この講演録は、2002年5月3日に大分市文化会館でおこなわれた広島大学助教授の岡本篤尚先生の講演を録音したものを、ローカルネット事務局がテープ起こしをし、見出しをつけて、要旨として編集したものです。この講演録の内容における文責はローカルネット事務局にあります。

「有事法制ち、何なん?」  岡本篤尚氏 <講演要旨>
2002年5月3日 大分文化会館

 「有事法制とはなにか?」ということで、現在国会に上程されています「武力攻撃事態法案」「自衛隊法改正案」「安全保障会議設置法改正案」この三法案の問題点についてご説明したいと思っています。

■現代の戦争の特徴

 この間、たくさんの新聞とかテレビから取材を受けました。記者の方たちが一番最初に聞きたがるのは、「これで国家総動員体制になりますか?」「徴兵制になりますか?」ということです。私はいずれも「なりません」と答えています。それは、なぜか。今回の法案が、日本が武力攻撃をされた場合の「本土決戦」型を想定したものではないからです。今回の法案というのは、あらかじめ結論を申し上げておきますと、米軍に協力して自衛隊が海外に出ていく。そして、そこでいかに自衛隊が武力を行使するか。あるいはそこでいかに米軍に対して全面的な後方支援を行うか。そのための法制度を整備する。ここに最大の眼目があると思っております。
 ですから、冷戦時代の遺物のような本土決戦型の体制、あるいは法律というのは必要がない。たしかに自衛隊法改正案の中には、戦死した自衛隊員の埋葬をどうするか。埋葬許可等について、市町村長の許可を得なくても埋葬ができるようにするというような特例措置を設けていたりと、本土決戦型の遺物を引きずっている部分があります。しかしながら、これだって、よく考えてみれば、本土決戦をやれば、戦死者は自衛隊員だけではないわけで、民間人も死ぬ、敵兵も死ぬわけです。じゃあ、民間人や敵兵の遺体は腐るままに放置していていいのか。自衛隊員の遺体だけ腐敗する前に処理できればいいのか、というと、そうではないわけで、やはりそういう点を含めて考えると、本土決戦型を想定しているにしては非常にずさんな法案なんですね。
 今回、たとえば、物資の保管命令。ガソリンスタンド経営者の方に対して、たとえば自衛隊、米軍支援のためにガソリンを使うから保管しておけと命令をする。それに違反すると、六ヶ月以下の懲役、あるいは三十万円以下の罰金。どれだけの量を保管させておくのかを調べるために、事前に立入検査が必要になるわけですが、これを拒否すると、二十万円以下の罰金になる、というような罰則規定が出ています。
 それから、医療従事者、輸送業者、土木建築業者、主にこれらの人々を想定した「従事命令」。要するに、強制的にある一定の業務を行わせる、という「従事命令」の規定も整備されています。自衛隊の車両等が通るのに、通常の道路では道幅が足りない、というような時に道路の周辺の民有地、これを自衛隊が利用する。そのための規定も置かれています。その民有地にある立ち木、その他の構造物が邪魔になった場合に「移動」、もしくは「処分」する。「処分」するというのは、撤去してしまうという意味です。家屋についても「形状変更」できる。「形状変更」といっても、家の半分をつぶして、残った半分だけで生活して下さいといわれて、それが「形状変更」という柔らかい言葉に似合うんだろうかという問題もあります。そういった様々な規制が確かに国民にかかってきます。しかしながら、今回の法案でただちに「国家総動員」ということにはならない。
 むしろ、国民の負担、国民の義務、国民の権利の制限という点でいうと、今回の三法案よりは、「武力攻撃事態法案」の中で定められている、今後二年以内を目標として整備する国民の生活、国民経済、そういったものへの武力攻撃の影響を最小限にするための立法措置。むしろこちらの方が国民への影響は大きい。この措置の中には、例えば、「社会秩序の維持」「国民の生活の安定」「国民経済の維持」というのが入っています。つまり、戦争状態になったときに、後方での秩序を維持するための強権発動。それから「国民の生活を安定化させる」という名目での物資の生産、ならびに配給の統制。国民の統制というのは、むしろこちらの方で入ってくることになるのだと思います。
 ですから今回の法案で、必ずしも全面的な「国家総動員体制」ということにはならないだろうし、それから二年後に、国民の生活、経済、これらへの影響を最小限にするための法律ができても、おそらく戦前的なイメージでの「国家総動員体制」にはならないだろうと思われます。
 これは軍事的に考えれば、非常に明白なことなんですね。今日、軍事力というのは、兵力規模では全く測れません。兵隊を五十万抱えている、百万抱えているということで、戦争に強いか弱いかがきまるわけではないわけです。今日の戦争のあり方を決定するのは、情報優勢と航空優勢です。人工衛星等を使った情報の管理をどこがにぎっているか。そして、圧倒的な空軍力を持って、一方的に空爆をかけることができるかどうか。この二つを持っている方が圧倒的に強いわけです。
 九一年の湾岸戦争。イラク軍の犠牲が二万五千名であったのに対して、米軍側の犠牲は百四十八名であったと言われています。それからコソボ紛争。米軍側の犠牲はわずか四名しか出ていません。今回のアフガンでは、地上軍を投入しましたから、アメリカ側の犠牲はもう少し大きくなるでしょうが、しかし、圧倒的にアメリカ側の犠牲は小さい。なぜ犠牲が小さいかというと、要するに「戦場」なるものへ米兵は出向かずに、遠距離からミサイルをぶっ放すか、超高空の安全地帯から爆弾を降らせるだけだからです。現代の戦争がそうである以上、兵隊の数というのは必要ないんですね。現在の陸上自衛隊は十四万五千人と法律では定められていますが、十四万五千人なんて必要ないんです。圧倒的な空軍力さえ持っていれば、おそらく、特殊戦専門の一万か、二万の地上兵力があればそれで十分だということになる。そうすると、徴兵制などしくまでもない。軍事的にはまったく意味がない。
 同じように、実は国民を総動員する体制も必要ないわけです。軍隊に必要な、あるいは軍隊が戦場で行動するために必要な、武器、燃料、弾薬、食料、医薬品、そういったものを輸送するために、国民のすべてを動員する必要はない。輸送業者、民間の航空会社、民間の船舶輸送会社、それから医療従事者、こういった特定の業種の人々だけを動員できればいいわけです。ですから、「国民総動員体制」にならない。
 「徴兵制」にならないということは、実は、私、けっしていいことだと思っているわけではありません。なぜかというと、軍事的な負担が一部の人のみ、あるいは特定の地域に住む人たちだけに課されて、国民全体にはけっして共有されないからです。つまり、それらの人々の負担や痛みを他の国民が共有することができない。したがって、反対論もおそらく盛り上がってこないだろうと。非常に抵抗しづらい法律、あるいは法制度になっているという点で、問題はむしろかえって大きいのではないかと考えています。

■あいまいな「事態」の定義

 さて、今回の有事法制。あらかじめ言いましたが、本命は「米軍支援」にあります。今回の「武力攻撃事態法案」と「自衛隊法改正案」というのは二つで一組みになっていまして、お互いに相手の規定を借りあうことで一つの規定を作り上げるというかたちになっている。実は今回の「自衛隊法改正案」をみてみますと、自衛隊が「防衛出動」できるのは、「日本が外部からの武力攻撃を受けた場合」と、「武力攻撃を受けるおそれがある場合」の二つに限られています。その点では従前の自衛隊法から変わっている点はありません。ところが、この七十六条一項の後半を読んでみると、自衛隊を防衛出動させる場合には、武力攻撃事態法案九条に定める国会承認を得なければならないというふうになっていて、この点が従来と変わっている点です。
 では「武力攻撃事態法案九条が定める国会承認」とはなにか。武力攻撃事態法案九条の四項は、内閣総理大臣が自衛隊に防衛出動を命じるために国会承認の求めを行うという旨の規定を置いています。ここでいう内閣総理大臣が自衛隊を防衛出動させるその対象となる事態はなにかというと「武力攻撃事態」である。で、ここからが変わってくるんです。武力攻撃と「武力攻撃事態」とはどう違うのか。武力攻撃事態には、従来の「武力攻撃」と「武力攻撃のおそれ」の他に、「武力攻撃予測事態」すなわち「事態が緊迫し、武力攻撃が予測されるに至った事態」というのが入って参ります。ここで初めて新しい概念が出てくるわけです。
 新しい自衛隊法改正案の七十六条一項と武力攻撃事態法案九条四項を組み合わせて読むとどういうことになるかというと、従来の「武力攻撃」、及び「武力攻撃を受けるおそれ」のある場合、これに加えて、「武力攻撃が予測される事態」の場合にも内閣総理大臣は自衛隊を防衛出動させるための国会承認を求めることができるという規定になるわけです。
 ところで、中谷防衛庁長官は四月四日に、そしてその後、小泉首相も自ら、この「武力攻撃予測事態」には「周辺事態が当然に含まれる」と述べています。「周辺事態」というのは、「周辺事態法」によりますと「我が国周辺の地域で発生する、そのまま放置すれば我が国に対する直接の武力攻撃に至るおそれのある事態等、我が国の平和及び安全に重要な影響を与える事態」です。なにがなんだかわからない文章なんですが、「我が国周辺の」というのは「日本の領土、領海、領空の外で」という意味なんです。その後の法の「我が国の平和及び安全・・・」という文言。実はこれも、法律の専門家が法律の条文を読む時に一番注意するポイントが、「等」という一文字が入っているかどうかなんですが、「等」という一文字が入っていると、その前に述べられていることは単なる例示、一つの例をあげているに過ぎなくて、それ以外のことも全部含みますよ、という意味なんですね。
 そうすると、実は「周辺事態」というのは定義されているようで、なんら定義されていない。とにかく、日本の外で起こったなんらかの事態であるということなんです。武力攻撃事態法案九条四項と自衛隊法改正案七十六条一項の組み合わせは、この日本の領域の外で起こったなんらかの事態の時にも自衛隊が防衛出動できる。つまり、武力行使ができるということを意味しているわけです。
 したがって、実は今回の法案というのは、日本が攻められた時に、国家総動員体制になる、あるいは徴兵制をしく、などという問題をはるかに超えて、日本が海外での武力行使についに踏み切るようになる、あるいはそれができる体制になる、というところに今回の有事法制の最大の問題点があるわけです。

■法案は戦後の日本のあり方を否定

 日本国憲法は、「この国のかたち」として、我々の安全だとか幸せだとか繁栄だとかを、もはや二度と他国民の犠牲の上には成立させないんだと。だから、政府による戦争の惨禍は二度と起こさないようにし、全世界の国民の平和的生存権を保障するんだと憲法前文でうたっているわけです。
 しかし、今回の法律が成立しますと、日本という国家が、再び我々の安全と繁栄のために外国で武力の行使ができるようになる。つまり、戦後の日本の国のあり方を全否定する、ということになりかねない。「この国のかたち」を考える上では、この「武力攻撃事態法案」、「自衛隊法改正案」の持っている意味というのは非常に重いし、大きい。そしてそれはとりもなおさず、最後にもう一度お話を申し上げるつもりですが、それは我々一人ひとりが、私達の安全と経済的な繁栄のために、再び他の国の人々を犠牲にする道を選ぶのかどうか。その選択を迫られている。そのぎりぎりの段階に来ているということになるのだろうと思います。

■「集団的自衛権」という言葉

 もう少し詳しく、周辺事態の場合のことについてお話をしたいと思うのですが、実は九七年に「日米防衛協力のための指針」が改定されまして、いわゆる「新ガイドライン」というものになる。このとき、アメリカ側が日本に対して求めてきたのは、グローバルなアメリカの軍事行動に対して、日本が全面的かつ本格的な支援をおこなえる体制を整備しろということが一つ。つまり、出撃拠点と補給、兵站部門すべてを担えということを一つ要求してきた。
 もう一つが、日本の近隣で起こった事態の場合には、後方支援だけではなく、日本も出てきて、米軍と一緒に作戦行動に参加しろ。つまり、よく日本で言われる「集団的自衛権」の話。ここにまで踏み切れと。
 ただ、いろいろと話が飛んでたいへん申し訳ないのですが、実は「集団的自衛権」の行使を憲法が認めているか、認めていないかという話をするときに、「認める」という側も「反対だ」という側も、実に安易、というか無条件に「集団的自衛権」という言葉を使っております。しかし、「集団的自衛権」というのは、ある国が武力攻撃を他の国から実際に受けて、そして友好国に対して援助を要請した時にはじめて発動できるのが「集団的自衛権」でありまして、武力攻撃を受けた事実もないのに、先制攻撃をかけに行って、その先制攻撃に参加しろというのは、これ「集団的自衛権」ではありえないんですね。それを「集団的自衛権」という言葉で語ってしまうと、ある意味、それを正当化するということになってしまうので、反対する時も私はなるべく「集団的自衛権」という言葉を使わないようにしています。以下、「集団的自衛権」という言葉を用いる場合には、かぎかっこ付きで使っていると思っていただきたい。

■米国の持つ周辺事態法への不満
  〜地理的限界・強制力の欠如

 この「集団的自衛権」については、新ガイドラインが制定された後、二〇〇〇年に出たアーミテージとナイの共同レポート。このなかでも、日本は「集団的自衛権」行使のために憲法上の制約を取り除くべきだということが明確にうたわれていて、最近、ここ一月、二月、三月と日本国内でも防衛研究所でありますとか、そういった団体が盛んに報告書を出していて、『日本は「集団的自衛権」行使の体制に踏み切るべきだ。そのための憲法上の制約を取っ払うべきだ』というような提言を盛んに行っています。
 ところが九九年にできた周辺事態法は、実は「新ガイドライン」が日本に課した二つの役割のいずれも満足させるものではなかったわけです。「日本周辺」という言葉がいかにあいまいであっても、それで中東まで含めるというわけには、まさかいかない。だから、昨年十月七日にアメリカが開始した対アフガニスタンの戦争でも、周辺事態法が使えなくて、テロ特措法という法律を急きょ作り上げなければならなかった。
 それから、米軍が必要とする後方支援にしても、地方自治体に対しては「一般的な協力義務」を課す。つまり、もし地方自治体が管轄する空港や港湾施設を自衛隊や米軍に使用させるという場合に、それがかえってその地域住民にとって危険を増大させるおそれがあるという場合には自治体はこれを拒否できるんですね。「一般的な協力義務」というのは。だから、あくまでも強制ができるというほどに強いものではない。民間の輸送業者に対しては、協力を義務づけることすらできずに、「依頼」というかたちに終わったわけです。
 そうすると、地理的な制限から、中東、つまりグローバルな米軍の行動すべてを支援するというわけには「周辺事態法」ではいかなかったし、本格的な後方支援を行う場合に必要な地方自治体、民間業者の協力を義務づけることもできなかった。つまり、新ガイドラインという立場に立てば、「周辺事態法」は実に不完全なものであったということになるわけです。

■民間業者の強制動員こそが本命

 湾岸戦争の時、アメリカは三十万人の兵員と三十万トンの装備を空輸しています。それから二百五十万トンの物資を海上輸送しています。これはもちろん、米軍だけではできなかったんで、フェデックス(米国の民間航空貨物会社))なんかを使って、大量に輸送しているわけですが、これだけの膨大な物資を、調達し、貯蓄し、保管し、輸送していくためには、周辺事態法のように、自衛隊しか強制的には動員ができませんよということではまったくものの役に立たないわけです。
 九四年、朝鮮半島危機の際、アメリカは日本に対して、後方支援の要請をしてきました。このとき、統合幕僚会議事務局第四幕僚室というのがプランをつくったんですが、そのプランでは、朝鮮有事の場合、日本国内で調達しなければならないものとして、大型トラックとトレーラーが千三百七十台、貨物コンテナが五百五十三台。陸上自衛隊の貨物トラックは九百台しかありません。自衛隊だけではまかなえない。
 そうすると、「周辺事態法」が不完全だったというところから次になにが出てくるかというと、地方自治体と民間業者に協力をきちんと義務づける。強制的な義務づけを行う法律が必要だということがまず出てくる。
 それからもう一点として、「周辺事態」の場合に日本が米軍と共同して武力を行使できる。そういう法律。これが必要になってくる。そして、この二つとも、実はまさに今回の「武力攻撃事態法案」の中に入っているわけです。
 たとえば、「武力攻撃事態法案」の十四条、十五条を見てみますと、地方自治体と、日本赤十字社、NHK、電気、ガス、輸送、通信、その他の公益企業などの「指定公共機関」に対して、内閣総理大臣は「武力攻撃事態」が発生した場合の対処措置をまず総合調整する。総合調整して調整に従わない場合には従うように指示を出す。指示を出して、さらにその指示が守られない場合には、自身でまたは所管の大臣を指揮して代執行を行うという規定になっている。
 実は地方自治体や民間、特に電気、ガス、輸送、通信、その他の公益企業っていいますけれども、これ民間企業ですから。民間企業に内閣総理大臣が自ら代執行をかける。日本の法律制度始まって以来のことです。災害救助関係の法律でもここまでエグい規定はありません。これは「協力させる」ということではないんです。代執行するんですから。直接自分でやっちゃいますということですから。内閣総理大臣が民間企業にどうやって乗り込んでいって直接動かすのか。いったいどういうふうにしたらできるようになるのか。この「武力攻撃事態法案」の規定からだけでは非常にわかりづらいわけですが、しかし、たてまえとしてはそういう規定になっている。いやだと言えない。そもそも、いいとかいやだとかいう選択の余地すらもないということです。
 しかもこの「指定公共機関」の中には、NHKが入っている。NHKが入っているということも問題なんですが、それ以上に問題なのは、政令委任事項が非常に広いんですね。他、どの企業を含めるか、全部政令に一任なんです。現在検討されている政令案には、民放各局はまちがいなく入っていると思います。へたをすると新聞社まで危険性がある。まさに報道統制です。
 輸送、電気、ガス、通信、その他の公益企業。公益性のある企業なら一網打尽で全部協力させられる。しかも、「周辺事態法」の時と違って民間の輸送会社。陸上のトラック便にせよ、海上運搬にせよ、航空輸送会社にせよ、これ全部へたをすると入ってきます。というか、それがおそらく本命だろうと思います。実はこうやって民間の輸送会社、陸海空の輸送会社すべてを強制的に動員できるという体制が整ってしまえば、他の国民が協力するかしないかというのは「周辺事態」の場合にはさして必要ではない、というかほとんど関係ない。

■国際法上の問題も

 それからもう一つ、「指定公共団体」の場合に問題になるのは日本赤十字社です。国際条約で武力紛争が起こっている地域であっても、赤十字の「赤い十字のマーク」がついた施設を攻撃してはならないということになっている。ところが日本赤十字が指定公共機関とされ、自衛隊に協力する、ないしは米軍に協力するということになると、これは軍事部門の一翼を担うということになるわけですから、当然、国際法上、相手は合法的にこれを攻撃することができるようになる。そうすると世界中で赤十字のマークの持っていた意味が完全に失われてしまう。そこだけは誰も攻撃してはならないという、国際的な合意が踏みにじられる危険性が出てくる。実にこの規定というのは、何を考えてこの規定を入れたのかわかりません。おそらく一番動員しやすいということで入れたんでしょうが、国際法を考えているとはとても思えない規定になっている。

■武器弾薬を運べば民間機も撃墜

 こういった様々な問題を含みながら、しかし、地方自治体、そして必要な民間業者の協力だけは確実に確保している。五月一日の朝日新聞だったと思いますが、昨年度の米軍による民間の空港の利用回数が出ていました。長崎空港二百九十一回、福岡空港百二十回、奄美百十一回。他いくつもあがってましたが・・・。これらは周辺事態発生時に米軍が使用することを一番望んでいる空港です。地方自治体がこれを貸し出さなきゃいけないわけです。もちろん民間の発着便はすべて制限してしまいます。たとえば全日空の普通のジャンボで、武装した米兵、あるいは自衛隊員を運ぶ。武器弾薬を運ぶ。
 実は武器弾薬の輸送については、沖縄の米軍の県道越え実弾演習が日本各地に移転になってますが、北海道の矢臼別へ演習にいくとき、武器弾薬の輸送を民間航空機でやっているんです。ところが、国際民間航空条約によると、武器弾薬を輸送する航空機、武装した兵員を輸送する航空機は、国際民間航空としての保護を受けないということになっている。つまり、それは軍用機であって、相手方はいつ撃ち落としてもかまわない。
 だから、今回の有事法制に対して、全日空の組合がすぐに反対の表明をしているわけです。武器弾薬を運んだ航空機。普通の便で行きますから、たまたま我々が運悪く乗り合わせていれば撃ち落とされる危険もあるわけです。

 非常にわかりにくいので、もう一度、整理をさせていただきたいと思うんですが、「自衛隊法改正案」の新しい七十六条一項の規定と「武力攻撃事態法案」の九条四項の規定とが組み合わさると、従来想定されていなかった「武力攻撃予測事態」でも自衛隊の防衛出動、つまり武力行使ができる。しかも、その「武力攻撃予測事態」は「周辺事態」を含むということになれば、自衛隊が日本の領域の外で武力を行使できるようになる。そして、そこで必要なグローバルな米軍の軍事行動を支える後方支援。そのための地方自治体や民間業者の協力。これも「武力攻撃事態法案」にはきちんと組み込まれているし、この規定は自衛隊が海外に出て武力行使をするときにもつかえる。
 小泉首相は、「備えあれば憂いなし。どこに備えをしない国がありますか」と言いました。しかし、その「備え」は日本が攻撃されたときの備えではないわけです。そこでいう「備え」とは、日本がアメリカと同じように世界に出ていく。そして世界で、少なくともアジア太平洋地域において再び武力を行使できるようにする、そのための「備え」なんだと。しかもそうだとすると、この「備え」は「備えあれば憂いなし」ではなくて、「備え」が憂いを生み出すことになります。

■「テロ撲滅」の名の下の
          石油争奪戦

 実は、私たち先進国に住んでいる人間の現在の経済的繁栄、豊かさ、そして安全。これらは多く、アジア、アフリカ、ラテンアメリカ地域の人々の犠牲の上に成り立っています。我々の経済的繁栄を支えているエネルギー資源。このエネルギー資源に我々先進国が自由にアクセスできるからこそ、それを自由に取ってくることができるからこそ、我々の繁栄というものがあるわけです。
 アメリカでもっともアメリカ政府の外交政策に影響力が強いと言われる『フォーリン・アフェアーズ』という雑誌があります。これは共和党系のシンクタンクがつくっている雑誌ですが、実は昨年九月十一日のテロが起きる直前の号で、世界で今一番大量に石油を産出している中東での石油資源が枯渇した場合に、あるいは中国などの経済発展によってさらにエネルギーが大量に必要になった場合、先進国が必要とする、特にアメリカが必要とするエネルギー資源をどこから持ってくるか。「中央アジアしかない」という報告が載っていました。ウズベキスタンとか、タジキスタンとか、いわゆる「スタン国家」と呼ばれる国があります。これらは九一年に旧ソ連邦が崩壊した後、独立した新興国家群があるところですが、ここが実は、世界最大の石油と天然ガスの埋蔵量を誇っている地域なんですね。
 ここから天然資源と石油を取ってくるために、アメリカはどうすべきか。主なルートは二つしかないんです。一つは、真西へ出して、黒海までパイプラインを引っ張ってきて、そこから出す。しかし、この場合にはロシアの影響力を排除できない。いつロシアによってパイプラインが切断されるか、わからない。もう一つ、アフガニスタンを縦断して、インド洋へパイプラインを引っ張ります。このラインを確保しておかなければ、二十一世紀のアメリカの経済的繁栄はあり得ないと先の報告は結んでいます。
 そして九月十一日が起きて、十月七日、対アフガン戦争へと突入していくことになります。実に絵に描いたようなお話なんですが・・・。でもそうやって石油資源、天然ガス資源にアクセスをする。それらを確保する。それによって、我々の生活が成り立っている、あるいは繁栄が成り立っているんだとすれば、我々が現在の経済的繁栄を望む限りは米国の資源争奪戦争に協力する、あるいはそれを積極的におこなう体制にならざるを得ない。

■第三世界の犠牲の上の「豊かさ」

 ここで私たちは、私たちの現在の経済的繁栄を続けるために、それらの地域から資源収奪を行う、そのための戦争国家体制を選択するのか。つまり、アメリカと同じように世界中で武力行使ができる、そういった体制を選択するのか。それとも、我々の経済的繁栄というのをかなりの部分、犠牲にしてもそのような国家のあり方を拒否し続けるのか。一人ひとりが生活、あるいは「経済的豊かさ」と「この国のかたち」とをはかりにかけて決断しなければならない時期にきているんだろうと思います。だからこそ、その選択は実は容易ではない。今のみなさんの所得を半分に減らせますか?という話になってくるわけですから。
 実は、今回の法案に反対するのであれば、おそらく私たちひとり一人はそこまでの決断に踏み切らないといけないし、踏み切らないで反対論を述べても、足下を見透かされてひっくり返されることになるだろうと思います。
 私自身も持っていますが、この中にもみなさん携帯電話をお持ちの方、いらっしゃると思います。今、ほとんどの方が持っていると思います。携帯電話の中には、コンデンサーとして希少金属でもあるタンタルという鉱石が使われています。世界で最も良質のタンタル鉱石が採掘されているのがコンゴです。アフリカの南部に、ど真ん中に、コンゴ(旧ザイール)という国があります。現在の正確な国名で言うと、コンゴ民主共和国。コンゴという国は実は世界に冠たる資源大国でして、ウランは出る、ニッケルは出る、銅は出る、金は出る、ダイヤモンドは出る。それゆえに、実に悲惨な歴史を背負ってきた。ベルギーの植民地支配から脱した六〇年代から、この四十年間、内戦が途絶えたことがない。タンタルもそうです。今、一番、コンゴでの内戦を拡大させ、泥沼化させているのがタンタルの争奪戦です。タンタルを押さえるために、西側もロシアも争って武装勢力に資金援助と武器の提供を行っています。コンゴの内戦で使われている機関銃、対人地雷、一〇〇%すべて、アメリカ、ロシア、中国、フランス、ドイツ、イギリス、これらの国からの輸出製品です。つまり、武器援助、資金援助をして、自派の言うことを聞く武装勢力にタンタル鉱脈を押さえさせて、それでタンタル鉱石を確実に入手しようということをやっているわけです。
 実はコンゴだけではないんですが、このコンゴのタンタルに見られるように、我々の便利な生活、「豊かな」生活というのは、圧倒的に第三世界の犠牲の上に、しかも経済的な収奪、貧困といった問題どころか、現に武力紛争を発生させ、泥沼化させるという形で進行しているわけです。
 では私たちはそれを放棄できるのか。実はそれを放棄できるというところまでいかないと、なかなか抵抗しがたいんだと思います。
 ですから、こういう海外での資源争奪、海外での日本の経済活動を保障するための海外での武力行使、それができる体制をつくる。これ財界のもろ本音だと思いますが、この財界の本音に対峙していくためには、私たちひとり一人の生活のあり方を変えないことにはとても抵抗できない。経済的に豊かな方がいい。お金儲けができる方がいい。少しでも便利な方がいい。ということであれば、財界のねらいに乗るしかなくなってしまうわけですね。
 そういう意味で、かつてのように、「憲法九条を守れ」「自衛隊に反対」と単純に叫んでいれば済むという時代ではなくなってきた。「憲法九条を守れ」「自衛隊反対」「自衛隊を海外に出すな」という以上は、私たちの生活を日常レベルから変えていかなければいけない。そういう時期にきている。そういう点では、私たちに迫られている決断も実は非常に大きいんです。

■圧倒的軍事力で勝てば勝つほど
      失われる市民の安全

 それからもうひとつ。小泉首相が「備えあれば憂いなし」と言った。しかし、その「憂い」、本当になくなるのか。一昨年の九月から続いているパレスチナ紛争。第二次インティファーダと言いますが、この中でイスラエルは圧倒的な武力を行使して、完膚無きまでにパレスチナをたたいた。パレスチナは抵抗するすべさえない。しかし、それでイスラエルの安全は守れたか。パレスチナ側は千八百人以上の犠牲者を出した。これに対してイスラエルも四百三十三人の犠牲者を出している(四月八日現在)。圧倒的な武力を行使して、相手が軍事的に抵抗できないとしても、肉親、兄弟を殺された恨みつらみは憎悪として残るわけですから。そして、軍事力で直接相手の軍隊に抵抗できないという状況になると、取るべき手段というのはもはや自爆テロしかなくなってくるわけです。そしてその自爆テロによってイスラエルは多大な出血を強いられ続けている。ちっとも安全にならない。勝てば勝つほど安全が失われていく。

■「自衛」は「侵略」を伴う

 実は世界中でイスラエルほど、自国民の安全ということを考え続け、そのための備えをしてきた国家はありません。しかし、第一次、第二次、第三次、そして第四次の中東戦争を経て、イスラエルは周辺のエジプト、サウジアラビア、ヨルダン、レバノンが束になっても全く歯が立たないという軍事大国になりました。
 そして、自国民の安全を守るとき、自国を戦場にしたのでは、これ当然犠牲者が出ます。自国民に犠牲を出さない一番いい方法は、自国の国境の外で敵をたたいてしまうことなんです。そのために、イスラエルは、レバノン南部に一九七五年から侵攻し、八二年から二〇〇〇年まで軍事占領する。ヨルダン川西域。実はヨルダン川西域でパレスチナ自治区なんてものは、四〇〜四八%程度。しかもバラバラに切り離されている。圧倒的大部分の地域はイスラエルの安全保障地帯として確保されているわけです。
 国境の外側に安全保障のための緩衝地帯を置く。緩衝地帯に敵のゲリラが入り込んでくると、緩衝地帯が不安定になる。だから緩衝地帯の安全を守るために、今度は緩衝地帯の外側に叩きに出るということになる。
 実は軍事的な観点からいいますと、自国を攻められた時に純粋に自国を防衛するなどという「専守防衛」という概念は成り立ち得ないんです。「専守防衛」だと自国を戦場にして戦うことになりますから、自国民に多大の犠牲が出る。「専守防衛」という概念は軍事的には成り立ち得ません。そうすると「自衛」ということは何を意味するかというと、自衛のために、自国の領土の外へ外へと「侵略」をしていくという結果にならざるを得ない。
 日本が明治維新以後、西欧列強の進出におびえて、朝鮮、台湾を日本への攻撃を防ぐための緩衝地帯として占領支配し、今度はその朝鮮とか台湾を守るために、中国東北部だとか台湾の対岸へ出かけて行かなければいけなかった。それと同じことになっている。
 「自衛」というものは、純粋に軍事的に考えれば「専守防衛」ではありえない。必然的に侵略行為を伴わざるをえないのだとすれば、「自衛のための備え」というのはまさに「侵略行為のための備え」であって、それ以外のなにものでもない。
 しかも、かつてと違って、自分たちの安全を守ろうとすれば、その緩衝地帯は破壊しつくせばいいんです。そこの人たちの生活がなりたつかどうか、そこを併合してうまくやっていけるかどうかなんて考える必要はない。壊滅させてしまえばいい。

■手段を選ばないアメリカ

 二十一世紀の戦争は、圧倒的な空爆の力にものを言わせた、殺戮戦争であり、絶滅戦争です。アメリカにとってはアフガンの戦後の政治体制がうまくいくかどうかなんて関係ないんです。アメリカに反抗する勢力が完全にたたきつぶせれば、それでいいわけですから。だからあれだけ情け容赦ない空爆ができるわけです。地形が一変してしまう。それから、クラスター爆弾という対人地雷を空中からまき散らす爆弾まで投入した。しかもバンカーバスターといって、地下の要塞を破壊するために、震度三から四の地震を起こしてしまうような爆弾まで投入しています。これらすべて、新しい兵器にはその一番先端のとがった部分に劣化ウランが使われているということなんです。劣化ウランは放射能の半減期が四十五億年と言われています。地球の寿命より長い。この劣化ウラン。湾岸戦争で最初に三百トン使われ、コソボ紛争で六百トン。おそらく今回のアフガンではその三倍から四倍は使われただろうといわれています。アフガンの大地が放射能まみれになってしまえば、戦後復興もへったくれもないわけですが、そんなことはアメリカにとってどうでもいいわけです。アメリカにとっては、石油のパイプラインさえ確保できればいい。パイプラインを切断する可能性のある現地の反米武装勢力を壊滅させてしまえばそれでいいんです。
 アフガンの暫定政府のカルザイ議長という人がいます。彼は北部同盟とタリバンの内戦時代に何をやってきたかといいますと、ずっとアメリカのCIAのエージェントをやってきた人物ですから、そういった人物にアフガンの戦後の国家統治をゆだねて、もとよりうまくまとまるはずがない。アメリカにとっては、アフガニスタン政府、あるいは現地の武装勢力がアメリカの利権に牙をむいてこなければそれでいいわけです。あとは野となれ、山となれ。「日本がどうか、お金を出して後始末をしてください」という話になるわけです。
 イスラエルのように、「自国民の安全のために」と、純粋に考えても侵略国家たらざるをえない。経済的繁栄のために資源収奪をしなければならないという、そのような体制を続けると、アメリカのように世界中で情け容赦のない空爆と殺戮を繰り返さなければならない。まさに「備えあれば」の備えとはそのような意味での備えなんです。

■「武力による安全保障」の
        行き着く世界

 そして、そのような「備え」は我々に、新たな「憂い」をもたらします。どういう憂いか。今後、もし有事法制三法案が成立し、次の段階でグローバルな米軍の武力攻撃活動を日本が全面的に支援するということになれば、おそらく報復テロを招く危険が出てきます。
 それから朝鮮半島有事、台湾海峡有事の場合に、日本がアメリカと共同歩調をとって、カギかっこ付きの「集団的自衛権」の行使に踏み切れば、相手からの反撃でミサイルが飛んでくる危険性が高まるということQを声高に強調し始めるはずです。そしてそのあげくに待っているのはなにか。テロ防止対策立法であり、限定的散発的なミサイル攻撃に対して対処するための法整備。まさに民主党が要求していることとまったく同じになるわけですが・・・。
 そして、この段階で本格的に出てくるのが、国家による全市民監視のための法制度です。なぜか。テロというものは従来の戦争と違って、誰がテロリストであるかわからない。外国から来た人間がテロリストなのか、それとも日本国内にそのシンパがいてテロをやるのか、まったくわからない。だから、すべての市民を監視しなければならなくなるんです。すべての市民の電話、電子メールを盗聴、監視しなければいけない。普通の市民がテロ組織に資金カンパするかもしれない。あるいはテロ組織の隠れみのになって資金を調達しているかもしれないので、すべての市民の銀行口座の特定と資金の移動を監視できるようにしなければいけない。
 アメリカは九月十一日以降に「二〇〇一年アメリカ合衆国愛国法」というすさまじい名前の法律を作ったわけですが、その法律でやったのがまさにこれです。全市民のすべての情報、お金の流れの監視。そして、テロリストの容疑、もしくはテロ組織に関連している疑いがある者については、裁判所の令状なしに七日間は無条件に拘留できる。戦前の日本の国家総動員体制など比べものにならない監視体制がやってくるだろうと思います。
 でも私たちがテロの被害に遭いたくない、と望む以上、それを避けることはできないことになります。「テロから身を守ってほしい」「政府は我々をテロの攻撃から守るべきだ」と要求したとたん、そのような監視体制を全面的に受け入れざるをえなくなる。

■テロを根本的になくす唯一の方法

 実は、テロの脅威をなくすためには、テロを生み出す温床となっている第三世界の、先進国による収奪の結果生じている貧困や、資源争奪戦の結果生じている武力紛争、これらをなくすしか、つまりそういった資源収奪とか、経済侵略をやめるしか、テロを防ぐ手だてというのは、根本的にはないんですね。
 ところが片一方で、そういう資源収奪や経済収奪を続けながら、もう片一方でテロから身を守ってくれということになると、全面的な監視体制に突入するしかなくなる。この点でも実は、私たちは、私たちの生き方そのものをどうするのかという選択を迫られている。「この国のかたち」を考えるとき、私たちひとり一人の生活をどういうものにしていくのか。そこからもう一度問い直す必要があるのではないかというふうに考えているわけです。
 最後は、いつもこういう非常に暗い調子で私の話は終わるんですが・・・。学会でも特に評判が悪いんで・・・。四月二十日にもある憲法の専門家の研究会が東京でありまして、こういう話をしましたら、「で、そういう暗い状況の中で、ではどうしたらいいのか」「どうすれば抜け出すことができるのか、ぜひ教えてほしい」ということを、ある先生がおっしゃいました。それで私は言いました。「自分自身で考えなければ、自立した市民などありえない」。
 私は客観的な情勢を述べたつもりです。その客観的な情勢分析を受けて、なにをどうすべきかを考えるのは、主権者であるみなさん、ひとり一人の責任だと思います。その責任を逃れていて、自立した市民も主権者もあり得ないと。
 最後に、そういうことで、みなさんに責任を転嫁したところで、私の話、終わらせていただきたいと思います。ありがとうございました。

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