“おゆぴにすと”秋冷の祖母山系、前障子〜大障子を行く                                        
                                           栗秋和彦

今年の春以来、懸案であった前障子〜大障子山行がようやく実現の運びとなった。恥ずかしながら加藤、吉賀を除いて(※1)、“おゆぴにすと”の面々ではこのルートに踏み入れた者はなく、それゆえ片付けなくてはならない課題でもあった。しかしいつでも行けそうで、なかなか5人(加藤、挟間、吉賀,高瀬、栗秋)揃うとなると難しい。但し、今回加藤は別パーティで行き、大障子のみを踏む計画なので、合流シーンは大障子の頂を想定した。

で我々縦走隊4名は前夜に尾平に着き、ゴソゴソとテントを張る。コースタイムからすると早立ちは必定であり、泊まるとなると小宴会は必須事項である。しかし吉賀は清川(村)からのくねくねとした山道に酔ってしまい、飲食ともにまったく進まなかった。山に来ての楽しみの半分は、こういったテントでの小宴会になろうが、これを棒に振るとは何とももったいない。しかも彼はここ15年で3回目の山行というではないか。「青鬼の異名をとり、畏れられた昔の面影はどこにいったのか。あぁ、嘆かわしい!」と周りは酒の肴の恰好の材料にしたがっていたが、さすがに動ぜぬ。青鬼たる所以である。と、半ば感心しつつもどうも真相はきつくて動けなかったらしい。 AM.2時頃おやすみ。

    
            青鬼・吉賀、昔の面影はどこに

 さて最近、登山とMTBを有機的に結びつけて山を楽しむことが局地的(おゆぴにすと方面)なトレンドである。先日の石鎚行(※2)で味をしめた挟間の提案により、栗秋車を含め2台を下山口の尾平に置き、登山口の上畑へ向かった。下山後、車を取りに12kmの道のりをMTBエクササイズに当てようとの魂胆だが、下り主体のコースなので山間道を思いっきりダウンヒルする楽しみは他人へは渡せない。お互いに石鎚行が刷り込まれているので、あうんの呼吸で取った行動であった。うん。

で場面は上畑。地図などロクに見ないで見当をつけての登山だから、健男神社参拝後、登山口を見つけるのにウロウロ。若干時の浪費となったが、好奇心旺盛なおじさんたちにとっては思惑の外であろう。でその登山口は民家の軒先からスタートしており、庭には何と桜が咲いていたのだ。聞けば「四季サクラ」という。門外漢の己にとってそういぅ種類があるとは驚きだが、狂い咲きではないので思い悩むことはなさそう。しかし他の三人は自分が美的感性に最も優れていると思い込んでいる人たちである。したり顔でじっくりと見入っては詩(うた)のひとつでもひねりそうな面持ち。「おいおい、今日は長丁場だよ」と焦るは小生のみであったか。やれやれ。

          
              思いがけずも‘四季咲き桜’に思わずにっこり

 さて登路は杉林の急坂から始まる。一気に1000mほど高度を稼ぐことになるので、想像に違わず延々と登りがつづくが、ほどなく杉林は終わり、植生はヒメシャラ、松、モミジなどの自然林へと変わる。しかしまだこのあたりでは紅葉は色づき始めの感。またコースの一部は露岩を攀じったり、木の根っこに掴まり強引に引き上げたりとなかなかワイルドな登路だ。



 それでも尾根筋に近付くと森も明るくなり、谷を挟んで本谷山〜笠松山〜傾山へと連なる重厚な稜線が木々の合間から見て取れるようになる。とほどなく1200mの黒岩ピークだ。露岩に立つと古祖母〜本谷山〜笠松山〜傾の九州を代表する山々が欲しいままだ。「う〜ん、これぞ雲表の峰々を仰ぎ見ることのできる絶好のポイントじゃなぁ!」と周りを見渡すも、おじさんたちはこの感動のシーンなどあまり眼中にはないらしく、スタコラサッサと歩を進め既に視界にはない。「おいおい、こんなところで一本立てなくてどこでやるんだい?」とまぁ、嘆かわしき感性を戒めるつもりはないけれど...。

          
             大障子の右手にわずかに祖母岳が顔を出す

 で後は比較的緩やかな潅木帯やクマザサに付けられた明瞭な踏跡を、アップダウンを繰り返しながら突き進むと前障子に至る訳だが、これがなかなか時間がかかった。すぐ近くに見え隠れしているようで、その実なかなか辿り着かぬ。これも感覚的に手強さを思い起こさせる要因であろうが、ようやくの前障子へは登山道から右へ岩稜をトラバースして岩峰を回り込むように高みへ。二等三角点の頂上よりも少し西へ行った断崖に立つと、キレットを挟んで吸い込まれそうな紅葉の海とそばだつ岩峰・大障子を経て幾重の山稜を重ねながら祖母山へと高まる光景は、まさに仙境の感ひとしおであって、手強い縦走ゆえの感想なのだ。

   
          前障子岩の登り


             

 頂からは先ほどの岩稜を引き返さなければ縦走路へは出ないので、殆ど戻ろうとした矢先のちょっとした逡巡、つまり「この先は何があるのだろう?」との心の引っ掛かりが、この絶景をもたらしたと言えるのだ。もちろん4人ともコースは知らないし、ガイドブックを読むでもなし。そういう無頓着人間は山を愛でる資格がないのだよ、と言われれば返す言葉はない。しかし絶景とはまさにこのことで、この景色だけでも来た甲斐があったと言うものである。

さて一旦縦走路へ戻ってからはスズタケを漕ぐようにキレット目指して下ることになるが、一気にとはならず、岩稜が繁雑に現れては登路を阻む。一方、植生は全体的にはブナやヒメシャラ、ツクシシャクナゲなどの隙間にスズタケが繁茂し、もちろん眺望は効かない。みんな早く大障子へ着きたいばっかりの思いだろう。がそんな中でも吉賀だけは少し異なっていた。わき目も振らず足元のキノコ探しに没頭しつつの縦走でその分、遅れがちになろうというもの。日帰り山行にしては大きなザックを背負っていた訳がようやく分かったのだ。で、その本命はサルノコシカケである。

 とそうは言っても滅多に遭遇する訳ではなく、一つ二つ見つけては遠慮がちに採取していた。ところが大障子まであとわずかに迫った上りで、彼は奇声を発したのだ。何と周りの2、3本の木に一極集中的に繁茂しているではないか。彼の性格からして狙った獲物は外さぬ。先ず足元の奴からワシワシとこさぎ取る。これだけでも大ぶり5,6個の収穫なのでもういいのでは、と思いきや今度は頭(こうべ)を上げ、ブナの老木に照準を当てる。こちらも5,6個まとめて張り付いていたが、地上2.5mぐらいのところなので思案のしどころである。手掛かりがないので木登りを試みても届かないし、取れぬとなると傍観者(栗秋)も少しは気になってしまうではないか。

 しかし吉賀は恥も外聞も捨て大胆だった。やおら腰をかがめて背中に乗れと言うのだ。つまり自ら踏み台役を申し出た訳で、恐れ多くも昔の“青鬼殿”を踏みつけてまで取ろうなど考えもせぬこと。しかししかしその表情には一点の曇りもなかった。採取に賭ける思いに圧倒されつつ、ボクは先輩を踏み付けざるをえなかったのだ。ところが“敵もさる者、サルノコシカケ”であって、もぎ取ろうとしても強力接着剤のごとく素手では全く歯が立たぬ。この“先輩踏み台作戦”は完全な徒労に終わってしまう。

 

 しかしまだ諦めた訳ではなく、“人間は考える葦である”ならば知恵を出さねばならぬ。そこでボクは適当な倒木を見つけてバット代わりに叩いて落とす作戦を採ったのだ。これはまんまと成功。満面の笑みを浮かべて拾い集める“青鬼殿”の負託に応えたことで肩の荷が降り、少しばかりは安堵感に包まれた。しかしこの程度なら“猿の浅知恵”じゃないかと言われそうな気がしないでもない。ハイ、分かっていますとも。

さて吉賀御大にとっては大収穫を背に、きっとザックの重さとは反比例して意気揚々、足取りは軽かったに違いなかろう。そしてほどなく大障子山頂直下の分岐に躍り出て、総勢10名の加藤グループと合流。昼食を共にしたが、その間、頭の片隅では釈然としない一点が残った。

 それはサルノコシカケ採取についての是非である。つまり大前提としては、山に分け入って花木をむやみに採ってはならない。これは世間のジョーシキであろう。しかし一方で「春はウド、タラノメ、秋はキノコ狩り」は誰でも楽しめる山の贈り物である。そしてサルノコシカケもまぎれもなくキノコの一種だから、割り切れば採取に関して何ら問題はないと言える。しかしだ。樹幹に寄生する性質上、ある程度樹皮をキズつけることは避けられず、そのところが少しばかり気になるのだ。某農業大学校教授に言わせれば、「こやつが寄生すると木は養分を取られやがて腐る。従ってそのうち朽ち果てて腐葉土となる運命だからして何ら問題はなかろう」とのご宣託に少しは気が紛れたが、全く晴れた訳ではなかった。あっ、これは採取作戦の一端を担った己へ、分け前を寄越さなかった怨念を述べてる訳ではありません、念のため。

         
           大障子岩山頂直下で昼食中の加藤夫妻(左端)ら一行と合流

 閑話休題、大障子に話を移そう。ここも頂から少し西へ移動すると断崖孤高の露岩に立つことができる。ここから仰ぎ見る祖母山のピダミラルな山容はこの山系の盟主としての存在感に溢れていたし、寒空に霧氷をまとった障子岳北面から古祖母、傾へと連なる長大な峰々に対峙すると「う〜ん、まるごと絶句やねん!」と驚嘆詞を漏らしてしまう。容易く使いたくはないが、それでもこの景には許されるのではなかろうか、としばしまどろみながら思いを込めた。


  
              祖母傾連峰の盟主・祖母岳主峰が眼前に迫る


          

 さて念願の頂を踏んだ後は尾平目指して下るのみである。しかし下山路もやっかいの連続であった。尾根筋は不安定な岩峰の上り下りを繰り返してようやくの八丁越。ここからは愛山新道へ取り、下尾平へまっしぐらに降りるルートは、木々にすがったり岩場をクライムダウンするような場面もあり、全身を使っての下りは沢筋に出るまで全く気が抜けなかった。意気軒昂の筈の吉賀もずっしりと重いザックには、さすがにてこずっていた模様で、口数の少なさが如実にそれを物語っていた。(誰だね、自業自得だよと言ってるのは?)

          
                       大障子岩



 
           尾平へ下る

ともあれ7時間余りを要したものの、第一級の縦走コースを踏破できたことで充実感はひとしおであった。ただ一つ欲を言えば易きに流れて?愛山新道を採ったため、八丁越〜池の原〜宮原まで未踏区間を残してしまったことか。己の足跡を地図に記す趣味はないが、宮原経由で降りておれば過去の足跡と繋ぎ合わせて、上畑を始終着とした祖母・傾全山踏破を成し遂げたことになるし、今更ながらこのルートのもつ重さが分かってきて、少なからず悔しい思いを吐露してしまうのだ。まぁ、そのうっぷんは上畑へのMTBによるスリリングなダウンヒルで晴らすべく、下尾平(県道出合)から尾平の駐車場(MTBデポ地点)までおよそ1.3kmのランニングで事を始めたが、途中の沢筋から逆光に映えるススキ野を従えて仰ぎ見る、天狗〜烏帽子の鋸歯奇っ怪山嶺の妙には思わず立ち止まざるをえなかったね。かようにこの山系、稜線から谷底までピンポイントで迫る秀景にも心奪われてしまい、豊の国の住人としては大いに誇るべきエリアであることには間違いない。その意味ではもっともっと喧伝すべきか、密かに愛でるべきかショージキ悩むところである。

天狗・烏帽子晩秋


二つ坊主を遠望し回想するの図

(※1)おゆぴにすと第6号「湯行・山行活動報告」欄の「大障子岳〜前障子岳縦走の記録」の項参照。同HPでも「会報“おゆぴにすと”バックナンバー」のコーナーで見れます。また吉賀は昭和45年9月19〜20日にカモシカ山行している(大分登高会会報「登高」第56号)。これによると九折21:45〜上畑17:00となっている。
(※2)おゆぴにすとHP「憧憬の石鎚」欄の「秋の石鎚山系を縦横無尽に遊び尽くす」の項参照。

(コースタイム)
10/26 大分21:00⇒(車・松ケ丘発 東大道〜明野経由)⇒尾平駐車場23:38(泊・小宴会)
10/27 尾平にてMTB2台留置。尾平7:40⇒(車)⇒上畑・健男社駐車場7:57 8:12→(健男社参拝)→前障子登山口(民家)8:25→第一徒渉点9:09 12→前障子10:51 11:08→大障子12:45(加藤グループと合流) 13:29→(八丁越〜愛しの滝〜愛山新道経由)→尾平林道出合15:12 14→下尾平(県道出合)15:24→(ランニング1.3k)→尾平15:34 45→(by MTBwith挾間)→上畑・健男社駐車場16:11 45⇒(車・緒方〜犬飼〜月形〜明野経由)⇒大分19:00
       (平成14年10月26〜27日) Photo by W.Hasama

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