チャレンジ!祖母傾連峰完全縦走   
          その1 祖母傾への熱き想い
祖母傾障子日帰り縦走 Finalists
  
                 豊後大野市菅尾付近の高台から遠望した祖母傾連峰

○今、何故、祖母傾か?
 ‘九州脊梁’と呼ばれる九州山脈の主稜は、南は市房山に端を発し、北上して九州山脈の骨格を成した後、諸塚山の北方へと連なる。一方、今回のテーマの舞台である祖母傾連峰は大崩山塊とともに、‘脊梁’の構成員に加えられてはいないものの、九州脊梁の山々を人の身体で背骨にたとえるのであれば、その上部、もっと重要な部分である‘頸椎’に相当する、九州にあっては屈指の長大な尾根である。民俗学的、文学的、歴史的な意味合いにおいては九州脊梁に一歩譲るにしても、急峻な懸崖、豊かな原生林と豊富な動植物相、一定の高度、登山の試練場等々では祖母傾連峰、大崩山系が格段に優り、我々岳人を魅了してやまない。  

 話はもう随分以前に遡る。確か昭和45年(1970年)頃であったと記憶している。著名な山岳雑誌『岳人』の連載記事「我がホームグラウンド」に、当時所属していた山岳会(大分登高会)とともに祖母傾連峰が紹介されたことがあった。その中のカモシカ山行についての文中、「我が会ではこれまで毎年のように上畑を起点とした前障子〜祖母〜傾〜上畑と繋ぐ九州屈指の縦走路の踏破にチャレンジしているが、未だかつて24時間以内に成し遂げた者はいない」と。我と思わん者はチャレンジしてみてはいかが?との意味合いを込めた紹介記事であったように記憶している。

 その時から、九州・大分の岳人にとって、祖母傾連峰の縦走、とくに上畑を起点としこの山域の主要山岳の大半を網羅できる縦走コースは格別の思い入れを持たれることになった。と同時に、四国松山の地にあって当時本格的に山を始めたばかりで中央の山々や石鎚山にばかり目が向いていた私にとっても、郷里・大分の山に改めて関心を持つきっかけともなった。「祖母傾連峰の縦走を経験せずば大分の岳人に非ず」と。その後上畑〜上畑の24時間以内の縦走は、我がホームグラウンドのこの記事に触発された、とある山岳会パーティによって、いとも簡単に24時間をかなり余して果たされたことを山岳雑誌『山と渓谷』の「登攀短信」で知った。それももう随分前のことになる。

 私と祖母傾連峰の関わりはもう30年以上も前、前出大分登高会が会の総力を傾注して取り組んだ、傾山山手本谷〜双ッ坊主の岩場を舞台にした「傾山山手本谷周辺地域研究」に始まり、これをきっかけに山手本谷周辺の主だった岩と沢は一通り踏み跡を残していた。もちろん祖母山と傾山という二つの雄峰を結ぶポピュラーな縦走はそれより少し後のことになるが当然果たしてはいた。しかし、誰あろうほかならぬ大分登高会が発信した、九州屈指、扇の要ともいえる上畑を起点とした水平距離40km、累積標高差約3,500mにも及ぶ長大な尾根の縦走を未体験であることが、登り残したことが後年いつまでも悔やまれる石鎚山天狗岳北壁や厳冬期石鎚山面河側からの登頂と同じくらいの重さとなって心にのしかかり引っ掛かっていたのは事実である。

 それから長い年月を経て、上畑から上畑を結ぶ祖母傾連峰縦走のことが再燃したのは昨年5月頃からであり、そのいきさつはこうだ。少しく引用してみよう。

 ※「う〜ん、なかなかやるなぁ、と若干触発されました」(栗秋、5/22 おゆぴにすとHP掲示板への書き込み、玄海トライアスロンクラブ4名による上畑〜上畑祖母傾連峰縦走前編を読んで)
 ※「
(会員の一人・高瀬を暗に指して)おゆぴにすと仲間には祖母傾連峰の縦走を未体験の御仁が居られる。祖母傾連峰縦走は‘大分の岳人’の必要条件でありますぞ」(挾間、5/22掲示板書き込み)
 ※「連続して縦走することに意義がある・・・日を変えて継続しての縦走・・・、それすら八丁越〜宮原間で果たせていない。うぐぐ・・・」
(栗秋、5/22書き込み)

とまあこんな具合で、祖母傾連峰縦走そのものがまったくもって未体験の高瀬は言うに及ばず、‘大分の岳人に非ず’とややお仕着せ的な私にしても、学生時代を大分の地で過ごし早くから山に目覚め当然この山域は曽遊の地とばかり思っていた栗秋にしても、本稿の主役・おゆぴにすと三銃士はそろって誰もこの縦走路を、上畑を起点として全山を通したことがないことがわかった。この時からだろう、祖母傾連峰の、いわゆる‘完全縦走’なるものを改めて意識し始めたのは。いや、改めてというよりもこれは大分登高会が「我がホームグラウンド」でこの‘完全縦走’を世に出して以後、その‘末裔’達に与えられた命題であり、いわば必然であったかも知れない。


               祖母傾連峰完全縦走コースイメージ(三次元地図ソフトカシミール3Dにより
               佩楯山上空2,500mから撮影したバーチャル画像、撮影者:狭間会員)

○完全縦走の定義
 ところで‘完全縦走’という用語は大分登高会が世に出した当初からあったものではなく、この造語が使われ始めたのは我々仲間内では昨年秋の祖母傾連峰山行の前辺りからである。以下、昨秋の祖母傾連峰山行の前に相棒高瀬から受け取ったメール。

※「今年5月にピナクル山の会の40代(女性1名を含む)で1日完全縦走をやっています。豊栄鉱山跡5:27〜傾〜祖母〜大障子〜健男社20:09所要時間15時間(筆者註.正確には14時間42分) ランニング登山の狭間としてはチャレンジしてみませんか?無理かな還暦間近では」(9/11 Re: この秋の計画、9/4狭間発「この秋の祖母傾連峰全山縦走(上畑起点)はどうする?」と問いかけたメール「この秋の計画」の返信として)

 ピナクル山の会に‘先を越された’(?)ことも手伝ってか、この秋(ここでは2005年を指す)の祖母傾連峰全山縦走に並々ならぬ意欲を燃やす高瀬が情報収集過程で行き当たった、この山域に関して最も著名かつ正確な最新情報が得られるサイト「祖母傾山系最新情報」(http://www1.ocn.ne.jp/~sobokata/)の中では‘完全縦走’という用語が用いられている。高瀬はこれを引用したのかもしれない。一方、私が知る限りにおいて、いわゆる祖母傾連峰完全縦走の最近の実践者となったピナクル山の会のサイトでは‘祖母・傾馬蹄形1日縦走’として紀行が報告されている。馬蹄形縦走といえば、谷川連峰の武能岳〜蓬峠〜朝日岳などが著名であるが、上畑起点の縦走路もこの表現がなるほどぴったり来る。ただ馬蹄形1日縦走という表現は我々がここでこれから実践しようとしている主旨に照らして少々意味合いが異なっている。

 祖母傾連峰完全縦走とは、1回の山行で上畑にあるこの山域の二つの登山口、すなわち、前障子を経て祖母山に至る健男社と三ツ尾を経て傾き山に至る九折登山口の、左右どちら周りにしても、いずれかをスタート、ゴールとして‘馬蹄形に辿り’祖母山、傾山をはじめとする主要ピークに足跡を残しつつ歩き通す(または走り通す)ことをもってこう呼称することとする。幕営の有無や所要時間は問わない。この場合、1日または日帰り縦走という言葉も必ずしも当たっていない。カモシカ山行など日をまたぐ場合も考えられようから。

        
                  水平距離約40kmの大縦走・・・馬蹄形縦走とは言い得て妙

 ただ‘完全縦走’には所要時間の競い合いの要素が含まれる。テントを担いでのんびり2泊3日でも、夜討ち朝駆けのカモシカ登山でも、早朝から夕闇迫る頃まで一気に歩き通す日帰り山行でも、完全縦走には違いない。しかし、本稿に登場するおゆぴにすと三銃士は一様に、‘完全縦走コース’を一気に通すことと所要時間に強いこだわりがある。水平距離約40km、累積標高差約3,500m、九州屈指の長大なコースだからこそ自らの体力の限界に挑み極限まで追い込みながら一気呵成に通すことによって得られる達成感は計り知れないだろう。昨年秋から今現在まで何度か偵察または試行をしながら、いよいよこの春‘決行’となる。

 もちろん悲壮な決意などではなく、四季の祖母傾連峰の素晴らしさを満喫しながら、‘おゆぴにずむ’の本質である遊び心と年齢、置かれた状況をちゃんとわきまえ、無理せず臆せず、できれば所期の目的は達成したい、というのが本音である。以下に昨年来の祖母傾連峰の山行を振り返り順次紹介し、この春の‘完全縦走’に繋げたい。(つづく)

チャレンジ!祖母傾連峰完全縦走 その1 祖母傾への熱き想い
チャレンジ!祖母傾連峰完全縦走 その2 遠かった傾山
チャレンジ!祖母傾連峰完全縦走 その3 2005秋、傾山&山手本谷再訪
チャレンジ!祖母傾連峰完全縦走 その4  どうしても継ぎたい! 三ツ尾から坊主ルート、傾、尾平越へ
チャレンジ!祖母傾連峰完全縦走 その5 大分登高会の末裔ついに完全縦走なる!
チャレンジ!祖母傾連峰完全縦走 その6 遠かった祖母山
チャレンジ!祖母傾連峰完全縦走 その7 リベンジ成る

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