Cafe'  SlowBeat




 

コラム

気がついたときに、思うことを記していきます。


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2020/12/30

今日で今年のお店は終了。
外はずっと極寒の中に吹雪、そんな中、親しい方々含め様々な人たちが訪れて頂き、良い最終日でした。

いろんな死がまとまって来た年でした。
私的には、長年の愛車CR-V、長年親しい伯母、長年の愛犬はる、長年親しい従兄の愛犬ウラン、会社時代数少ない音楽の話が出来たトランペット吹きの技術顧問、プリンター、年賀状、そして大阪から長年の冷蔵庫も。
公には、コロナ、オリンピック、安倍政権、トランプ政権、etc. 、、、

そんな数奇な年の年末、改めて「シャコンヌ」、が心に響くのです。
敬愛するJ.S.バッハの、ヴァイオリンという小さな楽器たった一本による大伽藍、ヴァイオリニストの聖曲。

二十歳の頃に知り、当時弾いていたギターの編曲版で取り付かれたように没頭しました。
そこから40年が経ち、昨年から今の楽器であるピアノ編曲版で良いものを見つけ、再度没頭しました。
若い頃は単にカッコいい曲と思ったからだけでしたが、そこから40年経って知識や知恵が増えるとその奥底にある様々に深遠なるものが見えてきて、さらに凄さが理解されます、

数学、アドリヴ、大宇宙に対する個の力、愛妻の死、生きるということ(死と創造)、


アフガン戦争の頃の収録に見えるが、国境を越えた今世界のコロナと心情が重なる。


この曲の私の解釈100%共感 ! 国内一般にマイナーと思うが世界では超メジャーの庄司紗矢香さん。女性ヴァイオリニストに求められる優美さなど意に介さない、堂々たる弾き姿も彼女の本質を示す。


前回述べた年賀状、何十年ぶりかに筆を取って書いてみると、筆で書く、という行為自体に楽しみがあったと気付いた。プリンタ―で「楽」という効率を稼いだ(実際は効率は上がっていなかったと思う) 中で、知らずと楽しみのひとつを失っていた。

恐らくそういうことだろう、すべての技術革新、生命の進化というものは。
表層は常に変わっていくが、どれだけ意味のあるものかは知れず、真ん中の重心は何も変わらない。
大宇宙含めた形あるこの世の存在すべてが持つ、生死という同一物の表裏、その中で生命は「生」の行為を続ける。
…今日も極寒の中で家内はお店内外の花の手入れをしていました、屋外に出したり室内に入れたり…

そんなメランコリー、幻想的想いに荘厳な姿で応えてくれる「シャコンヌ」、この森羅万象のように聴こえる曲は、実は重心となるたった数小節の基本的音進行に基づく変奏曲、という構造なのです、一体そんな簡単なものからこんな複雑精緻で巨大なもの、しかもそれを敢えてヴァイオリンという小さな楽器一本に創る、そんな神の答えのようなものを創造する人の頭脳はどうなっているのか、そういった疑問というものが芽生えるだけで、私にはこの世は十分に意味があると感じています。

疫病、戦争、社会的問題、自然災害、隕石やデブリなど宇宙的脅威、、、この世はひと時も休まず常に変化するということはどうも真理のようです、音楽のように。その中で、良い時は大いに喜び、悪い時は失意に浸る中で逆にこれも何かの好機と捉え前向きに望めば、人生、日々好日、となる。
新しい年を迎えます。そういった方々は来年も毎年変わらずにまた、良い年でしょう。

皆さま、良いお年を。





2020/12/22

年の瀬になりつつあり・・・
この時期のイベント、年賀状。

あけおめメールなどに駆逐されている年賀状、ずっと転勤族の身だったので日本各地に点在する親しい人たちとの年に最低一度の触れ合いの機会として、私には貴重な手段だった。

… 今年の春先、また、またまた、プリンターが壊れた。数年でいつも壊れる。
プリンター自体は年々すごく安くなるがこの機械、スイッチオンする度にクリーニングとやらでやたら大量にインクを消費する、そのインクが高価。二三回全色交換するだけで本体が買える。
そういう商法だとは以前から気付いていたが、お店をやっているといろいろちょっとした印刷が必要でもあり、他に手軽な手段がないから、もうパソコンを使い始めてから二十年くらいか、我慢して使っていた。でも、もぉ〜〜う、付き合い切れない !

… 二年ほど前、この山の地に24時間のコンビニが出来た。徒歩で行けるお隣、道の駅「すごう」に。
話に聞くコンビニのコピー機、どうせ限定された簡単な印刷しか出来ないのだろうと試してみると、こちらでJPEGやPDFなどにデータ変換しておけば今まで家のプリンターでやっていたポスター印刷など特殊印刷含めほとんどのことがすべて出来る ! これほど使えるものだとは ! もうプリンターはいらない !

…でも最後に年賀状印刷だけが残った。表の宛名書きから裏の手作り面の印刷もコンビニ機では対応できない。だからプリンターメーカーも家庭機はここを主眼に置いているのかと理解した。
ネット印刷でこれが可能だと知ったが葉書代同等の単価が上乗せとなる、、、そこまでの手間暇と労力とお金を掛けても必要な手段なのか、、、歳のせいもあり毎年喪中葉書も多くなっている、、、順調に回復と思っていたお店もコロナ再燃でまた客足が遠のき賀状など書く気分ではない、、、
、、、薪ストーヴの炎を見ながらいろいろ考えた。



長い前置きでしたが、ということで今回から基本的に年賀状をやめる決断をしました。
今は昔と違い、離れている人とでもITを使ったいろんな通信手段がある。
今回どうやって年賀状引退を相手にお知らせするかと悩みましたが、そう、既に繋がっているITの通信手段、LINEやFBやメールや、携帯電話が分かっていればSMS(ショートメール)で事前通知をやってみました。

その返信の中で、久しぶりに接する文字での親しい会話や、同じように年賀状に疲れている人たちも多いと知った次第。

年賀状、100枚弱のものが10枚程度になりそうです。10枚程度なら表裏とも手書きで苦もなく可能、プリンター不要。 毎年表裏とも手書きの親しい方がおられます。いつもなんで手書きなんやろーと思ってましたが、
そういうことか…

プリンターと年賀状、長年わだかまりあったものに終止符を打ちました。
ご参考にでもなれば。





2020/11/14

しばらく書く気になれなかったと先日書いたばかりなのに、久しぶりに書きたくなった。

先ほど竹田市の文化ホール「グランツたけた」でジャズ・ピアニストのスガダイローのソロ・コンサートに行ってきた。
スガダイローは2年前2018年秋の「グランツたけた」開幕時にソロで、昨年秋は竹田市内の特設ライヴスポットにトリオで、共にライヴに足を運んでいた。今回当店でチケット販売にも携わっていたのだがソロ演奏は一度行っているからもういいかな、と思っていたところ一昨日、この催しをプロデュースした女性が前夜熊本でのライヴ事前視察帰りに当店へ、、、

「毎回毎回また違う ! スタンダードメドレーも斬新だったけど、(ラベルの)ボレロはこれだけでもすごいよー」、そして昨日はそのスガダイロー本人が、全校生徒30人程度の小さな竹田の小学校への慰問コンサート帰りにそのプロデューサーと共に来られ、話を聞いていると何の先入観も無い子どもの方が彼の真剣な音楽に共鳴するのかな、と思いました。なにせ彼の音楽は高度な異形ですから (偉業 ? 笑)。

久しぶりに書きたくなったと言って書いているのですから言わずもがな、先ほどのコンサートは素敵でした。
前回書いた金木犀の「気高さ、真実、謙虚、陶酔」を久しぶりにここで見た感じです。初めて見たと思う演奏後の彼のシャイに爽やかな笑顔が印象的。客席もほぼ満席。


※先日阿蘇の草原、日に照る白穂は総立ちの観客のよう。遠方遠くに光るは有明海

こんな素晴らしい催し物を 「グランツたけた」開設当初より3年に渡りプロデュースし続けている敏腕プロデューサー、以前このコラムに触れたことがあります、いつか機会があれば詳しくと。(⇒ダン・タイ・ソン)
残念ながら先日今季が最後になると告げられたそうです。彼女は市との期間契約の関係、こんな稀有で有能で貴重な人材を、これからも文化都市を目指す竹田市が短期2,3年の都合で切っていいのか、、、、

彼女はこの竹田市の10年、20年後を見据えてその地盤を造る催し物のプロデュースをし続けてきた、だから契約を切られた今も集客に奔走している、「なんでもう終わりを告げられたのに頑張るの…?」 事なかれが本流のお役所には分かるまい・・・生きる、という、リスクと表裏の生の躍動を。

今からでも遅くない、このプロデューサーを竹田市は失ってはいけない !





2020/11/11

しばらく書いていませんでしたが、虚脱感がずっと長引いていてなかなか書く気になれなかった。"はる"が居なくなったことがボディーブローのように効いているのか … でも前回のホームページ更新からもう一ヵ月、何か書かねばという、書けない小説家のような気分で近況報告でも。

おかげさまで当店 "SlowBeat" は15年目となりました。
ずっと低空飛行のままとはいえ、新規飲食店の8割が2〜3年で消えていくという中で、脱サラ素人夫婦で、しかも新参の田舎の地で、しかも今年はコロナに遭いながらも、、、立派な自分たちを褒めてあげたい ! と言いたいところですが実態は、すべて素敵な友人のような多くのお客さまたちのおかげ、

・・・そう思っています。

コロナ。
そんな方々のおかげで当店はこれまで休業せずにやってこられ、三月から五月までは酷かったものの先々月辺りからほぼ例年並みの成績になりました。(もともとが小商いなので… ^ ^; )
でも昨日娘が会社で発熱、コロナだったら会社も当店も大騒ぎに・・・お店を臨時休業としてガイダンスに沿って今朝病院に行きコロナとは関係ありませんでした。もともと日本のコロナは騒ぎ過ぎとバカにしていた私ですが、でもたったの発熱だけで大騒ぎとなる、死者数など病気の本質とは関係なく感染者の数ばかりを取り出して相互監視が強まる今のこの風潮に、先の大戦や田舎の言い伝え文化の形態がダブります。
「意味は分からんが、そういうことになっとる、それに外れることは許されん」

・・・いい加減に通常のインフルエンザレベルの対応でよいとして欲しい、「Go To…」なんてやってるんだから国も危険性は低いともう分かっているはず。


金木犀(キンモクセイ)。
先月の写真ですが、当店裏庭に咲くオレンジ色の高貴な甘い香り。



・・・生命は何でこんなに神秘なんだろう。
「気高さ、真実、謙虚、陶酔」など、
今の日本で失われたものを花言葉とするそうです。





2020/10/12

今日、四年半待ちわびた、復旧した阿蘇の国道57号を走ってきた。
57号はウチのお店の前を走っている、大分県と熊本県を結ぶ主幹道だ。








赤線が、四年半前の熊本地震で崩落した紫色57号の新道。3.7kmの二重峠トンネルを含む13kmを新たに造った。当初、旧道の復旧は困難かつ再崩落の恐れもあると見て新ルートを模索、中九州高速道のルートとして検討されていたルートをそのまま代替路としたもの。トンネル内にはまだコンクリートの匂いがし、この四年半の24時間突貫工事に携わった人たちの思いが伝わる。

その後に旧道の復旧も可能と判断され、めでたく先週10月3日に二道が同時開通した。元々一本だったものが二本に、さらに 「北側復旧ルート」と名付けられた新道は高速道規格の80km/hで、これまで迂回路の一つだったミルクロード(緑線)で43分掛かっていたものが10分に !

復旧された紫色の旧道57号も走ってきた。
そこには工事完成記念碑が建てられていたが、なんと、崩落した南阿蘇に通じる国道325号の 「阿蘇大橋」が、四年半前の崩落した状態のまま残っている姿が見えた。四年半前の悲惨な状況が瞬時に頭に蘇った・・・・撤去するのに莫大な費用が掛かるからと聞く。

だがその下流側に、「新しい阿蘇大橋」 の工事が急ピッチで進められている姿も見た。光に輝いて見えた。
写真真ん中遠方に小さく見えるのは三年前このコラムでも書いた 「⇒長陽大橋」。
来年三月開通予定、JRも8月に復旧したし、これが開通すれば交通は全て復旧完了だ !


この各所様々な突貫工事に携わった、そして今も携わっておられる方々、
本当にお疲れ様で、感謝に堪えません。





2020/09/28

もう九月も終わりに・・・
彼岸花は見ようによってはおどろおどろしくもあるのだが、、、遠くに彼岸も見える、、、!?
でも店近くの七つ森古墳の彼岸花は今年も大盛況。
この時期 「暑さ寒さは彼岸まで」とはよく言ったもので、数週間前まで猛暑をどう凌ぐかで騒いでいたのにもう寒さへ気は移る。
今年はコロナがあったせいなのか、時間の経過が例年よりも早く感じるのは私だけ ?

   

この季節の変わり目はいろいろ調整が面倒。

ピアノの音の調整。
木を主体とした楽器なので温度や湿度で変化する。日々微妙に変わるので気になる部位は随時微調整するものの厳密に付き合ってはいられないので、季節の変わり目を見極めて全体を調整する、今その時期。

衣服。
普段店に居る時の衣服は寒ければ着替えればいいし、暑ければ着替えればいいし・・・
だがバイクに乗る時のウェアーは気楽に大きな着替えウェアーは持ち運べないので出発時の「読み」による。車と違って冷暖房完備なんてないので朝昼晩の温度差や標高差の温度差を読む。それがこの時期難しい。読みが外れると寒いし暑いし・・・

車、バイクと出てきたところでタイヤの空気圧。
タイヤの空気圧は車種毎に適正値というものがある。
タイヤ内の空気は日々微少に抜けていくが、一方、気温が上がると圧は上昇し気温が下がると下降する。
自転車・バイクなど軽量コンパクトな乗り物では、その変化は如実に感じられる。

今年二月に購入したキュートなお気に入りの車、寒い時期に購入し暑くなる時期を経過するのだからタイヤの圧もさほど変わらないだろうと気に留めていなかったのだが、軽快だったハンドリングが最近ちょっとだるい感じ、タイヤもちょっとお腹がたるんでいるように見えて気になる、、、
初めて取説でタイヤ指定圧を確認する。2.5K。ふむ。バイク用に常備しているタイヤゲージで圧を確認すると2.0K ! 私の経験からはタイヤ圧の許容限度はせいぜい±10%、2.5であれば2.25〜2.75。

それを外れると命に係わるハンドリングからブレーキ性能、タイヤ寿命や燃費低下へも繋がる。

   

最近の車にはパンク用の予備タイヤというものはスペースやコストの面でレアとなり、代わりにパンク補修キットなるものが車載されている。応急用の接着剤と、そして電動コンプレッサー。
このコンプレッサーは、「おっ、車以外に日常のバイク補充用に使える、キャンプのエアマット充填にも !」

… と思っていましたが、初めて使ってみました。使える !
車とバイクにエアー充填。
パンク以外に相当重宝しそうです ^ ^





2020/08/19

先日17日の夜に"はる"が死んだ。

一緒にスロウビートを私たち夫婦と始め、この初めての地で丸14年、三匹でここまでやってきた。
温和で人好きの彼女はファンを作って看板犬としての仕事を十分に果たしてきた ・・・

もう16歳と半年も過ぎいろいろ衰えていたが、毎日よたよたしながらも散歩に行き、当日も朝ごはんを食べ、夕方にウンチやオシッコのお勤めも済ませたあとのきれいな体で、娘含めた家族みんなに見守られている中、旅立った。

ここ連日の猛暑が直接の起因になったとは思うが、この一年、いつ死んでもおかしくないと思われた中、よくここまで頑張ったと思う。年末年始には東京や大阪の親しい知人たちや自分の子たちにも会えた。

最後まで無病のままで逝った。
避妊手術もしていないので医者のメスは一回も入っていないし、薬の投与も狂犬病とフェラリア予防薬だけ。



土地の豊富なこの田舎では自宅の敷地内に穴を掘ってそのまま埋めるのが一般的だが、生きていたリアルな証として、そして何かの時にはそれを移設することが出来る 「遺骨」 とすべく、ペット専用の葬儀社で火葬とした。
こんな地方でも大分市内には4社ほどあり、行き付けの動物病院 (…といってもこの地に来ての14年間フェラリアの薬をもらいに行ってただけだが…) が紹介してくれたペット葬儀社は町中から離れた山奥にひっそりとあり、自然体の雰囲気の中、本物の年配のお坊さんがお経を唱え骨上げまで応対してくれたことには驚いた。聞けばペット葬儀を始めてもう50年になるという。納骨棚には100以上ありそうなペットたちが写真と共に収められていた。

前回18年ほど前、"はる" の前の愛犬 "ナナ"の時は大阪の街中のペット葬儀社だったので窮屈な感じで、お経も録音テープだったが、それでも初めてのペット葬儀だったため感動したものだった。
今回はそれよりもずっと自然体で、本当にちゃんとしたお寺で故人を送るような、穏やかな幸福感に包まれる感じになる良い葬儀だった。

"はる" も安らかに旅立てたでしょう。
よかったね。


先月七月の末、私にとっては第二の母親のような存在だった横浜に居る伯母が101歳で亡くなった。
90を過ぎても毅然と一人邸宅で過ごしていたが、三年ほど前に倒れて介護施設へ、今回親族でも制限されるコロナの中、看取りということで家族立会いの中で息を引き取ったと親しい従兄から連絡を受けた。
三年ほど前にもうだめかと思っていたのに会え今年の"はる"と一緒の年末年始の帰省の中にまた会えたとは望外のこと。
思い残すことはない。

人の世間で忌み嫌われる「死」、だがどんな生物にとっても必然のもの、この解釈を求めて自身長年生きてきたように思うが、"はる"と伯母、長年ものすごく親しかった二人に、今回も素敵な「死に様」を見せてもらえたように思う。





2020/07/22

"はる"と毎日夕刻散歩に行く。
老いていく老犬と一緒に歩くこの時間に、いろいろ考えたり気付かされることは多い。



ずっと長年、店を終え晩酌をやりホロ酔い加減になった夜間に行っていた。特にこの地の寒い冬は酒でも飲まないと外に出る勇気がない。月灯りと星灯りの風流なお散歩。
人より夜目の効く犬なのに、いつのころからか"はる"の散歩の動きがおかしくなってきた。目が衰えて特に暗闇では見えていないと気付いたのは大分経ってからだ。それから日のある夕刻が散歩の時間となった。ウチのお店は「日暮れまで」の営業としているので今、散歩時は家内に店を任せている。
それまでお店営業の日中は、お店の敷地内から出ることはほとんどなかった。

毎日の散歩が日のある時間帯となったお陰で、店の周りの様子も"はる"の様子も良く分かるようになった。
周囲の田畑の土壌や作物の変化、くじゅう山や祖母山や阿蘇山(今は噴煙 !) の様子、お店の外観からの木々雑草などの問題、そして自身の老いと重ねる "はる"の衰え具合の変化も。

犬を飼っている方はお分かりだが、散歩時にウンチをする時、散々場所とポジション(?) を犬は選ぶ、「いい加減に、はよせーよ」、それが老いてくると、もよおしたらどこでも即ボトン、さらに進むと散歩とかは関係なしに自分の居住地内で、さらに進むと自分の寝床の前でも・・・でも彼らはどうも好き勝手にやっているという訳でなく自分も嫌だが否応なく、という感じは伝わっている。

ウンチ以外でも、目だけでなく耳や鼻も衰えてきて、今は杖をついて歩くように足もおぼつかない。散歩の時に逃げられないようにするリードだが、今は歩く方向を私が誘導する歩行器となっている。

そんな中でウンチをちゃんと散歩中にすると 「よくやったね !」、よろけながらも段差を登ったりずっと長い距離を頑張って歩くと 「よくがんばったね !」、こちらも笑顔になる。以前だったら 「何でそんなことも出来ない 、それはダメだといつも言ってるよね」 だったのに ・・・



・・・障害ある子を持つ親御さんや、逆に年老いた父や母を看守る娘さんや息子さん ・・・この地に来て親戚縁者以外にもお客さんたちから多くを知る。
「生産的社会貢献なきものはお荷物」、という現代を支配しつつある経済的社会通念で語られる人を含む生命の価値、施設での集団殺害事件まであった、、、それは絶対に違う ! と感じながらも、それを反証できる"思い"にまで達していない自らを知っていた。

絶対に違うと感じるのは、その子や親を見ている親や子が嬉しそうにしているから。
理性ある故に成り立つ変な宗教 (お金狂や地位狂や、SNS狂含む) に依らず、生命を喜ばせるものが悪い訳がない、全ての生命において自明。

自分と、周りが喜ぶことに対するちょっとした頑張り。"はる" も私が嬉しそうだから頑張っているだけでなく自分も歩く、走ることが楽しいのだということは分かる。

自分の娘の時も、「言葉をしゃべった !」「二本足で歩いた ! 」「おむつが取れた ! 」 といった成人の能力と比べれば全く取るに足らないものなのに双方の生命力が増した。
老い、それは子供の成長時が逆方向へ向かっているような感じで、ただそれだけの自然の摂理。いつでもその時その時のちょっとした個の頑張りだけが周りの生命を輝かせる、老いとか障害とか金とか地位とか関係なく。パラリンピックを見るだけでもそれは分かる。



無から生まれた赤ん坊からの歩みが折り返し点から逆転して老いて無へ帰っていく、
とはいえ現実を連ねたその歩みは、思い出や歴史として、残されたこの世の人の中に生き続ける。
私は人や物の死に際して、ありがとう、という思いがいつもあったことに気付いた。悲しみよりも大きく。

無へ帰すものを送る側として、「やれることはやった」、
悔いを残さなければそれでよいと思う。悔いが残れば次に良くすればよいと思う。





2020/06/23

バイクが気っ持ちいいー !




先日の20,21日の土日は突然久しぶりの盛況、それも他県含め見知らぬ方多く、、、久しくちゃんと働いていない体には堪えました、まっ、嬉しんですけどね (笑)。

あとで知りましたが19日に「県境含む移動の自粛」なるものが全国的に解除されたようで、その影響のようです。先月の「緊急事態宣言解除」の後もさほど来客状況が変わらず不安でしたが、その後も残っていたらしいお上の要請、自己都合で良いはずの「自粛」の移動なのに、みんなきちんと意識されていたんだと、今の時代にも脈々と残る日本人の生真面目さと同調性に驚きました … そこに驚く私は日本人ではない !?

と言いつつ、調べると緊急事態宣言以降の二ヶ月間は実はバイクにあまり乗っていませんでした。4月末に二回、5月半ばに一回。毎週雨のない定休日には欠かさず乗る私が、、、
「バイクで一人走るなんて三密は関係ないし、コロナに全然関係なし !」

… ところが私のドカは大阪ナンバーなんです。お店での会話のネタにもなるので購入後変えていません。
「大阪」なんて、東京に次ぐコロナ感染者と死者数、九州で恐れられている「福岡ナンバー」の比ではない、車なら仕事と見なしてくれるかもしれませんが、バイク、それもイタ車となれば遊び以外にない ! こんな時期に ! との視線が気になり・・・・・やはり私も日本人。(笑)
加えて、すり減っているタイヤもコロナ禍の減収で出来るだけ交換を先延ばしにしたい、ちょうど新しい660ccの車の性状もいろいろ確認したいし、ということでバイクに乗ることが激減したのです。

本日、何週間か掛けた前後のタイヤとプラグとオイル交換全てが完了し、エンジンの力量感とタイヤグリップ&ハンドリングが蘇った車体、そして快晴と快適な気温に恵まれ、コロナの陰湿感も感じない、久しぶりに気持ちのよい至福のライディングと相成ったものです。

さらに、ちょっと前にはバイク全国紙 「単車倶楽部」の 六月号に、"一度は行ってみたい !! Riders Cafe " として当店を紹介頂きました。



この地はバイク天国♪





2020/06/05

コロナ緊急事態宣言が大分県で5月14日、5月25日には全国で解除されたものの、お客さまの数はちょっと回復したかなという程度、お店始めて過去最低だった4月に比べればましですが、5月の成績も前年の約6割。ちょっと自粛期間が長過ぎてみんなこの生活に慣れてしまったのかも知れないと、ちょっと先行き不安を感じつつ…

でも暇な時間が多くなったのでピアノ曲の復習初め、いろいろやれてます。コロナの影響で通勤なし自宅ワークが先端の仕事形態になりそうな気配ですが、私なんか十年以上も前からそれに切り替えてますっ ! (笑)
さて暇な時間、ピアノ以外にストーヴの薪の原木倒しは前回報告しましたが (前回ケヤキでしたが、今は桜…どちらも高級材 ! ) 、今日は毎年恒例の、梅摘みから始める梅酒仕込み。

一昨日懇意の梅園主から電話、「今年は生りが悪い、例年の1/4から1/5、もう採りに行った方がいい」
周りのお客さんたちから今年は梅の生りが悪いとは聞いていたが、例年6月後半だった梅狩りがやけに早いなと…今年は天候不順のせいか、周りの植物たちの開花や実生りが変…

… ということで、慌てて昨日閉店後に各スーパー巡ってお値打ちリカーを探し(35度一升が9本と本数多いので単価がバカにならない ! )、今朝梅摘みをして、日中お客さまのいない合間を縫って仕込み、、、完築した。これで今年の夏も乗り切れる !

それにしてもこの梅園主さん、開店当初からほとんど毎日の常連さんでしたが最近はめったに顔を出さない、でも私の梅酒のことは覚えていてくれて電話をくれ、、、なんともありがたい、というか、嬉しい、楽しい。



梅狩りに新しい相棒、660ccの小さな車なのに2m10cmの脚立を飲み込んだ。頼もしい相棒になりそうだ。
オーディオレス車だったが、自分でオーディオ機器をネットで選び、ネットで調べてDIY取り付けを初トライ。車購入後すぐにトライするつもりだったがコロナ騒ぎで経済上待機、政府給付金の入金を確認して数日前にGo、6スピーカーでステアリングスイッチ付のスマホ連動のフル仕様なのでちょっとハードル高かったが、時間は豊富にあったので万事完了。ステアリングスイッチがこれほど操作性いいとは感激 !

この地に来て、まずは何でも自分でやる、ということが身に付きましたが、それが出来るのはネットもですが、でも、いろいろ相談できる親しいお客さんたちがいるお陰。コロナの禍中ではほぼ知り合いの方しか来なかったものの、みんな気を使っていろいろ注文してくれるし飲み物お代わりしてくれて、、、

二年前ほどから遠方の商工会に勤めるようになったお客さん、当店の身を案じ、仕事がら関わる各種給付金や補助金や融資などの資料をコピーして、それぞれをホッチキスで止めて持ってきてくれた。
先ほどの梅園主含め、そんな暖かい方々のお陰でこのコロナの中でも休業せずに何とかやれているのかと、つくづく思います。感謝。





2020/05/20

都会でコロナ外出自粛中の方々には恐縮ですが、最近、生れて初めての"木こり"をやってます。
薪ストーヴ用の薪はこれまでの長年、玉切りされた原木を懇意のお客さんから頂いていたのですが、そろそろその方も高齢、別の親しい薪ストーヴ仲間のお客さんと一緒に原木を切り倒すことから始めました !
これでやっとワタシも本物の薪ストーヴァー、 笑



当然 "三密"は無いしマスクは必要なし、空気の澄んだ広々とした新緑の中、これも別の親しいお客さんの苗木畑のケヤキの木を、二人で三日掛けて約50本ほど倒しました。
ケヤキは堅い高級木材、それを薪にするなんて何て贅沢、でも倒したあとさっさと薪割りしないと堅くて割れなくなる ! ということで薪割りも含め慌しい最近の日々でした。

それにしても、この薪ストーヴ仲間の実家は農家なのですが、農家にはいろんな道具や機材があって何とも便利。コンテナやパレット、フォークリフトや大型四駆トラック、薪の乾燥は高温のビニールハウス内で速乾 !

そして今日は、こんな景色を見ながらの、ひとり手網と七輪での珈琲炭火焙煎 !



"木こり"も "炭火自家焙煎" もちょっとは大変ですが、まぁ、優雅と言えば優雅なもんです。
もう、皆さん、テレワークも結構いけそうだし、リスク多くて狭く不自由な都会はやめて、田舎にしませんか ?

あっ、これは記しておかねば。
コロナ火中の火事場泥棒的な私都合の政府 「検察庁法改正案」、これに対して自粛中多数市民のツイッターなどによる可決阻止、日本で初めて民主主義が機能したんじゃないか ! … 小泉今日子さん、ファンになりました。TVドラマ 「スーパーサラリーマン」 の鬼嫁の毅然とした姿がダブります … (笑)。

今後もみなで監視要。なにせこの政権、何かと怪し過ぎるので。





2020/04/13

何かおかしい、、、
得体の知れない気の滅入るような重たい空気が今日本全体に漂っているが、、、

この一ヶ月間でコロナ騒動は加速し、イタリアから、スペイン、フランス、そしてアメリカで死者一万人を超え、イギリスも一万人に達する勢い。ここ日本では先月末に「志村けん」がコロナで亡くなった辺りから空気が変わったと感じた(私的にもショック大)。
政府は4/7日に関東・関西、そして福岡の7都府県に「緊急事態宣言」なるものを発した。それに触発されて発令都府県のみならずここ大分や隣県熊本などでも○○自粛要請、そのために全国各地の観光地や飲食店や娯楽施設やアーティスト達は瀕死の状態。当然当店も。店前の国道57号はしーんとしている。

そんな中、ここ竹田市でも数日前、初めて感染者が2ヶ所で計6人確認された。
本日長湯温泉に行ってみたが、主だった温泉は臨時休業としていた。感染拡大を防ぎたいとのこと。
いつかは来ると思っていたが、それを期に昨日ここ大分県のコロナ死者を確認してみた。
0人だった。(感染は上記竹田市含め42人)
では沖縄含めた九州全体では、と見るとなんと2人(福岡1、熊本1)。

えっ? と思い中国・四国含めた西日本全体では、と見ると4人(福岡1、熊本1、愛媛2)。(感染669人)
なんと4/2日までは西日本全体での死者は0人だった。(感染232人)
では、と思い、東京都40人(感染1902人)、全国144人(感染7591人)。
※ 以上は4/12日の新聞記事によるので4/11日夜時点での数値。ちなみに今日は休刊日。


何かずっと違和感を感じていろいろ日々考えていた謎が少し解けた。
こんなに死者が少ないのに何故こんな全国レベルの「自粛圧力」が掛かるのか? という違和感だった。
大分県0人、九州で2人、西日本で4人、東京で40人、全国でも144人という、毎年の風邪やインフルエンザ死者よりも絶対的に低い数字なのに、何故ほとんどの経済活動を止める必要があるのか !

「感染者数」を「死者数」のイメージで誘導するマスコミ報道に惑わされていないか? 冒頭に挙げた各国の一万という数値は「死者数」であり、それに当たる日本の数値は144だ。
私にはずっと不思議でならなかった。
「今日どこそこでコロナ感染者○○人確認 !」 というマスコミの重々しいトップニュース、それって 「今日どこそこ村の誰々さんが風邪にかかりました」が毎日のトップニュースになっている、ということと何が違うのか …

確かに、爆発的感染 (「オーバーシュート」は恥ずかしくて使えない) を引き起し体力の弱い人をすぐに重症化する傾向にあるこのウィルスの特性から、今は軽傷でも大都市圏では今後の医療崩壊危惧の観点から都市封鎖 (「ロックダウン」も恥ずかしくて使えない) レベルの対応は必要と理解するものの、地方にまでその意識レベルを持って来ることには強烈に違和感を感じる。
また、その空気に感化され同じように重暗くなる地方の人々にも、先の大戦のような「みんなでこの危機感を共有してこの危機を乗り切ろう」 みたいな異種排除の同調強制の危険性を感じる。
こんな田舎でもマスクをしていない人や外出する人は非国民のような空気になってきている。

大都市圏が非常事態で困ってる、じゃあまだまだ元気な地方はガンガン頑張って、大都市圏の人たちにいろいろ提供して助けよう、という空気であるべきだと思うし、全く出来る状態だと思う。
全国の「感染者」に対する致死率1.9% (死者144人/感染7591人、ちなみに伊・西・仏は10%超え) 、でも「感染者」といっても検査を受けた人ベースなので、8割軽傷と言われ未検査の隠れ感染者を考慮すると実数は確実に相当下がる、ならばはっきりしている日本全人口に対する致死率は、、、0.006% (144人/1.2億人)。

先ほど数値で見たように、少なくとも地方は実は全く例年と変わりはない、
さらに最近、人との接触率を8割り減らせば感染は収束する、との言説が有力視されている。
大都市での話なので、東京都人口1000万人に対し、大分市20万人、竹田市2万人からすれば、大分市や竹田市、またその他地方都市の大半はその人口規模と密度から元々人との接触率は東京都の10分の1以下であり、風邪のように何人かの感染者は出ても 「感染拡大」 はない、ことになります。


* 一週間前、長湯温泉にて

今回のコロナでこれまでの災害と全く違うと思ったのは、大騒ぎしているのは人間だけで、周りに見る山々や川や緑や動植物らが全く何も関係のない日々を送っていることです。桜もきれい。
これまで身近で経験した、大水害、大地震、大豪雨の時は周りの自然にも私たちと同様のダメージや混乱を感じましたが、今回の災害は全く関係ないのです。

もともと、過去の歴史を襲った疫病や近年のインフルエンザ、エボラ、エイズ(HIV) といった凶悪ウィルスは人間の自然への攻撃や搾取・作為が起因になっていると言われており、今回のコロナも恐らくそうでしょう、単に生息地を奪われたり食用に狩られたコウモリからのしっぺ返しか、それを遺伝子組み換えで扱った人工ウィルスだったかにせよ。

自然は、人間が軽い気持ちで好き勝手にイジるとヤバイというものであり (人体の免疫系が異物を攻撃するイメージ)、人間一人一人に「生」を与えてくれている、言わば神であり (空気や水や光や食物や大地や … etc.)、地球は共同体との意識。宇宙飛行士たちにはそういった観念が芽生えるそうですが、そろそろマネーや椅子取りゲームなど卑小な人間社会だけの狭い欲でなく、生を地球全体に感じる大きな意識が人類に芽生えてもいいんじゃないか、

それを気付かせようと、毎回毎回 「自然」 は致命傷にならない程度のいろんな手を使って、ありがた迷惑と思えるほどお知らせしてくれている、、、のかとも。





2020/03/13

「自分で考える」 ということをしない。

周りの状況にアンテナを張って、得られた情報に沿って自身や身内の保身だけの行動を取る…
そこに、倫理・道徳、仁・儀・礼・智・忠・信・考・悌 などといった人類が築き上げた理念や知恵はない。

サルだ。

トイレットペーパー買占めやマスクの高値販売、後手に回った政府突然の、弱者混乱必至の学校や催し物の封鎖 (忖度はびこる中での命令文言は"要請"で微笑)。
最近の世相を見ていると、人間はサルに先祖返りしつつあるのではないかと思う、階級化や差別化含め。
元々サル+αでしかない人間の実態が露呈されてきたとも言える。

今、マスコミやネットで益々煽られるコロナウィルスによるバカ騒ぎ。
敢えて「バカ騒ぎ」と言う。マスコミやネットは餌の食い付き最重視だから致し方ない、釣られる方が悪い。

冷静に考えれば今の知見だけでも毎年のインフルエンザと同等かそれ以下の致死率と感染率、感染は世界規模で広がってきているが、世界がグローバル経済圏となった中、新種でまだ対処薬が間に合わないからの当たり前の現象。死者、世界で5000人超え、日本20人超えの状況だが、毎年の自殺者世界で80万、日本で2〜3万人。人社会ゆえの発生と伝播という形はウィルスと同種。

今回のウィルスで変わっていると思うことは、致死者が年配者や元々の疾患者がほとんどであり、子供や若者が全くと言っていいほどいないということ。そして、高齢化や少子化が大きな問題となっている経済先進国(日本、韓国、中国、ヨーロッパ、アメリカ等) で顕著に多数発生しているということ、、、
意地の悪い見方をすれば、そういった先進国の袋小路に入った問題に対して警鐘を打つ、神が送った処方箋、というSF的ストーリーも頭に浮かんだ。

"私が自から各々に与えた生の長さ、それを拙い幼い技術で変えても、幸せには繋がりませんよ" とか。



ウチのはる。
先月老犬のグレイトエリア、16歳になりました、薬も病院も高級フーズもなし、でもたまに出る生卵と牛乳、肉は大好き ! というまったくの自然態で、神さまの与えてくれた生を日々お昼寝で昇華 (消化?) しております。。。
お散歩ではときどき弱った足でも楽しそうに走ったりします、この匂いは誰のだ? と探究心もまだまだ旺盛・・・時間掛かりますが・・・
私もこうありたいと、老いることによる自分自身の新しい変化や人・物事含めた新しい出会いへの好奇心と共に、老の先輩である彼女から毎日いろいろ教わっています。





2020/02/25

4日前の金曜夜、当家に新参者が入ってきた、当店を象徴するカラー、赤と黒、そして白を纏(まと)って。
愛機ドカのどこに"白"があるか…タンクの"DUCATI"のロゴがそう(正確には白銀)、新参者はナンバープレートが白である ^ ^ 某大手軽自動車メーカーのSUVにも見えるがエンブレムは「S」ではなくヨーロピアン調 …



この車はグッドデザイン賞、JAHFAカーオブザイヤー、RJCカーオブザイヤー、オートカラーアウォード、全国発明賞などを受賞していて、デザイン・車の価値・色使い・コンセプトなどお墨付きなのだが、多少の悪路もこなせ、小さいのに室内が広く、シートアレンジが凄い。



左の写真は一人ゆったりくつろぐ時。後席右シートの背もたれ裏面は水平&平坦なので大きなサイドテーブルとなる。助手席側のフラット面だけで177cmの私が足を伸ばして横になれたのでソロ車内泊キャンプのときは有効、何かの時にはこのまますぐに運転も可能。
右の写真は驚きの裏技(なぜか取説に記載されていない)、完全フルフラット ! 仲の良いお二人でどうぞ♪

この地に来てからは日々の買い物程度にしか車は使わない、といって車なしでは何もできないし、でもそんなことで貴重なお金を浪費したくない、ということで660ccの車にしたのですが (ちなみにドカは1000cc 笑)、日本新車販売台数の四割を占めるという主戦場の今どきの660ccは凄い ! エンジンや足周り含めた走行性能、質感、静粛性、燃費、安全性能、室内空間、(そして価格も) …もうオマケで造る廉価版ではなく、日本カーメーカーの先端技術やアイデアの塊です。

私は若いころ装備の限られるヒッチハイクの旅や山をやっていたせいか、もともと合理を追求する数学や物理が好きだったせいか、実態を大きく見せるより限られたミニマムな中で知恵を尽くし最善を探ることが好き。
そんな中、何年か前にiPhoneに感動しましたが、今回この小さな車にも感動しました。
人間の、"考える" という力は、全く凄い。


話は変わりますが、記録のために。
今シーズンの冬は、昨シーズンも暖かったがさらに暖かい。この地の冬はエアコンでは用が足らず薪ストーヴなのですが・・・・もう14回目のこの地の冬ですが、12月に一日でもエアコンで対応したのは初めて、と言って驚いていたら1月にも、と驚いていたら2月にも・・・外気温が15℃前後を越えると薪ストーヴでは暑くなり過ぎて使えない、つまりそれ以上の気温の日が真冬に何回もあったということ。

雪は、1月の半ばに初雪が1日だけちらほら、2月半ばにやっと軽い積雪が1日だけ、でもう二月末・・・
よく見れば冒頭の写真で分かりますが、遅咲きの当店の梅も昨年に続きもう咲いてます、、、





2020/02/07

人の「縁」の不思議さというものに、このお店をやり初めてから14年の間、事あるごとに感じている。

ちょっと数日前、前回この欄で記した長年の愛車CR-V、その後続の車の契約書にサインしたすぐ後に店長さんが挨拶に来られ、「以前そちらのお店に伺ったことがあります !」。
契約書に店舗の名前を記したのだが、昔、新聞社とカーメーカーのタイアップTV番組で当店が取り上げられた時、撮影時に来られたと。あとで調べたら8年も前のこと・・・私もその場で思い出した、「あっ、そういえばマツダのデミオ、青色のデミオでしたね !」。
この一ヶ月間、ネット含め後続車を散々各所検索・検討して最終的に辿り着いたこのお店でのこと。

今日、SNS(FB) で、以前から何度かこの欄で書かさせて頂いてる、当店から車5分で懇意のパラゴン 「一粒万倍・カフェ」、これも親しい、というかその奇遇の「縁」で親族の繋がりともなってる大分市内ジャズ屋さんのマスターと繋がっていることを知り、音楽、ジャズ関連の繋がりは楽しいー ♪

半月ほど前、共に関東とここ大分を行き来する何の繋がりもない当店長年の常連さんのお二人、乗っていた飛行機が気流の関係で着陸を再トライ、「怖かったわねー」とのお隣さん会話から竹田、カリンさん、スロウビートと会話が弾み、「ええっ?」、、、後日お二人で当店にお揃いでご来店 ! ^ ^

カウンターの前では、昔ながらの常連さんたちや新顔さんたちが集いますが、そこで、「えっ? 私たち同級生 !」「えっ、あなたも竹田高校器楽部 (娘のいた吹奏楽部) 出身 !」
極めつけは以前大阪に住んでいた時に毎日乗っていた路線バス、その運転手さんが今は隣町に住んでいるお客さん ! もう何年も前、来られた時に話が進んで、「えっ、そのバス、いつも使ってた。時期は?」
私たちが住んでいた時と合致した。即ち、彼の運転しているバスに大阪で私たちは乗っていたのだ !

そのお客さんは当店長年のお客さんとなり、先週も親しい女友達と一緒にご来店 ^ ^ その女性は開店当初、毎日のように保育園帰りの息子さんと一緒に来られていた人だった ! 、というオチまで付いている。

こういう話は当店で相当あり、最初は小さな田舎だからと思っていましたが、それだけとは思えない偶然で遠大な人の繋がりに、人の「縁」の不思議さに、不思議な想いと楽しさを覚えます。
もともとこのお店だって、私の大学時代の友人の繋がりから始まって紡ぎ始めたもの。


カゲロウ。



カゲロウの成虫は、幼虫時の口や消化器官が退化して無くなり、24時間に満たない生命という。
たったの24時間で生を燃やす。その、次なる生を繋ぐために。

それには、一瞬の異性含めた出会いからなる、連なる連鎖、
それが生、善を繋ぐ。

「縁」とは、そういうものかも知れない。

24時間の生命とは、人の感覚では圧倒的に短いと感じるが、人の100年近くなってきた長寿も、地球の年齢46億年や宇宙138億年の年齢から見れば、それは一瞬の生。
時間とは単なる物理的な指標ではなく、生命にとっては「密度」だと感じている。
24時間懸命に生きたカゲロウが、100年間ボーっと生きた人間より有意義な生だった、ということは十分あり得る。

コロナウィルス。
年末から発生源の中国武漢から感染が広がり、今、日本ではトップニュースで毎日、死者何百人と報道される。
一方で、その数十倍の被害が及ぶ今のアメリカのインフルエンザの報道は微々。
また過去、毎年の日本におけるインフルエンザ起因による死者は年平均一千人以上と推計されるデータも知った。

いろんな、いろいろな立場や考えが社会、世界的にはあろうと思うが、でも、、、
カゲロウのごとく、「生」「生きる」ということは、彼らが自らの生に必然なきれいな水を自ら感知するように、そんな「純粋」を自らで感知する生命でありたい、と思う。様々なインフォメーションに支配されず。

恐らくそれが、「生=善」、善なる生を繋ぐ一番と感じます。





2020/01/10

年末年始に掛けて、嬉しいこと困惑したこと、いろんなことが沢山あった。

順を追っていくと、まずはドカ (私のバイク愛機) の半年前から気付いたエンジン回りからの異音。ドカショップや当店懇意の某バイクメーカー技術顧問のお客さんでも原因が分からなかった。年末に洗車していて洗車ブラシが異音を拾い原因判明、弛んでいたボルトを締めて解決。その技術顧問のお客さんいわく、「やはり洗車は基本ですねー」 笑。年に二、三回しか洗車しない自分に反省。

店前の国道、ずっと補修されないままの放置状態だったため路面は轍やひび割れが酷く、トラックなどが通ると店内も揺れていた。それが年末の10日間で再舗装され揺れだけでなくタイヤノイズも激減、静かな店内となり大満足。工事中は客足激減で焦ったが。

お店の排水管、十年来ずっと原因が良く分からず詰まりぎみ、市販のクリーナーなどはいろいろ試していたが全部効果なし、騙しだまし使っていたところ年末に完全排水ストップ、徹夜連続で真剣に原因究明と対策を成し、解決。安らかなお店の年末と年始が迎えられた。原因と対策が分かったので今後は安堵。

その年末年始、二年ぶりにまた愛犬含め一家全員で東京・横浜へ長年の愛車CR-Vで帰省。一般の帰省と方向が反対なので今回も渋滞レス、片道17時間の1400キロだがドライバー三交代で意外と楽。

まず初日は、静岡時代に始まりもう20年以上も一家全員付き合いの親しい東京友人宅へ、翌日は私の幼いころから一番親しい横浜の101歳の伯母の介護施設へ、東京在住の親しい縁者も集い夜一献、、、



東京では先の11月オープンで話題の渋谷(実は私の生誕地) 48階高層ビル「スクランブル・スクエア」の地上230m "露天"の屋上エリアへ、なぜか娘親友の素敵なお嬢さんと二人でデート観望 !
写真右上に小さく見える丸い建物が今回新造のオリンピック・スタジアム、その左の高層ビル群は新宿。屋上には心地よさそうにハンモックなんてあって…でも露天なので天候には敏感、私たちが見終えたすぐあと強風のためクローズになった。
行かれる方はご注意を。




翌日は家内実家近くの横浜、これも話題の"赤レンガ倉庫"を、家内家族と四月より東京赴任となっている私の弟家族が合流して探索、



私には赤レンガ隣にある豪華客船用の木造ポートがヒットした。



そして遠征の帰路、"はる"の子供たちのご様子伺いに親しい大阪豊中に寄った。



ここ大阪で四人の子供を残した"はる"、次男は数年前に亡くなり、長女は昨年暮れに亡くなった。
写真左は長男ラッキー、右は次女ハッピーと、、、ともに病と闘いながら今生きている。病気知らずの元気なお母さんに久しぶりに会えて、何か互いに神秘的にうれしそうでした。

で、あとは帰路大分へ、というところで家族の歴史と共に長年一緒だった家族愛車のCR-Vが私起因の突然のアクシデントで危篤状態となり走行不能に。犬や荷物を携えてどうやって九州まで帰ればよいのか、翌朝にお店は開店。
途方に暮れる中、"はる"の子を頂いてもらった最後に寄った犬友達が、なんと自身の青色のワゴン車で大阪から九州まで犬や荷物全てを載せて送ってくれたのです。犬と人々との繋がりは強いもの、大々感謝 !
でも厄難は続く、帰宅したら冷蔵庫が動いていない、早朝の買い物に行こうとしたら娘の車もエンジンが掛からない・・・共に原因を調べ何とか徹夜で回復させました。

愛車CR-Vは長年の労に鑑み、大阪でその御役目を解きました。











丸22年24万6千キロ、地球6周分 ! 何度か瀕死の重傷を負いながらも平成を娘と共に駆け抜け、この家族、そしてその周りの人々に成したあなたの功績は多大でした。あなた以上の車は私にはその後も出会えていません。

長年お疲れさまでした。
ありがとう。






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