グラビア履歴

洞鳴ダイレクトルート(本耶馬渓町)取り付きにて(1975年7月 左から挟間、佐藤、松田、栗秋、高瀬) 詳しくは→こちら

八方尾根からの白馬三山 9月15〜20日の予定で、後立山連峰唐松岳を越え、黒部峡谷から裏剱に至るテント山行を実施した。唐松越えは南越(なんこし)、別名を難越ともいう。この難越には餓鬼山尾根と呼ぶ高距2000mの長い尾根の下りがあり、そこは八方尾根の喧騒が嘘のような静かな佇まいであり、かつて登った剱岳・立山の連峰はもちろん、後立山連峰などを回想する山旅としては、うってつけのロケーションなのだ。写真は計画初日、午後からの入山で、台風18号の動きが気になるものの、まだ九州にあり、束の間の高曇りというところか。白馬岳〜杓子岳〜天狗岳と続く白馬三山が雲間にくっきりと浮かんでいた。高瀬君と二人もう10年以上も前、重いザックを背負った5泊6日天幕縦走のスタートを切った連嶺だ。(2017.9.15)


大分登高会1975年春山合宿
 硫黄尾根の登攀を終えて槍の肩目前の疲れ切ったパーティ(先頭から佐藤セ、小田、内田、西)  先着した北鎌尾根隊の挾間撮影 → 1975年春北鎌尾根から北穂高へ(スライドショー)


剱岳早月尾根からの白萩川源流部(大分緑山岳会I氏2017.7.16撮影) 写真の荒々しい岩尾根は剱尾根で、中央部分に池ノ谷中央壁のすっきりした逆層スラブ、直ぐ左の中央ルンゼ(αルンゼ)、ドーム稜などが手に取るように観える。大分緑山岳会の今夏の定例山行は早月尾根からの剱岳。この山行には参加できなかったが、かねてから剱尾根や池ノ谷への思い入れを口にする“こだわり”を慮ってのことか、昨日LINEにて送信されて来たものだ。1975年夏、三ノ窓から池ノ谷左俣の急峻な雪渓を下り、二俣から右俣をパックリ開いたシュルンドに気を使いながら登り返し、7名が3パーティに分かれ中央壁やドーム稜、中央ルンゼに挑んだ。その時の古い記憶が蘇ってきた。→ 「池ノ谷中央壁へ」


清涼
 桑原山黒内谷下部(2017.7.2) 詳しくは → 紀行文動画


ブナの巨木(2017.5.20、宮崎県鹿納山付近 お化粧山の分岐にて)
 ブナには木霊が宿ると言う。体の半分は既に朽ちかけ残りの半分でどうにか生きながらえているこの巨木は、いったい何年、風雪に耐えこの稜線で頑張っているのだろうか。数百年の時の重みに、真摯に畏敬の念を抱かざるを得ない。



アケボノツツジ二題 写真下左: 石鎚山 詳しくは → こちら、 写真下右: 祖母山 詳しくは → こちら

 

由布岳観音岩付近からの倉木山(2017.5.3)
 
詳しくは → こちら


42年の時を経て「ザックの中の或る物」・・・
行縢山雌岳南壁の遺産(2017.4.27) 詳しくは → こちら


霊山山麓おしどり池(2017.4.12): 緑山岳会の掲示板に平日だけれども「おしどり渓谷からの霊山登山」の呼びかけがあったので急きょ参加した。今年の大分市での桜の開花は大幅に下がり、この日がまさにベストタイミング。前日までの降雨で増水したおしどり谷とうふ岩付近では思わぬ渡渉を強いられた。靴を脱いで裸足になれば良いものを、強がりから結局、バランスを崩し“こだわり”1人が、両足をずぶぬれにしてしまった。それはともかくとして、渓谷沿いに咲き乱れる数種類の桜花を楽しんだのち、上りついたところが、写真のおしどり池。静寂な佇まいの中、湖面に映える桜が印象的であった(2017.4.14) 詳しくは → こちら



写真上
:滝室坂からの阿蘇高岳遠望(2016.2.3)…
熊本震災以来すっかりご無沙汰の豊肥沿線のことが気になり、熊本出張を車にした。正月以来ずーっと暖冬傾向であったため阿蘇の連峰の冠雪は、高岳山頂付近を注意してみてやっとわずかに確認できる程度であった。南阿蘇大津間は迂回路をとるも、ロスタイムは10分程度か。随所に修復跡が観られる路面の亀裂などが痛々しかった。写真下:レゾネイトくじゅう付近から見上げる九重連峰鳴子山南東尾根(2016.2.11)・・・一級の寒波が到来し、居ても立ってもいられず急に出かけた。何せ愛車をスタッドレスに替えているもののなかなか活躍の場面がなかったから。鳴子山の上部は積雪40〜50cm。普段の倍の時間を要する、程よいラッセルを体感した。(2016.2.15)




ヒリシャンカ南東壁1973年 吉賀撮影
・・・久しぶりに吉賀と電話で話をした。元気にやっているようだ。この歳になると、古い山仲間とのお付き合いもだんだん疎遠になりがちだし、ちょっとご無沙汰のつもりが何年も間隔が開いてしまうことも珍しくない。このHPがお互いの消息を知るきっかけになるといい。ところで、吉賀から以前頂戴していた1973年のヒリシャンカ南東壁の写真集CD・・・しばらく我が家で行方知れずになっていたのだけれども…古いCDを整理していたら見つかった。このヒリシャンカCDや「ジャヌーへの挑戦」写真集のCDを改めて見直しながら、もう10年以上も前のことになったが、彼の渾身の力作「遥かなるアンデス ヒリシャンカ南東壁回想」と「ジャヌーへの挑戦」の二つの名著をもう一度読み直している。世の中、登山ブームに乗っかり安っぽい登山本が書店の店頭を賑わしているが、この二つの名著は、成書(単行本)になってもおかしくなかったのに…と最近つくづく思う。当HPの片隅に無造作に設えた10数年前の表紙のままではあんまりだと思いこのほど、少しばかりリニューアルした。それとともに、とりあえず少しずつではあるがスライドショーをこれからしばらく、逐次加えることにした。BGMと内容が少々ミスマッチの部分もあるが、音楽センスのない“こだわり”のこと故、ご勘弁願いたい。(2016..9.22) 
ヒリシャンカ南東壁回想は → こちら、 ジャヌーへの挑戦は → 
こちら


例年になくピンクの絨毯で迎えてくれた九重山扇ヶ鼻(2016.6.10-11)
今年のミヤマキリシマは昨年害虫の大発生で不作だったことの反動からか、10年に一度、いや、数10年に一度かもしれないほどの見事の咲きっぷりであった。写真はピンクの絨毯と化した扇ヶ鼻山頂付近の斜面。詳しくは ⇒ こちら


西郷資料館付近から見上げた可愛岳  詳しくは ⇒ こちら


別府市上人付近から観た別府アルプス(鶴見岳山系、2016.5.20)
 4月14、16日の大地震とその後に続く一連の余震の影響で、鶴見岳北谷はただでは済むまいと案じていたが、なかなか目の当たりにする機会がないままに1か月が過ぎた。福岡出張の帰り、電車の車窓から観たものは
… 詳しくは → こちら

石鎚山 弥山山頂から天狗岳(2016.5.15): 
大分緑山岳会の四国石鎚山系シリーズ5回目は、8名の参加。二組に分かれ、一組は梅ヶ市から堂ヶ森、二ノ森を経由、もう一組は面河渓谷から愛大小屋を経て通称愛大尾根に取りつき1866m独立標高点ピークで堂ヶ森組と合流して、午後の早い時間に弥山山頂にある石鎚神社頂上山荘に入った。写真は翌15日早朝弥山から撮ったもの。宇土内谷から登った大崩山(4/29)の開花状況から判断して、アケボノツツジはあまり期待していなかったが、石鎚山系では標高1700m以上では、少し盛りを過ぎたとはいえ、まだまだ鮮やかなピンク色が我々一行を迎えてくれた。


宇土内谷からの道中、大崩山のアケボノツツジ(2016.4.29):
 仙台や門司在住の、古くからの山仲間達と宇土内谷から大崩山に登った。標高1300〜1400m付近では、やっと芽吹き始めたところだがアケボノツツジだけはひと際鮮やかに咲き誇っていた。詳しくは→こちら



行縢山雌岳西壁下部〜行縢の滝(2016.4.24撮影)
 4月24日、緑山岳会の仲間4人と行縢山に登った。先日の有志の飲み会の際話が出て雌岳〜雄岳を周回するというので、雌岳に多少の思い入れがあったこともあり参加した。あいにくの、そぼ降る雨の中の登山で、仰ぎ見たかった雌岳南壁も半分は視界がガスに遮られていた。かつてのザイルパートナー・吉賀と悪戦苦闘したのは、この写真の右側をかなり回り込んだ南壁だ。あと1Pのところでの敗退だったと思う。この機会に今一度当時を思い起こしてみた(2016.4.28)。 「回想 1975年初夏行縢山雌岳南壁」本文記事は
→ こちら 


石鎚山天狗岳北壁直下(2016.3.12)
 昨年末に石鎚山の裏参道・面河道からの石鎚山を計画したが、発案者の負傷により断念せざるを得なくなった。面河道からの再チャレンジは雑事にかまけてなかなか計画立案できないままに月は変わり3月となっては、もはや面河道の積雪は望み薄…、となると雪を求めての計画は、これまで積雪期では未体験の、西ノ川から土小屋を経て北面直下をトラバースして山頂に至るコースになったことは言わば必然の選択だったろう。暖冬年の3月のことだから、期待にたがわずとまではいかないまでも、それなりの積雪量でもって我々パーティを迎えてくれた。  
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伯耆大山大ノ沢右岸稜(2016.3.5) 
伯耆大山が、最も伯耆富士らしく秀麗に見える西面に、まるで富士山の大沢崩れのようにV字状に大きくえぐられ切れ込んでいるのが大ノ沢であり、右岸稜はその向かって左側すなわち右岸の尾根を指す。予定では、…詳しくは→こちら


鶴見岳北谷 地獄谷上部鞍ヶ戸U峰山頂直下で岩壁に行く手を阻まれる(2016.3.1、佐藤
撮影) 
前回滝ノ谷左俣をやった時のパートナーとの今冬2度目の鶴見岳北谷。「おヒマなら付き合ってくれませんか?」との誘いに、「そういえば大した雪でもないとはいえ、今冬のラストチャンスかもしれないな」と、ヒマを持て余しているほどではないけど、軽い乗りで付き合うことにした。前回、アルパイン初体験に加え夜勤明けということもあり、難所を突破するころにはヨレヨレになっていたパートナーだったが、今回はいくらか気合が入っていたようだ。成長の跡が垣間見られた。それにしても還暦をはるかに過ぎたこの歳で、若者の心配をしなきゃいけないとはね。こっちが連れて来てもらいたいところなのだが…。


くしふるの大地から九重連峰を遠望(2016.3.18)

 仕事で当地を訪れた。あまりにも好天で澄み切った景色に、しごとの合間に思わずシャッターを押した。この大地に根を下ろしての農業の営みは過酷さを極める部分もあるのだろうけど、こんなひととき、束の間の安らぎは何にも代えがたいものだろう。



伯耆大山七合目付近を山頂へ向けて(2016.1.16)・・・詳しくは → こちら



奥秩父縦走(2015.12.11-13)
 
 金峰山の登山口・金峰山荘を11日にスタート。初日は夕暮れ迫るころ大弛(おおだるみ)峠に着いた。2日目、大弛峠から国師ヶ岳、甲武信ヶ岳を越えて甲武信小屋まで、夏道なら実動6時間のところだが、調整不足がたたってか8時間以上を要する体たらく。それでも、ヘッドランプのお世話になる前にどうにか甲武信小屋にたどり着いた。写真は2日目、甲武信ヶ岳へ登路。午後の日差しを浴びて樹上の氷のかけらが容赦なく頭上にふりそそぐの図。(2015.12.27)




由布岳西峰山頂直下の岩場(2015.11.29)



九重連峰の紅葉も捨てたものではないぞ(2015.10.23) 
詳しくは → こちら


九重はもうすっかり秋の気配…
体調の良さそうな妻を案内して猟師山付近を散策した。吹く風が肌に心地良く枯れすすきの穂波に、このところクライミングにうつつを抜かしている間に、いつの間にか季節の移ろいに鈍感になっていた自分を感じた。


大崩山小積ダキ(2015.9.4、喜平越への分岐手前より撮影) 
九州を代表する巨大な岩場といえば、傾山二つ坊主南壁、行縢山雌岳南壁、それにこの写真の小積ダキだろう。小積ダキはいつも何故か関わる機会がないままに今に至っている。一度くらい登っておきたかったなあ…。


寂地山犬戻し峡(2015.8.2) 詳しくは → こちら

傾山山手本谷上部 その昔足繁く通い詰めたはずなのに、沢の概念の記憶がちっとも甦らず、悪戦苦闘(2015.7.11)詳しくは→こちら 


九重 夏はもうすぐそこまで 九重で最も静かな白口谷上部(2015.6.23)


九重雨上がり オオヤマレンゲ(2015.6.12) 詳しくは→こちら


雨にけぶる二ッ坊主(傾山山手本谷から、2015.5.30) 詳しくは→こちら



新緑の由布岳東麓(2015.5.27)
 
仕事で日田市に移動の途中、わずかばかりの時間を登山に充てた。新緑の樹林帯は、木漏れ日が眩く、本当にそんなものがあるのかどうかは知らないが『フィトンチッドを体いっぱいに取り込む』とはこんなひと時だろう、と感じた。結局、山頂直下標高1480m付近で時間切れで山頂には立てなかったけれども、それで充分な山行だった


'15春山・
三ノ峰から別山(2015.5.1-4) GWを利用して両白山地の春山登山をした。鳩ヶ湯新道からの標高差のある登路は好天に恵まれ、しかもそよとも吹かぬ風に、まるで夏山登山の趣となった。暑さと荷に悪戦苦闘し、この日の泊地・三ノ峰避難小屋に近づく頃には、疲労困憊の極致であった。写真: 鳩ヶ湯新道稜線への取付きまでのアプローチ(2015.5.2撮影)。詳しくは掲示板 (こちらも参照)


霊山の“昇り桜”(2015.4.2)
 しばらく霊山から遠ざかっている。例年だと麓から次第に上がって行く開花の様子を日々見逃さないようにしているのだが、少し目を離している隙に、このところの暖かさで開花は一気に八合目まで進んだ。



石堂山七合目付近の稜線から市房山を望む(2015.3.22) 
石堂山への歩き始めは杉の植林、次いで雑木の尾根伝いで、木々がまだ芽吹いていないため、意外に明るく、木々の合間から左手に昨日登った市房山の山容を振り返り、結構な急登に喘いだりしながらも、2時間ほどで山頂に達した。


伯耆大山の主稜線(2014.3.23、挾間撮影) 
このところ大山のことを考えることが多くなった。考え出すと、最近の山から昔の古い記憶まで、いろいろな思いが頭から離れなくなる。どうせ離れないのなら、思い切って何もかもほっぽり出して、古い記憶から順に辿ってみよう。ということで、昔の山岳会の会報など関わりのあるものを含め整理してみた。(→伯耆大山へ)


伯耆大山北壁弥山沢付近を登攀中の5人パーティ(2015年3月7日、夏山登山道六合目付近から挾間撮影)
 「さて、大山を今後どう登るかである。六合目付近を通過中、ガスの晴れ間から北壁弥山沢を登攀中の5人パーティを遠望した。その時、ガスの晴れ間も、自分に湧いた気持ちもほんの一瞬のことだった。羨ましいと思った。最近、再びいろいろな経験を積んだから登れなくはないだろうと思う。」(以下本文参照)


伯耆大山八合尾根の登攀終える(2015.3.7、挾間撮影) 2年前の春、アイスバーンに苦しめられ無念のリタイアを余儀なくされた夏道登山道八合目。今年は六合目の避難小屋が完全に埋もれて見えないほどの積雪ながら、登山靴のエッジが良く利き呆気ないほどの弥山山頂往復となった。写真は関係のない別パーティ。絵になりそうだったので思わずカメラを向けてパチリ。そう言えば、初めての伯耆大山は、昭和46年(1971年)冬、行者谷から八合沢をつめ、主稜線を縦走した。その時の記憶がおぼろげながら甦ってきた。


早春の由布岳山麓 3月初旬、野焼きを待つ由布岳山麓。底冷えがする林道歩きだったが、所どころの陽だまりにはフキノトウが顔を出していた。2.5kmほど歩いて両手にあふれるほど山の恵みにあずかりました。もちろん、一部は夕餉のてんぷら、残りは蕗味噌にしたことは言うまでもない。