こだわり山日記(兼トップページグラビア履歴)👆マークはクリックすると詳細画像に変わります。

毛谷村から犬ヶ岳、そして野峠へ(2021.1.28)

掲示板参照→こちら

久住山西稜(2021.1.19)
掲示板参照→こちら


犬ヶ岳厳冬 恐淵谷上部(2021.1.11)
(コースタイム)求菩提資料館駐車場(標高350m)7:33→恐淵谷入渓渡渉点8:15→鎖場へつり渡渉点9:39-9:58→経読林道手前輪かんじき装着11:20→経読林道大竿峠取付き点(標高965m)12:20-12:45→大竿峠14:03→1115mピーク14:47→鎖場15:32→求菩提資料館駐車場17:57 本文は → こちら ダイジェスト動画は → こちら


新春初詣で登山 第一弾 1月3日 尺間神社(大分市野津原町) 
前日(1/2)の霊山山麓・大分川水系七瀬川支流岡川遡行に続いて新春第二弾(初詣で第一弾)は尺間岳。津久見佐伯境の尺間山は有名だが、この山は地図に山名がない。しかし、四辻峠と野津原町小原を結ぶ町村道の途中に「一願成就神 尺間神社」と彫り込まれた立派な御影石が立ち、幟旗も。以下 → こちら 


南阿蘇外輪山 地蔵峠~大矢野岳~清水峠、写真は大矢野岳方面からの阿蘇五岳(2020.12.26) 
今年4月に続く、南阿蘇外輪山シリーズ第ニ弾。下り坂の天候が予想された、当初予定の27日を1日前倒ししたのが正解だった。この日は…→以下こちら


霊山東面寒田川源流遡行(2020.12.19) 
冬の沢登りに誘われ、「大分市近郊のたかだか600mくらいの低山に沢登りの対象になるような沢などあるのかいな?」と思いながらも、何百回も登った山のはずだけに己の視野の狭さ故に気づかなかったこともあるかもしれない…新たな発見があるかもしれないとの期待もあって出かけた。 以下→こちらこちらも


高崎山田ノ浦の岩場(2020.11.29) 
高崎山での岩登りトレーニングと言えば、別院奥の岩場が昭和40年代頃は賑わっていた。特に大分市付近の岳人なら大抵は別院の岩場から巣立っていった。しかし、別院の岩場は初級者向けで難易度が低く、より困難を求めるクライマーにとって手っ取り早くグレードの高い岩登りトレーニングの場が求められ、大分登高会の当時の精鋭(一部に分大OBも関わった)によって新たに開拓されたのが、田ノ浦側の岩場だ。昭和41年(1966年)から42年(1967年)のことである。
 つづきは⇒こちら


碁盤ヶ岳のカルスト台地(2020.12.5) 
日本山岳会東九州支部による大分百山が最初に選定され公表されたのは1980年のことだ。碁盤ヶ岳はその際に選定されたものだが、大分百山についてはその後何度か山の差し替えがあり、この山は今は選から漏れている。1000座前後の、名前の冠せられた山の中から100座を選定する作業は誰が選定するにしても異論も多々あろうことは容易に想像できる。

この山は最初の選定時から気になっていたが、40年を経過してやっと登る機会を得た。この日は天気は良かったが風が冷たく、三角点のある山頂からは見透しがきかなかったが、地図で観る高原状の台地の縁(へり)を反時計回りに忠実に辿ると、行く手左方の台地中央に次々とカルスト地形特有の羊群台地やドリーネなどが展開して、冷たさをいつの間にか忘れてしまうほどの飽くことのない数時間であった。

この大分の稀有な自然遺産の山は、石灰岩の採掘が津久見市の奥地にまで進んだことや、中山間地の荒廃などで、子供連れでにぎわったかつての日の賑わいはなく忘れ去られた、ひっそりとした山になっているが、県内では数少ないというか唯一の貴重なカルスト地形の山だ。山国・大分とは言え、そもそも百山などの選定に耐え得るほど多くの“山格を備えた山”があるのだろうか、というような疑問はさておき、少なくともこの地質的にも稀有な山容の山が差し替えられるほど他の山より見劣りするとは思えないのだが…。


扇山山頂付近(上)と扇山から内山への縦走路(下、バックは鶴見岳) 
鍋山の湯を起点に扇山のすそ野の水平道を歩き別府湾と別府市街地を遠望したのち、山頂まで突き上げ、内山縦走路からへびん湯経由の鍛錬登山。締めくくりは鍋山の湯。日曜日だったから、別府の山奥の秘湯といえども近頃は人が多くてあまり落ち着いて湯に浸れなかった。こんな湯は平日に限る(2020.11.8)。


錦秋の祖母山神掛岩~小松尾根(2020.10.25) 
神掛岩経由での祖母山のお誘いがあった。「神掛岩?」・・・大分の山屋として聞いたことのないコースに恥じ入ることよりも、このコースが上部の小松尾根でメンノツラ谷コースに合流すると聞き、メンノツラ谷コースと同様、ジメジメしたハードコースの印象が二の足を踏ませた。標高差が1100m以上かつ歩行時間が8時間以上が想定されるコースとなると、最近の体力、歩行技術などに鑑み、気合が必要だからだ。しかし、案ずるより生むがやすし…実際には神原からトレッキングコースとして非常に良く整備され、始めは渓流沿いにいくつもの名のある滝を探勝し、落ち葉を踏みしめ登るほどに色合いを深めた紅葉を楽しみ小松尾根の稜線へ。そこからいったん尾根末端にある神掛岩まで足をのばした。岩は迫力満点で、そのてっぺんに立つと障子尾根~九重連峰まで噂に違わぬ眺望を満喫できた。踵を返して再びの小松尾根・・・この日は終日快晴無風秋晴れの好天だったが、大半が北面の樹林帯歩きで九合目から上は霜柱を踏みしめながら汗ばむこともなく登山口から4時間ほどで山頂に達した。もちろん、山頂からの360度の大パノラマは言わずもがな。復路は国見峠コースにとり、早朝6時半出発で7時間15分の所要・・・体力に余裕を残してのハード登山だったから良しとしよう。


三俣山東峰付近から大鍋一帯の紅葉(2020.10.13) 
コロナ禍の自粛ムードは、それそのものの収束云々とは無関係に生活スタイルを一変させようとしている。このところいつの間にか外に出ないで引きこもることが普通になろうとしてる。「これじゃいかん!季節の移ろいさえ把握できなくなるではないか」とばかり、急に思い立って錦秋の九重を観に出かけた。長者原から雨ヶ池を越えすすき野の坊がつるへ。そこから三俣山東峰へまっすぐ高低差500メートルを直登・・・何故か今日は呼吸が荒く心臓の鼓動も聞こえるほどだ・・・歳かな。大鍋附近の紅葉は、錦秋にはあと数日か?北峰を迂回してすがもり越へ。すがもり越から長者原は先の豪雨で通行不能につき、大曲を経由して長者原まで戻った。6時間半の所要で約17kmほどの歩か。それにしても雨ヶ池への登路の谷筋、三俣山南面直登コースから見下ろした法華院付近の豪雨被害は半端ではない。さらにすがもり越からの下山時に見た硫黄山の埋め尽くされた谷には、眼を覆うものがあった。もはやスコップ持参の硫黄山露天風呂など遠い過去の話か・・・、今となっては貴重な体験であった。


塚原越~狸峠~高平(こうひら)山~猫が岩山 
別府アルプスと勝手に呼んでいる鶴見山系は、やまなみ道鳥居付近から鶴見岳~鞍ヶ戸~内山~伽藍岳~高平山と続く連嶺を普通は指す。鳥居から鶴見岳~高平山を経て十文字原へと下れば、別府アルプスは一応完全踏破ということになる。ところが、少し気になる山がある。高平山の最高点からは尾根が二つに分岐し一方は十文字原へ、もう一方はさらに北方の猫が岩山(写真中央よりやや右のピーク)に至る。前者は顕著な尾根、後者は尾根というよりも草原の中の、草原(演習場)と森林との境界と言った方が良かろう。しかも、草原部分は演習場だから立ち入り禁止区域だ。
 猫が岩山のピークはその境界からわずかではあるが完全に演習場内の立ち入り禁止区域にある。この日(8月8日)は別府市に届けられている演習計画では、演習はお休み。難しいことを言えば、難しくなるが、高平山から十文字原の登山道は、完全に境界線を歩くことになるから、それが可ならば、その論法で立ち入り禁止区域である草原と植林帯の境界を忠実に辿ることは可と考えて良かろう、いうことになる。境界の防火帯を、最後の激坂を越えて尾根のてっぺんに立つと県北部の山並みが一望できた。コロナ禍の自粛ムードの中で近場の山行ということで、前から気になっていた場所に足を踏み入れることができた。


山国川支流田野尾川の源流遡行 写真は仙人梁(2020.7.26) 
コロナ禍で思うように動けない時期が続いたが、ここに来て久々に沢登りの計画が持ち上がった。目標は夏木谷だったが、あいにくの雨で宮崎県境は諦め急きょ、大分県北部に転進した。耶馬渓付近の中摩殿畑山の登山口付近岩伏集落付近から 以下詳しくは ⇒ こちら


伯耆大山北壁八合尾根を目指す(2020.3.12) 
おゆぴにすとで企てた四国剣山系残雪期縦走はアプローチの関係でこの時期は断念せざるを得ず、計画変更した氷ノ山も期待したほどの残雪がなく諦めざるを得なくなった。丁度同時期に大分緑山岳会の有志2名が八合尾根を登攀することになっていた。登攀はともかくとして夏道でもいいからと飛び入り参加することにして、3月11日独り愛車で中国道をひた走り彼らの後を追い午後7時半、大山寺駐車場の隅っこに既に張られていたテントに潜り込んだ。八合尾根は、これまでに登った南壁大ノ沢右岸稜や北壁七合尾根に比べればグレードは一段高い。足手まといになってはと固辞しつつも、一応の道具は準備していたので、酒の勢いもあり、登攀パーティに結局加わることになった。3月12日晴、午前6時出発。午前8時10分八合尾根取付き点から登攀開始。13時50分八合尾根の登攀を終えザイルを解き一般登山道へ。長い一日だった。ちなみに、写真の撮影ポイントは行者谷上部で、かつて(昭和45年)大分登高会大山合宿で雪崩に遭遇した場所。


扇山(大平山、810m)北面、2020.3.8撮影: 
月が明けると別府市の温泉祭りに合わせて夜間に野焼きが行なわれる。扇の周囲各所から火が放たれ暗闇に炎が上がるその様は荘厳でさえある。新型ウイルス拡大の影響で温泉祭りは中止とか。だが、野焼きだけは予定通りだそうだ。この草原は野焼きによって維持されるし、野焼きのタイミングを失すると新たな生命の息吹にも影響が必至。ところで、この北面の防火帯伝いの急斜面(写真では傾斜が表現しにくいが・・・、丁度植林との境あたりのスカイライン)は、雪山トレーニングに格好の試練場であり、かつアイゼンのチェックなど本番で慌てることのないよう、準備山行の場でもある。アイゼンつけて10キロほど担いで、この北面を直登すれば、短時間で質&量の高いトレーニングができる。今日も程よい汗をかいた。


大崩山宇土内谷 源流の最初の一滴を口に含む・・・
辿っていけばいくつもの沢を集めて網の瀬川→五ヶ瀬川となり、さらに延岡の河口付近では北川、祝子川と合流し太平洋に注ぐ(2020.2.11)) 宇土内谷はこの時期、初心者向けアイスクライミングの試練場として特に宮崎・大分方面から氷瀑を求めて老若男女が集まってくる。ところが今冬は暖冬続きで、せっかく氷結しても氷が薄く、思い切ったアイスクライミングができず、週末いつもは賑わうこの谷は人っ子一人居ない。先月から順延していた大崩山行は、アイスクライミングから宇土内谷遡行に切り替え、午前8時林道出発。「正午を目途に行けるところまで行く」ということで、律儀にできるだけ谷伝いに大崩山の頂を目指した。詳しくは → こちら
 

九重山北千里ヶ浜の法華院菩薩像(2020.1.18、中央は今年初冠雪の星生尾根):
 わりと知られていないが、北千里ヶ浜のはずれ、すがもり越から北千里ヶ浜を挟んで対面の小高い丘の上に古い菩薩像が安置されている。坊がつるのテントで夜を明かし、今朝の予定は三俣山の直登であったが、寝坊して遅い出発となり、朝の陽をまともに浴びている三俣山の斜面を見上げながら雪の解けた泥んこ道を思い浮かべ断念。ふと、この小高い丘を思い出し、遅ればせながら新年最初の九重登山でもあるし、お参りすることにした。少しの記憶違いで手間取ったが、何とか新雪の丘の上に菩薩像を探し当てることができた。囲いが倒壊しながろもかろうじて立つ菩薩像に、八幡浜の友人から毎年送られてくるミカンをお供えし、両の手を合わせ、我が家と福岡の息子たちふた家族一人一人の顔を浮かべながら、健やかな一年であることを祈った。



福万山中腹から由布岳~城ヶ岳の連嶺を遠望する(2020.1.13)


大分市近郊の本宮山から遠望した別府湾沿岸の山々: 
手前が霊山、その向こう左から由布鶴見連山、高崎山、別府湾(2020年1月1日釘宮氏撮影)


高隈山地: 最高峰大箆柄(おおのがら)岳(1236m)から眺望
・・・左から小箆柄岳、妻岳、平岳、横岳。 詳しくは → こちら


尾鈴山甘茶谷の瀑布群(2019.12.11):
岩見滝の淵同左:次郎四郎の滝・・・ 詳しくは→こちら
 

由布岳中腹の岩場(2019.12.8)
:観音岩という。苔むした陰湿なイメージが漂う高崎山別院の岩場と違い、ここは南斜面でもあり陽光を目いっぱい浴びる明るい岩場だ。残置ハーケンやボルトの錆び具合からして、・・・ 続きは→
こちら


左:石鎚山系高瀑渓谷、右:石鎚山系高瀑渓谷最奥にある西日本一の滝(2019.10.26)・・・高瀑と書いて“たかたる”と読む。高瀑までは渓谷沿いのどちらかというと薄暗い木立の小径が連続する。歩き始めて4時間半、11:20過ぎ眼前が少し急に明るくなり、先行する仲間から急に喚声が上がった。高瀑に着いた瞬間だ。首筋が痛くなるほど見上げる落差132mの頭上から、数日来の折からの降雨で普段知られている水量をはるかに上回る水が落下し、落ち口で風を誘発し水しぶきから水煙となって頬を撫でる。「これを観たさにここまで来たんだ」・・・実感。


左:涸沢から奥穂~北穂の稜線を望む、右:ジャンダルム(2019.8.1-2、鈴木会員撮影)
 
「思い立ったが吉日」とばかり、天候その他の諸条件を勘案して急きょ、鈴木会員が穂高連峰に旅立った。先月末常念山脈を縦走した高瀬会員に次ぐ、穂高入りだ。かつての山仲間とはそれぞれの思い入れの山も置かれた環境も異なる。グループ山行であれやこれや気を遣うより孤高の人になる方が気持ち的には楽だ。そう言えば、こだわり編集長もかつての一時期、大島亮吉的“アラインゲンガー”を目指したこともあったのだが…。


槍ヶ岳東鎌尾根(左)と横通岳附近からの常念岳(右)
(2019.7.20頃、高瀬会員撮影) 今夏おゆぴにすと仲間では一番乗りの北ア入り。しばらく鳴りを潜めていた高瀬会員ですが、「まだ諦めていません」は本当だった。昨年の薬師岳方面高瀬川源流行に続き、常念岳北アを回想する山旅・・・ぜひもっと詳しく報告を聴きたいものだ。
  


九重山扇ヶ鼻2019.6.8 あいにくの曇雨天 ミヤマキリシマは八分咲き


雲仙岳 平成新山とヒカゲツツジ 2019.5.10  詳しくは掲示板


早月尾根からの(2019.GW,撮影:M嬢) 
クライミングを一緒にやっていたM嬢からGW山行の画像が送られてきた。GWの剱岳と言えば、昭和47年に内田さんと二人で弥陀ヶ原から目指したことがあったが、重荷・・・裏返せば非力さと、悪天と、それよりも何よりもあまりの豪雪に圧倒され、尻尾を捲いて退散したほろ苦い積雪期北アデビューの記憶がある。また、早月尾根と言えば、三ノ窓定着岩登りの、これまたほろ苦い記憶がある。一枚の画像から、かつての日々の鮮烈な記憶が蘇って、久しく忘れかけていた“血が騒ぐ”という感覚が呼び覚まされた思いだ。


傾山喜作坊主と二ッ坊主(2018.6.2) 
趣味の自転車ツーリングの仲間二人を案内して上畑から傾山に登った。・・・ 「さて、4時間40分ほどを要して11時40分山頂着。どうにか12時までに山頂に着いたことにとりあえず安堵。当然のごとく「お二人さん。少しばかりワタクシの自慢話に耳を傾けてもらいましょう。ちょっとこっちへ」と山頂の突端に案内し、山手本谷を見下ろし、対面に喜作坊主、二ツ坊主の巨大な岩場を指さし、「こう見えても若かりし頃、眼下の谷の一つ一つを詰めたり、あの巨大な280mもある二ツ坊主の壁を登ったんだぜ・・・まあ俺よりうんと岩登りが巧い仲間が居たからだけど、いくらかはトップに立ったんだよ云々・・・(後略)」と、ひとしきりの思い出話を開陳。「せっかく案内してもらったんだから、兄貴分の話を拝聴してあげんとね」と、配慮をにじませた二人だった。 」 以下詳しくは → 動画 掲示板記事→ こちら


黒岳山頂付近のアケボノツツジ(2018.5.4) 
祖母傾山系の障子岳付近の宮崎県側は、障子岳から親父山(1644m)へと尾根が連なっている。親父山からはさらに黒岳や三尖(さんとつき)へと尾根が派生している。大分県人としての祖母傾山系は、祖母山への登路である五ヶ所北谷や傾山九折越に至る見立コースなどを除けば大分県側からの視点が多く、特に親父山一帯は二万五千分の一地図に登路の記載がないこともあり、これまで馴染みがなかった。けれども、アケボノツツジの頃には障子岳山頂から親父山方面にはピンクの山腹が遠望され、親父山の山名とともに前々から気になっていた。 以下→こちら


冠山を下る(2018.2.27) ‘18年2月 積雪期西中国山地(小五郎岳~安芸冠山)縦走の巻  関連投稿 関連動画1動画2動画3


上蒜山を目指して・・・中腹から山頂付近を仰ぎ見る(撮影:栗秋)
 列島に居座る寒気団の影響で厳しい寒さの日々だ。日本海に面した厳冬の山は今、豪雪に埋もれていることだろう。ロートルエンジンの我が身では厳冬のこの時期の山陰の山に入るのには、臆病な気持ちが頭をもたげてくる。豪雪はともかくとして、厳しい寒気には一段落してもらい、この写真のような眩しいほどの陽光の中のラッセルが待ち遠しいところだ。そういえばこの時の記録はアップしていなかったような気がして振り返ってみたところ、掲示板に3回に分けて同行者から報告されていた。今冬(春)に予定している同時期の氷ノ山を目前にしてモチベーションを高める意味で再掲しておこう。 詳しくは→ 蒜山報告第1弾同第2弾同第3弾

九重山系猟師岳遠望(2018.1.23、瀬の本付近から) 今冬一級の寒波到来に伴い、九重の冠雪の便りがあちこちから届いた。仕事は昨日(22日)で一段落したし、雪の便りを聴けば「血が騒ぐ」というのか、・・・以下→こちら 


奥鐘山西壁上部(2017.9.16撮影) 黒部の三大岩壁や裏剱を仰ぎ観ることを目的に、唐松越えから餓鬼山尾根を大下降して下ノ廊下から池の平、ハシゴ谷乗越を目指した。唐松越えは別名南越え(なんごえ、難越えとも)とも言われ、なかなかの難行苦行を強いられるコースだ。餓鬼山の手前でビバークしたのち祖母谷温泉付近で幕営する予定であったが、台風の接近もあり予定を前倒しして一気に阿曽原温泉まで下ノ廊下を遡ることにした。欅平から急登ののち水平歩道に入るとすぐに、左手に奥鐘西壁の岩壁が現れた。黒部川を挟んだ対岸にあり、川床から高距600mほどの逆層壁がせりあがる。余りにも至近距離のため28ミリカメラでは全容を撮ることができない。黒部三大岩壁の最初の壁・“黒部の怪人”こと奥鐘山西壁の威厳に圧倒されてしばし立ち尽くした(2017.10.18)。


洞鳴ダイレクトルート(本耶馬渓町)取り付きにて
(1975年7月 左から挟間、佐藤、松田、栗秋、高瀬)
 詳しくは→こちら

八方尾根からの白馬三山 9月15~20日の予定で、後立山連峰唐松岳を越え、黒部峡谷から裏剱に至るテント山行を実施した。唐松越えは南越(なんこし)、別名を難越ともいう。この難越には餓鬼山尾根と呼ぶ高距2000mの長い尾根の下りがあり、そこは八方尾根の喧騒が嘘のような静かな佇まいであり、かつて登った剱岳・立山の連峰はもちろん、後立山連峰などを回想する山旅としては、うってつけのロケーションなのだ。写真は計画初日、午後からの入山で、台風18号の動きが気になるものの、まだ九州にあり、束の間の高曇りというところか。白馬岳~杓子岳~天狗岳と続く白馬三山が雲間にくっきりと浮かんでいた。高瀬君と二人もう10年以上も前、重いザックを背負った5泊6日天幕縦走のスタートを切った連嶺だ。(2017.9.15)


大分登高会1975年春山合宿
 硫黄尾根の登攀を終えて槍の肩目前の疲れ切ったパーティ(先頭から佐藤セ、小田、内田、西)  先着した北鎌尾根隊の挾間撮影 → 1975年春北鎌尾根から北穂高へ(スライドショー)


剱岳早月尾根からの白萩川源流部(大分緑山岳会I氏2017.7.16撮影) 写真の荒々しい岩尾根は剱尾根で、中央部分に池ノ谷中央壁のすっきりした逆層スラブ、直ぐ左の中央ルンゼ(αルンゼ)、ドーム稜などが手に取るように観える。大分緑山岳会の今夏の定例山行は早月尾根からの剱岳。この山行には参加できなかったが、かねてから剱尾根や池ノ谷への思い入れを口にする“こだわり”を慮ってのことか、昨日LINEにて送信されて来たものだ。1975年夏、三ノ窓から池ノ谷左俣の急峻な雪渓を下り、二俣から右俣をパックリ開いたシュルンドに気を使いながら登り返し、7名が3パーティに分かれ中央壁やドーム稜、中央ルンゼに挑んだ。その時の古い記憶が蘇ってきた。→ 「池ノ谷中央壁へ」


清涼
 桑原山黒内谷下部(2017.7.2) 詳しくは → 紀行文動画


ブナの巨木(2017.5.20、宮崎県鹿納山付近 お化粧山の分岐にて)
 ブナには木霊が宿ると言う。体の半分は既に朽ちかけ残りの半分でどうにか生きながらえているこの巨木は、いったい何年、風雪に耐えこの稜線で頑張っているのだろうか。数百年の時の重みに、真摯に畏敬の念を抱かざるを得ない。



アケボノツツジ二題 写真下左: 石鎚山 詳しくは → こちら、 写真下右: 祖母山 詳しくは → こちら

 

由布岳観音岩付近からの倉木山(2017.5.3)
 
詳しくは → こちら


42年の時を経て「ザックの中の或る物」・・・
行縢山雌岳南壁の遺産(2017.4.27) 詳しくは → こちら


霊山山麓おしどり池(2017.4.12): 緑山岳会の掲示板に平日だけれども「おしどり渓谷からの霊山登山」の呼びかけがあったので急きょ参加した。今年の大分市での桜の開花は大幅に下がり、この日がまさにベストタイミング。前日までの降雨で増水したおしどり谷とうふ岩付近では思わぬ渡渉を強いられた。靴を脱いで裸足になれば良いものを、強がりから結局、バランスを崩し“こだわり”1人が、両足をずぶぬれにしてしまった。それはともかくとして、渓谷沿いに咲き乱れる数種類の桜花を楽しんだのち、上りついたところが、写真のおしどり池。静寂な佇まいの中、湖面に映える桜が印象的であった(2017.4.14) 詳しくは → こちら



写真上
:滝室坂からの阿蘇高岳遠望(2016.2.3)…
熊本震災以来すっかりご無沙汰の豊肥沿線のことが気になり、熊本出張を車にした。正月以来ずーっと暖冬傾向であったため阿蘇の連峰の冠雪は、高岳山頂付近を注意してみてやっとわずかに確認できる程度であった。南阿蘇大津間は迂回路をとるも、ロスタイムは10分程度か。随所に修復跡が観られる路面の亀裂などが痛々しかった。写真下:レゾネイトくじゅう付近から見上げる九重連峰鳴子山南東尾根(2016.2.11)・・・一級の寒波が到来し、居ても立ってもいられず急に出かけた。何せ愛車をスタッドレスに替えているもののなかなか活躍の場面がなかったから。鳴子山の上部は積雪40~50cm。普段の倍の時間を要する、程よいラッセルを体感した。(2016.2.15)




ヒリシャンカ南東壁1973年 吉賀撮影
・・・久しぶりに吉賀と電話で話をした。元気にやっているようだ。この歳になると、古い山仲間とのお付き合いもだんだん疎遠になりがちだし、ちょっとご無沙汰のつもりが何年も間隔が開いてしまうことも珍しくない。このHPがお互いの消息を知るきっかけになるといい。ところで、吉賀から以前頂戴していた1973年のヒリシャンカ南東壁の写真集CD・・・しばらく我が家で行方知れずになっていたのだけれども…古いCDを整理していたら見つかった。このヒリシャンカCDや「ジャヌーへの挑戦」写真集のCDを改めて見直しながら、もう10年以上も前のことになったが、彼の渾身の力作「遥かなるアンデス ヒリシャンカ南東壁回想」と「ジャヌーへの挑戦」の二つの名著をもう一度読み直している。世の中、登山ブームに乗っかり安っぽい登山本が書店の店頭を賑わしているが、この二つの名著は、成書(単行本)になってもおかしくなかったのに…と最近つくづく思う。当HPの片隅に無造作に設えた10数年前の表紙のままではあんまりだと思いこのほど、少しばかりリニューアルした。それとともに、とりあえず少しずつではあるがスライドショーをこれからしばらく、逐次加えることにした。BGMと内容が少々ミスマッチの部分もあるが、音楽センスのない“こだわり”のこと故、ご勘弁願いたい。(2016..9.22) 
ヒリシャンカ南東壁回想は → こちら、 ジャヌーへの挑戦は → 
こちら


例年になくピンクの絨毯で迎えてくれた九重山扇ヶ鼻(2016.6.10-11)
今年のミヤマキリシマは昨年害虫の大発生で不作だったことの反動からか、10年に一度、いや、数10年に一度かもしれないほどの見事の咲きっぷりであった。写真はピンクの絨毯と化した扇ヶ鼻山頂付近の斜面。詳しくは ⇒ こちら


西郷資料館付近から見上げた可愛岳  詳しくは ⇒ こちら


別府市上人付近から観た別府アルプス(鶴見岳山系、2016.5.20)
 4月14、16日の大地震とその後に続く一連の余震の影響で、鶴見岳北谷はただでは済むまいと案じていたが、なかなか目の当たりにする機会がないままに1か月が過ぎた。福岡出張の帰り、電車の車窓から観たものは
… 詳しくは → こちら

石鎚山 弥山山頂から天狗岳(2016.5.15): 
大分緑山岳会の四国石鎚山系シリーズ5回目は、8名の参加。二組に分かれ、一組は梅ヶ市から堂ヶ森、二ノ森を経由、もう一組は面河渓谷から愛大小屋を経て通称愛大尾根に取りつき1866m独立標高点ピークで堂ヶ森組と合流して、午後の早い時間に弥山山頂にある石鎚神社頂上山荘に入った。写真は翌15日早朝弥山から撮ったもの。宇土内谷から登った大崩山(4/29)の開花状況から判断して、アケボノツツジはあまり期待していなかったが、石鎚山系では標高1700m以上では、少し盛りを過ぎたとはいえ、まだまだ鮮やかなピンク色が我々一行を迎えてくれた。


宇土内谷からの道中、大崩山のアケボノツツジ(2016.4.29):
 仙台や門司在住の、古くからの山仲間達と宇土内谷から大崩山に登った。標高1300~1400m付近では、やっと芽吹き始めたところだがアケボノツツジだけはひと際鮮やかに咲き誇っていた。詳しくは→こちら



行縢山雌岳西壁下部~行縢の滝(2016.4.24撮影)
 4月24日、緑山岳会の仲間4人と行縢山に登った。先日の有志の飲み会の際話が出て雌岳~雄岳を周回するというので、雌岳に多少の思い入れがあったこともあり参加した。あいにくの、そぼ降る雨の中の登山で、仰ぎ見たかった雌岳南壁も半分は視界がガスに遮られていた。かつてのザイルパートナー・吉賀と悪戦苦闘したのは、この写真の右側をかなり回り込んだ南壁だ。あと1Pのところでの敗退だったと思う。この機会に今一度当時を思い起こしてみた(2016.4.28)。 「回想 1975年初夏行縢山雌岳南壁」本文記事は
→ こちら 


石鎚山天狗岳北壁直下(2016.3.12)
 昨年末に石鎚山の裏参道・面河道からの石鎚山を計画したが、発案者の負傷により断念せざるを得なくなった。面河道からの再チャレンジは雑事にかまけてなかなか計画立案できないままに月は変わり3月となっては、もはや面河道の積雪は望み薄…、となると雪を求めての計画は、これまで積雪期では未体験の、西ノ川から土小屋を経て北面直下をトラバースして山頂に至るコースになったことは言わば必然の選択だったろう。暖冬年の3月のことだから、期待にたがわずとまではいかないまでも、それなりの積雪量でもって我々パーティを迎えてくれた。  
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伯耆大山大ノ沢右岸稜(2016.3.5) 
伯耆大山が、最も伯耆富士らしく秀麗に見える西面に、まるで富士山の大沢崩れのようにV字状に大きくえぐられ切れ込んでいるのが大ノ沢であり、右岸稜はその向かって左側すなわち右岸の尾根を指す。予定では、…詳しくは→こちら


鶴見岳北谷 地獄谷上部鞍ヶ戸Ⅱ峰山頂直下で岩壁に行く手を阻まれる(2016.3.1、佐藤
撮影) 
前回滝ノ谷左俣をやった時のパートナーとの今冬2度目の鶴見岳北谷。「おヒマなら付き合ってくれませんか?」との誘いに、「そういえば大した雪でもないとはいえ、今冬のラストチャンスかもしれないな」と、ヒマを持て余しているほどではないけど、軽い乗りで付き合うことにした。前回、アルパイン初体験に加え夜勤明けということもあり、難所を突破するころにはヨレヨレになっていたパートナーだったが、今回はいくらか気合が入っていたようだ。成長の跡が垣間見られた。それにしても還暦をはるかに過ぎたこの歳で、若者の心配をしなきゃいけないとはね。こっちが連れて来てもらいたいところなのだが…。


くしふるの大地から九重連峰を遠望(2016.3.18)

 仕事で当地を訪れた。あまりにも好天で澄み切った景色に、しごとの合間に思わずシャッターを押した。この大地に根を下ろしての農業の営みは過酷さを極める部分もあるのだろうけど、こんなひととき、束の間の安らぎは何にも代えがたいものだろう。



伯耆大山七合目付近を山頂へ向けて(2016.1.16)・・・詳しくは → こちら



奥秩父縦走(2015.12.11-13)
 
 金峰山の登山口・金峰山荘を11日にスタート。初日は夕暮れ迫るころ大弛(おおだるみ)峠に着いた。2日目、大弛峠から国師ヶ岳、甲武信ヶ岳を越えて甲武信小屋まで、夏道なら実動6時間のところだが、調整不足がたたってか8時間以上を要する体たらく。それでも、ヘッドランプのお世話になる前にどうにか甲武信小屋にたどり着いた。写真は2日目、甲武信ヶ岳へ登路。午後の日差しを浴びて樹上の氷のかけらが容赦なく頭上にふりそそぐの図。(2015.12.27)




由布岳西峰山頂直下の岩場(2015.11.29)



九重連峰の紅葉も捨てたものではないぞ(2015.10.23) 
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九重はもうすっかり秋の気配…
体調の良さそうな妻を案内して猟師山付近を散策した。吹く風が肌に心地良く枯れすすきの穂波に、このところクライミングにうつつを抜かしている間に、いつの間にか季節の移ろいに鈍感になっていた自分を感じた。


大崩山小積ダキ(2015.9.4、喜平越への分岐手前より撮影) 
九州を代表する巨大な岩場といえば、傾山二つ坊主南壁、行縢山雌岳南壁、それにこの写真の小積ダキだろう。小積ダキはいつも何故か関わる機会がないままに今に至っている。一度くらい登っておきたかったなあ…。


寂地山犬戻し峡(2015.8.2) 詳しくは → こちら

傾山山手本谷上部 その昔足繁く通い詰めたはずなのに、沢の概念の記憶がちっとも甦らず、悪戦苦闘(2015.7.11)詳しくは→こちら 


九重 夏はもうすぐそこまで 九重で最も静かな白口谷上部(2015.6.23)


九重雨上がり オオヤマレンゲ(2015.6.12) 詳しくは→こちら


雨にけぶる二ッ坊主(傾山山手本谷から、2015.5.30) 詳しくは→こちら



新緑の由布岳東麓(2015.5.27)
 
仕事で日田市に移動の途中、わずかばかりの時間を登山に充てた。新緑の樹林帯は、木漏れ日が眩く、本当にそんなものがあるのかどうかは知らないが『フィトンチッドを体いっぱいに取り込む』とはこんなひと時だろう、と感じた。結局、山頂直下標高1480m付近で時間切れで山頂には立てなかったけれども、それで充分な山行だった


'15春山・
三ノ峰から別山(2015.5.1-4) GWを利用して両白山地の春山登山をした。鳩ヶ湯新道からの標高差のある登路は好天に恵まれ、しかもそよとも吹かぬ風に、まるで夏山登山の趣となった。暑さと荷に悪戦苦闘し、この日の泊地・三ノ峰避難小屋に近づく頃には、疲労困憊の極致であった。写真: 鳩ヶ湯新道稜線への取付きまでのアプローチ(2015.5.2撮影)。詳しくは掲示板 (こちらも参照)


霊山の“昇り桜”(2015.4.2)
 しばらく霊山から遠ざかっている。例年だと麓から次第に上がって行く開花の様子を日々見逃さないようにしているのだが、少し目を離している隙に、このところの暖かさで開花は一気に八合目まで進んだ。



石堂山七合目付近の稜線から市房山を望む(2015.3.22) 
石堂山への歩き始めは杉の植林、次いで雑木の尾根伝いで、木々がまだ芽吹いていないため、意外に明るく、木々の合間から左手に昨日登った市房山の山容を振り返り、結構な急登に喘いだりしながらも、2時間ほどで山頂に達した。


伯耆大山の主稜線(2014.3.23、挾間撮影) 
このところ大山のことを考えることが多くなった。考え出すと、最近の山から昔の古い記憶まで、いろいろな思いが頭から離れなくなる。どうせ離れないのなら、思い切って何もかもほっぽり出して、古い記憶から順に辿ってみよう。ということで、昔の山岳会の会報など関わりのあるものを含め整理してみた。(→伯耆大山へ)


伯耆大山北壁弥山沢付近を登攀中の5人パーティ(2015年3月7日、夏山登山道六合目付近から挾間撮影)
 「さて、大山を今後どう登るかである。六合目付近を通過中、ガスの晴れ間から北壁弥山沢を登攀中の5人パーティを遠望した。その時、ガスの晴れ間も、自分に湧いた気持ちもほんの一瞬のことだった。羨ましいと思った。最近、再びいろいろな経験を積んだから登れなくはないだろうと思う。」(以下本文参照)


伯耆大山八合尾根の登攀終える(2015.3.7、挾間撮影) 2年前の春、アイスバーンに苦しめられ無念のリタイアを余儀なくされた夏道登山道八合目。今年は六合目の避難小屋が完全に埋もれて見えないほどの積雪ながら、登山靴のエッジが良く利き呆気ないほどの弥山山頂往復となった。写真は関係のない別パーティ。絵になりそうだったので思わずカメラを向けてパチリ。そう言えば、初めての伯耆大山は、昭和46年(1971年)冬、行者谷から八合沢をつめ、主稜線を縦走した。その時の記憶がおぼろげながら甦ってきた。


早春の由布岳山麓 3月初旬、野焼きを待つ由布岳山麓。底冷えがする林道歩きだったが、所どころの陽だまりにはフキノトウが顔を出していた。2.5kmほど歩いて両手にあふれるほど山の恵みにあずかりました。もちろん、一部は夕餉のてんぷら、残りは蕗味噌にしたことは言うまでもない。