主な山といで湯・・・記録・・・2006.1〜2006.12(未定稿)

1月7日(土) 奥江〜湯平古道ハイク
 ‘ひこさんクラブ’の新年行事にくっついて南由布から奥江、湯平にかけての、今は忘れ去られた古道を巡った。先ずは氷結した小田の池付近の雪道を歩き、湯平温泉では金の湯、中の湯に今年初入湯、嬉野食堂で新年会、鯉々などの珍味を賞味した後、ほろ酔い気分で湯平駅までさらに3km、計16kmを歩く。
(参加者) 加藤、挟間、その他大勢

1月7日(土) 新年は玖珠・椿温泉にて まったり湯浴みの巻
 連休を利用してカミさんと玖珠へひとっ飛び。我家(南福岡)からの時間距離は県内の辺鄙なところより数段優り、ドア・ツー・ドアで1時間余り。思い立ったら即実行である。でこの地で嵌まってしまったのが、(カミさんの)実家近くの椿温泉。寒気厳しいこの時期の山里のいで湯での癒し方についてとくと伝授しよう。本文参照
(参加者) 栗秋、悦子(妻)

1月9日(月) 平成パークラインから御座ヶ岳、雲ヶ背岳
 
この冬は、来るべき祖母傾完全縦走に備えての基礎体力造りを念頭に、そのトレーニングの舞台はバイクヒルクライムと登山の組み合わせが格好な、おらがホームグラウンドの平成パークライン。標高600〜700mの眺めの良いスカイラインが30kmに渡って連なる。トレーニングの相棒は、このところ大分100山にも興味を持ち始めた義弟・豊明君。先ずは自宅から平成パークラインを漕ぎ上がり、登山口からはバイクを乗り捨てバイクシューズのまま御座ヶ岳(796.6m)山頂へ僅かな歩程。続いて再びバイクに跨り平成パークラインをさらに漕ぎ進み、展望所から急坂を中継塔まで一気に漕ぎ上がる。雲ヶ背岳(795m)は中継塔の傍らに、ひっそりとそれと分かる標識がある。この時期平成パークラインは日陰は凍結しており気を使った。写真左:御座ヶ岳山頂、同右:雲ヶ背岳山頂。
  
(参加者) 狭間、釘宮

1月15日(日) 新春の米神山と和尚山登山

 米神山はけっこう手強い山だった。と言うのも大分の山のなかでも、一番ロープの数が多い山ではないかと言うこと。その意味でも 大分100山になぜは入ってないのかが分からないし、次回改訂の時は是非入れなければなるまい。昼飯は近くのネパール料理の店ポカラで済ませ、もう1山 和尚山に登った。こっちは往復1時間の手ごろな山。温泉は,安心院のてまえ,妙見温泉の半露天,1人300円で結構な温泉だったね。
(参加者) 加藤、他4名

1月15日(日) 雨乞岳〜烏帽子岳〜鎧岳・・・バイクヒルクライムと登山
 
大分市の自宅からロードレーサーにて県民の森事務所で相棒と落ち合ったあと平成パークラインを四辻峠まで漕ぎ上がり、そこからは運動靴に履き替え登山となる。四辻峠から雨乞岳〜烏帽子岳〜鎧岳は立派な遊歩道が整備されており、眺望も良い。標高800m前後、1時間20分程度の稜線漫歩でした。写真左:バイクスペシャリストの相棒・豊明君、同中央烏帽子岳四辻峠側登山口、同右:鎧ヶ岳山頂
   
(コースタイム)
大分市田尻9:32→県民の森事務所10:17→四辻峠11:39→烏帽子岳12:14→鎧岳12:37
(参加者) 狭間、釘宮


1月22日 霊山〜本宮山
 
市大分市の自宅から霊山寺までバイクで駆け上り南東コースで霊山山頂を往復。ついでに本宮山山頂まで足を伸ばした。バイク22.5km+登山5km
(参加者)狭間

1月29日 障子岳〜宇曾山・・・バイクヒルクライムと登山
 
大分市の自宅から廻栖野経由障子岳登山口まで約1時間半のバイクヒルクライム。障子岳までは約30分、さらに宇曾山まで往復50分。冬枯れの静かな山歩きでした。バイク33km+登山4km
(コースタイム)
大分市自宅10:03→障子岳登山口11:35→障子岳12:04→宇曾山12:33→四辻峠11:39→烏帽子岳12:14→鎧岳12:37
(参加者) 狭間


2月11日 九折越〜笠松山〜本谷山〜尾平越・・・冬枯れの稜線:完全縦走偵察行
 今春、祖母傾の完全縦走を敢行するにあたり、久しく足を伸ばしていなかった九折越〜尾平越間を、記憶を新たにする意味で歩いておく必要があったし、それに加えて冬枯れの祖母傾の主稜線散策してみたいとの気持ちもあって、高瀬を誘っての登山となった。期待した雪は九折小屋付近で数センチと、近年の暖冬傾向を反映していたが、それでも笠松山頂〜本谷山頂までの標高の1500mの高度では、それなりに楽しめた。本当は、この冬に一度ブナ広場でテントを張って静かな山の一夜を過ごしてみたいとの気持ちがあったのだが・・・。ブナ広場は幻想的な雰囲気で日帰りでも来た甲斐があった、という思いにさせてくれた。それにしてもブナ広場付近から仰ぐ大障子〜前障子岩など障子尾根の、何と長大なことか・・・、ここを一気に遠そうとしているのか・・・と気が遠くなりそうであった。写真上段左と中央:九折越、同右:本谷山へ向かう、同下段左:ブナ広場、同右:尾平越付近の祠とご機嫌な高瀬
      

    
(コースタイム)傾山九折登山口8:08→九折小屋10:58→笠松山12:23→本谷山13:48→ブナ広場14:49→尾平越15:20→尾平17:57
(参加者) 狭間、高瀬


2月12日 佐賀関町の最高峰 樅の木山
 樅の木山(484m)は佐賀関町の最高峰として佐賀関半島の背骨の中心に位置する。しかし、一般の佐賀関町民(いわゆる関の人間)にとっての馴染み深さはほとんど皆無である。半島突端に近いところに位置する佐賀関の中心地の住民にとっては遠見山や城山、行者原が慣れ親しんできた山であるのに対し、この山は大分市に最も近い神崎地区住民にとってはいくらか関わりがあるのだろう。とはいえ、佐賀関町出身、それも古宮の狭間会員にとっても、佐賀関町を代表する山と一般に理解されている以上、気になる山の一つであったことは確か。最近、地元住民により登山道が整備されたことを大分合同新聞の記事で知り、登山を思い立った。相棒・豊明君を誘ったが、この山になら是非にと、同じく同町出身の佐々木君も同行することになった。JAさがのせき神崎支所で待ち合わせ、そこからまずマウンテンバイクで樅の木トンネル方面に向かい、途中中尾の集落から左折し志生木ダムに至る峠道を漕ぎ上がる。峠(185m)からは眺望の利かない尾根道を約1時間ほど歩くと山頂だ。北東・佐賀関半島突端方向は見通しが利き、城山、大煙突、遠見山、その遙か向こうに高島が遠望される。狭間会員にとって青春期まで過ごした場所だけに、故郷の山河それぞれの場所と思い出が重なり、感慨深い山頂でのひとときであった。往路を引き返した後、志生木ダム〜志生木川を下り、半島北西側を一周の程良いトレーニングであった。
      

    
(コースタイム)
JAさがのせき神崎支所10:21→峠11:00→山頂11:58→出発地13:15
(参加者) 狭間、釘宮、佐々木

2月18日(土) 上州・
赤城山
 大沼登山口から赤城山を目指した。途中、稜線から見たたおやかな上州武尊山の雪稜が印象的だった。
(参加者) 鈴木

2月19日(日) 霊山
 
田尻小学校まではバイク。そこから霊山参道を途中蕨野の集落から登山道に入り山頂経由南東コースから霊山越の車道を出発点まで下る。徒歩12.6km、バイク9kmのトレーニング
(参加者) 狭間

3月 4日(土)
あぁ春弥生! 快晴の豊前・鹿嵐山に遊ぶの巻
 会社の山仲間たちと鹿嵐山登山の話がまとまった。この山の選定については半ば強引に持ち込んだ経緯もあるが、まぁ福岡の素人?集団をこの山と引き合わせて、その真髄を体験させるには「強引」という手も必要であろう。して実際、奇岩奇勝の景を存分に楽しんだものと思うが、実は筆者も初めて、かつ念願の山だったので、知ったかぶりの風をしながら、その実大いに驚嘆しながらの山歩きだったぜ。下山後の一点は、ちょっと離れるが八面山麓の金色温泉とし、名物の露天風呂巡りを楽しんだ。会社の気の置けない仲間たちと、こんな山旅もえらく非日常をくすぐり、また愉しである。本文参照
(コースタイム)
JR柳ケ浦駅8:50 54⇒(車)⇒第一登山口9:35 49→雌岳11:00 09→鞍部11:20→雄岳11:35 12:40→馬の背13:35 40→地蔵峠分岐13:49(地蔵峠に立寄る)14:04→(第二登山口経由)→第一登山口14:50 57⇒(車にて麻生〜八面山上展望台〜金色温泉入湯)⇒JR中津駅17:45
参加者 栗秋、他6名

3月19日(日) 大分百山完登者のお供で大障子岩へ
 昨年の6月、坊がつる一泊山行から“おゆぴにすと”のご縁?となった“ひこさんクラブ”会員の下田耕兄,妙子夫妻が大障子岩に登り、大分百山完登を達成した。記念のこの山行には夫婦の他に16名の見届け人も加わり大所帯の隊と化したが、神原の白水登山口より登り,メンノツラ谷を詰め八丁越経由で大障子岩山頂着 11時30分。ワインで乾杯をして,記念の垂れ幕を前に記念撮影。そしてインタビユーにこたえる形の挨拶をして感激を分かち合った。下田氏は3年前,定年退職後,山登りをはじめたばかりである。それがわずか3年で100山達成とはその熱意に敬意を表しなければならないし、本人の喜びようはひとしおであろう。これで加藤は8人もの大分百山完登者に立ち会ったことになり、もはや病み付きの域に達したとの声もある。トピックス2006年参照
(コースタイム) 大分6:30⇒車⇒登山口8:05 40→八丁越10:35→大障子岩11:30
(参加者) 加藤、下田夫妻他15

3月26日(日) 法華院の開山祭(於:大船山段原)に出席
 九重の山に春を告げる開山祭が大船山の段原にておこなわれた。前日、好天のもとにおこなわれた坊ヶつるの野焼きのあとを眺めつつ、坊ヶつる入りしたが、到着した頃から天候が崩れ、みぞれまじりの雨となり3合目をすぎたあたりから本格的な雪となる。でそれでも式典は11時きっちりに開始。僧侶たちの読経で始まり、主催の法華院の弘蔵岳久氏の山の説明と開山祭に参加した人たちへのお礼のあいさつがあった。僧侶達の吹くほら貝の音が季節外れの雪の中、九重の山々にこだましていった。記念のバンダナをいただき雪の中をあとにした。
(参加者) 加藤、他

3月26日(日) 玖珠・椿温泉で湯浴み三昧、個室でまったり
 久し振りに狭間編集長&ガブリエル高瀬の両御大と、大分100山の一つ、未踏の宝山登山を目論んで玖珠で落ち合った。しかし予期せぬ雨。すぐには止む気配もなくあっさりと断念。
 ならば湯っ栗の行きつけの玖珠町椿温泉にしっとりと入湯し、併設の食事処(料亭?)でまったりと小宴会を催す。束の間ではあったが、非日常の世界にまどろんだのです。トピックス2006年参照
(参加者) 挟間、高瀬、栗秋

4月8日(土) 由布岳周辺クロカン
 祖母傾連峰完全縦走に向けたトレーニング山行。東登山口よりやや下方手頃な道路脇に車を停め、野焼き後、新しい生命が息吹き始めた由布山麓の原野をいったん岳本まで駆け下り、西登山口から合野越を経て西峯へ。さらに御鉢をめぐって剣ヶ峰付近から猪瀬戸登山口〜猪瀬戸を経由のクロカン。合野越手前では思いがけずも大分川源流の碑(写真左)を発見。歩行距離17km、累積標高差1554m、所要時間4時間26分。写真中央:野焼き後、新しい生命の息吹、同右GPS軌跡。
   
(コースタイム)
出発点(標高695m)7:48→岳本(500m)8:11→大分川源流の碑(904m)8:53→合野越9:01→由布岳西峯10:04→剣ヶ峰10:32→エコーライン(812m)11:30→出発点12:14
(参加者) 狭間


4月15日(土) 九六位山雨中登山
 九六位山の南麓に住みながらつい最近までこの山が大分100山に選定されているとは知らなかった。ならば一度はと思い立ったが、あいにくの雨ときた。え〜ぃ春雨じゃ濡れて参ろうぜ!と思いつつも、春の冷たい雨に多少の難儀さは隠せなかったが、春の野草(セリ、野イチゴ、イタドリなどなど)を愛で、その一方で肉体改造計画をスタートさせて早9ケ月目の成果も確認したいと思惑は尽きなかった。本文参照
(参加者) 吉賀

4月15日(土) 両神山
 春を迎え、今年のシーズンイン。最初の山はくたびれるが、往復で5時間少々のエクササイズはトレーニングに最適か。
(参加者) 鈴木

416() 西山コース〜傾山〜杉越 アケボノツツジ偵察行
 豊後大野市三重町側からの傾山は、気にはなっていたがこれまで縁遠かった。傾山の東の玄関口となる払鳥屋の集落を抜け、林道を愛車フォレスターで駆け上り着いたところが西山登山コースの登山口。さんしょう谷の上部にあたる。ここから谷に沿って急登し傾山北東尾根に出て山頂まで4時間13分となかなかのアルバイト量。アケボノツツジは傾山西山コースの七合目(標高1,300m)ではまだつぼみであった。下山は杉ヶ越方面が未体験という塩月、中島両先輩のために加藤会長が案内することになり、狭間は単独で西山登山口に戻り、車を杉ヶ越トンネルまで回して待機した。傾山から杉ヶ越のルートはちょっとした岩場もあり、過去に遭難騒ぎや未だに行方不明の登山者もいる。なかなか下山してこない還暦のお三方が心配になった狭間は杉ヶ越の大明神に安全祈願もかねて稜線に上がってみる。遅れた原因は加藤会長の登山靴が口を開いて歩行に難儀したせいとの携帯電話があり、スペアの靴を取りにいったんトンネルまで下り、靴持参で再び稜線まで上がり、加藤一行の下山コースを逆走。結局、アケボノツツジの格好のビューポイント付近で合流。やれやれ・・・。お陰で標高900m付近で今が盛りと咲き誇るアケボノツツジを満喫できた。帰路は木浦鉱山の‘名水の湯’に浸った。
   

(コースタイム)
大分⇒車(払鳥屋)898m西山登山口(690m)8:07→北東尾根のピーク(1397m)10:23→傾山山頂(1605m)11:20〜12:40→杉ヶ越トンネル(898m⇒木浦鉱山‘名水の湯’⇒大分

(参加者) 加藤、塩月、挟間、会員外中島

4月23日(日) ぐるっと由布岳山麓一周クロカン
 由布院の金鱗湖下ん湯をスタート&ゴールにトレーニングをかねて由布岳裾野を一周した。距離はおよそ20km、累積標高差1,300mのエクササイズだったが、ぐずついた空模様にもかかわらずとびっきりの新緑が印象的。帰還後は由布院温泉・下ん湯に浸り、すぐ近くのキャラバン珈琲館へと赴いた。ひょんなことで由布院散策途中の栗秋夫妻から声がかかったものだが、珈琲にまつわる店主の薀蓄ある話、アンティークな調度品や部屋の設えは珈琲を静かに嗜むにかっこうの場。なかなか趣のある珈琲館だったが、クロカン上がりの身としては由布院散策向きのコスチュームとはならず、ジャージにTシャツの出で立ちとあって、ちょっと場違いな感なきにしもあらずか。湯っ栗殿、急に呼ばないでよね。移動距離20.1km、累積標高差1436m、所要時間2時間50分。写真左より:大分川源流の碑、飯盛ヶ城山頂、日向岳山頂
      
(コースタイム)
岳本8:42→大分川源流の碑8:26→飯盛ヶ城8:42→合野越8:49→日向岳9:43→エコーライン10:06→岳本共同湯1
(参加者) 
挟間

4月29日(土) 草津白根山
 天候にも恵まれ快適な雪見ハイキングとなった。一応百名山ではある。
(参加者) 鈴木

4月30日(日)  G.Wのアウトドア第1弾、津江山系は釈迦・御前岳縦走の記
 会社の同僚、M君の案内で津江山系は釈迦・御前を巡った。釈迦岳(1230m)は椿ケ鼻から過去幾度となく登っているので物珍しさはないが、西へ延びる趣のある縦走路と、その先のピラミダルな容姿で登山者を誘う御前岳(1209m)はいまだ未踏であり、機会があれば是非登りたいと思っていた意中の山だったので、期待は膨らんだのだ。今回はこの山系を福岡県側の矢部村は杣(そま)の里渓流公園(登山口)から登ったが、この時期シャクナゲでも有名なところだ。つまり未踏の御前岳と花の山旅が我々を待っていたのだが、さぁて顛末は如何か?本文参照
(コースタイム)
南福岡:6:28⇒車(広川 I.C〜八女〜黒木経由、途中 黒木町の素盞鳴(すさのお)神社境内の大藤観賞を含む )⇒杣の里渓流公園(登山口)8:19 26→林道出合8:58 9:01→御前岳9:30 40→釈迦岳(本釈迦)10:14 22→釈迦岳(普賢岳)10:26 27→本釈迦・普賢岳分岐10:31→矢部越(林道出合)10:47 49→沢の合流点(昼食)11:02 43→幸運ノ滝12:02 05→杣の里渓流公園(登山口12:20 25⇒車⇒大杣公園12:30 45⇒車(広川 I.C経由)⇒南福岡14:25
(参加者) 栗秋、他1名

4月30日(日)  傾山大白谷官行コースから、再びアケボノツツジを求めて
 豊後大野市三重町側からの傾山登山の、先々週に続いての第二弾。今回は単独行。愛車フォレスターを走らせ稲積水中鍾乳洞〜白谷を過ぎ中山集落付近から林道に入る。ちゃんと官行コース登山口の標識がある。そこから先は未舗装だが路面は四駆フォレスターならノープロブレム。官行コース登山口(608m)からは最初急登で尾根を越え、中津牟礼川に沿った、薄暗い軌道跡を、遙か下方に沢音を聞きながら徐々に高度を上げる。ちょっと心細くなるような廃屋を過ぎるとほどなく中津牟礼川の上流となるアオスズ谷に出る。登山道はこのアオスズ谷沿いに次第に高度を上げる。沢の水量がほとんどなくなる頃から谷は広々とした新緑の明るい森に変わる。2時間12分の所要で三ッ尾(1164m)着。ここからは往路を坊主尾根、復路を水場コースに採る。アケボノツツジは、坊主尾根下部では六〜七分咲き、上部では五分咲き。今回は祖母傾日帰り完全縦走の下見をかねて、特に坊主尾根の岩場の確認であったため、山頂手前で水場コース経由で引き返した。坊主コースのアケボノツツジは圧巻であった。
   
(コースタイム)
官行コース登山口7:58→アオスズ谷8:48→三ッ尾10:10→坊主尾根コースと水場コースの分岐10:30→水場コースとの合流点12:08〜12:34→三ッ尾13:41→官行コース登山口14:58
(参加者) 狭間


5月2〜6日(火〜土) 大峯山修験の旅 弥山−釈迦ヶ岳そして大普賢岳、更に大台ケ原へ
 山深く、公共交通機関の少ないこの山域で縦走を効率良く、また、できるだけ安価に行うためには、マイカーは欠かせない。日本百名山や世界遺産での注目度もあり、そのためマイカーの回送が‘業’として成り立つのも、この山域ならではのことだ。佐藤さんがあらかじめ予約していた、この地で回送業を営む蒲田夫妻がすでに早くから待ってくれていた。車を下山口の前鬼まで夫妻に委ね、夫妻の見送りを受けて10時15分、いよいよ大峯奥駆けの第一歩を踏み出す。ひこさんクラブHP山行報告参照)(名山探訪 第7回 大峯奥駆け〜紀行と印象〜参照)
(参加者) 加藤、挟間鈴木、他2名

5月4日(木) チャレンジ!祖母傾連峰日帰り完全縦走、大分登高会の末裔ついに達成!
 幾多の偵察調査行終え、コース的には不案内の箇所は解消した。あとはいつ完全縦走に踏み切るかであったが、気候、気温、日照時間等、さまざまな条件を考えると、4〜5月が最適なのは自明であった。そこで相棒狭間と協議し、Xデーを4月1日(土)としたが、この日は天候不良で断念。併せて相棒殿の体調等も異動による環境変化などで思わしくなく、結果的には延期が正解だったかもしれない。しかしずるずると延ばす訳にもいかず、二人のバイオリズムも短期間に合わせるのは無理があったので、ぎりぎりの選択としてゴールデンウィークまで繰り下げて可能性を探ったのだ。しかし(相棒の切羽詰った気持ちも知らず?)狭間はこの時期、修験道の旅と称して加藤会長らと共に大峯・大台ケ原への遠征を決めており、単独行動にならざるを得なかった。そして第2回目のXデーを5月4日と決めて腹をくくった。サイは投げられたのだ。本文参照
(コースタイム)
大分明野2:30⇒車⇒上畑3:40→ 健男社4:00→大障子岳7:04→祖母山9:30→古祖母山11:10→尾平越12:04→本谷山13:45→九折越15:25→傾山16:50→三ツ尾18:05→九折登山口19:20→上畑20:00
登山所要時間15時間20分
(参加者) 高瀬

5月14日(日) 我、基山〜天拝山ランニング登山敢行せり!の巻
 今年のG.W、おゆぴにすと本国では徒党を組んで紀伊半島は大峰修験道ルートへ遠征したり、祖母・傾連峰日帰り完全縦走をやってのけたりと、派手な?山行が巷を賑せた模様である。ならば周りに感化されやすい己の性癖からして、結果としていささか消化不良の感なきにしもあらずであった。しかしそうは言っても大それた計画など立てる才覚もないし、実践する度量もない。ないないづくしで思い立ったのが、ささやかではあるが基山(405m)〜天拝山(258m)ランニング登山である。本文参照
(コースタイム)
JR南福岡:駅10:37⇒電車⇒JR原田駅1051 55→林道入口11:06(少し迷う)→基山登山口11:17→東北門跡11:27 29→基山11:40 43→平山集落出合い12:03 05→(少し迷う)→天拝ダム12:19→筑紫野市総合公園管理棟先の分岐12:24 26→林道終点12:33 35→天拝山12:55 58→天拝山自然公園13:10→JR二日市駅13:18 28⇒電車⇒JR南福岡駅13:27 所要時間2時間23分(実質走行時間2時間)
(参加者) 栗秋

5月14日(日) 霊山〜本宮山早歩き
 昨日(13日)、祖母傾完全縦走を決行する手筈だったが、またしても天候不順で断念。ならば来週以降を見据えて我が家からドアツードアで霊山〜本宮山のウォークを実践した。目的は、行動食と水の再確認。ガブ高瀬からは「10時間を超えるとゲロゲロパーの渉大明神」と揶揄されたとおり、空きっ腹での長い行動ではすぐ吐き気をもよおす弱い胃袋と永年付き合っている身である。
 で、わざわざ空きっ腹からのスタートとし、昼飯時にも飯を食わずに更なる空きっ腹状態を作り出した上で、祖母傾完全縦走用に用意した全荷物(=企業秘密)を背負って自宅(標高50m)〜田尻(標高20m)経由〜霊山山頂(約596m)〜西寒多神社(標高30m)〜本宮山(標高608m)〜県道大野線(標高350m)〜霊山越(標高500m)・・・再び田尻と、総距離34km、累積標高差にして1,400mをランニングではなく早歩きで通した。もちろんこの時期ならではの大分市近郊低山の新緑を楽しみながら、だったのは言うまでもない。
 で結果として歩程丁度30km、所要5時間半、我が家まであと4kmのところで7時からのTV番組K−1に間に合わないとの理由で女房にお迎えコールをし打ち切ったが、空きっ腹でも食えそうなもの、或いは水の必要量も確認できたので、それなりに成果はあったものと思っている。
 しかし肝心の来週末の天気(予報)はまたしても芳しくなく、一日中晴または曇りのち晴といった日を待ち望むのだがなぁ。せっかく大峯で修業したのに、そのうち元のなまった身体に戻りそうなのがコワイ。歩行30.6km、累積標高差1616m。

(参加者) 挟間

5月21日(日) 祖母傾連峰日帰り完全縦走を逆回りで挑戦!されど尾平越にて断念無念
 ガブ高瀬が激闘の末、日帰り単独完全縦走を果たし、「当分この山域へは足は向かない、思い出に浸るんだ!」と宣言した(かどうか?)以上、いきおい元祖言い出しっぺとしては単独で臨まざるを得なかった。いやもとよりそのつもりだった。
 4時58分傾山九折登山口発、三ツ尾から坊主コース経由で傾山頂が7時26分。センゲンから先はランニングで距離を稼ぎ、8時02分に九折小屋、さらには笠松山が8時39分。ちょっと疲労感あり。捕食するもこの頃になると蒸し暑さも手伝って汗だくの体。しかしまだまだの思いは強く、完全縦走は射程内との気持ちに揺るぎはなかった。本谷山を9時26分、このコース最大のオアシス、ブナ広場には10時03分に到着して水を補給。まだまだ先は長い。一気に尾平越へと下り、「当然のように通過した」と心境をさりげなく語ってみたが、ガブ高瀬が「ルビコン川」と称したように、この峠が全行程中のターニングポイントであることに違いはなかった。それを平静を装いつつ通過するについて当然ながら勝算はあったつもりだ。歩行ペースが落ちた訳でもないし、疲労感もさほどではない。気になる胃袋の具合もまだ造反の兆候は見られなかったのだから。
 ところが変調は尾平越から10分ほど登った尾根筋で突然起こったのだ。吐き気を感じると同時に瞬時に嘔吐。しばし休憩し、むりやり巻き寿司を詰め込むも、身体は受け付けてくれなかったのだ。このあたりの葛藤劇は本文に譲るが、今まで張り詰めていた緊張の糸がこの件でプッツンしてしまい、同時に弱気の虫が蠢きはじめ、もはや足は尾平から上畑へとエスケープルートへ向いていたのだった。
 閑話休題、この時は上畑への長い車道を歩きつつ、高らかに「敗北宣言」をして、気分は妙にサバサバだったと述懐しよう。つまりこの日をもって、日帰り完全縦走から一線を引いたことを内外に宣言したつもりだったのだ。ところがまさかの大逆転劇が控えていようとは、本人も周りの観客?も予想だにしていなかったに違いない。「人生ほど不確実なものはない」とまで言い切った本人だったが、さる5/4先陣を切ったガブ高瀬が、行動中唱えつづけたという「逆境は続かない。しかし逆境をあきらめると永遠に逆境は続く」を想い起こしたのかもしれない。その大逆転劇は6/10に結実することになるのだが...。本文参照
(参加者) 挟間

5月27日(土) 玖珠・七福温泉入湯の記
 春先、地元(福岡)のTV番組で玖珠町七福温泉・宇土の庄(と言う湯宿)が紹介された。今はやりの名物料理にいで湯三昧の旅ものだったので、低俗とは言わないが、少なからずコマーシャリズムに乗っかった演出はあろうと、フィルターのかかった思いでトーゼン見ましたぞ。そしてまぁその思いは否定しない内容だったが、カミさんの実家近く、周りを奇岩怪石で囲まれた谷間のひなびた一軒宿、しかも「テレビもラジオもなく、携帯も通じない環境でのんびり湯浴み」という触れ込みに少しだけ食指が動いたのだった。ならば帰省したときに一度訪れてみなくては、と記憶に留めるぐらいはおゆぴにすとの務めでしょう。

 そこでG.Wはこどもの日(5日)、帰省の際のバイク(MTB)エクササイズで七福温泉を目指したのだ。とは言っても大仰ではなく、地図上で読み取ってもたかだか(実家から)片道12kほどの行程なので、夕刻16時過ぎ、先ずは後片付けで慌しい童話祭会場の三島公園界隈を冷やかした後、国道387号に乗り北進した。この国道、深耶馬方面への県道28号と分かれるとすぐ延々とつづく上り坂となりトンネルを抜け、「七福温泉・宇土の庄」の案内板に導かれて左手の谷へ下る側道に至るまでほぼ上りっぱなしとあって、MTBのスピードはまったく上がらないし、あまり上りを予想していなかったので、けっこう堪えた。そして谷間の間道に入ると田んぼや畑を配したのどかな田舎道と化し、涼風爽やかでペダリングはうってかわってリラックス。くねくね、じわじわと谷を詰め、ゆるやかな峠道を越すと、今度は狭まった谷を一気に下り、分岐から4kほどで森の中の一軒家、宇土の庄が忽然と現れたのだった。なるほど周りは前宣伝どおりの奇岩怪石と緑々の稜線に囲まれて仙境と呼ぶにふさわしい地であったが、G.Wのさなか、一番の書入れ時とあって、宿泊客らしきけっこうな人々で賑わっており、加えて湯浴み道具も持たぬ汗だくチャリンコの身では、湧き出る清水をたっぷりいただいただけで復路へと取ったのだった。

 で本日夕刻、宿題を果たすべく、身ぎれいな出で立ち、湯浴み研鑽目的でカミさんと再訪した訳だが、今回は週末とはいえ、湯浴み・観光・宿泊客も少なく閑散としていて、まさに仙境の趣は充分であったぞな。先ずは本命(と聞きし)の展望露天風呂(90分貸切で2000円なり・・・とは後で知った)を所望したが、こっちは後1時間半ほどは予約が入って不可とのこと(そんなに客がいるとは思えなかったけどね)。ならば男女別の半露天の岩風呂と桧の家族風呂が選択肢として残ったが、室内の家族風呂(1回1000円)より半露天の岩風呂(一人300円)の方が開放感たっぷりのまったり湯浴みにはピッタリではないか、と思うのは自明の理でしょう。もちろんそれにリーズナブルな料金が後押しするのは言わずもがなですね。

 さて自然の大岩をそのまま利用している岩風呂はなかなかの雰囲気であったね。湯はあめ色、かなりぬるめで、このままいつまでも入っていても決してのぼせることはなかろう。裏を返せばこの季節だからこれで充分だが、真冬はとても入れないな、と誰しも思うのではないか。その意味では温泉分析表に記載している源泉(アルカリ性単純泉)39.5℃は、もう少し低いのてはないかと訝ってしまうんであります。もっとも上がり湯として加熱した桧風呂も傍らに設えているし、湯舟から真正面に見上げる緑々の稜線に露出した奇岩怪石の景は、我々を非日常へ誘うに充分なシチュエーションであって、これだれでも入湯の価値は大いにあると断言して湯浴み研鑽ルポはおしまいとしたい。
(参加者) 栗秋、悦子(妻)

6月3〜4日(土〜日) 九重の前衛峰を登り、宿泊バーベキュー大会でウツツを抜かしたの巻
 恒例のくじゅう山開きが開催される6月最初の週末、星生倶楽部に一泊し初夏の高原リゾートで温泉三昧やバーベキュー大宴会など、非日常的癒し享楽生活を愉しもうということになった。しかしメインはこれであっても、花のこの時期、山も登らずミヤマキリシマも愛でずでは、おゆぴにすとの看板を揚げている?身としては何とも体裁が悪いし、美味いビールを飲むお膳立てとしても不可欠であろう。そこで午後発ちでも登山可能で眺望明瞭な指山を目指した。下山後はもちろん星生温泉・星生倶楽部露天にしっとりと入湯。(本文参照)
(コースタイム)
6/3 長者原14:33→自然観察路への分岐14:46→指山への道標14:57→指山15:26 56 →自然観察路への分岐16:31→(長者原経由)→星生倶楽部 17:00
6/4 一目山登山口(九重森林スキー場手前の峠)9:45→一目山10:00 09→(みそこぶし山方面散策)→登山口10:40
(参加者) 高瀬、栗秋、西梓、他2名 6/3指山及び6/4一目山登山は栗秋、他1名のみ

6月10日(土) まさに執念 リベンジ成る! 二番手ながら祖母傾連峰日帰り完全縦走達成
 前回5月21日の右回り完全縦走の試みも途中リタイアと相成り、早々と一日完全縦走の敗北宣言(=「こんな無謀な試みはもう二度としない」)を出したものの、わずか数日にして前言撤回となった。高瀬の感動的な手記()の影響が多分にある。それとともに、全行程の半分足らずの尾平越でやめてしまってはやはり悔いが残る。左右どちら回りにしてもアルバイト量はほぼ同じと思われるこのコース、実際には左回りの方が気持の上では楽そうだ。敗北宣言はそれからでも遅くはない。と、妻に言わせれば「性懲りもなく」再チャレンジとなった。本文参照
(コースタイム)
健男社4:45→前障子岩6:55-7:10→大障子岩8:10→いとしの滝、クーチ谷分岐8:33→池原展望所9:13→ メンノツラ谷下り分岐9:23→10時26分祖母山頂→黒金山尾根分岐11:22→ミヤマ公園11:30→障子岳11:50→土呂久分岐12:01→古祖母山12:29→尾平越13:22→ブナ広場13:44-49→本谷山15:02→九折越16:30→傾山山頂17:39→ 坊主コース17:58→水場コースとの合流点19:01 →三ツ尾19:15→林道20:12 →九折登山口20:55→健男社22:02
(参加者) 挾間

6月10日(土) 人の群れに抗しながらも九重山塊5峰をドタバタと巡ったの巻
 登山という一点に絞れば、先週のくじゅうは消化不良気味であったが、花(ミヤマキリシマ)も不作とあっては、これで(今シーズンの花の山旅は)終わりだな、が率直な感想であった。で終わったかに見えた今シーズンの花?のくじゅう。しかし唐突に週末前夜、会社の山仲間 T兄から誘いがかかった。ムム...ならば万難を排して行かねばならぬ。下山後は栗秋の案内で玖珠の椿温泉にまったりと浸る。本文参照
(コースタイム)
6/10 牧の戸峠8:43→扇ケ鼻直下分岐 9:30 32→扇ケ鼻 9:42 53→久住別れ10:23→天狗ケ城10:43 50 →中岳11:00 04→稲星山とのコル 11:13(昼食小宴会)12:25→稲星山 12:36 45 →久住山13:10 20→星生山14:03 10→牧の戸峠15:07  帰途、玖珠町椿温泉入湯
(参加者) 栗秋、他2名

6月11日(日) 赤川温泉から扇が鼻〜久住山へ
 この時期の九重はミヤマキリシマの花を観賞のため多くの登山者でにぎわうところ。赤川→扇が鼻→久住山のルートをとる。下山後は都野のほていの湯に入湯。ひこさんクラブHPの山行報告参照)
(コースタイム)
6:30大分⇒7:30赤川〜7:40発→9:35扇ヶ鼻〜9:45発→10:10星生との分かれ→10:30星生山→11:00久住分かれ→11:30〜12:00昼飯→12:20久住山頂→12:40下山開始→14:40赤川登山口
(参加者) 加藤、塩月、他13名

7月2日(日) 雨に降られそうで降られずに済んだ涌蓋山登山
 梅雨のこの時期、天候により決行か中止か難しいところだ。朝方はかなり強い雨が降っており、残念だが今日は中止か、と一分の望みを託し気象庁に開いてみると日中は梅雨前線が南に下がり大分の上空からは濃い雨雲が消えていく予報だと言う。そこまで言われたら中止する訳にはいかない。しかし目指す涌蓋山は霧に覆われ晴れそうにはない。登山口のひぜん湯は昨年の7月10日、未曾有の大雨による土石流に埋まり館主が亡くなったところ。今はきれいに更地になっている。途中の雨の覚悟は決めて、ぼちぼちと登ったが、我々のみのまったく静かな山旅であった。下山後は飯田高原の一角、馬子草(まごそ)温泉、民宿きずなに入湯。大きな岩を配した野趣あふれる露天風呂。草原の向こうに湯沢の山をのぞむロケーションは秀逸。泉質は含ほう硝重曹酸土類泉、筌の口温泉と同じ系統か。 ひこさんクラブHPの山行報告参照)
(コースタイム) 大分発7時15分7⇒ひぜん湯登山口発9時5分ー湧蓋越10時05分ー山頂11時15分ー12時05分ーひぜん湯下山1時45分
(参加者) 加藤、他9

7月8〜9日(土〜日) 祖母傾連峰日帰り完全縦走を称える会INくじゅう倶楽部
 去る5月4日(高瀬)、6月10日(挟間)と相次いでチャレンジして上畑から上畑を結ぶ‘祖母傾連峰完全縦走’を日帰りで達成したことを称える祝賀会を、長者原のくじゅう倶楽部で県内外の会友も含め総勢11名の出席を得て催した。あいにく、一方の当事者である高瀬は直前の事故のため不参加となったが、浜松在住の松田会員や埼玉在住、鈴木会員、それに会友・大平氏のほかネット上からはおゆぴにすとHP愛読者・弱虫サイクリスト氏などの祝い酒や記念品が代理出席し、加藤会長の挨拶に始まり、よく飲み、よく食い、よくしゃべり、最後は大峯奥駆け山行やジャヌーのスライド映写会等で深夜まで盛り上がった。くじゅう倶楽部露天(星生温泉)に入湯。トピックス2006年参照)
(参加者) 加藤、塩月、挟間、吉賀、栗秋、石村夫妻、鎌田夫妻、渡邊、加藤平治

7月9日(日) くじゅう倶楽部での称える会解散後、久住山へ
 ‘祖母傾連峰日帰り完全縦走’を称える会出席後、20何年か振りに久住山に行くことにした。高瀬、狭間の祖母・傾山完全縦走に刺激を受けてにわかに思い立ったものである。コースは長者原〜すがもり越〜法華院〜中岳〜久住山〜沓掛山〜牧の戸〜長者原の予定であったが、長者原の駐車場に車を止めたが、すがもり峠までのルートが頭に浮かばない。山はガスっており天候もよくない。そこであっさりと牧の戸からの久住山往復に変更した。牧の戸から山頂までの道程は5km弱である。早足に小走りを交えて行動すれば60分以内に余裕を持って山頂に立てると思ったが結果は63分であった。帰りは男池、中岳、星生の岩場等に寄り道をして牧の戸に下る。ちなみに久住山頂の気温は気温5℃とあって、寒々とした頂であった。
(参加者) 吉賀

7月9日(日) 幻の花、オオヤマレンゲを求めて北大船へ
 くじゅう倶楽部での‘祖母傾連峰日帰り完全縦走’を称える会に出席しての帰途、幻の花オオヤマレンゲ(※)観賞登山を思い立った。オオヤマレンゲが九重に咲いているのは昔から知っていた。東千里から法華院に下る白口谷コースで中学生のころ見た記憶がある。また鳴子岳の斜面にあるとも聞いていた。それが今年大峯山に登り八経ヶ岳のオオヤマレンゲが鹿の害で絶滅に瀕していると聞き及び、九重のそれはどうなっているかと気になりだしたのが探訪の動機である。吉部の大船林道ゲートから登りだし、平治岳を巻くように大戸越〜北大船〜段原〜坊ケツル〜林道ゲートと歩き、帰りに再び馬子草(まごそ)温泉、民宿きずなに案内した。おっとくだんの幻の花は大戸越と北大船のほぼ中間地点、登山道脇のわずか2本の木に可憐なそれは咲いていた。登山道に落ちていた花びらを手繰って細心の注意力で発見しただけに、物見遊山に登っていただけでは見つけることは難しい。その意味で執念の末、運にも恵まれたということだろう。 ひこさんクラブHPの山行報告参照)
(※)オオヤマレンゲは モクレン科モクレン属落の葉小高木。上品な美しさは「天女」と形容される。花は直径6センチほどの純白 ほのかな芳香はなとも表しようのない良い香りである。しいて例えるなら、スイセンの香りにクチナシ風の香りをプラスしてもっと甘くした感じの上品な香りであろうか・・。オオヤマレンゲは漢字で「大山蓮華」と書く、山に咲く、蓮(ハス)に似た白い花より由来しているそうだ。
(参加者) 加藤、塩月、他1

7月29日(土) 石鎚山
 高知出張の帰りに伊予西条へ移動。山頂成就社ルートより石鎚山往復。朝、ホテルに送っておいた装備を持ち、伊予西条7時43分のバスに乗車し、8時40分山駅発のロープウエーで登山スタート。帰りのバスが15時17分なのでいつもよりはピッチを上げて結果、往復5時間30分で14時10分に山麓駅へ下山。(15時17分発のバスに乗り遅れると、今日中の帰宅が不可)鎖場は、一、二、三の各鎖とも登ったが、三の鎖は結構しびれた。天候に恵まれ、山頂からは瀬戸大橋、今治、新居浜の町や、瓶ガ森なども一望でき幸運であった。しかし湿度が高いせいか九州の山までは望めず、ちょっぴり残念。頂上滞在わずか15分で12時10分下山開始。このころより、ガスが出てきて、展望もいまいち。そして時間はギリギリセーフと言ったところだった。
(参加者) 鈴木

7月30日(日) 祖母山行
 宮崎県側の五ヶ所の北谷登山口より、風穴経由で山頂へ。下りは国観峠から千間平へ取り、比較的楽なコースで真夏の祖母山を愉しんだ。 ひこさんクラブHPの山行報告参照) 
(コースタイム) 大分6.15−北谷登山口着8.15 8、30発ー風穴9.30−山頂11.10 12.10発-12,30九合目小屋ー国観峠1.05−千間平2,05−登山口2,35
(参加者) 加藤、塩月、他8

8月4〜5日(金〜土) 西吾妻山
 金曜日午後10時50分マイカーで大宮出発。東北道 久喜ICから入り、途中安積SAで3時間仮眠をとりながら猪苗代磐梯ICをおりて北上し、五色沼、白布峠を経て山形の天元台に6時40分着。ロープウェー運転開始が8:00なので再度仮眠。朝の第二陣のロープウェーにのり、天元台高原駅におりたら、北に飯豊がかろうじて望めたが、期待したほどの好天とは行かず、ややガッカリの態。(湿度の高いこの時期、遠望が利かないのは当然か・・・)リフトでさらに1830mの北望台まで行き、8時55分スタート。人形石梵天岩、天狗岩を経て展望のまったくない西吾妻山(10時30分着)を踏んで、西吾妻小屋を経由して下山(北望台着12時20分)。下山もリフト・ロープウェーを利用し、13時15分に駐車場へ到着。
 さて、天元台は元来スキー場で、ロープウェー、リフトを夏場に登山客向けで運転しているが、6日はグラススキー大会が開かれるということで、そのリフトには登山客ばかりでなく、スキーウェアの選手も多かった。リフトで下山中に、彼らとすれ違うとこんにちはと挨拶されたのは、少々ビックリ。小さい子供の選手が多く、これも選手の心構えか?大宮着19時50分。
(参加者) 鈴木

8月10〜15日(木〜火) 北ア、奥穂〜槍ケ岳縦走
 上高地を始終着として涸沢〜奥穂高〜北穂高〜キレット〜槍ガ岳〜槍沢〜上高地と4日間のけっこうハードで懐かしさいっぱいの山行であった。還暦を過ぎた父親を息子がいたわりながらサポートしつつ稜線漫歩を愉しんだとしておこう。(ひこさんクラブHP山行報告参照)
(コースタイム)
8/12 上高地(山研)6::00→明神6:43→徳沢7:33→横尾8:32→本谷9:35→涸沢ヒュッテ11:29 
8/13 涸沢ヒュッテ5:30→奥穂小屋7:48→奥穂山頂8:33→奥穂小屋9:34 55→オダマキコル10:30→最低コル 11:26→北穂山頂12:40
8/14 北穂小屋5:11→A沢のコル6:23→南岳小屋8:35→南岳9:03→中岳水場9:58→中岳10::28→大喰岳11:06→槍ケ岳山荘11:39→槍ケ岳12:52→槍ケ岳山荘1:34→ヒュッテ大槍別れ1:57→坊主岩2:16→天狗原別れ3:07→槍沢ロッジ4:30
8/15 槍沢ロッジ6:04→横尾7:20→徳沢8:12→明神9:03→上高地9:50 10:40⇒新島々11:52⇒松本12:40 13:41⇒名古屋⇒小倉⇒大分着21:46
(参加者) 加藤、加藤平治、他1

81114日(金〜月) 飯豊連峰踏破
 「飯豊はいいぞ」と富山出身の大学の先輩の言葉を聞いてから32年、やっと念願かなっての山行きであった。今回、会社の仲間と2名で小屋泊り山行となった。そもそもこの山は大学時代に登山を計画したが、何しろ大阪からは遠方で、白河の関を越えるとなると交通費ひとつとっても国鉄・タクシー代を考えると当時の大学生の財布では、天文学的(?)な費用がかかり、穂高なら3回いけるということであえなく断念した。それ以来の飯豊である。
 特に13日の梅花皮小屋〜飯豊本山〜切合小屋までの稜線漫歩は東北のたおやかな山を堪能できた。決してアルペン的ではないが、重畳と続く山並みの中に身をおく心地よさがある。来た甲斐があったというところである。食事付きの小屋が飯豊連峰ではただ1軒のみで、後は管理人はいるものの素泊まり小屋であり荷物も多くなり、加えて稜線までどのコースをとっても5〜7時間かかる健脚コースということもあり、お盆とはいえ登山者は思ったより少ない。管理人に聞くとそれでも、100名山ブームで昔と比べると増えてはいるということである。ただ、飯豊にも20人程度のツア―登山が来ていたのには驚いた。
 14日の切合小屋は、米三合持参で食事あり(カレ―ライス)のただひとつの営業小屋であるが、ご飯を炊くのも薪釜を使い、夜は、照明も無く暗くなったら寝るといった小屋。北アの大きな小屋とは対極をなしている。
 今回、最高峰大日岳は、今回はパスすることとなったが、いづれはピークを踏みたい。
(スケジュール)
/11  大宮から小国・飯豊山荘へ移動
8/12   飯豊山荘―梅花皮雪渓―梅花皮小屋泊(北俣岳往復)
8/13  梅花皮小屋−梅花皮岳―烏帽子岳―御西岳―飯豊本山−切合小屋泊
8/14  切合小屋−三国岳−地蔵山−御沢登山口―川入川入よりバスにて山都駅、会津若松、郡山経由で大宮
(参加者) 鈴木

8月12日(土) 久し振り 親子で登った万年山
 お盆直前、オフタイムは無かったのかと言うと、ちゃんと有りました。カミさん、それに久方ぶりに帰省した愚息・寿彦と三人で田舎の墓掃除&お参り(日田)を済ませ、カミさんの実家の玖珠へ。「閑雅なる休日を我に!」と言いたいところだが、田舎もこの暑さでは日中は庵の片隅で惰眠を貪り、夕刻日差しも和らいだところで、三人揃って背後に控える万年山(1131m)へ夕涼み登山を挙行した。謳い文句は「山上に夢開くニッコウキスゲの群生を愛でようではないか!」で誘ったが、標高950mの吉武台牧場まで車で一気に駆け上がると、そこは涼風の世界。下界とはかくも気温が違うのかと訝るほどの激変爽快の高原台地であった。うんうんこういう時に避暑地・軽井沢じゃなかった、九重高原あたりの夕景色を思い浮かべるのだが、万年山の下バネ台地もまさにこの感ひとしおであったね。
 で後は標高差200m弱、距離にして1.5kほどの登山だ。そしてその沿道は山アジサイ(ガクアジサイ)の群落や単体なりともカノコユリ、ニッコウキスゲなどの麗姿もチラホラと愛でる愉しきコース。一方で周りの牧草地は刈取りも終り、そちこちに残置されたおびただしい数の白い円筒状ロール(干草を梱包したもの)がこの台地では風景にしっくりと溶け込んでいるのだ。加えてその遠景には由布岳や鹿嵐山〜八面山のやまなみがシルエットとして浮かび上がり、絵にも言われぬ秀麗さを醸し出している。まぁありきたりの表現を許されよ。
 そして30分余りの後、たどり着いた山上ではオニヤンマが飛び交い、ニッコウキスゲの大群落が待ち受けていたのだ。しかし期待していた九重方面の眺望はガスに覆われ、頂稜付近を俯瞰することは適わずも、我々のみの静寂・爽快・涼風の山上世界は心ときめくひとときだった。まさにこの山頂のニッコウキスゲの大群落、加えて下バネ台地のおびただしい数の干草ロールは、ここ万年山の初秋(盛夏?)の風物詩だと言っても過言ではないでしょう。
(参加者) 栗秋、悦子(妻)、寿彦(息子)

8月20日(日) 尾瀬燧ケ岳(男池登山口コース)
 マイカーにて西那須野経由福島県桧枝岐から男池登山口より広沢田代―熊沢田代―燧ケ岳往復。湿度が高く遠望は今ひとつであったが、それでも午前中はなんとか会津駒ヶ岳、越後駒ヶ岳、平ヶ岳等も見えた。熊沢田代の草紅葉はすばらしい景色であろうと想像する。秋にはまた来てみたいものだ。
(参加者) 鈴木

8月27日(日) 九重・指山登山
 夏休み最後の日曜日、長者原登山口の駐車場はいっぱいだ。すがもり峠に向かって登り出す旧硫黄山精錬所の手前左へ指山自然観察路の案内がある。ここからでも行けるが今日はそこを過ぎ、なおも300mくらい車道を進むと左へゲートが現れる。ここが入口だ。三俣の崩壊のため工事の取り付け道路だが、コンクリートの道は一度右に巻いてまた左へ。プレハブの工事現場にでて右に小さく「登山道」と標識ある。ここからまた大きく右、左と登りさいご谷に出て車道はここまで。行く手左の指山側に大きな岩壁がある。この谷の砂防提の右にとりつく。かすかに踏跡のあるところを登る。堰堤を1つ越え今度は谷を渡り左へ。ここから指山と三俣との鞍部に向かってガレ場を直登。鞍部に出ると左へかやの中すぐに山頂に出た。下りは自然観察路へ取り下山。さぁ今回の山のいで湯は寒の地獄だ。この時期ゆえの挑戦でもあるし、寒の地獄にはいらずして真のおゆぴにすとと言えようか、なのだ。 ひこさんクラブHPの山行報告参照)
(コースタイム)
長者原9:07発ー硫黄山道分れ9:37−谷入り口10:00−鞍部10:38−山頂10:47−発12:00−観察路出る12:35−崩壊の谷13:00−長者原14:05
(参加者) 加藤、他3

8月27日(日) 火打山
 笹ヶ峰から往復。トリカブトの青い花が印象的であった。天候はマズマズで高谷地湿原は見事であったが、頂上に着いたときは曇りで後立山・妙高山などの展望は得られなかった。なお、高谷地ヒュッテの従業員の方の対応は世評どおり親切で心配りの効いた好ましいものであった。ぜひ1泊してみたいものである。
(参加者) 鈴木

9月2日(土) 初秋、MTBで すがもり越と硫黄の湯をアグレッシブに攻めるの巻 
 大分の自転車仲間、チームストラッグルのメンバーたちと、九重はすがもり越からほど近い九州最高所に湧く、硫黄の湯MTBで攻めた。もちろんこのミッションを持ち出したのは、ストラッグルの名誉会員である挟間兄をおいて他にないが、昨春、MTBで吉部から大船林道を攻め法華院を往復した際にも、彼はただ一人、硫黄林道からすがもり越を攻め、北千里浜を経て法華院へ下ろうと主張していたので、その一部がようやく実践されることになった。くじゅう倶楽部3号館の露天(星生温泉)にも入ったぞな。本文参照
(コースタイム)
長者原12:47→(硫黄林道経由)→硫黄山直下(硫黄の湯への分岐)13:40 14:09→すがもり越14:15 28→硫黄の温14:35(入湯)15:25→(硫黄林道)→長者原15:45  MTB走行キロ 約10k  くじゅう倶楽部泊
(参加者) 挟間、栗秋、釘宮、佐々木、橋本                 

9月3日(日) 木曽・御嶽山(田ノ原コース)
 田ノ原コースより往復。2200mまでマイカーであがれるので、最短コースである。ただ、急に2200m上がったせいか、登りは、妙にバテバテの山行となった。当日は快晴で白山、剣岳、穂高、南アルプスとすばらしいパノラマであった。
(参加者) 鈴木

9月23日(土) 元越山登山
 九州百名山でもある元越山(581.5m)の魅力は山頂からの眺望だ。360度遮るものはない絶景でそのすばらしさは「全国三角点よりの眺望ベスト4」(国土地理院担当者)や「展望のよい山全国選抜12」〔山と渓谷社)などに紹介され、県南の雄といえよう。山頂には御影石でできた「元越山頂展望図」が設えており、東、西、南、北の山、海、島、岬、が描かれていて分かりやすい。 (ひこさんクラブHPの山行報告参照) 
(コースタイム)
宮河内登山口8:50−9:05 下の地蔵10:00−10:05 中の地蔵10:30−10:35 山頂10:55−12:15 登山口13;35
(参加者) 塩月、他11

9月23日(土) 妙高山(燕温泉コース)
 燕温泉から入山したが、こちらからのコースが展望等がよく登路としてお奨めである。快晴で、頂上からは、遠く奥秩父から八ヶ岳、穂高、後立山、剣・立山、火打・雨飾など大展望であった
(参加者) 鈴木

9月24日(日) 大船山へ 南ア甲斐駒・黒戸尾根想定のトレーニング
 並々ならぬ決意を胸に秘めて南ア黒戸尾根に臨もうとする高瀬のトレーニング山行にお付き合い。とはいっても、どうせならば双方未踏ルートにと、男池からソババッケ経由大戸越〜北大船〜大船山とした、初秋の静かな二人だけの山行。高瀬は20kg強のボッカ。お付き合いの狭間はサブザックだから高瀬に比べラクチン。大戸越では、黒戸尾根に持参する簡易テント(重量1kg足らず)のお披露目と試し張り。ちょっと不安になり狭間所有のアタックテント・ゴアライトを奨めるが、高瀬はこの簡易テントが気に入った様子。大戸越から北大船までの登りは、初秋の風が気持ちよかった。
   
(コースタイム)
男池駐車場7:22→かくし水7:54→ソババッケ8:29→大戸越9:46→北大船山10:51→大船山11:21→奥ゼリ分岐14:10→男池駐車場15:34
(参加者) 挟間、高瀬


9月24〜26日(日〜火) 韓国山岳会ウルサン支部と九重で交流会
 「日本山岳会東九州支部と韓国山岳会ウルサン支部との交流登山でウルサンより28名が来日。初秋の九重を二日間案内した。24日筋湯八丁原ウ”ューホテルにて歓迎懇談会。25日牧の戸峠 ー沓掛ー星生山―久住山ー天狗ガ城ー中岳ー白口岳ー鉾立峠ー法華院(泊)。26日法華院ー大船山ー北大船ー大戸越ー大船林道ー吉部ゲートー飯田農協ドライブインにて解散。花はリンドウくらいしかなく紅葉にはまだ早かったが、2日間好天に恵まれ九重を満喫し、大いに国際交流が図られた2日間だった。
(参加者) 加藤、他大勢


9月30日(土) 焼岳(中の湯コース)
 釜トンネル手前を左折して安房トンネル方面へ進み中の湯へ到着。そこから往復した。快晴であり、頂上からの穂高連峰、上高地が圧巻であった。
(参加者) 鈴木

10月6〜10日(金〜火)  南アルプス、甲斐駒黒戸尾根、仙丈、鳳凰三山縦走
 5月に今年の課題、前障子〜祖母〜傾の1日縦走を終え、次なる目標は8月に甲斐駒(黒戸尾根)に決めていた。いつもは真っ先に計画を持ちかける岳兄狭間は、この山域は既に15年前、勤続20周年記念事業と銘打って夜叉神〜鳳凰三山〜甲斐駒〜仙丈〜白鳳三山(おゆぴにすと第6号参照)と大縦走を行っており、今回は単独で計画を進めた。
 さて何故、この時期、この齢で甲斐駒黒戸尾根なのかは本文に譲るが、ティーンエイジ、当時山へ関心が芽生えていたころ、富士山麓から小海線を経て小諸、軽井沢の旅の途中、甲斐駒を望見したことに始まる。しかしその時の印象は、あんなに高い山にどうしたら登れるのだろう、と素朴なものだった。なにせ私は当時、九重も知らず福智山が最高到達点だったのだから。本文参照
(コースタイム)
10/6 JR大分7:45〜新幹線〜中央線日野春15:56〜タクシー尾白登山口16:30
10/7 尾白登山口5:00〜五合目小屋9:40〜七丈小屋10:45〜甲斐駒ケ岳山頂13:15〜駒津峰14:45〜仙水峠15:35/〜駒仙小屋16:30 (行動時間11時間30分)
10/8 駒仙小屋5:40〜大滝頭6:55〜仙丈ケ岳8:30〜北沢峠10:35〜駒仙小屋10:45〜仙水峠12:35〜栗沢山13:55〜アサヨ峰15:05〜早川小屋16:55 (行動時間11時間15分)
10/9 早川小屋5:50〜白鳳峠7:10〜高嶺8:20〜アカヌケ沢の頭9:20〜観音岳11:15〜薬師岳11:47〜南御室小屋13:20    (行動時間7時間30分)10/10 南御室小屋5:30〜杖立峠6:32〜夜叉神峠7:10〜登山口7:55〜芦安南アルプスロッジ芦安山岳館9:35〜芦安バス停10:00
(参加者) 高瀬

10月7〜8日(土〜日) 35年ぶりの屋久島駆け足紀行〜モッチョム岳を侮るなかれの巻〜 
 会社の山岳部の行事に乗っかって一泊で屋久島はモッチョム岳に登ることとなった。屋久島は35年前の昭和46年山仲間二人と、安房から小杉谷、高塚を経て、宮之浦岳、鹿の沢、大川の滝、栗生と二泊三日で縦断して以来なので、懐かしき青春の山である。そのせっかくの機会に一泊モッチョム岳のみとはもったいないが、宮仕えの身としてはいたしかたなかった。ところがこの1000mにも満たぬモッチョム岳はなかなか手強く、一筋縄ではいかなかったが、詳細は本文に譲ろう。で前日、平内海中温泉尾之間温泉(宿のJR九州屋久島ホテル)、登山当日は下山後尾之間温泉共同湯と、いずれも初見参の湯だったが、しっかりと稼ぎ、短いながらも、プリミティブな島の自然と恵みを充分堪能したのだった。本文参照
(コースタイム) 
10/7 安房港〜トローキの滝〜千尋の滝〜平内海中温泉〜大川の滝〜宿(JR屋久島ホテル) 13時〜17時 by車
10/8 宿5:16⇒車⇒登山口(千尋の滝駐車場)5:30 48→万代杉6:38 43→神山展望台7:23 27→モッチョム岳7:45 8:09→神山展望台8:29  37→万代杉9:22 26→登山口10:05 (尾之間温泉共同湯入湯) 12:10⇒車⇒宮之浦港13:10
(参加者) 栗秋、他大勢

10月8日(日) 恵那山
 以前はあまり食指が動かなかったが、5月連休に大阪から大宮への帰りに木曽路を通った際、中津川からのどっしりとした恵那山を見ていづれそのうちと思っていた。
 出発前日は天気図などから天候がいまいちと思っていたが、やはり北ア白馬岳では遭難事故があり、高瀬兄は南アで悪天に遭っていた模様。ただそれを証明するように恵那山からの眺望は、南ア北部から北の山々はすべて悪天・曇天であったが、南ア塩見岳以南は快晴とあって登高意欲を湧かせたのだ。となると人間はゲンキンなもの、この山に満足しながらも折角の三連休だもの、当初計画していた塩見岳を目指せば良かったと思うところ無きにしもあらず。あぁ岳人の心は常に秋の空の如く?
(参加者) 鈴木

10月14〜15日(土〜日) 山形・大朝日岳
 05年夏に計画していたが、事情があって直前に中止となった。今回は、再度の挑戦である。13日深夜大宮を出発し東北道・山形道を月山ICまで400Km、古寺鉱泉まで420Kmの走行であった。(地図上は、左沢から古寺鉱泉のルートが近いのですが、道がわかりにくいのでお勧めしません。)14日は、古寺鉱泉を出発し、小寺山、小朝日岳を経て大朝日岳避難小屋、大朝日岳と歩みを進め、避難小屋泊り。大朝日岳避難小屋はNHKで「友情の山」として06年に放送された。
 営林署を退職し、早80才を越えた管理人と毎週末に歩荷してくる友人の2名を軸に、大朝日の自然と登山者との交流を描いた番組であったが、そのご両名にもお会いできた。番組中の管理人さんの顔のしわには、雪深い里に暮らす東北人の生き様のようなものが感じられ、個人的にも思うことが多かったので感激した。
 頂上からは、秋の澄んだ空気の中、南に8月に登ったばかりの飯豊連峰、北には東北勤務時代に登った鳥海山、月山が遠望できた。飯豊連峰の梅花皮雪渓も視認できた。遠望が利くのはやはり「秋」の思いを強くした。15日は下山。山形庄内、秋田横手、岩手北上に立ち寄りながら帰路に着いた。
 大宮到着時の総走行距離1155Kmであった。
(参加者) 鈴木

10月21日(土) 雨飾山(小谷温泉コース)
 天候が良くなくガスの中ピークを踏んで早々に下山となった。ネーミングからして登山者に人気の山だが、特に秋の紅葉シーズンは観光バスでツアー登山客が押しかける山である。ごたぶんにもれず今日も4台の観光バスが押しかけており、マイカーも含めて駐車場は満杯である。その分、登山道も踏み荒らされて荒廃している。百名山ブームの陰の部分か。
(参加者) 鈴木

10月28日(土) 北信濃、高妻山
 そろそろ降雪への対応も考えざるを得ない季節となった。となれば装備にも気を使う季節である。今年最後の山行のつもりで来たが、今日も天候にも恵まれ、快適な登山日和である。後立山や剣岳はすでにうっすらと白くなっており、遠目の三段紅葉である。この様な景色も来年春まで見納めと目に焼き付けて下山した。
(参加者) 鈴木

10月29日(日) 紅葉の黒岳山行
 紅葉のこの時期、黒岳はきれいに色づき一年で一番艶やかになるが、人出も半端ではない。男池から入り、ソババッケで小休止。つづいて奥ゼリ、そして風穴に着くころからどこからこんなに大勢の人が来たのかと思うくらい人の群れとなり、登るのに順番待ちが出るほどであった。帰路は湯平温泉、銀の湯にて汗を流し、ご満悦集団に早変わりなり。
(コースタイム)
大分発7時ー男池駐車場発8時16分−かくし水8時38分ーソババッケ9時05分−風穴10時15分ー10時25分−天狗別れ11時05分−天狗11時30分−12時昼食―12時40分発ー高塚13時ー上台13時40分−前岳15時10分ー白水16時40分

(参加者) 加藤、塩月、他12

11月2〜4日(木〜土) 南ア、聖岳
 10月28日の北信濃 高妻山行で今年のいわゆる高山巡りは打ち止めのつもりであったが、例年より紅葉が遅く気温も高め、雪も遅く、11月の3連休にも可能性が出てきた。加えて天気予報も3連休は、移動性高気圧のど真ん中と後押ししてくれている。ならばより雪の少ない南ア南部の塩見か聖をやろうと企てたが、塩見は、冬季小屋が使えるか確認できなかったのと、水場情報が良くわからないので、新しい冬季小屋が竣工した聖に決定した。本文参照
(コースタイム)
11/2〜3 大宮21:30〜八王子IC〜飯田IC〜易老渡〜便ヶ島5:21
11/3 便ヶ島登山口7:00〜西沢渡7:35〜薊畑〜小聖岳13:00〜聖岳14:20 30〜小聖岳〜薊畑15:47〜聖平冬季小屋16:08(泊)
11/4 聖平小屋7:20〜薊畑〜西沢渡10:22〜便ヶ島10:48〜大宮(帰路、塩見岳鳥倉林道の入り口を確認して、高遠経由で帰宅となる。)
(参加者) 鈴木

11月18〜19日(土〜日) 松田会員退職帰分激励会をくじゅう倶楽部にて盛大に挙行!
 浜松で長らく単身赴任中であった松田会員が10月に約30年間勤めたヤマハ(株)を定年退職して大分に‘帰郷’、11月2日に晴れて大分市民となった。そこで、おゆぴにすと一同が約40年のサラリーマン生活と19年の単身赴任生活をねぎらうために激励会を長者原のくじゅう倶楽部で催した。
「無事、娑婆に放免されましたが、永年酷使したカラダは、腰痛などでボロボロ状態。長い単身赴任生活で我が家には別のルールができ、今のところ居心地は今イチ。これからじっくり時間をかけて家庭での父権を取り戻すとともに、腰の治療に‘腰を据えて’専念し、おゆぴにすと諸君と一緒に山を駆けめぐるようになりたい」と松田さんの、新たな旅立ちの決意表明。この日は長老格の姫野さんや埼玉から鈴木会員も駆けつけ、加藤会長の挨拶・乾杯の発声に始まり、「パワハラはともかく、セクハラで退職金をふいにしなくて良かったな」、「大分市民になるや早々、市役所に苦情を持ち込んだあたりが松田さんらしいな」等々に始まり、お互い何の遠慮深謀も要らない間柄ゆえか、放歌喧騒に時の経つのを忘れて盛り上がったことは云うまでもない。もちろん沢沿いのくじゅう倶楽部露天(星生温泉)に大挙して浸り、晩秋の山のいで湯を心ゆくまで堪能したのだった。トピックス2006年参照
(参加者) 姫野、加藤、松田、内田、狭間、吉賀、高瀬、栗秋、鈴木、西梓

1119() 倉木山
 くじゅう倶楽部での松田会員激励会の帰途、小雨降る静寂の倉木山に登った。何故、倉木山なのかは「晩秋の憂いの果てに」としておこう。
(参加者) 鈴木

12月3日(日) 忘年会を兼ねた大船山山行 
 前夜からの忘年会の流れで大船山を目指した。有氏林道のゲートの手前の道端に車を置き、スタート。正面を見上げると山頂付近は、薄っすらと白く霧に覆われている。その右隣はやや背を低くした黒岳が構えていて、初冬の雰囲気がよく醸し出ていた。
下山後の七里田温泉はまた格別だったね。
(コースタイム)
8:00民宿「城山」発→8:30有氏林道ケート前車置き出発→9:10林道終点→9:30東尾根取り付き→9:55休→11:45大船山山頂→12:25下山途中昼食場→13:10発→13:50入山公墓→14:50ゲート車置き場→15:20七里田温泉→17:30大分 

(参加者) 加藤、塩月、他12

12月9〜10日(土〜日) 那須、風雪の茶臼岳登山と湯けむり街道を行く
 恒例の会社関係の水泳大会が今年は初冬の栃木県小山市で開催された。もちろん正選手?で出場した後は、本命の那須の山といで湯行脚が待っている。今回のパートナーは会社の元同僚で、さいたま市在住のH君。北関東の山々にめっぽう明るいので、プラン全体にわたり彼にお任せしての楽チン登山の筈だった。果たしてその行く末はと、もったいぶった話ではなく、風雪で視界不良なるも茶臼岳に登り、下山後昔ながらの風情たっふりの鹿の湯に浸り、本命の北温泉一泊。これがまたまたとびっきりのレトロないで湯で江戸末期から営業しているという老舗温泉。まさにタイムスリップして童心に帰ったひとときでせあったぞな。翌日、那須塩原温泉郷の福渡温泉・岩の湯にも足跡を残す。本文参照
(コースタイム)
12/9 JR久喜駅6:55(by車 東北道久喜 I.C〜那須 I.C経由)⇒大丸温泉(登山口)9:40 10:10→峠の茶屋10:40 43→峰の茶屋11:28 40→茶臼岳12:12 17→峰の茶屋12:40 13:38→大丸温泉14:50 15:05⇒那須湯本温泉15:15(鹿の湯入湯)16:00⇒北温泉駐車場16:15 25→北温泉16:35  北温泉泊
12/10 北温泉9:30→北温泉駐車場9:40 50⇒那須塩原福渡地区11:00(福渡温泉・岩の湯入湯)11:40⇒(東北道西那須 I.C〜久喜 I.C経由)⇒さいたま市(H氏宅)15:40
(参加者) 栗秋、他1名

12月16日(土) ヒマラヤニストの重広恒夫さんと霧立山地へ 
 日本全国にある4000山を踏破しようという壮大な計画に取り組んでいる、ヒマラヤニストの重広恒夫さんと一緒に霧立山地を歩いた。五ヶ瀬の内の八重林道に入り、そこから扇山(1661m)へ登り、日本一きれいといわれている扇山山頂小屋へ。小屋にて焚き火をして暖をとり待つことしばし。向坂ー白岩を縦走してきた重広さん一行と合流。その後内の八重に下山。夜はやまめの里にて重広さんを囲んでの時間をもった。エヴェレストから4000山チャレンジの話まで氏の山に対する情熱の一端をうかがうことができ有意義なひとときであった。
(参加者)加藤、他

12月17日(日) おゆぴにすと三銃士、ふたたびの玖珠・宝山へ
 「JR久大線豊後森駅付近に鎮座する、大きなお椀を伏せたようなメーサ型の山・・・この山を宝山(815.7m)といい、落人となった平家の残党が財宝を隠したという言い伝えがある。景気の良い話にあやかりたいと昨年暮れ、この山に忘年登山した。幸運なことに麓の宝八幡宮では、白いイノシシ同士、結婚式の最中に遭遇。今年こそは良いことありそうとの予感を得た。本年の益々の御活躍と、ご家族様ともどものご健勝・ご多幸をお祈りいたします」とは挟間発信の新年(H19年)の賀状だが、当日はブッシュに阻まれて山頂は断念。3月も悪天で登れなかったので、いまだ未踏とは情けなく今後に課題を残した。しかし下山後の竜門温泉、滝の湯旅館の内湯は三人だけのまさに貸切の湯。熱めのアルカリ性単純泉が冷えた体に心地よく、身も心も温まったあとは、湯っ栗御用達の椿温泉食事処でのプチ忘年会で気勢を上げた。
(コースタイム)
登山口(宝八幡宮)11:00→妙見宮11:41 52→(途中、山頂への登路を探るもイバラの藪漕ぎを強いられ断念)→登山口12:21 帰途、竜門温泉(滝の湯旅館内湯)入湯。
(参加者) 挟間、高瀬、栗秋 

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