行縢山 雌岳南壁 “敗退”

  
6月15日 P. 吉賀、挾間
 今年度は各人の山行研究を期待し、毎月一回は個人山行として出発した。その第一回目として、5月に挾間の発案にて比叡山に出向き、ある程度の成果を上げることが出来た。

 そこで6月は、前回を一歩前進させるため南壁〜正面壁を継続する計画が、再び挾間によって出されていた。

 私も参加を決めちょっと考えてみた。挾間はわが会において一、二を競う山行日数を示し最も多く活動している。だけどいつも彼の行動範囲を外れることがない。もうその壁を越えなければならない時期である。

 リーダーは飾りではなく、単なるクッションでもない。メンバーに対し適切かつ強く指示を出せる経験に裏打ちされた力量を備える必要がある。このことは挾間に対して言うのではなく、私もそうありたく努力したい。

 それには厳しい登攀をしなければその力量を養うことができない。例会で報告された、又写真で見た限りの比叡山にはそれを望めないと思い、あえて大崩山の小積ダキを考えた。だがアプローチにおいて一日の山行では無理と知り、出発直前になって急きょ“ムカバキ”に変更した次第である。

 早朝明るくなる頃には取り付くとしたが、寝坊して朝食もそこそこに5時30分出発する。上部ルートはルート図により一応分かっているものの下部は取り付きすら全く知らない。しかし案ずるより生むがやすし一発で取り付きに着くことが出来た。

 ルートは正面のブッシュ帯と、15m左にスラブからハングへとある。ブッシュ帯へは6時ちょうど登攀開始する。ルートは3Pに20mほどのスラブと5Pに10mの垂直のフェイスがある以外は、ブッシュ帯をザイルはのび30〜40mのピッチにて6Pで下部を終了する。

さらに中央ブッシュ帯を1P40mで中央にカンテが走るハング下に出る。これより上部岩壁である。

 8P 25m
 カンテのすぐ左を吉賀6〜7m登るがルートではなく一たん下降。左にバンドを25mトラバースした位置でハングの切れ目のスラブがルートのようだ。古い固定ロープも下がっている。

 9P 20m
 急傾斜に加えてリスには30cm以上にものびた草が走り、ピンはそれをかき分け探さなければならない。バランスと人工のミックスしたルートを、腕力を使い強引に攀じ小テラスに立つ。

 10P 25m
 挾間スラブを人工で5〜6m登った所で小ハングに当る。一、二度乗越しを試みるが越せない。腕力を消耗してしまい吉賀に替わる。ハングを越えさらに右斜上に人工で登る。次にブッシュをつかんでトラバースぎみに左斜上し、わりと安定したテラスに着く。ブッシュのためザイルの流れが悪くピッチを長くとれない。

 11P 20m
 下部では快調に攀じていた挾間であるが、ここに来て疲れの色が出ている。トップは吉賀が続けることにする。相変わらずのブッシュ混じりのルートに気持ちがイラ立つ。このときザイルの接触により大きな岩がはがれ、挾間の頬をなでて行った。このピッチ浮石多し。

 ちょくちょく現れる小さな乗越しにアブミの回収が難しい。どうしても強引な腕力登攀となり、体力を消耗する。それにノドの渇きが激しい。もう唾は出ない。水を飲みたいが夏の登攀においては飲んだ所で5分と持たない。飲まずに耐えることである。

 12P 25m
 頭上を右にジェードル、その左に大ハングが覆う。そのハングへと向かう。手持ちのルート図と比べこれまで多少解せない点があるが他にルートを確認できない。どのブッシュも長くのび、浮いたピンも多い。したがって最近はあまり登られてない様子だ。このような整備されていないルートのイヤラシサは穂高の屏風や谷川の衝立の比ではない。

 13P
 1.5m〜2m張り出た庇ハングへ向けかぶりぎみのスラブをアブミの掛け替えにて左上する。このピッチに限りあのイヤなブッシュはない。ピンの間隔はけっこう遠く感じる。10mほど登り、よくきいたボルトにランニングビレーを通す。

高度感はすばらしい。気持ちが引き締まる。これより左上にハーケンがあるが届きそうにもない。ハング下にはシュリンゲとさびたカラビナが下がっている。この位置から左へ振り子トラバースを行ない、さらにカンテを回り込むように思う。まずそこまで行ってみよう。

 さて次が問題のピンである。わずか1〜2cmほどしかリスに入ってない、さびて赤茶けた、見るからに抜けそうなハーケンである。さわりたくない。だがそれを使用しないならば、ボルトを必要とする。穴あけ作業を思うと、ついこの頼りないハーケンにいちかばちか賭ける気になる。

ハーケンの首にシュリンゲを巻きそれにアブミをセット。「抜けるなよ」心の中でつぶやきながら祈る思いでそうーっと下段へ乗り移る。さらに中段へと足を乗せ身体をのばす。「スッー」と音もなく、足元の抵抗が無くなり虚空へ投げ出される。

岩膚がすごい速さで流れて行く。「ああ、イカン!」と思った瞬間身体は半転し背中から壁に激突。10m余りの墜落である。それにしても衝撃が軽かった。

 登攀の途中でザックに詰めた或る物が衝撃をやわらげてくれたのだ。それでも水筒とランプはこわれてしまった。身体に異常がないのは、偶然が重なり、運が良かったとしかいいようがない。

 挾間はこの墜落を必死で止めてくれた。

 彼の様子を聞くと、首と手にザイルのよる軽い火傷のみでたいしたことはなく安心する。

 “墜落”…あってはならない。だが我々が岩壁を攀じる場合には、常に離れることなく裏と表の関係である。したがって登攀用具に充分注意を払い、特にザイルは、小さなキズぐらい、と言った“図太い神経”?で使用するような事があってはならない。

 落ちた地点を仰ぎ、あまりにも見事な墜落に“テレクサ”さを感じると共に、「クソオー」とカッカしており登攀続行を考えたが、初めての経験が重なり精神的動揺を来している挾間にはこれ以上無理と判断し、残す所わずか1P余りと思うが完登をあきらめる。

 下降と決めると、掛かっている2台のアブミとカラビナ3〜4個を回収する気が無くなってしまった。そのままにしておくのはシャクだが、近いうちに必ず回収に来ることを決意しただちに下降に移る。

<タイム>
取り付き6:00〜下部終了9:10〜上部取り付き9:50〜墜落14:00〜中央ブッシュ帯15:10〜一般道15:50

(以上 吉賀: 大分登高会会報「登高」第105号(1975年)の記事から
2016.4.26アップ
2016.5.4 画像追加