チャレンジ!祖母傾連峰完全縦走 
                    狭間 渉
                         九折越から初冬の傾山と二ッ坊主

その3 2005秋、傾山&山手本谷再訪

○募る想いに駆られて
 日帰り完全縦走の前哨(偵察)として、とりあえず山中一泊二日で全行程を通してみようとの思いが前回不完全に終わった。滅多に単独行などしない高瀬なのだが、消化不良と鬱積したものを払拭したかったのか、その後彼は独りで前回の残りの半分を九折登山口から逆コースで通したらしい。以下はおゆぴにすとホームページ掲示板2005年10月9日に書き込まれたその時の内容。

 「『蝉しぐれ』、『四月の雪』だの巷の軟弱な世界に別れを告げ、編集長(筆者註:私のこと)は四万十川の人となった。この間隙を縫って本日傾山、及び、尾平越ブナ広場の水場の確認に行く。九折登山口より三ツ尾、坊主コース、傾、九折越、ここでついでに、笠松、本谷、尾平越までいってしまった。このため、九折登山口に駐車した車迄行くのが大変でした。これで完全縦走は私におまかせあれ。フフフ、九折登山口(6:30)〜尾平越(13:30)まずは報告まで。」(以上 投稿者名:ガブリエル高瀬)

 本シリーズの‘その3’にその時の紀行を紹介してもらおうと紙面を空けて待っていた(現在執筆中らしい)。もう一方の当事者である私ももちろん‘遠かった傾山’への思いから残りの半分が気になっていた。とくに長いことご無沙汰になっている傾山に対して前回の山行を機に再訪の思いがいっそう強くなっていたのだ。

 完全縦走じゃなくても、できればまだ‘秋’が残っているうちに傾山に行きたい。この週末雨が降ってその後木枯らしが吹いたら、山はもう冬一色になってしまう。その前にせめて傾、秋の傾だけは登っておきたい。そんな思いで再び祖母傾山系への山行を企てた。

               
                           前傾の夜明け

 11月16日 早朝大分を発ち傾山九折登山口に着いたのが丁度7時。今日の予定は九折登山口から観音滝、三ッ尾を経て傾山山頂を踏み九折越まで足を伸ばすこと。オーソドックスながら登りごたえのあるコースだ。傾山は過去にいくつかのコースから登ってはいたがメジャーなこの九折〜観音滝〜三ッ尾コースでさえ、至便な林道利用によるショートカットなどであり、きちんと下から律儀に通したことがなかった。

 登山口で中高年の登山者一人に会っただけで停めてある車の数からしても‘静かな山歩き’はもちろんのこと、前月脇目もふらずにひたすら黙々と尾平まで通したであろう高瀬の時に比べて、‘潤いのある山歩き’がどうやらができそうだ。「あれ!?最初から予定は九折越までなの?尾平越まで足をのばせばいいじゃないですか!」と言いたげな高瀬の笑い声が聞こえて来そうだ。

○観音滝にこだわる
 大分登高会時代、昭和48年から始まった傾山山手本谷周辺の岩と沢をめぐる地域研究でこの谷には足繁く通い詰めた時期があった。が、上畑からは前述したように当時拓かれて間もない林道を車でのアプローチであったため、観音滝は、一度はその滝壺付近に立ち飛沫を被りながら滝の全容を見上げてみたい、それも人っ子一人いない錦秋の静かな日に、と思いながらも未体験のままで、その後ずーっと気になっていた。そんなわけで私にとって九折〜三ッ尾コースに足を踏み入れる以上観音滝だけは絶対に素通りできない場所であった。

 観音滝はこのコースを少しはずれたところにあるため、縦走のように先を急ぐ気ぜわしい長い山行ではつい省いてしまいそうになる。「高瀬君、観音滝を君は見たかな? それをしなければこのコースを採る意味は何?何にこだわるの君は?」と言いたい、もちろんちゃんと足を伸ばしているのであれば文句はないのだけれども・・・。

                
                              観音滝

 7時39分、その滝壺付近に初めて立ち落ち口を見上げる。さほど多くはない水量が高距約80mのスラブを伝って落下する。深い滝壺といったものは特にない。傾山の山腹全体はまさに錦秋の趣なのに、滝周辺は樹種のせいか紅葉はほとんどない。何もかもが予想に反しているが、その壮観さにはやはり目を見張る。

 再び歩を進め急登ののち滝の上部に出る。後で知ったことだが、滝のすぐそばを登っていくのでわざわざ滝壺にまで足を運ばなくても容易に眺められる。ところで、観音滝は何故か上部から覗き込んで転落する人が居るらしい。立て札に「危険!覗き込むな」とわざわざ書いてある。どうしてこんなところから落ちるのだろう?と落ち口に気を取られた直後、浮き石を踏んで転倒し、お尻を強打、思わず手をついたはずみに持っていたデジカメを岩にぶっつけ液晶パネルが壊れてしまった。何と不運なことか。不運といえば、昨年夏からこっち仕事でも不運続きだった。こんな時はこの先自重あるのみだ。

○登るほどに秋から冬の装い
 7時58分、懐かしい、本当に何十年ぶりかの林道と合流。登山届に記入。木々の間から喜作坊主、三ツ坊主が眼前に圧倒的迫力で迫るが、昔に比べ林道路肩の木が生長して大きくなりうまくカメラにおさめきれない。

  
           紅葉が朝陽に映える

                              
                                     三ッ尾に至る稜線にはこんな巨木が

                                    登るほどに、しだいに冬枯れの様相に

 九折登山口から傾山山頂まで標高差1,230m、全体に上りの連続だ。道中の赤松やツガなどの巨木に感動しながら三ッ尾までの尾根の、主に山手本谷側を登りながら、8時57分、三ッ尾稜線(標高1170m)に出る。周囲はすでに冬枯れの装いで、木々の葉は落ち稜線からの眺めはすこぶる良い。快晴無風、登るほどに前障子〜大障子〜祖母と連なる障子尾根の展望が広がり、標高1,500m以上にわずかだが、今冬初めて(?)の霧氷が遠目にもはっきり見て取れる。

 右手に三ッ坊主の大きな岩塊が大きな朝陽を浴びシルエットとなって圧倒的な迫力で次第に迫ってくる。眼下は錦秋、頭上は冬枯れ、山頂付近は初冬といった趣。

「登高会時代、三十年ほど前の秋、前傾(二ッ坊主&三ッ坊主、喜作坊主)、本傾も、こんなだった。こんな傾の山懐に身を置きたかった。休みを取ってでも今日じゃないといけなかった。今日をはずせば秋の傾山は来年までお預けだ。正解だった。うん。」と正当化するように自ら頷く。

 9時13分 三ッ坊主の頭直下付近に出た。ここで山頂へのコースは二つに分かれる。‘坊主コースは危険’とある。このところツキに見放されており単独行でもあり敢えて危険なコースを採る必要もなかろう。二ッ坊主の岩場を登っていた時代には、‘坊主コース’経由南坊主谷を何度も下ったことでもある。ここは無難な‘水場コース’とする。

   水場コースと坊主コースの分かれ

 ‘水場コース’は途中一部に荒れた箇所があり、それでも注意すれば黄色いテープなどの目印があり迷うことはない。しかし、先を急ごうとするあまりテープを見落とし、道を失ってしまう。やむを得ず三ッ坊主の尾根を目指して登り、坊主コースに合流したものの、いきなり凹角状の岩場の登りを見て心細くなる。岩場の稜線、山手本谷〜祖母傾主稜線の展望がすこぶる圧巻なのだが、このところ何かと不運続きだし‘貧すれば鈍する’の喩えもある。ついつい億劫な気持になる。ここは一つ用心に越したことはないと、再び引き返して水場コースを探す。

 最後の黄色いテープの場所までいったん戻り注意深く目印を探すと、何のことはない、すぐに目印のテープが見つかった。結局、約30分のロスタイムであった。

○歩きながら中高年の登山(遭難)を考える
 10時19分、‘水場コース’のゆえんである水場(標高1260m)に着く。先月坊主コースを登った高瀬は九折登山口から山頂まで3時間の所要であったという。ここまでですでに約3時間、豊富な水量からして思っていた以上にまだ先は長いことを悟り、ゆっくり味わいながらの登山に徹することにし、ここからしばらくの沢伝いの登路を歩きながら、先ほど観音滝での思わぬ不注意や水場コースでのルートミスなどから中高年の登山と遭難についていろいろ考えた。
 近頃、巷間、中高年の遭難がやたらと目につく。社会問題視する人さえいる。山から若者が去り、ではなく山を志向する若者がほとんど居らず、一方で中高年の登山ブームとなり、山で見かける人の大半は中高年層なのだから、遭難も中高年が多くて当たり前なのだが、年齢別遭難割合からしても、それでもやっぱり中高年が多いに違いない。振り返って我が身はどうだろう。

 最近の自分自身の身体と頭の異変(老化現象)と照らし合わせながら、道すがら考えてみた。まず、足下が若いときと違っておぼつかない。動体視力を含む、視力の衰え・・・すぐ近くにある目印の黄色いテープを見落としたり視認できなかったり・・・。先ほどもおかげで30分ほどのロスタイムを生じてしまった。注意力の散漫化、瞬発力、咄嗟の判断力の低下・・・心肺機能や筋力は鍛え方によっては若いときと大した開きを感じない状態にまで高めることは可能なのだが、先ほど浮き石を踏みデジタルカメラをうっかり壊してしまったこともそうだ。記憶力の低下・・・日常生活でも例えば夕べの食事のおかずを思い出せない、山でも今し方通った場所の記憶があやふやな場面が多い。若い頃は一日の登山の行程と通過時刻などその夜のテントの中で正確に記録できたのに・・・。さらにもう一つ、歩行中に邪念、雑念が多い・・・これはもしかしたら最も軽視しがたいことかもしれない。哲学的(?)思考も含めて登山中にいろいろなことを考える、いや、考えすぎる。考えていて登路の重要なポイントをうっかり通過、見落とす。中高年の登山では同行者との葛藤、花鳥風月、森羅万象に五感を総動員し、すべてに貪欲である。これらは‘山’あるいは‘岳’の道において円熟期に差しかかった証左でもあり決して忌むべきことではない。が、そのことがかえって肝心な登山行為そのものを危なっかしいものにしていることもまた事実。

 中高年の登山者も二通りあり、青春の多感な時期を山に打ち込んだ‘再び山に症候群’あるいは若いときから一貫して山への情熱を維持している人、もう一つは若い頃前述した彼らを羨望しつつ仕事や家庭が一段落してのちに山を始めた人。前者の人は昔取った杵柄・・・山に対する過信がある。そこらの登山者と一線を画したいとの変なプライド、思い上がりもあるかもしれない。経験に対する過信ももちろんである。これらは中高年遭難の一原因として軽視できないだろう。

 中高年層の遭難事故防止の根本は、自分が中高年であることを甘受する、そこから出発しないとだめではないか。しかし、甘受することにいささかもがき、抵抗するもう一方の自分があることもまた事実である。私(やこのシリーズの登場人物)は後者で居たい。

○再訪、傾山山頂&山手本谷
 水場から先は小沢を、自分自身が起こした今朝からの不注意をきっかけとして上述したようなことを考えながらゴロタ石の中を高度を上げ、坊主コースと合流する。合流点から程なくで本傾の前衛峰に出る。今冬おそらく初めての霧氷の花が木々に咲き乱れ、本傾の側壁にもエビノシッポがびっしり付いて壮観だ。南坊主谷側をのぞき込むと冷たい風が吹き上げ頬が痛くなる。

      ←初の霧氷↓


                            

 霧氷の花が咲き乱れる傾山山頂には中高年男女一組だけ。「カミハタへの下りはどの道だろう」と二人で地図と睨めっこしている。「カミハタではなくウワハタ(上畑)と読むんですよ」との余計なお節介をきっかけに、しばしの情報交換。大阪からの二人は九折から登ってきて観音滝に下りようか、往路を戻ろうか迷っているとのこと。道が少々分かりにくい旨伝えると、この夫婦(?)、選択にかなり迷っていた様子であった。(結局、往路を引き返したこの両名、女性が下山途中滑落し鎖骨を骨折、宮崎県警のヘリコプターのお世話になったことを帰宅後のテレビと翌朝の新聞で知り、何だか余計なお節介をしてしまったこと、今し方考えた中高年の遭難を身近に感じたこと、てっきりご夫婦と思ったこのご両人、新聞では「同伴の男性が・・・」の表現も少々気になったことなどで私も複雑な気持ちになった)

    
                傾山山頂から祖母山、古祖母山の展望

                              
                                    二ッ坊主、喜作坊主、山手本谷を眼下に

 山頂で大休止をとったあと後傾、九折小屋までの冬枯れの小径を小走りに下り、九折越で正面に対峙する二つ坊主南壁を飽くことなく眺めた後、山手本谷林道へと下る。前傾の下りで今朝方出発間際に会釈を交わした中高年男性と擦れ違う。結局この日のこの山は先程の二人組みと合わせ四人だけのようだった。

                
                         冬枯れのセンゲン付近 

 九折越から約20分少々で林道に降り立つ。ここで九折登山口への下山道をはずれ林道をさらに20分程下ると、山手本谷出合いだ。喜作坊主、三ッ坊主、二ッ坊主、傾山本峰からの支沢が林道に架かる橋付近で一つになる。約30年ぶりで出合いに立つ。あの頃は原生林が伐採され植林された直後で、谷は明るく広々としていたが、今ではすっかり生長した杉と雑木が谷を覆い尽くしている。その木々の間から巨大な岩峰群が圧倒的な迫力で迫ってくる。

  
                    巨大な岩峰群が迫る

                             
                               山手本谷出合い 当然帰るべきところに帰ってきた・・・

 山手本谷の橋に立ち、しばらく二ッ坊主、傾山本峰を見上げているとかなり以前に読んだ、佐瀬稔著「喪われた岩壁 第二次RCCの青春群像」の終章「一ノ倉沢残照」の下りを思い出す。かつて第二次RCCのメンバーで、壮年期にかかった弁護士・円山雅也が水上町での講演会のあと一ノ倉沢土合橋に立ち一ノ倉の大岩壁を見上げながら青春の日々と奥山章、芳野満彦、安川茂雄ら第二次RCCの青春群像を回想するシーンだ。「不思議に、なつかしいという気持ちを感じない。当然帰るべきところに帰ってきた。そういえば久しぶりだったのだなあ、と思う」とその時の丸山の心境を佐瀬はこう記している。私もここに立ち気持ちを重ね合わせかつての‘大分登高会の青春群像’に思いを回らせながら、しばし同じような感慨に浸る。

        
        大分登高会の青春群像(これから二ッ坊主の取り付きに向かうのか、下りてきて安堵の表情なのか
          定かでない、1973年9月14〜16日、山手本谷付近の林道と思われる。西諒さん撮影)


 九折越の稜線付近では初冬の趣であったが、山手本谷まで下りてくるとまだ傾山にも秋が残っている。この週末は天気が崩れるらしい。そうなればこの一体も一気に冬の装いに様変わりすることだろう。そう考えると仕事を休んでまで、との後ろめたさも小さいことに思え傾山の秋を名残惜しむかのように、ゆっくり林道を下っていった。

                
                        林道下部から大障子岩遠望

○山行を終えて
 今山行は当初あくまでも‘チャレンジ!祖母傾連峰完全縦走’の一環として位置づけたはものの、前月独り傾山から尾平まで通した高瀬の向こうを張ったわけでは決してない。また、あくまでも偵察的な意味合いからなのだが、5月以降祖母傾について想いをめぐらしているうちに、かつて何度も通った傾山山手本谷周辺をもう一度見てみたいとの想いが無性に強くなってきたのも偽らざるところだ。ノスタルジックというかセンチメンタルというか、そんな気分が高揚してきて居ても立ってもいられない衝動に駆られての山行であった。

 で、終わったみて改めて祖母、障子尾根を含む、この山域の大きさを実感し、これからやろうとして公言したことの困難さに、ただただ大きな溜息がもれそうな心境であることを吐露しておこう。(つづく)(その2へ戻る)
                                                  (2005年11月16日)

(コースタイム)傾山九折登山口(373m)7:13→観音滝(452m)7:30〜43→林道(566m)8:01→三ッ尾(1170m)9:00→坊主コース分かれ(1242m)9:24→(ルートミスでロスタイム)→坊主コースと水場コースの合流点(1498m)10:45→傾山山頂(1600m)11:22〜35→九折越(1276m)12:20→林道(911m)12:43→山手本谷出合い(764m)13:01→九折登山口14:11 ( )内は高度計表示の標高

               
                 朱線はハンディGPSによる歩行軌跡(歩行距離19.5km)

チャレンジ!祖母傾連峰完全縦走 その1 祖母傾への熱き想い
チャレンジ!祖母傾連峰完全縦走 その2 遠かった傾山
チャレンジ!祖母傾連峰完全縦走 その3 2005秋、傾山&山手本谷再訪
チャレンジ!祖母傾連峰完全縦走 その4  どうしても継ぎたい! 三ツ尾から坊主ルート、傾、尾平越へ
チャレンジ!祖母傾連峰完全縦走 その5 大分登高会の末裔ついに完全縦走なる!
チャレンジ!祖母傾連峰完全縦走 その6 遠かった祖母山
チャレンジ!祖母傾連峰完全縦走 その7 リベンジ成る

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