主な山といで湯 ・・ 記 録 ・・2004.1 〜 2004.12(未定稿)

10日(  英彦山安全祈願登山競争?顛末記
 5年ぶりの本社勤務、つまり5年ぶりに新年の英彦山安全祈願行に加わることとなったが、前段として今や恒例となった一部有志による前泊大宴会&翌朝積極果敢登山隊にも名を連ねることとした。こういう機会でもないと、なかなか英彦山に登ることはないし、この時期なら高い確率で雪中登山が楽しめるとの思惑もあった。とそれはともかく今回の前泊宴会山行のおおぎょうさには少なからず驚いた。前回(5年前)は老若とりまぜてもわずか7名の参加だったので、前夜の宴もこじんまりとささやかに執り行い、登山の方も霊験新たかな修験道の山を意識して、粗相のないように粛々と登った記憶がよみがえったが、今年は一転、30名に迫らんとする大部隊、まさに宿は貸し切り状態とあって大宴会は放歌喧騒の極みで深夜まで延々とつづいた。
 さて登山の方は新人の山崎、山元両君と三つ巴の先陣争いをしてしまい、40分ほどで山頂へ。本隊を30分ほど待つ羽目に。ずいぶんと寒い思いをした正月山行であった。(本文参照
(コースタイム)
英彦山温泉・しゃくなげ荘(前日から一泊)6:55⇒車⇒奉弊殿(中宮)駐車場7:10 15→奉弊殿7:20 30→英彦山頂8:12(山頂ぜんざい会)9:35→奉弊殿10:23 (安全祈願の御祓い)12:25⇒車⇒アドベンチャー森の家12:35(新年会)15:00⇒車⇒英彦山温泉・しゃくなげ荘(入湯)15:10(南福岡着18:45)
(参加者) 栗秋、その他大勢(会社)

1月17日(土)    当たり外れ?の大宰府周辺の湯の巻
 昨夜来からの氷雨も上がり天気は快方へ、しかし冷え冷えとした外気に腰痛を訴える奥方は、「温泉でゆっくり温まりたいね!」と珍しくリクエスト。それではと近くの湯に行こうということになったが、さて何処に? すると何やらパソコンをいじくり、インターネットで大宰府の国民年金健康保養センター“みかさの湯”を探り出し、「ここに行こう!」とのたまう。日ごろにない積極的な行動に多少の当惑は隠せなかったが、表情には出さず従うのみだ。しかしお目当ての“みかさの湯”は改装中で休館。ぶつぶつ。
 さてならばこの付近では竈門(かまど)神社近くの“都久志の湯”しかあるまい、と宝満山の麓めがけて行きました。実はこの湯、2000年9月のオープンとあって歴史は浅いが、昨秋の狭間兄との若杉〜宝満ランニング登山の走破打ち上げ会場として候補に入れていたところでもあり、未入湯だが場所は確認済み。天満宮からの道が竈門神社に突き当たったところを右(南)へ山腹を1kmほど回りこんだ山間谷間の一軒屋でなかなか趣のあるいで湯でした。(本文参照
(参加者)栗秋、悦子(妻)

2月7〜8日(土〜日) 九重厳冬、そのアプローチと雪見酒、或いは崩平山雪中行軍を語る
 故あって異業種交流の仲間たちを九重の湯宿へ誘うべく、声をかけた。厳冬・1月下旬の週末なら宿から仰ぎ見る九重の山々は白銀の飾りで我々を迎えてくれるだろうし、非日常性を提供することでエスコート役としての己の株も上がろう?というもの。ところが21日頃からの近年まれにみる大寒波は山間部のみならず、九州全域に雪を降らせ、各地から「何十年ぶりの大雪!」の報が届いた。当然、交通網は大混乱に陥ったが、生業とするレールを止める訳にはいかない。「雪こそレール」をアピールすべく、全社をあげて不眠不休で運転確保に取組んだのは言わずもがな。個人的にもとても週末の湯浴み宴会どころではなく、延期指令を出さなければと思っていた矢先、宿の支配人S氏からの突然の電話。「栗ちゃん、大雪でここには当分来れんぞ!車は入って来れんし、ワシらも幽閉されてるみたいなもんだよ」と、SOSにも似た宿泊不可宣言を聞くに至ったのだ。「う〜んこりゃ、どっちみちだめだわぃ」と即断念した訳で、電話の向こうの大雪を想像するに、なるべく早いうちに仕切り直しをして、せめて豪雪の名残りが味わえるシチュエーションは確保せねばと画策したのが、今回の山行となった次第。但し、メンバーはガラっと変わり、いつもの狭間兄に、何故か工藤弘太郎大分CTC会長&ポンポコ矢野君の取り合わせ。このメンバーからして雪の珍道中は避けられなかった。(本文参照
(コースタイム)
2/7 大分・松ケ丘16:00⇒車(やまなみ道経由 エル・ランチョ・グランデで工藤を拾う)⇒九重・星生倶楽部18:00(泊)
2/8 星生倶楽部10:20⇒車⇒朝日台駐車場・崩平山登山口10:30 44→登山道分岐11:15→崩平山12:03 20→林道出合い12:40→朝日台駐車場13:00 10⇒車⇒下湯平温泉・しあわせの湯13:50(小宴会)15:00⇒車⇒大分15:35
(参加者)狭間、栗秋、他2名(工藤、矢野)

4月3日(土) 新装オープン、大宰府温泉・みかさの湯と四王寺山散策 の巻
 「みかさの湯が今月から新装開店している筈よね」とカミさんの独り言が多少気になった。今日は久しぶりに仕事がらみから逃れたこともあって、温泉への指向性は上々である。しかもこの湯は1月に訪れるも工事中で適わず、宿題は残ったままだったので思い立った時に行動すべきであろう、と午後からの出立であったが、いそいそと出かけた。さてそのインプレッションは如何に?
 ところで湯に浸った後まっすぐ帰るにはちと淋しく、ドライブがてら背後に控える四王寺山へ上り、山塊を縦断して糟屋郡宇美町へ抜け、帰宅しようとの目論んだが、うねうねと曲がる山道は満開の桜並木で彩られていて、艶やかな花のシャワーをくぐりながらの何とももったいない時を刻み、じわじわと駆け上った。すると今までの森の静けさから一変して広々とした草原、つまりは山上台地に出た。そして尾根上には土塁が延々と巡っており、なるほどこの山は環状になった中央部がくぼんだ擂鉢状の山だなぁとおおよその察しがつくのだ。で車はまさに擂鉢へゆるやかに下ろうとする峠で通行止めと相成った。ここから宇美町方面へは昨年7月の大雨災害の爪あとが未だ癒されず未開通のままなのだ。(本文参照
(参加者)栗秋、悦子(妻)

4月4日(日) 菅原道真公ゆかりの山、二日市・天拝山〜飯盛城跡ハイクの巻
 昨日午後、思い立って太宰府温泉・みかさの湯と背後に控える四王寺山の一端を廻ったものの(※1)車で上り、展望台付近を探っただけで、とても山登りという行為にはほど遠く、その意味では不完全燃焼であった。で本日は花冷えのする寒々とした日和に一転したが、低山歩きの欲求はくすぶったままだ。そこで昨秋、二日市温泉に入った後、登山口を冷やかしただけでお茶を濁した天拝山へ奥方と登ることに。この山なら標高は257mほど、丘みたいなものだからカミさんにも楽勝の筈?だし、山登りというよりハイキングの趣であろう。(本文参照
(コースタイム)
天拝歴史自然公園(登山口)10:19→(しゃくなげ谷経由)→天拝山10:50 11:10→飯盛城跡11:24 33→(武者かくし経由)→天拝歴史自然公園(登山口)11:55
(参加者)栗秋、悦子(妻)

4月11日(日) 大将陣山で加藤会長夫人加藤衣子女史大分百山完登成る!
 加藤会長夫人加藤衣子さんは本年4月11日の大将陣山登頂をもって、加藤会長らが選定した大分百山全山の登頂を終えた。本文参照

4月17日(土)  春卯月、思い立っての九重ランニング登山
 葬祭ごとで前日からの玖珠泊。あまりにも天気がいいこんな日は山野を駆け巡って、精神衛生面をリセットすべし。むずむずと行動の虫がうごめく。むろん思い立ったらいてもたってもおれず一人で九重へ。予報では下界は6月並の気温(夏日)になるという。玖珠でも出立前には既に20℃は越えている筈。そよぐ風はまさに初夏を予感させ、身なりは半袖・半パンで充分だ。しかし飯田高原に上がると日差しはめっぽうだが、高原の清涼感は一級品。湯沢温泉入口に車を置き、取り敢えず法華院温泉目指してゆるゆるのランスタートとした。時間はたっぷりあるし、この陽気だもの法華院温泉までの往復だけで物足りなければ、北千里を経てすがもり越へ登り、長者原経由で湯沢へ戻る一周コースと云う手もあるぞ、ブツブツ。と臨機応変な走りも視野に入れてファンランに努めた。(本文参照
(コースタイム)
湯沢9:32→(吉部経由)→大船林道ゲート9:54 57→林道最高点10:33 35→林道終点10:37→法華院温泉10:53 11:07→北千里出合11:21→すがもり越11:27 31→(硫黄山林道経由)→長者原12:04→(やまなみ道経由)→湯沢12:22  走行キロ約20km  榎木孝明美術館入館料500円、星生温泉(星生倶楽部露天)入湯
(参加者)栗秋

4月29日(木) 新緑真っ只中、福岡市民の森・油山漫遊記
 先日の天拝山〜飯盛城跡ハイクを終えて、カミさんの発した一言、「ねぇ、お父さん、次はあの油山に登れるやろか?」を快晴の下、新緑まばゆい「みどりの日」に実行に移す日が来た。福岡市民にとって(一応、我々も福岡市民一年生である ! ) の憩いの山・油山に登ることはそれなりに意義があるし、ボク自身これを登らずして近在の山は語れないと思っていたので、その意味では念願成就の山なのだ。
 とまぁ、まったく大仰に構えることではなかった。たかだか600m足らずの山で、しかも登山口である市民の森 (駐車場) の位置から類推すれば、標高差は330mほどであろう。もちろんカミさんには、ここんとこをキッチリと言い含めての出立だったが、なるほど市街地にはめっぽう近く、それでいて鬱蒼とした森の連なりを目の当たりにすると驚嘆の念は禁じ得ない。市民に親しまれている所以であって、さすがに登山口界隈はファミリー、或いは子ども会や職場単位とおぼしきレクレーション風のグループ、そしてハイカー(登山者)など多数の老若男女で賑やかだ。(本文参照
(コースタイム)
自宅(南福岡)10:18⇒車⇒市民の森管理事務所11:10 24→吊橋11:35→県木の森経由→水場12:02 07→油山12:17 38→南東稜分岐12:54→キャンプ場経由→夫婦岩展望台13:35 45→管理事務所13:50(油山遊歩道をMTBで1時間ほどエクササイズ) 15:10⇒車⇒自宅15:50
(参加者)栗秋、悦子(妻)

5月7日 カルト山〜兜山周辺ランニング登山 
 カルト山(1033.5m)は以前に一度だけ登ったことのある山だが、山そのものの印象は薄ぼんやりとしたものであり、それよりも南面の山腹での山菜採りの印象の方が強い。
 今年のゴールデンウイークに久し振りに山菜採りで訪れ、それなりの収穫を得た。改めて地図を精査しながら、この山の北方・福万山〜兜山方面に展開する、複雑に入り組んだ林道のことが気になり始めた。もちろん、お目当ては山からの贈り物たるウド、タラノメのことが、その第一義なのだが、ランニング登山の対象としてはどうだろうか?
(本文参照)
(参加者)狭間 渉
 

58() 太宰府政庁跡〜観世音寺〜天満宮、歴史の道グルメ ? ハイクの巻
 昨年、南福岡へ転居して以来、地の利を生かして太宰府天満宮へは四季折々出かけた。その大半が奥方の趣味、骨董市探訪に同伴したためであるが、天満宮の境内はその会場として相応しく、門前町を従えた賑わいとともに、学問の神様と骨董市のコラボレーションはなかなかのものであった。おっとこれは全くの余談であって、実はこの道すがら、旧3号線から都府楼前交差点を県道筑紫野・太宰府線へ取ると、すぐ左手に太宰府政庁跡へとつづく緑の築堤が現れ、ほどなく駐車場の木立の向こうに、政庁跡の広大な芝生園地と四王寺山が望まれ、その度に遥かいにしえの「まほろばの里」に思いを馳せた。これは是非近いうちに立ち寄ってみなければならぬと思いは募った。そしてどうせなら車は止め、太宰府政庁跡〜観世音寺〜天満宮へとウォーキングで繋いで、じっくり観察眼を磨くというシナリオが、歴史の道探訪に相応しいのではないか。フフフ…、となればウォーキングは腹が減る。ゴール地点の門前町では由緒ある蕎麦処が2.3はある筈だ。ビール付きお昼なんぞの裏シナリオに当然行き着く訳で、さすればすぐ実行だい、エツコさん! (本文参照)
 (コースタイム)
自宅(南福岡)11:04→NR春日原駅11:19 22⇒電車⇒都府楼前駅11:32 11:35→太宰府政庁跡11:48 11:55→(武藤資頼・資能の墓経由)→観世音寺12:15 20→NR太宰府駅12:48(昼食)13:30→天満宮&門前町散策→NR太宰府駅14:00 05⇒電車⇒NR二日市駅14:10 12→JR二日市駅14:25 32⇒電車⇒南福岡駅14:42
(参加者)栗秋、悦子(妻)

5月22日(土) 岳麓寺〜大船山〜入山公廟、いにしえを偲ぶ山旅
 九重の山々はこれまで数え切れないほど登ってきたが、大半が牧ノ戸や吉部などを起点とするものであり、これまで残してきた足跡を改めて振り返ってみると、未踏の、しかもこれまで経験したコースよりもはるかに味わい深い登山コースを、数多く登り残していることが、最近気になり始めた(本文参照)。
(参加者)狭間 渉

6月5日(土) 初夏、慌しく !、或いは優雅に、指山〜三俣山+黒岩山〜泉水山の山旅
○パート1 午前の部
 水無月早々の5日、午前中しか時間の取れない狭間兄と、九重は指山〜三俣山をやろうということになった。長者原から仰ぎ見ると、前衛峰として見慣れている割には、すっぽりと三俣の山腹に隠れてしまって目立たない指山と、峻険な三俣北峰は、未踏のままだし、この時期ミヤマキリシマの群生地を掻き分けながらの登山に食指が動いた。(本文参照
(コースタイム)
 パート1 星生倶楽部6:59→長者原7:05→自然観察路への分岐7:17→指山への道標7:28 29→指山7:54 59→岩場8:17→三俣北峰8:33 47→三俣本峰9:00 05→すがもり越9:33 44→長者原10:25→星生倶楽部10:32  (露天風呂入浴&小宴会)
 (参加者)狭間、栗秋

○パート2 午後の部
 さて午後は一転して、たおやかな尾根を優雅に巡ろうと企てた。と言うのも同行者は、はるばる門司からの走友、妙齢?のご婦人二名なので、それに相応しい山域を選定せねばならなかったからである。で眼鏡に適ったのは、湯宿の背後に控える黒岩山〜泉水山の稜線漫歩だ。依然として三俣〜星生方面の尾根筋はガスに覆われているし、対照的に黒岩〜泉水方面は稜線すっきり、しかも上泉水山から泉水山方面はボクにとっては未知のルートで、かねてから一度は踏まねばと思っていた山域である。(本文参照
(コースタイム)
パート2 牧ノ戸峠14:40→黒岩山15:05 15→上泉水山15:52 54→下泉水山草原分岐16:25 28→(長者原経由)→星生倶楽部16:55 (宿泊大宴会)
(参加者)栗秋、他2名(内田、豊田)

7月10日(土) 盛夏、九重・名も無き林道を巡るMTB行の巻
 九重の真っ只中をマウンテンバイクで巡ろう、とホッカホカの指示書が狭間兄から早朝のメールで発せられた。
「(大分を)これから出発し、やまなみ道は崩平山北麓の熊の墓バス停に11時前に到着す。行程は熊の墓〜杉戸越〜雪深峠〜湯平扇山団地牧場〜ふきくさ・ながみず林道〜ふきくさ山&ながみず山偵察、あわよくば登頂〜九重飯田〜杉戸越〜熊の墓として林道全行程25キロくらいか。移動手段はマウンテンバイク、それにランニングシューズはお忘れなく。ヘルメットはあった方が無難。装備は個人判断自己責任。地図、ルートマップ、GPSナビ入力済み。終了予定時刻15時半、大分到着16時半、うっ強行軍だぜ、いざ!」
 と齢50半ばのおじさんの言としては何とも勇ましく、文面でも彼のやる気がひしひしと伝わってくる。でコースを概観するに九重山群の東部丘陵地帯(とは言っても1700m級山群から見てのことで、ふきくさ・ながみず山嶺は1300mを越える)を縦横に駆け巡り、いわゆる筑後川水系と大分川水系の源流部を探索しようとの意気込みが強く感じられるのだ。過去にも大分川の湯布院・庄内町方面の源流部や大野川源流部にも足を踏み入れているので、そのこだわりがこの地まで及んできたものと思われるが、ボクの興味はあくまでも未知の山野へ分け入り、自然の中、エクササイズで汗を流しリフレッシュすること。これに尽きる。その手段としてMTBを操ることが今回の特異点ではあるがね....。(本文参照
(コースタイム)
やまなみ道・熊の墓バス停11:20→(杉戸越林道)→杉戸越峠11:38 46→雪深林道への分岐11:53 55→雪深峠12:01(下りで廃路となり右往左往)12:33→音無川林道との合流点12:46 48→(音無川林道横断)→ふきくさ・ながみず林道分岐13:32 47→ふきくさ・ながみず林道最高点(1194m)14:13 21→雪深峠からの林道出合い14:36 37→湯平分岐14:47 50→由布・ゆのひら展望公園入口15:16 25→熊の墓バス停15:43  総走行キロ30.2k 星生温泉(星生倶楽部・露天風呂)入湯
(参加者)狭間、栗秋

7月18日(日) やっぱり海はエライ!第8回門司港レトロスクエア スイム&ラン顛末
 昨年のこの大会は、かもめの脱線事故や博多大水害の輸送対策や復旧手配等に追われて出場適わず、2年ぶりの出場となったが、雰囲気はまったく変わっていなかった。ローカル色豊かで手作りの色濃く、その意味でアットホームな大会である。おそらく出場者も常連ばかりで、例年と殆ど変わらないのではないか。
 しかし各々の範疇でタイムを競うレースに変わりなく、久しぶりのレースの臨場感はそれなりに自分自身を鼓舞させるに充分だ。ただスイム(の練習環境)から加速度的に遠くなっている己にとって、1kのオープンウォーターをクリアすることは高いハードルに変わりはない。
 で想定どおり波静かな船溜まりを約160名の最後部からスタートしてあっちウロウロ、こっちユラユラと波間に漂い微速前進の体、加えて跳ね橋を潜り関門海峡に出ると、途端に高い波に翻弄されて漂流人間と化したのだった(カミさんの目撃談によるとこの波で56人の鈍足スイマーが途中棄権した模様)。そんなこんなで1kを30分余りかかってやっと上陸したが、後ろを振り返ると、フフフ...まだまだ若干名だがアップアップ泳いでいたので、精神衛生上はちょっぴり好ましいではないか!と脳裏に描きつつ、潮水にたっぷり浸かったスイムシーンを反芻してみた。フーフー辛ぇや!
 さてラン10kもスイムの余韻覚めやらずか、これまた心拍数は全く上がらなかった。意図的にもがけばキロ5分を切るぐらいには持っていけそうだったが、周回違い(1周先、つまり3.3k先行中)のランナーたちからどんどんパスされると、モチベーションを保つ術もなくなってしまい、じりじりゆるゆるの体。緩めればどれだけでも緩められる己のランスピードに苦笑しっぱなし。そして給水所や水かけスタッフの皆さんに申し訳ないなぁと思いつつの、炎天下行脚の末、都合1時間2642秒、120番ぐらいでゴールと相成った。う〜ん、スイム、ランとも殆ど追い込めず、ゴール後の充実度合いはイマイチであったが、それでもこれからのいろんなレースで、自分を追い込みストイックにもがき苦しむようなレース展開ができるかとなれば否であろう。齢相応(トレーニング相応)に愉しむレースも視野に入れつつ、これからの我が趣味人生を構築したいと思っているが、おっと、「クリさん、以前からちっとも変わらんよ!」と言われそうな気がしないでもない。ならば今回も門司えすかるご主催の打ち上げバーベキュー大会に全精力を傾けるしかあるまいぞ、と我が趣味の指向性に観念しつつの今日この頃である。
(参加者)栗秋

7月17〜19日 中年こだわりおじさん、北アのトレーニングで霧島山群を彷徨するの巻
 7月の三連休が、前々から計画していた四万十川ツーリングが延期となり、ぽっかり空いてしまった。それではと、お盆に予定している北アルプス後立山〜黒部下廊下のためのトレーニング山行に切り替えるべく、北ア行の相棒・高瀬に持ちかけると、「霧島へ行きたい」と提案してきた。高瀬にとっては初めての山域だが、僕はすでにこれまで二度、この山域に足を踏み入れている。一度目は栗秋と二人、雨にたたられ結局は3日間周辺のいで湯巡りに終始した。二度目は厳冬の時期にえびの高原から高千穂峰までの主稜線を宮崎、鈴木と三人、ポピュラーな縦走をした。この時もやはり天候不順、ちょっとした吹雪の中で、霧島の全貌を垣間見ることさえできずじまいであった。どうも霧島のときはお天気運が良くない。(本文参照)

(参加者)狭間、高瀬

8月8日(日) 念願の万年山ヒルクライム敢行!
 前日から玖珠(妻の実家)泊、今年の猛暑は尋常ならざるところだが、玖珠盆地の朝の涼気はさすがに鋭く、窓を開けたままでは身震いするほど。寝具をかぶりしばしまどろむも、半時も過ぎればじっとしてもおれず、おもむろにエクササイズの支度にかかった。そぅ、目の前にはいつもの伐株山(686m)が隆として構えていたが、朝な夕な広大なテーブル台地を擁する万年山(1140m)を仰ぎ見ていると、この玖珠の盟主にもそろそろMTBを駆ってヒルクライムを敢行!すべきかと気になって久しかった。
 と言うのもこの山、玖珠側からは直下までうねうねとした林道(下バネ台地一帯は牧場となっていて、牧道と呼ぶべきか)がつづいており、ある程度鍛え上げたバイクフリークにとっては恰好のヒルクライムコースとなりうる。その意味では、にわかサイクリストの己もチャレンジする価値は大有りで、日頃のご無沙汰(バイクトレーニング)はこの際無視して、気合だけでも何とか突き進もうと考えていたのだ。いや気合一本だからこそ、先々(齢)を考慮するとあまり猶予はないと言った方が云い得ている。しかし冷徹に考えるに距離にして10km弱、標高差800m余りを一気に攻めるには、気合だけでは何の担保もなく、若干のためらいがあったのも事実だ。(本文参照)
(コースタイム)
玖珠(塚脇)6:27→下横尾集落6:31→(唐杉集落経由)→伐株林道分岐6:51→万年山林道合流点6:59→妙見堂(水場)7:24  31→吉武台牧場ゲート7:40  43→林道終点(山頂直下)7:59  8:03→(徒歩)→万年山8:11 23→(徒歩)→林道終点8:28  37→吉武台ゲート8:41→(万年山温泉経由)→塚脇8:55  MTB走行キロ18km
(参加者)栗秋

8月10〜15日 北アルプス白馬〜針の木ヘトヘト大縦走
 いつ頃だったろうか?高瀬から後立山の話が持ち上がったのは・・・。北アルプスへ出かけるのは1995年の徳本峠以来となる、今回報告の後立山縦走についての経緯には、話が持ち上がってから実行段階までの間、多少の紆余曲折もあった。そこを正確に時系列的に振り返っておかないと、この山行中の、二人の心の微妙なる部分が読みとってもらえない。(本文参照)

(参加者)狭間、高瀬

8月21日(土) 九重、山といで湯三昧で職場の夏季レク貫徹!の巻
 職場の夏季レクレーションを九重でアクティブかつワイルドにやろうということになった。もちろんこんな話は酒の席と相場は決まっているので、「くじゅうなら山に登って温泉三昧だぃ!」と同僚たちの威勢のよさは酔うほどに上がっていったのは言うまでもない。しかし己の趣味を満足させるため(さんか)に、職場のシロート集団をいきなり高みへ導き、いろんなピークを縦走させる訳にもいくまい。主眼は山登りの辛さを少しだけ滲ませることにより、その達成感をもって夏山の愉しさ、爽快さを体感せしめ、加えて九州最高所に湧く、天然野天自家掘り温泉の「硫黄の湯」と、夏しか味わえない冷鉱泉「寒の地獄」の二大稀少温泉を身をもって体験させることで、日々世俗事にどっぷりと漬かった?我が同僚諸兄へ、とびっきりの非日常を提供しようというシナリオであった。多少我が趣味のお仕着せと言えなくもないが、これは提唱者の特権でもあるのだ。(本文参照
(コースタイム)
長者原10時集合。 三俣山登山口(やまなみ道、牧の戸旧料金所先のヘアピンカーブ)10:46→すがもり越11:36 41→三俣山西峰12:00 05→三俣山本峰12:22  13:10→すがもり越13:35 50→硫黄の湯14:00 15:05→登山口15:38 帰途、寒の地獄入湯。星生倶楽部泊
(参加者)栗秋、他10名

9月22〜26日(水〜日) 「大峰・熊野」探訪の旅
 昨年11月、琵琶湖畔で盛大に行われた上野丘高校12期同窓会の翌日、山好きなグループで比良山系の武奈ヶ岳へ登った後、案内役の佐藤君から「来年は是非大峰山に来てください。」との提案がなされ、今回の旅が実現した。大分からのメンバーは、加藤英彦、立川孝夫、甲原邦子、倉吉慶子の4で、私と立川君は毎月1回の例会山行きを重ねており、甲原さんは独自に日本百名山踏破をめざして現在まで51座を終えるという山好きで、倉吉さんは「どんがめ会」という山岳会での中堅としてこれも又全国の山を歩いており、山に関しては全く心配のないいづれも上野丘高校12期の4人の構成となりました。
 そしてこの山行きにそなえて、9月4日には4人だけのトレーニングを小雨の中、奥ゼリよりの直登ルートで大船山に登り、心をひとつにする機会を終えての出発となった。(本文参照
(参加者)加藤、他

92526日(土〜日) 九重・吉部のロッジ「チョータラ」にて観月会
 かっての岳友、石村女史の肝いりで彼女の友人の吉部在住、鎌田夫妻所有のロッジ「チョータラ」に集った。九重の一角で澄みきった秋冷の空気に身を任せつつ、中秋の名月を愛でようとの企画であったが、昨年2月、厳冬の涌蓋山行の際にお誘いがあって以来、ようやく訪問が実現したのだ。おっと細々とした経緯より怪しい響きの「チョータラ」とはいったい何ぞや?こっちの疑問解明の方が先決かもしれない。
 女史からは「ネパールトレッキングの際、道中の休憩所の意味よ」とは伺っていたが、早速インターネットで調べてみると、ネパール語で「石を積んで上を平らにした休み場」とある。そして「大きな荷物を背負っている時、道から背中の荷物の方に仰向けに倒れると、荷物がちょうど休み場の上に載るような高さに造られている」との補足説明があった。
 ニッポン国の山ヤ用語では「一本立てる」に通じるところだが、ただ単に休憩する場所だけの意ではなく、狭隘なる山道?ゆえ物資の搬送は人手に依らなければならなかったこの国の事情を斟酌すると、物流や交易、或いは情報発信の場としても機能していたのではないか、と大袈裟を承知の上で考察してみたくもなる。
 その意味で、かってネパールヒマラヤに通い詰めた鎌田氏(女史から彼女の夫・義男氏ともどもヒマラヤ遠征に複数回参加したと聞き及んでいた)も、ここ吉部にロッジ「チョータラ」を設えたことで、登山者が集い交流の場として、彼の地の思い入れを具現化したかったのでは?いや今からもっともっと喧伝されるべきであろう。とまぁ、そんな勝手な思い入れで乗り込んだ訳だが、まだまだ宵の口にもかかわらず、庭先では既に観月会(バーベキューパーティ)は始まっていて、ほろ酔い加減の狭間、吉賀はもうご機嫌な様子。
 
しかし筆者は初対面の石村氏と鎌田夫妻にきっちり挨拶をしなければと、多少緊張した面持ちの筈だったが、想像したとおり正統派の山ヤらしい物腰柔らかなおじさんたち(うん、鎌田夫人もだぞぃ)であって、すぐに話の輪に入り込めたのだ。何より駆けつけ三杯のビールは美味かったし、周りの雰囲気は最高。吉賀や後刻加わった大平を含めて、まごうことなきヒマラヤニストたちの回顧談や近未来話は熱気を帯び、薀蓄を傾けるおじさんたちの瞳は少年の輝きになっていたぜ。
 であれば時の過ぎ行くのも忘れさせ、飲食が進むのも道理だ。まるで十年来の知己の如く、話は盛り上がりかつ和み、まったくこのシチュエーションは「チョータラ」化していたのだった。
 ところで観月会としての趣きは如何に、などと気遣ったのは筆者ぐらいかも知れぬ。トイレに行くたびに広い庭を彷徨い、見上げた中秋の名月はくっきりと大きく浮かび、それはそれは見事な存在感を示していて恐れ入ったのだ。一方でみんなの記憶に果たして残っていたかとなると、喧噪度合いからしてはなはだ疑問であろう。少なくともおゆぴにすとおじさんたちの思考を代弁すれば、「花より団子」のクチであったし、その意味で鎌田・石村両夫妻のもてなしには感謝するのみであった。それでも高原の一角は夜更けとともに、ロッジから漏れ伝わってくる寝息と引き換えに、静けさを取り戻していったに違いなかろう。(本文参照)トピックス参照
(参加者)狭間、吉賀、大平、栗秋、石村夫妻、鎌田夫妻

11月20〜21日(土〜日) 晩秋の九重へ 骨折おじさんの湯だまり紀行
 旧運輸部登山隊を組織して九重へ行こうということになった。ならば当時の隊長だった運輸部OBの村上さんも誘って、ちょいと山に登り、星生倶楽部に一泊して大いに旧交を温めようという算段。要はエクササイズはあくまでも軽め、山のいで湯にどっぷりと浸り、「飲めや歌えや」式の享楽的計画を練り上げて10月中に関係者へ周知せしめた。ところが例の骨折事件でボク自身、山登りどころではなくなってしまったが、折角の機会を無にする訳にはいかず、煩悶したあげく仲間の車に便乗させて貰い、せめて宿までは往復しようと目論んだのだ。
 あぁ、反芻すればこの2週間余り、松葉杖では外出もままならず、要介護のまま送迎付きで会社と自宅を往復しただけの日々だもの、鬱積した心を癒すためにも九重の湯宿でリフレッシュしたいよね!とカミさんへ促すも、やっぱり常識人(カミさんのこと)は 「お父さん!松葉杖で九重へなんて聞いたことないよ。皆に迷惑かけるから止めなさい」 と想定したとおりの仰せ。もちろん馬耳東風の体で聞き流しつつ、いそいそと同僚・東野君の車に便乗して出かける姿に「こりゃ、ダメだわ!」といまさらながら思ったに違いなかろう。(本文参照)
(参加者)栗秋、村上、鶴田、伊藤夫妻、竹下夫妻、松木、東野

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