日出生台ぴーすあくしょん2012

 

<米軍による日出生台 事前調査>

2011年12月13日 

来年1月の9回目の米軍演習のための事前調査隊が日出生台に。

100人が抗議!

 

由布院盆地に立ちこめる霧の中から、米軍の調査隊を載せたバスが現れた。

 

日出生台演習場ゲート前には、労働組合、自治労、
教職員組合などで構成する平和運動センターと、
私たち住民グループ「ローカルネット大分・日出生台」、
日出生台各界連、
あわせて約100人が集まった。

来年1月には、日出生台では9回目となる米軍訓練が
行われようとしている。

1回目の米軍演習が始まった99年から12年の歳月が過ぎた。

平和運動センターの河野事務局長は、「1回目のとき、48歳。
今、60歳になった」と挨拶した。

もじゃさんも、1回目のときは36歳。今は48歳だ。

でも、日出生台の抗議の声は12年たっても変わらない。

この米軍訓練は、私達が当初から危惧してきた通り、
なし崩し的に拡大を続けてきた。

当初は、155ミリりゅうだん砲しか撃たないと言っていたのに、
いまや、あらゆる武器が使われるようになった。

この米軍演習が始まった頃には、
見たこともない照明弾や白リン弾が
日出生台の空で炸裂した。

ここに集まった人たちは、
それを目の前で、直接見てきたからこそ、
この訓練を許してはならないことを知っている。

この米軍訓練にノーということは、
すなわち、故郷、日出生台の暮らしを守ること。

沖縄を始めとする、
基地や演習場と隣接する暮らしを強いられてきた住民たちの
もうこれ以上の負担はゴメンだという怒り。

このクニが米軍の戦争に巻き込まれていくことに対するノーであり、
目の前にいる若い米兵たちが、
「国家のために」戦場で犠牲になることに対するノー。

それぞれがそれぞれの人の思いをもって、ここに集まり、
ここで、抗議の声を上げる。

ガンジーは言った。

「あなたの行う行動が、ほとんど無意味だとしても、
 それでも、あなたは、それをやらなければなりません。
 それは、世界を変えるためにではなく、
 あなたが世界によって、変えられないようにする為です」

 

 

また、日出生台に、そんな季節がやってきた。


 

1/24 大分県知事に、日出生台の米軍訓練中止を求める要請文を提出しました

 

1月24日、
2月からの米軍演習開始を前に、
住民として大分県知事宛に
この訓練の中止を求める要請文を
提出しました。

 

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大分県知事 広瀬勝貞 様
                  
    日出生台での米軍訓練の中止と、県民への情報公開を求める要請文

 日出生台演習場では、通算9回目となる米海兵隊による実弾演習が、来月、実施されようとしています。私たちは、この訓練が本当に、国が当初、説明してきたとおりになされているのか、なし崩し的な拡大がおこなわれてはいないか、協定として結ばれた約束事項は遵守されているか、訓練が拡大し、恒常化し、私たちの暮らしに影響を及ぼすような事態に発展するような兆しはないか。それらを芽の時点で発見し、摘み取ることで、拡大をくい止めたいと、抗議や監視の行動に取り組んできました。
 日出生台では過去8回実施された米軍訓練。99年の初回から、これまでの経緯を振り返ってみるとき、私たちは、その大きな変化、演習の変質のすさまじさに愕然とせざるをえません。
 当初、「米軍が使用する武器は155ミリりゅう弾砲のみである」と説明されていましたが、いまや、米軍は、小銃、機関銃を使った様々な実弾射撃訓練ができるようになりました。日出生台では協定まで作り、規定していたにもかわからず、米軍の要請によって、協定はいともたやすく書き換えられ、2010年から小火器も交えての実弾射撃訓練が始まりました。
 また、この年の訓練では、白リン弾、照明弾の砲撃も初めて実施されました。それに伴い、複数の林野火災が、これまた日出生台での米軍訓練では初めて発生する事態となりました。
 このように、以前は使われなかった新たな武器と特殊な砲弾が次々と使用され、それまで見たこともない光景が、私たちの目の前で次々と繰り広げられました。さらに、昨年の訓練は、5日間という短期間であったにもかかわらず、一日の砲撃数として過去最多を更新する激しい演習が実施されました。
 私たちは、この訓練が、当初の「沖縄の痛みの分散移転」「県道104号線越え155ミリりゅう弾砲の実弾砲撃訓練の移転」という、当初の名目を離れ、いまや米軍がやりたい訓練をやりたいようにやる場へと大きく変えられつつあるのではないかと危惧せざるをえません。
 また、このような演習の変質、武器や砲弾の種類、砲撃数が拡大していく中で、米軍部隊の移動に関する情報は「テロの危険性」を理由にだんだんと出なくなってきました。情報公開は、私たち住民の不安を取り除き、訓練の実態が問題がないかどうか、マスコミや私たち県民が検証する上でも重要であり、すべてつつみ隠さず、公開してもらわねばなりません。また、このような「テロの危険性」が事実であれば、県民生活の安心、安全を考えるとき、もはやこの米軍訓練の受け入れそのものを見直すべき時期に来ているといわざるをえません。
 よって、私たちは、以下の3点を、大分県に対して申し入れます。
1)日出生台の米軍訓練の縮小廃止に向けた大分県としての具体的なプランをお示しください。
2)米軍訓練に関するすべての情報の公開を国に求めてください。
3)大分県が得た米軍訓練に関するすべての情報を大分県民に公開するよう求めます。


2012年1月24日 
ローカルネット大分・日出生台

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2月1日、みぞれ交じりの雨の中、米海兵隊 先発隊が日出生台入り。ゲート前は抗議の嵐。

 


2月1日、午前10時に
呼びかけに応えて集まった人たちはあわせて約80人。

雪になりきれず、冷たい日出生台の雨が皆の服をびしょ濡れに濡らす。
カッパを着ていても、横殴りの雨は容赦なく、服の中にまで入ってくる。


 


最初に到着したのは海兵隊を載せたバスではなくて、
米軍演習用の物資を載せたトラック8台だった。

昨年はトレーラーは7台だったことを考えると今年は1台増えているようだ。
シートの隙間から大きなタイヤらしいものが見えた。
1つはなにかの車両が乗っているようだ
これらのトラックは福岡空港から海兵隊員らと一緒にやってきたらしいが、
なぜ、3日に陸揚げされる大分・大在埠頭の他の米軍車両とは別に
運ぶ必要があるのか。

 


2時間近く待った11時55分。
海兵隊員ら米海兵隊先発隊30人を載せた亀の井バスが日出生台演習場へと入った。
その後ろには、彼らの荷物を積んでいると思われる日通のトラックも

雨の中での待ち時間は2時間。
抗議のバスが通過するのは10数秒。

この10秒のために、毎年、私たちはここに集まり、
寒い中で凍えながら抗議をする。

なぜか。

これまで日出生台で9回行われてきた米海兵隊の実弾砲撃演習。
この訓練が、当初の国の説明をはるかに越えて、毎年拡大してきていることを
目のあたりに見てきたから。

この次々と重ねられていく約束違反の未来には、
米軍訓練のさらなる激化、演習の期間の拡大、
訓練の恒常化、部隊の常駐化、さらには米軍基地化という
可能性を感じずにはいられないから。

 


米軍到着と同時に、演習場の地元では、
今年もタクシー通学が始まりました

 

目的は「住民の安全対策と不安解消」。

そもそも、この米軍演習が移転になったのが、
沖縄で1995年に、3人のアメリカ海兵隊員が起こした
少女への暴行事件がきっかけだったので、
まず、なによりも地元住民が不安に思っているのは治安問題。

日出生台では1回目の99年からずっと
この自治体によるタクシー送迎への補助と、
保護者の送迎へのガソリン代補助が行われている。

 


2月2日 米軍本隊到着。 氷点下、吹雪の日出生台で抗議行動


ここの日は氷点下の気温。
路面凍結のため、大事をとって、平和運動センターは集会を中止。

私たち住民グループは、雪に対応したクルマを持っている人たちと乗り合わせて集まった約20人で抗議行動を行った。

実はこの抗議行動。
米兵が乗るバスに向かってやるわけだが、
別に、僕らは、彼らになんの恨みも憎しみもあるわけじゃない。

では、なんで、抗議をしているのか?
あるいは、何に抗議をしているのか?

僕らが抗議をしているのは、
住民、県民の願いを踏みにじって、
米軍の実弾砲撃演習が強行されようとしていることに対してだ。

それは、米兵個人に対してではなく、
この状況を許している日本政府に対して、
あるいは、日米両政府に対してだ。

かつて、
名前は忘れてしまったが、米軍のトップに近い幹部が
「歓迎されていないところには行きたくない」と発言したことがあった。

であれば、私たちは、米軍がここで演習を行うことを
「歓迎してないよ」と意志表示したいと思う。

かつて、アメリカの公民権運動の指導者、キング牧師はこう発言したという。
「最大の悲劇は、悪人の暴力ではなく、善人の沈黙である。
 沈黙は、暴力の陰に隠れた同罪者である。」

将来、振り返って見たときに、
あのとき、ああしていればよかったと後悔することのないように、
せめて、今、自分にできる最低限のことをしておきたい。

沈黙するのではなく、
イヤなものはイヤですと
意志表示をしておきたい。

 


2月3日 後発隊70人到着。
155ミリりゅう弾砲、米軍車両搬入。

*初めて見る車両が2台。


2月3日、この日は、155ミリりゅう弾砲と米軍車両の大在埠頭からの陸揚げ。
日出生台演習場までの搬送が行われた。

まず、最初に、大分市大在埠頭を11時に出発した日通と鶴見運輸のトレーラー
8台が、12時16分、湯布院インターを通過し、日出生台演習場へ入った。


その後、大在埠頭を11時23分に出発。5分おきに2台ずつ出発した
155ミリりゅう弾砲を乗せたトレーラー6台が、
12時29分、湯布院インターを通過し、日出生台演習場へと入った。

 

 


その途中で、
2月1日、2日に入った米軍の先発隊30人、本隊120人に続いて、
最後に残った後発隊70人を乗せた亀の井バス2台も
12時55分、湯布院インターを通過して、日出生台へと入った。

これで、今回の部隊の兵士らは全員そろったことになる。

こんな形で、部隊がすべてそろわないうちに、
155ミリりゅう弾砲と米軍車両の陸揚げ搬送が行われるのは
過去8回の訓練でおそらく初めてのことだ。

部隊の到着日程を前年度から推測されないようにと
わざとそんな変則日程にしたとは考えにくいのだが、
まさにそんな感じで、毎年、日程は変化している。


そして、13時14分。米兵自らが運転する米軍車両が湯布院インターを通過。
計53台の米軍車両が5台ずつグループになって通過した。

その中で、今回、これまでには見たこともない車両を見つけた。
それが次の写真。

 

一台ずつアップで見ると…

インターネットで調べてみると、
車両の名称はM1074というらしい。

Wikipediaで調べると、

この車両は、HEMTT  Heavy Expanded Mobility Tactical Truck(重高機動戦術トラック)に分類され、その主要任務はアメリカ陸軍に兵器システムや戦闘車両などの充実した補給・補充能力を提供することである。標準的な5トントラックに比べて、多くの車輪、全輪駆動と太い低圧タイヤの組み合わせ、そして過給機付きエンジンによるきわめて高い駆動性を誇る。M1エイブラムスのような機甲戦力を兵站の面から支える極めて重要な役割を担うにもかかわらずハンヴィーと比べてほとんど広告されていない。アメリカ軍の重輸送車両の重要なワークホースであることを現在13,000両ものHEMTTが運用中であることが物語っている。

様々なものを積載できるようになっているようで、
同型車ではこんな使い方も…。

 

まあ、さすがに日出生台でこんな使い方をすることはないだろうけど…^^;

しかし、いずれにしても、あきらかにこれまで使ったことのない車両が
最低2台は持ち込まれている。

この意味するところがなんなのか、素人の私たちにわかるはずもないが、
今年の監視行動は、これまで以上に、小さな変化も見逃さない厳しい監視が
必要だろう。


 

2/4 なんと、ナンバープレートのついてない車両が…

 

上の写真、この車両、後部にはナンバーが見当たらない。

 


上の写真、この先頭車両にもナンバープレートがついてない。

 


この真ん中の車両も。

 


上写真、3番目の車両にはナンバープレートが見当たらない。

 

 

 

 

 

沖縄でも、このナンバープレートのついてない米軍車両が公道を走ることについて、問題となっていて、
SACOの最終報告の
地位協定の運用の改善の第2項では、

◆全ての非戦闘用米軍車両には平成九年一月までに、その他の全ての米軍車両には同年十月までにナンバープレートを取り付ける。

とされています。

そこである新聞記者にこの問題を尋ねたところ、調べてくれて、日米地位協定にその問題に触れているところがあると、その部分を教えてもらった。

当該の部分はこうなっている。

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米軍紅葉車両番号標に関する日米合同員会合意について
平成8年3月28日 外務省

日米地位協定第十条2に関し、平成8年3月28日の日米合同委員会において、別紙のとおり承認された。

合衆国軍隊の公用車両は以下のとおり表示を掲げる。

1,すべての車両は、日本の公道または私道において運用される際には、車体の前方及び広報部に番号票を付ける。この番号票は、横30,5センチメートル、縦15.5センチメートルより小さくないものとする。この番号標は明瞭に視認され、また、白色の背景に黒、青、又は赤色の明確な識別番号を付したものとする。また、技術的に困難な場合、または運用上禁止される場合を除く外、夜間に番号標が視認されるようにするため、車両の後方部に番号灯を取り付ける。

2.車両が合衆国軍隊の施設及び区域内で運用される間には、上記1の番号標を付ける必要はない。合衆国軍隊の施設及び区域から出発港へ、又は、到着港から合衆国軍隊の施設及び区域へ車列を組んで移動する車両は、上記1の番号標を付ける必要はないが、個別の記号を付ける。ただし、車列の先頭車両及び最後尾車両は、上記1の番号標を付ける。

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上記の第2項があるために、今回の場合、日米地位協定によって認められているということになり、問題とはならないだろうとのこと。

う~む…ゆん

2月7日

これが弾薬輸送トラックだ! 「火」のマークにご用心

2月7日、
米軍が日出生台で使う弾薬を運ぶトラックがやってきました。
運ぶのは日通。
日程は非公開。
なので、こんな危険なものが身近に走っていても
誰も気づきません。
知らぬが仏。

長崎からの連絡では、
10時30分 佐世保・前畑弾薬庫を4台出発。
10時45分  次の4台が出発

湯布院インター到着は、
13時13分 「火」マークのついた弾薬輸送トラック4台通過


13時24分 4台通過

 

 


「火」は火薬を積んでいるというマークです。
このクルマを見かけたら、ご用心。