お便り紹介(2011前半)

 このコーナーでは、当ホームページのトップページに掲載した写真の一部、それに会員及び会友、読者等から寄せられたメール、手紙を紹介します。なお、メール、手紙につきましては管理人の判断により、個人情報等に支障をきたさない範囲にとどめたつもりですが、もし不都合なことがございましたらメールにてご一報下さい。

植村冒険館訪問(2011.6.22,加藤) 「先日上京の折 植村冒険館を訪ねました。7月9日の植村直己冒険賞受賞記念講演会を主催するに当たりもっと植村直己さんのことを知りたいと思いその冒険館が東京の板橋区にあることをネットで探してでかけました。地下鉄の蓮根駅でおり駅員に尋ねたところ丁寧に行く道をおしえてくれました。駅から5分でありました。

小じんまりとした建物。受付には2人の女性がいました。入場無料。すぐに今回の講演会のちらしをみせ大分から来たことをつげまず2階の展示室へ、階段の壁には顔写真や山の写真パネル、それらしき雰囲気がでています。冒険で使用した装備類、山中で発見された最後の日記などの展示、犬ぞりにひかれるそりの模型またビデオは北極の探検の様子を収録したものを放映している。国民栄誉賞の賞状、盾、そして記念品。足跡を書いた年譜のパネル等の展示に見入る。
 
1階の情報コナーに約5000冊を誇る「冒険図書館」があり誰でも利用できる、熱心な読者が静かに読書にふけっていた。植村さんは最後の15年間はこの板橋区に住んでいた、その冒険の出発は板橋区からということで(財)植村記念財団が1992年に設立され現在その財団がこの会館の維持にあたっているとのことだ。今年が生誕70年、その記念の植村直己ワールド。「放浪と組織登山と単独行」のポスターをいただき、「青春を山に賭けて」と「植村直己、挑戦を語る」の2冊と記念のバッグを購入して退散した。有意義な訪問であった。
   


皇居周回ランニングコース見聞記 「先週末に東京へ出張しました。大震災後、初めての上京だったので原発の風評被害や節電状況、政争かまびすしい永田町界隈の動向など、多少の興味をもってウォッチングを試みましたが、一介の旅人の目では、エネルギッシュな大東京の風景に見とれるばかりで、瞬く間に二泊三日を消化してしまったのが偽らざるところです。そんなお上りさんから見たオフタイムの一こまを、皇居ランの見聞記として切り取ってみました。」(2011.6.9,栗秋会員) 詳細は→こちら

牧ノ戸峠〜坊がつる〜白口岳 以前は土曜日半ドンというのがあった。退職して以後の職場ももう4年目。在宅勤務のメリットを可能な限り享受し山への時間を最大限つくるために、このところ金曜日を意図的に半ドンにすることが多くなった。仕事の計画もなるべくそれを可能にするように割り振りするようになった。
 で、6月3日、午前中でキリがついた熊本での仕事の帰り、九重に足を延ばす。こういうことが予想されるときは当然、登山道具と食材一式(一泊二日)を用意し車のトランクに忍ばせておく。家の冷蔵庫にある野菜、肉、ご飯の残り、それにビールなどを、あらかじめ凍らせておいたペットボトルとともに二重にした保冷袋に入れておく。これで最長2泊3日の山登りは可能となる。このところの坊がつる行はだいたいこんな調子だ。ミヤマキリシマの季節となったし、本格的夏山シーズン・北ア行をひかえ負荷を少しずつ増やさねばならないという事情もあり、いつもとコースを変え、
牧ノ戸峠から入山となる。 金曜日午後、当初夜間登山をも考えたが意外に早い入山、とはいっても金曜日午後のこと、大勢の下山者の列をすり抜けるように久住分れ経由、遠雷を聞きながら足早に、途中、北千里で昭和37年九重大量遭難の碑(写真左)にお参りして午後5時過ぎ、坊がつる着。早速、ゴアライト2〜3人用(写真右)を設営
 
 このテントは1990年秋、宮之浦岳など屋久島主稜縦走を機会に買ったものだ。以後、南ア、北ア、旭岳〜トムラウシ、厳冬期石鎚、祖母川上本谷遡行などに結構活躍した。今では、シームテープも剥がれ防水機能はやや低下したとはいえ、流石ゴアテックス!、その防水透湿機能は衰えることを知らない。いずれこのテントの履歴書も書かねばならない。今夜は山沿いの一部で雷雨、しかし明日は晴れとの予報に、敢えてシングルウォールとする。
 牛肉野菜炒めと恵比寿麦酒2本で空腹を満たしたのち、読みかけの
剱岳点の記後半部分を一気に読み終え就寝。数日前にはNHK「剱岳測量物語」(2009.10.17放映)のビデオも観なおした。長次郎雪渓への想いはますます募る。夜半、羽毛200gのシュラフではどうにも寒くて寝つけず、エマージェンシーシートを上から被る。保温力抜群だが、湿気で内側が濡れてくるのが難点だ、このシートは。
 柴崎芳太郎測量隊の測夫・生田信、案内人・宇治長次郎らが長次郎谷からの剱岳登頂を目指して剣沢の天幕を発ったのが午前4時、そのイメージで、早朝起床、雑炊と野菜たっぷりのみそ汁で朝食を済ませテントをたたみ九重で最も急登で知られる
白口岳を目指した。午前6時40分、気温は7℃、無風。鉾立峠からの急斜面、昨年8月の九重慰霊祭の前に、登山者のために法華院山荘がわざわざ削って階段状にした足場も、もとの斜面にほぼ戻っている。登山道の維持管理をする皆さんに敬意を表しつつも、自然に任せるのが一番と感じる。多少滑りながら、悪戦苦闘の末8時過ぎ白口岳山頂着。眼下の立中山山頂のミヤマキリシマは今を見ごろ(写真左)にピンクの絨毯を敷き詰めたようだ。白口岳の頂から御池避難小屋までは、九重で最も静かな佇まいで一番好きなところだ。昨年通った時には低灌木のトンネルだった登山道も道の両側を刈り払いして通りやすく整備されていた。近くの鳴子山のオオヤマレンゲももうまもなくだろう。御池避難小屋9時2分着。
 81年前の遭難碑
(写真右)が否応なしに眼に飛び込んでくる。昨年、修復に携わった一人としてその建立時の経緯も十分承知していながらも、どうにもこのバカでかい遭難碑は目につくし、正直言ってこの場にちょっと似つかわしくない、と感じる。昨日通った北千里浜の、ひっそりとした碑とは対照的過ぎる。1年ぶりの再訪でそんなことを考えた。
 白口岳の急登に削られた足場といい、登山道両端の刈り払いといい、御池遭難碑といい、ありのままの自然を大切にするという観点から考えさせられるものがある。先般の九重山域MTB乗り入れ記事に対し、このサイトの訪問者から辛辣な言葉を浴びせかけられた。
自然保護の本質論を置き去りにしたような形式的な議論に、受けて立つのもあほらしいと感じた。牧ノ戸までの復路はやはり大勢の登山者の行列をすり抜けながら足早の下山となり、牧ノ戸峠着11時、庄内町の‘幸せの湯’で締めくくった。(2011.6.5,狭間会員)
  


佐伯市城山(136.8m) 登山口と山頂から佐伯市街と番匠川を遠望する。6月2日、仕事帰りに思いつきで立ち寄る。城山登山口には、独歩碑の道と登城の道の二通りの登山道がある。右手、国木田独歩も愛したという独歩碑の道を往路に採り、下りは登城の道とした。鬱蒼とした森の中の小路が続くが、市街中心地に隣接していること、高さも勾配も手ごろなためか散策する人が多く、佐伯市民憩いのプロムナードという趣だ。
 

仙台 鈴木君からの便り 「おはようございます。携帯が地震で壊れて、以前のメールが見れません。(機種変更したため以前のメールは、喪失となりました。)今年の夏のお盆のご予定はは、いかがなものでしょうか?私的には、立山〜五色〜薬師〜黒部五郎〜みたいな感じなのですが・・・・。秋もありますし、飯豊も待っています。地震でマイカーが×となり、今週末は、日野においてあります。今週末は、新潟方面の天気が良いみたいですが、足がないので飯豊にはいけません。(残念!!)11、12の天候が良ければ飯豊 えぶりさし;ハクサンイチゲ満開コースにかけたいところです。今週末、帰宅 アンド マイカー持ち帰りです。父の日に何か買ってくれるというので、オスプレーの軽量ザック ホーネット46(46リットルで700G)になりました。近況らしきもの以上です。」(2011.6.2)

猟師岳 ひこさんクラブに同行 加藤さんが会長を務め、当サイトでも紹介している‘ひこさんクラブ’の「下川良一さん大分百山完登」記念登山に、山のいで湯愛好会を代表して狭間会員にご案内があり、立ち会わせていただいた。5月28日、台風接近で降り続く雨の中ではあったが22名もの参加者が山頂でワイングラスを高らかに挙げ、下川氏の百山完登を見届け祝福した。その後、加藤さんが幼少時代毎日それこそ来る日も来る日も歩いて通ったという、長者原から筌の口の飯田小学校までの約6kmを降り続く雨の中当時を再現すべく、ひたすら歩いた。大人の足でも1時間半近い道のり、これを真冬も歩いたという。山の子の忍耐力はこうして培われたのだ。さらに場所を筌の口温泉里の湯に移し、あらためて祝賀会が催された。今年の年頭抱負で「あらゆる登山スタイルを排除せず、幅広い山仲間と交流する」と決意表明した狭間会員、本音はいで湯仲間でこのところ山で痛飲する機会が少なくなったところにある。それにしても、一世代上の皆さん、エネルギッシュでよく飲みよく食い、よくしゃべり、よく歌い、よく踊った。締めくくりは加藤替え歌六百選の開陳であったが、「往年のように間髪を入れず、次から次へ繰り出す、というところまでいかないねえ」と加藤、狭間顔を見合わせて苦笑した。いやはや先輩諸氏の旺盛なエネルギーに脱帽しました。(2011.5.28-29,狭間会員)


坊がツルの残月 このところ立て続けの坊がツル行。坊がツルで静かな一夜を過ごしたいというのが一番の目的。しかしそればかりではなく、来るべき夏山シーズンの北ア行に備えての装備の点検なども目的の一つ。21年前に購入し、最も愛用してきたゴアライトのシームテープが剥がれ出した。フライシートなしでも使えるかどうか。タイムリーなことに、夜半テントを打つ雨音に何度か目覚める。どうやら縫い目からの雨漏りはなさそうだ。明け方五時前、テントから顔を出してみると夜来の小雨が嘘のように快晴だ。今日は宇佐で一仕事ある。もぞもぞと起き出し朝食・撤収にとりかかる。(2011.5.21,狭間会員撮影)


坊がツルの夕暮れ時 「5月13日(金)には2張りだけで静かな一夜を過ごしましたが、翌土曜日の午後から夕方にかけて色とりどりのテントが増え、合計30張り以上・・・若者のグループも多く賑やかになりました。でも彼ら、不思議と8時過ぎると静かになりましたね。少々ガラの悪い先輩が居た山岳会で鍛えられた小生としては、多少の騒々しさは受け容れる寛容さは持ち合わせていたのに・・・拍子抜けでした。」(2011.5.14,狭間会員撮影)


九重・春の花:「4月以降3度目の雨ヶ池からの坊がツル入り。タデ原湿原を通り過ぎ雨ヶ池へのゆっくりした登りにさしかかると足元に五弁(正確には合弁花だが)の花びらが、三俣山北面の沢を渡り急斜面の登りにさしかかったところで満開のシャクナゲが、雨ヶ池では今を盛りのクサボケの花が出迎えてくれた。雨ヶ池を過ぎコルに差しかかると傍らに盛りを過ぎたムシカリの花・・・先程登り口でみた花びらはこれであったかと気づかされる。(2011.5.13,狭間会員撮影)
   

九重雨ヶ池「下界は近年にない渇水に『この分では田植えがでけん』と農業関係者は頭を痛めている。一方、九重雨ヶ池は、この時期としては珍しく水を湛えていた。近年の気象変動には困ったものだ。降るべき時に降るべき所に降って欲しいのに・・・。」(2011.5.13,狭間会員撮影)


烏帽子岳付近(2011.4.29,狭間会員撮影)。五勇橋登山口から烏帽子岳へのルートは、この山域で人気の少ないところ。登山道を見失い地図・磁石頼りにやっと登山道を見つけたと思ったら背丈以上のスズタケが行く手を阻む。詳しくは「陽春の脊梁、向霧立山地・国見岳周回〜霧立山地・向坂山ほか周遊二日間の山旅」近日アップ予定。


国見岳 「GW前半の29.30日で念願の脊梁山地へこだわり編集長と二人、初めて踏み入れた。彼の言葉を借りれば「取っておくべき山」として、敢えて未踏を許していた山域に、ようやく向かわせたのは、人生の残り時間を考えての行動に相違ない。その意味でこのエポックは偶然ではなく、機が熟した結果であって、その歴史的山行を見届ける同行者として今、重責に打ち震えている(てな訳ないか)。と大仰な心境はともかく、初日の29日は五家荘の樅木登山口(五勇谷橋ゲート)から烏帽子岳〜五勇山〜国見岳〜登山口とぐるっと一周11.7キロ、累積標高差1113m、6時間余りの山旅を堪能。そして30日は宮崎県側、霧立山地の北端、五箇所ハイランドスキー場下のカシバル峠から向坂山〜杉越〜白岩山を縦走。いずれのコースも稜線はブナやヒメシャラ、ミズナラなど自然林の宝庫で九州山地の奥深さをいやがうえにも実感した山旅だったと断言しよう。詳細報告は後日。」


◆加藤会長の韓国報告(2011.5.6):「
連休に韓国に行ってきました。 毎年山の交流を読けている韓国山岳会蔚山支部と日本山岳会東九州支部との第6回目の交流会。今年は我々の方から韓国に出かける番で智異山を希望して12名で出かけて来ました。もともと智異山というピークはない、その最高峰が天王峰(1915m)チョナンボンと呼ばれている。九重山の最高峰が中岳であり久住山であるという同じ見方である。智異山国立公園に指定されており、月の輪熊の生息地であり韓国本土の最高峰であるがために登山としての人気も一番である。

5月1日 大分ー福岡 ビートルで釜山着1時 蔚山支部の皆さんと1年ぶりの再会。迎えの車に2台に乗り込み高速道路経由して本日の宿泊地 中山里へ約3時間。民宿に落ち着き夕食は近くの食堂へ。ここで蔚山支部の他のメンバーと地元韓国山岳会慶南支部の崔支部長からも歓迎の挨拶。この支部長には2日間大変お世話になった。民宿に帰っての2次会では各自自己紹介で場がうちとけ、最後は「アリラン」と「坊ヶつる讃歌」の合唱で盛り上がった。

5月2日 朝食をすませて登山開始。我々11名と韓国は10名 計21名でスタート。国立公園のゲートを通過、渓谷沿いのルートを採る。天気は晴れてはいるが黄砂の影響かかすんでいる。登山口は637m今日の目的地は1653m 高度差約1000mの登りである。左手に渓谷の水音をききながら整備された登山道をゆっくりと登る。休憩のたびにいろいろな間食がでる。きゆぅり、お餅、オレンジ、チョコレート、ぎょうざ、あめ、とつぎからつぎとザックから出しては提供してくれる。みつばつつじの花が歓迎してくれる。岩混じりのルートはよく整備されており要所には木製の階段やロープがあり迷うことはない。谷をいくつか渡っていくが立派な橋がかけられている。やがって中間点か、滝がある。流岩瀑布コースと言われているところだ。昼食の後は最後の急登がまっていた。ゆっくりとのぼり最後発電の音がきこえだしてやっとのおもいでチャントモックの小屋に到着。小屋の前のベンチでしばしの休憩。まだ時間があるので西の縦走路のピーク1667mまで往復する。崔さん持参の「バレンタイン」で乾杯。ただしビールは売ってなし。夕食は日本から持参のレトルト食品ですませ6時に部屋にはいり暖房と人息での熱い中9時消灯、就寝。

        

                  

5月3日 5時30分起床 朝食後7時30分スタート。小雨模様で雨具着けて登りだしたがたいしてふらず、最後登りの手前岩影には凍った雪の塊が残っていた。さすが本土最高峰からの眺めは十分見渡せた山頂であった。山頂石碑の前で記念撮影そして韓国の山仲間に感謝の意味をこめて万歳三唱して下山。急な整備された下山路をくだる。途中この山はカタクリの山かと思うほどカタクリの花の群落が続ていった。法界寺(ボッケサ)という中腹にあるお寺を経由してそこから1.5時間でマイクロバスの道に出てバスで中山里へ下山する。ここで昼食無事登山終了で乾杯。そこから蔚山へ車4台に便乗して向かう。その夜蔚山の中心街のレストランで夕食。そしてその夜は常にこの会の世話役である李さんの自宅におじゃまして泊まる。

               

        

5月4日 前2回とも登った慶州南山に今回は東口から登って岩の仏像や三層の石塔を見て下山。慶州の郊外のしゃれた離れ風の古民家で昼食。蔚山の郊外にもどって世界遺産に登録された岩に彫った石器時代の画を展示した博物館によって釜山に送ってもらい国際港ターミナルでお別れ式でさようならをする。20時発カメリアラインにて福岡へ。

5月5日 朝7時30分 福岡着 11時大分帰着
韓国の山仲間には大変お世話になりました。よい山とよい天気そしてよい山仲間の山旅でした。

来年は韓国の方が日本へ 由布山と鶴見山を予定しています。

◆福岡の石村さん花の便り(2011.4.30):「国見岳方面はいかがでしたか?29日は、とても天気が良かったですね。私も米良三山の石堂山に行きました。アケボノツツジも咲き始め、とても綺麗でした。4月26日(火)に阿蘇にサクラソウを見に行きましたので、そのときの写真を少し送ります。野焼きの後の草原には、キスミレが一面に。草原の中に入ると、サクラソウは、まだ3割程度でした。でも、とても綺麗で、他にも色々な種類の花が沢山咲いていて、ステキな花見にみんな大満足でした。ワラビもありましたが、地元の人は、ゼンマイ採りをしていました。」

    フクジュソウ       アマナ           ヒゴスミレ       キスミレ、ヤエンゴサク

    リュウキンカ     サクラソウとキスミレ       ワダソウ

◆東京農業大学エベレスト・ローツェ環境登山隊2003によるエベレスト登頂
(2003.5.22登頂隊員撮影, 同登山隊副隊長大平展義=当山のいで湯愛好会会員の許可を得て掲載) 本年1月に東京農業大学農友会山岳部報告第4号が刊行された。1977〜2008年の同大山岳部の足跡をまとめたB5版557Pの大作で、歴史と伝統ある東京農業大学山岳部の豊富な活動実績が窺われるもの。本誌に投稿された大平会員に関わる部分を、本人の許可を得て連載します。(2011.5.3)


傾山坊主尾根の岩場を行く(2011.4.24, 狭間会員撮影):楽な水場コースではなく坊主尾根を選んだ一行3名、二ツ坊主南壁上部にさしかかる。先頭を行く加藤会長も少し真顔でしたね。水場コースに比べ岩場とアップダウンが多かったけど何とか無事難所を通過し、4時間余りかけて山頂へ。小雪が舞う中のお雑煮は格別でした。このあと、三ツ尾に下るという山ガールらのグループを「同じコースを戻るのでは能がない」と九折コースを奨め、一緒に下山。山手本谷林道では、往時を懐かしんだ。
 

傾山からセンゲンを越え九折越に下山してきた山ガール二人(2011.4.24, 狭間会員が許可を得て撮影・掲載)。GWにJAC行事で韓国遠征を予定している加藤会長らと三つ尾〜傾山〜九折のロングコースを歩いた。「岳人なら坊主を行け!」の神の声が聞こえたのか、「もちろん」というべきか、会長は小雪混じりの寒風吹きすさぶ坊主尾根を多少迷いながらも、コースに選択。以下は次回更新時に。(※写真にうるさい吉賀会員からのアドバイスに従って若干トリミングしました。なるほど!余計なものがなくなり木立と二人の女性の対比が際立ってきましたね。おゆぴにすと諸氏は分かるかな?)
before → after

From: 吉賀To: 挟間渉Sent: Monday, April 25, 2011 8:47 PM
祖母・傾のどの辺りにこのような林があるのでしょうか?。良い作品と思います。好みにもよりますが、下部を少しトリミングした方がより良いと思います。(右の倒木の下まで、少し緑を残して)

From:
吉賀To: 挾間 渉Sent: Tuesday, April 26, 2011 9:09 PM
「 広い草地を表現したいとの意図は理解できます。しかし、もう少し下部をトリミングすると二人の女性がもっと活きて来ると思います。
小生は女性を活かしたいと思います。」

◆九重開山祭護摩焚き(2011.4.16、法華院山荘):九重開山祭が16〜17日にあるというお誘いが先週末に高瀬会員からあった。今年で11回目になるそうだけど一度も参加したことがないし、この機会にテントを担いで前日から坊がツルに行ってみることにした。誘った当のご本人は体調不良等で直前まで態度保留。そこで「俺は前日から坊がツルにテント張ってるよ。来る気があるなら自分の食糧と酒担いで来てよ」と言い残して一足先に長者原から雨が池コース経由で坊がツルに入る。道中、雨が池から見上げる三俣山北面下部から頂上付近まで見事に咲いたマンサクの、鮮やかな黄色に感心する。午後2時過ぎ坊がツルにテントを設営したあと夕方までのんびり文庫本を読んでいると夕方近くになって高瀬が大きなザックを背負って上がってきた。
 開山祭は法華院山荘が主催するもので前夜の護摩焚きに始まり開山祭当日は九重の10ある峰々の頂で毎年場所を移して開催される。まずは護摩焚きを見物し参加者全員が‘火渡り’で今年の安全登山を祈願した。夜は二人の持ち寄った食糧:野菜の寄せ鍋や刺身を肴に、話題は「女性の山友達が欲しい」(特に高瀬が強調)などであったような気がする。
 翌日は、この16日に日本山岳会東九州支部長に就任した加藤会長を鉾立峠に出迎えるべく少し早めに撤収し10時頃峠に到着し、くたみ分かれから登ってくる一行を出迎える。山頂で開山祭のセレモニーのあと安全祈願のお札とバンダナを頂戴し、加藤会長、塩月さんら一行と
一緒に昼食をとり、そのあと大船山登山道合流点経由で下山、筋湯うたせ湯に向かった。


◆三俣山北面を彩るマンサクの花。沢筋にはこの時期としては極めて珍しい残雪も(2011.4.16, 雨が池コース長者原よりの展望所より)


◆花便り裏庭の山桜が満開です。風が吹くと花びらが朝日に輝きながら舞います。また、鶯を主体とした小鳥のさえずりも賑やかです」(2011.4.9吉賀会員より)。


◆九重連峰早春(2011.3.30):仕事の帰途、牧ノ戸から合頭山〜猟師岳の稜線を散策した。スキー場(写真左)にはまだたっぷり雪があり平日だというのにスキーに興じる人影が疎らながら遠望できた。その向こうに涌蓋の峰がたおやかに横たわり、その右手・大岳地熱発電所からは水蒸気がゆっくりと立ち上り、例年と変わらぬ、のどかな早春の光景であったが、福島の原発の異常事態に思いを馳せると、地熱発電が格別なものに感じられた。スキー場は充分な雪を残して4月5日閉鎖したそうな。この辺りの木々もこれから一気に芽吹くことだろう。


◆半ば氷結した九重・暮雨の滝(2011.1.29, 狭間会員撮影) この年末年始、会員諸氏には身の回りに様々な出来事があった。おゆぴにすと忘年会も新年会も開けず、加藤会長の発案で坊ヶツル雪見酒を催したが結局、栗秋会員と二人だけのちょっと淋しい九重行となった。吉部からの入山。登路の途中、昨年来の寒波続きで気になっていた暮雨の滝に降りてみた。ご覧の通りで、言葉は不要か・・・。因みにこの滝の読み方は人によって様々。しんつくし山岳会が1961年に発行した「九重山」で、執筆者の一人・加藤数功氏の『山名と地名のおこり』によると‘暮雨(くらざめ)’とある。その一方で付録の地図には‘クラゾメ’とある。ここは九重の先蹤者に敬意を表して、あらためて『くらざめのたき』と発音することにしよう。おゆぴにすとなら間違っても、‘くれさめ’とは読まないよう!


◆阿蘇山厳冬:1月25日、熊本からの出張帰り、九州横断特急が立野を過ぎる辺りから阿蘇の山並みが前方に迫ってきた。年末からこっちずーっと続いてきた寒波を象徴するような寒々しい冬空の下、雪に覆われた杵島岳、往生岳付近は圧巻であった。「今年の雪は半端じゃないぞ!」と夢中でシャッターを押した。まだアルピニストの遺伝子は体内で消滅していない・・・その証拠に阿蘇の冠雪を遠望した瞬間、‘アルピニスト遺伝子のスイッチ’がONになってしまった、嗚呼(狭間会員撮影)。


◆門司アルプス小文字山の山頂にて地元の中学校女子剣道部員の皆さんに囲まれご満悦の栗さん(2011.1.8, 狭間会員撮影)


大分川明磧橋と府内大橋の間の堤防から、(上)新雪の由布岳・鶴見岳方面、(下)九重連峰遠望(2011.1.2朝、狭間会員撮影)。例年、元旦の朝は加藤会長の‘彦岳からの初日’の写真が送られてくるのだけれど、今年は初日は拝めたもののデジカメの電池切れだったとか。折角の新雪と久々の好天、もしかしたら雪をまとった九重が遠望できるかもしれないと、いてもたってもいられない気持ちでデジカメを手にウォーキングに出かけた。最初に明磧橋上で白銀の由布岳が現れた。そこから1キロほど下流のビューポイントに立った。あいにく九重の頂稜部はどんよりと雲に覆われていたが、久々に登高意欲がそそられるに充分なアルペン的風貌であった。それにしても昨夏修復した遭難碑のことも気になるなあ・・・高瀬会員が一番気になっているはずだけど音沙汰ないねえ。



◆大分市近郊から新雪の由布岳・鶴見岳方面を遠望する(2001.12.31朝、狭間会員撮影)。左より雨乞岳方面〜中央は由布岳・鶴見岳〜右に高崎山。遥かなヒマラヤの高峰や北アルプスに想いを馳せつつも、我が郷土の慣れ親しんだ山々にも変わりない想いを注ぎたいと新年に誓いを新たにしました。


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