剣岳 中央は三ノ窓雪渓・・・それぞれの思いが去来する(布引山付近から)
                       
   '04夏 後立山縦走(後編)
  (2004、アテネオリンピック協賛おゆぴにすと後立山大縦走の巻)
                                        狭間 渉

後立山連峰核心部へ(その2)


8月13日(晴)
 7時8分、五龍岳を越えてキレットの最低鞍部付近まで来たところで、今日2回目の休憩。高瀬はチーズを食べながら「‘気付け’が要る」とか言ってザックをゴソゴソ・・・、ウイスキーを取り出す。僕はそんなことよりこの縦走路と平行し、いつの間にか正面に対峙するような位置関係となった立山連峰の盟主・剣岳に思いを馳せている。際だって長いのは三ノ窓の雪渓だろう、その右斜め上方に小窓ノ王の顕著な岩峰が遠目にもはっきりと確認できる。小窓ノ王の付け根は '75(昭和50年)年大分登高会の夏合宿のベースとなったところだ。もっぱら食うことのみに専念していたのかと思っていたら唐突に「あっ、あれはもしかしたら剣沢か?ここからは見えないけど、その下に剣大滝があるはず!」と高瀬。それぞれの思いが去来する一時・・・。7時10分にラジオを入れてみる。アテネオリンピックのサッカー競技日本VSパラグアイ戦の結果が報じられていた。

         
             モルゲンロートに輝く五龍岳目指して         朝陽の照り返しがまぶしい岩場を慎重に


                   
                               五龍岳山頂にて



         
           今日は八峰キレットを通過し鹿島槍ヶ岳を越える            キレット小屋
          

  
            後立山連峰の盟主・鹿島槍ヶ岳


             
                                  八峰キレット、懸崖のトラバース

 今日は今北アルプス後立山行の中で、昨日に続く難所・八峰キレットの通過が控えている。昨夜は夜中に、気になるパラグアイ戦にしばらく耳を傾けた後、再び寝ようとするも寝付かれず3時頃からゴソゴソうごめき始めた。当然、出立は4時37分と早かった。今日の行程は、まず五龍山荘から五龍岳山頂まで標高差330mを登り、八峰キレットの最低鞍部まで400m余りを一気に下り、鹿島槍ヶ岳まで標高差500m近くを登り、冷池山荘のテント場まで500m近くを下るというもの。行程は短い(8.6km)が、その間の五龍岳から鹿島槍ヶ岳までの大半が岩場である。入山4日目となり疲労もそれなりに溜まってきているが、それに夜は大して熟睡できないが、一晩身体を横たえていると自分でも驚くほど体力と登高意欲が回復しているから不思議だ。

 
    鹿島槍ヶ岳北峰からカクネ里と遠見尾根を望む              鹿島槍ヶ岳南峰山頂にて(後方は剣岳)
          (高瀬の思いや如何に)  

 
 今山行では、現在地をピンポイントで特定でき移動の様子を30秒間隔でトラック軌跡としてすべて記録できるハンディGPS(全方位地球測定システム)、時刻の記録が連動したデジタルカメラ、それにボイスレコーダ付きGPS携帯電話などを記録媒体として駆使したため、手帳によるメモはほとんど残していない。ところがその‘文明の利器’も使い方しだい。携帯電話のボイスレコーダー機能は電池残量から節約せざるを得ず、デジカメは落っことしたのが原因で時刻がずれ、頼みのハンディGPSも設定ミスからトラック軌跡の記録が不十分、などがそれだ。で、結局、疲労困憊の後立山核心部の正確な描写はデジカメ写真と、わずかに残ったボイスレコーダ記録だけによるところとなった。

おぼろげな記憶の糸を辿ってつなぎ合わせた結果、核心部で印象深かったのは、一つ、モルゲンロートに輝く五龍岳への登り、一つ、八峰キレットでセルフビレイ2本で鎖場を通過する青年に対しての高瀬の一喝「ちょっとあんた、こんなところで何やってるんですか!ザックも軽そうだし、ここはビレイ取るようなところじゃないでしょっ! お陰で大渋滞じゃないですか!」、一つ、鹿島槍ヶ岳北峰への見上げると首筋が痛くなるほどの急登、一つ、冷池山荘までの下りがダラダラとやたらと長かったこと、一つ、だんだん身体がむくんできたこと、などなど。そのほかはボイスレコーダを再生してみよう。

                
               冷池小屋へ、長い下りに閉口(中央は爺ヶ岳、右最奥に槍ヶ岳見ゆ)

(ボイスレコーダ15:32の記録より)「今、冷池小屋付近のテント場。14時前に着いた。今朝は日パ戦の敗色濃厚となった時間にラジオを切り、あたふたと4時37分出発。五龍〜キレット〜鹿島槍というのは見た目はそんなに峻険な感じはないが、実のところ岩場が多く、緊張の連続。18kgの荷物にバランスを取るのが大変。かなり消耗したけど12時前に本峰着。それからは疲れた足取りで冷池山荘のテント場までダラダラと下った。先着の高瀬がビールを買って待っていてくれたけど(吐きそうで)飲めない。そこでソーメンを作ってもらう。ソーメンは美味しくて食べられた。

登山道わきの五葉松の幹に腰掛けて、当初の計画では昨日ピストンする予定で結局行かなかった遠見尾根を眺めながら、傍らで井戸端会議のように山の話に花を咲かせる数人に、聞くとはなしに耳を傾ける。話題の中に飯豊連峰のことが出てきて懐かしい。そのそばで高瀬が大分名物の‘やせうま’をつくって、大分のPRのつもりか、行き交う登山者にまでふるまっている。もちろんソーメンに続き‘やせうま’も好物でもあり僕の不機嫌極まりない胃袋でも、ちゃんと受け付けてくれる。

天気は剣岳の方からも、戸隠連峰の方からもガスがだんだんと近づいてくる。ついさっきまで陽が照っていたのに・・・。それでも、大町方面はまだ青空が少し残っているけれども、ほどなく全部が覆われて、この4日間続いた晴天も今日が最後となりそう。明日、針ノ木小屋まで岩場はないから、それに高低差もこれまでほどではないから、かなり稼げそうだけど何しろロングコース。高瀬は心配してくれるが何とか頑張ろう。それからこの一帯はAUのケイタイがほとんど入らない。初日の白馬尻小屋以降、キレットの最低鞍部付近で今朝6時に1回通じただけで、そのあと留守本部の栗秋から一度入るが行動中で気づかず。」


                
                         冷池小屋テント場の午後

 ボイスレコーダの記録にあるように、今日も早朝から相当なアルバイトだったが、危なっかしいながらもどうにか持ちこたえた。しかも明日の行程に目処が付きそうな感じではあったが、夕食の後、僕の顔と手を見て高瀬がいくつかの提案をしてきた。「天気は明日確実に崩れる。もうこれ以上無理をすると身体に良くない。明日、冷池山荘の少し先にある赤岩尾根を下るか、種池小屋で扇沢にエスケープしよう、種池小屋を過ぎたら針ノ木小屋まで行くしかなくなるから」と。確かに顔はむくんで膨れ上がり、か細いはずの手はまるでグラブの様相。尿の出が悪くなるとまずい。腎機能が衰えた証拠だからだ。我が家系はだいたい腎臓が弱い。高所では腎機能の強弱の影響がまともに現れるらしい。膨れた顔は腎機能低下の結果だ。ムーンフェイスといって高山病の現れだと後日知った。結局、体調と相談しながら明日出発時点と種池小屋の時点で考えることになった。

(コースタイム)
8月13日 五龍山荘テント場4:37→五龍岳5:46→最低鞍部7:08→キレット小屋9:10→鹿島槍ヶ岳北峰11:05→鹿島槍ヶ岳南峰11:53→冷池山荘テント場13:50

8月14日(曇のち雨)
 昨日の日誌に、今日のコースは岩場もなく、高低差もそれほどないから長いだけで比較的歩きやすい感触のことを書いたが、実際には爺ヶ岳、岩沢小屋岳、鳴沢岳、赤沢岳、針ノ木岳と続き針ノ木小屋までの行程13.8km、累積標高差も1464mと、今回の行程中距離では最も長く、累積標高差も2日目の白馬尻〜天狗山荘に次ぐロングコースだ。

  
             爺ヶ岳目指して

                           
                               爺ヶ岳山頂にて(むくんだ顔が痛々しい著者:左)

 テントをたたんで眼前の爺ヶ岳に向け出発する時には、昨夜の高瀬の提案など、もう頭の隅からも消えかけている。爺ヶ岳(2659.5m)は、昨日までの行程が難行苦行だったこともあり、だらだら登りで、これまで描いていたこの山に対するイメージからはほど遠く、ちょっと拍子抜けの感ありだ。扇沢への下山道のある種池小屋を通過する時にはエスケープの考えなど頭からすっかり消えていた。岩小屋沢岳(2630.3m)の山頂に立ったのが8時少し前。新越乗越山荘が8時21分着。ここまでは歩きやすく眺めも良く、ハクサンフウロなど花を愛でる余裕もあった。しかし、ここら辺りから空はしだいに暗雲が低く垂れこめ始め、今にも泣き出しそうな様相となる。小屋からは正面に針ノ木峠と針ノ木沢が望まれるが、雪渓は中腹にわずかに見えるだけで、少々残念ではあるが、どうみても日本三大雪渓のおもむきではない。

 
     残念!、針ノ木雪渓(中央)に雪はほとんどなし    
  
                           
                                 新越乗越山荘

          ←新越乗越山荘付近の可憐な花たち↓
                  
                      

   
        
  
歩き始めて3時間半近くともなり、ここに来てそろそろ胃袋の状態がおかしくなり始めた。行動食はあまり受け付けそうにもないが、小屋の食事なら入りそうだ。食当・高瀬には悪いが、待ってもらいここは思い切って大休止としカレーライスを注文する。飯がおいしく食えたということで当分の間胃袋の謀反はなさそうだ。小屋を出発する頃にはとうとう雨が降り始め、今行程中初めて雨具のお世話になる。

新越乗越山荘から先は鳴沢岳(2641m)、赤沢岳(2677.8m)、スバリ岳(2752m)とピークを越え、今日最後のピークが最高点・針ノ木岳(2820.6m)の頂上に昼過ぎに立った。この間4時間のの記憶といえば、小雨と風とガス、不注意からストックの先端が滑って転倒し足をしこたま岩にぶっつけたこと、霧の中雷鳥一家の歓迎を受け束の間の安らぎを得たこと、スバリ岳の登りでまるでローソクの灯が消える直前光の強さを増すように、先行する高瀬を抜き去り(別に競争してるわけではないけど)頂上で彼を迎えたこと、本日、いや今山行中最後のピークとなる針ノ木岳の登りで、とうとう嘔吐してしまったことなどである。

  
  雷鳥一家の歓待(?)に思わず心和む            スバリ岳山頂

 むくんでグラブのようになった著者の手


    
         山名の由来? 針峰群                      最後のピーク針ノ木岳

針ノ木岳から針ノ木小屋までは天気不良の中ではあったが、一応本日の予定に目処が付いたという安堵感からか、小雨の中ゆっくりのんびり、この山行中珍しく二人足並みを揃えて下っていき、途中チングルマの大群落に小躍りして見入り、14時過ぎ針ノ木小屋が見えるところまで下ってくる。

                
                          チングルマの大群落

 ところで、好天に恵まれたこともありこれまでの全行程を1週間分のテントと食糧担いでの縦走にこだわってきたものの、実際ここまですべてテント泊であったが、ことここに来て雨の中、せめて最後の夜くらいは小屋で快適に過ごしたいとの僕の気持ちを察してか、高瀬食当兼会計担当兼陰のCL(チーフリーダー)の「なんだかんだと言いながらも何とか持ちこたえましたねえ。今日はご褒美に小屋泊まりとしましょう」との言葉に片意地を張る気など毛頭ない。そうと決まれば行動は早い。北アルプスの山小屋では、最近は下界と同じ本物の生ビール大ジョッキが1000円で飲めるのだ。ここまでいくつか立ち寄ってきたどこの山小屋でもちゃんと‘生ビール1000円也’の張り紙がしてあるのを横目に見ながら、負い目のある身ではなかなか言い出せなかった。その生ビールを縦走最後の日に味わえる。夕食までまだだいぶ時間はある。熱いおでんと生ビールで取りあえず胃袋を鎮め、部屋に戻って仮眠を取る。夕方しだいに宿泊客が多くなるが、ここは後立山、立山・剣や表銀座ほどの喧騒はない。

(コースタイム)
8月14日 冷池山荘テント場5:00→ 爺ヶ岳6:04→ 種池小屋6:53→ 岩沢小屋岳7:51→新越乗越山荘8:21 → 針ノ木岳12:25→ 針ノ木小屋14:00

8月15日(小雨)
 計画では蓮華岳を空身で往復することになっていたが、あいにくの雨模様でパスすることにし、早めの下山とする。4時頃に布団を抜け出し、周囲に気を使いながら静かに身支度を整え、玄関で簡単な朝食を済ませ小雨の中雨具をまとって午前5時、勇躍小屋を飛び出す。薄暗い谷を下っていくと下るほどに周囲はすぐに明るくなる。本来なら、いくら8月中旬とはいえ、雪渓は針ノ木小屋の近くにまであり、雪渓を用心しながら下降するはずなのだが、新越乗越山荘から遠望したとおり、谷の上部には雪はまったくない。雪渓の最も厚みのあるはずの谷の奥まった日当たりの悪いところではスノーブリッジが崩壊したりして通過困難。雪渓のなくなった沢はかえって登下降を困難にしており、主に左岸の側壁のへつりや鎖場を慎重に下ることになる。

    
    早朝針ノ木小屋を発つ             崩壊の激しい針ノ木雪渓核心部

 核心部を終え緊張感から解き放たれ、左岸の森林帯を緩やかに下ったところ、峠から約2時間ほどで大沢小屋に着く。ここは「山想えば人恋し・・・」で有名な百瀬慎太郎のレリーフがあり彼のゆかりの小屋だ。一見無愛想な小屋番に「温かいコーヒーを!」と注文する。意外にも話し好きな親爺で、針ノ木の雪渓が例年のこの時期に比べいかに少ないか、そのために例年ならまだ雪渓の中に埋もれているはずの登山道の整備に苦労したこと、鎖場などの岩場で転落・負傷する例が結構あり、その都度救出に出動する話など、苦労話を語ってくれた。
        
           大沢小屋には「山想えば人恋し・・・」の名文とともに百瀬慎太郎のレリーフが・・・

 熱いコーヒーで人心地ついた後、さらに左岸を下っていき小屋から50分ほど歩いて8時過ぎに扇沢のバスターミナルに着き、6日間の山旅を終えた。(2004年8月10〜15日の記録)

(コースタイム)
8月15日 針ノ木小屋5:00→ 大沢小屋7:00 → 扇沢8:10

          
               
'04夏 後立山縦走全行程図

          
          
'04夏 後立山縦走全行程図(図をクリックすると大きくなります)

(後記)

 ほぼ1年遅れとなったこの原稿を書き上げた2005年7月には、僕にとっていくつかの記念すべき行事があった。一つは、僕の登山人生に決定的影響を与え大分登高会の設立母体ともなったヒンズークシ遠征隊のコー・イ・モンディ峰登頂40周年記念の集いが3日に大分市で開催されたこと、今一つは学生時代の恩師の叙勲記念祝賀会が17日に松山市で開催されたことである。前者のことについては既に当ホームページにて詳報した。後者は生涯の仕事となった‘植物病理’を初め忘れ得ぬ山となった石鎚山との出会いなどが想起され、共に僕の人生の一時期、その方向性なりに決定的な影響を与えたものである。

 そして、今回の紀行文の中にも記したように、この後立山連峰の縦走では白馬〜五龍岳に至る長大な稜線上から飽くことなく剣岳を眺めては、ほろ苦い思い出の残る三ノ窓と剣沢の雪渓に想いを馳せ、すでに1年近くになろうとするのにこの山行報告をしたためるにあたって、前二者とこの山行がまるで同一時系列にあるかのような錯覚をもって、この7月を、より印象深いものにする。

 一方の高瀬にとって、「遠見尾根からカクネ里越しに鹿島槍北壁を眺め、後立山の開拓者達やヒマラヤを夢見て北壁に逝った先人に思いを馳せ、失われしロマンチシズムを求めて冠松次郎がそうしたように黒部下ノ廊下を下降する」という所期の目的は、諸般の事情に加えパートナーとの妥協もあって、叶わずじまいに終わった。もしかしたら、いやきっと‘内心やや不本意’な思いがあるに違いない。

 この山行では、相棒の高瀬には計画から準備万端、そして行動面においても、すべておんぶにだっこといった具合であった。それにもかかわらず、何らこの労に報いることもしないまま1年近くもの間、当然僕の義務でもある‘報告’を滞ってきた。不義理もいいところだ。また、留守本部兼緊急連絡先としてそれなりに気を揉んでくれた栗秋からも、「いつになったら後立山のけじめ(山行レポート)をつけるんだ?社会的責任が果たせないだろうが!」と。

後立山の縦走からやがて1年になろうとするこの7月、ヒンズークシや松山での祝賀会出席を機に、これまで漠として頭の隅に長年溜まっていた、山に対する当時の気持ちやその後の人生への影響を整理する良い機会でもあり、そのことがやっとのことで1年の‘不義理’に終止符を打つべく筆を執らせてくれた。

 もう少し付け加えさせてもらう。・・・いくら長い付き合いとはいえ別人格の大人二人ならもともと山に対する考え方に微妙な温度差はあろうし、ましてや約1週間も行動を共にすれば葛藤も生じよう。今回の山行では体調不良と山での食物摂取の考え方をめぐって高瀬には随分と迷惑をかけた。高所、長期山行、不良環境下での逞しさの点で、今回の山行で自分自身でさえそれほどまでに深刻とはこれまで考えてはいなかったのだが、己のひ弱さを痛いほど身に沁みさせられた。特に戦後食糧難の時代にこの世に生を受けた、いわゆる‘団塊の世代’の端くれとも思えないほどの食に対する甘えの構造は、同世代に理解してもらうには無理がある。そして、たとえば近い将来ヒマラヤの高所に出かける、ということにでもなった時、頭の中ではいくら崇高な理念を唱えても理屈が先走っただけで自力が伴わなければ、パートナーにとって迷惑千万な足手まといでしかない。それでも「俺も行きたい!」と言った時は、すべてを承知の上で快く受け入れてもらうしかない。「だって、おゆぴにすと以外には山仲間はいないのだから」と叫びたい。(完 2005年7月19日記)

(参考)
諸経費(1人当たり)
 交通費 JR大分駅〜JR信濃大町駅(往復)       43700円
       JR信濃大町駅〜JR白馬駅            480
       バス JR白馬駅〜猿倉               980
       バス 扇沢〜JR信濃大町駅           1330 
 宿泊費 テント設営料 1張り1000円×4日÷2      2000 
       針ノ木小屋1泊                   7600
 食料費(朝、夕食+行動食)                  5769
 燃料費                               1000
 水(五龍山荘、冷池小屋) 5.5リットル×100円       550
 保険(東京海上国内旅行保険)                1000
  
          合計                      64409
    (その他に山小屋でのビール、嗜好品、駅弁ほか14000円程度)

                 click here → '04 後立山縦走 高低図

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