あぁ春弥生! 快晴の豊前・鹿嵐山に遊ぶの巻      栗秋和彦

会社の山仲間、T兄から誘いがかかった。豊前国は沖代(中津)平野の南端にたたずむ八面山に職場のグルーブで登るという。彼の職場には日豊沿線在住者も多く、ガイド役として職場の先輩へ既にお願いしている由。彼の表情からは未踏の山への大きな期待が読み取れたのだ。

しかし八面山をイメージするに、なるほどメーサの山特有か、航空母艦のように頂上付近はフラット、いわゆる喫水線に例える岩壁群は荒々しいが、標高差もほどほど、登山ルートも弱点を縫って容易い。言わばまったくのお気軽登山ではないかとの思いもチラリとしないでもない。加えて遠路はるばる博多くんだりから足を延ばして一日を潰すには運動量も少ないし、もったいないような気もフツフツと湧き出るのだ。(だからと言ってこの種登山を否定している訳ではありません、念のため)。

そして気乗りしなかった最大の要因はボク自身、この山には既には自転車のヒルクライムレースで何回も登っていたこと。せっかくの遠出なら未踏で、かつ深山幽谷の趣が味わえる山を所望したいのは自明の理ではないか、とあくまでも自分本位に主張したのであります。

つまりは「八面山なんて山頂付近まで車で簡単に登れる山だよ!」とか「登山道のすぐ横を車が上っていくんだ。趣も何もあったもんじゃないよね!」などとあることないこと?申し立て、方向転換を促したのだ。ならばT兄も苦しまぎれに? 「ではこの山域で他に思い描く山があるの?」 と問うわな。そこで待ってました!とばかりに「カナラシヤマ」と答えたんであります。標高こそ800mに満たぬ山だが、急峻鋭峰で谷は深く、春はシャクナゲ、秋の紅葉は絵にも云われぬ艶やかさと聞かされつづけて幾星霜、ひょんなことから登頂のチャンスが訪れようとしている訳で、これは是が非でもかの山へ誘導せねばならなかった。

おっと、そもそも発端は彼の職場を表敬訪問した際での唐突な誘いだったので、社交辞令的匂いもあろうに。それゆえひょっとすると「軒を貸して母屋を取られた」との思いが、彼にあっても不思議ではなかろう。その意味でノーテンキおじさん(ボクのこと)の攻勢と、意気軒昂ぶりにいささか面食らったのかも知れぬが、今ごろおもんばかっても遅いではないか!と、T兄あたりからお叱りを受けそうな気がしないでもない。おぉ、恐々。

で春弥生は4日に決行し、J R柳ケ浦駅から法境寺、院内を経て玖珠へ抜ける国道387号に入った。そして途中から西へ県道円座中津線へ取れば、容易に鹿嵐山登山口へ辿り着ける。快晴無風の願ってもないシチュエーションに、車窓から見るのどかな田園風景は陽光に溢れ、まさに春本番を迎えようとするのびやかさが感じられて、和みの道中なり。しかし一方で日陰の田畑はまだ真っ白な霜柱で覆われ、早春のなごりも忘れない。そしてそちこちに点在する鎮守の森も、しっとりと山里の風景に溶け込み、山懐へ立ち入る非日常性を引き立たせてくれるのだ。

さて、谷間の第一登山口から高井川を挟んで仰ぐ鹿嵐山は急峻で深山の趣が感じられ、なかなかの存在感を示している。しかし山頂 (雄岳) までの標高差はせいぜい500mほど、稜線までなら400mぐらい稼げば到達しそうなので、数字上はちょっとの辛抱で済む算段だ。そこで先ずは隊列を組んで、川畔のお地蔵様に登山の安全をお願いしつつ杉林へ分け入ったが、なるほどすぐに急峻な上りとなり、林間から垣間見る下界はみるみる遠のき、効率的に高みへと導かれるのがよく分かった。

そして中段以降はイチイガシやシイなどの照葉樹林へと変わり、ぽつぽつとツクシシャクナゲの群落も現れて、4月末の見ごろなら花の山旅の佳境となり得た山域に到達しつつあった。

が現実場面、蕾 (つぼみ) はしっかりとそれぞれの木々に芽吹き、早く出番を作ってくれよと我々に訴えているかのよう。その意味で本舞台に立つ前の過程にこそ、生命の息吹を感じて尊いんだ、と仰々しく思ってしまうのだ。(冬枯れを承知で登ってる訳だからね)

             
                        雌岳の頂で寡黙ワケ有り青年たち

それにしても我が隊は登路全体にわたって静かだった。陽光も北斜面の森にはあまり届かず冷え冷えとして静謐の趣。加えてペースも押さえ気味なのか息も上がらず、さりとて無駄話もない。山登りは非日常の極みだと思っているので、本来ならもっと飛び交うであろう、お互いの雑談・嬌声が聞こえてもいいのに、それすらもない。ボクはこの静寂さが妙に気になったのだ。

おっと紹介が遅れたが、本日のメンバーはT兄を含む彼の職場関係者5名 (青年2名とおじさん3名) に、他所者2名 (己を含む) の計7名で構成。その先頭と二番手を行く青年コンビがまったくおとなしかったのだ。フムフムそれは彼等の性癖なのか?それとも初対面の我々2名に対する遠慮からか?或いは日頃のT兄の言動・行動から推察するに、抑圧された?職場環境を引きずってのことなのか、などなどあらぬことにも関心を寄せたりもしたが、最初のピークの雌岳に辿り着くまで真相は闇のままであった。

ところがである。雌岳山頂でのひととき、先頭を務めたF青年の表情を伺うと、風邪気味なのか呼吸も荒げがちでまったくの体調不良とみた。ならばペースが遅いのも、口数が少ないのも道理、むべなるかなであったが、う〜ん、それでも断りきれずに参加せざるを得なかったとなると・・・・やっぱり封建的色彩が色濃く残り、物申せない職場の雰囲気に起因するのか?と、T兄を横目で見ながら思ったりもしたのだ。(冗談ですよ!)

 ただ北面に開かれた山頂からの眺望は八面山から宇佐に至る奇岩・奇峰の景をあますところなく示し、くだんの青年も次第に表情は軟化してきたので、先ずはヨシとして先を急いだ。

さて本命の雄岳へは鞍部を挟んでひとッ飛び。こっちは北面に加えて南面も開け、遠景に由布・鶴見、九重、涌蓋山、万年山、津江の山々。近くには安心院や深耶馬の山々とその先にカルト山から宝山、大岩扇など玖珠北部の山々を望み、何はともあれここからの眺望は特筆に値するんです、ホントに。

また雄岳では昼時となって、ポカポカ陽気に快晴無風の下、ラーメン小宴会にウツツを抜かしたが、小宴とはいいながらも、おじさん約2名は缶ビールを複数本空け、まだまだ物足りないのか、今度は焼酎のお湯割りに突入する始末。高みを極め、視界良好、絶景をほろ酔い加減で愛でるのも人生の小幸事に違いなかろうが、ここからの急峻な下りを思うと、ちょっと心配もする訳です。その意味で多少なりとも気を遣っていたのが、分かっていたのかねぇ、両Tおじさんには ! (・・・分かる筈ないよねぇ)

              
                                  雄岳山頂にて勢ぞろい                   

で下山路は地蔵峠へと取ったが、のっけの下りは想像以上の急降下。植生は雑木林から杉林へと移り変わるも殆ど張り巡らされたロープに助けられ、全身を使っての下りは本日一番の難所であったね。そしてこの場面、思ったのは刹那的な登山の醍醐味よりも、営々と築いてきた人の業の凄さか。こんなところまでしかも急斜面での杉の手入れに費やすこと自体が難行苦行であろうに。麓の民の生業に対してはただただ畏敬の念を覚えたのだ。もちろん他のメンバーの感想は如何に?なんてヤボなことは聞くまい。ただただその急峻過ぎる下りに驚きの連続だったようなのだから。

                          
                                 地蔵峠の景 自然が築いた造形美には圧倒される

おっとそんなことよりも20分も急降下を続けると平坦路に出てホッとひといき。しかしこれも束の間、少しづつ高度を下げながらもヤセ尾根のアップダウンを繰り返すと、南西の谷を中心に視界いっぱい奇岩、奇峰、怪石が展開して、その奇っ怪さに我が眼を疑うかの如く。なるほどこの一帯が地蔵峠の景と言われるところであって、耶馬溪山域でもとびっきりの景勝地に間違いはないが、案内書に謳う別名「万里の長城」とはいささかイメージがそぐわない。人工の構造物と太古からの自然そのものの造形は根本的に違うし、南画風の趣は認めつつも、古来、日本の美意識の象徴と見なされてきた、箱庭的美しさに例えた方が云い得ているのだ。おっとこれまたおじさんの独り言であって、ようやく先導役に馴染んできた青年2名に動揺を与えるような言動は厳に慎まなくてはと、おもんばかることも多分に必要な景勝地縦断のヒトコマであった。

              
                                      岩稜を行く
                                  
 さてまたまた行き行きて重ねて行き行く。潅木帯のヤセ尾根から岩稜混じりの下山路も雑木林に入ると、ほどなく地蔵峠と第二登山口を分ける分岐へ出て、ちょっと小休止。せっかくの機会なので西へ少し下って地蔵峠に鎮座する像を崇めた後、分岐へ戻り、そのまま東の谷を登山口へと取った。もっぱらこの時期の雑木林は冬枯れの様相を呈しているが、孤軍奮闘、健気にも存在感を示していたのが、アオキの赤い実。春は確実に山里から山腹へ上ってきている証であり、逆に我々は雑木林を下り、杉林を経て、車道に出ると陽光にさらされて春爛漫の里が近いことを、華やいだ空気が教えてくれる。この対比の妙も開放感溢れる下山時の愉しみの一つになろうが、先ずはこの山のそちこちに鎮座するお地蔵さんへ、感謝の念を表さなければなるまい。ワケ有り寡黙青年たちの機嫌を損ねることなく、またおじさんたちの酩酊度合いも何とか押さえて、無事に下山できたのだから。

まぁしかし屈託のないT兄などの表情を盗み見ると、そこのところはまるっきり分かってないだろうなぁ、と苦笑いしきり。おっとそんなことより下山後の一点を八面山金色温泉と定めたまではよかったが、その後の本命、打上げ酒宴大会がどこまでつづくのか推定できぬところが、このメンバーの本質であった。博多へまともに帰り着けるのか、心配の種は尽きなかったが、こんな山旅もえらく非日常をくすぐり、また愉しである。

              
                           八面山金色温泉の露天にて湯ったり気分

(コースタイム)JR柳ケ浦駅8:50〜54⇒(車)⇒第一登山口9:35〜49→雌岳11:00〜09→鞍部11:20→雄岳11:35〜12:40→馬の背13:35〜40→地蔵峠分岐13:49(地蔵峠に立寄る)14:04→(第二登山口経由)→第一登山口14:50〜57⇒(車にて麻生〜八面山上展望台〜金色温泉入湯)⇒JR中津駅17:45  

参加者 栗秋、他 会社の同僚6名                       

           (平成1834日)

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