九重、山といで湯三昧で職場の夏季レク貫徹!の巻 
                                         栗秋和彦

職場の夏季レクレーションを九重でアクティブかつワイルドにやろうということになった。もちろんこんな話は酒の席と相場は決まっているので、「くじゅうなら山に登って温泉三昧だぃ!」と同僚たちの威勢のよさは酔うほどに上がっていったのは言うまでもない。しかし己の趣味を満足させるために、職場のシロート集団をいきなり高みへ導き、いろんなピークを縦走させる訳にもいくまい。主眼は山登りの辛さを少しだけ滲ませることにより、その達成感をもって夏山の愉しさ、爽快さを体感せしめ、加えて九州最高所に湧く、天然野天自家掘り温泉の「硫黄の湯」と、夏しか味わえない冷鉱泉「寒の地獄」の二大稀少温泉を身をもって体験させることで、日々世俗事にどっぷりと漬かった?我が同僚諸兄へ、とびっきりの非日常を提供しようというシナリオであった。多少我が趣味のお仕着せと言えなくもないが、これは提唱者の特権でもあるのだ。

           
                  今回、やまなみヘアピンカーブから採掘道へ短絡ルートを採った       

しかしつらつら考えるにこのプランは体育会系的ラフさを身上としているので、慣れぬ者には転んだり、はしゃぎ過ぎたり、凍えたり、はたまた非日常の名の下、酔っ払って放歌喧燥、ヒンシュク買い放題など、いろんな些少事が発生しないとも限らない。言い出しっぺとしては、全員が無事にこのプログラムを終えるまではかえって気は抜けないぞ、と普段の山行とは違ったキンチョーカンも合わせ持った訳だが、その意味で我が心情は穏やかならざるや。

さてそうは言っても本命は三俣山登山である。長者原から手っ取り早く、最短距離で登れる1700m級の山と言えばこの山をおいて他にない。その分、登りだしたら傾斜はきついが、いっときの辛抱と引き換えに短時

 

   登山口から鉱山採掘道に出て一休み、まだまだ元気!? 
          
                             
                                          すがもり越までもう一息

間に大パノラマを欲しいままにできるところがミソ。成果を効率的かつドラスティックに得ることができるので企業人教育の一環として、三俣山登山を取り入れている上場会社は数多(あまた)とのこと(ウソです!)。まぁ商品に例えるなら、いわゆるコスト/フォーマンスに優れた山なのだ。と前宣伝に努めて、皆のやる気を鼓舞する作戦を取った。ところがどんな組織でも12.3名もいれば、一人ぐらいは 「付いては来たけど、何で山登らなあかんの?」と主張する者がいるんですね。その一方で「何だ何だ、グループの和を乱す奴は!」と威嚇叱咤する鬼軍曹役も存在する訳で、その相克を眺めながらも、つまるところ造反者?を出さずに目標に向かわせるのが、ボクの役どころなので、最後部に位置取り、約一名を懐柔しつつ、先ずはすがもり越まで辿り着いたのだった、やれやれ。

 しかしまだまだ心配のタネは尽きなかった。今度はくだんの鬼軍曹殿が、やおらすがもり小屋の鐘を乱打しだしたのだ。「おっと、神聖なるこの鐘を! 頭(ず)が高い、控えおろう!」ではないがこの鐘、昭和37年厳冬、すぐ下の谷、北千里浜にて吹雪にまかれ、9人パーティのうち7名もの凍死者を出した九州山岳史上最悪の悲劇をキッカケに、視界不良時の一助にと設えた墓碑銘的性格の鐘であって、それをまるで競輪や陸上トラック競技の最終回よろしく、遊興的発想でせわしげに突けば遭難者を冒涜することにもなりかねない。「ったく! 知らない者ほど大胆だぜ!」 と多少の脅しを含ませてからかっても見たが、周りには他の登山者も多数いて、一瞬彼らの冷やかな視線を一身に受け止めめたのも事実。しかし我が同僚たちはとんと頓着なく、思い思いに雑談に耽っていた模様、フーフー、..。

 さて話は一気に三俣山上台地へ。とは言っても、言い訳には事欠かない造反者約一名を、すがもり小屋に残しての一斉出立であったが、各々のペースで登るので、すぐに縦長そしてバラバラの体となって、我が安直物見遊山隊にはグループ登山という概念はなかった。それでも責任者としてはほぼシンガリを務めて西峰台地まで登り詰めたが、先着した皆々は「ここが山頂でしょう?」という表情でボクに促すのだ。しかし目指す

  
             三俣西峰から星生山(硫黄山)方面を              

                    
                                         三俣本峰で我が物見遊山隊の面々

本峰は目線よりもはるかに高く、奥にどっしりと控えているのに、何でここが?と一瞬戸惑いは隠せなかったが、全くの引率山行なので、指示待ち人間と化してしまうのは分からぬでもなかろう。とそれはともかく、口数多くも少し遅れて到着した者二名は、我々を見てこの峰が終点と思い込むのもむべなるかなであって、ここまでに全エネルギーを使い果たしたかのように喘ぎ喘ぎの体が、一変して安堵の表情に変わるわな。フフフ...それを見透かして 「ここは山頂じゃないよ。あっちだよ!」 と告げては、そのリアクションを見るのもまた登山の楽しみの一つでもあるのです、ハイ。

 閑話休題、そんなこんなで三俣山本峰へは登山口から1時間半以上も要して辿り着いたが、頂からの隆々とした九重連山、たおやかな飯田高原、真近に見下ろす旧噴火口、大鍋・小鍋の奇景と眺めには掛け値なしに満足してもらったものと思う。まさに「苦労した分だけ見返りは多い」と言う人生の定理?を実感せしめた、と自己満足の世界に陥いりかけたものの、おっと、中にはろくに周りの秀景も見ずに、「ビール、ビール!」 と叫ぶおじさんもいる訳で、その意味では我が同僚諸兄は個性豊かな集団だなぁと改めて認識した次第。まぁ裏を返せば一筋縄では行かぬことの証でもある訳で、苦笑しきりのひとときでもあったぞな。

 で目玉の二つ目は下山途中、硫黄山直下に湧く、とっておきの雲上の湯への案内であった。九州はもちろん近畿以西では最高所1500mに湧き、かつ天然野天だからこそ尊い。そこに自らの意志で浴槽を設えて入湯し、もって非日常の極みを体験してもらおうというもので、このためすがもり越までスコップ2本を荷揚げして準備万端。

     三俣西峰から大船山を望む

しかも今回、浴槽設え役の労働力は豊富にあり、ボクは指図するだけでちゃっかり入れるというシナリオなので、さぁさぁと皆を急かせた。その硫黄山直下は95年の噴火以来、未だ噴煙ゴーゴーと血気盛んである。我々としては火の山の神に障らぬように、放歌喧騒などもってのほかだと知らしめて、しずしずと河原へ下って行ったが、この異様な環境下では「騒げ!」と言っても減らず口をたたく御仁はいなかった。まぁ、それも無理からぬこと。ごろんごろんの、ごろた石の斜面は草木一本も生えず、あちこちに噴き出る硫黄は不気味なダーク・イエローに輝いていて、まるで地獄の一丁目か、賽の河原かというシチュエーションだもの。

  

        さぁいよいよ硫黄の湯へ、禁断?の地へ踏み入れる 

                            
                                         浴槽造成工事真っ最中の図

そしてそのごろた石や岩の間を、細い湯の川が流れていて、湯量はチョロチョロながら、あちこちに小さな湯だまりができている。湯の川の上流の方は熱くて、流れるほどにぬるくなる筈だが、久し振りに手をつけてみて、その熱さにたじろいだのだ。少し上流過ぎたかもしれぬが、硫黄の湯の源泉はまっこと健在であった。  しかし周りを見渡すと皆、まるで危険物を扱うかの如く、不安そうな表情を覗かせながら遠巻きにボクの仕草を見ているではないか。先ずは皆の畏怖感を取り除くために、手足をたっぷり湯に浸らせながら、土木工事の段取りを説き、実働部隊の奮起を促したのだ。

まぁつまるところ好きな温度のところに湯を溜めて、入るだけの話だが、そうは言っても湯だまりは底が浅く、身体を沈めるにはかなり砂を掻き出して、かつ堰堤を造って湯を溜めなければならない。その意味でスコップは必需品だが、早速、若手中心に土木工事に取りかかり20分ほどで2.3人が入れる湯船をこしらえた。硫黄分を含む白濁した湯はお世辞にも快適とはいかないが、周りは噴気盛んなごろた石からなる地獄原、真正面には圧倒的なボリュームで三俣山が迫るシチュエーションは、いつ浸っても野趣に溢れ非日常心をくすぐる。湯船から少し腰を浮かせば夏空の下、すがもり越への登山道が見下せる。まだ登山道をかなりの人が歩いているのが見て取れるが、そういう人たちを見下しながら、ここで素っ裸になって白昼の温泉を楽しもうという、高尚なる趣味人のたしなみを同僚諸兄はどれだけ分かっているのか、まぁまぁ余分な詮索はよそう。ここは童心にかえって無邪気にはしゃぐだけで難しい理屈は要らないのだった。

            
                    まぎれもなく天然野天、野趣溢れる硫黄の湯入浴風景二点 

さて小1時間ほどで硫黄の湯を切り上げ、意気揚々と下山の途に就いた(つもりだった)が、中には「パンツに砂が入って気持ち悪い!」とか「某副課長の水虫がうつったかもしれん、痒い!」などと宣まう輩も現れ、一般市井の民には、ちとグレードが高すぎたきらいもあり、身綺麗にする必要にも迫られた。フフフ...分かっていますとも、メインイベント三本目はそれを見越しての冷鉱泉「寒の地獄」入湯であって、肌を刺す清冽な冷泉に身を委ねれば身も心も引き締まり、山のいで湯の総仕上げとしてうってつけなのだ。

 もちろん事前に水着持参を言い渡していたので皆、プールもどきを想像していたようだが、古びた木造平屋に入ると、じめじめひんやりと薄暗く、長方形の広めの浴槽が二つきりとあって、少し勝手が違うぞとの表情が見て取れたのだ。そもそも昔ながらの湯治場なんだから、レジャープールと思ってもらったら困るんですね。湯治は古来から業(ごう)であり、特に寒の地獄は冷泉に震えながら入出を繰り返すことで、業の奥義を深め得る稀有な場所だからして、邪気を払い粛々と入るべしなのであった。しかし我が面々のこととて、これまた心配のタネは尽きなかったが、ここのしきたりの水着着用=混浴を察知してからは皆の行動の早かったこと。

 と言うのも一つの浴槽には先客として60歳ぐらいのおじいさんが一人、うるうる震えながら入っていたが、もう一つには妙齢とはいい難くも、それなりの体型を保ったおば様3名が黄色い声を発しながら華やいでいたのだ。となればトーゼン、先陣を切り皆に範を示さなければならぬ己としては、「黄色い声」を選ぶわな。そこでボクはおば様たちに一礼をして、すぐ隣に一番手としてしずしずと入り、高尚なる世間話などを交えながら、冷泉の堪え方などを身をもって示したつもりであったが、皆はそんなことには目を向けず、好奇心いっぱいに瞳を輝かせながら、どやどやと押しかけてはざぶざぶと波を立て 「ヒャーッ、冷てぇ!」 などと嬌声を屋内に響き渡らせたのだ。まったくもって粛々とはほど遠い入浴シーンと化してしまったが、加えて「黄色い声」の浴槽に、我が面々12人すべてが集まり、ほぼ定員いっぱいでせわしげな中、視線は一方向に注がれている、と言ったあんばい。片や、隣はうるうるおじいさん一人で静まりかえっているのは、どう見てもアンバランスでこっけいであったね。

 まぁそんなこんなで肌を刺す冷泉にお互いに抵抗しながらも、都合20分ほど浸った後は暖を取り、再び浸る湯治療法をなぞらえて皆一様に顔面蒼白となったところで、おひらきとしたが、この間予測の範疇とはいえ、潜ったり、ことさら波を立てたり、「写真 しゃしん!」と口走ったりと、ひとときレジャープールと化してしまったのが、事の顛末であった。となれば全て思惑どおりには成らずとも、三つのプログラムを遅滞無く終えたことで、案内役としての任は一応果たしたことになろう。

 しかしまだまだ安心はできなかった。よくよく考えたら、これまでの行動は素面の世界でのこと。一方今宵、宿での屋外バーベキュー以降、エンドレス大宴会についてはアルコールが加わり、今日一日の心地よい疲労におされて放歌喧燥に渡ったり、或いは日中の造反鎮圧劇や夕刻参加組一名のアプローチ約束反古問題など不当な扱いに、一部抑圧された?者たちの鬱積のハケ口となるやも知れず、これまた心配のタネは尽きないのであった。

と湯宿に帰ってからも皆の機嫌を伺いつつ、夜宴の段取りを付けたり、おじさんグループを露天風呂へ案内したりと、いつになく気を揉んだせいかも知れぬが、バーベキューが始まるとすっかり酒宴に嵌まり込んでしまう自分を認めた。となると勝手知ったる定宿での夜宴進行である。白昼のアクションプラン三部作完遂で安堵感もひとしおだった事情もあろう。グビグビとビールは進み、饒舌度合いも増して、日頃になくテンションは上がったかも知れぬ。記憶は時空を越えて、すみやかに黎明を迎えたのだ。

 その意味では職場のレクにかこつけて、同僚諸兄ともっと真摯に愚直に或いは猥雑に日常的議論も交わせたかったが、時すでに遅しであって、後刻いろんな話を繋ぎ合わせると、「一番はしゃいでいたのはクリさんだったぜ!」と作為的?言動に辿り着くのだ。

どうも一部の吹聴作戦に乗せられてしまった感がしないでもないが、世の常としていずこも首謀者をダシにすれば罪はなかろうと受け止め、平静を装おいつつ、一夏の思い出を反芻しているところである。

(コースタイム)
長者原10時集合。 三俣山登山口(やまなみ道、牧の戸旧料金所先のヘアピンカーブ)10:46→すがもり越11:36 41→三俣山西峰12:00 05→三俣山本峰12:22  13:10→すがもり越13:35 50→硫黄の湯14:00 15:05→登山口15:38 帰途、寒の地獄入湯。星生倶楽部泊   (平成16年8月21日)

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