お便り紹介(2008〜2010)

 このコーナーでは、当ホームページのトップページに掲載した写真の一部、それに会員及び会友、読者等から寄せられたメール、手紙を紹介します。なお、メール、手紙につきましては管理人の判断により、個人情報等に支障をきたさない範囲にとどめたつもりですが、もし不都合なことがございましたらメールにてご一報下さい。

狭間会員から(2010.10.12):初秋の平尾台羊群原(2010.10.11, 狭間会員撮影) 「平尾台は山口県の秋吉台とならぶ日本有数のカルスト台地で、天然記念物・国定公園・県立自然公園に指定されています。ピナクルが羊の群れのように見える羊群原(ようぐんばる)や、地下に川が流れている千仏鍾乳洞(せんぶつしょうにゅうどう)など、独特なカルスト地形をもつ・・・以下略(平尾台のHPより)」

鈴木会員から(2010.10.5):「・・・(前略) 2日は快晴の予報でしたので 岩手秋田県境の和賀山塊の盟主 和賀岳 1440mへ行って来ました かまくらで有名な秋田県横手市経由で226キロの走行。1000円高速は助かります。登山口は秋田側の真木渓谷の甘露水登山口より。登山者は私もふくめて9名でした。岩手県側からは20数名程度で静かな山行でした。岩手山鳥海山秋田駒ヶ岳栗駒山早池峰山など一望できました。 9名の内訳は山形県尾花沢から3名 川崎からの2名 千葉県柏市からの方 この方は私と同じ年齢のかたで早期退職されたかたでした その他私もふくめて3名。秋田側からの登山は2005年以来五年振りでした。 五年前は四時間二分かかりましたが今回は三時間四十五分と少し短縮できまずまずでした。和賀岳にはここ3年毎年行っていますが非常にいい山です。また来年もいくつもりです。」

狭間会員から(2010.9.4):坊がつるの午後:7月の、池の小屋付近にある遭難碑の修復作業や、その後の慰霊祭など、近頃何かと九重山に関わりが深くなりました。先週末(9/4-5)、珍しく本などザックに忍ばせて雨ヶ池コースから坊がつるに入りました。午後3時頃から夜半までテント内外で文庫本一冊読み通しました。この日のテントは25張りくらい。テント泊ではここが一番心が安らぎますね。ヒーリング・マウンテニヤリング・・・これからもちょくちょく心がけたい、という心境です(2010.9.4, 狭間会員撮影)

狭間会員から(2010.6.4):少し古い話になりましたが、先月5月15日、熊本市近郊、河内ミカンで有名な金峰山に登ってきました。前々日から会社の会議などが熊本市内であり、夏に向けてそろそろ体力造りをと思っていた矢先の県外出張で、しかも金曜日とあれば当然車での参加が自由度が高い。

 金峰山は、熊本県熊本市の西北、旧飽託郡河内町の地域に位置し、標高665mの一ノ岳を中心とするカルデラ式火山。熊本城天守閣から見た金峰山が、その昔、河内クロスカントリーなどの本サイト記事もあり、前から気になっていた。金峰山というと一般的には一ノ岳を指すらしいが、これを中央火口丘とする二重式火山(現在火山活動はしていない)であり、熊ノ岳(685m)や三ノ岳(681m)・荒尾山(445m)などの外輪山を含む山の総称だそうだ。山頂には展望台があり、晴れた日には有明海の湾奥、佐賀平野から島原半島、天草諸島の島影までを見渡せ、夜は熊本市街の夜景を一望することができる。山中には、巨石がいくつも横たわり宗教遺跡とみられる拝ケ石巨石群や、宮本武蔵が籠もって五輪書を書き記したことで知られる霊巌洞(岩戸観音)および五百羅漢のある雲巌禅寺、熊本から小天温泉までの旅を題材にした夏目漱石の小説「草枕」の一シーンに登場する峠の茶屋など、結構いろいろ歴史的著名人ゆかりの地なのだそうだ。

 さて熊本城近くの宿を早朝に発ち、登山口・霊巌洞からのスタート。ここは河内みかんとして有名な地でもある。折しもミカンの花の甘酸っぱい香り漂うミカンの段々畑を縫うように車道を歩いた後、杉の植林の中を1時間と少々で山頂に着く。この間の、目で見、肌で感じた風景等は前述の通りだ。熊本のシンボル的な存在らしく、山頂では峠の茶屋方面からの登山者が多く、帰路に二ノ岳、三ノ岳なども勧められたが、出張疲れもあり家路を急いだ。

 再就職して3年目、県外出張の機会も多く、その機会を最大限利用するとともに、在宅勤務の本来の目的を忘れていたことを思い出し、置かれた境遇を最大限活かさねばとの思いを再認識した、今回の出張山行でした。おっと!誤解されちゃあ困りますが、仕事は真面目にちゃんとやってますからご心配には及びません、念のため!

加藤会長から(2009.5.7):「連休を利用して韓国、蔚山の近郊にある嶺南アルプスの山に登りました。これは5年前から続いている韓国山岳会蔚山支部と日本山岳会東九州支部との交流の行事で今年はこちらから出かける年。5月1日の朝、9名で大分を発ち博多経由ー釜山へその日にマイクロバスにて蔚山に入り宿舎の雲門山自然休養林のなかの錬修館に着く。夜はそこから40分かけて蔚山の街へ。スーパーにて3日間の食料を買出し7時から蔚山支部との歓迎パーテーにて40名ほどの人たちと交流。中にはずっとこの交流会に参加した顔があり久しぶりの再会を楽しん一時となった。9時終焉。宿舎にもどる。
2日 朝食後自家用車7台に分乗して登山口へ。8時35分登山開始 まず目指すは天皇山(チョハンサン)1189m。現地では獅子峰(サザボン)11時57分山頂着登頂セレモニーの終わるころからガスっていた天候の中から少し降ってきた。20分下ったとこ、鞍部のビニールを張った小屋にて昼食。つぎにめざす載薬山(チェヤクサン)に向かうころ本降りとなり雨具をつけて登り始めるも長くは降られずにその(スミボン)とよばれている山頂(1119m)についた14時17分ころにはほとんど雨もやんだ。そこから一端登ったルートに合流したがすぐに右の岩稜まじりの尾根ルートにて下山。途中、祖母の大障子岩クラスの岩場を右にまいて一ヶ所ロープを張った岩場を下りあと登山口にむかって下った。16時23分下山。宿舎に戻りシャワーをあびその夜も新しく加わったメンバーを含めて大いに盛り上がった宴となった。
3日 同じく朝食後 自家用車で登山口の石骨寺へ。8時35分発。丁度、神原から祖母山のルートと似たルートをとる。途中渓谷とわかれるところでつめたい谷の水を飲む。そこからが岩まじりの急登がつずく。だんだんと登りすず竹があらわれると11時「上雲庵」と書いたお寺の別院につく。韓国にはこんな山深いところに修験宿がみられる。ソーラーパネルがありすこしの広場には野菜が植えられ石の間から湧き水があった。ここからスズタケの中少し登るとおおきなケルンがあり左からの尾根ルートと合流し最後の登りで雲門山(1188m)山頂へ。韓国の山の山頂には必ずといっていいくらい大きな石柱があり山の名前と標高が表、裏には作成者の名が彫ってある。ヘリであげたのだという。昨日よりはよい展望を楽しむ。一昨年登った加智山が左手にみえ正面には昨日登った天皇山がきれかかった雲の間からみえる。昼食後 西稜ルートを下る。さすがガイドの地図にはのっていないルートだ。一般的でないルートなのだ。つぎつぎとロープを張った岩場があらわれそのたびにストックが邪魔になり大変なルートであったがまたたのしくもあったルートであった。最後大きな岩場が自然の岩屋みたいになった大きな空間のできたとこに出くわす。かなり広い空間となっていた。そこから20分くらい下ったとこで朝登ったルートに出てそこから50分で登山口の石骨寺に折りつく。(15時20分)けっこうきつい一週コースではあったが面白い登りがいのある山であった。
4日 慶州南山の世界遺産に登録された景勝の山 金鳥山(468m)にゆっくりと登り下山途中で昼食ー下山後3日間の山登りを楽しんだお礼をのべお互いに万歳をして分かれる。慶州国立博物館をゆっくりと見学して2台の車で高速道路を釜山へ、釜山のホテルまで送ってもらいありがとうの握手でわかれる。
5日 釜山ー博多ー大分着19時30分。無事帰着。
来年は蔚山の仲間が訪日の番だ。霧島の韓国岳を案内する約束で分かれた。」





狭間会員から(2009.5.7):「GW最終日の5月6日、渓流釣りを目的に県内の山奥に分け入った。理由あって詳細な地点は明かせないが、車を捨てかすかな踏み跡を頼りにやっとの思いで辿り着いた目的地は、別天地。しかし、‘そこ’に行き着く道中は藪こぎをものともせずに、写真のような樹幹に刻まれた‘ヒトよりも大きいと想像される獣の爪痕’に、一瞬ドキッとさせられながら難行、苦行を強いられたアプローチであった。して、釣果は? ・・・20〜25cm級ニジマス11匹・・・帰りに某山の伏流水に育まれたクレソンをザック一杯に、ニジマスのムニエル、フライの添え物にピッタリであったことを報告しておこう。それにしても、樹幹の爪痕の主は何なんだろう、気になるなあ。」
←樹幹の爪痕




加藤会長から(2009.4.21)
ご注意
 木山内岳の登山口の観音滝遊歩道に架かっていた橋の一部が崩落して現在通れなくなっています。4月19日木山内岳に登りにでかけました。登山口に「地すべりのため通行できません。佐伯市」とのお知らせの立て札がとうせんぼうをしたテープにはってありました。そこから約100mのとこ2つめの橋が中央部分から完全に崩落して右下の藤河内渓谷に落下しておりそれから先は警告どうり行けない状態になっていました。よくみるとそのスラブ状の一枚岩の200mくらいの上部にあったと思われる大岩がなんらかの力で崩落し、まともに架かっていた橋に直撃して橋の部分が7−8mにわたって崩壊しその残骸が右下20mくらいの渓谷に落ちたままになっていました。地元の人の話だと昨年の10月に崩落したとのことです。以前は宇目町の管轄だったので対応も早かったが現在は合併で佐伯市の管轄になっているので対応が遅いのだろうと嘆いていました。こんなところにも合併の弊害がでているのだろうとおもいました。観音滝ー木山内岳に登られる方は注意してください。」


吉賀会員から桜の便り(2009.4.7):「枝垂れ桜が満開になりました。今年で3回目です。30年後には庭の設計者が想い描いた姿になるでしょう。その時には盛大な花見の宴を催したいと思っています。連れ合いは「わたしゃもうおらんけど、あんたは100歳までも生きるじゃろうけん見ることができるじゃろう」と云っております。しかし、この桜を30年間自然の脅威から護ることは容易いことではありません。果たしていつまで護り通すことができるか、これは真剣勝負である。」


吉賀会員から桜の便り(2009.4.6):「桜の木の下に寝転がり上を仰ぎ見た写真です。
これはちょっと面白いので送ります。(4/5:撮影)


吉賀会員から桜の便り(2009.4.3):
「光線の具合で良い写真が撮れません。(4/2撮影)来年はもっと出来の良いのを撮れるように努力します。これで花は終わりですが、山桜の紅い葉っぱは5月には新緑の中で映えます。これが山桜の良いところです。(ソメイヨシノは少し味気ないように感じます)」


吉賀会員から桜の便り(2009.3.28):
「裏庭の山桜が咲きました。何種類かあるようで満開の木、まだ蕾が堅い木とあります。人も通ることもできない藪山をこの状態まで整備するのに3年程を要しました(山の間伐は森林組合に依頼した)。竹切り、クヌギや樫の伐採、杉や檜の枝打ち等々。手足・顔等身体のあっちこっに切り傷や打撲(整骨院通い多々有り)大変は作業でした。最も怖いのはチェンソーを使用しての作業。伐採した木の下敷きになりかけたり、自分の足を切り落としそうになったり、木の上(地上10m)で安全ロープが外れかけたりと冷や汗をかくこと幾度とあり。JANNU以来の大冒険でした。木の植わってないところに山桜の苗(50本)を植えました。昨年、60本余植栽。これで、大まかな整備は完了です。あとは毎年草きり、竹きり等をして現状を維持していかなければなりません。10年後くらいには現状よりも数倍素晴らしい景色の下で花見ができます。(この場所を一般の方には知られたくないと思います。よって、県道から見えるヶ所には桜は植えていない)」
  

鈴木会員から写真(2009・1.15):
盛岡駅前開運橋からの岩手山


加藤会長からの便り(2008.10.16):
「10月11日 北九州にて(社)日本山岳会の第24回全国支部懇談会が行われこれに参加 ホテル「二ユータガワ」にて15.00より懇談会 記念講演「松本清張と小倉」を聞き18.00より懇親会。本部からの宮下会長以下参加の約200名の先輩や友人知人達との交友をふかめた。翌12日 記念登山はAコースの福智山を選びこれに85名の全国からの岳友達と登った。上野峡ー白糸の滝ー山頂約2時間で登りここから団体行動をはなれて下川君と2人で九州自然歩道を約4時間かけて福智山ー赤牟田ノ辻ー焼立山ー牛斬山ー採銅所駅まで縦走し事前に連絡していた従兄弟の香春町在住のN君と合流。上野峡まで車を回収してもらい帰路についた。好天にめぐまれて前半は交流登山、後半は福智山系の気持ちよい山歩きを2人で楽しんだ一日でした。」
 

狭間会員からの便り(2008.9.29):
「唐津方面に出張する機会があり、前日・日曜日(9月21日)からの移動ということでマイカーにマウンテンバイクを積み込んで、背振山と栗秋会員お薦めの鏡山に登ってきました。どちらの山もマウンテンバイクを漕いでの‘登山’ということでひと味違った景色を楽しむことができました。左:背振山、右:鏡山山頂にて。・・・ところで「ちゃんと仕事はしとるんかいな?」との疑問については、言わずもがな!翌22日は早朝から頑張り、夕方は佐賀市内に移動して夜遅くまで。翌23日は大分への移動のみなので、さらに背振山系奥深くと思いましたが、前日の疲れがとれず、断念しました。後で考えたら、折角の祭日なのにちょっともったいなかったな。
 


吉賀会員からの便り(2008.9.18):
「南アルプスや韓国の山までは足を延ばせませんが、休日のほとんど家の裏山に登って藪と格闘しています。全て完了するまでは10年近い歳月を要すと思います。山桜の周辺は来春までに目途を付ける予定です。よって春には花見ができます。先日の連休に山仕事の疲れを癒す為、連れ合いに引かれて‘篤姫さん’の里、いや‘半端者さん’里に行って来ました。知覧の武家屋敷(庭園7箇所)を観てみたかったのです。京都の寺院の庭はほとんど観て廻りましたが、その庭を凝縮した素晴らしい景色でした。それに比較すると我が家の庭は空き地の藪です。この旅でひとつの発見?がありました。桜島に人が住んでいるとは今日まで知りませんでした(人口8千数百人)。台風の影響で小雨交じりの天候にて桜島は良く見えなかったが海に浮かぶ薩摩富士(開聞岳)は風情がありました。」
 



加藤会長からの便り(2008.9.17):「伊吹山に登ってきました。9月14日 大津市で行われた日本男声合唱協会第19回演奏会に南蛮コールの一員として参加。600名の仲間達と歌い、15日に伊吹山に登りました。大津を朝のJRで同じ団員のN氏と発ち、近江長岡にて岐阜からきた友人O氏と合流し3人でタクシーにて登山口へ。ここからやく3時間の登りで山頂へ。花の時期からはややはずれてはいましたがそれでもいろんな花がみれました。サラシナショウマ、タムラソウ、イブキトリカブト、イブキフウロウなどなど、さすがに花の豊かさを誇る山でした。山頂には深田久弥にして言わしめた「お気の毒なくらいみっともない」作りのヤマトタケルの石像がたっていました。ドライブウエイを利用してきている観光客でいっぱいでした。あいにくの天候で眺望はきかなかったがなんとか下山するまでふられなくてすみました。また花のよい時期に再訪をと思う山でした。」
  

狭間会員からの便り(2008.8.下旬〜10月下旬):南ア光岳から三伏峠までの縦走の写真をシリーズで掲載

狭間会員からの便り(2008.7.17〜18):
「蓼科温泉にある会社の保養所をベースに、北八ヶ岳と車山(美ヶ原)に家内と行ってきました。八分咲きのニッコウキスゲと、中央線電車・帰りの車窓から仰ぎ見た、移りゆく甲斐駒ヶ岳の雄姿(写真下)が印象的でした。」
  



加藤会長からの便り(2008.7.7):
「7月6日 九重。三俣山の山頂より大分地方の梅雨明けを見届けました。午前中は山の上部にガスもかかり風もつよくよくなかった天候も12時すぎたころからだんだんと好転のきざしがみえお鉢めぐって山頂にもどったころには遠くの英彦山もくっきりとみえてきてまさに梅雨が明けたのをこの目でたしかめた瞬間に立ち会ったという心境でした。」


栗秋会員からの便り(2008.7.8):
「「前日未明の雨で九重や阿蘇、津江、英彦山などの山嶺がくっきりと映り、稜線漫歩が実現できました。下界は猛暑だったのに、さすがに山上の冷風は九重にいることを実感させてくれますなぁ。」(2008.7.6)
 

狭間会員からの便り(2008.7.8):「梅雨明けを思わせる暑さの中、7月6日、踊石からのコースで久しぶりに鶴見岳に登った。前日、炎天下のボッカトレーニングがたたってか、足取りは重かった。雨上がりとあって、山頂付近からは九重、祖母傾の連嶺が見通せた。帰路は南平台に回った。南平台は未踏の頂だが、秋の楽しみにとっておこうと、山頂直下を素通りした。最後までかったるい足取りだった。写真左:城ヶ岳の向こうに九重連峰を望む、右:遙に祖母傾連峰を望む」
 

狭間会員からの便り(2008.6.28):
「ひこさんクラブの精鋭が、今年は祖母山系のオオヤマレンゲを訪ねるという。南アのトレーニングの一環として飛び入り参加した。梅雨前線の真っ直中にもかかわらず、よりによって谷筋からのアプローチ。雨中、約4時間半の悪戦苦闘の後‘貴婦人’に巡り会うことができた。写真左と中央:オオヤマレンゲを求めて、祖母山系メンノツラ谷を遡る中高年登山隊総勢5名。右:九合目付近で‘貴婦人’を発見。
  


狭間会員からの便り(2005.5.22):
「新緑のカルト山林道、左:カルト山山頂・・・眺望利かず、中央:林道脇で見つけた可憐なエビネ、右:カルト林道」
  

吉賀会員からの便り(2008.5.19):「桜の季節はとうに過ぎました。今、来春の花が楽しめるよう山桜に汗を流しております。最近の2年弱ほどは休日のほとんどを家の裏山で過す状態です。チェンソー・鋸・鉈を持って藪の中を徘徊しております。家の周辺に山桜の苗木(70本)を植えた事は前回報告しました。今回は既存の山桜の手入れの状況を報告します。
 写真左:クヌギ等の大木をチェンソーにて伐採(素人なので非常に危険を伴う)。
 写真中央:裏山で最も大きい山桜。大木に囲まれた藪の中にあった為、今年気づいた。
 幹回り:2m余、樹高:約30m。来春の花は見応えがあるであろう。
 写真右:幹に大きな傷あり。ノミで腐食部を削り取り防腐処置を施した(素人による手術の為少し不安あり)。
他に家裏の山林(5ha)の手入れが残っており今後10年ほどは多忙?の予定。桜や山林の手入れは全身を使う重労働です。いい運動になります。この運動はジョギングと違いやった事の結果が残るので一石二鳥の効果があります。」

狭間会員からの便り(2008.5.18):「新緑の由布岳山麓@「5月15日、猪瀬戸から飯盛ヶ城まで新緑の由布岳山麓を歩きました。登りはじめは石ころゴロゴロですが、空気がおいしかったです。鳥のさえずりも賑やかでした。登山口には車が結構停まっていましたが、多くは、猪瀬戸からの由布山頂が目的のようでした。この時期、山麓はまさに‘新緑’に覆われ、時折木洩れ日が差す、といった具合。木々の間から目的の最初の山・日向岳を垣間見る。日向岳の山頂付近では、思いがけずもサクラソウの小さな群生に出会い、心和むものがありました。ここまでのコースの大半は鬱蒼とした中でしたが、日向岳からの下りでこのコース中、唯一、由布岳の山頂が拝めるスポットがありました。正面登山口方面に回り込むほどに、由布山麓の裾野は明るい樹林帯に変わり、同じ新緑でも緑の色合いは微妙に変化してきました。飯盛ヶ城の登りでエヒメアヤメ二輪とミヤマキリシマ一輪に疲れが癒されます(後方は福万山)。正面登山口から飯盛ヶ城に直接登る登山道が整備されていることを初めて知りました。





狭間会員からの便り(2008.5.4):
「祖母傾山系の新百姓山(1272m)から桧山.(1297m)に至る稜線上のアケボノツツジ。この付近では盛りは過ぎてはいたものの、充分味わうことができました。一方、シャクナゲは開花初めであり、来週以降が見頃となることでしょう。写真右は、祖母傾山系の新百姓山(1272m)に至る稜線上のブナの巨木。周囲6,7mはあろうか?圧巻でした」(2008.5.4)。


狭間会員からの便り(2008.5.3):「4月25日〜29日までの5日間、松江に滞在。28日に残雪の伯耆大山に登りました。33年ぶりのことです。登山口には良く整備された無料駐車場がありました。弥山までの2時間半、本日から5回に分けて写真を掲載します。夏道四合目辺りは、まだ樹木は芽吹いておらず、北壁も見通しよく眺められました。稜線上の突起はユートピア小屋です。六合目を過ぎると残雪に悪戦苦闘しました。別山沢上部辺りからは、北壁が圧巻でした。行者谷方面にはシュプールもありました。登山者は‘時ならぬ’残雪に(大山ではこの時期当たり前?)、うれしさ半分、怖さ半分といったところでしょうか。」九合目辺りからは木道を行くことになります。時折、幅広い雪原を横切りますが、サングラスがないと雪盲になりそうなほど、春の陽射しが照りつけました。登山口から2時間半ほどで山頂。といっても最高点・剣ヶ峰はその向こう。崩壊が激しく一般登山者はこのちょっと先まで。」





福岡の石村さんからの便り(2008.4.25):
「憧れの霧島「夷守山〜大幡池」と照葉樹林の町「綾町」に4月8、9日と行ってきました。夷守山は、鬱蒼とした森から、1000メートル付近で明るい落葉樹林になり、そして、山頂に着くと、高千穂の峰から韓国岳までの大パノラマが広がるという変化に富んだ晴らしい山でした。そして、念願の「神秘的な大幡池」まで往復しました。雲上のカルデラ湖です。照葉樹林の町「綾町」にも行き、大吊り橋も渡り、綾城んも行きました。温泉は「コスモス温泉」(チョー熱い!)と「皇子原温泉村」(チョーぬるい!)2湯制覇。夫婦二人のノンビリ旅でした。」(写真左から、綾城の桜、夷守山より望む高千穂ノ峰、大幡池畔を行く)
 

狭間会員からの便り(2008.4.15):「週末、出張の機会を利用して荻岳にちょこっと登ってきました。いつもは緑に覆われた山肌ですが、野焼き直後で黒々とした地肌むきだし。それでも、ワラビ、タラノメなどがそろそろ動き始めておりました。この山は宮崎県五ヶ所の三秀台とともに、九重、阿蘇、祖母の眺めの大変良い場所ですが、あいにく遠望されたのはご覧の通り春霞で薄ぼんやりとした輪郭のみで、ちょっと残念でした。」(写真左から、阿蘇根子岳高岳、祖母山、荻岳山腹の林道、荻岳山頂付近、2008.4.12)
   

吉賀会員からの便り(2008.4.5):
「春爛漫、歳を重ねた所為か近年桜の花に惹かれます。山桜が良いですね。特に紅い葉っぱのが良い。昨年と今年で60本程家の周辺に植えました。20年後が楽しみです。先週、連れ合いに誘われて醍醐の花見に行きました。まだ、蕾ほどかと思っていましたが満開の木もあり幸運でした。秀吉が花見の宴を催した醍醐の桜は見応えがあり圧倒されます。我が家の桜とは比較できません。しかし、300年後をご期待ください。
 

加藤会長からの便り(2008.3.23):
「九重の山々に春をつげる法華院温泉の開山祭に行ってきました3月21日 快晴の久住山 星生山より まだ日陰には今年の雪がのこっていた。3月22日 法華院まえ広場でおこなわれた開山祭 護摩焚の様子。今年の山の安全を祈願してたいた護摩の煙が早春の山々をバックにしてのぼっていった。」
 

吉賀会員からの便り(2008.3.8):年明け後何度かシャッターを切ったが良い写真は撮れず。温暖化が進んだ影響か空は霞がかかった状態のように感じます。最近、当HP活気が薄れているようです。先日、上京した折り定年退職後「イエルパハーの雪壁を1ビバークでアタックしようか」との話がでた。しかし、約30年ほどにもなるブランクを克服できるであろうか?。これは難題である。

松田会員からの便り(2008.2.10):「PDF化作業ご苦労様です。さて8日鹿児島から戻りました。道路特定財源の使用は偏っているなと感じる往復でした。また老々介護は疲れますした。2月2日桜島の昭和火口が7ヶ月ぶりに噴火(火山噴火警戒レベル3に引き上げ)また戻るときは10数年ぶりにやまなみを抜けて帰りました。雪の九重の山々も趣がありますね。もっとも道路が一部凍結しており冷や汗ものの運転でした、写真を添付します。以下略」(写真左より順に、噴煙を上げる桜島1、噴煙を上げる桜島2、瀬の本高原からの久住山・中岳、牧ノ戸から望む三俣山、由布岳東峰・西峰)

 

狭間会員からの便り(2008.2.8):2月6日、熊本出張の帰途。雪の阿蘇山二題
 

狭間会員からの便り(2008.2.7):2月1日、久々の熊本出張の帰途、「まもなく宮地」の車内アナウンスに、ふと窓外を仰ぎ見ると阿蘇外輪山の向こうに冠雪の九重連峰が遠望できた。しばらくご無沙汰だけに懐かしく、夢中でシャッターを切った。一瞬のことだった。


加藤会長からの便り(2008.1.17):「1月12日から15日まで 今年の干支の山である 子ノ泊山(906.7m )三重県紀宝町に登ってきました。十二支会の今年の山は子ノ泊山 ことしは5周目に入ったがこの山で子歳を迎えるのも4回目ということでした。

13日朝 大阪南港着 同級の友 佐藤君の出迎えをうけ奥さんと大分からの3人(私 西 生野)で佐藤君の愛車にて一路南下 和歌山ー田辺ー白浜にて観光 串本へ本州最南端をみて那智へ。那智本宮、那智の滝をみて今日の宿「くまのじ」へ。夜 6寺より80人の大宴会 1年に1度しかあえない山の友人達と旧交をあたためて飲めや歌えの会。
14日快晴 車にて登山口に移動の後Aコースの急登コースでヤケくらをへて2時間30分で山頂へ。万歳や慶祝の行事に約百人参加 地元の新宮山彦グループの豚汁やコーヒーの暖かい接待をうけ楽しい一時 好天にめぐまれて眺望のよい山頂でした。下山後 大分4人と佐藤夫妻で西日本一の大露天風呂のある渡瀬温泉にてもう一泊。
15日は 熊野古道 伏拝王子まで歩き 八ッ瀬の吊り橋を渡り 大阪に出て 15時51分新大阪発の新幹線に乗り大分着 19時48分の旅でした。 お世話になった佐藤君に感謝です。また来年 牛のつく山で再会を。」(写真左から、ヤケくらコースの登り、子の泊山 大分からの4人、山頂にて、西日本一の大露天風呂 渡瀬温泉)


会友・釘宮豊明君からの写真の便り(2008.1.10):正月5日久住高原コテージより阿蘇(左)と久住(右)を望む
 

狭間会員と加藤会長から初日の出の便り(2008.1.1):大分市松が丘から望む横江山の初日の出 (狭間)と彦岳からの初日(加藤)
 

過去の更新履歴とお便り紹介
   2006年後半〜2007年
   2006年後半(7〜12月)
   2006年前半(1〜6月)
   2005年(10〜12月)
   2005年(7〜10月)
   2005年(3〜7月) 
   2005年3月以前

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