「1975年初夏行縢山雌岳」の想い出

記事
「行縢山 雌岳南壁 “敗退”」 吉賀: 大分登高会会報「登高」第105号(1975年)の記事から

「回想 1975年初夏 行縢山雌岳南壁」 挾間


行縢山雌岳をバックに(1975.6.14-15) リーダーの吉賀が撮影
※写真をクリックすると精細画像に変わります

         大分登高会 行縢山における登攀記録

1969.6.15(「登高」第41号)
行縢山雌岳 南壁上部岩壁 矢野、松田
  同     南壁下部ダイレクトカンテ 丹生、延岡山の会、宮大OB


1969.8.16-17(「登高」第44号)
行縢山雌岳 南壁第2登 安東、熊本クレッテルカメラード

1975.6.14-15
行縢山雌岳 南壁(「登高」105号) 吉賀、挾間
  
同 雄岳 奥壁正面ルート(「登高」105号) 小田、佐藤清

1977.3.5-6(「登高」第118号)
行縢山雌岳 下部ダイレクトカンテ 佐藤清、伊藤、角南

1977.7.2-3(「登高」第119号)
行縢山雌岳 下部岩壁 佐藤清、(伊藤)、角南
  同   ダイレクトカンテ 栗秋、秦


1977.9.15(「登高」第121号)
行縢山雌岳 西壁上部岩壁(1P敗退) 桂、角南、佐藤清

1977.10.23(「登高」第122号)
行縢山雌岳 南壁 大ハングルート 佐藤清、秦(サポート:高瀬、水江)

1977.11.27(「登高」第122号)
行縢山雌岳 西壁 大ハングルート 佐藤清、秦

写真説明(掲示板(2016.4.27)の文章から):こだわり(こと私・挾間)は今、ちょっと昔のにわぴにすととの行縢山雌岳南壁を登攀した時のことを回想している。まだ過去の回想に浸るだけのつもりはないが、色んな事が思い起こされて懐かしい。

古いアルバムを開いてみたら雌岳南壁の果敢な登攀シーンなどの写真は一枚もなかったが、ここに紹介する一枚だけ、何も説明書きもないままに貼られていた。

登攀を終えて帰路、どのあたりか判らないが行縢山の岩壁を振り返るのに格好な場所に車を泊めて、ザイルパートナーのにわぴにすとが撮影したものだ。後方には雌岳南壁が望まれる。

この時はにわぴにすととこだわりの二人が雌岳南壁に、ODAとSATOHは雄岳奥壁正面ルートに、女性二人とKONAKAは一般登山道から、それぞれ山頂を目指した。

写真のこだわりは苦笑い(てれ笑いかな)している。他の皆は笑いながら、いや、冷やかしているのかな、ザイルで火傷を負ったこだわりの背中首筋と指を見ながら。全体としては、先ほどまでの苦闘から解放された、どこか安堵感のようなものを、この写真は醸し出している。

近いうちにこの時のことを改めて文章にしてみたいと思っている。

KONAKAはその後北穂高に逝った。女性の一人IMAIさんはアルピニストとそのご結婚し、今でも山岳ガイドとして活躍している。その他の人のことは書かずもがな…それぞれの人生模様ありだ。

2016.4.26稿、同年5.4追記