

抗議文提出も2日連続!

リカルド・ミアガニー中佐殿

 

前日記録したばかりの
日出生台での過去最多砲撃数をさらに更新した
米海兵隊実弾砲撃訓練に抗議し、
同訓練の即時中止、部隊の即時撤退を求める


 昨日2月8日、貴米海兵隊は、日出生台での米軍訓練2日目において、172発の激烈な砲撃を実施した。前日7日に過去最多を記録したばかりの貴殿らの訓練に私たちが抗議した8日のその同じ日に、さらに上回る数の砲撃を行った貴殿らの傍若無人な姿勢に、満身の怒りを込めて抗議するとともに、同訓練の即時中止、撤退を求める。
 

2011年2月9日

ローカルネット大分・日出生台

 連日の過去最多更新。

2日間の合計砲撃数 319発。

これは2004年の日出生台訓練で9日間かけて撃った333発にも匹敵する数。

いかに激しい訓練が行われているかがわかる。

手がつけられない状態とはこのことか!?

「日出生台での米軍使用協定」には砲弾数の制限はない。

協定に制限がなければ、どんな訓練も許されるのか1?

 

朝、日本山妙法寺の皆さんが、日出生台演習場ゲート前を

平和の祈りを唱えながら歩いていた。

どんなに寒くても、寒風吹きすさぶ中でも彼らは行進する。

 

 

また、この日は、

地元の関係者や、マスコミを相手に公開訓練が実施された。

 

前回から使われるようになった小火器〔小銃、機関銃)。

今回はこの2種類を使うという。

 

155ミリりゅう弾砲。

りゅう弾砲の下にはなにやらパラパラと落ちている。

写真を拡大してみると…。

薬莢?155ミリを撃つと出てくる?

それとも小火器のものか?

 

今年の公開訓練で特に気づいたのは、

例年は地元向け公開訓練が終わったあとに、

マスコミ向け公開訓練と2部構成で行われていたのだが、

今年は、その中に自衛隊も参加して、

りゅう弾砲を取り囲む輪がいつもより1つ増えて、

自衛隊員向けにも公開訓練がなされていたことだ。

これについて、今年の日出生台訓練を伝える米海兵隊のホームページでは、

米海兵隊の使う新しいりゅう弾砲について、

自衛隊員にその性能、特徴を説明したというくだりがたくさん出てくるので、

要するに、新商品の宣伝営業を米海兵隊が自衛隊に対してしたということらしい。

 

 

この日は昼過ぎにサイレンが鳴って演習は終了となった。

 

この日の合計数は33発。

今日の発射段数はそれほど多くはなかったが、

それでも3日間の合計352発は

8日間で343発を撃った2001年、2002年、

9日間で333発を撃った2004年を

わずか3日で越えてしまったことになる。

 

 

 

2月10日

(木)

<2月10日〔木)米軍訓練4日目>

演習が始まって以来、初めての快晴の日出生台。

 

4日目の総砲撃数は131発。

4日間の累計483発。

2月11日
(金)

<2月11日(金)米軍演習5日目>実弾演習の最終日

夕べから降り続いた雪で、一面真っ白になった日出生台。

本来のこの時期の日出生台の姿だ。

米軍にとっては初めての雪の中での訓練。

 

老いも若きも平和のための監視活動

 

実弾演習の最終日となったこの日、
午前10時までに7発を撃った米海兵隊は、
155ミリりゅう弾砲の訓練を終了。

その後、午後から小火器の実弾演習に入った。

昨年は、風も強かったせいか、まったく音を聞き取れなかったが、

今年は風もなく、静かな日出生台に機関銃の音が

71分間にわたって、ほぼ連続して響きわたった。

5日間の155ミリりゅう弾砲の累計490発。

過去8回の訓練は、今年だけが5日間で、
他は8日が5回、9日が1回、10日が1回という形で実施されてきたが、
なんと今回の実弾砲撃訓練は、
5日間と短期間であったにも関わらず、
過去8回の中で3番目に多い砲撃数となった。

 

 

2月12日

(土)

米海兵隊指揮官 リカルド・ミアガニー中佐宛に
米軍訓練を強行実施したことについての抗議と
外出や「ボランティア」を中止して、
即時撤収するよう求める要請文を出しました。

リカルド・ミアガニー中佐殿

私たち住民の中止の願いを踏みにじって今年も強行された
日出生台での米海兵隊実弾射撃訓練に満身の怒りを込めて抗議するとともに、
米兵の集団外出、ボランティアを取りやめ、即時撤収を求める

 2月7日から5日間にわたって、日出生台演習場で行われた貴米海兵隊の実弾射撃訓練は、私たちのカウントでは、155ミリりゅう弾砲の総砲撃数490発、小火器については弾数は不明だが、最終日、約70分間にわたって昨年にも増しての激しい連射が実施された。
 今年の訓練は5日間と、期間こそ短かったものの、その短期間に集中的な激しい砲撃が実施され、結果としては、過去8回の一日平均砲撃数としては、もっとも激化した訓練となった。特に、2日目の8日には過去最多となる172発もの激烈な砲撃を実施。この日の夜には、夜間の砲撃数も最多を更新。4日目の夜には155ミリりゅう弾砲の11連射という、かつてない激しい連射が実施された。
 また、今年の訓練では、着弾時の音、衝撃、振動が例年より格段に大きく、監視をしていた私たちのユニットハウス全体が振動で揺れるほどの衝撃で、地元自治体や自衛隊にも多数の苦情や問い合わせが寄せられた。
 私たちは、再三地元から自粛の要請がなされてきた夜間に、むしろその願いを踏みにじるかのように、集中的砲撃、連射を貴殿らが実施したことに、驚きと怒りを禁じ得ない。住民配慮よりも米軍訓練を重視する姿勢をむき出しにし始めた貴殿らの訓練のあり方に、満身の怒りを込めて、ここに抗議する。
 また、予定されているという、米兵らの集団外出や、ボランティアについては、貴殿らが訓練情報を非開示とする理由として挙げてきた「セキュリティの問題」や「テロの危険性」が本当なら、そのような状況で外出するのは、住民の安心、安全を根底から脅かすものであり、情報を隠して危険を知らさなければいいという問題ではない。外出、ボランティアは中止して、日出生台から即時撤収するよう求める。
 最後に、私たちは、今後も、沖縄や本土のほかの移転地、米軍基地や演習に苦しむ人々と連帯して、このような「痛み」そのものがなくなっていき、どんな地域の住民をも犠牲にすることのない、本当に平和な社会の実現を目指して、今後も運動をよりいっそう強めていくことをお伝えしておく。

2011年2月12日
ローカルネット大分・日出生台

…と、上記、演習実施に対する抗議と外出中止の要請文を出したその同じ日に、米海兵隊の一部、十数人が、午前中に、演習場に近い、児童養護施設を訪ねて「ボランティア」活動をしたと九州防衛局は発表。「子どもと一緒に卓球をして遊んだ」のだそうだ。

しかも、2月12日~13日は「予備日」とされていた日であり、演習場の電光掲示板には「米海兵隊は演習場内の清掃中」と表示されている。そんな中で、こっそりとおしかけ「ボランティア」を出していたとは…。

 

この米軍が行う「ボランティア」は、あくまで「 」付きの「ボランティア」であって、本来ボランティアというものは、相手にとってそれが必要か、それをこちらに求めているのか、こちらがそれにふさわしいのか、それが逆に迷惑になることがないのか、など、慎重に検討した上で、行わなければ、ボランティアどころか、迷惑や逆に負担になることもあるものだ。

米軍が訓練終了後に毎回行う「ボランティア」。

「テロの危険性」をその身にまとい、「セキュリティ上の理由」から情報を公開しないで、やってくる「米軍ボランティア」は、その意味で、大きな疑問を持たざるをえない。

 本土5ヶ所のすべての訓練地で演習が終わる度に繰り返されるこの米軍による「ボランティア」。その本質は、演習継続、演習拡大、あるいは、米兵の周辺地域への外出完全自由化のための地元懐柔策ではないだろうか。

 

   
2月14日
(月)

2月14日(月)午前10時

夕べからの大雪の中を、

日出生台演習場から亀の井バス4台が出てきた。

米兵集団外出 

今年はなんと、玖珠・九重町内へ外出!!

 

・玖珠カウベルランド

米兵らはここで早めの昼食。

お酒は飲んでなかったようだ。

 

・高塚地蔵

 

 

・九重・夢大釣り橋

午後5時前に米海兵隊員らを乗せた4台の亀の井バスは

すべて演習場内に帰着。

今日の外出は、飲酒をさせなかったので、

トラブルは特別起きなかったように見えた。

「展開から撤収まで、外出も含めてすべて公務」として行われている米海兵隊の集団外出。

飲酒など許可する必要はないし、そもそも

情報を出さない理由として挙げている「テロの危険性」や「セキュリティ上の都合」が

本当なら、集団外出そのものを取りやめるべきだと再度、言っておきたい。


 

 

 

 


 

 

そもそも、この米海兵隊の移転演習は1995年の3人の米兵らによる少女の暴行事件をきっかけに爆発した沖縄県民の基地への怒りを逆手に取って、本土に移転したものであったことを考えると、住民のこの問題への不安な点の1つは治安問題でもあります。

私たちは、演習を終了したら、外出やおしかけの「ボランティア」などは行わないで、即時撤収するように枚か求めていますが、それでも外出や「ボランティア」をやめる気はないようで、毎回、外出が情報を出さないままに行われています。

仕方ないので、私たちは、むしろ、これを

私たち米軍訓練に反対する住民らが米兵らと直接会うことのできる絶好の機会

と位置づけなおして、様々なアプローチをすることにしています。

 

 

集団外出時の彼らは、終日の自由外出の場合、夜になるとお酒を飲み過ぎた米兵らの醜態やトラブルが起きることがよくあります。でも、昼間はまだお酒も回ってないので、アプローチしやすいです。

また、修学旅行スタイルで、大分県内の宇佐神宮や、うみたまご、高崎山を回るとき、お昼ご飯に焼肉食べ放題のレストランに入っているときなどは、集団行動なので、アプローチしやすいです。

といことで、私たちは今年も、可能な範囲で、以下のような取り組みを行いました。

 

 また、私たちは、毎回、外出した米兵らに対して、お守り袋にいれたメッセージを米兵一人一人に直接手渡しています。

 

今年は、九重の夢大釣り橋で、

米海兵隊員らに御守り袋を手渡しました。

彼らは「サンキュー」ととても丁寧に喜んで受け取ってくれました。

 

 

お守り袋の中には、

a good-luck charm

May you never kill anyone,

and never be killed by anyone.

May no one suffer

from your military bases and exercises.

May you go back to your hometown,

and live with your family and friends peacefully.

We wish one day you to visit here, our home town,

not as a soldier in U.S. Military force

which uses force most in this world,

but as An American citizen

who loves nature and people here.

Then, we will welcome you as our friend.

 

御守

皆さん方が誰かに殺されたり、

誰かを殺すことなく、

また皆さんの軍事基地や演習で誰かを苦しめることなく、

故郷に無事に戻り、

家族とともに

幸福に暮らすことができますように・・・

この次に来るときは、

皆さんが「アメリカ軍」という

世界でもっとも武力行使をする軍隊の

一員としてではなく、

この土地の自然と人々を愛する

一人のアメリカ市民として、

訪れてくださるように望みます。

そのとき、

私たちは心から皆さんの来訪を

歓迎するでしょう。

 

 

 


from the residents living here and around Hijudai

Please give us your opinions and thoughts.

Localnets Oita Hijudai

1525-12 Kawakami, Yufuin-machi

Oita-ken, Japan

 

tel&fax 0977-85-5003

harappa@oct-net.ne.jp

 

 

G.I.Rights Hot Lineの2011年版の新しいチラシ、

ようやくできました!

 

 

訳は、

 

 

これは、2009年に、ベトナム戦争の枯れ葉剤が原因の病気で
なくなった元アメリカ海兵隊員アレンネルソンさんから
若い海兵隊員の皆さんへのメッセージです。

 

親愛なる海兵隊員らへ


 私の名前はアレンネルソンです。私は1965年から1970年までアメリカ海兵隊員でした。私は1966年の夏、第5海兵隊として、ベトナムに派遣されました。

 私は兵士のカウンセラーをしていて、皆さんのような人々が軍隊から抜け出すのを援助しています。あなたは、自分が入隊時に契約した以外の仕事をさせられそうなとき、軍隊をやめることができるのを知ってますか。

 そしてまた、差別やいじめ、性的暴力、報復などにさらされたときも、やめることができるのを知ってますか。そしてまた、あなたが自分を良心的兵役拒否者であるとかんじるのであれば。

 毎日、軍隊にいる若い人たちは軍隊に入ったことを失敗したと痛感しています。そして彼らは、どこへ助けを求めたらいいのか知りません。多くの兵士たちが軍隊の中にいることしか選択の余地はないと思っています。でも、これは事実ではありません。

 あなたは米軍の兵士であっても、それでもなお人権というものを持っています。あなたの権利がどんなものであるか、知ってますか?

 この組織は、あなたが自分の権利を理解することを助けてくれます。覚えておいてください。あなたは海兵隊員である前に、一人の人間なのです。だから、これらの組織に電話をしてください。そうすれば、彼らはあなたに無料で相談に乗ってくれるでしょう。

 どうか懲戒除隊となることを恐れないでください。なぜなら、これらの除隊は通常除隊、あるいは名誉除隊に格上げすることができるからです。この組織は、あなたの状況に対処するためのカウンセラーや、弁護士を派遣することができるし、そうしてくれるでしょう。

 

<私たちのグループ「ローカルネット大分・日出生台」について>

 私たちは軍事基地や演習場の周辺に住む人々にも平和な暮らしの実現を求めて活動している市民グループです。この日出生台という場所は

1900年からずっと軍事演習場として使われてきました。

だから110年以上にわたって、私たちは銃や大砲の音やその恐怖とともに暮らしてきたわけです。

私たちは平和に暮らせることを求めています。

皆さんのご意見をください。

hijudailocalnet@gmail.com

というような意味です。

 

実は、この日出生台の米軍訓練が始まった最初の頃は直接、米兵らにチラシを渡していたのですが、後で、指揮官らに回収され、束にして返されてしまいました。それで、考えたのが、お守り袋に入れるという方法です。

米兵らは、いつ戦場に派遣され、何がおきるかわからないので、とても縁起をかつぎます。日本の文化にも興味があるので、綺麗な手作りのお守り袋は喜んでもらってくれます。ときには、もらえなかった兵士が私たちのところに、分けてもらえないですか?と頼みにくることもあります。

そして、この御守り袋を渡すという取り組みで、米海兵隊員らとちょっとした会話を交わすことで、僕らは、自分たちの運動をまた見直すことができる。

昨年末に見た「One Shot One Kill」という映画は、米海兵隊員らの新人キャンプに密着取材して撮ったドキュメンタリー映画だったが、藤本監督が「今、米軍に入隊するのは、真面目でおとなしい好青年の若者たちだ」と言っていた。

そして、この御守り袋を渡す取り組みを行うと、二十歳ぐらいのこんなあどけない若者たちがイラクやアフガンの戦場に送られて負傷したり、死んだりすること、また、相手を負傷させたり、殺したりすることになることに心が傷む。

彼らを戦場にやらないで済みようにするにはどうしたらいいのか。

兵士たちや兵士の家族たちを悲しませたり、苦しませたりすることのない、そんな社会を実現するために、どうしたらいいのか。

憲法9条を持つ日本の私たちの課題。

 

2月15日

(火)

 

この日も集団外出の可能性があったので、

日出生台演習場のゲート前に車を止めて待っていたら、

防衛局の職員が一通の封筒を持ってきて、くれました。

中には以下の手紙。

米軍指揮官ミアガニー中佐からです。

 

内容は、要するに、「私たちが会って、政治的な問題を語り合っても仕方ない。

それは政治家を通じてやって下さい」というもののよう。

 ボクらは米軍指揮官と会って、日米安保がどうの、アメリカの政策がどうのと
いう話をしたいと考えているわけではない。

今、この日出生台で行われている米軍演習について、
私たちが不安に感じている具体的なことがらについて、
現場の指揮官だからこそ答えられる、
現場の指揮官でなければこたえられないであろう質問をし、
その答えを求めたいだけなのだ。

過去4回の米軍指揮官との会見実現は、実際にそのようなやりとりが行われ、
おおいに有意義な意見交換ができたと考えている。

そして、この会見の要請にどう対応するかは、
実は、その年の米軍指揮官が住民への対応をどう考えているかを
象徴的に表しているとも考えている。

まさに、今回の米軍指揮官は、住民配慮よりも
米軍訓練を優先するタイプであったということなのだろう。

 

 

2月15日
(火)

2月15日(火)午前8時30分

雪の日出生台から6台の車が出発した

 

演習場ゲート入り口では
日通の現金輸送車らしき車が入り口を登って入ろうとしているのだが、
斜面でタイヤが滑って立ち往生していた。

この車が演習場に入るのを見かけるのは、
米軍訓練が始まる前の日の2月6日以来だ。

海兵隊員らに給料を届けにでも来たのかと思って見ていたが、
そうではなかったことは、後になって判明する。

 

日通の「現金輸送車」 らしき車は、
いくら頑張ってもタイヤが空回りするばかりなので、
結局、上まで登るのはあきらめて、その場でUターン。

そこへ、米兵や防衛局の職員らがそこに集まってきた。

運んできたものを受け渡しするのかと思ったら、
なにもその「現金輸送車」からは降ろされず。

運んできたのではなくて、
どうもこれから運んでいくらしい。

 

この「現金輸送車?」に乗せられたのは、
男女の米兵と思われる2人だった。

背中にはそれぞれ1つずつバッグを背負い、
男性の方は、緑色のケースのようなものを持って、
車に乗り込んだ。

前の席には、「現金輸送」の警備員姿のガードマンが2人。

ガードマンと言っても、この人たちは、
まさに現金輸送を警備する、警察官のような「武装」をしている。

8時40分頃、
防衛局の車1台、
米兵が運転するレンタカー3台(前2台は神戸ナンバー)、
日通の「現金輸送車」1台、
防衛局の車1台、
という順番で計6台が日出生台演習場を出発した。

午前11時ちょっと前。

到着したのは、福岡空港。


15人ぐらいの米兵が先に帰るらしい。


現地指揮官のミアガニー中佐はいなかったが、
どうも幹部連中らしい。

 

乗るのは「13時10分発のANA489便・沖縄行き」のようだ。

 

ところで、

現金輸送車に乗せられてやってきた2人組の方は、
他の米兵らとは別のカウンターで受付。

ところが…。


なにやら受付で、話がうまくいかない様子。

ANAの受付の女性たちが3人ほど集まってきて、
米兵の側にも防衛局員らがあつまってきて
あれこれと困った顔で話し合っている。

書類のようなものを書くように言われて、
米兵側がそれを出したようなのだが、
それでもまだ、話がまとまらない様子。

どうも雰囲気からすると、男女2人組のうち、男性の方が、
肌身離さない状態でずっと抱えてきた緑色のケースの扱いが
問題となっているようだった。

かれこれ20分ほどはやりとりをして、
ようやくなんらかの結論がでたらしく、
2人の男女は移動を始めた。

 

 

この段階でやっとはっきりわかったのだが、
わざわざ「現金輸送車」で厳重に警備をして守っていたのは、
現金や、2人の男女ではなくて、
このノートパソコンが2個入るくらいの大きさの
緑色のケースだったようだ。

 

ケースにはPELICANの文字。

PELICANは、このようなケースのメーカーの名前で、
中身とは直接関係がないようだ。

たぶんスポンジのようなものが中に入っていて、
なにかを衝撃から守っていると考えられる。

彼らは、これを預け荷物ではなくて、
手持ちで飛行機に持ち込むつもりのようだ。

 

この2人の男女は、

他の米兵らとは別にチェックイン入り口に向かったのだが、

その後ろを日通の2人組ガードマンらが

しっかりとガードしながらついて行く。

 

 

 

 

チェックインの金属チェックに
緑のケースを運ぶ2人組が入っていく。

 

ここで見送るのかと思ったら、
日通のガードマン2人も、
そのまま一緒に中へ…

 

なんと、ガードマン2人は、
緑のケースを運ぶ男女2人を警備したまま、
金属チェックのさらにまたその奥へ…

そして、その向こうへと4人とも消えていった。

どうやら、ガードマンらは、
飛行機に乗り込むために待機する待合所にまで、
警備のために同行していったようだ。

13時10分、沖縄行きの飛行機が飛び立った後、
この2人の日通警備員は
駐車場の「現金輸送車」に戻ってきた。

さすがに沖縄までは一緒に行かなかったようだ。

 

それにしても…。

そこまで厳重に警備する必要があった緑のケースに入っているのは、
いったい何なのか?

重要な書類といったレベルではここまでの警備をすることはないだろう。

まさか弾薬ではないだろうが、
それは危険物ではないのか?

民間の旅客機に民間の旅客と一緒に乗せても
大丈夫なものなのか?

ANAの受付カウンターで
どんなやりとりがあって、
最終的にどういう判断で通過が許可されたのか?

 

防衛局員らも受付でのやりとりには加わっていたので、
彼らはそれが何だったのかをおそらく知っているだろう。

これについては、あらためて
防衛局に質問をしなければならないと思う。

もし、米軍の特権で、
危険物が民間旅客機に一緒に乗せられていたとするなら、
これは大変なことだ。

 

*************************

 

それで思い出すのは、かつてこの米軍の本土移転演習において、
全日空機が弾薬を積んで運んでいたという記事。
防衛施設庁はこれまた「問題ない」というのだが…。

 

在沖海兵隊/
全日空機で武器運ぶ/
97年度の砲撃演習/
嘉手納から横田基地へ


1999年3月15日  琉球新報


在沖米海兵隊が1997年度に行った実弾砲撃演習の際、民間機で武器・弾薬を運んでいたが、防衛施設庁は15日までに、運んだ時期は97年6月末で、輸送したのは全日空機だったことを明らかにした。同機は山梨県の北富士演習場で演習が行う海兵隊員を乗せ、嘉手納基地から横田基地へ向かった。輸送を委託した防衛施設庁は「米軍の要請で認めた。法律上は問題ない」と説明している。輸送した全日空側に対しても「積み荷の説明をしていた」という。
防衛施設庁によると、同機には約70人の隊員が乗り込み、指揮官用の短銃一丁と実弾30発は、コックピットの近くに置かれた。それ以外の自動小銃数十丁と十数丁の短銃は、弾丸を装填(てん)しないで、アルミケースに入れて貨物室に積み込んで運んだという。


施設庁は当初、地元と国民感情を考えて武器・弾薬を持ち込まないように要請した。しかし米軍は指揮官用の短銃と、弾丸30発だけは機内に持ち込みたいという意向を示したという。


民間航空機で武器・弾薬を運んだ根拠について施設庁は、「日米地位協定第五条に該当する」という見解を示していた。同五条が適用されると「民間機は米軍機と同じ扱いを解釈上受ける」と説明。「米軍機」であるなら「『日米地位協定の実施に伴う航空法の特例に関する法律』で航空法の適用を除外される」とした。つまり「フリーで運べる」(同庁)ことになる。


ただし、同庁は「航空法に準拠してこん包などの安全対策をとった」と説明した。


(共同)

 


 

在沖米軍の武器、弾薬輸送
/実弾演習の本土移転
/民間業者を国が手配
/ガイドラインの実施が現実に


1999年3月4日 琉球新報


本土に移設された在沖米海兵隊の県道104号越え演習の際、人員や物資だけでなく、民間の航空機と船を使って武器・弾薬の一部が沖縄から運ばれていたことが3日までに明らかになった。一連の輸送は、米軍に代わって防衛施設庁が手配した。同庁が民間業者を使い、沖縄から弾薬を輸送したのは初めて。民間機による爆発物の輸送は、航空法で基本的に禁じている。今回の場合、防衛施設庁は「地位協定によって航空法の適用が除外される」と説明した。
審議中の日米防衛協力のための新指針(ガイドライン)関連法案は有事の際、民間の武器・弾薬輸送が焦点の一つ。今回、民間輸送が明らかになったことで、専門家の中から「ガイドラインの実施が現実のものになりつつある」との声が上がっている。


防衛施設庁は琉球新報の取材に対し、1997年度に一回、民間航空のチャーター機を使って人員と小銃、ピストル、弾丸を輸送。さらに同年度に二回、民間の貨物船を使って155ミリりゅう弾砲の弾薬を輸送したことを明らかにした。97年度は北富士、矢臼別、王城寺原、東富士の四カ所で演習が実施されているが、どの演習だったのか同庁は明言を避けた。


民間航空機で運んだ銃と弾丸の数量についても防衛施設庁は明らかにしなかったが、それぞれ別々にこん包したという。在沖米海兵隊報道部は「こん包された武器、弾丸は武装兵が監視した」と答えた。


民間機で武器・弾薬を輸送した法的根拠について防衛施設庁は「『日米地位協定の実施に伴う航空法の特例に関する法律』により、爆発物などの輸送を禁止した航空法の適用を除外される」と説明した。ただし安全対策として「航空法に準拠して弾薬をこん包した」と説明した。さらに「日米地位協定第五条が適用される」との見解も示した。同協定五条が適用されると着陸料、入港料が減免される。


県道104号越え実弾砲撃演習は、沖縄の米軍基地の負担軽減を目的に本土移転が決まり、1997年からことし2月までの間に、本土演習場で八回実施された。演習の際、海兵隊員と155ミリりゅう弾砲、車両、装備品などは沖縄から現地へ運ばれた。沖縄からの弾薬輸送について防衛施設庁は「警備上の問題」としてこれまで公表しなかった。


ガイドラインの実施が現実に


軍事評論家の前田哲男東京国際大学教授の話 周辺事態法案が想定する日本周辺有事の際、武器を積んだ航空機は交戦当事国から攻撃対象となる。今回民間機での銃輸送の事実が出たことは、ガイドラインの先取りという段階から、実施が現実のものとなりつつあることを意味する。


労組は輸送反対を表明/航空会社は慎重姿勢


米軍演習の移転で弾薬輸送が行われていたことを受けて、航空業界・港湾関係で働く労働者から「安全を損なう」「あってはならない」など反対の声が上がっている。国内の航空会社は平時の弾薬輸送について運べる、運べないの見解はまちまちだが、有事の際協力要請があるときの対応についてはコメントを避けた。周辺事態法案の審議を慎重に見守っている状況だ。


全日空は「火薬・弾薬はノー(運ばない)というのが平時の社内基準としてある」と平時の弾薬輸送に対する基本的な方針を話した。「平時ではなく有事については、協力がどういうことになるのか、法案も現在審議中で、政府から説明も受けていないし、(現時点では)コメントしにくい」と法案の審議を見守っている状況だ。


一方、「武力行使を目的とした武器・弾薬輸送はすべきでない」との基本方針を持つ日本航空は、平時の輸送について、荷主がだれであれ航空法上安全と認められているものは運べるとの見方を示した。しかし有事について「(要請があったらどうするかといった)仮定の話をしても答えようがない。協力要請があったときに考えてコメントしたい」と話した。


民間航空機の武器・弾薬輸送について、航空関係労組からなる航空安全推進連絡会議(川本和弘議長)の山上慶之副議長は「(平時だろうと有事だろうと)武器・弾薬・兵員輸送には明確に反対だ」と言い切った。


また船の弾薬輸送について、民間の港を使った弾薬の積み降ろしに反対している全港湾沖縄地方本部の大城武志委員長は「どこの港から弾薬が積み込まれたのか明らかになっていないが、民港での弾薬の取り扱いがあってはならない。今後とも県や那覇市に反対の要請をしていく」と話した。

 

 

う~ん。

上の記事を読んでいると、
なんだか、日本の法律って、
米軍の都合でなんとでも解釈されて、
結局、米軍がやりたいことを追認しているだけみたいだ。

でも、そこで置き去りにされているのは、
いつも住民の安全。
日本政府が優先するのは自国民よりも米軍。

 

さて、今回の緑のケース。
弾薬なのか、どうかも不明だが、
いずれにしても、
この件は、場合によっては、
私たち一般市民の生命の安全に関わるかもしれない問題。

 

防衛局や米軍には、
きちんと納得のいく説明を
してもらう必要がある。

 

…ということで、

今度は、現地対策本部長宛に、
2月16日、「公開質問書」を出すことになりました。

 

ローカルネット大分・日出生台
大分県由布市湯布院町川上1525-12

 

現地対策本部長
 松本俊彦 様

 

日出生台での米軍訓練に関する防衛局への公開質問書

 

 日出生台演習場で行われている米海兵隊の実弾砲撃訓練について、住民の暮らしの安心と安全を守り、また、私たちの税金が私たちの幸福のためにきちんと使われているのかをチェックする納税者の立場から、以下、質問をさせていただきます。2月15日火曜日、午前8時半頃に日出生台演習場を出発し、正午前に福岡空港に到着した米海兵隊員らについて、質問します。

1)上記の2月15日に福岡空港へ昼頃に着いた米海兵隊員らは、沖縄へ撤収したのですか?


2)彼らの出発について、報道や地元自治体などに通知連絡はされましたか?もし、通知連絡されなかったのであれば、それはどのような理由からですか?


3)この2月15日に、福岡空港に着いた米兵らの一人が持っていた、大きなカギの着いた緑色のケースについて、お尋ねします。

 この緑色のケースは、日出生台から福岡空港まで、これを運ぶ担当と見られる2人の男女とともに、日通の警備輸送車に乗せられて、厳重警福の下、福岡空港に輸送されました。また、到着後も、この緑のケースを運ぶ男女2人には、護身用具をつけた警備員2人が常に同伴し、周囲を警戒。搭乗受付の全日空カウンターでは、その緑のケースの持ち込みについて、なかなか許可が得られない様子でしたが、防衛局員らが何度も説明し、全日空側担当者も内部での検討をした後に、ようやく了承が得られた様子でした。
 また、その後、この2人の男女は、緑のケースを持って、一般搭乗客と同様に、金属探知機のある入り口へと入って行きましたが、警備員らはそこにも同伴し、なんと、さらに、飛行機に乗り込むための待合所にまで同伴警備するという念の入れようでした。この緑色のケースについて以下、質問をいたします。

3-1)この緑色のケースの中身はなんですか?


3-2)それを私たち一般市民の乗る旅客機に乗せて、危険はないのですか?


3-3)全日空の搭乗カウンターでは、なぜそのケースの持ち込みに時間がかかったのですか?


3-4)同様のものを毎回、持ち込んだり、持ち出したりしているのですか?

 この質問は、その厳重警備下で運ばれた緑色のケースが、万一にも危険物であった場合に、私たち一般民間人にもその危険性が及ぶ可能性があるのではないかとの不安から質問をさせていただきました。どうか、私たちの不安を払拭していただけるような、納得のいく説明をしていただけますよう、お願い申し上げます。


 なお、回答については、内容を誤って公開するといけませんので、ご回答は文書にて、ローカルネット大分・日出生台 tel&fax 0977-85-5003までファックスにてお願いいたします。

要するに、
そこまで厳重警備を必要とするこの緑のケースは、
本当に民間旅客機に一緒に乗せても大丈夫なんですか?
という質問書。

九州防衛局の真摯な回答を期待しています!

 

2月18日
(金)

米軍本隊撤収 朝7時 

情報がない中で、抗議をするには、交代でゲート前を見張るしかない。

朝7時ぐらいから交代でゲート前に来てみることに。

ゲート前にある大分県の現地対策本部の明かりがついているのを確認。

やはり、早朝から出るらしいということで、

急きょ集まったのは、地元の衛藤洋次さんを含めて4人。

直前までザーザーと降っていた雨も、

私たちのために上がってくれた。

毎年、この米軍本隊の撤収には、

どんなに人数が少なくても抗議をしている。

約1ヶ月(今年は3週間)の米兵の滞在がもうすぐ終わるかと思うと、

なぜだか自然にみんな笑みがこぼれてくる。

やはり、この期間、ずっと緊張しているのだ。

それが、すこしずつ緩み始める。

 

午前7時半ちょうど、バスが出始めた。

Marines Go Home!

Not to Okinawa!

Back to America!

Don't kill anyone!

 

迷彩服の米兵ら110人を乗せた、亀の井バス3台に対して、

私たち4人は声をあげた。

 

バスの中からは、大きく手を振る海兵隊員たち。

カメラでこちらの写真を撮る兵士たちも。

これを「挑発的に」と、見るのか、それとも、「名残惜しんで」と見るのか、

おそらくはその中間のどこかなのだろう。

 

いずれにしても、

米軍が滞在している期間中に、

もっとも長く彼らと一緒に過ごした

地元住民は私たちなのだ。

 

ここで、抗議をしている姿を見て、

「ああ、あのとき、ずっと一緒に歩いた人たちがいる」と

思い出した兵士もいるだろう。

 

Marines Go Home!

みなさんが、本当にいるべき場所に帰りなさい。

それは戦場でも、演習場でも、基地でもなく、

故郷の家族や友人、大切な人たちが待つ場所へ。

 

 

 

 

 

 

 


 

2月16日に九州防衛局に提出した
公開質問書への回答
2月18日、電話でありました。

 

予想はしていましたが、
結論としては、
不安を抱いている私たち住民ににとって、
実に中身のない、
たいへん残念な内容の回答でした。

 

 問題となった「緑のケース」については、結論として「中身は言えない。米軍から言うなと言われている。貴重品であって、危険物ではない。ガードマンを付けたのは米軍から要請を受けたから」ということでした。

 中身を明かさないまま、ただただ「危険はない」とだけ繰り返す防衛局の回答に、むしろ不安と不信が募る結果となりました。

 

 

○2月18日午後、防衛局より電話あり。

○文書での回答を求めていたのだが、結局、今回も口頭での回答
 となった。防衛局は、これまで同様の質問に対して、文書での
 回答を一度もしたことがない。文書で回答することで、責任を
 問われることを避けたいのであろう。

○いつもは、冒頭で、文書回答を求めて、回答に入る前に、毎回、
 延々と議論になるのだが、今回は、時間がなかったので、最初
 から、録音して、後でテープ起こしをして、整理することにし
 た。

 以下、こちらから出した質問内容とそれに対する回答。

 実際はこんなに理路整然としたやりとりではなく、延々と確認の
 やりとりをした録音からテープ起こしして、以下のように整理し
 た。

 

 

 

1)上記の2月15日に福岡空港へ昼頃に着いた米海兵隊員らは、沖縄へ撤収したのですか?

この日は、海兵隊は撤収の準備をしており、早く仕事が終わった者が多少早めに帰った。


2)彼らの出発について、報道や地元自治体などに通知連絡はされましたか?もし、通知連絡されなかったのであれば、それはどのような理由からですか?

本隊とか、後発隊という大きな移動については、自治体、報道等に当然、公表している。個々の小さな移動については公表していない。


3)この2月15日に、福岡空港に着いた米兵らの一人が持っていた、大きなカギの着いた緑色のケースについて

3-1)この緑色のケースの中身はなんですか?

緑のケースの中身は危険物ではない。米軍に確認している。
あえて言うなら「貴重品」。

防衛局としては米軍に中身を確認し、把握しているが、
米軍に言わないように言われているので、公表できない。

細かい中身はわからないが、
米軍から、そういった「貴重品」なので、
ガードを付けてくださいと言われたので、ガードマンをつけた。


3-2)それを私たち一般市民の乗る旅客機に乗せて、危険はないのですか?

危険はない


3-3)全日空の搭乗カウンターでは、なぜそのケースの持ち込みに時間がかかったのですか?

ガードマンを急きょ空港の中までやることになったからだと思う。


3-4)同様のものを毎回、持ち込んだり、持ち出したりしているのですか?

これだけ、回答漏れになってましたが、
2月23日、防衛局に電話で確認したところ…

回答は

「毎回持ち込んでいたかについては、承知していない。また記録もない」

「危険でないのだから、なにも問題ない」との返事。

 

最初から期待はしてなかったが、

やはり、緑のケースの中身について、

防衛局は結局、まったく答えず。

ただただ「危険はない」と繰り返すだけの

実のない回答。

 

「国の責任でやる」と言って地元の反対を押し切って始まったこの米軍訓練、

これで国は、説明責任を果たしているといえるのか?

 

これでは住民の不安は

募るばかりだ!!

 

この防衛局の不誠実な回答について
大分市内在住の東本さんから、
以下のようなコメントをいただきました。

ご本人の了承を得て、以下、転載します。

 その回答はひとことで言って「中身は言えない。米軍から言うなと言われている」というもの。

 九州防衛局の幹部の面々の視野には米軍の存在はあっても、国民は存在していないのです。

 米軍に具申する情報はあっても国民に開示する情報はない、というのです。

 いまさら言うにも及びませんが国(民主党政権)及び防衛省(北澤俊美大臣)がいかに米国・米軍の下請け機関化(傀儡化)しているか、を改めて垣間見せられる思いです。

 96年の日米首脳会談以降、日米防衛協力のための指針(新ガイドライン)、周辺事態法、有事3法、国民保護法・計画が次々と成立し、その基礎の上に日米軍事一体化、在日米軍再編という同盟の変質強化が進んでいますが、大分・日出生台においても年を追うごとに米軍の訓練日程の情報は市民に開示されなくなっています。

 その反面、地元自治体には「他に口外しないように」との条件付きで米軍の訓練日程の情報は伝えられ、米軍訓練についての情報統制が「訓練」されていっています。

 まさに私たちの国ではいま「国民保護」という名のもとに憲法に違反する有事における民間防衛訓練が公然、非公然に着々と進められているのです。

東本高志(大分市)

 

 

 

 

2月19日
(土)

<米軍後発隊撤収>

 

いよいよ、最後の米海兵隊員たちが帰る最終日。

例のごとく、何時に出るのか、発表がないので、

70歳の早起き山下さん(下の写真、真ん中)が

朝6時からゲート前でずっと監視。

 

山下さんもさすがに今年は

遠くが見えない、

カラダが疲れるといいながら、

それでも、この役を買ってでてくれている。

 

山下さんからバスが入ったとの連絡が来たのが、8時半過ぎ。

 

この日は、昨日よりなんと1.5倍も人数が増えて、6人が参加!

実際、どんなに少人数の抗議であっても、

この最終日だけは、これをしないと、

自分たちの暮らしの切り替えができない気がする。

そんな人たちが集まるのが最終日。

 

 

午前9時ちょうど。

最後に残ったアメリカ海兵隊員ら、20人を乗せたバスが

私たちの前を出て行く。

Marines Go Home!

Not to OKINAWA!

Back to America!

 

後発隊を見送るとき、

いつも思うのは

外出した米兵らに直接手渡した

お守り袋のメッセージ

 

この次に来るときは、

皆さんが「アメリカ軍」という

世界でもっとも武力行使をする軍隊の

一員としてではなく、

この土地の自然と人々を愛する

一人のアメリカ市民として、

訪れてくださるように望みます。

そのとき、

私たちは心から皆さんの来訪を

歓迎するでしょう。

 

 

 

そして、

海兵隊員らを乗せたバスが去った後、

日出生台には

ようやく安堵の春が訪れ始める