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6.宗麟は本当に女狂いか?

 大友宗麟は大分県が誇る戦国時代の英雄であるが、その好色ぶりも有名である。宗麟を描いた小説やドラマでは、美貌の妻を持つ家臣を殺害して、その妻を奪い取るという話が定番になっている。宗麟の女癖の悪さは、江戸時代になって編纂された書物の中に描かれている。
 ところが、イエズス会の宣教師が本国に送った書簡には、慈愛に満ちた理想的な東洋の君主として、まったく逆の宗麟像が述べられている。 江戸時代の儒教というフィルターを通された書物より、リアルタイムに記述されたイエズス会の書簡の方が信頼できるが、キリスト教の布教に尽力した宗麟の評価が甘くなっているのは否めない。
 君主が「酒池肉林」に溺れ、国が亡びるというのは、中国の歴史によく出てくる話である。国が亡びる原因は、君主に徳が失われたからという儒教の考えである。つまり、大友氏が滅んだのは、宗麟に徳が無かったからと言いたいのであろうが、大友氏が滅んだのは、息子の義統の時代なのである。
 宗麟と同世代の戦国武将を見ると、武田信玄、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康なども多くの側室を持っていたことで知られる。勝頼の母は、信玄に滅ぼされた諏訪氏の娘であり、秀頼の母は、秀吉から滅ぼされた浅井長政、柴田勝家の娘である。子供と家名を残すため、あえて敵将の側室になるというのは、「二夫に交えず」という儒教の考えが広まった江戸時代では特別な事かもしれないが、戦国時代には普通に行われていた。
 謀反の罪で夫を討たれた妻が、宗麟の側室になることで、子供と家名を守ったというのが本当の話であろう ・ ・ ・ 。


(2014年4月18日作成)



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