池ノ谷中央壁へ

                                     挾間記

    

8月12日 晴れ

 三ノ窓の朝は早い。午前4時、黒部別山の方から白々と夜が明ける頃、周囲の騒々しい雰囲気にせき立てられるように慌ただしく登攀準備を済ませテントの前に勢揃いした総勢7名…吉賀をして「近年まれに見る登高会最強のパーティ」と言わしめた強者揃い(いささかおだてられた感なきにしもあらずだが)が、池ノ谷左俣を今、下ろうとしている。

 今日から明日にかけて今合宿のハイライト、池ノ谷から八ツ峰、チンネの、ワンビバークによる継続登攀が、目的とするもので、各人好みの多彩な大型アタックザックにヘルメットをしっかり結びつけ、ザックの背には今回より採用した、濃紺の下地にオレンジの台字で「大分登高会」と書かれたワッペンがひと際光って見える。池ノ谷左俣を7名が整然と降りて行く姿に、最近の合宿の1回1回が目まぐるしく変化していくのを感じる。

 左俣の下りは足早く、しかも左手のR1からR10まで剣尾根に食い込んだ陰険な岩壁を見落とすことなく注意深く確かめながら下ってゆく。

 右俣との出合である二俣も休まず通過し右俣の急登が始まった。剣尾根中央ルンゼ周辺の登攀には、三ノ窓より普通、アルファルンゼを下降して取り付くのが最も早く、一般的となっている。そして岩壁に他パーティの誰よりも早く取り付きたいと思う気持ちもひとしおである。

 従って、取付までは皆休まずどんどん飛ばす。荷が軽ければスピードでは誰にも負けない自信がある筈なのに、ゼーゼーと荒い息づかいが始まる。どうやらこの池ノ谷の陰鬱な岩壁群に気後れしているのは俺一人のようだ。ふり返ればすぐ後方に2パーティが我々の後を追っている。彼らに抜かれればそれだけ予定が狂うことにもなりかねない。「クソッタレ!」とばかりラストスパートをかけ、中央ルンゼ下部の大シュルンドに到着。7時15分である。ここで各自登攀具に身をかため登攀を開始する。

 大シュルンドの下降は気を抜けない。剱岳の岩場はスケールこそ穂高に見劣りするものの、夏なお谷深く埋め尽くす大雪渓は、ここの岩場の大きな魅力のひとつである。そして夏合宿だからこそ、この“雪”を最大限に組み入れた吉賀のプランニングは、確かに一理ある。

 あれやこれやと思いをめぐらしてみても、今ひとつ足が地につかぬ感じがし、小田をトップに行かせながら、自分がいつの間にかOBになったような錯覚にとらわれ、あふれるような闘志など少しも湧いてこない。

 F1は右岸にザイルを伸ばし中央の急な雪渓に移りダイレクトに40m伸ばしたところで確保。ツボ足では少々不安な斜面であったが、ここより左岸に移り緩いフェースをコンテニュアスで慎重に攀じる。真下には大きなシュルンドがポッカリと口をあけ気持ちの良いものではない。しばらくコンテニュアスで攀じると行き詰ってしまった。注意してルートファインディングすると古い残置ハーケンが見つかる。恐らくここがF2であろうと思うが、雪渓の状態によりルートはまちまちのようだ。

 F2を越えるとルンゼは左右に分れ左の本流は左方に大きく湾曲しその最奥に、今までの暗い陰鬱なムードを吹き飛ばすが如く、明るくすっきりした屏風のように立ちはだかる、目指す中央壁が、その爽快な岩肌を現した。

 そこは既に2パーティが取付いており、今日の一番手を目指していた我々は少々がっかりしたが、すっきりした岩肌に俄然闘志が湧いてきた。残るF3を越せば、もうそこは中央壁の取付き点である。しかし、F3は一見容易に見えたがホールドが求めにくく、ちょっと手間どり岩壁基部に辿りついたのは9時30分であった。

 2日分の食料・装備の入ったザックは少々重いが、気になるほどでもない。この程度の重量は、これまでの岩登りでも常に心掛けてきた重量だ。

 天気も上々、何の不安もない。そそり立つ岩壁を見上げると「ドーム稜の吉賀や中央ルンゼ上部の内田に比べ、俺は良いルートに当たった」という、何とも言えない感慨が登攀意欲とともにこみあげてきた。

(コースタイム)
三ノ窓BC5:15→中央ルンゼ下部7:15→取付き7:45→中央壁基部9:30

この時のザイルパートナー小田

※大分登高会会報「登高」第107号(1975年9月発行)より…これは大分登高会1975年剱岳三ノ窓周辺夏合宿の報告からの抜粋である。早月尾根から剱岳山頂を経て三ノ窓にベースキャンプを張ったのがその前日、つまり8月11日。我々7名は三ノ窓に着くや否や小窓ノ王南壁、チンネ左稜線、チンネ中央チムニーなどに散った。そしてその翌日からはワンビバークによる継続登攀(8/12〜8/13)として池ノ谷中央ルンゼ下部〜中央壁〜(熊ノ岩でビバーク)〜八ッ峰Y峰Dフェースベルニナ〜チンネ左下カンテ〜チンネ左方カンテに、パートナーはDフェース終了までは小田、その後はパーティの組み換えによりパートナーを高瀬に替えチンネに挑んだ。本稿は池ノ谷中央壁へのアプローチの記録であり、大岩壁の登攀を前にしての高揚した気分が窺える。(2014.7.22久しぶりに読み返してみて)

池ノ谷中央壁 
                               小田※※

 8月12日早朝、早月尾根での疲れをいやす間もなく三ノ窓のBCを全員で出発。初めての池ノ谷を二俣へと左俣を下る。みんなもトレーニング不足の様で、ドーム、剱尾根を観察しながらスピードが乗らない。

 二俣から右俣をつめ、中央ルンゼ下部取付きに着くがクレバスがパックリ口を開け気持ちわりい〜。アンザイレンしルートを左にとり雪壁にそって登る。そして雪渓を右にトラバース、ガレ場を登る。ここでみんなと別れ挾間と二人で中央壁へといそぐ。F3はさがし回った末右岸にルートを見つける。中央壁は思ったより見た目では傾斜はゆるそうである。取付きで1パーティの時間待ちの後、挾間トップで取り付く。前のパーティの話ではやはりαルンゼからの登攀者が多いとの事。下でのんびり確保していると上ではかなり苦戦している様でアップダウンのコールしきりである。

 右に目をやるとドーム稜を登攀中の吉賀らがかなり高度をかせいでいる。ザイルいっぱい上から「コイ」の声がする。取付きから背のびをしてハーケンにアブミをかけそれに乗る人工とわずかなフリーのスラブを、やや右斜上、ハング下を右に捲きながら乗越しバンドに出て右へトラバースする。挾間が小さなバンドでビレイをしながら、「けっこう、ヤベーノオ」の声。

 2ピッチ目はトップでスラブの人工を続ける。ボルトが斜めに連打してあるので、アブミの掛けかえがめんどうだ。35M程で小さなテラスに着くが、この乗越のハーケンの頭がもげかかっていてアブミを掛けたものの乗らぬままどうやら乗越す。ここでビレイし挾間を上げる。

 3ピッチ目は挾間トップでテラスより左へ飛ぶ様にトラバース(このトラバースはいやらしい)。スラブの直上でリッジに出る。

 4ピッチ目。私が登り、挾間のビレイ地点より右に回りこむと右ルートと合流しハーケンにそって凹角を40M登ると小さなテラスでビレイ、挾間を上げる。

 ここで実質的なピッチは終わりであった。後はコンティニュアスでハイ松をこぎ回る。積み木ピナクル下の岩場は直登せねばならないがルートをまちがいバンドを左にトラバース、4級の凹角を登りピナクル上へ出て、またもハイ松クライミング、剱尾根に出る。剱尾根の頭でみんなと会い、熊の岩へと下る。

                
                池ノ谷中央壁を終え、長次郎谷熊の岩付近でビバーク準備に入る挾間と小田

※※大分登高会会報「登高」第107号(1975年9月発行)より・・・1975年8月12日は我々挾間・小田、池ノ谷ドーム稜の吉賀・桂・高瀬、同中央ルンゼの内田・佐藤の計7名が各壁の登攀を終え剱尾根の頭に集結後、熊の岩付近で各パーティごとにツェルトビバークし、翌日は八ッ峰Y峰Dフェースの各ルートを登攀後、メンバーの組み換えを行なったのち、チンネの各ルートを登攀し、三ノ窓のBCに戻った。早月尾根からの入山後の3日間は好天に恵まれたこともあり、三ノ窓の2日間で各自4本以上の登攀をこなすことができた。(2017.7.17久しぶりに読み返してみて)