'04夏 霧島の山旅
                                 狭間 渉
 7月の三連休が、前々から計画していた四万十川ツーリングが延期となり、ぽっかり空いてしまった。それではと、お盆に予定している北アルプス後立山〜黒部下廊下のためのトレーニング山行に切り替えるべく、北ア行の相棒・高瀬に持ちかけると、「霧島へ行きたい」と提案してきた。高瀬にとっては初めての山域だが、僕はすでにこれまで二度、この山域に足を踏み入れている。一度目は栗秋と二人、雨にたたられ結局は3日間周辺のいで湯巡りに終始した。二度目は厳冬の時期にえびの高原から高千穂峰までの主稜線を宮崎、鈴木と三人、ポピュラーな縦走をした。この時もやはり天候不順、ちょっとした吹雪の中で、霧島の全貌を垣間見ることさえできずじまいであった。どうも霧島のときはお天気運が良くない。

 そして今回高瀬からの提案、・・・霧島の主稜といえば、えびの高原を起点にするのが一般的であり、当然彼もそのような希望・提案を申し出てきた。しかし、こちらとしては前回とまったく同じ行程では面白くない。前回登り残した大浪池(1411.4m)を経由することがまず第一の希望。もう一つは大幡山・・・霧島連峰の主稜から少し離れている分だけ訪れる登山者も少なく近くにある大幡池は静かな佇まい、できることならここに幕営でもしたいというのが第二の希望。やや消極的な相棒を前にここは譲れない。すでに足を運んだ山域にお付き合いするとなると、こちらの我が儘も聞いてもらわねば、というのが正直な気持ち。

 さて、前夜のうちに熊本経由でえびの高原入りし、駐車場でテント泊。7月17日早朝、大浪池登山口まで車で移動。日帰り縦走が可能なこの山域にもかかわらず、やや大きめ、一泊二日の食料・装備を詰め込んだザックを背負い、午前7時過ぎ大浪池登山口を出発。良く整備された歩きやすい登山道をスロースタートでウォームアップを兼ね呼吸を整えながら歩を進める。鬱蒼とした林の中40分余り鳥のさえずり聞きながらの黙々とした登高ののち、樹林帯を抜け出したところに避難小屋。ここを素通りして10分ほどで大浪池火口壁稜線に達した。そこから最高点までの火口壁稜線からは、晴れていれば満々と水を湛えた大浪池の湖面が眼下に展開するはずだが、あいにくのガスで懸崖の一部だけ。覗き込むとすっぱりと切れ落ち奈落の底の様相だ。

    
        大浪池への登りはこんなイメージ              避難小屋  

 霧島の印象といえば、大昔巨大な隕石群が激突したのではと思わせるような無数の火口(地球の穴ぼこ)がまず浮かぶ。中学時代に見た映画‘007は二度死ぬ'の中で秘密のミサイル基地の舞台となったのがこの山域であり、以来霧島といえばこの映画とともにいくつもの神秘な火口湖を思い出す。しかし、これまで二度足を踏み入れたにもかかわらず、まだ一度もその神秘な佇まいを垣間見てさえもいないのだ。

 火口壁稜線で一本立てたあと、火口に忠実に稜線を緩やかに登って行くと、時折、ガスが微かに晴れ湖面が顔を出す。遠目にも意外なほど透明度が高いのに驚く。

             
                  美女お浪の伝説で名高い大浪池

 大浪池最高点(1411.4m)を過ぎ、霧島連峰の主峰・韓国岳(1700m)への斜面に足を踏み入れる前に、いったん下った鞍部にて2度目の小休止を取る。ここからは韓国岳山頂まで標高差にして400m近い急登となる。木製の丁寧な作りの階段が頂稜部の森林限界近くまで要所に延々としつらえてある。前を行く相棒・高瀬の足跡に忠実に黙々と歩を進める。

     
        こんな階段が少なくとも1150段               韓国岳山頂付近


 晴れていれば背後に大浪池の神秘な湖面が見えるであろうに、ガスに覆われて視界はすこぶる不良。気まぐれに木製階段の段数を数えはじめ1,150を数えたところで森林帯を抜け、荒れたガレ場となる。稜線方向から吹き下ろしてくる強風に飛ばされないよう帽子をしっかり押さえながら赤茶けたガレ場をなおも登って行くと、風は次第に向きを変え左手の火口底から吹き上げてくる。どうやら火口壁稜線に達したらしい。9時37分、この連峰の主峰・韓国岳山頂着。視界不良なれどえびの高原からの登山者だろうか、大浪池コースの今までの静寂さとは打って変わって賑やかになった。

              

 今日の宿泊地をどこにするかは、行き当たりばったりというか流動的で、大幡池畔ということも選択肢の一つだが、それでは時間が早すぎ高千穂峰まで考えると翌日の行程に無理を生じる。高瀬はザックに忍ばせた3本しかない、なけなしのビールを、ここで1本ずつ飲もうと言い張る。つまり未踏の高千穂峰へのこだわりから大幡池には幕営したくないとの意思表示と受け取れる。結局、行動食をビールと一緒に胃袋に流し込んだかっこうになった。そのせいで獅子戸岳の登りにさしかかる頃からビールの酔いがまわってきた。前を歩く高瀬は歩を一向に緩めない。「トレーニングを兼ねてんだから、負荷を緩めたらトレーニングにならんでしょ!」と、来たるべき北ア後立山〜黒部下廊下のためのトレーニングと意思確認が今霧島行の主目的と主張する。

 そう、今霧島山行は来る8月中旬の北ア縦走を前にしての互いの意思確認の意味合いが強い。日頃、日帰り山行ばかりがもっぱらとなっているが、この8月の北ア行に対する高瀬の決意は並々ならぬものがある。それが伝わってくる。

 「もう、重い荷に喘ぎながら1日実動10時間以上を稼ぐ、というような山行をする歳ではない」と、当初は山小屋泊まりをベースに計画を組むと提案してきて、それだからこそ計画に乗った部分があるのに、ここに来て曰く「全行程天幕」、曰く「1日実動8〜10時間以上」・・・なのだ。「おいおい・・・、話が違うじゃないか」 徳本峠の時、デジタルビデオカメラと一眼レフカメラを首からぶら下げて前に後に行きつ戻りつ交互に撮影しながら登った8年近く前に比べ、こっちもそれなりに歳を取った。膝に故障をかかえた身で6日分の食料とテントを担いでの縦走・・・しかも相棒は強力(ごうりき)・高瀬一人・・・ここにきて少し不安になる。

 かつて剣岳で、足を骨折した僕をまるで馬車馬のような馬力で背負い剣御前小屋まで運んだ(もちろん彼一人だけではないが、彼の馬力は格段の印象)彼・・・齢五十を過ぎたとはいえ、その惚れ惚れするような下半身の筋肉は、まさに‘腐っても鯛’・・・妻に言わせると「きゃしゃなあんたとは‘つくり’が違いすぎるわ!」となる。空身のスピードならともかく、ボッカ力の対照的な二人だけの長期山行では葛藤も生じよう。

 グループ山行のときは、最低一人でも自分よりペースの遅い人がパーティに居ると、何かと都合がよい。徳本峠の時はS君が居てくれたもので、余裕もあったが・・・。この分では北ア行は両者に温度差があり、かなり厳しいものになりそうだ。

 話を元に戻そう。獅子戸岳(1428.4m)山頂には韓国岳から約1時間の歩程。高瀬はここで一気に高千穂河原まで行き、できれば今日のうちに高千穂峰をピストンしたい意向。

 この獅子戸岳から東方に伸びた尾根は大幡山(1352.5m)から大幡池と続き夷守岳(1344.1m)を最後のピークとして小林市方面に裾野を広げていく。大幡山はこの霧島山域で最も静かな佇まいという。以前からこの次には是非とも足を踏み入れたいと思っていただけに、幕営は無理にしてもここは譲れない。幸いこの頃からガスも晴れ韓国岳と高千穂峰の頭付近を残して霧島山が山体を現してきた。

             
                霧島で一番の静寂境 夷守岳(左)と大幡山(右)

 しぶしぶ承諾した高瀬は足早に歩を進め、ミヤマキリシマの切り通し道を進むうち見る見る二人の距離が開き姿が見えなくなる。後を追っかけるかっこうの僕は開き直って、この得難い静寂さを味わうことにし、高瀬に少し遅れて大幡山のピークに立つ。と、すでにさらに東方まで歩を進めている高瀬が手招きする。この尾根には消極的であったはずなので、てっきりそれ以上先に進む意思がないと思ったのに予想に反して先行した彼の後を追い手招きした場所に立ってみて、眼下に広がる景観に、高瀬の手招きの理由を納得した次第。

             
                    念願の大幡池を眼下にご満悦

 眼下に澄み切ったディープブルーの湖面、周囲からは鳥のさえずりだけの静寂境がそこにあった。なるほど、ガイドブックに「湖畔で幕営してみたい場所」とあったわけだ。だが、時間はまだ12時をちょっと回ったばかり。ここに腰を落ち着けるわけにはいくまい。

 再び往路を獅子戸岳まで戻り、新燃岳を目指す。新燃岳(1420.8m)の火口壁稜線(1395m)までは、いったん標高差100mあまりの急坂を下ったのち緩傾斜を登り返してその間30分の所要。稜線に達するとすぐ、反対側の眼下に大きな火口底が覗き込める。

 霧島には峰数で23座、そのうち大小8個の火口湖があると言われているが、湖面の色は火口の生成過程と関係が深いのだろう、大浪池、大幡池などそれぞれ独特であり、日本語に適当な表現がないのか、透明なエメラルドグリーンなどと表現され、一方、新燃岳の火口にはやや不透明なコバルトブルー、いやマラカイトグリーンという方が妥当か、と言った感じだ。水が少なく、その分濃厚な色合いとなっている。右手に火口底を見ながら、進むほどに正面、濃いガスに覆われていた高千穂峰がしだいに姿を現し始め、新燃岳山頂を過ぎ中岳山頂をかすめる辺りで、わずかに山頂付近を残してほぼ全貌を現した。なかなかの圧巻だ。

             
                     新燃岳の火口底と火口湖

 中岳山頂からは南斜面の急坂を標高差200mほど一気に下る。早朝から7時間ほどのアルバイトでそろそろ疲れも出てき始めた頃でもあり、この下りは足に堪えた。高瀬は大して気にする様子もなく、ここに来て両者の体力差が浮き彫りになった。中岳から真下に見えた高千穂河原までがたいそう長く感じられた。

             
               中岳山頂付近を通過する頃、ようやく高千穂峰が全貌を

 高千穂河原(980m)では、偶然にも新燃岳山頂で出会った同業者・鹿児島県のSさん一行がえびの高原まで自家用車で戻るとのことで、同乗させてもらい大浪池登山口まで容易に戻ることができ感謝。Sさんの薦めもあり新湯温泉で疲れを癒した後、霧島神宮まで下ってビールを仕入れ、高千穂河原キャンプ場にテントを張って、静かな山の一夜を、酒を酌み交わしながら、お盆の北アルプス後立山〜黒部下廊下の計画の詳細を詰める(といっても‘狭間名誉リーダーと高瀬主導サブリーダーの図’は明白だったけど)。これもまた登山の楽しみなり。

             
                      木々に囲まれた新湯温泉

 翌7月19日、大分になるべく遅くならないうちに帰り着こうと、高千穂峰(1573.7m)目指して早発ちとする。「サブザックで」との僕の主張を遮って、「今回は来るべき北アルプス黒部行のトレーニングでしょ、何を弱気なこと言ってるんですか!」と、結局高千穂峰には不釣り合いな大きなザックを背負い6時半、キャンプ場を出発。そういえば、高瀬は今夏の黒部行きに備えて80リットル級の大型ザックや登山靴などを買いそろえた。「今後の残された人生を登山に賭ける」並々ならぬ決意と受け止めよう。

             
                  早朝から大張り切りのおじさん約1名

      
                    
                       殊勝な心がけ(高千穂神社)

 さて、高千穂神社の鳥居前で安全祈願、大願成就のため殊勝にも両手を合わせたのち、20分ほど樹林帯の中、遊歩道を進み、いよいよ御鉢の急登となる。しばらくすると傍らに白い顎髭をのばし放題のばした老人と犬一匹。そういえば10数年前登ったときも髭の老人が山頂小屋に居たことを思い出し声をかけてみると先代小屋番の弟さんとのこと。連れの犬は‘丸(マル)’という。ラジオと犬を友に、商売用のジュース1ケースと身の回りの物を背負子に背負いマイペースで小屋まで登るという。道中の無事を祈りつつ先を急ぐ。

            
                  山頂小屋の小屋番ご老体と相棒‘丸’


            
                          御鉢への登り

 ガスにすっぽりと覆われ視界不良の登山道は、赤茶けたガレ場の連続で、ガスと風が加わり荒涼とした様相は天孫光臨伝説にはピッタリだ。こんな雰囲気が御鉢を過ぎ山頂までずっと続く。登り始めて1時間20分ほどで、ガスの中に突起物が薄ぼんやりと浮かんできた。これが山頂を示す‘天ノ逆鉾’だ。すぐ近くにある山頂小屋は、番人が上がってきている最中だから鍵がかかって入れない。眼下、小林方面の眺めがよい小屋の東側で風を避けつつ、残りの行動食を平らげているといつの間にかガスが晴れて360°のパノラマが周囲に展開した。

     
             天ノ逆鉾をバックに                   山頂小屋

 下山は、過去に二度訪れていずれも天候不順に泣かされたこともあり、しかも昨日も必ずしも好天とは言えなかったこともあり、この二十年来の‘悲願’とも言える絶景を堪能しない手はない、とばかり、足早に駆け下ろうとする高瀬を無視し、ゆっくりと心ゆくまで楽しんだ。尤も、歳のせいに加えて昨日のアルバイトの疲労もあって相棒について行けなかったことも事実ではあるが・・・。八合目辺りでは今朝方の白髭老人が愛犬‘丸’を従えて、いや、正確には‘丸’に促されながら、相変わらずマイペースで山頂小屋を黙々と目指していた。

            
                    高千穂河原から御鉢を見上げる



 霧島行の締めくくりは白鳥温泉・上湯。えびの市方面の展望が良い露天に浸り山旅の汗を流した後、途中、老野湧水で素麺をつくり最後の残飯整理を済ませ、早朝からの行動が奏功してか、何とか明るいうちに帰分できた。(平成16年7月17〜19日)

            
                          白鳥温泉・上湯

            
                     霧島山行のGPS軌跡

(コースタイム)
7月17日 大分→(熊本経由)→えびの高原駐車場(テント泊)
7月18日 7:04大浪池登山口(1041m)→7:55大浪池火口壁稜線(1300m)→8:25大浪池最高点(1411m)→8:45韓国岳取り付き(1337m)→9:37〜10:04韓国岳(1702m)→10:40 1398mピーク→10:53 1349mピーク→11:03獅子戸岳(1425m)→11:37大幡山→12:04大幡池展望所(1346m)→12:25大幡山→12:44獅子戸岳→13:17新燃岳火口壁稜線(1392m)→13:35新燃岳(1418m)→14:00中岳(1330m)→14:42高千穂河原(984m)→新湯温泉→キャンプ場
7月19日 キャンプ場→6:38高千穂峰登山口(975m)→6:51御鉢取り付き(1074m)→7:21御鉢(1320m)→8:01〜8:16天ノ逆鉾(1574m)→9:21登山口(976m)→キャンプ場(958m)→白鳥温泉→老野湧水

(参考)
霧島山麓22ケ所の山のいで湯彷徨の記(1984年)

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