チャレンジ!祖母傾連峰完全縦走 
                    狭間 渉
       豊後大野市菅生付近の高台から遠望した祖母傾連峰(この写真は2003年2月6日に撮影したもの)

その2 遠かった傾山

 最初に投げかけたのは私であった。しかしそれに反応した相棒・高瀬の方が私よりももっと、ずっと意欲的であった。9月23〜24日1泊2日テント泊、軽い気持ちの私はともかく、高瀬にしても当初はあくまでも‘完全縦走’を視野に入れた‘偵察行’との位置づけであった。「祖母傾の縦走をせずば大分の岳人に非ず」に寝た子を起こされたかたちとなり、ピナクル山岳会のホームページ‘祖母傾馬蹄形1日縦走’(2005年5月)に接し、ただでさえ過敏となっているところにもってきて、栗秋の「成功率50%」との傍観者的発言が高瀬にとって火に油を注ぐかっこうになってしまった。以下、山行直前のメールから。

高瀬(9/15):「クリさんよりのメールで今回の計画の成功率は50パーセントとのこと。我々を甘くみているな。がぜん闘志が湧いてきた。偵察山行を撤回し、ぜがひでもやる。(中略)・・・雨でも槍でもいざ出陣」
狭間(9/15):「話が違うぞ!偵察、いつでも好きなところでエスケープ可と言ったじゃないか!・・・(後略)」
高瀬(9/21):「私としてはやる気まんまん。狭間さんを背負ってでもというくらい・・・(後略)」

 こちらから誘ったものの、高瀬の張り切りようから、この山行に対する並々ならぬ意気込みを感じ、私は少なからず躊躇した。言い訳がましいが、実はこの時点で前年以来となる長患いの‘五十肩’の痛み(経験した者でないと、この長期に及ぶ苦痛は理解してもらえない)をかかえていたし、そのせいでまともなトレーニングは長らく滞っていたからである。そんな温度差のある二人の、以下は昨年(2005年)秋の縦走記録である。

○障子尾根・・・想定外の暑さとの戦い
 9月23日晴。大分を早朝4時過ぎに発ち途中今山行の相棒・高瀬を拾い、コンビニエンスストアで朝食・昼食・行動食を仕入れる。上畑〜上畑1泊2日のメーン食糧は温めればすぐに食べられる手近なレトルトばかりを準備した。
 できるだけ軽量化したとはいえテント、寝袋、炊事用具、食糧などで1人当たり10kg余りのザックを担いで午前6時20分、上畑の健男社を出発。健男社から四季咲き桜のある民家を通って薄暗い杉の植林の中を急登していく。例年だと9月も下旬ともなると秋冷の候、吹く風に初秋の清々しさを感じる時期であるはずなのに、思いのほか暑い。3年ぶりともなる上畑から前障子の登路については詳細を栗秋の記事に譲ることとして、標高差900mの急登の間、高温多湿に加えて、そよとも吹かぬ風に二人とも全身汗だく、用意した各自1リットルの水の大半を消費した。

 前障子の稜線でも期待した涼風はほとんどなく、9月下旬の標高1,400mの稜線とは思えない暑さに二人とも少々うんざり気味。障子尾根の道すがら、中旬に通過した台風のもたらした多量の雨と昨年の度重なる台風のせいか、処々方々に見られる倒木に山の恵み・キノコが顔を出している。写真を撮り、ついでにキノコも採りたいが、相棒・高瀬はどんどん先に進む。前障子〜大障子〜八丁越と続く尾根は緩いアップダウンの繰り返しだが、いくつかの岩峰の急な上り下りに時間をとられ、暑さも手伝って思いのほか消耗した。軽量とはいえ肩に背負った1泊2日分10kg少々の荷は身体をそれほど思い通りにはさせてくれない。上畑から池原まで5時間半を要した。以下は前障子以後宮原までの間の山行メモから。

         
          至る所にキノコが顔を出す                前障子への急登

「9:54大障子岩尾根。途中平地はラクチン。そのあと大障子岩峰から山頂に向けて一気に突き上げる登りが堪える。10:21(1,440m)大障子分岐。高瀬の麦茶飲む。汗多吸水多。大障子と思った岩峰を右に回り込んで直登したら本物の大障子のピークが立ち塞がる。ガンバレ中高年。10:45八丁越。11:10池原から約800m手前のピーク。暑くてきつくてたまらず小休止。いなり2個、巻き寿し1個、ブドウ数個食べる。水残量高瀬300cc、狭間400cc残り少ない。11:55池原展望所。『こんなに汗が出たのは初めて』と互いに顔を見合わせる。サマン谷方面から吹き上げる風が涼しそうだが、足下が急で高所恐怖症のため涼風のところまで近づけない。ここに来て陽射しが急に強くなる。古祖母〜尾平かすかに望む。12:22宮原(1,400m)。汗だく、体力なし。水・・・問題。高瀬そろそろマイペースモードに入ったか?後ろ顧みず。」

        障子尾根は岩場、藪漕ぎ、アップダウンと変化に富む         岩場から谷底を覗き込めば涼風が頬を撫でる

 この間、傾山からの縦走してきたという登山者1名とすれ違う。もちろんこの間、おじさん二人に会話がなかったわけではない。高瀬お得意の洒落、忘れ物などに端を発した認知症の話、アナログ人間高瀬とデジタル人間狭間のアナデジ論争などなど・・・取り立てて記述するに足らない会話が時間の経過と苦痛を少しでも忘れさせた。しかしその会話もしだいにとぎれがちになった。

 宮原から先は単調なだらだら登りだが起伏と変化に富んだそれまでに比べ効率良く距離を稼いだ。それでも九合目の水場まで1時間近くを要した。

○九合目小屋・・・U先生との思いがけない出会い
 九合目の小屋では思いがけずも、かつてのトライアスロン仲間で今や日本山岳会東九州支部副支部長の‘要職’にあるU先生にばったり。そういえばこの先生とはトライアスロン以後、幾度か思いがけない場所での再会・・・例えばトライアスロンレースの最中と、水中ダイビングの最中との変な出会い、山の本を求めて書店での出会い(もちろん先生の手にも山の本が)と。お互いその後歳を重ねたものの山への想いは変わらない(ただし、氏の方が、今時大挙して山に押し寄せる人々とは別な意味で中高年らしい落ち着きと一種風格を漂わせているかに見えた・・・裏返せば我々がまだ若いということでもある)ことを改めて確認しあいエールの交換を行った。

○九合目小屋・・・水をめぐる心の動き
 さて、九合目では水をめぐる二人の水面下の葛藤にふれておかねばならない。
 冒頭述べたように私はこの山行の前体調不良かつ体力不足であり、テント担いで上畑〜上畑40km高距3,500mを1泊2日で通しきる自信ははっきり言ってなかった。高瀬は「大分の岳人に非ず」と揶揄されたことで自尊心をいたく傷つけられ(?)、おまけに栗秋の「どうせ全部通せるわけがない」との‘心ない’発言に眠っていた闘争本能を呼び覚まされた。弱気の虫・狭間、強気と本気をむき出しにした闘争心の高瀬と、妙ちきりんなコンビ、大変な温度差のある二人連れなのだ。

 これまで記述してきたように祖母の稜線は異常に暑かった。加えて、そよとも吹かぬ風・・・祖母山頂から先の懸案は体力に加え水をどうするか、であった。この時、装備担当の私のザックには幕営用具一式の中に5リットル用の空のポリタンクがあった。
 
    九合目小屋水場・・・ここは確実に水がある  祖母傾山系の縦走路では基本的に水の補給は不可と考える私は、水場までが遠い尾平で幕営するためにはここで相当量の水の補給が必要と考えた。それが昔からこの山域に踏み込む場合のスタンダードな考えという思いこみがあった。一方、この縦走路の水場について充分すぎるくらい下調べをし最新の情報を集めた高瀬は水の補給ポイントをすべて把握しており、九合目では当座500ccの補給にとどめ障子岳で幕営用に改めて補給すればよいと考えていた・・・仮に障子岳で補給がかなわぬ場合でも尾平越を過ぎた先・ブナ広場まで行くことも含めて。しかし、この時期、ブナ広場で確実に水が得られるとの保証はない、私にはそう思えた。

 それよりも九合目で5リットルを満タンにし高瀬が担げば済む話・・・ボッカの高瀬、強力・高瀬・・・冗談とはいえ「いざとなったら狭間さんを担ぎます」とまで言い切った・・・まっこと彼の底知れぬパワーならそのくらいのことはしかねない(と虫の良い私は思った。決して過大評価ではなく)。しかし、この山行にかける並々ならぬ意気込みを示していた高瀬が満タンにして(たかだか)5kgのポリタンクを担ぐことをためらっている。一体どうした?強力(ごうりき)高瀬よ!ことほど左様に今日の祖母山系は暑く、上畑から8時間、既に二人とも脱水状態で疲弊しきっていたのだ。
 「テント担いで1泊2日、40kmの縦走ムリムリ!・・・」と一笑に付した栗秋の、博多にあって気になるのか様子見の携帯電話の向こうでやや冷やかし気味?の声にも新たに発奮する元気もない。結局、水の補給は障子岳を前提に九合目では必要最小限の各自500ccだけにとどまった。この時この山行の行く末はほぼ決まったと言ってよい。それに加え、ここから先は足手まとい・狭間を甘んじて受け容れる忍耐と寛容の心も高瀬には要求されることになった。


○「有本ヲ見捨テルニ忍ビズ」のこころ
 さて、山行メモの続き
 「思いがけずもU先生と会う。『思いがけないところで会うのがまた良いですね』と交歓。 13:45栗秋からケイタイにTEL入る。『えっ、もう祖母?救援要らないの?』2:04祖母山頂。古祖母方面ガス。誰もいない山頂は初めて。デジタルカメラの電池交換』」
 人気のない祖母山頂


        
                    障子岳、古祖母山方面目指して・・・まだまだ先は長い

        
        祖母山頂直下の岩場を慎重に下る            倒木に山の恵み・キノコが・・・これはツキヨタケ(毒!)

 私の山行メモはここまで。カメラへの執着心からだろうか、それでも祖母の下り、黒金山尾根コースとの合流点まではデジカメのシャッターは押していた。それも黒金山尾根の下りとの合流点まで。今の体力では、歩き始めて10時間近く経過し、いよいよ限界が近づいたということだろう・・・山に登る時、常に山行報告を意識して様々な記憶媒体を駆使して記録を残そうとする‘こだわり狭間’が記録をしなくなったということは。

 黒金山尾根コースとの合流点から先は天狗、烏帽子、障子岳と次々に上り下りが続き高瀬との距離が開きがちになり、ガスに覆われ始めたこともあり眺望を楽しむ余裕もなくなった。

 障子岳を下った所、あてにしていた水場では数秒間に一滴といった水量で補給は不可能。この後古祖母の登り辺りから私の胃袋が謀反を起こし始め、体力の限界が近づいたことを警告する。食糧、行動食はたっぷりあるのだけれど疲れ切った身体では胃袋も食べ物を受け付けてくれない。長年の経験上、こうなったら早くテントを張って寝袋に潜り込むのが一番なのだが、障子岳で水を確保できなかった以上、尾平越のさらに先・ブナ広場まで辿り着かねばならない。少なくとも高瀬の頭の中ではそういう計画だ。

 古祖母山から尾平越までの標高差500mの下りは日暮れとの競争で疲れ切った身体には随分と長く薄暗い夜道に感じられたが、それでも下りのため足はどんどん前に出る。尾平越の一つ手前の鞍部で下りから登りにギアチェンジした途端、とうとう嘔吐が始まった。吐いても胃液しか出るものがないから余計苦しい。ひとしきりのたうち回った後はとりあえず治まり、歩を進めるとすぐに尾平越に着く。18時少し前、日もとっぷり暮れてしまい、ブナ広場まではちょっとした上り下りがあり、ここからさらに1時間はかかるらしい。そことて水の補給ができる補償はどこにもない。「これ以上はもたない」旨を高瀬に告げ、結局尾平トンネル方面に水場を求めることにする。尾平トンネルまでは標高差にして250mくらい、途中ヘッドライトを点けて下ること20分ほどで着いた。

 相棒・高瀬の頭にはまだ翌朝尾平越まで登り返すつもりがあったらしいのだが、標高900mの山中とはいえ、いったん人工臭のする下界まで降りてしまった時から、再び登り返す気など私にはなくなっていた。何といってもここは我がホームグラウンドだ、北ア後立山とはわけが違う。体調、体勢を整え再チャレンジすればいいのだ。高瀬がザックに忍ばせていた小さな缶ビールを回し飲みし、熱いスープ一杯で胃袋を落ち着かせたあと元気印・高瀬に背を向け早々と寝袋に潜り込んだ。

               
                          9月23日行程図

 9月24日曇りのち晴。高瀬には私に構わず独りで傾山を目指してもらい上畑で合流する旨を提案する。登山の最中は相棒を顧みずどんどん先を行く高瀬も「山は逃げはしませんから」と譲らない。で、結局後半部分を断念。

   

 正面に大障子の岩峰を眺めながら妙にさばさばした晴れやかな気分で(相棒の胸中は知る由もないが)、尾平までわざわざ遠回りとなる車道をゆっくり談笑しながら下る。上畑まで約16km、途中後ろから追っかけてきた町営バスの誘いも振り切って、昼過ぎに上畑着。静かなウォークの後は、いったん今山行のゴール予定であった傾山九折登山口まで足を伸ばし、ついでに奥嶽川のちょっぴり冷たい清流で沐浴。‘完全縦走’の夢を次回に託して上畑を後にした。(つづく)(その1に戻る)

                
                           9月24日行程図

(コースタイム)上畑健男社6:20→前障子手前水場7:15→障子岩尾根8:20→大障子10:21→八丁越10:45→池原11:10→宮原(1,400m)12:22→九合目小屋13:18→祖母山頂14:04→尾平越17:40→尾平トンネル18:05

チャレンジ!祖母傾連峰完全縦走 その1 祖母傾への熱き想い
チャレンジ!祖母傾連峰完全縦走 その2 遠かった傾山
チャレンジ!祖母傾連峰完全縦走 その3 2005秋、傾山&山手本谷再訪
チャレンジ!祖母傾連峰完全縦走 その4  どうしても継ぎたい! 三ツ尾から坊主ルート、傾、尾平越へ
チャレンジ!祖母傾連峰完全縦走 その5 大分登高会の末裔ついに完全縦走なる!
チャレンジ!祖母傾連峰完全縦走 その6 遠かった祖母山
チャレンジ!祖母傾連峰完全縦走 その7 リベンジ成る

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