― クリさんの山のいで湯行脚 その2 ―  
           

 
霧島山麓22ケ所の山のいで湯彷徨の記       栗秋和彦
 九州の山のいで湯のイメージは、九重周辺と霧島山麓に代表されるたおやかな高原に湧くひなびた湯・・・・これに異論を唱える者はいまい。我々山のいで湯愛好会の活動の場である母なる大地・九重周辺の魅力は尽きないが、連休を利用してたまには南のいで湯王国・霧島山も愛でなければ、九州人としては片手落ちというものだろう。また折にふれ、加藤、高瀬の両名は韓国岳から高千穂の峰の縦走を強く主張してきたが、周辺のいで湯を含めて働きかけてきたのだ。もちろんボクにとっても望むところであり、その気になって準備を進めてきた。ところが、いざ蓋を開けてみると、発起人の二人は急な所用で脱落し、誘われ組の挾間と二人だけ。しかも天候不順で山は登れず、(登る気にならず)いで湯のみのツアーに変身。こうなれば徹底的に入りまくろうと使命感にも似た緊張が胸をよぎる。まさしくスポーツ・オユピニズムを求めての旅となったのだ。

 4月27日夕刻、国道10号をただひたすら南下。宮崎から高速道経由で28日未明にえびの高原着。市営のえびの高原温泉・露天風呂前のパーキングにて夜明けを待つが、ここには山小屋もあり、隣が露天風呂というシチュエーションでは、既に二人とも曾遊の湯であっても、垂涎の念を抱かざるをえない。入口には立派な門があり、しっかりと鍵がかかっているものの、ともかく鉄条網を乗り越えて、第一点目の入湯(盗)となる。露天から溢れ出た湯が沢に流れ込む以外は、全くの静寂境。大きく湯量たっぷりの緑ばん泉に浸り、満天の星空を眺めつつ、これからの未知の山といで湯に思いをよせる。

             

 しかししかし、何だ何だ!期待に反して白みはじめる頃より小雨が降り出し、濃いガスとあいまって視界もままならず、縦走は明日に延期して、いで湯のみに切替えよう。そうと決まれば、霧島高原に点在するひなびたいで湯を徹底的に稼ごう。先ずは霧島スカイラインを南下し、料金所を出てすぐ5万分の1の地図には明ばん温泉栄之尾温泉とつづくが、ボーリング跡らしきものはあるものの、宿も湯小屋もない。と、まもなく林田温泉である。霧島のいで湯の中にあって近代的なビルが建ち並ぶ温泉地に変貌してしまった代表例であるが、とにかく未知の湯である、入らねばなるまい。共同湯らしきものを探すが分からず、ヘルスセンター風の「サンスカイ浴場」が目にとまりここに決める。大きな体育館ほどもある大浴場で、うたせ、蒸し湯、貝風呂、ジャングル風呂、などなど。泉質は含芒硝硫化水素泉が適温である。一日のんびり浸るには格好の湯であろうが、我々は先を急がなければならない。

 次は湯ノ谷温泉へ。国道223号から山手へ細い径を500mほど入ったところ。原生林の中の一軒宿が湯ノ谷温泉山荘である。硫黄の臭いが鼻につく。母屋が旅館部、すぐ裏手の別棟が風呂場。湯治部(自炊)は更に奥まった裏手にあり、ひなびた山の宿といったところでなかなかの風情である。風呂は簡素なセメント張りの床に檜作りの浴槽が二つ。硫黄の臭いがまた湯治場の雰囲気を盛り上げ思わず笑みがこぼれる。大きい方の浴槽は単純硫化水素泉45度がなみなみと。小さい方は石膏土類純硫化水素泉が一肌ぐらいの温めに設定しており、交互に入るのが効能大とは地元のおじさんの説だが、力説する表情はまっこと真剣であった。

 さて身体中、硫黄の臭いをプンプンさせながら次なるは関平(せっぴら)の湯を目指す。霧島山の麓を西へまわりこむこと車で30分の距離。南へ開けた高原に駐車場があり、ここから石坂川の谷へ向かって400mほど下ると鬱蒼とした森に覆われた渓谷美の谷間が現れる。ここが町営の関平の湯である。自炊宿のみで、ちょっとこぎれいな奥方が湯銭の番である。町(牧園町)外者は一人90円、町民は50円なれど、喋ればすぐ町外者と分かってしまうので、挾間のそそのかしには乗らないことにしよう。風呂は別棟の小さな湯小屋。先客が2名あり、よく見ると一人の方は熱い単純泉を己の局所へさかんにかけている。「ここを犬に噛まれてなぁ」と中年のおっさんの表情は真剣。気の毒だが、ユーモラスな話ではないか。都城からの湯浴み客で、充分に浸った後は、湯を飲用に持ち帰って毎日飲めば短期間に癒えるという。信ずる者こそ救われるのだ。谷の奥底にこんこんと湧く鉱泉。自炊宿しか持たぬところが、先ずはイメージどおりのひなびた山のいで湯であった。

 さぁ、先を急ごう。手洗温泉が待っているのだ。石坂川の上流へ道路に沿って上っていくと地図上2kmの距離、付近一帯は「高千穂自然郷」という別荘地帯で、その一角に居を構える土産物品店で聞くと、「この辺が手洗集落でごわす。近くの農家に昔はあったけど、今はないよ。昔の家屋はみんな取り壊したからね」とそっけない。とにかく跡でもいいからこの目で確認しようと、地図を頼りに石坂川の源流へ。ちょっと行くと、よく手入れされた広大な庭園を持つ研修所らしきところに出くわす。そしてこの裏手の山あいの谷から、ところどころ湯煙が立ち昇っているではないか。回り込んで、赤茶けた谷川の水に手をつけてみる。ヤツタ!温かい。40度ぐらいはあろうか。透明な湯だが、赤茶けたところから判断すると幾分かの鉄分を含んでいることらなろう。早速、湯だまりを探して飛び込む。ちょっと浅いが、汗ばむ陽気に適温の湯浴み。九重の「すがもりの湯」VS「霧島の手洗の湯」の対比を描いてみた。いずれも甲乙つけがたい天然野天、おゆぴにずむ究極の湯でもあるのだ。

           

 思わぬ収穫に、自然に頬が緩む。5万分の1の地図には近くに「鉾投温泉」を示しているが、付近の人は「今はもうないよ」と言ったり「知らないねぇ」であったりと、残念だか、ここはパス。同じく地図上に記されている金湯温泉を探そう。山のいで湯探索の旅はまだまだ続くのだ。
 で、栗野岳温泉方面への町道のところどころに野々湯温泉の看板あり。後で分かったことだが、金湯温泉は個人の家(野々湯温泉のオーナー)の温泉であり、野々湯の近くに金湯と呼ばれる地名があったのだそうな。泉質は同じく単純泉とのこと。従ってこの野々湯を稼ぎ、金湯は割愛することとした。広い敷地の一角に「野々湯温泉岩風呂大浴場」と書かれた白壁の倉みたいな建物が湯小屋である。源泉は66.5度でこれは熱い!かなり水を加えてやっとの思いで入る。

                    
 
 客は我々二人のみ。まだ建設途上で裏手の窪地に露天風呂をしつらえているが、まだ細部にいたっては工事中の様子と見た。この湯のオーナーの青写真が完成するにはもう少し時間がかかりそうである。さて5万分の1の地図に視点を戻そう。栗野岳温泉への途中、「大霧」という集落に温泉マーク有り。どんな湯だろうか、ここに至っては確認せずにはいられない。「大霧」とはよく言ったもので、ここから望む霧島連山は真近だが、山頂付近はすっぽりと霧で覆われて全貌は明らかにしてくれない。農作業中の老夫婦に尋ねると銀湯とのこと。喜びいさんで駆けつけるも、草原の中、今は地熱開発のボーリング現場となっていて飯場風の建物が二棟あるのみ風呂はない。昔はひなびた集落のいで湯があったそうな.....。これは次の栗野岳温泉で聞いた話である。

 さてその栗野岳温泉であるが、ここには大いに期待して、また裏切られることもなかったすばらしい山のいで湯であった。先逹の美坂氏の言葉を借りれば、「世界に誇る栗野岳温泉」なのである。もっとも氏はこの地の生まれ、地元びいきの意はいくぶん割り引くこともあろうが、それでも栗野岳温泉の実力を下げることはない。憧れの地のでもあり、計画ではここの自炊宿で宿泊することにしていたが、時間も早いし客人は圧倒的にご老人ばかりということもあり(と言っても決していで湯の価値が下がる訳ではないよ、挾間兄!)、明日早朝発の縦走を想定して、えびの高原まで戻ることにした。まぁしかし、とにかく、世界に誇る湯に浸らねばならぬ。で広大な敷地を有するこの温泉の宿はと言えば、南洲館という時代がかった三階建の建物であるが、湯はすべて外の独立した湯小屋からなっている。竹之湯、桜湯、玉之湯(蒸し湯)とそれぞれに泉質を異にし、期待に胸弾む。

 先ずは竹之湯へ。お寺の堂のような湯小屋がそれ。石畳の洗い場と酸性明ばん緑ばん泉の強烈な熱さが印象的である。とても浸ることは出来ずボクは仕方なく、しぼりかけ湯浴みでこの湯をクリアするのが精一杯、早々と退散し玉之湯へ移動する。この湯は男尊女卑の薩摩の国では珍しく混浴なのだ。脱衣所は別だが、中は一緒の作り。手前に正方形の小さな木造りの浴槽。蒸した身体を静めるためか、体温ぐらいの硫化水素泉が底から湧いては、木枠のへりから静かに流れ去る。そしてこの奥にかなりの広さの蒸し風呂がサッシの戸を介して密室化されている。開けるとムンムンの熱気。あろうことか男は挾間とボクの二人だけ、他はみんなおしゃべりすきなオバさまたちである。「どこから来たの?」「お兄さんたち学生さん?(まさか....)」「そこは狭いでしょう。もっと奥へいらっしゃいよ」などなどの質問とも誘惑とも取れる言葉に挾間はうれしそうに応答する。一方、ボクはオバさんたちのバイタリティと熱気にあてられて、またまた早々と退散と相成る。がしかし、この趣は好きだ。次の機会があれば、栗野岳登山と併せてじつくりと味わいたいものである。

 さて再び車上の人となり、えびの高原へ。露天風呂横の山小屋泊。本日7ケ所、9回の入湯はいささか湯疲れを誘うのであります。

           

 翌29日、快晴を信じていたにもかかわらず、またもや雨。えびの高原一帯はかなりの荒れ模様。濡れねずみの登山は論外である。ウ〜ン、よし・今日は趣を変えて肥薩線沿線の湯巡りに決めた。風雨のえびの高原を後に再び下界へ下る。本日1ケ所目は、えびの市真崎にある吉田温泉ヘ。そぼ降る小雨の田園地帯を抜けると、こじんまりとした集落に。ここに共同湯の亀の湯があるのだ。まだ午前中なのに近在の民であろうか、車で駆けつけては入湯する。思ったより利用者が多い。含食塩芒硝重曹泉44度、湯量豊富、田舎ののどかな湯であった。

 さて次はえびの市の中心部、京町駅前一帯に湧く京町温泉へ歩を進める。川内川べりの吉田温泉からきた道が橋となるところに京町温泉、月見荘のジャングル風呂があり、道路まで湯煙が立ち昇っている。これだ!と門戸をたたくも、本日は結婚式のため貸し切りだそうな。「まことにスンマッセン」とは女将の弁。代わりに近くの共同湯を教えてもらう。親切な女将さんで前の道路まで出て、道程の御教示となったのだ。さてその共同湯は川に沿って200mぐらい下流の方向、裏通りの一角に消えかかった看板「ひさご温泉共同湯」とある。こじんまりとしたコンクリート造りの建物は歴史を感じさせる。ヒョウタン型の浴槽に源泉65度の単純泉が流れ込む。我々二人のみだったので、気を使いつつも、大量に水を加えて入湯となった。“おゆぴにずむ”への道はマナーあってのこと、そして険しくも楽しい。

 で今日もだんだんと湯慣れしてきたぞ。湯巡りレースの序盤は順調かつ緊張も保ちえる時間なのである。折しも今日は、えびの市々民マラソンレースがあり、スタート地点がこのあたりなのだろう。多くの市民ランナーがウォーミングアップか、はたまた緊張をほぐすためか、共同湯の前を行き交っている様を見ると、何となくこっちも湯巡りレースの緊張感を感じるのだ。

 さて、えびの市京町は県境の町。すぐ隣の鶴丸温泉は鹿児島県吉松町にあり車で10分の距離。吉都線鶴丸駅前に湧く温泉で、ヘルスセンター風の宿は改築して間がないみたいだが、ここも近在の民でごったがえしていた。65度の純重曹泉、コーラ色のぬるぬるした湯で痔に効くとのこと。あまり長湯はできなかったが、挾間の表情が急に明るくなったことは書かないでおこう?

 再びR268に乗り、山野線沿いの湯之尾温泉へ行こう。連休だというのに車は少なく、幅員はゆったり。湯之尾駅前を通り500mほど大口市寄りに行ったところ、商店街の真ん中に菱刈町営湯之尾温泉浴場がある。含重曹食塩泉、73℃と熱く無色の温泉。男湯だけでも浴室が二つ、先ずは狭い方へ入る。浴槽の上部の壁から鉄管が突き出ており、うたせ状に流れ込む。町の公民館をイメージさせる大きな建物で入口や脱衣所には、町主催の行事や伝言板、町政ニュース等、井戸端会議に最適な町民の憩いの湯といった趣なのだ。加えて湯銭は一人50円也。これもまたうれしい。(後日記:ちょっと気になるのは、今秋あたりから湯量がガタ減り、地盤沈下も一部で起きていると新聞報道されていること。現在では九州唯一の菱刈金山の鉱石の掘り過ぎだとか、憶測がいろいろ飛び交っていると言う。あのドゥドゥと湯量豊富で近在の民の社交場だった共同湯を思い出すたび心配してしまうのである。)

 話を元に戻そう。次は湯之尾から山道を南へ4qほどだらだら坂を上ったところの永池温泉へ。ここは美坂氏の『続・山のいで湯行脚』で知ったところ。菱刈町と栗野町の町境に近い菱刈町側のなだらかな丘陵地帯の一角にある。本日は誰も訪れていないのか、浴槽に湯を張っていない。準備に時間を要するので車中で昼食とした。メニューは湯之尾で買った食パンと牛乳、それに鍋のまま持参した昨夜のカレー。マイルドでコクのあるカレーパンに、香り高い霧島高原牛乳でノドをうるおす。二人で375円也のチープシックランチの美味しさよ!。

 さて温泉はと言えば、こじんまりとしたきれいなタイル貼りの浴槽に透明なラジウム鉱泉を加熱する。さらさらとしてとても清潔そうな湯である。本日6ケ所目は岩戸温泉へ
   

 永池温泉から北西へ丘陵地帯を6qほどの菱刈町岩坪集落の外れ、閑静な地。こんなひなびた湯はトーゼン、美坂氏著の『山の云々〜』で知りえたところである。母屋、休憩棟、売店、浴場とそれぞれが独立しており、浴場の裏には古タイヤがうず高く積まれている。ラドンを大量に含む放射能泉を加熱する燃料なのだ。タイヤの焼ける臭いが少々鼻につくが、他は申し分なし。きれいな浴室、きれいな湯、きれいなモデル(既に6ケ所も入っているから当然か?)

 さて午後2時をまわったところで山野沿線の湯巡りも折り返し点にしよう。えびの高原へ帰る道すがら、京町からの県道を東進していると、『加久藤温泉』と書かれた大きな看板が目に入る。迷わず標識に従うこととして南下することおよそ3q、千代反田という集落にあった。赤い屋根に養魚場を持ち、田園地帯の中では特異な存在であろう。浴場への入口が分からず、取り敢えず正面玄関から入る。宴会場の廊下を通り抜けると、番台を通らずに直接浴室へ出る。「しめた」と思うも表情には出さず。が、一人厄介者の子わっぱがいたのだ。服を脱ぎながら我々を見て「どこから入ってきた?」としきりに宣う。「可愛くないぞ、悪ガキめ!」と心の中で思うのみ。湯量豊富な適温の単純泉も横にこの子供がいては、いと不愉快なり。そそくさと上がる。もちろん湯上がりも宴会場の廊下を引き返し玄関から堂々と出たことは言うまでもない。「入湯(盗)はスリリングなオトナのスポーツ」と毒づいたのは確か平松御湯彦氏だっけ。確かにスリリングな動作を要求されるが、湯を楽しむ度合いとは反比例であろう。「スポーツ」を「ゲーム」に置き換えた方が妥当であると、真面目に思いながら加久藤温泉を後にした。

 さぁて次の白鳥温泉は二度目の湯。えびの高原の北端に位置する白鳥山の北麓に湧く山のいで湯。うたせあり、蒸し湯ありの湯治場的要素の強い私の好きな湯の一つである。昨日の栗野岳温泉につづき、ここでも挾間は大はしゃぎ。蒸し湯からなかなか出てこない。「蒸し湯はオレの身体に合っているのだ」と聞きもしないのに力説するところが怪しい。よく見るとまだ若いご婦人が二人入っているではないか。さもありなん。

 さぁ、そろそろ今宵のねぐらを探さなくては。えびの高原を駆け上り、新湯温泉を訪れてみようと門をたたく。ここは国民宿舎『新燃荘』がすべてである。新燃岳1421mの中腹920mにある山峡のひなびた湯治場で、環境といい、しもた屋風の宿に手ぬぐい(決してタオルではない)が下がり、硫黄の臭いがあたりを漂い、グレードの高さを証明しているのだ。幸い自炊部なら一部屋空いているというので迷わず決める。旅装を解くにはちょっと早いので、夕暮れまでに湯之野温泉を稼ごう。新湯から高千穂河原の方へ2qほどの行程である。モミ、アカマツなどの森に囲まれた国民宿舎『みやま荘』がそれだ。こちらは鉄筋二階建ての瀟洒な建物。若い男女のグループ客が多数で華やいだ雰囲気に心は揺れる(?)。ちょうど宿の夕食どきで食堂から賑やかな話し声や笑い声がしきり。おかげで風呂は外来者の我々のみである。

 窓外の淡い暮色と強烈な硫化水素泉をじっくりと味わう。また一段と肌が白くなり、挾間は一段と頬がこけてきた。段々と効き目が出てきている証拠であろうぞ。で、何だかんだ言ってもお腹はペコペコである。早々と新湯へ引き返す。食材は下界で調達済みだから、慌てずかつ手際よくディナーパーティの始まりである。食卓に並んだ豪華絢爛たる料理の内容は、霧島牛の焼肉、豆腐ステーキにグリーンアスパラ、やまびこ本しめじと宿の周りで挾間が採ったウドの炒めもの、レタス、なめこ汁それに再びのカレーライス。一方、飲物は生ビール3リットル、ウイスキー0.3リットルに加えて艶話30リットル分ぐらい。満腹の後は本日10ケ所目の湯へ。もちろん当新湯温泉である。湯小屋は二か所あり、どちらも浸って感触を楽しむ。一日10ケ所の入湯はこれが初めての経験で、もちろん我が“山のいで湯愛好会”としても新記録であろう。
          
           

 が、山岳美が謳い文句の霧島まで来て、頂に一つも登らなかったのではなんとも情けない。明日は絶対晴れてくれ!そして高千穂の峰へ我々を誘ってくれ.....と祈るも、翌30日も小雨と濃いガスの朝を迎える。取り敢えず、やることと言えば朝風呂である。先ずは混浴の湯小屋へ直行して湯治中のオジさん一人、オバさん二人と湯の効能やら世間話に話が弾んだ。一方、明るい中で見た湯小屋の客観的シチュエーションは、湯船の壁寄りから高温の硫化水素泉が湧い出て、ガスも噴出しているのであまり壁よりには近づけない。それでも好奇心の方が優り、壁寄りに近づくと底は泥状で高温の底無し沼の如く不気味でもある。また湯小屋を閉め切るとガスの逃げ場がなくなり、ガス中毒の危険性有り、と警告の張り紙もあながち誇張ではなさそうである(注1)。当然、雪のちらつく真冬でも窓は開けて、風通しをよくしておかなければならない。一方でこの湯の“物騒さ”は逆に皮膚病に大きな効果があるのよ、と胸を気にしながら鹿児島弁でオバさんは宣うのである。なるほど信憑性はありそうである。で、しばらくして挾間が入ってくると、そそくさとオバさんたちは上がってしまった。ここは深く考えないで高千穂の峰の登山口、高千穂河原へ出立せねばなるまい。で、ものの20分ほどで着いた高千穂河原もやっぱり小雨と濃いガスにおおわれて登高意欲が湧かない。この時点で今回の湯旅から完全にマウントニアリングは削除されてしまったのだ。(こんなのアリ〜...?)

 そうと決まれば、帰途のルートに点在する温泉を稼ぐことに専念せねばならぬ。先ずは霧島神宮温泉へ。ここは湯之野温泉からの引湯であり、グレードの低下は否めない。民宿『きりしま清水荘』の湯に浸る。まわりは鮮やかなツツジの植え込みが多く、こちらの方が印象的。次ぎは血捨ノ木温泉。霧島神宮から宮崎県高原町へ通じるR223を約30分で祓川集落、ここから右折して5分の距離にある。挾間の情報では閉鎖されているとのことであったが、この目で確かめたくての寄り道をした次第。そしてやっぱり赤茶けた空っぽの浴室と窓ガラスは割れカーテンがかかったままの休憩棟がうら淋しい。早々と極楽温泉を目指す。血捨ノ木から東へ1qの新興の温泉である。挾間は前回、ここを飛ばしているので今回は是が非でも入湯との心意気である。広い駐車場の奥まったところに旅館と別棟の湯屋があり、含炭酸鉄泉20℃を沸かす。タオルは湯につけるとすぐ茶褐色に変わるので備え付けを使用することとしたが、ガランとした浴室に客は我々二人のみはちょっと淋しい。

 一方、ここと対象的なのが、更に北東へ1.5qの湯之元温泉。湯治客が多く賑わっており、歴史を感じさせるたたずまいである。事務所は酒屋も兼ねているので入りやすい(?)し、自炊棟やら旅館部等が広い敷地に点在し客の往来が絶えない。湯は強炭酸鉄泉22℃を沸かす。極楽温泉と同様浴槽も洗い場も鉄分で見事なまでの真茶色。飲用が胃腸病に特によく効くとは湯治中のオジさんの弁。周囲はのどかな田園地帯で、農閑期には田舎のオジィ、オババさまたちが長逗留しそうな雰囲気で、湯治場の原点はここにありなのだ。さて豊後国への帰途にはだんだんといで湯も少なくなり、残るは蓮太郎温泉と阿母ケ平温泉の二か所のみとなってきた。帰路を急ぐ気持ちと、せっかく霧島くんだりまで来たのだから、もっとゆっくりしたい気分と半ば交錯した複雑な心境を吐露してしまおう。で蓮太郎温泉へは祓川集落へ一旦戻り、再びR233を北上。高原町からはR221となり、しばらくして右折すること2qである。丘陵の間にカラフルな建物が並び、入口には「歓迎、蓮太郎温泉」のアーチまである。昔は湯治専門の宿であったと聞くが、現在はちょっとした遊戯施設やレストラン、広い庭園を備えた田舎のリゾート地といったところか。含炭酸食塩泉35℃を加熱した岩風呂は広くてなかなか立派。西側に開けた大窓からは高千穂の峰が眼前に広がる筈であるが、天気のいい時の話である。
  
                    

 さていよいよ今回の旅の入湯最終箇所の阿母ケ平温泉は蓮太郎から北東へ2q程の位置。阿母ケ平渓谷の真っ只中にあるのだ。炭酸泉(ラムネそっくりの味がする)を加熱するこぎれいな湯屋を中心に雑貨屋、自炊宿、食堂等が囲む。近郷の年配客が多く、賑わう様は典型的な湯治の湯であり、老人文化醸成の湯である。そして何故か、こういういで湯に郷愁を覚えるのだ。最近は若者系の雑誌まで温泉を取り上げることが多く、その影響か若い世代が温泉に対して興味を示すことが粋である、と言う風潮を作り出しているのではないか。温泉は基本的には一人遊びの世界だから、一種のミーイズムであり、これが興味を示す理由の一つになり得るのだろう。しかしいで湯の世界まで若者文化が蔓延(?)してくると、逆に老人文化に憧れると言う循環が成り立つのではないか。スポーツオユピニズムとは異なった世界なのだろうか。しかし霧島周辺のいで湯は何となくこの雰囲気を持つ。いや、スポーツオユピニズムと相通じることなのか、などなどと。少なくともこのいで湯の旅は我々にとって、いで『愉』であり、或いはいで『遊』、かついで『誘』であったのだ。こうして3日間、22ケ所のいで湯行脚は幕を閉じたのである。「たかがいで湯、されど山のいで湯なり」(昭和59年4月27〜30日)

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