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オタクのミニ歴史講座

4.○○守、○○介とは?

 古代の律令制では、各国に国司が置かれ、国司の長官を「○○守」、次官を「○○介」と呼んでいた。現代で言えば、知事、副知事にあたる。本人が現地に赴いて行政を行うのが原則であったが、代理人を送ることも多かったという。
 その後、武士が台頭してくると、朝廷の任命する官位・官職は有名無実化する。戦国時代には、各大名が自分勝手に○○守、○○介を名乗っていたので、全国に同じ○○守、○○介が複数存在することになる。織田(上総介)信長、羽柴(筑前守)秀吉などが有名である。
 江戸時代になると武士の官位・官職は、幕府が許認可するものとなり、大名統制に利用された。国にも「大」「上」「中」「小」などの序列があり、上位の国の名称が「高い格式」を意味していた。つまり、「○○守」等は「ランク付けのひとつ」であり、大名の支配する藩が官職の国名と必ずしも一致しない。吉良(上野介)義央、大岡(越前守)忠相などが有名である。
 以上は地方官の○○守、○○介であるが、「頭(かみ)」、「輔・助・佐(すけ)」などの中央の官職もあった。浅野(内匠頭)長矩、石田(治部少輔)三成などが知られている。


(2014年3月30日作成)



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