チャレンジ!祖母傾連峰完全縦走 
                    
                                            古祖母下りより祖母山稜線

その5 大分登高会の末裔ついに完全縦走なる!
                              
高瀬正人
〇この時期しかない。いよいよ決行!
 2月11日狭間より誘いを受け、稜線に残雪の残る九折より九折越から尾平越と今年の足らし、最後の偵察山行を終え、いよいよ完全縦走の機運は盛り上がっていった。気候、日照時間等、さまざまな条件を考えると、4〜5月が最適である。

 相棒狭間と協議し、Xデーが4月1日(土)となった。残念ながらこの日は天候不良のため、後日延期となった。しかし後に推測すると、この頃、狭間はジンカルショックとトレーニング不足でレイムダック状態、とてもその状況ではなかった(?)。

 4月に入ると私は重量物を持ち右腰を痛めてしまった。さらに両膝の状態も悪く、おまけに、持病の高血圧も一時最低が100を越え、体調は最悪、トレーニングはまったく出来ない状態をなってしまった。そんな中で、いよいよゴールデンウイークを迎え、狭間は加藤会長と共に、大峯、大台ケ原に。私はなかばあきらめ状態で、第2回目のXデーを5月4日と決め、栗秋留守隊長に向け簡単な計画書をメールした。以下はその応答である。

高瀬 障、祖、傾1日回行の巻 前略、体調不完全ながら、いよいよ祖母、傾完全縦走にアタックします。骨を拾ってください。簡単ながら、計画書を送ります。よろしく

栗秋 壮大なる計画、了承した。武運長久を祈る。小生は…中略…明日は未定ながらひょっとしたら玖珠へ、またまたひょっとしたら豊栄鉱山まで足を延ばす可能性も万に一つはあるかも。いずれにしても吉報を待つ。

      *ジンカルショック…人事カルチャーショックの略語、例年年度末(3月)の人事異動で、予期せぬ移動や、予期せぬポスト、さまざまな人間関係等に悩まされ、なかなか自分のペースが見出せず、思い悩む様を指す。(参照大痔林)

〇暗闇の上畑健男霜凝日麓社で成就祈願いざ出陣!
 
私には常に山の神のお守りがある。過去に長い山行、手強い山行の前には必ず体調を崩す。しかし、山に入ると不思議とその体調は回復し、気持ちが充実し自分の力以上のものが発揮できる。今回も絶対大丈夫。パーフェクトな状態は常に存在しない。要はやるか、やらないかのみ。。そう自分に言い聞かせ、登山口の健男社に参拝。駐車場はGWで県外NO.車7〜8台。中には仮眠中の人も有り。午前4時、食料とスポーツドリンクの6.8キロのザックを背負い、ヘッドランプの足元の光を頼りに、コンクリートの急坂を登りはじめた。

                
               前障子より大障子

〇蒼茫の障子尾根、おもいがけず、アケボノツツジの花びらが目の前に
 今回の完全縦走にはいくつかのポイントがある。それは、1.障子尾根の急登から祖母への登りでいかに体力を温存しながらかつ、スピーデイなタイムで行けるか、2.古祖母の長い下りで両膝を痛めないか(本谷山の登りは結構きついぞ。)、3.傾の下り坊主尾根ルートが日没になるとやばい、この頃にまだ体力、気力に余裕はあるか、である。

 不安は的中した。前障子への急登は樹林帯、潅木のなか、ヘッドランプのあかりでは視野が狭く、けものみちへ迷うこと、数回登り直す。おまけにこの日に備え買ったばかりのストックを玄関先に忘れ、木切れで代用し、先行きが思いやられる。早く夜が空けてくれないか。単独の不安の中での登りと急登が終わる頃、薄暗闇の道に美しい薄ピンク色の点々が続いている。思わず周囲を見上げると、樹高4〜5M,蒼茫の空にくっきりと満開の美しいアケボノツツジである。さらに緩やかになった稜線には石楠花、ミツバツツジが交互に周りの新緑の木々の中を相見舞える。思わず、心も、ザックも足も軽く宙に舞う。

 アケボノツツジと共に夜が空け、見覚えのある紅白のポールの立った三角点を通過。ここまでまずは順調。これから障子のギャツプが始まる。前障子到着6時10分、対面に見える古祖母、本谷、笠松、傾の稜線を眺めると思わずため息。ほんとにあの先迄、今日という日に届くのか?

 気を取り直し改めて障子の飽きることないきつい登下降を繰り返す。ここでも時折ツツジの美しさと、北方眼下、夜明けの竹田方面の眺めが勇を奮い起こしてくれる。大障子の直前の登りはわかり難い。大きな松の倒木が道を塞ぐ。左へ捲くと大障子岳に程なく到着。7時4分、健男社より3時間4分。予定では3時間。GOOD. 昨夜興奮であまり眠れなかったのだが、体調も思ったより良い。山の神のおかげだ。

                
              障子尾根より竹田方面

                           
                
                           大障子と祖母

〇駆け抜けた宮原、あっという間に祖母山へ
 天気は最高、体調良し、タイムは予定どうり。気分は次第に高揚し、いけるかな?から絶対行くぞ!に変わった。昨年の第1回の試登ではこの辺で暑さのためにかなりへばっていた事を思うと天地の差を感じていた。難所の下りも、両側が切れ落ちた岩稜も軽快に通過した。

 ここでようやく登山者の声。3人の中高年パーテイーでみるからに重そうなザックで声をかけ追い抜く。祖母側からも5〜6人下ってくる。緩やかな笹の登りを過ぎると思いがけず宮原の登山道に合流。さらに祖母を目指す。快調だ。

 と、ここで思いがけず倒木で頭のてっぺんをしこたま打つ。スワ鞭打ちか?と思うほどの打撲。ここで首を痛めるとまだ道半ば、どうなることやら。幸い大事に至らず、支障ないようだ。好事魔多し、油断大敵だ。この頃より暑さが気になりだした。腕、首筋が暑い。首にタオルを巻く。祖母の九合目小屋着9時。

 GWの真ん中、祖母では昨日5月3日が例年の山開き。その翌日だが、登山者は多い。特に関西方面の声がする。今頃大峯修験道のおゆぴにすと本隊はどの辺りか? GGPの狭間兄は大丈夫か、ジンカルショックは癒えただろうか?今回は、ぼちぼち行く鈴木君がいるから大丈夫だろう、などと思いを巡らす。

 ここでスポーツドリンクの補充。留守隊の栗さんにTEL。祖母山ではよく知り合いに会う事がある。前回もU先生、更に前に仲間の愉快な県庁マンM氏、そして更に尾平でヒマラヤ二ストO氏と。山で知り合いに出会うと何故か嬉しい。「あなたもこの時期にこの山を」という、同じ価値観を共有した一体感なのだろうか。山という非日常のなかでの出会いは気持ちをなごませ、更に互いをより近いものにする。そういえば私と家内(もうかなりクタビレツツアル)もそうだった。山は九重だったがあれから30年(真珠婚)孫も2人(月日は百代の過客にして)…である。さて先は長いこれからが本番だ。

     *GGP ゲロゲロパーの略語  山での行動10時間以上経過し内臓機能の低下により、嘔吐する現象を指す。治療薬はビールと麺類。主としてトレーニング不足と併用されることが多い。(参照広痔苑)


                 
              障子尾根から祖母、障子の稜線

                
             障子尾根から障子、古祖母の稜線

                       
           祖母山頂             天狗岩

〇祖母より尾平越へ主稜線を行く
 祖母山までは予定よりほぼ1時間早く通過した。これからは祖母、傾のハイライト・主稜線である。祖母の下りはハシゴの連続、急傾斜のここは慌てず、あまり急ぎすぎず、慎重に、そして体力温存である。のどかな稜線、天狗、烏帽子の頭には人影、いかにも快適そうである。

 先を急がねば行ってトカゲでもしたくなるところだ。障子岳を越える頃より、やや、疲れを感じてきた。私の弱点、餌バテか。狭間は私の事をよく食う奴だというが、私は食べないと持たない。今回は行動食には気を配ったが早めのエネルギー補給は成功の鍵だ。特に疲れたときの生果物はとても威力を発揮する。バナナと甘夏(果肉のみ)そして今回の秘密兵器、ゼリー状飲料アミノバイタル(ブルーベリー)、ウイダーINゼリーエネルギーINを準備し早期の疲労回復効果を図った。

 古祖母からみる本谷、笠松の稜線は延々と続き、傾はまだ遥か彼方に思える。大丈夫だろうか。駄目だったら、九折で降りても、いや無理せず、尾平越で。疲れてくると先行き不安になるのはやむを得まい。やや、疲れを感じながら、古祖母山に11時10分。予定タイムがだんだんどうでもよくなってきた。

                
                          天狗
                       
〇ルビコン 尾平越を越え本谷、笠松、九折越へ
 今回第2のポイント、古祖母の下り、ここで無理をして膝を痛めたならと頭をよぎる。前回の試登ではこの下りの長さには正直まいったのである。最初のルンゼには長いアルミ製のハシゴが掛かっている。私はこういう人工物は気に入らない。登山道を整備する事は必要かもしれないが、逆に登山本来の面白さを減じてしまう。難易度が高ければそれだけ充実した登山が楽しめる。若かりしころ、「危険を甘受しなければ、真のアルピニズムは存在しない」などと、互いを刺激しあっていた頃が、なつかしい。 

                
                
               ↑古祖母からの下りで


                

 古祖母の下りではまたもやアケボノツツジが咲き誇っていた。さらに、白い綿帽子を被ったヤマボウシ?(誰か教えて)も咲き、紅白のコントラスト、空の青、稜線の薄緑と彩りも鮮やかだ。思わずデジカメを取り出す。ここで、おそらくは尾平越からと思える軽装の女性登山者と声をかわす。彼女らも感嘆の声をあげる。この縦走路には、厳しくなるとこのような美しい情景が随所に見られ、疲れを癒し、次のステップへのエネルギーを戴ける。感謝。尾平越の直前にもミツバツツジの群落があり、やや赤紫色があたりを染めていた。

 前回の暮れなずむなか、バテバテ、ゲロゲロパーの2人が通過した地点とは、別世界の様であった。最近の偵察山行のキーポイントとなったお馴染みの尾平越に着く。12時4分健男社を出て8時間余り、前回は12時間を要していた。さてここで小休止の後、考える間もなく、足は本谷山への登りへ向かっていた。「ローマは1日してなる」・・・かくして私は簡単にルビコンとも言える尾平越を通過した。後はやるしかない。

                 
                

                 
              祖母、天狗、烏帽子、障子の稜線

ここが正念場、快適なブナ林水場から本谷山の登り
 尾平越より急登15分、途中2月に月桂冠のお神酒を奉納した小さな祠を過ぎてブナ林の水場に着く。ここでは多くの縦走者がしばし憩いくつろいでいた。ここでもミツバツツジが素晴らしい。吹き来る皐月の甘い風が頬をなでる。狭間兄ならここでG線(稜線)上のありやーを奏でる事だろう。今度ゆっくりと縦走する機会にはここでためらいなく天幕を張り、夜空の星と共に飲み、語り尽くすだろう。

 しばし、水を補給の後、本谷山への登りをじっくりと味わう。私は、山の楽しみ、それは登りにある、と思っている。もちろん山の情景、風景、植物、花、それぞれに楽しむのだが、なんといっても、私は登りが好きである。昔はそうではなかったのだが、最近では、踏み出す一歩に想いをこめる。そう、いろんな想いを込めた一歩である。きつい、苦しい。だけど、一歩を踏み出す。息を整える。息は吸うものではなく、吐くあるいは佩く(はく、腰に大刀を)ものである。いつか完全な登山が出来たらと思っている。それは、一歩の間違いもない歩みで、その山を終える事である。さてそんな一歩を目指しながら、ふらついた足取りでようやく本谷山に立つ。カルタゴの丘である。13時45分。陽はまだ高い。時間は十分にある。

                    
          2月に奉納月桂冠             ミツバツツジが美しい

○九折越で大休止、体のメンテナンス
 本谷から笠松、九折越までは過去の2度経験で、軽く通過と思っていたが、10時間経過した頃より疲れが蓄積してきたようだ。笠松山頂付近でおもわず、へたりこむ、という表現がぴったりの疲れようだ。おもわず、これでおしまいか!と思ってしまった。

 少し休み、エネルギーを補給、腹に力がいるようにと、残りのおにぎり(洋子ママが作ってくれた)を放り込む。傾の岩峰は目前だ。何とか、九折越までと立ち上がる。「手は熱く足はなゆれど」賢治の言葉を思い出しながら、自分に気合を入れる。ここまできて、諦めるわけにはいかぬ。「やっぱり だめだったのネ」「その年じゃ無理よ」、「年寄りの冷や水」・・・様々な言葉がおもいつく。ここにきて両膝が痛み出す。九折小屋には既に数人の登山者がくつろいでいた。

 ここで泊まりたい。ゆっくりしたい。誘惑を振り切り九折越へ。10張り近くのテントが張られ、これから泊まりの準備をしている。時は15時25分。ここで思い切って大休止。靴をぬぎ、足を入念にマッサージ、(途中での休みの度にストレッチしてきたのだが)15分程昼寝、しばしゆったり、絨毯のような芝のうえでくつろぐ。傾の壁が西日を浴びて光っている。その中にピンクのツツジが点在し見事な風景だ。時を忘れるひととき。56歳9ヶ月の回復力に賭けよう

                
                九折小屋より傾山

いよいよ傾本峰へ
 しばしの休息で、なんとか体力回復。両膝には湿布を貼り、さらにこの時に備え持参した膝サポーターを巻き、立ち上がる。両膝は思いのほか、軽快。さっきまでの痛さが嘘のよう。これで大丈夫そう思えた。この頃、傾より下山してくる人はいるが、登る人はほとんどなし。登る度に傾の岩峰が正面に迫ってくる。急登のためについに、20分ほど登るとまた両膝の痛み。杉ガ越からの合流点で一休みしていると、大きなザックの集団が汗だく、きつい息で登ってきた。おもわず、休んでいる所を譲る。見ると、私と同年齢ぐらいか、女性もいる、凄い。この難ルートをこのザックで。私といえば、いかにも日帰り山行の軽いザックに、軽登山靴。すぐさまここを後にする。きついながらもようやく傾山頂に辿りつく。16時50分。予定は17時30分。まだ予定より早い。この分では、日没までにはなんとか、九折登山口に着ける。そう確信した。1人ぽっちの山頂で祖母の方へ目をやると、霞んでよく稜線が見えない。しかしながらようやくここまで来た、という実感がじわっと込み上げてきた。

                
                  傾山頂

下りは桃源郷の坊主ルート、最後の厳しい洗礼、これでもかの登下降
 傾からは坊主ルートを下降。去年10月の試登で三ツ尾から1時間40分、今回下りなので1時間少々で行けると見た。下る度に二つ坊主、三ツ坊主の岩壁にアケボノツツジ、ミツバツツジが、まるで一服の絵画を観る様で実に素晴らしい。33年前の「登高会の青春群像」の後半に滑り込んだ私は、傾の二つ坊主の新ルート開拓には間に合わず、初めて登ったのが、松尾谷から吉作坊主(カンテ)であった。その吉作坊主の稜線状にツツジのピンクがまるでルートのように一筋の線となっている。私の青春の糸だ。

 狭間のように、感傷に浸る間はない。日没がだんだん迫ってくる。これでもか、これでもかと登り、下り、疲れはピークに達してきた。三ツ尾はまだか。こんなに坊主ルートが長く厳しいとは…想像をこえていた。ブナ林で補給した水は残り少ない。それでも喉の渇きに耐え切れず、あと一口を残して、一気に飲んでしまう。ようやく見覚えのある水場ルートとの合流点に出た。ここから三ツ尾までも遠かった。18時5分ようやく待望の三ツ尾着。後は一気に駆け下るだけだ。

                
              吉作坊主からのツツジルート

                
              岩峰に素晴らしいツツジ群落

〇辺りは暗く、ようやく九折登山口のゴール
 三ツ尾からの下降は駆け下る訳にはいかなかった。両膝の痛み、喉の渇き、夕闇迫る樹林帯の中、さっきまで、三ツ尾までなんとかと唱えていた口は、なんとか観音滝までと、唱えていた。観音滝迄行けばたらふく水が飲める。疲れきった足は思ったように進まず、これではヘッドランプが必要だ。とそのうちに水音が近くなった。程なく、山手本谷を横切る林道に出た。助かった。ここで残りの水を飲み干し、行動食をむさぼるように食べる。観音滝の上部でまさに暮れんとする薄明かりのなか、飛び切りうまい水を飲む。生き返った。観音滝の一直線の落水を横目で見ながらようやく鉄製の橋の登山路に出た。

 九折登山口ゴール。19時20分。所要時間15時間20分。時間などどうでも良かった。淡々としたゴール。期待した達成感はない。一人では握手するわけにもいかず、寂しいゴールだ。誰かと話したい、「俺は今日上畑を出てここに帰ってきた」と、誇り高かった。さらにゴールはまだある。これから健男社のゴール目指して1時間だ。そういえば留守隊の栗さんには祖母以来連絡が取れないままだ。携帯を入れっぱなしで、電源切れなのだ。ここでヘッドランプに点灯、既に真っ暗になった上畑への道をとぼとぼと歩く。

 中間地点迄きたところで、後方より車。思わず手を上げてしまった。上畑、健男社到着20時丁度、行動16時間。早朝4時にこの場所を出たのが、遠い昔のようであった。       (2006年5月4日)

(コースタイム)大分明野2:30→上畑3:40 健男社4:00→大障子岳7:04→祖母山9:30→古祖母山11:10→尾平越12:04→本谷山13:45→九折越15:25→傾山16:50→三ツ尾18:05→九折登山口19:20→上畑20:00       登山所要時間15時間20分

完全縦走を終えて
 狭間より「祖母、傾連峰の縦走を経験せずば大分の岳人に非ず」と嘲笑されし無念をようやく晴らすことができた。いずれは完全縦走をやりたいとはかなり以前から思ってはいたものの、こんなに遅く、またこのような形で実行するとは夢にも思っていなかった。正直長年の宿題を果たせホットしている。振り返ってみると相棒狭間兄が予想以上に祖母、傾に執着をもっていた事から始まった。

 私は当初完全縦走が出来ればよく、2泊3日のオーソドックスな山行を想定していた。そんな中でピナクル山の会の一日完全縦走は衝撃的で、私には無理、むしろランニング登山の大家狭間兄に可能と進言したのであった。これからこのチャレンジは始まった。昨年9月の1回目は1泊2日(これでも大変)でと試みたが、想定外の暑さで敗退。栗秋の予想どうりで悔しい思いであった。しかしこの敗退が次へと繋がった。10月の逆コースからの試登で私は1日完全縦走可能という確信を得た。また、この時これは単独でやらねばとも思った。テントを担ぎ縦走するならば、複数でなければ負担が大きい。しかし1日でというならば、マイペースでスピーデイーな行動の可能な単独が良い。

 ただし、リスクは当然自分一人にという覚悟が当然ながら必要である。

 今回は時期の選定も予定どうり最高だった。中でもアケボノツツジ、ミツバツツジの美しさには感動した。高遠のコヒガン桜以来だ。新緑の稜線、岩壁に見るピンクのつつじ群は美しく素晴らしかった。私は狭間の言うように時々周囲の景色、情景を楽しむことがおろそかになるが、それはいつも時間を気にしている登山をしているからだと思う。自分の想定した時間に出来るだけ合わせたいという気持ちが強い。

 これは若い頃単独行動が多く、コース時間とズレルと不安になることからきている。もうこんな登山はやめにしたい。時間を余り気にせず、ゆっくりと周りをじっくり楽しむ登山をしたいと思う。

 完全縦走を終えて正直よくやれたと思う。血気盛んな20〜30代なら比較的簡単に可能だと思うが56歳と9ヶ月である。「おゆぴにすと」創立以来、退職後も現役でと当時大分で初のトライアスロンをはじめ、その後も多忙な仕事の合間を縫ってのトレーニング、山行を地道に続け来た。私はその中でも落ちこぼれに近い。狭間、栗秋のトライアスロン、フルマラソン、自転車での華々しい活躍を羨望の目で眺めていた。俺には無理だ、と。

 6年前、30年続いた事業をやめ、更に様々な仕事を経験し、挫折し、うつにもなった。こんな時にも、わが友、挟間、栗秋岳兄そしておゆぴにすとの先輩方はいつも変わらぬ親愛の情で接してくれた。そんな中で、今回の1日祖母、傾完全縦走達成は、ようやく旧大分登高会の末裔として、その任を果たし、かつ自分への自信を少しだけ取り戻すことが出来た、親愛なる岳兄へのささやかな恩返しだと思う。最後に最近気に入った言葉を一言「逆境は続かない。しかし逆境をあきらめると永遠に逆境は続く」 ネバーギブアップ。いつまでも現役で!おゆぴにすと諸兄!(つづく)(その4に戻る

(「チャレンジ!祖母傾連峰完全縦走」まだまだ続きます)

チャレンジ!祖母傾連峰完全縦走 その1 祖母傾への熱き想い
チャレンジ!祖母傾連峰完全縦走 その2 遠かった傾山
チャレンジ!祖母傾連峰完全縦走 その3 2005秋、傾山&山手本谷再訪
チャレンジ!祖母傾連峰完全縦走 その4  どうしても継ぎたい! 三ツ尾から坊主ルート、傾、尾平越へ
チャレンジ!祖母傾連峰完全縦走 その5 大分登高会の末裔ついに完全縦走なる!
チャレンジ!祖母傾連峰完全縦走 その6 遠かった祖母山
チャレンジ!祖母傾連峰完全縦走 その7 リベンジ成る

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