8.戦での死傷原因は?
歴史研究家の鈴木眞哉氏が著書の『刀と首取り(平凡社新書)』の中で、戦国時代に書かれた軍忠状を調べた結果として、戦場での負傷内容の割合を記述している。軍忠状は家臣が戦での活躍内容を主君に報告するものであるが、戦での負傷内容も記載されている。
それによると、負傷は弓矢、鉄砲、投石などの「飛び道具」によるものが全体の70%を占め、次に槍などの突き傷が20%で、刀傷は5%となっている。これは負傷の割合なので、必ずしも死因と一致しないが、ある程度の参考になる。
戦国時代の戦い方を考えてみると、まず弓矢、鉄砲などの「飛び道具」で敵陣を攻撃し、陣形が乱れたところで、槍などの「突き道具」で攻め込み、最後に「刀」で斬り合うといったものであろう。従って、刀傷は負傷割合として少ないが、最後の止めを刺したり、首取りや自害などを考えると死因の割合としては、もう少し多くなると思われる。
大河ドラマの合戦シーンでは、刀を振り回して戦う騎馬武者や刀で斬り合う兵士の姿をよく見かけるが、実のところ、鉄砲や弓矢による「飛び道具」が主役のようだ。また、山城などの攻防戦では上からの投石なども有効な手段であったにちがいない。
戦国時代の前期は弓矢が 「飛び道具」の主力であったが、後期には鉄砲へと移っていく。大友氏関連の軍忠状を見ると、永禄11(1568)年の立花城の戦いから鉄砲による負傷者が現れ、弓矢による負傷数を上回っている。そして、元亀元(1570)年の佐賀城の戦いでは最大となり、全体の87%になる。
(2014年6月18日作成)
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