鹿島槍ヶ岳北峰からの遠見尾根遠望

   '04夏 後立山縦走
(前編)
  (2004、アテネオリンピック協賛おゆぴにすと後立山大縦走の巻)
                                        狭間 渉
期日:2004年8月10〜15日
メンバー:狭間 渉、高瀬正人

計画まで
 いつ頃だったろうか?高瀬から後立山の話が持ち上がったのは・・・。北アルプスへ出かけるのは1995年の徳本峠以来となる、今回報告の後立山縦走についての経緯には、話が持ち上がってから実行段階までの間、多少の紆余曲折もあった。そこを正確に時系列的に振り返っておかないと、この山行中の、二人の心の微妙なる部分が読みとってもらえない。そこで、あやふやな記憶を辿るよりも、幸い今ではパソコンのメールなる便利なものにそこら辺りのやりとりがちゃんと記録されており、簡単に取り出せる。少し回りくどいが出発までの部分にもスポットを当てるところから始まろう。以下はその一部である。

2月15日(狭間→高瀬)
遠見尾根への取り付き点や、鹿島槍を登った後どのコースで黒四ダムまで下るのか分からない。すまんけど、おっちゃんが考えている山行計画表を添付ファイルで送ってくれい。カシミール3Dで、細かいルート図、高低表など作ってみたいから。

2月16日(高瀬→狭間)
山行計画概要を添付します。遠見尾根の取付は神城スキー場(標高900m)カワクリ平です。鹿島槍から爺ガ岳、鳴沢岳、赤沢岳、針ノ木岳を経て針ノ木大雪渓をおりて扇沢へ。扇沢よりトロリーバスで大町トンネルを抜け黒四ダムへ。さらにダム直下黒部川へ下ノ廊下の始まり。昨日サニーで靴を購入、ぼちぼちトレーニングを開始したいと思っています。
登山計画書もぼちぼち作りたいと思っています。なんだか、S君調ですが・・・。

2004年(平成16年)8月後立山縦走から黒部下ノ廊下
行 程
1日 大分 − 名古屋 − 松本 − 神城
2日(入山第一日目) 神城 − 遠見尾根 − 五竜山荘
3日 五竜山荘 − 五竜岳 − 八峰キレット − 鹿島槍ガ岳 − 冷池小屋
4日 冷池小屋 − 爺ガ岳 − 鳴沢岳 − 針ノ木岳 − 針ノ木峠小屋
5日 針ノ木小屋 − 針ノ木大雪渓 − 扇沢 − 黒四ダム − 下ノ廊下 − 阿曽原小屋
6日 阿曾原小屋 − 欅平 − 宇奈月 − 富山 − 大阪 − 大分

2月16日(狭間→高瀬、カシミール3D作成の高低表添付)
今から興奮しています。入山第一日目行程9.2km、標高差1700mくらいです。
8月の下ノ廊下は雪が多すぎてダメかも知れませんね。直前の情報収集の結果次第ですが・・・。

2月18日(狭間→高瀬、カシミール3D作成の高低表添付)
第3日目 距離13キロ、長いと言うほどの長さではなさそうですね。累積標高差があまりなさそうなので、そんなに時間はかからないみたいな気もしますが・・。

2月21日(狭間→高瀬、カシミール3D作成の高低表添付)
20万分の1地図に全行程を落としてみました。


                
                       
当初計画(高瀬私案)
       

        
        
まだ見ぬ後立山連峰縦走で頭の中はいっぱいの図(遠見尾根からの後立山連峰縦走のイメージ)


2月22日(高瀬→狭間)

メール有難うございます。一昨日購入しましたガイドブックによると、初日、遠見尾根の登りに五竜遠見テレキャビンが利用でき約2.5時間早くなりそうです。(歩行時間5.5時間)又、冷池山荘は現在改装工事中で7月再オープンです。問題の黒部下ノ廊下ですが、私が下半分(阿曽原〜欅平)を行った時は8月16日です。ガイドブックにも関西電力の歩道整備は毎年9月に行なわれるため9月以前には入山しないことと書いてありました。別山沢、白竜峡では巨大な雪のブロックが行く手を阻むらしいです。おもわず黒部川を眼下に雪のブロックにステップを刻み登行する自分の姿に興奮してしまいます。(もちろん下で確保するのは狭間兄です) ここに冠松次郎
(※)時代の失われしロマンチシズムを感ずることが出来るのでは。今から体力、気力の充実に頑張ります。では近い内に情報交換飲み会を!

2月27日(高瀬の長女・菜美子嬢→高瀬)
ご無沙汰しています、菜美子です。
狭間さんの緻密なアルペン計画に刺激されつつ、父は毎日黒部・立山などの本を読んで研究してます! ほんとに楽しみにしているようですよ。 ・・・後略・・・

2月27日(狭間→高瀬の長女・菜美子嬢)
・・・前文略・・・お父さんは黒部の研究を続けているとか。喜ばしいことです。近く、第2回目の打合会をやるからと言っておいて。では又。 

2月27日(狭間→高瀬)
下ノ廊下、何故下降することを選んだのか分からなかった。黒部は、冠調
(※※)で行くと下ることにこだわらねばならないわけですね。・・・うんうん。

4月15日(高瀬→狭間)
・・・前文略・・・
 さて今年のメインイベント鹿島槍〜針の木〜黒部下の廊下の計画は着実に進行しております。私も5月G.Wを控え狭間さんと打ち合わせしたいと思っています。・・・中略・・・
 今回の為に登山靴と大型ザックを購入し4月に入り後立山の縦走を想定し、ボッカトレーニングに励んでいます。先日23kg程度を担いで由布岳に登ったのですが、さすがに久々の重量に肩、腰がしんどかったです。しかし20kg程度なら十分縦走可能との確信をえました。これから5月G.W.の間しっかりトレーニングに励みます。出来れば、狭間さんと2〜3日程度トレーニング山行をやりたいと思っています。・・・後略・・・


(※)冠松次郎:黒部の地域研究者。明治16年東京生まれ。秘境黒部の山や谷の探検と開拓に打ち込み、その優れた記録や紀行によって黒部を世に紹介。登山の中に渓谷跋渉という新たな分野を確立した。(近藤信行編集:「日本の山の名著 総解説」より)
(※※)渓谷の跋渉の方法について、遡行よりも下降の方が優れているというのが冠松次郎の以下の文章にある。高瀬はこのことにこだわっているのである。
「渓流を遡るとき、川床の激甚なる勾配に気づかずに進む時にも一度下流を顧みるとき、落差の激甚なるのに驚くことは屡々である。而も渓水の落差の美、川床の断落の壮、山上より谷底に向かって集中せらるる幾多の尾根の錯綜せる雄大さは、谷渉りのものの最も深い魅力を感ずるものであるから、私一人の考えでは遡行よりも下降をよいと思っている。谷は遡るべくして降るべからずなどと云うことは私には何の意味も為さない言葉である」(冠松次郎、「黒部」:‘渓谷の趣味’から)



 この計画の首謀者である高瀬から提案してきた当初の計画は、(2004年)2〜4月メールのやりとりにもあるように遠見尾根から後立山主稜を縦走し黒部下ノ廊下を下降して締めくくる、というものであった。一も二もなく飛びついたものの、計画の日数は6日間が限度という高瀬、過去に白馬岳に足跡を残したことのある高瀬と違って後立山そのものが未体験ゾーンでありせっかくの機会だから当然白馬岳から律儀にこなしたい、しかも、できることなら遠見尾根も黒部下ノ廊下も両方体験したいと欲張りな僕と、両者の思惑は一部不一致の図式であった。

 折衷案としては、僕が先発して白馬岳を終え五龍岳辺りか、または遠見尾根を下り神城で合流しようというもの。しかし、不帰ノ険などの難所もあり単独行に当人ならぬ相棒が難色を示し、これは没。しかたなく僕が「白馬をあきらめよう、次の機会にしよう」と歩み寄ったはものの、もう一つの懸案事項であった黒部下ノ廊下が、8月中旬では関西電力の整備が進まず入谷困難との見方から諦めざるを得なくなった。

あれやこれやで、遠見尾根を直接のアプローチとすることを高瀬が諦め歩み寄ってくれたため、結局のところ、100%僕の意向に添った計画となってしまった。かといって遠見尾根にこだわる高瀬としてはこの尾根を完全に諦めたわけではなく、白馬を出発点とするも、できるだけ稼いで貯金をつくり、その余力で白岳辺りから遠見尾根をカクネ里が見える位置までピストンするというオプションを秘めたのが、以下の最終計画であった。なお、計画書は、2004年がオリンピックイヤーでもあり、それに因んで‘2004アテネオリンピック協賛’で始まっている。もちろん、この計画の首謀者・高瀬の、ちょっとした遊び心も、そこら辺りに見え隠れしている。

 ところで、それほどまでに高瀬が執着する遠見尾根やカクネ里とはいったいどんな場所なのか?‘かつて先人が岩と雪に挑みその栄光と悲劇を秘めた鹿島槍北壁、そのアプローチとして名高いのが遠見尾根とカクネ里・・・青春時代北アルプスと言えば兎角槍穂高ばかりに目が行きがちであったが、鹿島槍北壁とは岩と雪を志した者であれば一度は挑んでみたい、登山史に先陣争いと幾多の栄光と悲劇を記録した壁であり、岳人を魅了してやまない’というのが僕の精一杯の知識。

だが、無類の読書家・高瀬に言わせると、
「我が国の山岳史上、後立山連峰、とりわけ鹿島槍周辺は格別な存在なのです。カクネ里からの鹿島槍北壁は積雪期においてのみその真価を発揮します。いわゆる‘ヒマラヤ襞(ひだ)’が見られ、ためにヒマラヤを目指す多くの、主として大学山岳部が、ヒマラヤへの訓練登山として挑んでいったのです。遠見尾根は積雪期の鹿島槍へのアプローチとしてはもちろんですが、カクネ里から圧倒的迫力で展開する鹿島槍北壁が、またそのヒマラヤ襞が最も美しく眺められる場所なんです。もう一つ付け加えさせてもらいますと、マカルーの登頂者・原真の弟でもあり、この山に逝った原武は私にとっては大島亮吉や松濤明と並ぶほどの格別な存在なのです。『北壁に死す』は私の‘心の書’であり、遠見尾根に立ち鹿島槍北壁を目の当たりにしたとき、鮮烈な印象で彼の生涯を呼び覚ましてくれるはずです」
とまあだいたいこんなところだ。この山に関しては一編の書さえ読んだことのない僕とでは、思い入れの深さが違うわけだ。

最終計画書
2004、アテネオリンピック協賛おゆぴにすと後立山連峰大縦走の巻
メンバー CL 狭間 渉
         高瀬正人
         *緊急連絡先 栗秋和彦
行 程
8/10 大分 − 名古屋 − 松本 − 白馬 − 猿倉 − キャンプ場(歩行1時間、テント泊)
8/11 白馬尻小屋 − 白馬大雪渓 − 白馬岳 − 杓子岳 − 天狗山荘(歩行7時間、テント泊)
8/12 天狗山荘 − 不帰キレット − 唐松岳 − 白岳(遠見尾根へ空身で) − 五龍山荘(歩行7〜8時間、テント泊)
8/13 五龍山荘 − 五竜岳 − 八峰キレット − 鹿島槍ガ岳 − 冷池小屋(歩行9時間、テント泊)
8/14 冷池小屋 − 爺ガ岳 − 鳴沢岳 − 針ノ木岳 − 針ノ木峠小屋(歩行8.5時間、テント泊)
8/15 針ノ木小屋 − 蓮華岳(空身で往復) − 針ノ木大雪渓 − 扇沢 − 松本 − 名古屋 − 大分(歩行4時間)


 さて、その後出発までのことは、トレーニング山行となった「'04夏 霧島の山旅」(おゆぴにすとホームページ2005年6月29日掲載)の中でも記述しているとおり、メンバーの年齢を考えると、‘テントと全行程1週間分の食料などの重荷を担いでの妥協を許さない’という厳しい計画となった。もちろん、由布岳ボッカや霧島縦走など二人してのトレーニング山行を始め、それに見合う自主トレーニングを銘々に課したのは当然のことであった。(つづく)

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