鑓ヶ岳付近から眼下に天狗山荘、中央左に五龍岳と鹿島槍ヶ岳、最奥に槍穂高連峰遠望

   '04夏 後立山縦走
(中編)
  (2004、アテネオリンピック協賛おゆぴにすと後立山大縦走の巻)
                                        狭間 渉

後立山連峰核心部へ


 日本三大雪渓の一つである白馬大雪渓に足を踏み入れて5分が経過した。雪渓上部から下りてくる冷気に身を引き締めつつも「ハア、ハア・・・」と早くも息を荒げて「そんなに張り切って急ぐなよ!ゼー、ゼー」と前を行く高瀬に注文をつける。高度を稼ぐにつれ、遙か上部の稜線を照らしていたモルゲンロートの輝きが山腹を伝ってしだいに下ってくる。

                
                   モルゲンロートに輝く白馬沢周辺の山々 

8月11日(晴)
 白馬尻のキャンプサイトをたたんで出発したのが4時58分。お花畑や草付き道を徐々に高度を上げたのち、約25分ほどで念願であった白馬大雪渓の取り付き着。白馬大雪渓〜針ノ木大雪渓と日本有数の雪渓を繋ぐ、水平距離47.8km、累積標高差5569mの大縦走の始まりだ。今年は相次ぐ台風の上陸で、しかも北陸地方を中心とした梅雨時の豪雨の影響もあり、例年よりもかなり融雪が早まっているという。それでも、初めて大雪渓のモレーンの上に立ってみて、その大きさに圧倒され興奮と緊張を禁じ得ない。

 「最初はウォーミングアップのつもりでゆっくりね!」などと言ってた相棒・高瀬も、35年ぶりとかの白馬大雪渓との‘再会’に心躍るのだろうか、興奮を覚えるのか、年齢を感じさせないハイペースの‘入り’となる。それが冒頭の僕の喘ぎになったわけである。

‘2004年アテネオリンピック協賛おゆぴにすと北アルプス後立山連峰大縦走’と銘打った今山行。昨日(8月10日)は、早朝大分を発ち、特急ソニック4号(小倉駅乗り換え)〜新幹線のぞみ8号(名古屋駅乗り換え)〜特急しなの11号(松本駅乗り換え)〜大糸線(白馬駅乗り換え)〜バス(猿倉)と、4本の列車とバスを繋いで16時過ぎに、後立山連峰の玄関口猿倉に到着。

               
                       20kg程の装備、食糧ほか

約1時間ほどの歩程で大縦走初日のキャンプサイトとなる白馬尻山荘着。テント設営料1000円を支払ったねぐらは山荘から白馬沢を渡ったところにあり、どうやら我々二人、静かな山の第一夜であった。自ら進んで食当(食事当番)を買って出た高瀬のつくった昨夜のメニューは焼き豚入り野菜炒め。もちろんビールも、山荘までのちょっとした距離をひとっ走りで仕入れて来るのも高瀬(計2往復)。たとえこの歳になっても大分登高会時代の先輩後輩の間柄は動かしようもないのだ。

  
     いざっ!後立山へ。初日夕刻、猿倉を発つ           おおっ!、白馬大雪渓が眼前に。心躍る一瞬

話を元に戻す。雪渓は、格別心配するほどのことはないと言ってしまえばそれまでだが、特に下部では思っていた以上に勾配がきつい箇所がある。が、持参した簡易アイゼンは使わず、少しばかりの緊張を覚えながらも、身体も次第に慣れ早いピッチで一気に高度を稼ぐ。

5時53分、雪渓の核心部で高瀬が唐突に職場の話をし出す。「所長が快く許可した?」軽く頷くと、それは「君は必要ない、ということ?」と単刀直入、遠慮のない言葉が高瀬の口から飛び出す。今の時代の、しかもお盆の1週間だ。官公庁ならずとも、それほど大袈裟なことでもなかろう、と思うのだが、尤も、若い時同様、長期休暇の時はそれなりの気も使って当然、今回もしかり、だ。

 大雪渓が意外に短い。昭和40年代には、この雪渓の上部まで延々と長蛇の列であったという。「それは7月下旬の話だろ? 今は8月中旬、条件が違うよ」「セッケイ変更って言うたかなあ」と高瀬がダジャレ。「それにしても、核心部の急傾斜ではアイゼンを付けていないので少々ビビるでー」というと「アイゼンと言えば、桂さん(※)を思い出すなあ」と高瀬、再びのダジャレ。「ダジャレもいいけど、いったいいつまで休憩なしで歩かせるんだ!?」と言えば急に「アッチャー、アッ!」と登高会風の奇声(※※)を発する。この北ア後立山行の休み取得と食当、行動計画、その他雑事全般ために、どれほどにか苦労したであろう高瀬は久々の北ア、それも彼にとって最も思い入れの強い後立山の山懐に入ったことで、解放感も手伝って少々悪乗りの感ありだが、やむを得まい。白馬沢の谷間に奇声がこだまし、その刹那 '75夏剣岳の記憶が鮮明に甦ってくる。

                
                        いつになく口数の多い高瀬

日本三大雪渓と言えば、白馬と針ノ木、それに剣沢だ。迂闊にも「いずれも未体験ゾーンだ」と漏らすと、傍らの高瀬すかさず「そんなことはないですよ!剣沢は経験してるじゃないですか」の言に、先程の谷に響き渡ったこだまとともに古い記憶がいっそう鮮明になってきた。'75年夏の池ノ谷第四ルンゼ(R4)登攀中の事故で負傷し、背負子で作った担架に乗せられ長次郎の雪渓を延々と下った後出合った、剣御前小屋まで続く大きな沢と雪渓が、考えてみれば、三大雪渓の一つ剣沢であった。それなのに遭難者の身ではその認識が希薄であった。あの時は、剣沢小屋に一泊、翌日剣御前小屋を経て室堂まで運ばれ、救急車で富山へ搬送された。多くの仲間に入れ替わりで担がれ助けられた。以来29年、その時の多くの仲間に今もって感謝しつつも不義理ばかりと、あれやこれやの思いが交錯する。

6時14分、雪渓に足を踏み入れて約50分。ノンストップのハイペースで予想外に早く雪渓を通過し、ガレ場に今日初めて腰を下ろす。気が付けば周囲から名も知らぬ鳥のさえずりが聞こえ、周りはトリカブトやキンポウゲのお花畑が広がる。6時ちょっと前に出会った白馬山荘方面からの今日最初の登山者は、すでに雪渓下部に消え、我々の後に続くパーティが黒点となって雪渓下部をのろのろと上がってくるのが遠目にも見て取れる。殊勝にもこつこつと記録を取ったりの高瀬、ハイな状態なのか相変わらずダジャレ、いや割合高度な洒落を連発し、気を惹こうとするがもう反応しないことにした。それより周囲の白馬沢上部から雪渓の向こうの雲海の上にしだいに浮かび上がってくる山並みが気になる。戸隠連峰だ。

                
                  振り返ると雪渓の向こうに戸隠連峰の高妻山が忽然と

 ほんの束の間荷を下ろしただけで再び歩を進める。今日の予定は天狗山荘の幕営地まで。9.1km、累積標高差1850m、実動7時間、所要9時間。先は長い。少し登るとトリカブトの大群落に出くわす。思わず「しまった、休みはここに取れば良かった」と呟く。花鳥風月よりも北ア後立山の先蹤者への思い入れが強い高瀬は、この群落を前にしても一瞬たりとも立ち止まる気配がない。朝陽を正面から受けて赤く輝く周囲の岩峰や岩肌を指さしながら「どれみてもドロミテ」などと相変わらず洒落を飛ばし口数多くかつ足も前にどんどん進む。7時19分、朝陽が随分高くなり、陽射しがきつくなる。1本立てる。

                
                      雪渓を抜けるとトリカブトのお出迎え

今回の後立山行のために相棒・高瀬とは由布岳ボッカ(25kg)や霧島連峰縦走などのトレーニング山行の中で互いの意思確認、体力確認、計画の摺り合わせを行ってきた。霧島山行で仕上がりが遅いと感じ、自主トレーニングと称して仕事帰りに甲尾山の階段を石ころ担いで登ったり、仕上げは倉木山のボッカ(30kg)で、体力確認した。だからこそ、20kgを担いで高瀬のペースにどうにか遅れを取らずに上がって来れた、と思う。白馬尻から標高差900mほど上がってきた2400地点、ここからは戸隠、妙高がいっそう鮮明に浮かび上がってきた。一方、身体の方はというと、気温も上がり少し息づかいが荒くなってきた。

8時14分 標高2553m地点で今日3回目の休憩。ロープが張られたトリカブトの群落の向こうに杓子岳(2612m)の稜線が見え始める。今日は白馬岳の頂を踏んだ後、杓子岳〜もう一つ向こうの鑓ヶ岳(2903.1m)を越えねばならず先は長い。食欲旺盛な高瀬に、少しでも荷を軽くしてもらうために自分の行動食を先に食べてもらう。それにしてもトリカブトの大群落には目を見張る。歩きの方はこの頃から二人の体力差が現れ始め、僕はペースダウンし間隔が開き始める。

8時49分 右手上方に稜線の小屋がやっと見えてきた。高瀬はだいぶ先行しているが、とにかくゆっくりでもいいから歩を進める。高瀬は小屋でビールを飲むと言っているが、あと4時間の行程のことを考えると、僕にはそんな余裕がない。

               
                         白馬岳頂上小屋

9時5分 稜線(2750m) 僕:「すまん、すまん、やっと着いた。いやー、バテた」、高瀬:「大丈夫ですか?荷物を持ちましょうか?」、僕:「いやー、そういわれたら(今の状況では)断るわけにはいかんなー」などと短い会話を交わしながら、4時間余り、標高差1200mのアルバイト、やっとの思いで辿り着いた稜線からしばし周囲の景色に目をやる。後立山の連嶺を始め、立山連峰、遠くは槍ヶ岳の穂先まではっきり見て取れる。

                
               白馬岳稜線からの槍穂高遠望(右手奥、左手前:杓子岳、中央:鑓ヶ岳)

ここからはザックをデポして空身にて白馬岳(2932.2m)を往復することにする。空身でもペースは相変わらずだ。9時31分、後立山連峰の一方の盟主・白馬岳山頂。途中、白馬山荘で仕入れたビールで乾杯。快晴無風の中、7〜8人の登山者が思い思いに360°のパノラマを楽しんでいる。台風の多かった今夏、後立山連峰も8月上旬まで天候不順の日が多かったと聞く。初めての後立山入りで、幸運にも得難い景観を楽しんだ後、往路を返し再び重いザックを背負って幕営地・天狗山荘を目指す。

         
        取りあえず白馬岳山頂                白馬山荘と剣立山連峰遠望

白馬岳から天狗山荘までの間には杓子岳と鑓ヶ岳の二つのピークがある。天気もまだ当分大丈夫そうだし、道中至る所にお花畑があり、それより何より、稜線の前方と両側に展開する北アルプスの展望を、じっくり味わわぬ手はない。高瀬は内心少々いらついているだろうが自分のペースで行くことにする。正直、どうしたことか、ここに来て偏頭痛、それに登りでの呼吸が異様なほど粗くなり、とてもついていけない。「相棒を待っている間にじっくりお花畑を観察するなど、もう少し心のゆとりを持ってもらいたいなあ」というのが、高瀬に対する僕の素直な気持ち。

尤も、高瀬が先を急ぎたい気持ちにはそれなりの理由がある。冒頭述べたように、今行程は二人の妥協の産物であるからして、高瀬としては今山行の前半にできるだけ貯金をつくり、あわよくば遠見尾根をカクネ里を覗き込める位置までピストンしたいという意向は依然として強くある。彼の気持ちは充分すぎるほど理解できる。

本日の最後のピークとなる鑓ヶ岳の200m余りの登りでは、偏頭痛に加え、ますます息が荒くなる。まるでエベレスト無酸素登山の図だ。10歩ほど歩いて立ち止まり呼吸を整えまた10歩、といった繰り返しだ。

まさかとは思ったが、2700m付近から上での先程来の症状はどうやら高山病の初期症状らしい。鑓ヶ岳のピークをやっとの思いで越え、入山2日目の幕営地・天狗山荘まで下ってくると、すでに缶ビール1本空けた余裕の高瀬が出迎えた。14時4分のことで、結果的にはほぼ当初の予定通りであり大幅な遅れではない。前半の貯金を使い果たし帳尻を合わせたというところか。

       
       余裕の高瀬                  天狗山荘キャンプサイト(中央は鑓ヶ岳)

(コースタイム)
8月10日 猿倉16:27→白馬尻キャンプサイト17:30
8月11日 白馬尻4:58→稜線9:05→白馬岳9:31→天狗山荘キャンプサイト

(※)大分登高会時代の岳友(現在千葉県在住)
(※※)大分登高会の昭和50年(1975年)夏の剣岳三ノ窓定着合宿の際、岩場での会員だけの通信連絡用コールとして、当時流行ったブルースリーの奇声を真似たもの。R4での会員の遭難ではこのコールが非常に役立った。


8月12日(晴)

 5時55分、天狗ノ頭(2812m)着。昨夜は‘高度馴化’がうまくいかず、テントに潜り込んでも頭痛、悪寒、吐き気などで大変だった。高瀬の必死の‘介護’で、夜半には体調も落ち着き、朝にはどうにか人間らしさを回復しており、ピーマン、キャベツ、焼き豚入りの焼きそばとワンタンスープ、それにレモンティーをどうにか人並みに平らげた。そして今朝は、戸隠連峰から昇る朝陽を拝みながらパッキングを終え、5時30分にテント場を発った。天狗の頭までの登りは、高度に慣れたのか呼吸も整い、快調だった。
             
                
                       南アルプス(中央)と富士山(右)

天狗の頭からは近隣の山はもちろんのこと、遠くは八ヶ岳、富士山、南アルプスまで見通せる。

天狗ノ頭を下るといよいよ不帰ノ険の難所となる。のっけからいやらしい鎖場が連続する。急傾斜なので自分の足下もさることながら、上部の登山者からの落石の方が恐い。最低鞍部(2403m)通過が7時20分頃。眼下に黒部下廊下に繋がる幾筋もの沢を見下ろす。

 
     あれは八方尾根、遠見尾根はその向こうですよ!

         
    天狗の頭を過ぎるといきなり岩場の下り         前方には不帰ノ険が待ちかまえる


  
     「えーっ、あのてっぺんまで登るの!?」                     相変わらず余裕の高瀬
           

 
               
                   唐松岳を過ぎても岩場の連続(右手は剣岳)

 不帰ノ険の通過では、ほとんど2級の岩登りの様相だが、要所要所は鎖やロープがしっかりとしつらえてあり、それに岩には目印のペンキがこまめに塗られているため、ルートを見誤ることはない。これでもか、これでもかというくらい岩場の連続で、特に不帰二峰の北峰の登りは圧巻だ。元クラッグスマンとしては、岩登りではあまり距離を置かれることはプライドが許さないとばかり踏ん張るがいかんせん、高瀬に距離をしだいに開けられてしまう。北峰の最後の難所を通過し頭に出ると、高瀬が涼しい顔をして持参の赤い内輪を扇ぎつつ周囲の景観を楽しんでいる。余裕綽々だ。白馬岳ではかなりの距離感をもって眺めた剣岳が、ここら辺りでは角度を変え随分近くにその全容を見せ始めた。唐松山荘で小休止し行動食を無理矢理喉に押し込んでさらに岩場の連続をもうひとがんばりし、予定より20分ほど早い13時40分に五龍山荘のテント場に着き、本日の行程を終える。

 白岳を素通りすると五龍山荘が眼下に
 
 なお、これより少し前、白岳(2541m)を通過しているがその際、計画ではこのピークから空身にて遠見尾根を往復することになっていた。このピークに先着した高瀬は素通りして五龍山荘までそのまま下ってしまった。今日の幕営予定地・五龍山荘で肩の荷をおろしたい一心の僕は、この時点で遠見尾根のことはあまり頭になかった。高瀬が白岳付近でどのような言葉を発したのか、何を考えたのかあるいはいったん五龍山荘にザックをデポして引き返すつもりであったのか、計画にあった遠見尾根へのピストンをめぐって何らかの会話があったはずであろうに、記憶が定かでない。あれほどまでにこの尾根に執着していたのだけれども、僕の疲労困憊具合を見て「単独でも」とは切り出せなかったのだろうか。それとも、「下ノ廊下は下降すべきだが、鹿島槍は遠見尾根を登高して仰ぎ見るもの」と、気持ちが変化したのだろうか?

 昨日は相当疲れたし、おまけにちょっとした‘高山病’の症状も重なり、今日の行程に不安があったが、日頃のトレーニングの効果があってか、遠見尾根のことを除くとあまりパートナーに大きな遅れをとることもなく、胃袋もたいして暴れることもなかった。不帰T峰の登りはちょっとした岩登りの様相で、20kgの荷を背負った身としては腕力も消耗しバランスにも気を使った。それにしても、五龍岳方面からの行き交う登山者の大半は中高年の男女、とくに女性の多さにびっくりした。というのも、今日の稜線は槍穂高連峰の大切戸よりも厳しく、長い岩場の連続で「こんなおばちゃんが、こんな急なところを、よく上ったり下ったりするもんだ」と感心させられることしきりであったから。彼らの大半は山小屋から山小屋を繋ぐため身軽であることを差し引いても、あらためて「中高年は頑張る」と思ったものだ。何とか今日も結果的にはほぼ予定通りに目的地まで辿り着いたとはいえ、余力はほとんどない。テントを張るやすぐにわかめスープをこしらえ、とりあえず暴れかけた胃袋を落ち着かせ、夕食の準備までの約2時間、仮眠を取る。

今宵のメニューはスパゲティミートソース、とにかくよく食う高瀬

 夕食はスパゲティミートソース、それにタマネギ、キノコ、焼き豚のみじん切りの炒めものに、もちろん缶ビールも。食当・高瀬は食事のたびに計画通りではなく臨機応変に僕の食えそうなものを作り、ビールを買いに、水を調達しにと、山小屋を何度も往復する奮闘ぶり。その分よく食いよく飲む。一方の僕は、顔や手が少々むくんできたが、尿もそこそこ出る。夕刻、この時間帯でこのくらいの体調回復なら、明日も頑張れそうだ。高瀬から見れば、綱渡りもいいところだろうけど。

 食事のメニューをめぐって食当との間に多少の温度差はあるものの、1週間の山での食糧計画に高瀬がいかに気を使ってくれているかは充分に理解できる。とくに1日当たりの行動食は高瀬を基準にしているからなおさらのことだ。「『もっと食べないけん!』と思っても、そんなに多くは入らないのよ。」 今日も中間点の唐松山荘では山小屋でうどんか何かなら食が進んだかもしれないけど、有り余る行動食を前に「うどんが食いたい」とは言いにくいが、結局言ってしまった。罪なことをしてしまったものだ。 (つづく)

(コースタイム)
8月12日 天狗山荘キャンプサイト5:30→天狗の頭5:55→最低鞍部7:52→不帰二峰の北峰8:52→不帰二峰の南峰9:17→唐松岳山頂10:25→唐松山荘11:05→五龍山荘キャンプサイト13:45

                 click here → '04 後立山縦走 高低図

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