1月17日(土) 当たり外れ?の大宰府周辺の湯の巻 
                                          栗秋和彦

 昨夜来からの氷雨も上がり天気は快方へ、しかし冷え冷えとした外気に腰痛を訴える奥方は、「温泉でゆっくり温まりたいね!」と珍しくリクエスト。それではと近くの湯に行こうということになったが、さて何処に? すると何やらパソコンをいじくり、インターネットで大宰府の国民年金健康保養センター“みかさの湯”を探り出し、「ここに行こう!」とのたまう。日ごろにない積極的な行動に多少の当惑は隠せなかったが、表情には出さず従うのみだ。

 で出立は午後になったが、太宰府天満宮が近くなると、対向車線は車の列がはなはだしい。見ればどの車も中高生らしき同乗者が確認される。さすがに学問の神様だけあって、この時期は繁忙を極め渋滞も無理からぬこと、と納得した次第。しかし参拝者が温泉を目指す訳ではあるまい、と(己に)言い聞かせて雑踏を見遣る。

 さて本命、“みかさの湯”へは賑わいの参道を経由した後、「流しっぱなしの“みかさの湯”」の看板に導かれて四王司山腹へ取り、1kmほど上って行くと、ホテル風の立派な建物があったあった。しかし建物全体にシートがかかり、どう見ても全面改装中の体ではないか。工事用車両看視中のおばちゃんに尋ねると「3月いっぱいまで休館ですよ」なのだ。おぉ、ゴット、何としたことか、渋滞をくぐり抜けながら、やっと探り当てて来たのに、まったく出鼻をくじかれた思いで後戻りしたが、「ホームページにはしっかりと“休館中”と表示しとけよな!」と言いたいし、「流しっぱなしより、閉まりっぱなしに書き換えろよな!」と入口の看板にも注文を付けたいのだ、ぶつぶつ。

 さてならばこの付近では竈門(かまど)神社近くの“都久志の湯”しかあるまい、と宝満山の麓めがけて行きました。実はこの湯、2000年9月のオープンとあって歴史は浅いが、昨秋の挾間兄との若杉〜宝満ランニング登山の走破打ち上げ会場として候補に入れていたところでもあり、未入湯だが場所は確認済み。天満宮からの道が竈門神社に突き当たったところを右(南)へ山腹を1kmほど回りこんだ山間谷間の一軒屋。

 見上げれば直接、宝満山(頂は見えないけど)へ突き上げる尾根が視界いっぱいに広がるといったあんばいで、ロケーションはまずまず。しかし常にボイラーの燃焼音が耳に付き、我がイメージは沸かし湯=うさんくさい?の図式から逃れられなかった。

 で入ってみての印象はと言えば、湯屋はもっぱら露天中心の造りで、岩風呂、打たせ、木風呂(女湯は樽風呂だそうな)とそれなりに趣向を凝らしているが、直接露天風呂に浸ってみて、これがなかなか熱く、よくもここまで沸かしたものだなとの戸惑いは隠せなかった。そもそもちよっと前まで、露天風呂を提供できるのは高温の源泉を持つ湯処の特権だった筈だ。しかし今じゃぁ、客集めにどこもかしこも露天ばっかり。それでも熱い源泉を有するならあっぱれだが、沸かし湯で露天風呂を喧伝するのはお門違いでは、とかねてからの思いがよぎったからだ。流行に乗れず経営が立ち行かぬとの湯屋側の事情はあろうが、山のいで湯は正々堂々と勝負してもらいたいし、すべすべつるつるのラジウム泉が湧出しているなら(パンフレットの謳い文句)、内湯でオンリーワンを目指せよ、と言いいたいのだ。

 まぁしかしちょっぴりこの湯の名誉のために申し添えるなら、家族風呂の並びに介護風呂と称してけっこうなスペースを、車椅子の客が介助の者と一緒に入れるように取ってあること。これはなかなか公共の施設でもないのに、よく設えたなぁと、経営者の良心が垣間見えてきて、少しは誉めておかなくてはなるまい。

 さて帰途は市街地の混雑を避けて、県道35号(古賀〜大宰府線)を直接、宇美町方面へ取ったが、市町境の松川ダムを過ぎた頃合から仰ぎ見た宝満山〜三郡山の稜線は青空をバックに新雪をまとってなかなの迫力だったね。もちろん車を止めてそれなりに構図に気を使いつつ、2,3枚カメラに収めたが、日ごろから“おゆぴにすと”のトップページに載せる季節感溢れる写真はないのか、と編集長の詰問に応えようとの一心だったことを強調しておきたい。(2004年1月17日)
             
               太宰府市御笠付近から仰ぐ冠雪の宝満〜三郡への稜線

(参加者) 栗秋夫妻 

              トップページへ       山のいで湯行脚目次へ