お便り紹介(2011後半)                                          

 このコーナーでは、当ホームページのトップページに掲載した写真の一部、それに会員及び会友、読者等から寄せられたメール、手紙を紹介します。なお、メール、手紙につきましては管理人の判断により、個人情報等に支障をきたさない範囲にとどめたつもりですが、もし不都合なことがございましたらメールにてご一報下さい。

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◆今年の登り納めの霊山登山(2011.12.31,狭間会員) 「31日昼前、やっといろいろなことにキリがついた。29〜30日は九重辺りにテントでも張りたかったのに残念。天気も良いしせめて近場で登り納めでも、と昨晩の残り物のオデンなどをランチジャーに詰め込み出かけた。この山、今年何回目だろう、15回くらいかな。大晦日ということで行き交う人も数人。風のない穏やかな山頂で雑炊とオデンの昼食をとり、小一時間、障子岳方面の眺めを楽しんだ。・・・この項をもってお便り紹介2011年版をおしまいとしたい。読者の皆さま、良いお年を!」 



◆吉賀会員からの近況メール
(2011.12.27) 「1月21日の法華院の宴の件。雪中行軍は1981年のJANNU以来経験がありません。天幕で過ごすのもそれ以来です。その厳しさに小生が耐えられるか心配です。が前向きに検討致します。

 さて、退職して2日になりますが、朝7時半から添付写真のような事をしています。(午前中の方が風が弱い。山火事が怖い) 裏庭(裏山)の整備は自己満足としか云いようがありませんが、自分が思い描いた景色の中を散歩したい。また家族や仲間にも完成した景色を味わってほしいとの想いもあります。この作業は山に登るよりもハードです。(週に2〜3日整骨医院通い)

  

◆12月10日(土)初冠雪の九重ブルブル紀行
(2011.12.13,栗秋会員) 

師走の第二週末は10日に、会社の山仲間とくじゅう倶楽部をベースに忘年登山(もちろん忘年宴会も)をやろうよ、ということになった。で目当ては瀬の本まで下って、岩井川岳〜扇ヶ鼻〜牧ノ戸を歩く手筈だったが、今冬初の第一級寒波到来で、長者原までのアプローチで既に部分的に積雪・凍結有りで多少なりともびびった。→続きを読む

◆日本山岳会支部長会
(2011.12.8,加藤会長) 
12月3.4日と日本山岳会の支部長会議、年1度の晩餐会そして翌日の登山会に行ってきました。晩餐会は品川プリンスホテル大ホールにて午後6時きっかり皇太子殿下が入場してはじまりました。全国から400名の会員参加のもと皇太子殿下も一会員の資格での参加でした。私も支部長として初参加でしたがまかされた席のテーブルマスターを無事勤めました。オユピニストの塩月君も出席、新入会員として紹介され他の35人と共に栄えある壇上に立ちました。まさに今年しかできない感激の一瞬でした。

2時間半皇太子殿下と同じ時間を共有できたことは貴重な体験でしたし古い会員にも再会することができ山岳会の歴史の重さを体感できました。
翌4日は記念登山で90人で箱根へ、ロープウエーで駒ガ岳(1327m)へそして神山(1434m)と登り大涌谷へと下りました。最高の天気に恵まれ、日本一の富士山をまじかに感激をして眺め思い出多い山行となりました。
  

◆屋久島宮之浦岳登頂と屋久杉を訪ねて
(2011.12.8,塩月会員) 「山岳会東九州支部の11月定例山行『「屋久島宮之浦岳』に参加しました。メンバー7名。

11月17日23時の夜行バスで出発、18日6時30分鹿児島港よりフエリーで13時屋久島宮之浦港着、強風による30分遅れの為予定のバスは既に出た後、タクシー2台に分乗して14時30分淀川登山口、15時30分淀川小屋着

19日3時、屋根を叩く豪雨で眼を覚ます、5時出発するも登山道は濁流状態で断念する、1日中寝袋にもぐったまま停滞を余儀なくされる。

20日5時出発、満天の星空とまではいかないが、昨日に比べて期待は持てそうと思ったが、花之江河に着く頃は次第にガスがかかってきた、7時40分、強風の中、黒味岳山頂、8時20分、黒味分かれで今日中に大分に帰る為淀川小屋に引き返す3名と分かれる、10時40分、九州最高峰宮之浦岳山頂、1935m、残念ながらあいにくのガスで視界はゼロ、14時40分高塚小屋着。

  

21日は下るだけで時間の余裕が有り7時出発、縄文杉、夫婦杉、大王杉、ウィルソン株、三代杉、樹齢数千年の屋久杉の神秘なまでの威厳に打たれる、鹿児島より新幹線、大分着22時15分着、鋭気と元気を得て大満足。


   

◆大平会員からの便り
(2011.11.30)「ラインホルトメスナー兄弟のナンガパルバートを題材にした『ヒマラヤ 運命の山』の大分上映が始まりましたよ。大分市のシネマ5で11/26〜12/9です。忘年会シーズンですので、この話題で盛り上がるのもよいですね。皆さん、お見逃しなく。

それと、先にこのHPでも取り上げてもらった『エベレストまでの道(1)〜(4)(2011.5.27)』等が収録されている東京農業大学農友会山岳部DAS NEBELMEER 報告第4号が、今年2011年の岳人会報賞を受賞しました。岳人12月号に掲載・紹介されています。受賞記事のFAXを送ります。詳しくは岳人12月号のご一読を。」(2011.11.28TELにて)



◆高崎山別院岩場再訪
(2011.11.28,狭間会員)「11月27日 約束の午前9時少し前に田の浦ビーチ駐車場に着くと、既に30分ほど前からお待ちかねの高瀬の笑顔がそこにあった。『昨夜からいつになく気持ちが高ぶりましてね。早めに来てしまいました。』・・・無理もない。足繁く通っていたのはもう30年以上も前のことだ。我々の岩登りの原点は別院にあるのだから。→続きを読む

◆阿蘇俵山登山(2011.11.27,栗秋会員) 「昨日(26日)出張の帰途、阿蘇は南外輪の雄・俵山(1095m)に登ってきました。本来なら南阿蘇谷の底、久木野から護王峠を経て山頂を踏み、熊本平野側の萌の里登山口へ下りるのが、この山ののびやかで重厚な山容を体感するのにベストな選択であろう。しかし骨折リハビリ中の身では大言壮語は避け、堅実コースの選択も仕方あるまい、と運転手兼介護人の同僚・T田氏の了解も取り付け、俵山峠からの往復コースとした。→続きを読む

◆夜の帳に浮かぶ九重と一番星(2011.11.25,狭間会員) 「久しぶりに5時ちょっと前から1時間あまり大分川堤防を歩いた。歩くほどに辺りはみるみる暗くなり、南西の空に九重連峰のシルエットがぽっかり浮かびあがり、見上げれば一番星も。行き交う車がいつもの週末より忙しげに見え、もう年の瀬が近いことを感じさせる。何故か井上陽水の‘最後のニュース’のメロディがふっと浮かんでくる。『今 あなたに Good−Night 今 あなたに Good−Bye』 今週一週間ご苦労さん、と自分にも行き交う車にも呟く。」



◆大雨の屋久島合宿報告
(2011.11.25,加藤会長) JAC東九州支部の定例登山会 今年のテーマは「島の山に登ろう」です。すでに5月は天草の山(倉岳、次郎丸、太郎丸)7月は対馬(御岳、平岳,洲藻白岳、竜良山、有明山、)10月は五島の(七つ岳、鬼岳、箕岳)に登り。そして今月は屋久島(黒味岳、宮之浦、永田岳)の予定ででかけました。

11月17日 大分発23.00夜行バス鹿児島着18日6。30 8.30発フェリーで屋久島着12.30 予定が向かい風のため20分おくれで宮之浦着 12、40発のバスにのりおくれたためタクシー2台で安房経由淀川登山口へ直行(9,500円) 徒歩50分で淀川小屋着3,30 このころから雲行きがあやしくなった。天候が崩れてきたのだ。夕食もすませたころから本格的にふってきた。小屋もわれわれ7人をいれても20人位だ。すぐに就寝。ねていたら屋根を打つ雨音でめがさめる。トイレにたつと外は大荒れとなっていた、それでも19日朝3,30には目覚め。食事すませて5時には出発予定で小屋をでてみたが、この激しい風雨では考えてしまう、しばらく小屋にて待機とする。

隣の九大ワンゲルの6人ははじめから起きようともしない。9時すぎてもおさまる気配はない。さすがひと月35日雨がふるといわれている屋久島だ。それでも11月は比較的雨の少ない月ということで計画したのだが、今年の秋の気候はおかしいのか毎週末は雨が集中している。せっかく屋久島まできてこの雨だ。ただもんもんとして長い1日を小屋で時間をすごす。夕方にはやっと雨もやみ夜中には星もみえた。

20日その日大分に帰る組(3人)ともう一日のばして縦走する組(4人)とにわける。同じく3,30分起床暗い中5時出発 黒味岳までで引き返す3人は空身だがほか4人は全荷物で登る。小花之江河手前でヘッドランプをはずす。雨はやんではいるがガスがかかって風も強く展望所からもなにもみえない。好天だと素晴らしい日本庭園の花之江河もガスではなにも見えない。黒味岳山頂はまともに立っていられないくらいの強風とガスだ、写真もまともにとれない。そうそうにひきあげ宮の浦岳へ縦走する4人とわかれて淀川小屋へひきかえす。

このころからやっと天候もおちついて薄日もさしてきた、皮肉なもんだ。黒味の山頂から携帯でよんだタクシーに淀川登山口1,00にまちあわせて安房経由宮之浦へ2、45の高速艇にのり鹿児島へ新幹線にて博多経由大分着22,15分。屋久島の山中からその日うちに大分まで帰れるという、新幹線利用すれば速くなったものだ。今回は大雨にたたれたために写真もとれませんでした。」

栗秋正寿さんから加藤会長へ
(2011.11.18,加藤会長) 栗秋正寿さんから会長あて冊子(写真)が送られてきました。編集部の怠慢で掲載がおそくなりましたことお詫びします。以下正寿さんの添え書き 「加藤様 九重では大変お世話になりました。また、JAC月報「山」8月号もありがとうございました。植村賞の冊子をお送りします。衣子様、おゆぴにすとの皆様、JAC東九州支部の皆様にも宜しくお伝えください。」

 

◆怪しき‘おいさん’飯盛ヶ城・由布付近に出没
(2011.11.18,狭間会員) 「11月17日晴れ。天気予報ではこの週末は雨。そこで土曜日と木曜日の予定の入れ替えを思い立ち急遽、旅先のホテルを早朝に発ち帰還。あたふたと準備し目指す山・由布岳の東登山口に11時過ぎ到着。平日とはいえ登山者は多い。先週の夏木山とは大違いだ。当然、駐車場は満車のため路上駐車し、まずは飯盛ヶ城直登コースを採る。

このコースを採ったのは、かなり以前
吉賀鬼軍曹から誘われ飯盛ヶ城を由布院側の谷から急傾斜を直登したことがあり、今になってもう一度、今度は雪が積もった時にやってみたいと思ったからだ。吉賀鬼軍曹によると、なんでも『この斜面はジャヌーの壁の下部の雪壁がイメージできるんだ』とか。今日選んだノーマルな直登ルートでも結構な急登であり短時間だがなかなかのアルバイトだ。40分ほどで飯盛ヶ城山頂(1067m)着。ジャヌーの雪壁をイメージできるという‘飯盛ヶ城南西急斜面’の取りつきがやまなみ道のヘアピンカーブ付近であることを確認、まずは今冬の下見を終える。

またえまでのジクザグの登りでは多くの登山者と行き交う。
中腹ではうずくまる婦女子あり。かなり悪そうだ。連れのもう一人に「ご気分が悪そうですが」→「大丈夫です」、「見たところかなり悪そうだし・・・」→「いえ、大丈夫です。休んでいればすぐ良くなります」、「ふるえているみたいだしこの寒さだ。羽毛服でも出しましょうか」→「いえ、本当に大丈夫です。もう引き返しますから」・・・せっかくの、下心のない親切心からなのだが、‘Leave me alone’って感じだ。「あっそうか、ハンチングにミラーレンズのサングラス…今日の出で立ち・風貌が怪しまれたんだ」とその場を去りながら気づく私。

それはともかく由布岳はこのところいつもまたえまでで引き返すことが多かったが、今日はまたえで遅めの昼食(定番の雑煮)をとり、久しぶりに東峰の山頂に立った。祖母傾、九重連峰などの展望をひととき楽しんだ。(コースタイム)東登山口11:16→飯盛ヶ城山頂11:58→合野越12:09→またえ13:13〜50→東峰山頂14:07→16:00」 (写真左:ジャヌーの雪壁をイメージできるという
‘飯盛ヶ城南西急斜面、右:飯盛ヶ城山頂の怪しげなおいさん
※おいさん:この山域を含む別府市一帯の方言。お↑い↓さんというふうに‘い’にアクセントを置く。「おいさんどこな」「おいさんどこんしな」(Where are you from ?「貴兄のお生まれは(お国はorお住まいは)どちらですか」)というふうに、比較的目上の他人に対して親しみとわずかばかりの敬愛を込めた表現として用いられるが、事情を知らない受け止める側は憮然とする場合が多く、誤解を招くことの多い表現である(以上私見)。

  

◆大鋸、小鋸から夏木へ
(2011.11.13,狭間会員) 「前回の九重・岩井川岳もそうだが、まだほかにも気になる未踏査のルートがいろいろな山域にある。夏木山から犬流越の間の大鋸小鋸がその一つ。ほかにも地元大分で気になる山やコースは沢山あるが、体力など考えると最優先するコース。高瀬と登る約束はいったんは無期延期かと思っていたのだが、「別院での岩登りにお付き合いいただきたい。が、その前に懸案の大鋸小鋸を片付けないと」と、思いがけずも、今回実現の運びとなった。。→続きを読む

◆宝満山に登ってきました
(2011.11.11,狭間会員) 「このところ天気のめぐりあわせが悪く週末になると雨・・・少しイライラ感があったので天気が回復した週明け宝満山登山を思い立った。11月8日早朝、仕事先の福岡を発ち、8時には大宰府の登山口に着いた。相変わらずの急な石段を10kgの荷を担いでノルディックスタイルで2時間弱、気持ち良い汗をかいた。期待していた紅葉は今一つであったが、雨上がりということもあり、山頂からの展望はすこぶる良く、いなりずしにタマネギスープの朝食兼昼食を食べながら博多湾の島々、有明海と雲仙普賢岳、豊前海方面に求菩提山、犬ヶ岳、英彦岳を心ゆくまで眺めた。

平日(火曜日)にもかかわらず中高年の常連登山者がひっきりなしで賑わっていた。皆さん、一様に健脚ぞろい、それもそのはず他に類を見ないほどの急な石段の続くコースだもの、しょっちゅう登れば足が強くなるはずだ。「やあ、どうも。しばらく見なかったですね」「今月はもう5回目ですよ」等々、行き交う人の会話からお互い顔見知り同士、道中や山頂が社交の場になっているという感じ。

ところで、ノルディックスタイルの登り方を高瀬などから冷やかされるが、ダブルストックを使わなきゃならないほどにここ数年膝の状態はは良くない。特に宝満山の、急で段差の大きい石段の下りでは不可欠だ。おかげで下山後、翌日の筋肉痛、膝痛はほとんどなかった。」
(写真左:山頂にて、右:山頂から博多湾方面を望む)

  


◆岩井川岳 静かな山歩き(2011.11.5,狭間会員) 「若いころから九重には何度となく足を運んだが、還暦を過ぎたこの歳になっても足を踏み入れたことのないコースや、ピーク、山域がまだいくつかある。岩井川岳(1522.0m)もその一つ。‘いわいご’岳と読む。登山道はないものと思いこんでしまっていたが、昨年扇ヶ鼻から赤川温泉へ高瀬、栗秋両会員と下った時、踏み跡らしきものが遠望でき、その後調べてみると、九州横断道路開通前に発行された「九重山」(しんつくし山岳会昭和36年発行)の折り込み地図にもルート図がちゃんと載ってるし、ネット閲覧でも立派な登山道、しかも登山届のボックスまで整備されていることがわかった。いや、知らなかっただけのことだ。不勉強の誹りは免れまい。 → 続きを読む

◆長者原からの九重晩秋
(2011.11.2,狭間会員)。 「先週末、せっかくの九重行は雨にたたられた。雨も上がった週明け、九重の秋をみるのもラストチャンスとばかり、長者原付近を散策した。三俣山は、中腹までどうにか紅葉のなごりがあった。病み上がりの家内も自然探勝路約2キロをどうにか歩きとおした。復帰の第一歩になるといい。」(2011.10.31,狭間会員撮影)

 

◆奥大日岳登山(2011.10.30,狭間会員)。「称名滝から大日岳を登り別山乗越に至るまでの間、いろいろな角度から剱岳を眺めたいとの計画は天気予報などに翻弄され二転三転、結局、新室堂乗越からの奥大日岳のピストン、雷鳥沢にテントを張って一ノ越〜黒部ダムに下る計画となった。その初日朝、絶好の好天、紅葉には少し早いが、澄み切った空の淡いブルーとみくりヶ池の湖面の深みのあるブルーが対照的でした。ただ今紀行文執筆中」 写真:みくりヶ池から別山、真砂岳方面を望む(2011.9.29、狭間会員撮影)



◆飯豊に行って来ました(2011.10.11,鈴木会員)  「8日 6:50 梶川尾根登山口よりスタート  12:20 5時間半で門内岳避難小屋着 高曇りであったが、12時10分頃より雨→雹(気温2.5度)寒気が入りその日は、悪天暴風雨
9日 6:00 門内小屋スタート 北股岳 梅花皮岳 御西岳避難小屋 大日岳 御西岳避難小屋 飯豊本山 飯豊本山避難小屋着(15:15) 10日 5:37 本山小屋スタート 飯豊本山 ダイグラ尾根下山(12:57 登山口着)
 編集部注:「せっかく風雨をものともせず念願の飯豊最高峰大日岳に登ったというのに、味もそっけもないお便りですな。何か一言でいいから感慨を文字に!」などと書いたら、もう二度と便りが来ないかもしれんな…。)
   

◆大船山紅葉観賞会(2011.10.11,栗秋会員)  「昨日(10/9)会社の山仲間と吉部から坊ヶツル経由で大船山に登った。大義名分は 『大船山紅葉観賞会』である。とは言うものの昨今の温暖化のご時世だもの、まだちょっと早いのではないかとあまり期待はしていなかったが、山頂御池を彩る景はほぼ満艦飾の域に達していたものと思う。
 
 さすがに九州の紅葉前線最早?地点の大船山だけのことはあった。ただ山頂部を占める大勢の老若男女の気配は濃厚過ぎて、御池周辺に宿る山の神もこの三連休はいささか居づらいのではないか、と思えるほど。下山路は渋滞に嫌気がさして、段原から北大船を経て、大戸越へ。さらに大船林道終点へ直接下る路を取ったが、こっちはまったくの静寂そのもの。落ち葉を踏み締める足音と軽やかな息遣いが、木漏れ日さす秋の森に同化して時を忘れた。」
  


◆久々の坊がつる行
(2011.10.10,狭間会員) 「10月8日、7月以来久しぶりに坊がつるにテントを張った。金曜日半ドンにして午後から出かけようとしたものの、予定外の仕事が入ってきて、結局キリがついたのは翌土曜日の昼過ぎとなった。とりあえず買い置きのフリーズドライ、レトルト食品、冷凍庫にあるご飯など、テントほか装備をザックに詰め込み、長者原に着いたのが2時ちょっと前。タデ湿原もススキ野に衣替えしてすっかり秋の装い。3連休初日、好天だけに散策を楽しむ人も登山者も多い。→もっと詳しく読む



◆大分川堤防から由布・鶴見連山の夕焼け(2011.9.26,狭間会員) 「夕方大分川の河川敷をほんのちょっとのつもりでジョギングした。足が軽そうだったので、ついついいつもより長く走ってしまつた。行きはよいよい帰り…、すっかり日が落ち由布、鶴見、高崎の山々の夕焼けがきれいだったのでケイタイデジカメでパチリ。」



ちょっと立山方面に行って来ます(2011.9.22,狭間会員) 「当初計画では、称妙滝〜大日岳からの入山を考えてましたが、3日間と日程がかなりタイトなこと、これまで週末行事や天候不順が重なったりでトレーニング不足、それに相変わらずの不健康な日々の連続等々により、やむなく室堂起点の現実的選択をした次第です。なお、東京起点実動3日間ですので、その間の富山地方が明らかな天候不順が予想される場合は、東京近郊ワンデイハイク・・・関東も雨の場合は、江戸東京幕末史跡めぐりなどに切り替えます。)
登山計画書は→こちら

剣岳 登って来ました(2011.9.20,加藤会長) 「9月15日 大分発フエリー 16日大阪経由富山ー室堂 2時間で剣御前小舎着(午後5時) 17日4時起床4時40発 小雨模様雨具着けて登りだす。途中くろゆりコル手前にて朝食ー一服剣ー前剣 雨が降ったりやんだりのくりかえし。のぼるにつれ風もでできた。他のメンバーも途中で引き返してるものもいた。最後核心部の「かにのたてばい」もなんとかクリアー。山頂着9時25分。展望もきかずさむくて滞在わずか20分 下山の「よこばい」通過のころ雨が一段とひどかったが無事通過。下った平蔵のコルにてほっとして間食をとる。そうするうちにまた雨がやみぬれたズボンがかわく。濡れたり乾いたりのくりかえし。途中「剣山荘」によるころからまた雨脚つよくなる。昼食のカレーを食い雨の中ゆっくり御前小舎に帰着(2時50分) 18日は立山経由浄土山を登り室堂泊。この日は好天で北アルプスの山や富士山まで展望を満喫した。 19日室堂発って大分帰着21.00でした。
 
メンバー3人とも剣は初めてで当初心配であったが悪天にもかかわらずなんとか登れた。剣は最後登高会の合宿以来で約40年ぶりであった。当時は『かにのよこばい』しかなかったが今回鎖の多いのには様変わりのようにおぼえた。案内盤によると実に13箇所もの鎖が設けられていた。いたれりつくせりといった感想です。それと登る人が多いからかさすがの剣の岩も少し磨耗してすべりやすくなっているところが見受けられたようだ。

◆尾瀬からの便り
(2011.9.17,栗秋会員) 「ひょんなことから仲秋の候、尾瀬を旅した。39年前、社会人一年生の東京研修時代に訪れて以降、久しぶりの尾瀬である。国内の自然保護活動の原点ともいうべき彼の地でもその変遷が気になったが、一帯の景はもちろん緩やかな時の流れや清涼な山上湿原の雰囲気はちっとも変わらず静かな山旅が楽しめた。もっとも紅葉には早く、花の少ないこの時期のウィークディだもの、静けさを求めるには格好な季節なのだ! と少々の負け惜しみを言っておこう (突然の出張にくっ付けたもので、時期を選ぶこと適わずである)。それでも湿原に延びた木道の果て、森から頭を出した燧岳の律儀さや、湿原の先にわずかにきらめく尾瀬沼の輝きに目を奪われ、早朝沼畔の林越しに雲海を従えた燧岳の雄姿など、断片的に切り取ったそれぞれのシーンは初秋の尾瀬のたおやかさをよく表していたものと思う。」 写真説明:@尾瀬沼畔から快晴の燧岳 A大江湿原から森の向こうに燧岳を望む 
B大江湿原を歩き、振り返るとわずかに尾瀬沼の水面が光った C尾瀬沼畔、三平下から雲海のはざまに黎明の燧岳を仰ぐ(望遠)

 

◆大分川堤防から九重山の夕暮れ(2011.9.14,狭間会員) 「久しぶりに大分川河川敷をサイクリングした。夕方6時ちょっと前、明るいうちにと、河口までひとっ走りのつもりで、往復20キロに心地よいひと汗をかいた。秋の日はつるべ落としとはよく言ったもので、我が家付近の明磧橋まで戻った時には、辺りはすっかり夜の帳が下り、遠くに九重山が明日の好天を約束するかのように夕焼けの中にぽっかりと浮き出ていた。(写真:9/13撮影)」



傾山にボッカトレーニングに行って来ました
(2011.7.31、狭間会員)  北ア縦走のトレーニングとして傾山(1602m)に登った。負荷は18kg程度。つい数年前だと近場の山でのボッカは25kg以上が当たり前だったのに、だんだん重さが苦痛になってきた。50Lの中型ザックに2泊3日分の食料、テントなど幕営道具一式、炊事用具、水3Lなどのほか2.5kgの鉄アレイ2個など…鉄アレイ3個にすれば20kg超なのだが、一瞬ためらい、2個にとどめた。傾山のトレーニングと言えば当然標高差の最もある九折登山口(標高380m)からということになるが、標高差1220m余りというのは大分県内で知る限り落差が最も大きいコースだ。加えて急こう配、渓谷も深く、慣れた山とはいえ、ましてや単独行となるとそれなりに気合も入る。九重の山と大きく違うところだ。

早朝4時半すぎ自宅を静かに抜け出し上畑へ。傾山頂へ往路は山手本谷〜カンカケ谷沿いに九折越えコースを採る。深い緑と豊富な水量を堪能したあと、カンカケ谷の沢音が次第に遠ざかる頃までは緑陰の中、
山の新鮮な空気を満喫できた。ところが、途中山手本谷林道を横切る辺り(標高850m)から早くも乳酸が溜まりだし、後傾の急登で足が前に出なくなった。登りに1時間余分にかかり先が思いやられるが往路を戻るのも癪だし、坊主尾根はさすがにこの重量での岩場の下りは心細く、水場コースを採ることにした。

このコースを下りに採るのは初めてのことで、目印のテープが分りづらく何度も行きつ戻りつして坊主尾根との合流点までに2時間を要した。山頂からここまで前後した、先を急ぐという佐賀からの若者に、三ツ尾から観音滝を説明し、「観音滝は上から覗きこまないように」と半分冗談で念を押して後ろ姿を見送った。

それからの下りの2時間20分、何と長かったことか。15時50分に九折登山口に疲れた足取りで辿りついた。やっぱり、傾山をはじめこの山域の大分県側は、山がとても深い。数年前高瀬とあれだけ足を踏み入れたはずなのに、この山のことが少しも分っていない。
頭の中のイメージと現実にはギャップがありすぎる。もっともっとこの山の奥深さを知らねばならないと思った次第。(コースタイム)九折登山口6:20→山手本谷林道8:22→九折越9:36→傾山11:21→坊主尾根合流点13:31→三ツ尾13:53→九折登山口15:50) 写真:左;九折越、中;傾山山頂、坊主尾根コースと水場コースの合流点にて
  

坊がつるから白口谷経由中岳
 写真:左;九重山白口谷の崩壊箇所、右:白口谷最奥部から坊がつる方面を振り返る。ここは筑後川・三隈川・玖珠川の源流、大河の一滴はここから
(2011.7.23、狭間会員撮影)  崩壊が激しいためと土石流の心配があるとかで、もう随分前から入山自粛要請(正確には「ご遠慮ください」との表記)の看板を掲げている白口谷コースを何十年か振りで歩いてみた。沢は台風一過でもありこの山域にしては豊富な水量と、豊かな緑が映え、程よい緑陰がもたらすフィトンチットを全身で享受でき、九重登山ではこれまでになく味わい深い山行となった。

気になる危険個所というのは、ほんの少しだけ注意すればよい程度。何故このコースがいつまでも入山規制されているのか理解できないと感じた次第。九州自然歩道の側道でもあり少しだけ整備すれば開放してもよいのでは、とも。もっとも、このままそっとしておく方がかえってよいのかもしれませんね。おっと、こんな写真載せたら、どこかの団体か何かがヒステリックに文句言ってくるかも。「良い子はマネをしないでね」 
(コースタイム)7/22 長者原16:49→雨ヶ池18:01→坊がつる18:53(テント泊)7/23 坊がつる6:40→白口谷コース入口6:54→東千里ヶ浜合流点8:35→中岳8:55-9:44→天狗ヶ城9:59→久住分れ10:19→すがもり越え11:03→長者原12:19
  
加藤会長から「第10回青少年体験登山会」のご案内(2011.7.19) 「この体験登山会は日本山岳会東九州支部が一人でも多くの人達に山登りの楽しさ、自然とふれあうおもしろさを地肌で体験できる機会をお手伝いするものです。今回は10回目の記念の大会です。(10回記念の記念品付) 
参加対象 原則的には小、中,高生ですが参加希望あれば年齢は問いません。どなたでも参加できます。
日時 7月24日午前7時大分駅前集合ー貸切バスにて牧の戸峠ー久住山頂往復
参加費 1,000円 現地(牧の戸峠)参加可300円
申し込み 加藤英彦 電話 097−543−0333
この件については先日の講演会の際 皆さんに案内のチラシを配っています。」

過去の更新履歴とお便り紹介
   2011年前半(1月〜6月)
   2008年〜2010年
   2006年後半〜2007年
   2006年後半(7〜12月)
   2006年前半(1〜6月)
   2005年(10〜12月)
   2005年(7〜10月)
   2005年(3〜7月) 
   2005年3月以前

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