<今回の日出生台での米軍訓練を振り返る動画ドキュメント>
30M版(500kbps)http://www.geocities.jp/uedaken_ichi/hijudai2010_02_30m.avi
リンク元のHPは以下の植田さんのサイト
朝からマスコミがおしかけた監視小屋
監視小屋の一つ下の畑にオープンした「日出生台ピースカフェ」
朝はのんびりだったが、お昼は意外とにぎわった。
その理由はこれ。日出生台の地元の方々のてづくり弁当。
今年の文字は「PEACE for PEOPLE」
「日本は平和」と言う人がいる。しかし、本当にそうか。
その「平和」は、沖縄や日出生台など基地や演習場の周囲に暮らす住民の犠牲の上に成り立っているのでは。
そしてそんな「平和」を本当の「平和」と呼んでいいのか。
日出生台は110年あまりにわたって、常に銃や大砲、戦争の訓練の音が鳴り響き続けて来た。この地に今、暮らしているひとたちは全員、生まれたときから、いや生まれる前のお母さんのお腹にいるときから、この砲声にさらされながら過ごしてきた。110年間ずっとだ。そんな場所が世界中探していくつあるだろう。戦場でさえも110年間、砲声がやまない場所は世界中でもそんなにないだろう。
「日本の平和」はこの場所にもあったのか。この場所は日本ではないのか。日本の国家のためには、この場所は犠牲になるしかないのか。
それは沖縄にも言える。戦後65年。米軍基地の75%が集中し、昼も夜も、基地と隣り合わせの暮らしを強いられ続けてきた。
ここに「日本の平和」はあったのか。
私たちはいつまでそんなある地域の犠牲の上になりたつ「平和」を続けて行くのか。
もうそろそろそんな不公平、不平等な「平和」をやめて、どんな地域も犠牲にすることのない本当の「平和」を目指すべき時ではないのか。
そんな願いを込めて今年の「PEACE for PEOPLE」という文字が霧の日出生台にくっきりと浮かび上がった。
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米軍は確かに、撃つために訓練をおこなっていた。
しかし、結局、りゅう弾砲を撃つことができなかった1日をいったいどう数えるのか?
もし、カウントしないというなら、
米軍は撃ちさえしなければ何日でも滞在し、訓練できるということか?
実弾砲撃訓練開始
この日も朝7時前から監視小屋は活動を開始。ドアも窓も凍り付いて、しばらく開けることができないほど、この日の日出生台は冷え込んだ。そして、霧はこの日も米軍を包み、朝日がかなり上まで上っても、まだ米軍は初段を撃つことができなかった。
<この日の総砲撃数 59発(うち夜間7発)>
ようやく霧が晴れはじめ、そろそろ撃つのではとの予感の中、監視小屋からはいまだ155ミリりゅう弾砲の姿を発見できず。
そんな中を米軍は、10時16分に初弾を発射。米軍が155ミリ砲を据えたのは、監視小屋からちょうど丘のむこうになって、見えないいちだった。それでも発射する際には白い煙が丘のむこうから立ち上った。
その後、夜9時に終了のサイレンが鳴るまで米軍は59発を撃ちまくった。
うち、夜間砲撃は7発。
そして、終了のサイレン間際の8時56分には、日出生台での米軍訓練では初めてとなる「照明弾」を1発、発射した。
「高く打ち上げられた照明弾は、オレンジ色に光を発し、ゆらゆらと30秒ほど上空でゆれながら、
やがて2つに分かれ、片方は先に消えた。残る一つはさらに光を発しながら落ちてゆき、
それでも地面からかなり上空で消えた」
目撃者は地元の衛藤洋次さんを始め、玖珠町の現地対策本部の2、3人、監視小屋のピースカフェで片付けをしていた女性など、
4、5人。まさか、終了前3分に照明弾を撃つとは予想もできず、残念ながら、カメラに収めることはできなかった。
しかし、単純に考えて、照明弾を撃ち上げた米軍は、その後、続けてりゅう弾砲を撃ちたかったのではないだろうか。
明日は、公開訓練。ぜひそのあたりを誰か聞いてみてほしい。
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地元関係者とマスコミへの公開訓練がおこなわれるその日、しかも公開が始まる前の8時44分。
クラゲ状の形をした煙が立ち上がる砲弾が撃たれた。
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そして、マスコミがみんな演習場内での訓練公開を終え、帰りのバスに乗り込むでいる頃、
さらに激しい7連発の発煙弾が着弾地に撃ち込まれ、上空で炸裂。その様子は監視小屋からも上のようにはっきりと確認された。
このときの状況をビデオに取ったものを写真で映したものが以下。
少し見づらいが、空中で閃光を放ちながら炸裂するのがわかる。
(なお、以下の画像の日付はビデオを撮影したデジタルカメラの日付が入っている)
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ところでこの「発煙弾」。以下の写真と比べてみていただきたい。 これは北海道矢臼別での訓練で米軍が使用した発煙弾。監視をする地元市民団体の人々はこれを「タコクラゲ弾」と呼んでいたが、「白リン弾ではないのか」との指摘に米軍は首を降り続けて来たが、ついに昨年の矢臼別訓練でようやく米軍はそれが「白リン弾」であることを認めた。非常に特徴的な煙が上がるので、他の砲弾との区別は一目瞭然。 上は2000年東富士演習場での米軍訓練における白リン弾と思われる砲弾。北海道矢臼別と同様に「タコクラゲ」状の煙が上がった。 現地監視行動の団体の報告では着弾した後、火災が発生し、1時間以上も燃え続けたという。
同東富士演習場。米軍の夜間砲撃での白リン弾。 夜間砲撃においても着弾後、火災が発生。昼間同様に1時間以上燃え続けたという。
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今日の公開訓練ではマスコミから「白リン弾は撃つのか」との質問をされた米軍指揮官は「発煙弾は撃つが、白リン弾は撃たない」と答えたそうだ。ところが、現場の米兵に尋ねたところ、白リン弾も撃つという趣旨の返事だったそうだ。人によって言うことが違うのはなんで!?どちらが本当なのだろう。公開された「発煙弾」と米軍が呼んだ砲弾には「PB」の文字があり、その後に数字が並んでいたそうだ。
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この砲撃の後、着弾地は20分間ほど煙でくすぶり続けた。そんな中でさらに3発の通常砲弾と思われる砲撃のがおこなわれた。
ようやく煙も収まったかなと見えたその時、突然、場内に自衛隊のヘリが現れ、米軍訓練は中断された。
そのヘリの機体の下には巨大な袋状のものがつり下げられていた。
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着弾地上空に達した自衛隊ヘリは袋から消化液らしき液体を散布。
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計4回にわたって、自衛隊ヘリからの液体散布が着弾地でおこなわれた。
結局、この日の米軍訓練はそのまま終了した。
日出生台では初めての「発煙弾」。しかも7連発の砲撃は広範囲に広がっていたこともあり、そのせいでだろうか、火災が発生したものと推測された。
しかし、マスコミから九州防衛局の説明を聞いて驚いた。
「米軍訓練の時間中に、着弾地付近で、野火が発生したために、自衛隊へりが消火活動をおこなった」のだそうだ。
「発煙弾」の7連発がおこなわれた直後に、たまたま偶然、その着弾地において、野火が発生したと言いたいらしい。
しかし、どう考えても、それは米軍の撃った「発煙弾」が原因と考えるの普通ではないのか。
私たちは以下のような要請文を九州防衛局に出した。
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九州防衛局 現地対策本部長 松本俊彦 様 本日、発生した火災についての詳細な説明を求めます 本日、2月3日、日出生台での米軍訓練において、私たちの日出生台監視 すでにご存知の通り、米軍訓練そのものについても、私たち周辺住民は大 私たちは、このときに発生した火災と米軍訓練との因果関係、もし、なん 私たち住民の不安と疑問を解消するため、この火災について、九州防衛局
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これまでの日出生台での米軍訓練で火災が発生するのはこれが初めてのこと。
しかも米軍が日出生台で初めて「発煙弾」を使用した際に、
火災を発生させてしまったことを認めたくないようだ。
それで思い出すことがある。
2001年の日出生台米軍訓練後、
米兵らが別府市に集団外出した際のこと。
泥酔した米兵ら3人がカラオケバーで無銭飲食をおこない、
警察が出動する騒ぎとなった。
しかし、なんと、当時の防衛施設局職員がお店に対して、
被害額を立替払い。お店は警察への親告を取り下げ、警察も捜査を中止。
後でその兵士らから返してもらったというのだが、
これって一般的には「もみ消し」って言うのでは・・・?
しかも、米兵の犯罪を「もみ消す」ために
防衛施設局職員が立替払いしたのは、元は私たちの税金だ。
今回の火災の原因をいったいどう説明するのか。
まさか、原因究明がなされないままに、米軍が砲撃を再開することはできないだろう。
もし、再会して、万一にも再度、火災が発生することがあったなら、
日出生台演習場での米軍訓練の監督責任を負う防衛局は
いったいどのような釈明をおこなうのか。
防衛局の誠実な対応を期待したい
<この日の総砲撃数112発(夜間0発)>
午前11時、日出生台演習場のゲートの近くにある大分県と由布市の現地対策本部にて、
4者協宛に以下の緊急要請をおこなった。
日出生台演習場問題協議会 様 2 月3 日、日出生台演習場にて発生した火災について 昨日、2 月3 日、日出生台での米軍訓練において、1 2 時2 4 分頃に米海兵隊 2 0 1 0 年2 月4 日 |
そして、午後、大分県の防災危機管理課から電話連絡があった。
九州防衛局は、今回の火災について「米軍の訓練によると見られる」と県に通知してきたそうだ。
さらに、「着弾は着弾地内であったが、着弾地外の枯れ草に火が燃え移った」のだそうだ。
九州防衛局によれば、12時半頃火災が発生。原野約1500平方メートルを焼き、
午後2時頃鎮火。射撃により、枯れ草に火がついたとみられるが、
砲弾はすべて着弾地内に落ちたことが確認されたという。
通常砲弾が原因だったのか、「発煙弾」が原因だったのかは明らかにならず。
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米軍の訓練が火災の原因となったことは明らかになったが、
上記の4者協への申し入れの18分後、米軍は訓練を再開した。
この日、「発煙弾」こそ確認できなかったものの、
夜間訓練では9発の照明弾が撃ち上げられた。
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次々と撃ち上げられ、ゆらゆらと落ちてくる照明弾をみながら、
99年の1回目の米軍訓練からのあまりの様変わりに
あらためて愕然とした。
この訓練は「沖縄県道104号線越え実弾砲撃訓練」の移転ではなかったのか!?
<この日の総砲撃数76発(うち夜間14発 そのうち照明弾9発)>
<この日の総砲撃数 50発(うち夜間2発いずれも照明弾)>
夜には2発の照明弾を撃ち上げた。
しかし、その後、なにやらトラブルが起きたらしく、
着弾地付近にたくさんの米軍車両のヘッドライトやテールランプが集まっているのが確認された。
しかし、なにが起きているのか、まったくわからず。
翌日、これが何だったのか判明。
夜間訓練で撃ち上げた2発の照明弾。
2カ所で火災を発生させてしまったらしい。
夜中に車が集まっていたのは自衛隊の消火作業だったらしい。
なんと、
2月3日の発煙弾に続いて、
2月5日は照明弾で火災を発生させたわけで、
米軍が今年から初めて開始した訓練をやるたびに火災が発生している。
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福岡防衛局によれば、この日、米軍は小火器(小銃、機関銃)の訓練をやるとの通知が米軍から来ているそうだ。
しかし、朝から155ミリ流弾砲が撃たれ、午後からまた155ミリが撃たれた。
<この日の総砲撃数 91発 うち夜間12発>
大分合同新聞によれば、この日、小火器訓練はおこなわれたとのことで、
昼に少し合間があった10時~13時の間に撃ったということか?
監視小屋からは、小銃、機関銃の音はまったく確認できず。
この日も米軍は、155ミリりゅう弾砲を撃ちまくり、結局トータルで91発を撃った。
今回の訓練では2月3日の112発に続く多さだ。
米軍使用協定の確認書に「155ミリと小火器は同時に撃たない」となっている。
「小火器が入ると、その分155ミリの射撃が減る。だから訓練の縮小だ」と言った人がいるが、
これではまったく小火器が入って、155ミリが減ったというには無理がある。
かつ、「同時に撃たない」とは、今日のような場合、どうなるのか?
155ミリが朝8時~10時の間に15発撃たれ、13時~21時の間に76発撃たれた。
155ミリを撃たなかったのは10時~13時の間だが、このくらいの空白は
ふだんの155ミリのみの訓練でもしょっちゅうあった。しかし、その間も155ミリの部隊は撃つために準備を進めているのだ。
その間に、小火器訓練がおこなわれた場合、同時に撃ったことにはならないのか。
大分県の現地対策本部に問い合わせると、「同時に撃たないとは午前に155ミリ。午後に小火器といったように分けて撃たれているということだという。「では、今日のように、午前にも155ミリ、3時間ほど間があいて、午後から今度は小火器の場合はどう考えるのか?」と聞くと、「一連の155ミリの砲撃が終わって、その後、小火器の射撃がおこなわれ、それが終了して、また155ミリの訓練が始まったのなら、同時ではない」のだそうだ。
では155ミリが1時間撃たれ、小火器が1時間撃たれというのが交互に繰り返された場合は?
さらにそれがどちらも短くなって、交互に撃たれた場合は?
まさに、協定の確認書のグレーゾーンが、小火器訓練の初日からクローズアップされることになった。
それからも、もう一つ。
さすがに米軍も、これ以上、火災を発生させたら、まずいと考えたのか。
この日は、発煙弾も照明弾も一発も撃たず・・・
当初の予想を大きく上回って、120人が集結。訓練の中止を求めた。
<この日の総砲撃数41発 13時16分突然 演習終了のサイレン>
この日は発煙弾を14発撃った。特に12時41分の2発の発煙弾のあと、
着弾地の向こうで、通常の着弾では見ることのない煙が上がり始めたのが見えた。
そして、13時16分、訓練終了のサイレンが鳴った。
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2月8日(月)米軍訓練8日目
日出生台演習場の前にある、大分県の現地対策本部に、
昨日2月7日の米軍訓練の、
この日、最後の砲撃(12時41分)直後に発生した
着弾地オクでの火災と思われる大量の煙について、
本日16時半頃、調査をするよう申し入れをしました。
昨日2月7日の米軍訓練の155ミリりゅう弾砲の、
この日、最後の砲撃は、私たち監視センターの確認では、
12時41分に2発が撃たれました。
この砲弾を含む、最後の6発の砲弾は発煙弾であったとみられ、
空中での炸裂はなかったものの、着弾した後に、白い煙幕状の煙が立ち上りました。
そして、その数分後、
今度は着弾地の後方の山の稜線の向こうで煙が立ち上り始め、
2~3時間にわたって、林野火災とみられる大きな煙が立ちのぼりました。
この煙は、
着弾地後方の少し離れた山の向こうから立ちのぼったので、
米軍の砲撃に起因するものとは考えにくいのですが、
九重町役場に7日に野焼きをするとの申請が出ていたか確認したところ、
そのような申請は出されてないとのこと。
また、当日の付近での火災発生についても、
書曲(かいまげ)地区で小さな火災が発生したが、
発生時刻は2時半ぐらいだったとのことで、
該当する火災発生はいまだ確認できていません。
では、演習場内での火災だったのかということですが、
同時刻、あるいはその後にも防衛局に直接確認を何度もしましたが、
そのような情報は確認されていないの一点張り。
私の手元にある映像をみる限り、かなりの広範囲にわたって、
しかも2~3時間にわたって相当の煙が立ち上っている状況を、
本当に、誰にも確認されずにいたのか、疑問でなりません。
結果的には、2、3時間後に鎮火したようですが、
それは結果にすぎず、本当にこれに気づかなかったのだとしたら、
たいへんな問題だと思います。
大分県の現地対策本部も、映像を見て、
「確かに煙が出ている」と確認してくれましたので、
この煙が何の煙で、原因は何であったのか、調査の結果を待ちたいと思います。
2月16日 大分県防災危機管理課より口頭(電話)で、 2月7日に発生した米軍による白煙弾発射直後の「火災」について、 県防災危機管理課による調査の結果報告を受けました。
結論としては、 調査依頼のあった「火災」については確認できなかった。
防災危機管理課、担当者によれば、 九州防衛局は、演習場の各所に要員を配置しており、火災の事実は確認されていない。 九重町の役場と消防の九重支所に確認したが、 当日、粟野地区の野焼きと、松木地区の玖珠川の横でゴミが燃え広がったという事実があったが、場所から考えて、距離があるので、これが該当するとも考えにくい。 玖珠町の役場でも当日のそのような火災は確認できてない。
・・・とのこと。
では、いったい、この写真とビデオに映っている、2、3時間にわたって煙を上げ続ける映像はいったい何なのか? これだけの煙が立ち上る状況を、九州防衛局も、地元の消防も役場も、誰も確認できていないというのはいったいどういうことなのか? それとも、これは日出生台においては、この程度の煙は、ポイ捨てのタバコの煙がしばらく燻っていた程度のことだとでもいうのだろうか。 「当日、ちょうどそのあたりで野焼きをやっていた」とか「その時間、ちょうど火災がそのあたりで発生していたのでその煙だろう」とか言った答えが返ってくるものと予想していたら、結局、原因不明どころか、確認そのものがされていないということになった。 ちなみに、この映像を撮っていた間、私、浦田は、少なくとも3回、九州防衛局と大分県の日出生台現地対策本部に確認の電話を入れている。「今、発生している火災について、まだ連絡がきてませんか」と。その返事はすべて「なにも来ていません」だった。
しかし、その煙は、監視小屋の位置からでも確認できて、地元の消防団に入っている男性も、「これは焼き込んだ煙だな」とその時の煙を見て、思ったそうだ。 映像の記録があるのに、確認できない・・・。どういうことか!? |
<この日の総砲撃数 42発 うち夜間3発>
2月9日(火)米軍訓練9日目
<この日の総砲撃数 92発(うち夜間26発) 発煙弾16発 照明弾21発>
2月10日(水)米軍訓練10日目
<この日の総砲撃数 28発 午前で終了>
2月11日(木)米軍訓練11日目
11時54分1発、58分1発、59分3発、
12時1分1発、2分2発、3分2発、4分1発、
全て榴弾。
<この日の総砲撃数 11発>
これまでの日出生台での米軍訓練で「建国記念日」の2月11日に砲撃が行われることは過去、一度もなかった。米軍によれば、「日本国に敬意を表して」というような表現が使われていたが、今回はそんなことは関係なかったようで、いつも通り、米軍訓練が実施された。
なお、この米軍実弾砲撃演習は、日出生台をはじめとする本土5カ所では1カ所につき10日間までしか(今のところ)許されていない。2月1日の初日は、通常通り訓練開始のサイレンが鳴ったものの、霧が深く、米軍はおそらく砲座を移動して設置し、今まさに撃たんとするところまで準備をしていたと考えられるが、結局、日出生台の霧が最後までこの日は米軍に砲撃をさせず、時間切れで終了のサイレンが鳴った。
この場合をどうカウントするのか。
米軍は、155ミリ砲を撃つ訓練を開始していても、最後の最後で発射をしていなければ、実弾砲撃をしたとカウントされないと判断したらしい。協定上もそれでOKなのか。
それなら、実弾を撃ちさえしなければ、砲座の移動、設置、空砲を使用しての訓練、その他の実弾射撃、砲撃をともなわないあらゆる訓練は、10日間にカウントされずに米軍はできるということになっていかないか。
<2月1日から11日までの米軍実弾砲撃訓練> ○総砲撃数 603発(過去最多)○実弾砲撃日数 10日(過去最長)+訓練は開始されたものの砲撃にいたらなかった1日 ○日出生台での米軍訓練では初めての小銃・機関銃の実弾射撃訓練(1日と推定される) ○日出生台での米軍訓練では初めての照明弾の使用 ( ○日出生台での米軍訓練では初めての発煙弾(白リン弾)の使用 ( ○日出生台での米軍訓練では初めての火災が発生 2件(いずれも照明弾、発煙弾使用後に発生) |
照明弾と発煙弾(白リン弾)の数が逆になってました。
お詫びして訂正します。
2月13日、
九州防衛局宛の以下の要請文を
日出生台演習場ゲート前で
九州防衛局の広報官に
読み上げ、手渡しました。
九州防衛局 局長 木坂 愼一 様 拡大強化された日出生台での7回目の米軍訓練に抗議するとともに、 7回目となった大分県日出生台演習場での米軍実弾演習は、 2月1日から開始され 今回は、これまでの155ミリりゅう弾砲に加えて、初めて小銃、機関銃の実弾射撃 さらに155ミリりゅう弾砲による砲撃においても、今回は、通常弾529発に加えて、 また、このような米軍訓練の拡大強化と、情報公開の後退が連動しているのは明白 ところで、米軍使用協定の確認書においては、その3項目目に、「訓練が拡大しな また、前回に続いて、「部隊の安全のため」を理由に、米軍の集団外出の日程が公 また、このようなやりたい放題の拡大訓練が実施されるようになってしまった米軍 2010年 2月13日 ========================================================= |
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(米軍はこの後、日出生台撤収後にそれが「白リン弾」であったことを認めた)
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沖縄に住む軍事に詳しい方からの情報で
「日出生台に関する新聞記事の写真にM825の数字が見え、M825の砲弾は「白リン弾」として使われる。米軍はあくまで「発煙弾」としか言わない。また、この弾丸は、攻撃の位置を示す「マーキング」としても使用する」とのアドバイスを得ました。
そこでネット上で日出生台に関する新聞記事の写真を片っ端から探したのですが、
日出生台での発煙弾を映した記事が見つかりません。
あきらめかけた頃に、たまたま目の前にあった大分合同新聞(2月12日)の以下の記事が
机の奥に開いたまま置いてあるのが目に入りました。
日出生台での公開訓練の際に、合同の記者が撮った写真です。
この記事は前にも見ていて、
そのとき、チェックしたときには白リン弾に関連するものは
なにも見つけられませんでした。
それが以下の大分合同新聞の記事の写真。
手前の2つの大きな砲弾が発煙弾らしいのですが、
2つあるうちの左の砲弾には「PRO~」の文字。
右の砲弾の文字をあらためて拡大してみました。
マスコミから発煙弾には「PB~」と書いてあったことは聞いていて、
これのことだなとは思ってたのですが、問題は
右の砲弾の「PB~」の下の文字。
最初見たときは「MB25」と書いてあるのだと思っていたのですが、
あらためてパソコンに取り込んで拡大してみると
「M825」と書いてあるようです。
その前に文字があるのかないのかはわかりません。
他の角度から撮った写真があるといいのですが、
でもこの写真によって、
やはり日出生台での発煙弾は白リン弾である可能性が
かなり高くなったように思えます。
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なおネット上で「M825」で検索すると
白リン弾に関する記述が出てきます。
2月26日 由布院温泉観光協会は大分県と由布市に対して、
日出生台での米軍訓練の縮小・中止を要望
由布院温泉観光協会(桑野和泉会長)は
広瀬勝貞知事と、由布市の首藤泰文市長あてに、
訓練の縮小・中止を求める要望書を提出
<日出生台7回目の米軍訓練の特徴>
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