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高崎山のお城に登ろう!!

 平成24年11月10日、ホームページの取材をかねて、大友氏遺跡体験学習館主催の大友氏旧跡めぐり『高崎山のお城に登ろう』に参加した。あいにくの曇り空だったが、自然の中で、高崎山に残る数々の歴史的文化財を見学しながらのウオーキングは、健康的で楽しいひと時でした。
 参加者40名余りは、大友氏遺跡体験学習館からバスで銭瓶峠(ぜにがめとうげ)まで移動し、登山口〜頂上まで歩いて登った。頂上での昼食休憩をはさんで往復4時間の登山となり、途中では大分市教育委員会文化財課のスタッフが丁寧に説明してくれたので、大変助かった。
 中世の山城を代表する竪堀(たてぼり)、枡形(ますがた)、曲輪(くるわ)、堀切(ほりきり)、土塁(どるい)、石積み等の遺構が、これほど多く残っているのには驚かされた。


(2012年12月28日作成)


銭瓶(ぜにがめ)
大分県由布市挾間町七蔵司

銭瓶峠は昔からの要所で、峠の十字路は北が別府、東が府内(大分)、南が狭間、西が湯布院に通じている。銭瓶の由来は、泥棒が盗んだ銭を瓶に入れて、この峠に隠したという言い伝えからきている。現在は、海岸線の別大国道(国道10号)が良く使われているが、昔は、この峠を通る道が本道として使われていた。
(2012年11月撮影)


お猿親子の出迎え
大分市神崎

登山の途中、多くのお猿の歓迎を受けた。やっぱり、高崎山はお猿の山ですね。お猿さん達は、おとなしく、我々を珍しそうに眺めていた。

(2012年11月撮影)


竪堀(たてぼり)
大分市神崎
竪堀とは、山の斜面を放射状に上から下方向に溝を掘り、下から登って来る敵の横移動を妨げる防御施設のことである。また、堀を登って来る敵に対し、上から石や材木を転がして攻撃することが出来る。竪堀は登山道沿いの南側(登山口〜大手門)に多く見られる。傾斜の緩やかな南側から侵入して来る敵が多かったのであろう。
(2012年11月撮影)


大手門跡
大分市神崎
竪堀を通過して進むと、城の大手門に達する。大手門の外側には石積みがあり、内側は枡形状に広くなった空間が設けられている。これは、侵入した敵を溜めて、一気に侵入させないための仕掛けである。また、この場所に集まった敵を上から鉄砲や弓で狙い撃ちし、一気に殲滅する役目もある。
(2012年11月撮影)


高崎山頂上(本丸跡)
大分市神崎

大手門を過ぎると、棚田状の曲輪(くるわ)が数段続き、二の丸に達する。そこから、深さ2m以上もある堀切を越えると武者だまりがあり、その奥に土塁で囲まれた本丸がある。本丸の横には、山頂(標高628m)を示す立て札が建っている。残念ながら、頂上からの展望は、多くの木で周囲が阻まれていたため、出来なかった。
(2012年11月撮影)


狼煙台(のろしだい)
大分市神崎

高崎山は、四方を見極めることができることから、別名「四極山(しはすやま)」とも呼ばれ、古来より外敵を知らせるための狼煙台があったと言われる。山頂に残っている筒状の石積みは、江戸時代末期に外国船(黒船)の侵入を知らせるための狼煙台跡という説が有力である。
(2012年11月撮影)


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