九六位山

                                吉賀信市

       
                           
九六位山遠望

私の住む吉野は佐賀関半島から戸次まで連なる尾根の南西方面に位置し尾根が戸次との境となる地域にある。市街からは車で30分ほどの所。四季の自然が豊にあるすごし易い地区である。この地は‘吉野とりめし’や‘吉野臥龍梅’で有名な所でもある。

しかし、冬の気温は湯布院に負けないほどに下がる。山に囲まれた地形が影響するのであろう。

梅ヶ丘団地の中を通り戸次へと続く所に榎峠がある。冬季はその峠のトンネルを境に気温差が3〜4度ある。吉野地区に積雪があってもトンネルを抜けて戸次に下ると積雪がないことが一冬に何度かある。

 この地区を囲む尾根の中ほどに九六位山(452m)がある。この山は大分100山に選定されている。しかし、私は不勉強のため大分100山に選ばれていることをつい最近まで知らなかった。

そこで自宅から九六位山への山行を思い立ったのである。

4月15日(土)朝出発して午前中に帰ってくるつもりでいたが本日は雨である。

そのうち雨が止むか?と午前中は伝統芸能の稽古に精を出す。習い始めて2年半になるのに未だ良い音色を出すことができない。

60歳が目前となり柔軟性が乏しくなった頭や指は若い人が1ヶ月でマスターできる事を1年近く要す始末である。いつになれば心にしみわたる音色を出せるようになるのであろうか?。       

空の雲は厚く雨は止みそうにない。13時15分。小雨を衝いて家を出発する。出で立ちはジャージにジョギングシューズとし雨具は上着のみ使用とする。腰には自家製のドクダミ茶(350ml)非常食としてカロリーメイト(1箱)チーズ(ミモレット100g)を入れた袋を付けた。

家から坂道を150mほど下ると県道。そこを右折し50〜60m所から右に入ると田んぼの中の農道となる。左足の不具合個所がまだ完治の状態ではなく走りは小走り程度となる。走ると腰袋がガサガサと縦に揺れ動き走りにくい。(後日、スポーツ店で良い袋を探すことにしよう)

今日は気温が低く軽いジョギング程度では汗をかかなくて良い。しかし、露出している手は雨に濡れて冷たい。田んぼの中の農道沿いに流れる小川の中にはいたる所にセリが群生している。青々としたきれいな色をしており食べられそうだが人が触れた形跡はない。

               
                              
セリ

20分ほどで儀徳地区に着く。ここからは山の中を尾根への登りとなる。樹林帯の中は軽トラックが通れるほどの道幅が上まで続いている。小雨は降り続きガスもかかった林の中は薄暗い。その中を走るのを止め早足で歩く。道は適度の傾斜があり心臓と足に心地良い程度の負荷である。

山道沿いにはいろんな植物の若芽を吹いている。その中で最も多く目につくのが野イチゴの白い花である。切れ目がないほどに群生している。白い花はあと2〜3週間もすると赤い実になるであろう。5月の連休には連れ合いとイチゴを摘みそれでジャムを作ることにしよう(2人で採れば1時間ほどで籠一杯になろう)。

               
                             
野イチゴ

坂道を早足で息を切らして進み20分余りで九六位峠に続く九六位林道と合流し左折する。大きく左右に蛇行して続く坂道をしばらく進むと判田や戸次方面から良く見える電話鉄塔の下に達する。

その付近で格好が良く食べごろのイタドリ(疼取)を見つける。イタドリは(地域により呼び方は異なるが私たちは‘サザンポ’と云っていたと思う)子供の頃(50年ほど前)おやつ代わりに良く食べた事を思い出す。さっそく根本からポキンと折って皮をむいてかじってみる。少しすっぱい昔のままの味だ。

               
                              
イタドリ

 「サザンポは折り採る時にポキンと音を立て簡単に折れるのが旨い、大きいのには蛇が入っている」などと仲間と言い合っていたなぁ〜。ふと、イタドリをサラダに入れて食べようと思い手ごろなのを6本折り採り路傍に置く。

そこへ一羽の野ウサギが草むらから飛び出してコンクリートの林道をピョンピョンと駆け出した。こちらもそれにつられて後を追いかける。ウサギは数十メートルで再び草むらに飛び込み視界から消えてしまった。

さて、九六位山へと急ごう。ここから緩やかな下り坂で蛇行する九六位林道を小走りに駈けはじめる。ところが5分も経たない内に左足膝内側の筋が痛み始めたのである。登りでは異常ないが下りは体重が掛かるため悪い。この程度のことで痛くなるとはどうした事か?。「オイ、オイこんなこっちゃ‘おゆぴにすと3人衆’にはいつまで経っても相手にしてもらえんぞ」。

昨晩、20kgの負荷を背負って30分膝の屈伸運動をしたのが原因だろうか?。肉体改造計画(3年)をスタートさせて9ヶ月半になる。飲酒量を減らし栄養のバランスを考慮した食生活。ほぼ毎日1時間の軽いジョギングと筋トレ。それに週に2回のマッサージ治療の効果により身体は若い時よりも引き締まり筋力も付いて来た。

しかし、加齢による総合的体力の衰えは如何ともし難い。小走りと速歩きを交互に繰り返しながら小雨と霧で視界の利かない蛇行した道を行く。

とある左カーブを曲がると道の真中に大きな石が鎮座しているのが霧の立ち込める中ぼやけて見えた。雨で地盤が緩み山から転がり落ちたのだ。通過する車がぶつかる可能性が大である。石を転がして草むらの斜面に蹴り落とすと大きな音を発して谷へ落ちて行った。

               
                             
落石

幾度かの登り下りやカーブを曲がると円通寺に通じる参道の石段が突如左側に現れた。ここから頂上はもう近い。天台宗円通寺は今から1410年ほど前に建てられた由緒あるお寺。最盛期には200人ほどの僧侶がいたとのこと。ここは九州西国第10番観音霊場である。

               

                             
参道

さて、と石段を登り始め数段歩を進めた時、何かの気配を感じ立ち止まる。そして辺り一面をゆっくりと見渡す。自分が立っている左前方にやっと立っているような感じのイチョウの老大木(大分市の銘木に指定されている)が幹にしめ縄を巻いて鎮座している。

               

                          
いちょうの老木

正面奥には山門、その左手前に寺を建立した開祖の石像がガスの合間からぼやっと見えている。周囲の景観と深く垂れ込んだ濃霧が相まって神秘的というか霊気が漂う怪しげな雰囲気である。

気を取り直して拝殿へと続く石段を登る。拝殿の前に立ち腰袋から賽銭(コイン)を取り出そうとする。ところが冷たい雨に打たれた指がかじかんでうまく掴めない。

登山道は神社の脇道から左の林の中へと続いている。この樹林帯の薄暗さは参道の雰囲気とは異なりちょっと薄気味悪い。そこを足早に抜けると広い草原に出る(夏季にはキャンプ場)。ほかに人がいる気配はない。あたりまえだ、この悪天候の中をこんな所に来るような物好きが他に居るものか。しかし、私は物好きで来たのではない。この山行も肉体改造計画の一環なのだ。

このキャンプ場の左奥より短い階段状の急坂を登り切ると展望所に着く(時計は15時11分、自宅から2時間弱)。本日はガスのため何も見えない。天気が良い日であれば眼下に広がる臨海工業地帯や大分市街はもちろん別府、国東方面まで遠望できる。また、大分市から別府湾に至る夜景はここから眺めるのが最も良いとの評判である。

               
                             
展望所

三角点を見つけようと辺りをうろうろする。しかし、霧の為かそれとも探す場所が悪いのか見つけることができない。諦めて下山するとしよう。

下り始めたところ霧が濃くなり視界が悪化して来た。その状況で草原をしばらく歩いたところで樹林帯に入る登山道を通り過ぎていることに気づく。廻れ右をして引き返し視界を遮る濃霧をかき分けるようにして入り口を探し出した。

樹林帯を抜け石段をゆっくりと下り九六位林道に降立つ。ここからひとっ走りで家に帰り温かい風呂に入りたい。しかし、足の具合は回復の兆しはない。しょうがない痛む左足を騙しだまし歩きながら小雨と2時間ほど遊ぶのも一興だ。

コースタイム:自宅(13:15)〜九六位山(15:11)〜自宅(17:13)

注)1.イタドリを両手に3本(6本)持って帰宅した。しかし「こんな酸っぱい物はサラダにはできん」。と食卓にはのぼらなかった。

後日、料理方法をネットで検索すると:ゆがいての和え物・煮物・ジャム等々種類は多い。

2.カロリーメイトを十数年振り食したところ喉越しや味が良くなっていた。

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