Cafe'  SlowBeat




 

コラム

気がついたときに、思うことを記していきます。


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2021/12/08

今日はやけに戦争関連の記事や番組が多いなと思ったら真珠湾、開戦の日だったようです。
あれから丸80年、約一世紀も前になるのに歴史的に大事なことが今も世間多方面で取り扱われるというのは記録技術の進歩があるとはいえ、人々の良心あってのものでしょう。絶対二度と起こしてはいけない、付和雷同は避け、皆と異なる意見に注視すべし。

といったところでこちらの状況。
新参白猫 "ココ"も順調にお客様たちのハートをつかみつつあり、ガン治療中の私もこの二ヶ月弱の間に投薬3クルーを終えて "こんなんでええのか"と思うほど普通の生活、投薬入院の数日後には自宅でバイクも酒も食い物も、そしてお店の仕事も、薬の作用で手足の指先にシビレがあるものの普通にやってます。

私にとってはレアな病院というものについても書きたかった。
病院は様々な人々の連携で成り立っているが、今回私は大分赤十字病院の内科にお世話になっていて、見たところ内科はすべてが看護師で成り立っている。ドラマでは外科医が活躍するが、内科の医師は治療の設計屋さんであり、実務はすべてといっていいほど看護師が行う。治療メインステージの投薬から日々の検査から介護からお膳の配膳から片付けから入浴からベッドシーツ、パジャマ替えまで・・・



入院中、看護師以外と接することはほとんどない。それもこの病院では若い看護師ばかりが多数で、暗くなりがちな入院病棟を明るくしてくれている。
看護師に男性も見られるようになったが、やはりメイン多数は今でも女性、看護婦さん。ジェンダーがどうのという時代になったが、私にはやはりこの仕事は女性に適しているように思える。

白衣の天使、看護婦さん、これからもお世話になります。





2021/11/21

さて、先日死を見据えた治療生活が始まったと話しましたが、何も今回お医者さんから肺がんステージ4ですと告げられるまでもなく、これまでもずっと死は日常の生と隣り合わせだった訳で、、、

、、、病なんて知らずに突然心不全や脳卒中で死ぬかも知れず、非のない交通事故で死ぬかも知れず、自らバイクで滑って死ぬかも知れず、山登りの滑落で死ぬかも知れず、海で波に飲まれて死ぬかも知れず、大地震で死ぬかも知れず、大水害で死ぬかも知れず、喧嘩で刺されて死ぬかも知れず、酔って転んで頭を石にぶつけて死ぬかも知れず、隕石直撃で死ぬかも知れず、嫁にいびられ死ぬかも知れず・・・・

まあそんなもんでいくらでもいつでも死んでおかしくない状況はあるわけで、にも拘らず一般に人は死というものについて生前あまり真剣に考えない、死が間近になって恐れおののくだけ。
実は、この世にあるものはすべて死す。宗教ではなく科学的知見に置いてすべてに死がある、人や木々など生物だけでなく石や地球や、最大のものを取って「宇宙」にも。
早いか遅いかだけ、万物になぜ死があるか・・・・なぜ物には永遠が許されないのか。

人は死を怖れる。私も高校生の時にコックリさんから26才で死ぬと告げられずっと怖かった。が、26才の時は社会人真っ最中で完全に忘れている中に26は過ぎていた、、、
死を動物的な本能ではなく理性的に恐れるのは人間だけらしい。
なぜ人は死を恐れるか、そんなの当たり前でしょ ? ホントにそう ?

これは私の感じることだが、田舎の人は都会の人より死を恐れない、受け入れやすいと。

都会など人工物の中に居ると死に出会うことが少なく生死はなかなか感じられないが、動植物に囲まれた自然の中では生死は空気のように当たり前に周りに溢れている、雑草や昆虫たちのみならず、農作物や畜産物や毎年姿を変えて最後に倒れ倒される大きな木々たち、そんな中に過ごし感性と理性を解放すれば、生と死は表裏であり個々の種(しゅ) のみならず地球規模全体で連続しているということが自ずと感じられる。



現代人はあまりにも死を避けて見ぬふりをしてきたため死を悪視する様(さま)になっているが、死は日本においても武家社会から先の大戦までは人の「覚悟」に基づく大いなる意志の発露の手段であったと思われ、生と同等の重みが意識されていたと思われる。お国のため、お家のため、家族のため、己の誇りのため、そして愛する人のため、、、
その中に自刃もある。

また、生を強く感じるためのバイクや山や海はリアルに死と隣り合わせになるが、逆に死と直面することで生が強まる、そうやって一般に嫌われものの「死」というものを長年見つめてきた私は今は死を全く恐れない、理屈とは別に自ずと覚悟というか諦観ができている。

死と同時に脳がシャットダウンするのなら毎日寝ることと変わりなくただ目覚めないだけ、「あの世」があれば元々転勤族で新地への好奇心の強い私はどんなものかワクワク、地獄へ落ちるほどの悪さはやってないと思うし・・・・逆に死を送る側の姿勢としてもいつかは来るものとの覚悟は必要、だが例え死しても心の中にその対象が居れば触ったりすること以外はそれまでと同じ、ずっと自分の中で生きてる。両親とは、両親がガンで亡くなってからずっと会話が多くなりました、ホント。

生と両輪とも言える死というものは実は身近であり、「再生」「SDGs(持続性)」の同義に近く、自我から離れそういった目で見れば死は怖いものではなくなるかも知れませんし、理性という面倒なものを有する人の死には「覚悟」というものさえあればよいのかも知れません。

ただ、あまり痛いものはごめん被りたいですけど。





2021/11/15

最近家にあるDVDやBlu-Rayをまとめて観賞し直す時間があり、その中で史実に基づく第二次世界大戦のものに印象が残った。
史実なので映像に臨場感があり、その中で、いともたやすく人が死ぬ、殺される ・・・ ホロコーストではちょっと気に障るというだけで少女が拳銃で頭を撃ち抜かれ、硫黄島では仲間を殺し、真珠湾では何の用意もないまま不意に爆弾を落とされる、、、

今の世はいい、死に対しては手厚く大事に扱われる、病院、医師や看護師、死に対面する辛い場所かも知れないが先の大戦のような粗末な死の扱いと比べると夢のような環境、、、
だが気付けばこれらは遠い昔話ではなく、アフガン含めた中近東やアフリカ、各国のテロなど、今現在でもこの映像と同じことは、ある。

ということで、最近お店の不定休やマスター不在などが気になっていた方もいらっしゃるかと思い急ですが、実は私ことマスターは今肺がんで治療中です、DVD観賞は入院中の暇潰しに私材を持ち込んでの策。
肺がん、それもステージ4とのことで、「ああ、ちょっと短いけどわたしの命もここまで、もともと生の中で死は覚悟していたもの、じたばたせずに往生際よく受け入れましょう・・・」

単なる延命要素だけが強い従来ながらの抗がん剤治療などは拒むつもりでしたが最近のがんに対する医学の進歩は凄い、先端治療がいくつかありそのひとつに適合、好奇心旺盛な私にとって、これは自ら体験してみるしかない ! (笑)
やってみると昔ながらの苦しい闘病生活ではなく、三週間に一度病院で点滴投薬と数日入院した後は自宅で普通に生活、今日も普通にお店でお仕事、これからどうなっていくかはわたしもお楽しみ !

ということで、時々入院でこれからも不定期にマスター不在のお店の形態があるとは思いますが、夫婦、そして最近では娘やその友人たちも一緒になって臨機応変、楽しみながら頑張ります、変わらずごひいきのほどを ♪







2021/10/10

今年の夏は長雨のせいもあり異常に涼しかったが、逆にもう十月に入ったというのに日中暑さが感じられるほどの暖かさ、大分県日田市では先日35℃を超えた、全く今年の気候はおかしい。
そんな中お店は16年目に突入、幸いコロナの影響はあまり感じられず、特に9月は著名になった近くの七つ森古墳の彼岸花で大盛況、また娘や娘の友人たちによる「お助け隊」で凌げた、感謝。

さてそんな中、以前ちょっと触れた8月の初めに餓死寸前で当店敷地内で動けなくなっていた白猫、いろいろと謎めいた猫だったのですがその後順調に回復、当初2.4kgしかなかった体重が今は4kg前後に、昨日避妊手術を終え無事帰宅、成り行き上 「はる」 に変わって当店の看板娘となりました。非常に人なつっこい性格です。



名前は「ココ」。
「ココ・シャネル」の凛とした姿の写真を見たとき同じ感覚を感じたのが発端で、シャネルも孤児院で育ったと知り 「此処、このお店があなたの新しいお家だよ」、そして「個々の自由」 日本では軽視されコロナでさらにその度合いが強まりましたが、私の重要な思想のひとつ。

それにしても父親が犬好きだったため子供のころからずっと犬は身近に居ましたが猫は生れて初めて、「成り行き上」 でなければこれからも猫を飼うことはなかったでしょう ・・・まっ、人生ってそんなもの、例えば珈琲屋さんに成るなんてそれまで一度も考えたことはなかったし。

ココ、実はお店で動けなくなったその一ヵ月前に一度だけ会っている。その時もやせ気味とは思ったが、手足と尻尾が長く頭が小さい八頭身で凛として私を横目に歩く姿は、普段周りで見ている猫とは全く違う姿に私には映った。
(後でその時の下の写真の日付を見て驚いたが、私の誕生日だった。天の誰かからの贈り物だった ? )


その後ネットでいろいろ調べ、やはり異国のそれも希少な種類の猫の血を濃く持つものと推定され、日本でもブリーダー経由で購入可能、この種の猫は左右の眼の色が違う「オド・アイ」を特徴とするがウチのココはオド・アイだが右目が白濁している。それで売り物にならないと捨てられたのかも知れない・・・

ともあれ柵も檻も鎖もない自由な身のココ、今はココの猫小屋となった「はる」の犬小屋を中心に、皆さまをお出迎えしてくれることでしょう (・・・期待 ! )

♪ ココでーす、よろしくお願いしにゃす ♪

※木登り名人。体型から想像される運動能力の高さに毎回驚嘆。





2021/09/10

オリンピックに続きパラリンピックが先日終わった。
この地では冷房を付けたのがオリンピック開催時の一週間程度が全てという、異例の涼しさの中で夏が終わった。

パラリンピックと聞くと今でも鮮明に思い出すことがある。
もう三十年ほど前、当時の会社の同僚男女4〜6人で福島方面に一泊でスキーに行った時のこと、泊ったペンションには卓球ルームがあり、食事を終え何人かで卓球をしていた。そこへ小学校高学年くらいの子供とご両親がニコニコしながら卓球ルームに入ってきた。子供には両足が無かった。

「よかったらこの子と卓球をしてもらえませんか?」

えっ? でもその下半身でどうやって……?

全く仰天した。彼はまず卓球台の上に両親に乗せてもらう、相手からの玉筋が分かり次第まずラケットをそちら方向に手で投げ、次に両手を使って台上を素早く移動、着地したらラケットを左右の近いほうの手で持ち、打ち返す、当然早いラリーなどは出来ないが、温泉卓球は楽しめるのだ。
でもその「技」以上に驚いたのが、ご両親がもの凄く明るかったこと、だから子供も凄く明るい、普通なら小さな子供が両足切断となれば悲観に明け暮れるだろうに、まったくこの一家は違ったのだ。

翌日ゲレンデでスキーをしている彼を見た。腰下にモノスキーを装着し両手のストック操作で見事に急斜面をターンしながら滑っていた。一緒に行った同僚たちは私以外ちゃんとパラレル(2本のスキー板を揃えて滑る技術) は出来ない面々だったので、30才前の五体満足な大多数の男女より両足のない小学生の方が圧倒的にスキーは上手かった、この事実にも驚かされた。

その後パラリンピックという言葉を知り、彼のような重度の身障者から超人になっている人が一杯いると知りました。同時に身障者のみならず障害者全般に対する私の見方も変わって行きました。


※写真は当然ながらイメージです。

情けないことに、五体満足でも人間は精神的に追い詰められることは多々あり、そのとき私は彼ら一家を思い出しました。「両足取られる前にやれることは一杯あるやろがー ! 」

パラリンピック以外にも、目の見えないピアニストは多数、右腕のないピアニストや火傷から左の人差し指と中指二本だけをメインに使って一世を風靡したジャズギタリストも居ます。
ベートーヴェンなんて耳が聞こえなくても最期まで凄い作品を書き続けた・・・最近では車椅子の天才物理学者ホーキング博士がいた・・・

肉体的ハンディにめげず、逆にエネルギーとする凄い人たちは、世の中に一杯いるのです。
五体満足なのにしょうもないことに悩んでいる暇なんてないのです。





2021/08/25

実はこの一ヶ月間、いくつかの生き物たちの保育に勤しむ毎日で、いろいろ書きたいことは溜まっている。
まずはその保育から。

少なくなってきたメダカ繁殖のために受精から孵化から稚魚隔離保育、次に1〜2年振りに新しい金魚の稚魚のお出迎え、そして痩せ衰えて当店敷地内で動けなくなっていた子猫の養生。

メダカは子を隔離しないと親が食べてしまうという何とも理不尽な自然の脅威 !
1cm程度の大きさになれば親たちの居る水槽に放せるが、孵化含めそれまでが結構しんどい。


金魚のランチュウは拳大ほどの大きさになると毎回の対策を掻いくぐってカラスや小動物にやられていた。網などを掛ければ良いのだが、それでは観にくくてエントランスに置いている意味がない。
何度頂戴してもやられるので金魚先生に申し訳なく、今回はちょっと過激な対策を考案し作成した。
今のところは金魚もメダカも幸せそう。


さて、骨皮瀕死状態だった子猫ももう二週間以上当店で養生、かなり回復、ギャラリー小屋にお気に入りのスポットも見つけたご様子で。(あんた作品か?)
 
■2021/8/6              ■2021/8/20
当店のファミリーになりそうな流れなので、また別途に。

それにしても保育というものは大変で、でも笑顔になる。





2021/07/28

お店恐怖の先週4連休を無事に終え安堵のひと時。
スイートコーン販売もおかげさまで盛況、例年6月からの冷房が今日初めてONという変に涼しい夏、この地だけのようですが。

恐怖の4連休は、なぜか突然現れた娘や娘の友達たちによる応援で無事切り抜けました。
連日の満席、お客さま方、そして応援の若男女たち、ありがとうございました。

・・・そんな中、国民の半数以上が開催に反対するコロナ最盛期の中の訳の分からない東京オリンピックがなし崩し的に開催中です。「一旦始まれば国民は熱狂する」 舐められたものです。
自分のピアノやバイクやスキーなど肉体と精神一体の "自分の大好きなもの修練者" その第一人者として最尊敬する選手たちですが、でも本来裏方であるはずのオリンピック運営集団というもの、いつもの通り大組織の公共事業というものは一旦始まると止まれない、ということなのでしょう。

お隣の熊本県産山村の1979年に着工し8年後に完成予定だった農業用水用の大蘇ダム、たび重なる漏水の補修工事で当初予算の130億円が720億円へ、国家事業だったものが熊本や大分県側も追加費用負担を強いられ、着工から40年経った昨年11月に形だけの完工式が成されたがその時点でも漏水量は予定の10倍を超えていた。熊本県側多数は完工式には出席しなかった。当初地元から漏水の危険大と指摘あったにも係わらず決行したと聞く。

こんな田舎のダムでさえこんな有様なので、国を挙げてのオリンピックという公共事業が中止されるはずはない、か・・・


※久しぶりに阿蘇の「押し戸岩」。何故かこの大草原の上ここだけに巨石群があり、シュメール文字ともされる字が石に刻まれている、太古から続く人類の不思議 …

オリンピックの理念は多様性 (という的確な日本語があるのに "ダイバーシティー" と小賢しい洋語をなぜ日本で使うか私には理解不能) の尊重というものがあるらしい。だからいろんな国や地域、いろんな競技や、身障者パラリンピックもある。

東北大震災で電源集中の危うさを福島原発事故でも知ったが、昨今のオリンピック含め大規模指向にならざるを得ない中央集権的システムは小回りが利かない、臨機応変が利かない、、、

太陽光や風力や水力や地熱発電などの地域主体の再生可能エネルギー、コロナや各地災害に於ける各都道府県の知事さんたちの活躍、メーカーの単一品大量生産からオン・ディマンド指向、ネット配信による全国各地の地産物の流通、、、
これらは中央集権ではなく、正に "多様性" 由縁。

人含め周りの動植物たちは面倒な雌雄による遺伝子組み換えによる多様性を武器に生き延びている。単体のウィルスも複製過程で生じる誤作動で遺伝子変化を行う。
今回のオリンピックやコロナのドタバタから改めて、単独大規模構造から臨機応変小回りの利く "小規模、少集団、個々、その多様性と特性重視" の流れになれば、と思う。





2021/06/29

この時期になるとまだ明るさの残るお店閉店後、酒杯片手に店の駐車場に椅子を持ち出し、ずっとその夕暮れを見ているのが至悦の楽しみ。




田舎の自然の中は人も少なくて寂しいし、面白いことなんて何もない・・・
都会には人が一杯いてキラキラした楽しいものが沢山ありそうで、だから都会へ行く !
・・・という昔ながらの一般通念。

一見誰もいない寂しい風景と思える自然の中には、実は都会の比ではない多種雑多の無数の生命が満ち溢れている。
様々な草、様々な木、様々な虫、様々な鳥、様々な小動物、、、それらの織りなす死闘の数々の様子、そしてそれを照らす太陽、月、雲、星々、その毎夕変わる微小から極大までの、風と香り満ちる光景、その調和の煌き・・・

それらの生命を感知出来る人には、主に都会で象徴される各種社会的ヒエラルキーや底浅いキラキラや、人様だけに恐怖拡散される疫病などや、そんなもの足元間近に見る自然界の各種生命の死闘から見ると、、、アホらし。
・・・各分野、否応なく社会的に懸命に対応されている方々、ゴメンなさい。

私は過去の都会生活の中で "人という生命しかいない箱庭" の中で窒息感を感じていたと思います。だから勤めの週末に海や川や山に行きバランスを取ろうとしていた、と思う。
ここ今の自然の中に長年居て、いろいろ過去の自分の意味の分からない感覚や行動に、その理由付けが見えてきたと思います。例えば自然の中で安堵を感じるのは、多種雑多の生命の存在だった、と。

老いて行くというものは、これまで無意識にやっていたものの理性での認識、即ち "知覚" する過程なのかと最近思います。


… そんな "知覚" の日々の中、「以前から何となく気になっていましたが初めて寄りました !」 のお客さんが、以前にも増して最近富みに多くなったように感じています。
"知覚"しましょう !

今年は「セーノ」や「れじゃぐる」などメディア出演の生り年(!?)、今回は一過性の月刊誌やTVではなく長期の信用を認定された保存版の書籍へ !♪
しっかり読んで実体験し、"知覚"しましょう ♪ (笑)







2021/06/11

今週のお店定休日、久しぶりに登山をしてきました。




しばらく登っていないと調べると、なんと前回阿蘇山以来4年ぶり。それまでは大概、年に最低一度程度は登ってましたが、、、

今回山登りを思い付いたのにはいくつか理由がある。
まずは自分の体力がどの程度落ちているかを知るため、次に、昨年秋新たに購入した登山靴兼用のバイクブーツがいかほどの登山性能か知りたいため、そしてこれも昨年末作り直した遠近両用メガネが岩場などで見え方に不具合無いか、さらに、1年以上前から格闘している難聴、最終的にMRIまでやったが結局西洋医学では原因不明分野にあり、神経や精神ストレス起因が推測されており、山登りなどして感性と肉体に刺激を与えれば何か効果があるかも、、、ちょうど天然記念物であるミヤマキリシマの最盛期で、天候も晴れ !!!

いつものとおりドカでアプローチ、バイクなら混雑期の駐車場を気にすることなく好きな時間に最短距離でアプローチできる。
登ったのは私にとってのベンチマークである、牧ノ戸からの久住山ピーク。
ピークまで行けるかどうかが今回関門であった。途中撤退しても仕方ない、体力と、靴とメガネ、、、

ピークまで行けた。

思っていたほど体力は落ちていなかった。ブーツはバイクでは多少違和感あったが登山靴としては物凄く優秀と分かり、メガネは何も問題なし、、、だが難聴には何も効果なし、疲労が増すと難聴の度合いが増すことは分かっていたが、今回の登山の疲労でよけい酷くなった (笑)。今、また次の別の手段を試している。



今、コロナワクチンの接種に社会はお話満開。
父母の癌闘病から現代の医学というものに関心を持ち、今は自ら心身のものとして身近になりましたが、結局ワクチンにしても薬にしても、自分の体を治すのは自分自身の免疫含めた治癒力であり、薬やワクチンはその力を補助するだけのものでしかない、薬やワクチンやお医者さんが根本的に病を治すのではないし、治療どころか原因不明の病はまだまだ多い、と知りました。
さらに、その治癒力の補助をリスクあるが即効的に成し得る西洋医学、リスク少なく長期的に成す東洋医学、そういった理解に今あります。

…と言いながらも毎朝一番に来てくれるお客さん、「足が痛くなってきて最近は痛くて夜眠れない…」 たまらず病院に行くと足だけでなく背中含めて広範囲にレントゲンを撮られ 「背骨に圧迫があります、その神経で足に…」

薬をもらった当日夜から安眠、良かった。
コロナで最近オリンピック開催に精一杯注意促す政府コロナ分科会長の尾身茂医師始め、当然のことながら、医師、医療、捨てたものではない。

山登り含め自然の中に居ると、様々な種の植物や動物たちが無数に生息している中、自身含めた人というこの地球上の小さな生物の、今はコロナに始まるいつもの右往左往のドタバタ、それがなぜか愛おしく思えてくるのです。





2021/05/10

今週末にグランツで開催予定の当店主催、奥平真吾ジャズライヴは、コロナのため中止となりました。(⇒詳しくはコチラ) ・・・・やるのもやめるのも大変で、なら最初から何もやらなければいい、一番楽だと思えますし、一番合理的に見えますが、「では何のためにわたしは生きてるの ?」
このコロナ、みんな大変、どこまでがホントでどこまでがウソなのか ? 混乱。

そんな暗いコロナ状況ばっかの中、暗いだけではなんも面白くない ! 久しぶりにTVに出ます。地元OAB(大分朝日)のお昼の看板番組、「れじゃぐる」、 5/15(土)のお昼に放映 !
以前も出演させて頂いたことがあり8年ぶりです♪





たったひとつの料理を、いろんな照明具合やアングルを何度も調整するカメラマンたち。
これを何品目に渡って計二時間半、放送ではたった3〜5分の放映のために。

いつも変わらない真剣なメディアの取材の姿勢に驚きます。

演奏家や作家さんや放映番組、そしてそれを支える表へは出ないスタッフたち、
みんな、生きてます。

子供の頃、なんのために自分は生きているのかという、恐らくほとんどの人が思った疑問が芽生えましたが、周りのせわしなく動く大人たちを見て、大人になれば分かるんだろうと思いました。でもそれは間違い、社会で生き延びるためだけに懸命になり、その子供の頃の疑問は置き去りになっていると知りました。
このコロナ、人々にそんないろんなことごとを思いさせる機会なのかも、と最近思います。





2021/04/27

気付かれている方もおられると思いますが、このコラム内の薄金色文字はリンクの印、自分の思考がリンクした過去のモノを自分が思い出す為にマーキングしている。気付いた方にも参照してもらえたらと。
その「過去のモノ」がさすがに15年間では多くなり過ぎ、記憶だけでは検索し辛くなってジャンル別に整理しようと作業を進めていたところ、久しぶりにTV取材の話があったことで取敢えずマスメディア関連だけ過去全てを整理してみた。(⇒主なジャンル別コラム)

驚いた。これまでの15年、こんなにもいろんなメディアの方々に紹介して頂いていたのかと、、、涙が出ました。
これ全て、お金は一円も払っていないのです。逆に取材に掛ったこちらの費用やお土産を頂いたり…

… 先日親しいカフェのママが来て「実は "セーノ" の取材依頼があったけど気疲れしていて断ったの… (ため息…) 」

これまでの人生で痛感したことは、前向きに押していないと潰れてしまう、ということ。
楽をしようと安易な方向に向かうとなし崩し的に堕ちていく。

最近気付いたが、この地球上に生きているということは、常に重力や大気圧という大きな負荷が掛かっていて、それにいつも対抗することで生が成り立っている。重力や大気圧に対抗しなければ即、潰されてしまう。
スキーでも急斜面やコブ斜面で、怖くて後傾になるとダメ、怖くても前傾姿勢を取ってこそ勝機が見える。バイクでもそう、コーナーに積極的に突っ込む姿勢を取ってこそコーナーリングが安定する。取材や接客や受験や山や旅や転職でもそう、怖いけど前向きに臨めば活路が開ける、、、、
そうしないと潰れる。


当店の花木の春

花木など動植物含め、人の生も元々がそういった構造になっているのではないのかと思うのです。





2021/03/24

昨日の定休日、バイクのマス・ツーリングに行ってきた。
"マス"といっても9台だが普段は単独、連れがいても一人か二人という私には、調べると実に11年ぶりの人数だった。昔から親しいラーメン屋を経営するバイク乗りのお客さん、その仲間たちと今回初走行が実った。


※国東半島長崎鼻、菜の花

孤独も好きだが別に孤独だけが好きというのではなく、だから人の集まる今のカフェをやっているわけで、バイクでもこの地へ来る前はSNSのない昔から、適当に集まった仲間で走っているのが常だった、とても昨今のバイカーのようにお行儀良いとは決して言えない走行だったが … ^ ^;
だが今の仕事になって土日はお店の繁忙日、ツルんで走るという機会は薄れた、、、でも昨今の不況のせいか平日が休日という方が増えてきているように思え、まっ、だからこういう機会が芽生えるのは嬉しいんだが…

今回のツーリング、今見ごろの"ミツマタ"観賞名目、国東半島から日田へ300Kmとの触れ込み、まっ、300ならたまにやってるし、だったが、帰宅して記録を見ると400だった、AM7からPM7までの、、、お疲れ。

でも久しぶりのマス・ツーリングは楽しかった、羅漢寺は私には十年に一度くらいの大ヒット、あいにく撮影禁止だったので一枚も写真撮れませんでしたが高所の断崖絶壁に建つ歴史に裏付けられた凄い景観、そして"ミツマタ"、初めてちゃんと見たと思いますが何かを感じる不思議な花の群生でした。




ニューフェイスの私をフレンドリーに迎えてくれた新たな仲間、ありがとうございました。
今日早速、近場の仲間がご来店、ありがとうRFのヤマさん。





2021/03/01

初めてのお客さまには「地元の方ですか?」と問われることが多い。地元の人とはちょっと雰囲気が違うのかも知れない。ちょっと自分でも考えてみたが、私は初めて行ったお店でそんな質問をした記憶がない、地元の人だと当然思っているからなのだろう。

「ここに来るまでは親の代から転勤族サラリーマンで、生れは東京ですが赤ん坊の頃すぐに長崎に、その後北海道から四国九州まで日本全国20回の引っ越し、サラリーマン途中下車して終の地としてこの地を選びまして・・・父は博多、母は東京の出、子供の頃の転校はすごく辛かったけど、今はいろいろ知ることが出来たと親に感謝してます」
先日も親しい「ぱたんこ屋」さん紹介の方が初来店、もう定型文となってしまった上記の受け答え。

「私はずっと熊本で・・・なんか、いいですね」

… ということから今回は、昨今社会的に話題となっている各種差別や自由ということについて常々思うことを。

この狭い日本内でも小さい頃からあちこちに住むと方言から始まり(言葉が違うと子供社会では最初バカにされます)、たった一人でいろんな様式や文化や考え方の違いを体験することになる。
この地に来る前にちょっと長かった大阪では、「関西と言うても、京都と大阪と神戸は全く違いますぅ〜 一緒にせんで貰えますぅ? (笑) 」 飲み友の親しい素敵な同僚の女性から言われた。
この地に来てからは、「荻の人間はかれそれで、久住の人間はこれそれで、直入の人間はあれそれで、竹田の街の人間はほれそれで・・・」 地の人でしか分からない竹田市内の小さな地名間でさえ分別・カテゴライズがあって驚いた。
中国人は、韓国人は、アメリカ人は、フランス人は、イスラム教徒は、ヒンズー教徒は、黒人は、白人は、黄色人種は、男は、女は、年上は、年下は、健常者は、障害者は、金持ちは、貧乏人は、、、さらには家族だから他人だから、、、


※昨年のクリスマスに娘長年の友達が並んで買ってきてくれたケーキ !

私はそんな社会的分別・カテゴライズに辟易する人間です。カテゴライズは生物学初め科学的手法では有益で、そこではみな同じでないことが重要、例えばケーキひとつとってもその材料は「それぞれの特性が重要」であり、みな同じでは困ります、だからこそケーキのみならずこの地球は多様な生命や物質が存在することで成り立っており、そのカテゴリーに関わらずそれぞれの重みは同等、でも人の交流する実社会での "社会的" 分別・カテゴライズというレッテル貼りは、益よりも害の方が圧倒的に多いと思っています。
あれは○○の人だから△△だ、との決め付けが大きな可能性を潰す。

各地転々としてきた私の経験では、社会的カテゴリーや場所にまったく関わらず、良心的な心の人もいれば悪意的な人もい、聡明な人もいればそうでない人もいる、そして、その地域では絶対と思われていることも他の地に行けば取るに足らぬことは多い、ということ。
だから私はどんな人に対しても社会的カテゴリーや他者の評価は一切考慮せず、自分で判断します。
また、どんな政策やイデオロギーに対しても、自分で考え自分で判断したいと思っています。

それが出来ることが古代から人の言ってきた、人にとっての 「自由」なのだと、先般Eテレ「100分で名著」で取り上げていた「黒い肌・白い仮面」という著作から気付かされました。個々自らが「ウイ」と「ノン」を言えることの重要性、奴隷は「ウイ」としか答えられない、これは自由ではない。

昨今の忖度や事なかれ主義や同調圧力や選挙、またコロナがらみの自粛やマスク等にも、歴史上一度も庶民主体の社会変革がなかったこの国固有の、和を語った奴隷的性情が各地転々としてきた私には感じられるのです。
好きでありません。「ノン」、です。


※注: 「ウイ」「ノン」はフランス語で、英語の「イエス」「ノー」、TV内の著作フランス語に準じました。





2021/02/04

重たい世相と嘆きつつも最近、少なくなったお客さんの中に何故か、一年ぶりとか二年か三年ぶりとか、まったくお久しぶりの馴染みの方がやけに多くなっていると感じる不思議な今日この頃。

今日も、「いやー、竹田に帰って来るといやな顔される雰囲気なんで一年半ぶりの帰省、1週間自宅待機しての外出…」との神戸在住の御年輩から始まり、「いやー、昨年まで母の介護や町のボランティアにこき使われて落ち着く時もなかった…」との久住支所長OBの音楽仲間の方、「いやー、ご無沙汰でしたが今度は思うところあり県議選に立候補します !」 の音楽と車好きでこの地に来た当初の頃から親しいこの竹田市の市議さん、昨日は自身新たにやり始める工芸カフェについてのアドバイスにと懇意のお隣熊本県産山村のご住職夫妻がお連れになった方は、二三年前に一度当店に来られ、真摯な人柄で記憶にあった産山村の地域協力隊の青年だった…

昨年末には、この地に来てから何かとお世話になっている大分合同新聞社とそのグループ出版社「インフォメーションハウス」さん、久しぶりに看板誌の「セーノ」掲載の打診を頂き、今、2月1日から発売中です !
驚いたのがその大分合同新聞、見開き第3面の紙面1/3を使った広告、なんと、私の姿が広告のメイン写真になっているではないか !!!
親しい音楽&カフェ友人からのSNS個人メール連絡で知りましたが、「なんの事前承諾もなかったし、これなによー? 広告出演料とかないのぉー !?」

はっは ! サプライズ、メガありがとうございましたぁー ! ♪♪ 


※その親しい音楽&カフェ友人から添付の写真 ! ちなみに書籍本体にはこれらの写真見当たりませんでした、スペシャルな広告用の人物画に私が選ばれたという訳で… ^ ^





2021/01/28

なにか気が堕ちてて書く気になれず一ヵ月近く経った。
この欄に書くことは自らの日記の意味が半分とはいえ、例えネガな話の中にでも第三者に与える何か希望は欲しいと自ら課していたが、それが今、ない。だから前回シャコンヌ以来ずっと書けずにいた。
でも逆に、光はなくとも思うことそのまま発露してみるのもまた一興か、と書いてみることにした。

原因はコロナである。
感染者は世界で一億人を超えたとあった(死者世界216万人)。今の地球の人口は78億、世界中で78人に1人は罹っているという、とてつもない広がりで世界的には感染脅威。感染者の死亡率は日本含め各国ほぼ2±1%で均一化してきた。

でも日本では、例えば例年のインフルエンザと比しても未だ感染者と死者数も少数、そういった実態とは掛け離れてどんどん巨大化し伸し掛かる、得体知れない日本社会全体の陰気な圧力、その中でも孤軍達観していたつもりだった私もさすがにこの空気に疲れてきた、今日親しい音楽カフェのママがお店に来てくれたが、その得体の知れない疲れを語り合った。
・・・そしてその非常事の中でどんどん露わになってくるこの国の政治システムの貧弱さ。自らの責任を問われない「自粛」「要請」という文言に対し「それに従わなければ罰則、懲役」とかの法案とか。アホか。小学生レベルの国語も使えない人たちが国の舵取り、莫大な税金の采配を担っているとは。

確か昨年11月初め頃だったか、コロナが始まって半年以上も過ぎたのに東京都の重症患者用の病床が150床と知って唖然とした。これだけ騒がれて半年以上も経って1400万人の東京都に150床とは、この半年間、国は何をやっていたのか !!? 最近では世界一病床数の多い、医師も看護師も世界的に多いこの日本が、本当に切羽詰まっている欧米の10分の1程度の患者数で医療崩壊危惧とか、国のシステム設計の稚拙としか見えないものも知った。さらにワクチン、欧米含め先進国のほとんどが接種中というのに日本は3月だの4月だの、イスラエルなんて既に国民の1/3に接種済みらしい。前政権の時からの後手後手一辺倒、一体、この国は本気で仕事をする気があるのか ? 叩き上げで切れ者として私含め困民期待した菅総理も、今のところ頼りになりそうもない具合 ・・・

現代の政治家は何の志もなく私欲だけのバカでも成れるのかもしれませんが(このコロナ禍の中でも醜聞多数)、でも医師や国家公務員は難関の試験もあり、一部には社会的地位や金儲け、安泰目的の人もいるとは思いますが、その優れた頭脳と、全ての人々に対する救助の心なくしては成り立たない職種の人たちと私は思っています。
なぜそんな頭も志も立派な人たちがバカ政権に強く関与できないのか…

でも、その優れた合理性と計算能力を持つ人たちは遠大なプラン、国民の意に適う大きな理想、夢を発想することは恐らく出来ません。
それを出来るのは別の種、芸術家であり、そして改めて、本当の意味においての政治家でしかない。


※人類初の命綱なしの宇宙遊泳、1984年米国、実写。 どんな思いで宇宙空間にただ一人、地球と対峙したのか…コロナの今、この写真に惹かれた。






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