英彦山安全祈願登山競争?顛末記 
 
                                           
栗秋和彦

5年ぶりの本社勤務、つまり5年ぶりに新年の英彦山安全祈願行に加わることとなったが、前段として今や恒例となった一部有志による前泊大宴会&翌朝積極果敢登山隊にも名を連ねることとした。こういう機会でもないと、なかなか英彦山に登ることはないし、この時期なら高い確率で雪中登山が楽しめるとの思惑もあった。

 とそれはともかく今回の前泊宴会山行のおおぎょうさには少なからず驚いた。前回(5年前)は老若とりまぜてもわずか7名の参加だったので、前夜の宴もこじんまりとささやかに執り行い、登山の方も霊験新たかな修験道の山を意識して、粗相のないように粛々と登った記憶がよみがえる。

 しかし今年は一転、30名に迫らんとする大部隊、まさに宿は貸し切り状態とあって大宴会は放歌喧騒の極みで深夜まで延々とつづいた。そしてその原動力は昨春入社の若者10名。う〜んこれはコンパのノリだなと断じつつ、明日の山登りもこの勢いを保てるのか興味深く観察するのも一興であったが、おっと、このまま付き合っていたら身がもたぬのも道理である。目下のところ寝床を探すのが先決であった。

 で翌朝は思ったとおり、出立予定時刻にはなかなか集まらず、取り仕切り役の I 鬼軍曹のイライラは募るばかり。ベースとなる奉弊殿(の裏手にある英彦山修験道館下)まで直接車で乗り入れて、時間を稼いだつもりだったが、この大人数では何やかやと手間取り予定出発時刻が下がるのは致し方なかった。それでもまだまだ時間的には余裕があり、皆がまともに行動すれば、さして焦る必要もなかろう。

 一方、空模様は高曇りゆえ強い冷え込みもにも遭わず、期待していた雪も年末からの暖冬傾向とあっては、ここ奉弊殿付近では望むべくもなかった。しかしかえって素人ドヤドヤ登山隊(前夜までは積極果敢登山隊の筈だったが..)としては好むべきコンディションであったかもしれぬ。

 先ずは6,7人と連れ立ってゆっくりと広い石段を踏み締めつつ登山開始だ。英彦山特有の段差の大きい石段を踏み締めると懐かしさとともに、いにしえに荒行を求め辿ったであろう修験者たちに思いを馳せるのだ。うんうん、密教的な儀礼作法は分からぬが、霊験を感得しようとした先達の雰囲気に浸ってみるのも悪くはなかろう、とその気になっていると、なんだなんだ!後ろから勢いよく追い越して行ったのは新人の山崎、山元両君ではないか。

 息を荒げている風には見えないが、明らかに先陣争いの体だ。「こらこら、ここは日本三大修験道場の一つ、霊感感得の山だぞ!粛々と登るべし」とつぶやいたものの、こっちも身体が勝手に反応してしまい追随する羽目に。あれよあれよと言う間に、連れ立った仲間からは先行してしまい、一ノ岳展望所の東屋を横目で見遣るころには、三人以外周りは誰もいなくなってしまったのだ。あぁ条件反射的我が身の性癖には苦笑いするしかない。

 その展望所からは麓の丘陵帯とそれにつづく添田町方面の冬枯れの山畑が、もやって見える筈だが、もちろんそんな余裕はなく、かと言ってピッタリと二人に付くには、おじさんの気恥ずかしさが妨げるので、一定の間隔を置いて付いて行くだけ。そしてそのころには遥か後方まで振り返っても全く誰も視界には入らず、もくもくと若者を見据えつつ登るだけであった。

 さてほどなくの一ノ岳を越すとだらだらの下り。更にやや登ったところにある鎖場は一気に越し、中津宮を過ぎていくぶん平になったところで、両君はペースを緩めたのか、図らずも追い付いてしまったのだ。こうなれば気恥ずかしさは棚に上げて、離されてはならぬとの思いが勝る。「フーフー、青年!そもそも英彦山とは何たる山か知ってるかい?」と、おじさんは薀蓄を傾けて繋ぎ止めようと画策するが、青年たちには面白くも何ともない話であろうことは想像に難くない。頃合を見計らって先行した方が二人にとっては、よりエキサィティングな山登りになろう。

 とその読みは当たったか?稚児落としを過ぎたあたりから彼らは申し合わせたようにロングスパートをかけて(と勝手に思っただけかも知れぬが)、振り切りにかかったのだ。ここは我慢のしどころだったが、パワーの差は如何ともしがたく、じわじわと離されてしまう。「う〜ん残念無念!」と落胆の気持ちと「敬老精神が足らんのではないか、ったく!」などとお門違いな思いも描きつつ、それでも懸命にすがった。

 そして行者堂跡まで上がると緩やかな台地に熊ザサやブナの疎林が和ませてくれたが、傍らにはポツポツと残雪も現れてようやく冬の英彦山を実感せしめるのだ。ここまで来れば頂はもう目と鼻の先であって、もうすっかり遠ざかってしまった不義理?な青年たちへの執着心も消えて、淡々と歩を進めたが、一人になると冬枯れの頂稜はモノトーンの配色に寒風も相俟って、寂寞の感も募る。そんなところも冬の英彦山の魅力でもあるのだが、青年たちにはこのワビサビは分かるまい、ブツブツ(と、またぞろ執着心がもたげたりして...)。

 そして両君の待つ山頂(上宮)へは奉弊殿から42分を要し三番手で到達。彼らのパワーを褒め称えつつ先陣を許した憂さは、二人を聴衆役に仕立てて山上からのパノラマガイド役で発散させようと目論んだが、眺望はガスに覆われこれも叶わず。であれば早々と待合わせ場所の山頂避難小屋(ぜんざい会々場)へ駆け込み、皆を待つしかなかった。


              
                     山頂・上宮で登山競争覇者?の山崎君と

 ところがここまでそれなりに心拍数を上げたツケは、汗となって下着を濡らすし、小屋の入口に設けた寒暖計のー0.5℃を認めたばっかりに、体感、視覚の両面でゾクゾクの体。ますます寒さが身に沁みて、待つことのつらさを改めて思い知らされたのであります。あぁそして都合30分は待ちわびての本隊との合流だったが、身体は冷え切ってしまい、このときばかりは甘いものに不得手な己をして、温かなぜんざいクンは救世主であったように思う。その意味では山登りも人生に似て、ただがむしゃらに突き進めばいいのではなく、「機に臨み変に応ず」の行動も必要だと改めて悟った次第。

           
                山頂避難小屋にて、ぜんざい会の賄い人たる青年諸侯たち

 一方、くだんの両君は待ちわびる風もなく本隊到着まで、寒風、ガス、残雪など山上の非日常性に好奇心旺盛な表情を見せてまるで屈託がないのだ。う〜んブルブル、おじさんとしては若さへのやっかみ半分だったが、5年ぶりに踏んだ山頂上宮での願いごとは、我が素人喧騒登山隊本隊が到着する前の静かで霊験新たかな雰囲気の下で行ったので、本隊の面々より利得は大きく、もちろん中腹の奉幣殿までしか踏み入れない殆どの同僚諸兄には比ぶるべくもないほど、今年の御利益には大いに期待しているところである。

(コースタイム)
英彦山温泉・しゃくなげ荘(前日から一泊)6:55⇒車⇒奉弊殿(中宮)駐車場7:10 15→奉弊殿7:20 30→英彦山頂8:12(山頂ぜんざい会)9:35→奉弊殿10:23 (安全祈願の御祓い)12:25⇒車⇒アドベンチャー森の家12:35(新年会)15:00⇒車⇒英彦山温泉・しゃくなげ荘(入湯)15:10(南福岡着18:45)

(参加者) 栗秋、その他大勢(会社)
                              (平成16年1月9〜10日)

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