崩平山頂から九重連峰を望む

九重厳冬、そのアプローチと雪見酒、或いは崩平山雪中行軍を語るの巻  栗秋和彦

故あって異業種交流の仲間たちを九重の湯宿へ誘うべく、声をかけた。厳冬・1月下旬の週末なら宿から仰ぎ見る九重の山々は白銀の飾りで我々を迎えてくれるだろうし、非日常性を提供することでエスコート役としての己の株も上がろう?というもの。ところが21日頃からの近年まれにみる大寒波は山間部のみならず、九州全域に雪を降らせ、各地から「何十年ぶりの大雪!」の報が届いた。

 当然、交通網は大混乱に陥ったが、生業とするレールを止める訳にはいかない。「雪こそレール」をアピールすべく、全社をあげて不眠不休で運転確保に取組んだのは言わずもがな。個人的にもとても週末の湯浴み宴会どころではなく、延期指令を出さなければと思っていた矢先、宿の支配人S氏からの突然の電話。

 「栗ちゃん、大雪でここには当分来れんぞ!車は入って来れんし、ワシらも幽閉されてるみたいなもんだよ」と、SOSにも似た宿泊不可宣言を聞くに至ったのだ。「う〜んこりゃ、どっちみちだめだわぃ」と即断念した訳で、電話の向こうの大雪を想像するに、なるべく早いうちに仕切り直しをして、せめて豪雪の名残りが味わえるシチュエーションは確保せねばと画策したのが、今回の山行となった次第。

 但し、メンバーはガラっと変わり、いつもの挾間兄に、何故か工藤弘太郎大分CTC会長&ポンポコ矢野君の取り合わせ。月末マレーシアで開催予定のアイアンマン(フルトライアスロン)に向けて準備に余念のない我らがコータロウさん、かねてより‘おゆぴにすと’達と山を共有したいとの氏の願いに応え、九重の湯宿にご招待した訳だが、保護者役の矢野君も呼んでおかねば大変だなと察したあたりは「挾間さん正解でしたね!」と率直に申し上げたい。その心は今から分かる?

 さて取り敢えず名目は「山のいで湯愛好会」のホームページ2万回アクセス達成(既に1/20に到達済み)記念と銘打って、雪中湯煙大宴会を打ち上げたが、な〜に、雪の露天に浸った後はぬくぬくと窓越しに凍てついた山野を眺めながら、雪見酒を企てて、ささやかに非日常を楽しんだだけである。

 とそれはともかく特筆すべきアプローチから話は始まる。寒波は1月末ほどではなかったが、それでも低温注意報の日々。やまなみ道は水分峠からは全くの雪道と化して、同乗した矢野君の出番となった。講釈ばかりの挾間・栗秋ではチェーンの装着はおぼつかず、助っ人として呼んだ(これが真の理由?)訳だが、さすがに元自動車屋だもの、従順にテキパキと職務をこなし大正解!これだけで連れてきたかいがあったというもの。

 一方おおごとはこれからであった。この寒波厳しき日にコータロウ御大は何と日田からロードレーサーで九重まで来たのだから。国道210号を豊後中村までは「雪もなかったぞ!」との弁に頷ける。ここから九酔渓へと取り、猪牟田の発電所を過ぎたあたりまでは何とか自転車に乗れたらしい。しかしそれからは一面白一色の世界。九酔渓〜飯田高原局〜エルランチョグランデまで距離にして15k、標高差600mを自転車を押して上ってきて、我々の車を待ったのだ。

ようやく日没寸前に合流しても「やぁ、ご苦労さん!」と屈託のない表情からして尋常ではなかったが、薄手のサイクルグローブにアノラック、足元は運動靴の出で立ち。「途中からは自転車のブレーキシューが凍り付いて車輪が回らないので、橇(そり)代わりに引きずってきたぜ!」と申す。まったく ! 還暦をとっくに過ぎたおじさんのやることではないのです、常識的には。

               


 それでも凍てつく寒さも雪の露天で温まり、しんしんと冷えた九重の夜は我が宴会部屋だけは放歌喧騒、飲めや唄え?、毒舌・饒舌の世界だったが、これを下支えしたのは挾間兄が厳選吟味した、海の幸、山の幸を惜しげもなく使ったスペシャル寄せ鍋と、支配人差し入れの吟醸酒・越後桜のまろやかな酔いに因ろう。

      
             星生温泉で人心地つく

                
                    宿の支配人も加わって宴も佳境(額の紙は何のおまじない?)

 もっとも怪人・コータローおじさんの怪気炎に圧されてか、我がホームページ2万回アクセスの話題はこれっぽっちも出なかったし、いつものように宴席の終盤には関わりを持たないワタル兄は、怪人&ポンポココンビの真の実力(酒の強さ、放蕩さ、卑猥さなどなど)を知る由もなかろう。0時頃おやすみなさい。

 さて翌8日は屋内風呂で温まり、焼きそばと豊後牛のしゃぶしゃぶをメインとした豪華朝食小宴会をこなしていつものまどろみ。とここまでは定石どおりだが、今回は賓客?二名を手頃な雪山へ案内する約束をしていたので、その選考に取り掛からなければならなかった。

    
         朝の九重・三俣山麓〜硫黄山〜星生山


                        
                                崩平山遠望(星生温泉より)

 う〜ん、宿の真正面は視界一杯に三俣山〜星生山を仰ぎ見れるが、雪深き寒々とした稜線をおもんばかるに、我々の意思は希薄にして安直ゆえパス。して北方を見遣ると、雪原と化した飯田高原は陽光に煌めき、穏やかささえ漂うではないか。そしてその背後にはまんじゅうにも似た、崩平(くえんひら)山がたおやかに控えていて、我が安直さに合致するし、九重の展望台と称される山だから、頂からのチョーボウを披露すれば小難しい賓客の賞賛も得やすかろう、との思惑もあって即決だ。

 で陽も高くなってゆるゆると出立。しかしやまなみ道はいまだ完全雪道を呈しており、登山口の朝日台まではこれまたゆるゆるこわごわと移動したが、「雪道をロードレーサーで走るより数百倍安全だよな!」と真顔で宣う挾間兄の表情がうれしかったね。これは比較するのに無理があって、例えて言えば「栗秋とコータロウ御大を比較するようなものだね」と目配せでポンポコ氏に相槌を求めるといった按配。つまり理に適わない議論だが、朝日台レストハウスまでの車中、時間つぶしには恰好だ。

 さていよいよ。駐車場に車をデポして山靴に履き替えたり、ロングスパッツを付けたりと各人準備に勤しむ訳だが、工藤さんは何にもせず悠然と構えていらっしゃる。

 そこでハタと気づいたのが彼の足ごしらえであった。昨日も運動靴で自転車を漕ぎ、九重まで上がってきたのは周知の事実だが、同じ出で立ちで山も登ろうとしているのだ。

 まぁ雪山に運動靴を不思議がる風もなく、他に用意は何もしていないので術はない。そこが彼の真骨頂だと言ってしまえばそれまでだけど、それにしても非常識さを通り越している。

 よっぽど留守番役を申し渡そうかと思い悩みもしたが、彼のこととてすんなりと受け入れて貰える筈もなかろう。「仕方ない、連れて行くか」とこれまた無言の目配せが三人を飛び交った。

夏ならファミリー登山に最適な手軽な山だし、今日の雪は乾いているので、さして濡れることもあるまい。具合が悪くなれば途中から一人引き返して貰えばいい、と引き続き安直判断を下したが、「足元まで神経が行き亘っていないよ!」との矢野君のささやきが後押ししたのも事実だ。なるほど例えて言えば工藤さんにとっては常に局部麻酔にかかっているようなものか、と妙に納得した次第。但し、その能力?を本当に備えているとすれば、まっことキョーイなのだが....。

             
                        いざ、出発

閑話休題、彼には最後部から我々の踏跡を忠実になぞってもらうことで隊列を組み、先ずは裏手の林道に踏み入れて、しばらくは見晴らしのいい台地を東進した。もちろんトレールはなく、深みにはまると膝ぐらいまで踏み込むので意外にスピードは上がらない。やがて林道は左折して樹林帯に入るとじわじわと緩い登りにかかる。時々、木々から滑り落ちる雪塊の反響音が森の静寂を破るぐらいで、いたって静かな山歩きが楽しめたのだ。


    

 しかし雪中行軍も30分余りで小さな道標に導かれて右に上がると急に雪深くなり、登山道の趣だ。雪も多いところで太腿の付近までに達して、雪山の雰囲気を全身で味わえる。言い換えれば久しぶりに童心に帰ってぞっこん雪遊びに嵌まりこんだ、と言えるが、それも登山靴にロングスパッツの出で立ちがあってこその感想であろう。

    


                         

 しかしコータロー御大の表情も瞳は輝き、好奇心旺盛な様子。やっぱり怪人・コータローを印象づけるに充分な道中であったが、登路は杉、松の植生からコナラ、ツガへと変わり、次第に高度を上げ尾根道に出ると、涌蓋山や万年山などの西側の視界が開けて、思わず歓声が上がった。ただ、はるか昔(※1)早足ではあったが高瀬と梅雨空の合間に登った記憶では、朝日台の駐車場から頂まで4,50分で到達した筈。
 
   
         頂上直下から九重・湧蓋山遠望                  頂上は近い

 その記憶を拠りどころにしていたので、尾根道に出たらすぐ山頂に辿り着くものと思いきや、なかなか達せず、一人ヤキモキしては苦笑する。天気はいいし、新雪をトレース(ラッセルと書けば誇大表現になる?)する手間はかかるものの、時間はたっぷり。何をせせこまと騒ぎ立てる必要があろうかである、うんうん。

       
                       崩平山(1288m)山頂にて

で都合1時間20分を要して電波塔が立ち並ぶ頂に辿り着いたが、千町無田や飯田高原を見はるかし、その奥に隆々たる背骨のように連なるくじゅう連山の眺望を欲しいままに。北に転じれば白一色の福万、由布・鶴見連山が鮮明に浮かんでいる。フムフムとしたり顔で頬は弛み久しぶりに気分爽快、案内役のボク自身も大いにストレス解消になったひとときであった。

 で気になるのはやっぱり工藤さん。すっかり目を細め雄大なる眺望を見入っていたが、足元を気にするそぶりは全くなく、雪が張り付いた運動靴で堂々と広い山頂を闊歩していた。う〜ん、ホントに神経が行き届いていなかったのだ、繰り返すけど...。

さて下山は走ったり、滑ったり、もぐったりしながら40分で朝日台へ。おじさん4人はここ九重で、束の間ではあるが少年にタイムスリップしたのだ。おっと確実に一人は束の間ではなく、ずっと少年のままだよ、と保護者役のポンポコ氏なら異論を挟みそうだが、そぅ、工藤さんの立ち居振る舞いや言動は無形文化財の域であって、子供のまんま大きくなってしまった、まさに夢おじさんであろう。いい意味で刺激になったし、遠い将来リタイアした後の「如何に人生を有意にまっとうできるか?」との命題に半分ぐらいは、(反面教師として?まさか)参考になろうと思っている。その意味でいつもなら異彩を放つ挾間兄の言動・行動もすっかり影が薄くなり、あまり紹介する機会がなかった。残念と云えばまっこと残念である。

      
            締めくくりは下湯平温泉・幸せの湯
 

(※1)過去の記録を拾って見たら、最初は17年前(S62年6月28日)、梅雨の中休みを利用して高瀬と二人で登っていた。「朝日台レストハウスを11時35分出発。林道を早足、20分程で登山口(黄色の『水源かん養林』の看板が目印)。ここからはかん木の中の急坂を登りつめ、草原状の台地にでるとほどなく山頂。12時19分着、朝日台から約45分の道のり。山頂には5〜6人の中高年グループが賑やかに昼食をとっていたが、九重の名峰群からはなれて、静かなこの頂に先客があろうとはちょっと意外。下山はランニングで25分かかり朝日台へ。途中の道端に木イチゴの大群落があり、時期的に遅いのか熟れすぎてはいるものの、甘酸っぱい香りがいっぱい〜後略〜」 とある。

(コースタイム)

2/7 大分・松ケ丘16:00⇒車(やまなみ道経由 エル・ランチョ・グランデで工藤を拾う)⇒九重・星生倶楽部18:00(泊)

2/8 星生倶楽部10:20⇒車⇒朝日台駐車場・崩平山登山口10:30 44→登山道分岐11:15→崩平山12:03 20→林道出合い12:40→朝日台駐車場13:00 10⇒車⇒下湯平温泉・しあわせの湯13:50(小宴会)15:00⇒車⇒大分15:35                                                                       (平成16年2月7〜8日)
Photo by Hasama 

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