クライミング日記 
The Way of
老頭児 climber

2017年
クライミングのグレード   クライミング用語

  7月18日 それなりに進歩
 日記が滞っているが、タイトルを「気まぐれクライミング日記」とした方が良かったかな(反省)。

もともとが熱しやすく冷めやすい性格なので、およそ日記なるものは継続したためしがない。日記という一日一日の短いスパンではなく、長い目で見て振り返った時に、「あの日あの時こんなことをし、こんなことを考えたんだ」という自分史でよいのかな、と自らを都合の良いように納得させている。

 さて、日記が滞っているからといって、クライミングが滞っているわけではない。自分自身の技術向上や後進の指導も含め、残されたクライミング人生のラストスパートのような入れ込みようなのだ。

 後進の指導(と言ってはちょっとおこがましいが・・・)

 ところで下の写真左は本匠神社エリアの“銀杏の小径”(10c)、クライマーは、“こだわり”がクライミングをするきっかけとなったY氏だ。もう6年ほど前のことだ。この時まで長いこと、クライミング(こだわり流で言えば“岩登り”)をもう一度やってみたいという思いが、頭の隅にくすぶり続けていたのだが・・・だからこそY氏にお願いしてフリークライミングなるものを見学する目的で本匠の岩場に案内してもらったのだが・・・「で、自分に登れるかどうかだが、はっきり言って若いころ(もともとへたくそでよく落ちたが)の技術でも相当苦労しそうだから今ならとても登れない、というのが岩場を見上げての実感。」・・・結局、しっぽを巻いて逃げ帰ったというか、クライミングはきっぱり諦めようと思った。

 それから2年後(つまり今から4年前)、いったんは諦めかけたものの諦めきれずに、本気になって一大決心でクライミングにチャレンジしてきた経緯は、この「クライミング日記」にしたためてきたとおりだ。
 
      
    左:“銀杏の小径”下部(2011年)   “銀杏の小径”上部を登る“こだわり”(今年6月)

 で、この“銀杏の小径”には2年ほど前に一度チャレンジしたが歯がたたなかった。というか相変わらず登れる、という確信がまったく得られなかった。

 “こだわり”の山のグループに最近若手が入ってきたし、それに刺激を受けたのか先輩格の若手会員にもクライミング熱が高まってきた。人を指導するということは教える側自身も自己研鑽しないといけない。そういう思いからこのところ結構みっちりクライミングに嵌った。

 その結果が上の写真右だ。これまでより少し上手くなったと実感できる瞬間だった。
 
  5月3日 往年のザイルパートナー・ガブリエル氏と由布岳観音岩へ
 最近体調が今一つとかで、“こだわり”からの色んな誘いに何かと消極的であったガブリエル氏をとうとう観音岩まで足を運んでもらうことに成功した。ガブリエル氏との岩登りは「高崎山別院の岩場再訪」以来のことだから、もう6年ぶりのことになる。

   

 還暦を過ぎると、思わぬことが色々と舞い込んできて、思い描いた人生設計通りにはなかなかいかないものだ。あの時(2011年11月)はガブリエル氏は前穂高岳北尾根に燃えていた。滝谷や剱岳や北岳バットレスの岩場などを経験すれば、何を今さら北尾根なのだ?と訝る向きもあろうが、氏によると前穂北尾根は大島亮吉に代表される、近代アルピニズムを語る上で、どうしても避けることの出来ぬ場所ということになる。その意味では過去に“こだわり”らとともにトレースした徳本峠や北鎌尾根と同一次元ということになる。

 つまりガブリエル氏に言わせれば、近代アルピニズムの先蹤者達が残した足跡をトレースすることは、氏の“登山(岳)のある人生”の総集編として欠かせぬ儀式・・・ということになるのであろう。

       
          「あれっ?どこから足を通すんだっけ」・・・ゼルプストの装着に戸惑いながら

 たかだか3級・・・屏風~前穂東壁~滝谷を継続登攀する者にとっては、重い荷を背負ってノーザイルで岩から岩へと繋ぐアプローチ、言わば一般登山道のようなものかもしれないが、還暦過ぎたこの歳になれば、一応の備えをもって臨まねばならない“岩場”ということになる、前穂北尾根は。

 6年前の別院の岩場再訪当時のガブリエル氏は絶好調期であった。がその後、還暦過ぎ世代にありがちな想定外のことに、この北尾根計画が少々トーンダウンせざるを得なかったが、その一方で「まだ諦めてはいません」が口癖でもあった。

 さて本題。オールドスタイルにこだわるガブリエル氏の出で立ちはと言えば、ジャヌー遠征のニワピニストからの預かり品であるゼルプストに登山靴だ。一方の“こだわり”は、今風のフリークライミングスタイルだ。6年前の別院の時は壁が苔むして、とても登攀の対象になる代物ではなかったため、今回の観音岩は氏にとって実質的に40数年ぶり、ということになる。

 1本目の下部こそ、久々(40数年ぶり)の岩肌の感触に興奮と緊張からか幾分ぎこちなかったが、そこは昔取った杵柄といおうか腐っても鯛といおうか、上部ではもう、昔のガブリエル氏に戻っていた。ホールド、スタンスの一つ一つをいちいちその感触を確かめるようにしながら、この日は結局20m弱のフェース、カンテ、チムニーなど4本を登った。

         
          最初は戸惑いもあったが、だんだん板についてきた

 もともと観音岩に打たれたハーケンやボルトは1970代~80年代前半頃のもので、中にはぼろぼろに錆びたものも多い。当然のことながら安全面などを考えてトップロープにしたことは言うまでもない。

 久々の岩場の感触に活き活きとした、また、嬉々としたガブリエル氏の顔があった。もちろん、“こだわり”はこの稿をもってガブリエル氏の前穂北尾根志向の再燃や、退路を断つようなことを考えているわけではない。この機会に、ただちょっとだけでいいから、一つの時代を共有した仲間と、当時と同じような時間を共有したいだけなのだ。もちろん、クライミングではなく岩登りの時間を、だ。 

             
                  次は八面山か?


大洲クライミングボード右大ハング(11a)をクリアしガッツポーズ、満面の笑みの“こだわり”(O本氏撮影)

2016年
 
左:大洲人工壁10b(2016.4.20)  右:本匠遊歩道エリア10a(2016.5.5)・・・いずれもO本さん撮影

 9月22日 大洲クライミングウオール右大ハングクリア

  大ハングに挑む   ザック(8kg)を背負って

 日程の勘違いや台風などによる日程変更など、いくつかの偶然が重なって、9月22、23の両日に、これまで3か月以上も挑み続けてきた大ハング・・・いったんは新たなセッティングより前に課題をクリアすることをあきらめたのだが・・・チャレンジする幸運に恵まれた。この大ハングの課題を設定して29回目の試技となる。

 この日はたまたま、“こだわり”をクライミングの世界に誘いこんだ張本人・Y野氏の姿もあったので、いつもより少しばかり意識が過剰になっている自分を感じつつ、アップもなしにいきなりハング(オレンジテープ11a)に挑んだ。

 結果、大ハングを越えて最終ピンにクリップののち、あと1, 2手というところで右手の保持力に限界を感じオレンジ以外のホールドを左手でつかみ、そののちアンカーホールドに達した。

 山ヤの“こだわり”としては、「大ハングを越えたことには変わりはない」との思いで一応の達成感がないわけではなかったが、スポーツクライミングという観点では多少後ろめたさを覚えたことも事実だ。

 そこで、休憩ののち、再チャレンジ。今度は、うまくいった。
 
 3年半ほど前、それまで封印していた“岩登り”に替わるものとしてクライミングを始めた。近代スポーツクライミングでは、昔取った杵柄などはまったく通用せず、ほとんど一からの出直しのようなものだった。

 高さ14.5mで上に行くほどかぶっている大洲クライミングウオールで、初心者向けの一番左側のいくつかのルート(5.9~10a)でさえ、アンカーホールドに両手をタッチするのに8か月を要した。その時思ったことは、「一番右の大ハング(各ルート11a~)は無理にしても、せめて真ん中の中ハング(10b~)は越えてみたいものだね」だった。その真ん中の中ハングを越えるのに、さらに1年以上を要した。

 そんな状況だから一番右の大ハングを越えることなど思いもよらなかった。しかし、人間この歳になっても、まだまだ伸びしろはあるものだ。胸から肩回りに筋肉もついてきたし、両腕の保持力もアップしたし、回復力もそれなりについてきた。

 まあとりあえず、この秋のリニューアルを前にギリギリのラストチャンスをものにできて良かった。周囲の仲間に祝福の言葉を頂いた。いちいち名前は挙げないが、これまでこのクライミング日誌に登場した仲間の皆さんの技術指導を始めとして、励ましやら、皆さんとの切磋琢磨やらのお陰だと、素直に感謝したい気持ちだ。

 こうなると、大ハングでも、もう少しグレードの高いルートにもチャレンジしてみたいとの、新たな欲も湧いてきた。しかしそれよりも、右の大ハングに登れたことで、ここ大洲に群がるクライマーの中で、一体感を共有できていない思いが、払拭できたことが何より大きい。

 
 9月16日 焦り
 大洲の人工壁は1年に一度、プロのルートセッターにより、ルートのセッティング…つまり見直しが行われ、全面的にリニューアルされる。9月18日(日)がその日と聞いた。

 この約20日間というもの、秋風とともに仕事関係の出張も多くなり、大洲への足が遠のきがちだけれども、少しでも時間があれば最優先で、これ(右の大ハング)に時間を割いた。

 あとちょっとなのだが、そのあとちょっとがなかなか限りなく遠く感じるのだ。仲間はみんなクリアした。心配してかO本さんが今日も付き合ってくれた。

 終了点の手前、最後のピンにもクリップできた。その直後、ちょっともたついて消耗してしまいテンションをかけてしまった。三度試みたが、二度目はちょっと惜しかった。どうにかクリアできそうな感じがしてきたが、三度目は余力がなかった。

 今のルートは明日までだ。明日登れなければ、今のルートでの課題クリアの機会を永遠に失うことになる。明日がラストチャンスだ。明日に賭けることにしよう。

8月27日 本匠宮前エリアのクライミング風景
 
 前回の日記と日付が前後してしまった。

 大洲の人工壁で伸び悩んでいる時に「たまには気分を変えて本匠に新ソバを食いに行こう」とのお誘いに乗った。この日はリードでは一番左の“ウイ”(10a)をトップロープで“山椒はピリ辛”(10c)、それに写真の中の登攀中の11aも“体験”した。この11aは難しいが、親しみやすい感じがし、もちろん上部の核心部でギブアップだが、今後この課題のクリアを、このエリアの目標にしたいと、少し意欲が湧いてきた。
 
8月28日 秋風
 5月29日付記事で「新たな挑戦」と題して大洲人工壁の一番右の大ハングルート(11a)に挑み始めたことを既報した。大洲の人工壁では冒頭の写真でわかるように全体としては右側の壁面ほど傾斜がきつく難易度が高くなっている。いつまでも左や中央のハングだけにとどまっていては、ここに群がるクライマーの中で、一体感を共有できていない思いが募り、何となく気後れしてしまう。

右の大ハングを登れてこそ、その気後れ感を払しょくできるというものだ。

初めてのチャレンジから3か月、この間この日記の更新が停滞したのも、未だに課題をクリアできていないからだ。この間、山もほとんど登らず、外岩にもほとんど行かず、週3回ほどひたすら人工壁右大ハングにチャレンジしてきた。今のところ下の写真のもうちょっと上、最終ピンへのクリップ手前で、もたついている。

一緒にチャレンジし始めた仲間はその間、次々とクリアしたから、とうとう最後まで一人取り残されてしまった。“正体(岩に正面から対峙し三点支持で登るという、昔の岩登りの大原則)”という昔のクセから抜け出せず、ムーブ(近代フリークライミングにおける理にかなった体の動かし方)ができていないからだ。

そんなに性急にクリアできはしないと、始めからかまえてはいたものの、吹く風に秋の気配を感じ始めたこの頃、己のセンスのなさに少々焦りの色を感じ始めている。(写真動画いずれもO本氏撮影)
 
  


 
 6月29日 伸び悩み
 この1か月間というもの、ほとんど山にも行かず、仕事の隙間にもっぱら大洲のボルダリングやクライミングに週2~3回程度。

…在宅勤務とはいえ仕事勤めをしている関係からはこれでも精いっぱいの大洲通いということになる。

 がしかし、先月誓いを立てた“新たな挑戦”すなわち一番右側のハング11aは、まだ手も足も出ない状態だ。

 クライミング仲間の阿〇女子は一足先に、この困難な課題をクリアしてしまった(写真右)。

柔和な顔からは想像できないが、彼女の内に秘めた闘争心、失敗を失敗のまま終わらせない、ルートへの読みやイメージトレーニング、保持力や指先の強さ等々、敬服ものだ。

 完全に置いて行かれてしまった。

 けれども、地団太踏んでいるだけではない。先月から始めた緑山岳会の仲間たちとの毎月曜日と木曜日夕方のボルダリングを通して、少しずつではあるがハング越えのコツのようなものを掴みかけてきた。


 中央のハングでは墜ちることが無くなったということは一定の進歩とみてよかろう(O本さん撮影)。
 
クライミングウォールの練習も、テンションをかけることをあまり気にせず、なるべく本数を稼ぐよう心掛け始めた。

 それにしても、鬱陶しい梅雨空の連続には閉口だ。練習方針の誓いを立てても、何しろ連日の雨だから、保持力向上のための本数稼ぎは思いだけに終わっている

 
写真: 右ルートハング11aの課題をクリアし、満面の笑みを浮かべる阿〇女史と、その横で10bに悪戦苦闘中の“こだわり”(写真をクリックすると精細画像になります。O本さん撮影)
 5月29日 新たな挑戦
 クライミングと登山の体力の維持はなかなか両立しにくい。クライミング技術の向上のためには、頻繁にクライミングの機会をつくることだから、今月は登山のウェートは小さくしてその分クライミングを重点にしてきた。

 幸い今月は、仕事で県外に出る機会が少なかったから、大洲の人工壁やボルダリング場になるべく機会をつくることができた。

 そのせいか一定レベルまでの向上がみられたが、さらなるグレードアップでは、足踏み状態が続いている。

 人工壁で越すのが難しい一番右側のハング11a(右写真、O本氏撮影)に挑んでいるが、今のところ地団太踏むばかりで手も足も出ない。
 

ボルダリングでも新ボルダリング場のNo.8、No.9に挑戦中だが、これまた毎回同じようなところで足踏み状態だ。
 5月11日 ヘルメット
 本匠のクライミングの写真を見た、古くからの岳友から数日前の夜、突然電話がかかってきた。

 「人工壁ならともかくとして、ヘルメットをしないで外岩を登る連中は馬〇じゃねえか!!」と。

 今は大分市近郊に引きこもり、かつての登攀を回想する日々の彼・吉賀が珍しく吠えてきた。

かつてペルーアンデスやジャヌーでビッグウォールを登攀した、ほかならぬ吉賀のことだ。発する言葉の意味するところは重い。

 ヘルメットのことについては昨年ブログに書いたことがある。ちょっと長くなるが以下に思い起こしてみよう。

(2015.10.22 岳連岩登り講習会に参加しての挾間コメントから)
ヘルメットについて
 「人工壁とは違い、本匠の壁は石灰岩のため表面の浸食が激しく、かなりイレギュラーですよね。加えて、特に井上タワーは傾斜が緩い分、フォールしたら不規則に落ちることになります。実際、“なめくじら”登攀の高校生は、かなり危なっかしい落ち方をし、振られて腰を強打してました。それよりも、寸でのところで側頭部を岩に打ち当てそうな場面でした。

 今回は高校生も参加し、指導教官も保護者も観ていました。万に一つも頭を打つなど有り得そうにもない、体育館の中の人工壁ばかりを登っているスポーツクライミングと、イレギュラーな外壁は違います。あくまでも自己責任で、というのは、これまでの高校部活動での事故の訴訟などの新聞記事に接していれば、それでは済まされないことは自明。主催者はヘルメット着用を義務付けるべきかもしれませんね。

ヘルメットを被らないことの美学
 世界最大の自転車レースであるツール・ド・フランスやジロ・デ・イタリアなどでは、選手のかなりの人がヘルメットを被っていません。彼らの多くは、風を切って疾走するバイク、それに跨り、風になびく己の金髪を想像すると、たまらないのです。アルプスやピレネー越えでは、下りは時速90kmにもなるというのに。

 ガストン・レビュファやルネ・ドメゾンなどヨーロッパのアルパインスタイル派は「危険を甘受しなければ真のアルピニズムは存在しない」と言いつつも、ヘルメットはちゃんとしてました。フリークライミングのヨセミテ派が登場して、ヒッピーのような長い髪にバンダナ…これがフリークライミングの定番になりました。一種の自己主張ですよね。

さて、当会
 準備するもの「クライミング用具一式」といえば、当然ヘルメットも入ってます。当たり前です。大洲の人工壁とボルダリング以外は、すべてヘルメット義務付けです。
大分緑山岳会のこと


 さてそれで、つい数日前の八面山の岩場では、ヘルメットについて、同伴したパートナーには求めたものの自分は、本匠の場合も含め着用しなかった。

 何故?・・・別に面倒くさいなどと思ったことは一度もない。強いて言えば周囲のフリークライマーのスタンダードな雰囲気に流されてしまった、ということか。それと心のどこかに「ええ格好しい」の自分があったということだろう。

 実際、若者中心の本匠の各エリアは言わずもがなで、すべてのクライマーがヘルメットを着用しない現実があるが、その一方中高年クライマーが比較的多い八面山の岩場では、ヘルメットを着用したグループも時折見かける。

 こういう場所では正直な気持ちとしてヘルメットを着用しているグループに対して、「ダサい」と感じる自分を否めない。

 吉賀の一言で目が覚めた。俺はアルピニストの端くれだ。フリークライミングはしているが、フリークライマーを志向しているわけではない。彼らとは心のどこかで一線を画してきたことは確かだ。

 まあ、人工壁やボルダーリングではともかくとして、岩場ではヘルメットを着用し、ついでにアルピニストHASAMAと書くようにしよう。「これが俺の“山ヤ”としてのアイデンティティなんだ」と。

 ヘルメット着用を再認識する良い機会であった。

    
  昭和40年代後半、一世を風靡したヘルメット“滝谷”を被る
   北ア剱岳小窓ノ王南壁で吉賀(1975年夏)

 5月7日 宝満山、 5月8日 八面山
 今年の大型GWは、前半4/29~5/1が古くからの岳友と大崩山、比叡山、それに万年山、中盤は大洲人工壁などでのクライミング、そして後半は5/6(既報)に加え、5/8宝満山山頂付近の岩場、5/9八面山というふうに、近隣の山とクライミングの10日間…世間一般に比べある意味おカネをあまりかけない知的遊戯三昧の10日間であった。

 さてその一つ宝満山山頂付近の岩場。福岡のクライミング仲間のお誘いで様子を見に行った。もちろん、クライミング用具一式を担いで、例の急な石段を標高差700mほど登ってやっとこさ辿り着いた山頂には、花崗岩質で高さ10~15mの岩場が随所に林立。

 
宝満山山頂付近の岩場“稚児落とし”
雨で濡れてて幸い??

 あいにく予想を裏切っての霧雨で岩肌が濡れ、登攀不可能。残念というよりは、各ルートの最初の1ピンまでの長さや、ピン間隔などからして、相当難儀をしそうな感じで、正直、“雨”という退散理由があってほっとした部分が大きかったというのが本音。

 で、大分からの“遠来の客人をこのまま手ぶらで返しては・・・”との案内人KATOHさんの気遣いで、麓の室内人工壁に案内された。

 高さこそ7mと、大洲の半分にも満たないが、その分、地面からいきなりハングとなっており、見た目にもなかなか手強そう。


  5.8や10aを何本か登った感想としては、「KATOHさんのうまさの理由が分った」とうこと。つまり、福岡のここらあたりのグレードは、大分のそれより辛めに設定されているということだ。

 
  宝満山山麓にある室内人工壁(筑紫野市)

翌5月8日、大型連休最終日は八面山上部エリア。もちろん、自称“山ヤ”の端くれとしては、律儀に麓の登山口から登り、山頂付近で昨日来のKATOHさんと再び合流。

 八面山上部エリアではパートナーの二宮さんと、カプチーノ5.9、鯉の滝登り5.9を交互に。今年は「ものにする」という決意のほどを内面にも表情にも感じ取れる二宮さん、今後の課題は“リードの意識”(昔風に言えば“ザイルのトップ”)の自覚ということになりそう。

 一方の私、せっかく八面山まで遠路来たのだから、コスパに見合う登攀を、ということで鯉の滝登りの隣にある“ほうき星11a/b”にチャレンジすることに。前々回、フレンド10bでさえ相当苦労したのだから、11a/bなんて分不相応は承知の上。

一見易しそうに見えて、相当手強いことは前々から聞いて知っていた。しかし、一見易しそうというのは、取り付く決断がしやすいということでもあるし、「ハングは苦手だがスラブには強い」など、得手不得手も、いい方向にここの場合は働きそう。

 で、結果的には何度目かのトライで“レッドポイント”達成???・・・しかし問題が。右のクラックに手を入れたことで“難易度が下がる”との指摘に対して、12級クライマーのKATOHさんにもトライしてもらった結果、クラックにホールドを求めないと登りようがないから「OK」と。

レッドポイント red point
 2回目以上のトライで完登すること。ドイツのクルト・アルベルトがトライ中のルートの赤丸(レッドサークル)をつけ、完登するとこれを塗りつぶしていたことによる。


 5月6日 本匠遊歩道エリア 初参戦
 フリークライミングを始めて3年になろうとしている。20代の時に熱中した“岩登り”を含めれば、再開してから3年、という方が適当か。

3年前当時、一緒に始めた元山ヤのO本さんも、同じような意味では再開ということになる。彼はいかりやま温泉を経営する社長さんだ。

彼の気さくな人柄と、クライミングのあとの筋肉疲労を癒してくれる温泉効果に魅せられて、大勢のフリークライマー老若男女がこの温泉に集う。最近ではこの温泉は、言わば“フリークライマーの梁山泊と言ったところか。

 さて、そのO本さん、プロ写真家でもある彼、GWに本匠に撮影に行くというので、ご一緒させていただいた。もちろん、クライミングの出で立ちでだ。

 本匠には多くのクライミングエリアがあり、井上タワーや宮前エリアなどでの奮闘記録はこのサイトで過去に報告してきた。

これらの既報エリアでのこだわりのレベルは5.9~10a程度。10bともなると相当苦労してきた。

だから、本匠で最もグレードが高く、庇ハングが軒を連ねる遊歩道エリアは、“観るだけ”と思っていた。

 さて、当日5月5日、遊歩道エリアの庇ハングには、大洲や碇山温泉の常連達が、すでに張り付いて、というかへばりついていた。

 聞けば、2本だけ10aがあるという。「10aならばこだわりでもオンサイトは可能かも、悪くてもレッドポイント※※くらいは」と少しその気になりかけたが、実際にその2本の壁を見上げ、若者の試技を観ながら、気持ち的には少々ビビってしまっていた。

対岸からO本さんが「かっこよく撮ってやるよ」と、既に一眼レフを構えて、登攀を促している。

遊歩道エリアの、向かって一番右端近くにある10aルートに取りついたが、2ピン目にクリップしたところであえなくテンション・・・その後もテンションのかけっぱなし。技術以前に、すっかり気後れしてしまっていたのだ。

 
 遊歩道エリアで数少ない初心者向け10aコース(Gihard)

結局、恥ずかしながらトップロープのお世話になった次第。このコースは落ち方が悪いと、只では済みそうもないし、リードではちょっと自信が湧かず、とりあえずギブアップ。
 さて気を取り直して次なるもう1本の10a、遊歩道中央に位置するルートにチャレンジ。

このルートは、最初チムニーを背中でせり上がり、張り出したハングの上をトラバース気味に左上する、というもの。最終ピンにクリップする前に、右へのムーブから直上するところが、ホールドが小さく、苦労するところ。

 
   
遊歩道エリア もう一つの10aコース(安〇女史)

こだわりは正直、先ほどの10aでトップロープに甘んじたこともあり、2本目の試技には気が重かった。しかし、このまま登らずに帰ればもっと後悔することだろうとの思いもあり、思い切ってのチャレンジ。

 幸い、安〇女史などの助言もあり、このコースはビビったわりには、大した苦労もなく終了点に達した。

ちなみにオンサイトとは、「あるルートを、そのクライマーにとって最初のトライで墜落やロープに体重を預けることなく、「フリー」でリードすること。ルートのグレードとプロテクションの数以外の情報を事前に知ることは許されず、他人の登りを見ることさえできない。あるルートのオンサイト・トライは一生に一度だけ」とある。

オンサイト・トライでは、コースを観察したり、助言を受けることさえ「ノー!」ということだが、仲間内では暗黙の許容範囲に含まれるようなので、今回のこだわりのトライは、オンサイトでのクリアということにしておこう。

 もう一つの10aをオンサイト・クリアできたことで
「終わり良ければそれで良し」、来た当初の重苦しい気持ちから、なんぼか解放され帰路につくことが出来た。


※※レッドポイント:トップロープでの試登の後や、2度目以降のトライで登った時にこう言う。つまり、墜落なしでリードできるまで何回通ってムーブを研究(記憶)してもOKというスタイル。


        本匠遊歩道エリア 登攀風景

 4月23日 継続すること 回復力
 3月下旬に、約5か月ぶりにクライミングを再開して以降、新たにオープンしたボルダリング場と旧ボルダリング場、それにクライミングウオールなど行ったり来たりで、最近はもっぱら大洲運動公園の人工壁ばかりだが、なるべく中2-3日以上途切れることなく、頻繁に通い詰めている。

 その間、クライミングから遠ざかったとはいえ、ボッカ訓練、筋トレ、体重の維持は意識していたから、わりと元のレベル(もともとが大したことないが…)に戻るのにはそう長い時間はかからなかった。とはいえ、20日以上を要した。

 冒頭の写真は4月20日、クライミングウォール中央赤テープスラッシュ(10b)を久しぶりにクリアしたものだ。クライミング仲間で元写真家のO本さんが撮ってくれた。やはり実践の継続こそ重要と、再認識した次第。

O本さん撮影(2016.4.6)

 
 
 ところで、ハングの急な中央や右側のルートでは、グレードは一番易しくても10b、上級向けには12a,b,cなど、しだいに難しくなる。比較的易しい中央の10b,cクラスだと技術的なこともさることながら、上腕筋力の保持力がものを言う。

 いたずらに上半身を鍛えるということではなく、まずはハングしたまでなるべく足を有効に使い省エネで上腕を保持することが大事だ。

 そのうえで、ハングに臨むにあたってもやはり足をいかに有効に使い、腕の負担を軽くするか・・・そこで望まれるのがボルダリングでの技術力だろう。

 最近ではボルダーも積極的に取り入れ少しずつ難易度を高くしている。

 それにつけても、いざという時の上腕筋は大事だ。いくら省エネでとか言っても、かぶり気味のフェースを10m登ったそのうえで庇ハングに取りつくのだから、筋肉の回復力が早いにこしたことはない。ここら辺りで若者との決定的な差を思い知らされる。
 4月1日 大洲に新たなボルダリング場オープン
 年末に負傷した下あごの再手術で縫合して抜糸がまだのため、昨日3月31日と今日、ザイルを使うのはやめてボルダリングとした。

 ボルダリングは5か月ぶりのことで、ボルダリングとクライミングは別物と改めて感じた。

 それはともかく、大洲体育館の中の閉店したレストランのスペースを改築し、このほど新たなボルダリング場がオープンした。

 従来のボルダリング場はクライミングウォールの西側にあり、夏場は西陽がまともに差し込むため蒸し風呂状態、冷暖房施設がないため、それに手狭だったこともあり、特に我々高年者にはちょっと不便に感じていた。

 新しいボルダリング場は冷暖房完備、幅が広くスペースに余裕があり、何となく都会のボルダリング場みたいだ。早速、グレードの易しいのから順にチャレンジ。1,2,3とグレードが上がるが、ここまではなんなくクリア。小ハングを乗っこす№4で行き詰った。何度かのチャレンジののちどうにかクリア。足の使い方やバランスのとり方、ムーブのテクニックがここから先、求められる。

 
 継続は力なり

そうこうしているうちに同じ山岳会のS君が入ってきた。彼はお昼休みのわずかな時間を、寸暇を惜しんでボルダリングにこのところ通っている。クライミング仲間だが、外岩はめったに行くことがなくもっぱらボルダリング専門だ。

 
№4をクリア Youtube動画

クライミングではどちらかというとこちらがリードする立場なのだが、その彼、いとも簡単に№4をクリアし、その勢いでNo.7までクリアしてしまった。ちなみにこちらは今日のところは№5まで。

コンスタントにボルダリングに取り組み、常に課題にチャレンジしていることの強みが、あまり考えないでクライミングやっている者との差として、歴然たる現実を突き付けられた感じた。


S君の試技

 3月27日 青ホールド10a、赤テープ10a
 「狐の嫁入り」とはまさに今日のような天気のことだろう。陽が照ったかと思うと急に陰り肌寒さを通り越して腕の筋肉が固まりそうになったかと思うと、再び陽が照ったまま雨が降り出す、というような目まぐるしい大洲の半日だった。

 ボルダリングでウォーミングアップののち青ホールドを何とかクリア。しかし、上の方ではかなり“梯子登り”だったようだ。

 それでも上までノーテンションでどうにか登れたので良しとしよう。11aの2/3だけ遊ばせてもらった後

 緑ホールド10bは最後のところで我慢できずにテンション。

 前回半年近く休んだのちは元のレベルのなるのに1か月以上かかったことを思えば、5か月近いブランクにもかかわらず、わずか4,5回で元のレベルに近づきつつあるのは、その間の5か月近くの過ごし方によるだろう。

 そう、クライミングからは遠ざかっても、山登りそのものは結構ハードにやったから。それに体重のコントロールや上腕の筋トレなど欠かさなかったことによるだろう。
 3月25日 青ホールド、緑ホールド
 10a、10bクラスがまだ上まで登れない。昨秋のクライミング感覚と、5か月後の今の感覚にかなりのズレがある。体が、実際の体重はほとんど変わらないのに、すごく重く感じる。

 10bクラスはもうちょっとかかりそう。
  転落
 小耳にはさんだ話で定かでない部分もあるが最近、大洲の常連さんの1人がクライミングで大けがをしたようだ。クライミングテクニックがかなり上位者なので「まさか」との思いがあった。

 実際にはクライミング中のことではなく、どうやらザイルを解いて、下山ルートを下降中に起きた事故のようだ。クライミングやアルパインでは通常、スタカットで攀じるから、登攀中の事故はあっても命取りになるような大事故は意外に少ない。その一方で、終了点に達し、ザイルを解消したり、解消しないままコンテニュアスで一般登山道や下山コースに移動中に起こる事故の方が致命的な場合が多いことは、自分にも心当たりが沢山ある。

 矛盾するような話かもしれないが、安全こそがクライミングの前提でなければならないと、改めて自戒させられる。

 3月20日 本匠 トップロープ
 昨日ご一緒したO本さんから急な誘いがあった。「Hさんらの登攀は写真におさめに行くけど、一緒にどうですか。ついでに1,2本易しいとこでも」。昨日こそ再開したばかりなので、まだ本匠に行く気分ではなかったが、せっかくの誘いに、同行することにした。

 場所は“切り株エリア”・・・番匠川を徒渉ししばらく上がったところで、ほぼ垂壁15mほどだが、杉林に隠れて対岸からは見えない。

 Hさんをはじめ二人は見覚えのある人。12bというこだわりには縁のない困難なところを登っていた。 
 しばらく、観察させてもらった後、“宮前エリア”に移動し、過去に登ったことのある10bルートをトップロープで岩の感触を確かめた。意外にも、感触はそう悪くはなかった。今後に期待しよう。




 3月19日 クライミング再開 大洲
 これまでの冬場は奥秩父縦走に始まり、鶴見岳滝ノ谷、地獄谷、伯耆大山大ノ沢、石鎚山北面など、やはり何といっても雪山に気持ちが行ってしまう。これは山ヤとしては当然のことで悪いことではない。クライミングはスポーツではあっても登山ではないから。
 実質4か月ぶりのクライミング再開で、大洲の一番易しい10aにとりついたが、ノーテンションでは上まで登れず。

 まあ感触はそんなに悪くなかったから、早晩昨秋の力(といっても10bクラスまでだが)は取り戻すことだろう。


1月27日  2か月半ぶりのクライミング
 11月からこっち、仕事の忙しさもさることながら、登山の対象が"雪"に向いてしまうから、どうしてもクライミングが疎かになる。

 その間、クライミングへの気持ちだけは維持しておこうと、体重の維持と筋トレだけはなるべく怠りないようにしてきたつもりだった。

 
 で、久しぶりのクライミングだったが、一番易しいルートをテンションのかけまくりで、這う這うの体で上まで到達という、体たらく。上達するのには随分と時間がかかるが、落ちるのはあっという間

 さて、これから何とか這い上がらねば。 

2015年
 
大洲人工壁(グリーンテープ10a,2015.10.13)        同中央ハング(10b,2015.10.26)
             (写真をクリックすると動画が再生します。)

 10月31日 由布岳観音岩(10/29)
 由布岳の岳本登山道の飯盛ヶ城より少し手前に観音岩という岩場があるらしい。最近まで知らなかったが、写真で見る限り明るくすっきりした日当たりのよい岩場のようで、秋季強化トレーニングの一環として行ってみることにした。
 
 この岩場へのアプローチは西登山口(岳本)からの方が近かろうと思うが、駐車場のこともあり東登山口から合野越経由の方が取っつきやすそうだ。で、東登山口から歩くこと40分少々。草原状斜面の突き出た顕著な岩場だから、すぐそれと分る。

 いくつものカンテ、フェース、ジェードルなどあり、結構さまざまな登り方ができそうだ。古い残置ハーケン、ボルトが随所に打たれているが、錆びと表面の腐食が激しく、あまり信頼できそうにはない。幸い、主だった岩場のてっぺんには、迂回路があるし、新しいしっかりしたボルトの支点が打たれているから、トップロープでの練習には格好だ。

  
 ↘さて、同行のS君と左側のカンテから右側のジェードルまで順に登ることにした。この岩場はおそらく昭和50年代初めころ以降に別府辺りの山岳会によりゲレンデ用に開拓されたものだろう。それより前の40年代なら、当時岩登りに明け暮れたこだわりの耳に入らぬはずはなかろうから。

 この日は全部で4本登った。古いグレードでいえばカンテが3級、ジェードルが4級というところか。ややかぶり気味のフェースにはボルトが打たれており、アブミを使えばA1というところ。アブミがなくフリーでも難しそうだったので、ヌンチャクと腕力で乗り切った。この日4本目・中央のかぶり気味のフェースはアブミなしでは手強く中段のボルトに手が届かず降参。次回の宿題となった。

 遅れて来たE君は、登山靴で登ったり、来るべく冬に備えて12本爪アイゼンで登ったりと、観ていて、その昔高崎山別院で冬の壁に備えてアイゼン登攀をしていた頃が懐かしく思い出された。

  


 10月27日 秋季強化トレーニング
 緑山岳会にはクライミング志向の仲間が6~7人いる。仕事もまちまちだから、なかなか一緒にトレーニングができず、地団太踏んでいる人も居る。

 そういう仲間になるべくお付き合いをしてあげたく今回、夏季トレーニングに引き続き、今年度通算第3回目となるトレーニングの場を、中旬から下旬にかけて大洲で6回もつことになった。

 もちろん、単にボランティア精神からというわけでもなく、自分自身のクライミング技術向上の場としての目論みであることは言うまでもない。

 今回大半を夜間照明下のナイタークライミングにしたのは、Nさんに合わせたためだが、そのNさんはここに来て本気モードになってきた。こだわりが仕事で参加できなかった23日には、テンションかけながらも一番上まで登れたらしい。夏場の頃からすれば格段の進歩だ。

 仕事の関係で昼間の小一時間しか時間の取れないSR君も、彼なりにボルダリングやクライミングを継続的にこなし、中央ハングにチャレンジするほどになった。

 すでに一定レベルに達しているE君、普段は別の同好の仲間とのクライミングを楽しむことが多いが、前週に続き指導を買って出てくれた。

 その他にも、会の重鎮A女史、夏場に躍進したが秋は仕事が忙しくなったHさん、この二人は参加できなくても、クライミングの意欲を持ち続けている。気持ちを持ち続けている、ということは大事なことだ。

  
        大分緑山岳会の若手のホープ達と
  
この他にも、クライミング志向のようで、今一つ本気度がよく分らないKさんSY君も居る。さらに最近入会希望組でクライミング志向が期待される人も居るようだ。体験するだけで充分満足できる、という人は、体験を登山に役立てればそれで良いと思う。無理をすることはない。

 ただ、一連の強化トレーニングは、“体験から実践、さらに実戦へ”を謳い文句にした。危険を伴うから、それにやる以上は一定レベルに達してもらいたいから、そう考えると継続が大事だし、参加者の本気度を問うことにもなる。

 そのあとに期待されるものは?と問われると、それぞれの参加者の答えには、かなりの温度差があるだろう、きっと。

 こだわりに問われれば、三ノ窓雪渓からチンネを登り、長次郎雪渓を下る…そういう気持ちは今大いにありますね。それも、折角緑山岳会の中で盛り上げてきたことだから、できることなら他の力を借りずに独力でね。

 「人工壁のクライミングは登山じゃない」と声を大にして言いたい。クライミングテクニックがどんなに優れていても、本匠や八面山で終わっている人のクライミングは、登山とは言えまい。二つ坊主南壁や行縢山雌岳南壁、八面山サニーバンド正面壁が泣いているかもしれない。

 さて、強化トレーニングでのこだわりの成果だが、10bクラスが安定的に登れるようになったことかな?。まだまだ伸びしろはありそうなので、もうしばらく奮闘してみたい。

 夜間クライミング

 本匠井上タワー“ちょっくら”(10-)  
左:高校生、右:撮影角度を変えて、こだわりの登攀

約1年ぶりの本匠の岩場。中間のムーブのテクニックを要するところでかなり手こずっていた高校生に負けじと、苦手なルートに挑み、何とかクリア。

 7月~10月初めのクライミング
 随分と日記の間隔が空いてしまったものだ。この間、クライミングが滞っていたわけではなく、10月初めまで、遠出の縦走などがなかったこともあり、むしろクライミングに集中することの方が多かった。
 7月から8月いっぱいは、緑山岳会の仲間を集めてクライミングの強化トレーニングをやり、会員のクライミング意識を高めるとともに、自分自身もわずかだが力がついたと実感することができた。

 大洲のクライミングウォールは県体終了後に大幅なセッティングが行われ、コース全般のグレードが高くなった。これまでの10bが10aに格下げされ、しかも全面リニューアルのため、新たな10a、10bをクリアするのに2か月近くもかかり、その分力が何ぼかついたというわけだ。

動画:緑テープ(10a)をクリア→こちら

セッティングしなおしでグレードが辛くなった緑ホールド
 八面山の上部エリアやオケボックスでも、これまで5.9のレベルを抜け出せ切れなかったが、強化トレーニングにより10bレベルに近づいてきたし10dにもチャレンジする気持ちにもなった。
強化トレーニングで向上中のNさん
 
尾平スラブ新ルート10aをオンサイト
 大分県内の岩場の開拓者Yさんが、尾平スラブに新しいルートをつくったが、まだ誰も登っておらず、名前も決まっていないとのこと。「最初にオンサイトした人に因んだ名前をつけるよ」との開拓者の言葉に発奮して果敢に挑戦。スラブのなかのわずかな凹凸を見逃さずホールド・スタンスを探しながら、きわどい場面もなくはなかったが、何とかオンサイトすることができた。名付けて“桶狭間の戦い”(写真)
こだわりの後塵を拝することになった師匠格・Iさん

 7月14日 青ホールド(10a)、赤ホールド(10b) ライバル
 クライミングは上達しようとすれば、その強い意志の持続と、実際にクライミングを間隔空けずに実践しないとダメだ。半年のブランクは大きく、昨年の11月までできていたことが再開して以後、なかなか出来ずにいたが、継続的な練習の成果だろう、何とか上までテンションかけずに行けるようになり、一応昨年11月のレベルに戻った。

 クライミングはあくまでもフィットネス的なもの。老体の、衰えつつある五感を研ぎ澄ます、というより五感を維持するためにも、継続が必要だ。少しでも今より向上したいと思うが、そのことに強くはこだわらないようにしよう。↗
 ↘最近になって緑山岳会の中にも、少し本気度を上げてクライミングに取り組んでみたい、と言う仲間を数人得た。これは大いに刺激になる。自分の向上心にもつながる。


九重山星生崎での雨中登攀訓練

 6月20日 九重連峰星生崎 40数年ぶりに再訪
詳しくは→こちら
 6月19日 半歩前進
 クライミングボードの一番上までノーテンションで未だ到達できず。それでも、テンションの回数は減り、1回のテンション(腕の休憩)で上まで上がれたことを良しとしよう。周りからは「あそこまで上がっといて何で我慢できんの」との声…励ましと受け取ろう。

 写真はOさんが撮ってくれた“こだわり”の登攀。
 
クライミングボード最上部まであとちょっとなのだが…

 6月17日 八面山(登山+クライミング)
 半年のブランクを埋めるために暇を見つけては大洲に通い始めた。といっても週1回程度なので、未だに一本たりともクリアできていない。

 それでも、半年前のレベルに着実に近づいていることは実感できる。もうちょっとだ。

 今日こそは緑ホールド(10b)のクリアを、と張り切っていた矢先、I さんから八面山へのお誘いがあった。大洲は緑山岳会の新人S君との先約ではあったが、一緒に八面山に鞍替えということになった。

 ところでその昔、八面山をホームグラウンドとする中津山岳会会長・諏訪さんの「近頃の若いもんは車を横付けするようなところで岩登りをして岳人気取りだ。いかがなものか」というような主旨の言葉を思い出した。直に聴いたわけではないが、人づてのこの言葉はその後妙に心に引っかかっていたことは確かだ。

 「うん、ここは新人S君のこともあるからな。山頂まで車で乗り付けるよりも、下から律義に登山をして、しかるのちにクライミングをしよう。そうすればクライミングではなく、いくらか“岩登り”の領域に近くなる。
 さて、新人S君には初めての岩場だ。大柄な体を少々持て余し、悪戦苦闘していた。継続する気があれば、すぐにクリアできるようになるだろう。

 一方の筆者、“鯉の滝登り”(5.9)など前回に比べわりと楽にクリアできたから良し、としよう。それにしても、自分にとって既登のルートから抜け出せないのはいかがなものか。


左:新人S君、右:急成長の若手E君(途中から合流)の登攀緑山岳会も若手クライマーが育ちつつある

 5月31日 八面山
 
半年のブランクは大きい。大洲のクライミングボードが上までまだ登れない。誘われるままに八面山の上部エリア…これまた半年以上間が開いてのクライミング。最初のエリアは各ルートとも傾斜がきつく、ボルト間隔が遠く、しかも1ピンまでが遠い。1,2ピンで墜ちれば、グランドフォールしてタダでは済みそうもない。

 リードしたパートナーのIさんも相当手こずっていた。それを見て、とてもリードで行こうという気になれずトップロープでなりふり構わずのクライミング。2度終了点へ。

 場所を移して別なエリアで既登のルートも、前日の雨による影響が残っており、ひやひやものだった。

この日の八面山クライミングエリアはIさんと二人だけ、クライミングそのものもさることながら、過去の山の話などに花が咲いた一日だった。

 5月27日 塚原ボルダリング
 所属する緑山岳会に最近入ってきた有力新人のS君に、クライミングとロープワークの実践機会を、ということでわずかの時間であったが、塚原の岩場で実践訓練をした。

 ともすれば自己流に陥りがちなので、人に教えるということは、自分の知識と技術の再確認作業という点では、良い機会であった。

 で、くだんのS君、クライミングは初めてだったこともあり、また、間に合わせの運動靴ということもあり、スラブは何とかクリアしたものの、かぶり気味の凹角の突破ができずに次回に宿題を残した。 

 もちろん、この日の先生である筆者が、まずは模範演技を示したことは言うまでもない、“華麗な登攀”だったかはともかく。
 さて、S君今後どういう方向に発展することか。

 別に、クライミングにのめり込まなくてもよいと思うが、いざという時のためにロープワークや登攀技術に対して不断の備えはあるに越したことはない。

塚原のボルダリング道場

 5月23日 泰然自若の境地で
 11月以来ほぼ半年ぶりの大洲クライミング。この間ボルダリング1回、ビレーヤーとして1回、ここを訪れただけだ。熱が冷めたわけではない。少しの間雪山及びそのトレーニングに集中して気がついてみたらこんなことになっていた、ということだ。

 久しぶりの大洲クライミングボードは、老若男女でほどほどの賑わい…いつもの顔見知りのメンバーも和気あいあいの雰囲気で登っており、遠慮したり、気兼ねするほどのことはなしに、自然に仲間に入っていけた。

 で、10a~11aクラスを、最初から2/3の高さまでと言うことで4本登った。ぎこちなかったけど登れた。10クラスならすぐに馴染むだろう。この空白の半年間一応、体重のコントロールを欠かさず、また、霊山詣ででも、出張のホテルの机の下に潜り込んでのぶり下がりでも、とにかく上腕の力を維持してきたつもりだから。

 再開すると決めた以上、ある程度は間隔を開けないようにして集中しなければ…何せクライミングと登山はあくまで別物だから。

 クライミングにはフィットネス感覚での取り組みが、大上段に構えなくていい。自分の限界もセンスもだいたい分ってきたから。

 それに加え、垂直に身を置くことで五体の感覚が研ぎ澄まされる…いや、若い頃の感覚が少しでも甦る、それがいいところかもしれない。
 
大洲のクライミング風景

  1月24日 冬眠明けはアイスクライミングから
 所属する山岳会のこの時期の恒例行事として、今年も宮崎県は大崩山系の宇土内谷へアイスクライミングに出かけた。

 心配していた氷結も、とりあえずどうにかスクリューハーケンを埋め込めるほどの厚みはあった。ここの氷瀑は緩いスラブが氷に覆われた感じで、八ヶ岳の大滝・小滝などに比べれば、初心者には取り付きやすい。

 そうはいっても、スクリューの利き具合のほどははなはだ心もとなく感じ、リーダーの安東氏から「リードをどうですか」と言われても、「任せとけ」とはなかなか言えない。

 今年も、(体重が)少し重そうな安東氏のリードでルートを1本工作し、約30mの氷結した斜面を交替で一人2,3本ずつをトップロープで登った。

 緊張感のない緩傾斜のアイスクライミングに、はるばる大分から3時間以上もかけて…という気がしないでもないが、こういう経験はなかなか得難いものもある。来年は、リードでスクリューハーケンを埋め込む緊張感を味合わなきゃあね。

大分緑山岳会ブログ記事
大分緑山岳会yutube動画

 


2014年

 10月29日 クライミングウォール更新作業
 10月27日に大洲体育館のクライミングウォールが更新され、これまでチョークや手垢でくすんでいたホールド、スタンスが一新され、色鮮やかなコースとして生まれ変わった。早速10aにオンサイトチャレンジしてみた。これまでより少しグレードが上がったように思え苦戦しつつも、何とか一回でクリア。次に10bもオンサイトで挑んだが、 これは最後のところでギブアップ。惜しかった。
 ↘ コースの全面見直し、更新作業があることは聞いていたので、何とかそれまでに懸案だった青ホールド(11a)をクリアしたかったが、上部のハングを越えきれないところで、終わってしまった。

 その代わり、新たな気分でリスタートが切れた。何とかイレブンクライマーの仲間入りを、これからの1年でできないものか。体力はますます下降していくときに、それでも右肩上がりで居たい。まだ伸びしろはある、と思う。
  9月29日 少し前進
 8月は日高、剱岳、東北と、山中心。9月に入ると仕事が忙しくなり、クライミングも思うに任せず。何しろ今の仕事では「この時期(9~10月)に仕事せんで何時するんだ?」って感じ。そんな中でもとにかく体重のコントロールだけには気を使った。で、最後の週末26日大洲、27日本匠、28日大洲と、久しぶりにクライミングに集中した。いつになく気合が入った。

 本匠では宮前エリアの“ウイ”(10a)や“山椒はピリ辛”(10c)に自信がついたし、大洲では緑ホールドをクリア、ピンクホールドもどうにか上まで行けた。

 伸び悩んでいた時だけに、先々にまたまた少しだけ希望が持てる、そんなことを実感した3日間だった。

 写真:本匠宮前エリア“ウイ”(10a)の核心部の小ハング。



 7月22日 現状維持 八面山
 6月のクライミング実績は外岩マルチピッチ1回のほか、大洲のクライミングウォール3回のみだった。クライミングの回数は激減だが、登山そのものは、わりとハードにやった。気持ちを停滞させないよう、クライミングのために日常できること、例えば腹筋、腕立て伏せ、懸垂上がり、床からの片足立ち上がり、それに何よりも体重のコントロールなどなど心がけた。…だから上手にはならなかったが、下手にもなっていない。

 7月19日は、緑山岳会の皆さんに自分が初めて提案して、八面山でクライミングをやった。詳細は緑山岳会の公式ブログに近日アップ予定だ。↗ 
 ↘岩やクライミングに対する考えが様々な、そもそも山に対して、どう取り組もうとしているのか今一つ分りにくい人も居るけど、“ザイルのトップ”を託される人が一人でも二人でもできてくれるよう、呼びかけ人の責任を全うしなければ、と思う。(写真:2014八面山クライミングシリーズ 第1回7/19)

 6月29日 陶ヶ岳マルチピッチ
 この週末は本来、東京出張の機会を利用して、先週の飯豊連峰石転び沢に引き続くみちのく名山紀行として和賀岳方面を計画していた。予想される天気もそう悪くはなさそうだった。ただ、旅疲れというのだろうか、何となく気持ちの高揚がなかったことから、得難い東北遠征の機会ではあったが、東北の相棒に丁重にお願いして次の機会に譲ることにした。

 そうなってみてそれより以前にお誘いを受け、いったんはお断りしていた陶ヶ岳クライミング(日帰り)に、剱岳のトレーニングのこともあり参加した。

 岩場は山口市近郊にあり、300mそこそこの山ながら、中腹~上部に花崗岩質の2~4ピッチの数多くのルートが拓かれている。この山域のクライミングでは“陶ヶ岳”での名で一般に通っているようだが、


今回目指したのは“亀山(山頂エリア)”というところで、クラッカー(5.10a)~南峰見聞録(5.10a)計3ピッチとアルビナの門(?)~門松(5.8)計2ピッチのマルチピッチクライミングを楽しんだ。正確には、“楽しんだ”ということにしておこう、ということだ。

 マルチピッチのセカンドだとスピード優先で登りが雑になるのはしかたがない。それに、1ピッチのみだがリードした部分では、何でもありの喧嘩殺法みたいになってしまって、お世辞にも華麗なクライミングには程遠かった。

 それはともかく、大分市から車で4時間近くもかけてはるばる来たこの山だったので、山頂(亀山、300m)を踏むことができたのは良かった。低山ながらも特徴的ないくつかの山の連なりは、この地域では幅広い登山者に親しまれているであろうことが、想像されたし、これまで存在すら知らなかった、そんな著名な山に足跡を残すことができ、私の山歴の貴重な1点となった。(メンバー:一色、笠置)

 
 6月24日 気持ちを切らさないこと
 6月に入っても指の痛みが取れず、クライミングはほとんどお休み状態が続いている。だけれどもクライミングに対する気持ちが切れたわけではない。他の目的もありボッカや筋トレなどで体重も心肺機能も、維持してきたし、何よりも気持ちを切らさないようにイメージトレーニングは欠かさなかった。

 23,24日は久しぶりの大洲クライミングウォールだった。赤ホールド(10a)オレンジテープ(10b)は無理なく登れた。少しずつだが足の使い方に工夫がみられ、その分、上腕の負担が軽くなったように思う。

 今夏は39年ぶりとなる長次郎雪渓から剣、三ノ窓の機会を得た。ためらいの気持ちがないわけではないが、もう賽は投げられたのだ。大事なことは、クライミングテクニックもさることながら、雪や岩に対する気持ちの持ちようだ。気合いだ。

夏の打ち合わせ

6/23 日曜日だが雨降りの大洲クライミングウォールは気心の知れた山仲間のみ。週末でも雨の日は意外と穴場なのだ。
 6月1日 治らぬ指
 5月に入ってクライミングはほとんどお休み状態だ。霊山登山道整備の際痛めた右手薬指がいつまで経ったも治らない。これではクライミングで3~4月にせっかく好感触を得ていたのに、元の黙阿弥だ。5月23日と25日に痛みを堪えての、久々の大洲クライミングウォールでは、それなりに登れた。

 しかし、休んでいたこのひと月の間に緑ホールドや黄ホールドで先陣争いをしていた数人の仲間は皆クリアしたようで、とうとう自分ひとり取り残されてしまった。何ともさびしい限りだ。

 肝腎の右手薬指だが病院で診てもらったものの、一向に治る気配はない。痛みはあるが、だからといってぶら下がれないわけではない。師匠格の一色さん曰く「お友達になりなさい」と。つまりはどうせ治らない指なら、その事実を受け容れそれを前提にした登り方を工夫せよ、ということらしい。
 4月23日 “足るを知る”?
 
今月に入って、仕事の関係もありクライミングのペースがガクンと落ちた。そのせいかどうか、大洲のクライミングボードでは時間の問題と思われた“緑ホールド10c”がクリアできないでいる。というかむしろ後退した感じだ。いつまでも右肩上がりということにはならないだろうから、いつかは横ばい状態から右肩下がりに転じるだろうが、まだまだ自分を納得させることはできない。

 
4月6日 尾平スラブの登攀
 3/29, 31と大洲では前回に続き一ランク上を目指した。まだ終了点まで達していないが、試技の度に一つ上にクリップすることができたので「良し」とするか。

 さて、4/5~6は尾平スラブ。昨年7月以来2度目となるこの岩場。夜来の雨の影響か、処々方々が濡れているような状況下でのクライミングのスタートは“蒲田行進曲5.9+”、次に“アルピニストT5.8”…いずれもまだ岩肌が乾ききっていない状況下にしては、それにこのスラブ二度目にしては、無難にこなした。場所を移動して“カモシカの声5.10”にオンサイトチャレンジ…Iさんの「面白いよ」との含み笑いの意味が取り付いてからわかった。何度もテンションのかけまくり、それになりふり構わずルール破りしつつ何とか終了点へ。このコースは傾斜もあり、いやな草付きもなく岩肌がすっきりしており、小さなホールド・スタンスを探しながらの登攀で、ここをうまく登れるようになれば一つ上の段階へ行ける、という感じだが、未熟さを思い知る結果となった。最後に昨年の課題“尾平越下部10-”は、最後のポケットを取りに行く際の右へのムーブに、この半年余りのトレーニングの成果が出たようで、何とかクリアできた。

 今日の尾平スラブは、CCCの例会とかで、どのルートも賑わいをみせた。我々(BBC…ぼちぼちクラブ)の3名は前夜から滞迫峡でキャンプを張りCCCのメンバーNGさんやA夫妻と交流を深めた。みんな山好き、クライミング好きで熱心な人たちだ。

  
  左:「カモシカの声」上部、右:「風に吹かれて(10-)」を攀じるNGさん

                      
                      尾平スラブの午後…岩肌がやっと乾きフリクションが利くようになってきた


 3月27日 墜落 腰痛 一歩前進二歩後退 仲間
 3/ 20, 24, 26と、仕事や出張の合間を縫うようにして大洲クライミング道場に通った。クライミングウォールは対象レベルを一ランク上げたこともあり(5.9➟10a, 10b)、よく墜ちた。しかも派手な墜落での宙吊りだ。新しい段階へ入ろうとするためのもがきかもしれない。

 一方、ボルダ゛リングでは壁の耐久時間をなるべく長く保持するよう頑張っているから、これまたよく墜ちる。下がマットとはいえ数メートルを跳び下りるのは、随分と腰に負担がかかる。背骨の軟骨がその都度圧縮されそうで、還暦過ぎの身長がその都度縮んでいく思いだ。お陰でこのところ腰痛が再発してしまった。落ちない登り方を考えなくてはいけない。

 今月はクライミングにかなり集中したがそのわりに成長度合いは捗々しくはない。それでも、昨日までできなかったムーブが今日できたりすることもあり、良い感触を掴みかけている。

 ところで、足繁く通っていることもあり、老若男女…いろんなクライミング仲間ができた。彼らからはいろんなテクニックを実演をまじえて教わる。呑み込みは悪いが、少しずつ頭の中で整理されつつある。

 
左:課題のピンクホールド(11a) O君の模範試技、右:カトウ氏の登攀…還暦でもこんなことが
 
 3月19日 恥ずかしながら
 クライミングを始めて8か月にしてやっとこさ、大洲クライミングウォールをテンションなしで上まで登れた。何とも遅きに失した感は否めない。言い訳っぽいが、これまでそれほどクライミングウォールに固執していたわけではなく、外岩と山(アルパイン志向)主体だったから、これまでの体たらくは当然と言えば当然のことと受け止めている。

 で、今月はボルダリングとクライミングウォールに集中したことにより、これまで見えなかったものが見えてきたような気がする。とりあえずは、もうしばらく大洲に集中してみようと思う。

 3月15日 我未だ完登せず
 13、14日、それに今日と、3日連続で大洲に通った。その間、家ではクリップを繰り返し練習したから、いくらかはパワーロスは解消されることだろう。しかし、大洲のクライミングボードで最も初心者向けの“赤ホールドの足フリー(5.9)”が結局のところクリアできなかった。最後のクリップのところでちょっともたついてテンションをかけてしまった。まあ、クリップがこれまでよりは上手にできるようになったので、テンションかける位置も最上段まで上がり、言わば自己記録更新だ。完登の日は近いぞ、ということにしておこう。

  ハングの最後のクリップでもたついてテンション

 なお、14日はO本さんの経営する碇山温泉に、クライミング仲間のエトウ青年とご厄介になり、ついでにすき焼きまでご馳走になり、ガストン・レビュフアだの阿蘇赤ガレ谷、谷川岳だのと、懐かしい青春時代の山の回想のひと時を過ごした。

 3月10日 クリップの重要性
 久しぶりにO本さんと一緒になった。最近はボルダーからクライミングボードまで幅を広げたことは聞いていた。ここ10日ほどはインフルエンザで伏せていたらしい。病み上がりとはいえ、相変わらずうまい。一緒に講習会を受講した“同期生”なのだが、今では大きく水を空けられてしまった。

 その彼のビレーなので、何とかここは意地でもテンションなしに上まで上がりたかったが、やっぱり最後のところで力尽きた。クリップが下手でこれに時間を取られ過ぎたことは軽視できない。途中から一緒になったカトウさんも含め同様な指摘だった。

 そこであらためてご両人にクリップを実演してもらった。「なるほど、うまいもんだ。わずか1秒だ」。こちらはというと昔流の岩登りだとカラビナを手に持ってザイルをかけていたし、オーバーハングなどではアブミに乗っていたから、カラビナにザイルを通すことなど、技術を要す余地があまりなかった。

 今、ハングで疲れた手に身体を預け、もう片方の手で瞬時にカラビナにロープを通す…もたもたしてはいられない。クリップは立派なクライミングテクニックだ。ついでながらもう一つ、クリップはあまり高いところではなく身体の胸位置以下くらいで…今日教わったこと。これらは、すでに師匠格のIさんに何度も言われたことのような気もするが。

  バックハンドクリップとフィンガークリップ

 3月7日 クライミング再開
 今日はNOBUさんや七個さんがクライミングの約束をしていると聞き、2か月ぶりのクライミングをご一緒させてもらった。このお二方の女性クライマーはムーブなどクライミングの基本ができており、しかも考え方がしっかりしているので、学ぶべことが多々ある。とりあえず“赤ホールドの足フリー”を2回…相変わらず最後のハングでテンションかけてしまった。まあ2か月ぶりのわりにはよく登った、ということにしておこう。

 3月3日 ボルダリング再開
 久しぶり、約4か月ぶりの大洲でのボルダリングだ。その間クライミングからまったく遠ざかっていたわけではない。どうも人工壁は性に合わないこともあるし、それよりも外岩(そといわ)での、いわゆる“岩登り”の方に惹かれることが多かったから、ボルダリングはしなくとも、クライミングそのものには何らかの関わりを持ち続けてきてはいた。

 岩登りの延長線上にアルパインスタイルがある。阿弥陀岳北陵や鶴見岳北谷にはこの冬かなりのエネルギーを注いでいたから、気持ち的にはクライミングの緊張感を維持してきていたつもりである。

 それにしても久しぶりの大洲ボルダリング道場は、年末に専門家による定期点検と再整備が行われたらしく、ホールド・スタンスの位置やコースが一変していた。そのこともあり、初心者コース一からの再挑戦になった。

 で、感じたことは「ちっともうまくなっていない。というか、後退している」ということだ。これは予想していたことではある。

 ただその反面、“岩”への恐怖心の克服やロープワークや、登攀器具の扱いなど成長した部分もある。体型や体力・筋力などは維持したつもりだし、いつもイメージトレーニングは欠かさなかったから、クライミングテクニックは、昨年よりは向上しそうな予感はある。

  3月2日(日) 過ぎたるは猶及ばざるが如し
 今冬は雪が多かった。昨年末以来八ヶ岳や鶴見岳北谷などでアルパインスタイル(の真似ごと)を楽しんでいるうちに春の訪れとなった。その間、クライミングそのものはほとんど休止状態だったから、体型や上腕、腹筋を維持するために、自宅ばかりでなく出張中でもホテルのデスクを利用するなどして机下クライミングトレーニング(1/30日記参照)だけは怠らなかった。というか、時に机下トレーニングをやり過ぎることが、ままあった。

 そのせいかどうか2月の初めに突如“突発性難聴”におそわれた。これは事件だ。ただ事ではない。慌てて耳鼻咽喉科に駆けこんだ。最初の4日間の投薬プログラムでは症状の改善がみられなかったが、次に下された6日間の別の投薬プログラムの効果は劇的だった。

 お陰で聴力は約1週間ぶりに戻ったが、7種類もの投薬を計10日間真面目に実践した結果、消化器系は相当ダメージを受けた。

 それにもかかわらず、約束事だったので阿蘇~九重⇒鶴見岳地獄谷⇒鶴見岳滝ノ谷⇒九重鉾立峠と、真面目にこなしたところ胃炎(胃潰瘍?)になってしまった。そんなこんなで2月は前、後半ともに大変だった。

 難聴の原因は今もって明確ではないが、自分では机下ぶら下がりなどで気張りすぎたことが何らかの遠因ではあろうと考えている。

 そもそもクライミングに必要以上の腕力は、上達の妨げになることはこれまでの経験から明白なのだから、“てげてげ”(ほどほど)でよいのだ。下手だから腕力に頼る。その腕力が弱くなると登れなくなるという不安感がつのる。この悪循環が今回の“事件”を生んだ

 すっかり暖かくなった。周りの仲間に出遅れないように、ムーブやバランスなどフリークライミングの基本を大事に、ブランクを取り戻すべく、胎動しよう。
  1月30日(金) 机下クライミングトレーニング
 アイゼンワークを目的とした昨年末の日出石鎚山岩場でのトレーニング以来、クライミングから遠ざかっている。ブランクをつくると成長も停滞するが、ブランクをつくらないと向上しようとする新たな精神的エネルギーが湧いてこない。しかし、ブランクと言っても何もしないわけではなく、冬場のこの時期、体重の維持、上腕筋力維持など最低限のことはやっておかないと…。

 登山は多様性のスポーツだから、登り方に様々なスタイルがあるのは当然だ。机の上で地図を広げ構想を練るとか、カシミール3DやGPSデータを駆使して自身の登山の軌跡を追うなど、いわゆる机上登山というのはよくある話だが、机下…読んで字のごとく机の下、机下トレーニングはすなわち机の下に潜り込んで行うクライミングトレーニングの一手法だ。頑丈な机であることだけが必要条件だ。
 
 具体的にどんなことをやるのかと言えば、まず机上の端に両指第一関節だけで、身体を宙に浮かしてぶら下がり、60数えるまで我慢する。次に、机下の足置きを使って腹筋練習を70回ほど、今度は再び机上端に両指第二関節までで、身体を宙に浮かす…これを60数える…次に腕立て伏せ50回、さらに机下に潜り込み、机上をオーバーハングに見立てて乗っ越し…これを右腕側からと左腕側から、墜落で後頭部を強打する危険があるので後ろに座布団を置くなどする。疲れるまでこれら一連の動作を繰り返す。

 果たして、こんなことでクライミング技術が向上するのか、という疑問符が残るが、とりあえず冬場のインドアトレーニングとして、少なくともただイメージするだけよりかは何ぼかマシだろう。

2013年


 12月22日(日) 日出石鎚山 40数年ぶり アイゼンと手袋での登攀
 正月の八ヶ岳行のための意思確認、計画行程確認、装備確認、役割分担確認を行った。また、コンティニュアス時のロープワークについても実地に確認しあった。最後にワンピッチだけではあったがグレード5.7クラスの岩場を12本爪アイゼン、オーバー手袋を着用して登攀した。久しぶりのアイゼン登山靴登攀ということで最初は緊張したが、すぐに慣れた。要は、スタンスをきちんと選べばよいのだ。
  
     装備のチェック              アイゼンとオーバー手袋を着けての登攀

 12月1日(日) 本匠井上タワー
 宿題になっていた下部の10aルートを選んだが、非力さのみが目立つかたちとなった。

 

 11月17日(日) 八面山 登山プラスクライミング
 普段は山頂付近の駐車場まで車で上がって上部エリアまでわずかな歩程だが、今日は律義に登山口から登山道を登り、ショウケの鼻を経て、上部エリアへ。
 中津山岳会のクライミングミーティングらしく、岩場は賑わっていた。風が強くホールドを掴む手がかじかむし、ビレーするのもダウンジャケットなしには寒くて震え上がるほどであった。
 それでも熱心に登攀を繰り返す皆さんに感心しつつ、数本登って早々と退散した。これじゃあ、うまくなるはずもないか。…この時期になると、クライミングのことより、冬山本番への体力づくりのことの方に気持ちが行ってしまう。クライミングはしばらく冬ごもりか。

 

 11月15日(金) 比叡山 第一スラブノーマル
 メンバー: 坂本、一色、O女史
  (コースタイム) ウメリア集合7:30→比叡山駐車場出発9:10→第一スラブ取り付き点9:30→坂本会員登攀開始10:10→Aピーク(8P終了点)15:45→北面下降地点16:21→比叡山駐車場16:53

詳しくは⇒こちら

          
            
リードなのだが2パーティ同時進行でロープがややこしい

 10月31日(木) 八面山
 
吉野、一色両氏らと。この両人はいつまでたっても終わりがないので、ひと足先に下山した。
   

 10月28日(月) 八面山
 
あまり果敢な登攀ではなかったが、トップロープながら10aを登れたことに満足しよう。

 10月22日(火) 比叡山 TAカンテ

 メンバー: 坂本、河室、一色ほか1名(以上岳連)
 (コースタイム) ウメリア集合7:30→比叡山駐車場出発9:03→下部岩壁登攀開始9:45→TAカンテ登攀開始11:48→Ⅰ峰ピーク(登攀終了)14:55→下山開始15:13→比叡山駐車場15:50

詳しくは⇒こちら
            

 10月13日(日) 比叡山 みつばつつじの道~TAカンテ
 
難易度の高い“みつばつつじの道”を目指したが、下部登攀で極めて厳しいとのリーダー一色氏の判断で、TAカンテに逃げた。

  

 10月10日(木) 大洲クライミング

 10月6日(日) 岳連岩登り講習会
 
詳しくは ⇒ こちら
 
トップロープながらも“表参道10b”をテンションかけずに登れたのがよかった。

 
9月21日(土) 本匠 前高エリア、宮前エリア
 前夜、本匠の岩場の開拓者の一人・吉野さんから「ルート整備をしたいので付き合って」との携帯コールあり。9:30、約束の宮前エリアで待つと軽トラに愛犬・ゴンを乗せたいつもの出で立ちに加え、何やら各種工具などを引っ提げて、件の吉野さんが現れた。「自分が開拓したルートの終了点にボルトを打ち加える」という。

 ところで、我々の頃のルート開拓と言えば、処女ルートを下から登りつつハーケンやボルトを打つ、時に墜落覚悟の微妙なバランス立ちの最中にやっとの思いでボルトを埋め込むなど、どの程度利いているかなどということよりも、その場の苦境から脱するためのその場しのぎのものだったような気がする。後で他のクライマーがそのボルトを利用する時は、そのクライマーの自己責任において、というのが当たり前の時代であった。ところが、今のスポーツクライミングにおいては安全が大前提、つまりボルトは抜けないもの、折れないもの、ということになる。当然、ルート開拓者には、打ったボルトの、のちのちまでの責任が持続することになる。個人的には、第三者である開拓者が打ったハーケン、ボルトを利用する場合、利用者の自己責任において安全確認後に利用する、というのが本来あるべき姿のはずだと思うけれども、PL法(製造物責任法)の世の中、あるいは訴訟型社会ともいうべき現在では、そうもいかないのだろう。本匠や八面山、尾平スラブなど大分県下で数多くの岩場を開拓・整備してきた吉野さんには、そういう責任を一手に負っているのだな、このことはすごいことだな、と素直に思う。

 さて、小生だが、前高エリアの中で前回テンションかけても登れなかった天上階段(5.10b)にトップロープで取り付く。このルートは4か所の核心があり、どのポイントも自分には難解だった。2回登ったがいずれも3番目の核心で手が離れ宙ぶらりんになった。まあしかし、前回含め何度もテンションかけたせいか次回はリードで登れそうな気がしてきた。って言うか、「次はリードしかないな」という思いだ。途中から雨が降り出し本降りとなるが、上部がオーバーハングしているので壁が濡れことはない。件の吉野さんは降り続く雨の中、このコース及び、隣りの表参道(5.10b)の終了点にアンカーボルトを電動ドリルを使って埋め込み、クライミングダウンしながら草取りなどのルート整備をしながら下降。いやまったく頭が下がる。



 大水車の東屋で昼食を済ませ、再び宮前に戻り、山椒はピリ辛ムー大陸(いずれも10C)に、吉野さんがかけたトップロープに追随する。両ルートは2ピン目で左右に分かれる。上部は完全にかぶっているのに、2ピン目まで比較的緩傾斜のためか、全体が易しく見える。このところ第二の人生で農業を始めた吉野さんにとってクライミングの時間がめっきり減ったこともあるだろう、かなり苦戦を強いられたようだ。「このコースの上部は手強いがよく探すとガチはある」…丁寧に探すと答えはある、ということのようだ。トップロープで上部の核心で腕力を使いすぎ手がホールドから離れた途端、身体がふわりと空を切る。この際思い切って手を休め、再挑戦で何とか終了点へ。下降の時、核心のみ再度冷静に登り直してみて思う、…「なるほどよく見ればガチがあるものだ」と。要はガチを取りに行く時にできるだけ足を使い手の負担を軽減するということだ。

 ムー大陸…今日の最後だ。これもトップロープだが「終了点までとは言わないがせめて6ピン目に触れてから降りてきて」との吉野さんの指令であったが、わずかに届かず宙を舞い戦意喪失。ここもトップロープではなくリードで可能性はある…次回の課題だ。

 9月12日(木) 大洲ボルダリング 一歩前進二歩後退 へたくそ 筋肉疲労
 一体どうしたというんだろう。学生の一時期部活で卓球をやっていた時は一年で四国インカレベスト16入りしたし、社会人となって囲碁を始めて数年で自治労A級県大会準優勝など、少しのめり込めばそれなりの域に達したのに、ボルダリングを初めて3か月、この体たらくは一体何なんだ。しかも青春時代にあれほど打ち込んだ岩登り…その経験を以てしてこの有り様だ。

 いや、自分じゃあ過去の思い出としてアルピニストの端くれとの意識が強かったが、そもそも大したクライマーではなかったのだ。アブミの操作や、吊り上げ、ボルトの上に乗っかる、ありとあらゆる‘何でもあり’の手段で登っていただけで、ルール下のフリークライミングはからきし下手くそだったのだ。フリークライミングを始めてみてそのことがよーく分かった。

 この日は同世代のボルダーAさん、Oさんの二人と一緒だったが、「ハシゴ登り」「手足がバラバラ」「わざわざ乗りにくいスタンスばかり選んでいる」…etcと、散々酷評された。まあしかし、いずれの指摘も的を射ていることだけは確かで、今後にサゼスションすること大なりだ。

 結局この日は赤3のムーブの反復練習と最も初心者用茶1でのキョン足始め手足の使い方に終始した。「何か変?」というのが傍観者の眼。…「今に見ておれ!」、だ。

 9月8日(日) 本匠前高エリア、神社エリア
 雨模様でいったんは大洲のボードに変更したものの、上がりそうな気配になったので急きょ当初予定の本匠に向かう。メンバーはI氏、O女史と、最近の不動のメンバーだ。前高エリアの5.9に先ずチャレンジ。見た目にも手強い感じを受けず躊躇することなくオンサイトでのリードを申し出る。約7分ほどで無難にこなした。ライバルのK女史も難なくこなす。次にとなりの10aだ。見た目には登れそうだがI氏の奮闘ぶりを見て手強さを感じる。実際、トップロープでもハングの乗越に始まり、いくつかの困難なポイントをクリアしたものの上部の凹角が越せない。しまいにはなりふり構わずシュリンゲをアブミ代わりにするも結果は同様で、下からはI氏の指示してているようだがよく聞き取れず、結局ギブアップ。結果論だが、凹角を直上突破するのではなく左のカンテの小さなホールド・スタンスを見極めながら、というのが正解であったようだ。てっきり続くはずと思ったO女史はまったくその素振りなし。どうやらこの人にとって、一度苦労して越せなかったところはトラウマになるようだ。



 次に神社エリアに移動。このエリアは一昨年、ここの開拓者吉野さんに案内されて来たところだ。杉木立に囲まれた壁面は傾斜がきつそうで上部で落ちればドリーネの上で宙ぶらりんは間違いなかろう、思ったものだ。多くのコースがあるが、グレードは最低でも5.10-以上ということだ。その中で弥生2011(5.10-)という、ショートコースにオンサイトでチャレンジ。2度ほどテンションかけたがどうにか終了点まで行けた。次のI女史はてこずりはしたもののテンションかけることなくレッドポイント達成。「ここで粘れるのなら、前高でも登ればいいのに」と思わぬでもない。

 11時過ぎから午後3時過ぎまで、3人だけなので効率は悪いが、その分ゆっくりと一人当たり3本で、今日のクライムを終えた。

 なお、今回の反省点を一つ。整備されたエリアとはいえ、不人気なコースにはすぐに草が生える。今回はその草を登攀中にむしりながら、また剪定ばさみで木を切ったり抜き取ったり、下で手のすいた者は片づけたりしていたが2度ほど落石があった。無防備というか危機意識がまるでなかったが2度目の一抱えほどの大石が落ちた時は生気をうしなうほどであった。

 8月22日(木) 3度目の八面山上部エリア
 過去2回トップロープではテンションかけずに登れた5.7、5.9の2本にリードで。「Hさん、見事に2本レッドポイントを達成。」とは、この日ビレー役を務めたI氏のブログから。少しでも前進したことに満足しよう。この日は忙しい1日だった。5時前起床→6:30~8:20安心院町の現地圃場で仕事→9:10~12:20八面山上部エリア→17:00~22:00福岡ドーム→22:40~24:00居酒屋浦島太郎。日中これまでと変わらぬ猛暑であったが、福岡は夜間何度も雷雨があった。長かった猛暑の夏もここに来てやっと秋の気配の予兆か。そう言えば1週間ほど前からツクツクホーシが鳴きはじめていたな。季節を忘れてはいなかったのだ。



 8月21日(水) 大洲クライミング 不相応なコースにチャレンジ
 I氏が登れなかった11aを下部だけ、トップロープで登らせてもらう。ハング上のカチに手が届いても越せない。三度チャレンジしたがダメ。足の使い方や重心(バランス)の問題だろう。次回の課題だ。

 8月20日(火) 日出町 初見参…石鎚山の岩場 病膏肓に入る エチケット
 日豊線の車窓から遠望する日出町の石鎚神社付近の岩場にいくつかのルートがあり、クライマーが訪れることは以前から聞いていた。石鎚山という、四国の石鎚山…格別の思い入れがある山…と同名ということに食指をそそられたことは確かだ。



 突然ですが明日早朝日出の石鎚に行きませんか」という夜遅い時間に入ったメールに、明日は福岡出張というのに何のためらいもなく「OK」を返信した。

 早朝6時過ぎに岩壁基部に到着。まず最初の印象は以下の通り。

 岩壁の両側は雑木で覆われ幅が狭いためコースは多くはない。他のパーティと鉢合わせになると譲り合いの精神が大事になろう。また、八面山、本匠などの岩場に比べると岩質が軟らかそう。それでも、ここの岩場の開拓、整備に心血注いでいる皆さんが居られることはウエブで拝見した。クライミングの世界では、登攀道具のほかに草刈り用の鎌やブラシなども携行必需品であることを最近知った。このことは開拓者に対する敬意としてが第一義的に、今一つは‘クライミング道場を共有し’共に維持管理に努めるためのエチケットとしても、共に必要なことなのである。

 さて、開拓者に敬意を表しつつ、まず中央の新しいボルトが打たれているコースをリードで登ることにする。マルチピッチということで中間のテラスでセカンドを迎え入れることになるので、師匠格のⅠ氏が未経験の私に一通りの手順を伝授してくれた。

 コースは傾斜が比較的急だがホールド、スタンスは気を付ければ大小ある。しかし、選び方を間違えると進退窮まりそうで少し気を遣う。全体的にクラックが多く、そこに挟まった浮石に用心しながら、ざらついた感触のホールドを慎重に選んでいるうちに中間テラスに到着。ビレー用のボルトが3本打ってある。

 ここで少しクライミングでの確保について今昔の話。40年近く前嵌っていたころの岩登りではメインロープでセルフビレーをとったのちリード登攀者に対しては、グリップビレーまたは肩がらみで後続を上げる、というのが一般的であった。これだと極めてスピーディな反面、信頼度は極めて低い。実際、若いころの登攀では「果たしてこんなもんで大丈夫かな」という不安感を持ちつつも「皆がそうしてる」ということで深く考えないようにしていたが、実際問題として自身も含め多くの転落に遭遇したが、確保しそこなったなどということは聞いたことがない。神経を集中させていたからだろう。

 一方、今風の確保は、リード登攀者が確保点まで上がりつくと①先ずデジチェーンというもので直ちに自己を簡易確保し、②次にメインロープによるインクノットで自己を本確保、③最後にATC確保器をセットしてメインロープを通して後続を上げる、というものだ。少々時間がかかるが安全確実な方法だ。言い方を変えれば安全確実だが時間がかかる、ということでもある。

 話を元に戻す。中間テラスで師匠格I氏の教え通り自己簡易確保、本確保を行った後、ATC確保器のセットの段になって教え通りの使い方がうまくできず、揚句、昔ながらの肩がらみ確保の折衷確保で後続を上げることになった。どうも年寄りは呑み込みが悪い。

 今日は福岡出張を控えていたので、もう1本だけ右のグレードの高いのをトップロープで登り、お先に下山。それにしても今日初対面、2本目のリードを務めてくれたS氏は62歳とか。クライミングの世界でも、60歳代は現役まっただ中、まっこと彼らはまだ自身が向上するつもりでいるのだから。

 まあそんなこんなだけれども、初めての岩場、久しぶりにドッペルも経験したし、ATCの使い方も懸垂下降も含め少し幅が広がったし、短時間ではあったが有意義であった。

 8月16日(金) 大洲クライミング 前回よりわずかでもどこかに進歩?
 忙しい会社はすでにお盆明けかもしれないが、今日も休みと決め込んでおり霊山でひと汗かいて朝食後くつろいでいるとクライミングのお誘いがかかった。

 まず赤ホールド5.10aをトップロープで。このコースはトップロープ下でも未だにテンションをまったくかけずに終了点に達したことがない。そこで「今日こそは」との思いだったが上部ハング帯のラスト1ピン辺りで、ホールドを掴んだ左手が力なく不本意ながらテンションをかけてしまった。まあ、最高到達点を更新した、ということでクヨクヨしないことにしよう。

  「一つのコースを完璧にクリアしないと次に進めない、進む気になれない」という、融通のなさが自分のもって生まれた性格であることは承知しているが、クライミングの世界では、登れないと分かっていても難易度の高いコースにチャレンジしていると、これまで歯が立たなかったコースがいつの間にか登れるようになっているという場合がある。まあそんなことで11aという自分には不相応なコースにチャレンジしてみたりした。少々無謀すぎる感無きにしも非ずであったが、まったく手も足も出ないということでもなさそうで少し希望が湧いてきた。

 8月10日(土)本匠クライミング
メンバーは、本匠岩場の開拓者の一人でもある吉野さん、それにG女史。先ずは‘井上タワーエリア’というところ…ここはこの時期午後になると直射日光をまともに背に受けることになるということで、午前中一番にこの場所を選んだ。ここのエリアでは初心者向けコースは一つしかない。‘南天’(5.9)がそれだ。吉野さんにトップロープをかけてもらっての最初の試技では問題なくクリア。「うん、これなら大丈夫。次はリードでいってみて!」…ということでリードで登るも、最終手前のピンを終了点と勘違いするドジをしたが、技術的にはここは問題なさそう。次にとなりの‘ちょっくら’(5.10)「初心者向けガバ系だが、上部に核心あり。」ということで、リードのG女史は上部の核心で何度もテンションかけながらも相当長時間ねばって終了点へ。簡単にはあきらめない、その根性は見習わねば。問題の‘核心’というのは最終ピン直下にあり掴みどころのないピンチ(縦ホールド)を横にうまく利用するところが‘ミソ’なのだが、なんどやってもうまくいかず、‘吉野師匠’の模範演技を見物した後に再チャレンジして、結局何度もテンションかけごまかしつつ終了点へ。

  吉野氏(左)とG女史(右)の登攀

 午後は河原でいったん休憩したのち場所を‘宮前エリア’に移動。ここはドリーネのの窪みの周囲に展開する垂壁で上部がかなりかぶっている。加えて、クラックやポケット(穴)により岩肌が全体に荒々しい。こういう岩には「落ちたら痛いだろうな、ただでは済みそうもないな」といった恐怖心が先走る。吉野さんがリードでロープを張り「だいぶ疲れてるだろうからせめて下部(=中間点)までだけでも」と、柔らしいがき拒絶を許さない口調で勧められる。かなり腕力を消耗しながらも、どうにかもう一掴みで難所はクリアできる、と思った途端、身体が岩場から離れ、ドリーネの上を宙に舞った。「傍目にも少々強引だったね」と吉野氏。次回の課題だ。

 8月2日(金) 大洲ボルダリング 落胆
 腕力による強引なハング登りよりも、細かいホールドやムーブなど、クライミングのテクニックの要素が要求されるコースを主体に練習したが、以前にできていたことができず、むしろ後退している感じ。落胆した時間になった。

 8月1日(木) 大洲ボルダリング ライバル
 久しぶりにボルダリングをしてみたくなって大洲に向かった。猛烈な暑さが続くこのところにもかかわらず、午後の西陽を受けたむせ返るような‘道場’には汗だくになりながら一人黙々と励む人あり。Oさんだ。彼とは、6/8クライミング講習会を一緒に受けた間柄なので、ほぼ同時期に始めたことになる。Oさんはアラ環世代で若いころは大分RCCでバリバリやっていたらしい。約2か月後に見る彼のクライミングの成長ぶりに驚かされる。聞けば、ボルダリング専門にほぼ毎日やってるとか。こちらはボルダリングよりも野外のクライミング中心に変化してきているので、高度に対する慣れとかロープさばきなどは向上してもクライミングテクニックは横這いかもしれない。「腕に頼りすぎてますね」とか「足の置き位置がまずいですね」とかいちいちごもっともな指摘にいつもより奮い立ったのか、前回までの課題・黄色4(145度のハング)をクリア、黄色5も最終ホールドにあと一つまで行った。

 しかしそれにしてもムーブなどの課題ではむしろ後退しているようで、同世代に少し水をあけられた感があるなあ。

 7月28日(日)八面山
 前回トップロープで登った上部の5.7、5.9の2コースは今回もまたリードで登らなかった。このところスラブを経験していて傾斜のきついコースに戻ってみてその落差に恐怖心が頭をもたげたためだ。ここを含めいくつかのコースに取りつくがいずれも不満足な結果だった。最後に場所を変えオーケストラボックスと呼ばれるショウケの鼻に近い岩場で、小学生も登ったという5.7コースを勧められ、とりあえずリードで登り切る。もう一つ5.9には悪戦苦闘。「あまり進歩してないなあ」を実感する一日になってしまった。

O女史の登攀

 7月25日(木) 大洲クライミング 相変わらず
 このところ野外での、いわゆる岩登りも経験し、リードで登ることも多くなった。場数も踏んだ。今日こそは大洲のボードをリードで、テンションをかけることなしに登ってやろうと張り切った。問題が一つあった。クリップ(カラビナにロープを通す作業)だ。若いころの岩登りではカラビナをしっかり持って通すのを当たり前と思っていた。スポーツクライミングの世界では基本的にカラビナを持って身体を預けたりしてはならないのだ。ハング帯の宙ぶらりんのカラビナに片手だけで素早くロープを通すのが、結構難儀な作業であることを…つまりスムースなクリップというのが、一見当たり前のようだがクライミングの重要なテクニックなのだ。もたもたしている間に腕力を消耗、せっかく通しても下から「通し方が逆」とのコールでやり直し。そうこうしながらやっとの思いで最後のハングの直登の段になった時には上腕を消耗し過ぎでリタイア。



 家の庭に忌まわしい蚊たちが居なくなる秋になったら、庭の立木の枝にカラビナを右に左にぶら下げて、右手や左手でスムースにロープが通せるようになるまで特訓をしようと心に誓う。

 7月21日(日) 尾平スラブ 肉体改造計画道半ば
 このところ大洲体育館のボルダリングなどの回数がめっきり減った。というのも、塚原、八面山、比叡山など自然の岩場に接する機会が少しずつ多くなり、人工にはない、自然の岩場に対する魅力を呼び覚まされているからだろう。そう、呼び覚まされているというのが適切な表現だ、かつていっぱしのアルピニスト気取りで八面山、傾山、比叡山、行縢山、穂高、剣の岩場に挑んだことのある者にとって。

 さて今日は、初めての尾平スラブ。大洲などで最近よく面倒をみてもらっている皆さんに加え、この岩場の開拓者・吉野さんも飛び入り参加で総勢8名。

アルピニストTの登攀

 1本目は最も初心者向けの‘アルピニストT’(5.7)をトップロープで。ここの岩場は全体に緩傾斜、その分ピンは要所にしかなく、運悪く落ちれば花崗岩のざらざらした岩肌によりただでは済みそうもなく、多分服はボロボロ、皮膚も相当擦り剥くだろうな、などと不安がよぎる。クライミングシューズの、花崗岩の岩肌に対するグリップ力に驚きつつも、どこまで信頼してよいか感触がつかめないままに、2本目は同じルートをリードで登ったが、初心者向けということもあり先ずは無難にクリア。

 次に、いきなりグレードを上げて‘緒方2001’(5.10a)…これはトップロープでも難しすぎたか、途中でギブアップ。場所を移して‘極楽トンボ’(5.7)を吉野さんのビレーでリード。さらに‘夏休み倶楽部’(5.9)…ここもリードでそれなりに楽しめ、「眺望も楽しんでください」との下からの声に反応して初めて壁から後方・周囲へ眼を移すと奥嶽川流域の山々が飛び込んできた。

 最後は‘尾平越’(5.10c)だったかな…終了点直前でのクライムにちょっとした工夫が要る。一つは右横の握りこぶし大の穴に右手を届かせるための体重移動に、いわゆるムーブというテクニック、今一つは、この握りこぶし大の穴のホールドとしての使い方だ。吉野氏はここで身を以て正解を示してくれた。ところが先ずこの穴に右手を届かせるべく体重の右横移動として両足をムーブするところ…ここでバランスの悪さを露呈してしまい何度かのテンションを余儀なくされる。次にやっとこさ届いた穴の使い方…。掴みどころがないのだ。ここでもロープのお世話になる。しかし途中、「そういえば先ほど吉野さんはアンダーホールドとして使ってたな」と思いだし、どうにかクリア。「次は今のところをリードでいけるやろ?」と言われても、「う~ん…」と唸るしかない自分であった。

 教訓:難しい箇所は頭の切り替えを!きっと答えがあるはず

 フリークライミングのグレードの基準がよくわからないが、八面山のいくつかのルート、それにここの各ルートから判断して自分の、現時点のクライミングの力量はグレード5.7~5.9のレベルかな。

 4月の初めには体重60.5~62kg、心拍数54~55だった自分が今、体重57.0~58.5kg、心拍数46~48。鉄棒での懸垂上がりも10回以上、左右の片足立ちもできるようになった。あまり痩せすぎるのもいかがなものかと思うが、もうちょっとだけクライミングに適した身体づくりのための肉体改造を継続したい。

 7月17日 比叡山38年ぶりの再訪
 比叡山の岩場は、大分登高会会報「登高」によると1975年5月25日にⅠ峰南壁右岩稜を登ったことが記録されている。また、「1日で右岩稜と正面壁ニードルを継続して登ろう」などと提案したことも記されている。しかし、38年ぶりに訪れた比叡山の岩場にあまり明確な記憶が甦ってこない、…対峙する矢筈岳、比叡山の顕著なニードルを除いて。千畳敷は人工色はまったくなかったような気がするが、展望所として整備され、スイカを冷やしたことが甦ってきた祠の下には立派なトイレとクライミングのメッカであることを強調する案内板が設置されている。変わったものだ。
  
    リードする一色氏       今のビレーは安全第一、念には念をということで、ややこしい

 さて、今回登ったコースについて、古い記憶の中にある右岩稜付近との関係がまったくイメージできないが、花崗岩のざらついた感触は甦ってきた。今回終始先導役を務めた一色さんのブログによると、

「前略…今日はBBCのメンバーと共に早朝発、取り付き7時過ぎから3人で登り10時頃終了。何とか暑さをクリアーすることが出来た。久し振りに3KNに取り付く。1ピッチ目は微妙に濡れている感じがして、いやらしい。最終ピッチとその前のピッチを合わせ、Ⅳ+だが、ルートファインデイングに気を使いながらロープ45mいっぱいでくぎり、終了。…後略」

 技術的な問題もさることながら、全体にボルト間隔が遠く、また、うっかりすれば別ルートに入ってしまいそうでルートファインディングの難しさが伴うルートという印象であった。終了点で昼食のパンをほおばりながら、眼下の鹿川渓谷を眺めていると古い記憶が少しずつ鮮明になってきた。

 7月14日 大洲 ボルダー 行儀作法
 前回(7/3)の課題であった黄色4のクリアが目的。クライミングシューズに履き替えて忘れ物に気づき、クライミングシューズのままいったん外に出て再びホルダリング用マットにそのまま上がろうとしたとき、「あのーオタクねえ、マットから外に出るときはいったん履き替えてからにしてくれませんかねえ。」と傍らの中高年に諭される。「なるほど、言われてみればあなたのおっしゃる通りですね。ここは道場みたいなもの、土足では無礼千万ですよね」と殊勝に応じる。多少唐突に出鼻をくじかれたような気がしなくもなかったけど、恥ずべきは己の行為だものね。

 さて、懸案の黄色4だが、前述にやり取りの後、黄色の4で行き詰っている旨伝えたところ件の中高年氏が模範演技をしてくれた。歳の程は少し若いくらいかなとは思ったがどうやらかなりの経験者らしい。そのアドバイスよろしく、これまで掴みどころのないと思われた大きなホールドも、足の位置を思い切って上に上げることによりフリクションが効かせられるようになり、うまく掴めさらに上2つのホールまで上がることができた。ゴールまであとわずか。前回よりも少しでも上まで到達できたことに満足することにしよう。

 7月3日(水) 大洲ボルダー課題・黄色3クリア、黄色4が新たな課題
 大洲のクライミングボードのつもりであったが、大雨のためボルダリングに変更。6月24日以降の課題は黄色3。課題は重心の横移動。足の位置を考えているうちに、遠かったホールドを掴むことができ、何とかクリア。

 次の課題・黄色4は、これまでの110度くらいの傾斜から、145度のいわゆるオーバーハングとなる。腕力も要求されるが、腕力だけではない。必要最小限の手数による省エネでここぞという時のために腕力を温存しなければならない。足や身体のムーブをうまくやらないと…難易度が一段と高くなったと感じた。このところクライミングでビレーしてもらう機会の多いオグラ女史には、この黄色4のクリア目前であり、常に一歩先を行かれてる感じだ。

 6月30日(日) 初めての‘リード’(ザイルのトップ)
 終日雨の予想であったが小降りなので霊山にボッカトレーニングに出かけた。登山口付近でクライミング師匠の一色氏から電話が入る。「別件のクライミングがありこのところ面倒みてないので今日はA女史に付き合うよう話しておいたから」と。で、急遽大洲体育館クライミングに予定変更。

 午前10時過ぎA女史とW夫妻の4名…どうもA女史が私と二人では心もとないのか仲間を呼んでくれたらしい。いずれにしても今日でこのクライミングボードも5回目となるし、そうそういつまでもトップロープでというわけにはいかない、ましてや師匠格も居ないとなればなおさらのこと。「今日はリードで」と腹を括る。

 さて、赤コースを3/4まではどうにか腕力に余力を残しながらも上がってきた。「足のムーブにも意識していることが分かった」とはA女史。最後のハングのフェース4m…あと残すところ4回のクリップ(ロープをカラビナに通す作業)で終了点だが、ここに来て疲れた左手で通すのにうまくいかず、そのうち右手が疲れてきてロープをテンションしてしまう。競技ならばこの時点で終了となる。が、しばらくロープを張ったまま腕を休め、そこから再度上りはじめる…これを4回ほど繰り返してどうにか終了点へ。まったくなりふり構わずって感じだったろう、周囲の眼には。

 リードでの登りでは、クリップするためにロープを(主に)左手で引き上げ、いったん口にくわえ、再度引き上げる、つまり2回引き上げないと頭上のカラビナに届かないし、その間もう一つの手に身体を預けている…当たり前のことだが、引き上げたロープの遊びの倍の長さ分だけ落ちてしまうから、手際よく通す必要があるのだが、これがなかなかどうしてうまくいかない、昔の岩登りでも随分経験したはずなのに、だ。

 とにもかくにも、‘リード’というクライミングの大前提となる登り方で曲がりなりにも上まで到達した。今日を老年クライマーへの道の出発点としよう。また、傍目には遅々として進まないように見えるかもしれないが「前回より今回、今回より次回」…ごくごく僅かずつでも新しいことを体験していることで、あまりくよくよしないようにしよう。

 6月24日(月) 大洲ボルダリング 黄色1,2をクリア
 毎月曜日朝イチの仕事を終え大洲体育館に着いたのが11時半前。雨で濡れたボードを見上げながら「濡れたホールド、スタンスこそ、正しい掴み方、乗り方が判る」ということらしい。こちらはボルダリングの、前回からの課題・黄色1にチャレンジ…トラバースで振られそうな身体は足からの重心移動で難なくクリア。続いて黄色2も1と同様な課題でクリア。ところが3になるとホールドが急に小さくなり、それに掴む順序を間違うとどうしようもなくなる。ここに来て足の使いこなし方、順序など、いわゆるフリークライミングならではのテクニックを要求されることになった。

 ところでこのところ感じるのは、登山における岩登り(クライミング)では登り方の答えはいくつも用意されているが、ボルダリングやクライミングの難易度が高くなればなるほど、まるで方程式の解のように答えは一つしかないのでは、という気がすること。実際、黄色3を二人の人に頼んで模範解答をしてもらったが、ポイントとなるところでの重心の移動、掴む順序は同一であった。

 6月23日(日) とりあえずのところ
 八面山のつもりが、雨のため大洲体育館のクライミングボードに変更。

 ここのクライミングも今日で4回目となる。これまでは皆さんに甘えてきたが、だんだんトップロープをお願いするのも気が引けてきた。が、トップロープでさえまだ13m頭上のゴールに届いていないのだ。

 

 一番易しいコース(赤)を、といってもスタートからゴールまでは2.5m以上も張り出しているのだが、これまでの試技ではせいぜい5分の3程度だ。だから今日は何としても最上のボルトにタッチするぞとの思いの1回目は最後のハングに挑んだところで力尽き、「あそこまで行ったのに何で?」と周囲の眼。次いで2回目はあと2mのところでギブアップ、そして3度目はゴールのボルトに両手タッチするまでは降りてこないぞ、との気持ちながらあと1mのところでホールドを掴んだ手が身体を支えきれずトップロープのお世話になる。しかし、そのまま降りることはせずいったん休んだのち何とか上まで登りきる。

 今日の経験からしても、まだリードで上まで登りきる自信が得られたわけではないが、高度感や宙吊りに対する慣れ、スポーツクライミングと登山における岩登りとの差異が少しずつ判りかけたような気がする。

「初心者がそういつまでも長時間コースを占拠するわけにはいかないね」と呟くと傍らでビレーしてくれていたA子さんいわく「大丈夫ですよ。赤(初心者コース)を登る人はほとんどいませんから」と。「次回はトップロープは卒業しリードで登らないと」というのは、周囲からの無言のプレッシャーではなく、元アルピニスト、元大分登高会のプライドみたいなものがそういう気にさせるのかな。やれやれ…だんだん深みにはまりのっぴきならないことになってきたぞ。

 6月22日(土) ポッチャリ型
 長崎からの帰りそのまま大洲に直行。今日は新品ロープのお披露目…「ロープ初おろしならリードでなくちゃあ」と言われ、仕方なしに初のリードでの登りは3個目のカラビナに通すところまでのセレモニーでお茶を濁し、トップロープでの前回到達地点の更新を狙う。結局は前回到達地点と大差なし。「足のムーブに努力の跡が見られるね」との慰めの言葉を周囲から頂戴した。

 指摘事項 ①つま先でのムーブ、②3点支持を捨て去り2点支持で、③へそが壁に着くくらいに、④原則右手のホールドは右足から、左のホールドは左足から

 それにしても今日は50歳代、60歳代のポッチャリ体型(失礼!)の女性と代わる代わるの試技であったが、お二人ともにリードで登って行く…明らかに今の自分より技術は上だし、しかも決して諦めない。この諦めない、簡単には降りてこない、という姿勢は見習わねば…。どうみても岩登りとはおよそ縁のなさそうに見える体型にもかかわらず、しかも「鉄棒もできないという」女性が、しなやかに登る様は、ちょっとしたヒントが得られそう。

 一方、ボルダリングの方は課題のであった黄色1上部のトラバースはうまくいったがゴールのホールドに手が届いたと思ったら墜落…前回よりほんのわずかな進歩でも、前向きにとらえよう。

それから悪戦苦闘の最中に仙台の鈴木君からSMS「今丹沢山頂です。朝は好天でしたが現在は曇りです。蛭ヶ岳は断念。のんびりして帰宅」と。

 6月18日(火) ロープは個人装備、塚原ボルダリング
 落ちることが前提、落ちることを甘受するスポーツクライミングの世界では、ロープの消耗は激しい。だからいつまでも他人様のロープと好意に甘えてはいけない。そう、ロープは個人で準備すべきものなのだ。そこで昨日、山渓にS君を訪ね、お奨めの10.2ミリ50メートル(マムート)を購入、ついでにグリベルのヘルメットも。その折、「明日は安東さんと塚原にボルダリングに行きますよ。よかったらどうぞ」とS君。どうやら、平日不定期にしか休みが取りづらい彼のために安東氏がお付き合いしてくれるらしい。しかも場所は、知る人ぞ知る塚原のボルダリング道場だという。


 となれば何はさておいても「是非とも」…ということになった。で、今にも降り出しそうな空を案じながら塚原へ。

 まず最初は飛岳手前、県道から少しそれたところの岩場。高さは6mくらいか。上からビレー用のロープを垂らしてもらい、左のフェース状のルートは小さなホールドをうまく使いながら、右の垂壁は要所にガバ(しっかりしたホールドをこう呼ぶようだ)があり、どうにか登れた。意図的に足を上手に使おうとしたが、果たして傍目の二人にはどう映ったことか…。1時間ほど楽しんだ後、場所を車で移動して由布院側に転戦。ヘアピンカーブ付近から牧場の鉄柵を乗り越えての侵入。ここには6,7m級の格好の岩場が点在する。何という名の岩場?と問えば「さあ、通称・カーブの岩場かな」と安東氏。左のリッジ状のルートは小さなホールドを拾いながら、右の垂壁は最後締めくくりのかぶり気味の乗越に微妙なバランスが要求され、跳ね返される。次回の宿題ができた。



 11時過ぎ、3人とも午後からは用事があるので、本日はここまで。若いS君は、過去にボルダリングは経験があるが、野外のフリークライミングは始めたばかりだ、とか。ジェネレーションギャップはともかく、スタートラインを同じくする仲間としてお付き合い願いたいね。前回の大崩山百谷で痛めた腰が完治しない安東さんには、専ら案内とビレー役に徹してもらった。有難いことだ。

 6月17日(月) 大洲でボルダリング
 朝イチの仕事を終え11時過ぎから1時間ほど課題に挑戦。前回は茶色の4までだったので茶色5からだ。少し強引だが難なくクリア。グレードがアップして黄色1に移る。終了点がスタート位置より1m以上右にある。その分身体が振られる。上部のトラバースが何度やってもうまくいかず、傍らの若者に「模範をみせてよ」と頼む。「この中でよりによって一番下手な僕がですか…」などと言いながらも、模範を難なく示してくれる。結果、一つホールドを見落としていたことに気付くが、それでもその後もうまくいかず次回の課題とする。月曜日の午前中、ボルダリングボードには6,7人の、ほど良い人数の若者が145度のハングに代わる代わるチャレンジしながら、お互い顔見知りだろうか、楽しんでいる。聞けば、週末仕事で月曜日が休みとか。感じの良い若者たちばかりで、時々教えてもらえそうだ。

 6月14日(金) 初めての八面山フリークライミング
 八面山頂上直下には、大分県下で本匠と並び称せられるフリークライミングの岩場があることは聞いていた。もちろん、30数年前に悪戦苦闘した八面山南壁サニーバンド正面壁のほかにも、ということだが。一色さんからのメールでの集合場所は山頂駐車場。メンバーはオグラさんと3人だ。

 駐車場から山頂三角点方面へいったん下り着いたところから登山道をそれ右手に踏み跡伝いに10分ほど下ったところが今日の目的の岩場だ。茂みの中に隠れてはいるが、高距15~20m、すっきりした垂壁に数多くのルートがある。

 先ずは向かって一番右手、グレード5.9、約10mほどで、ここの岩場では一番易しいルートに挑戦。もちろん、トップロープでだが。最後のところはルートを安直に右の草付きに逃げ、これはこのルートの製作者の意図をないがしろにするもの、反省しきり。次に壁の左側の20mグレード5.9、これもトップロープで何とかロープに体重をあずけることなく登り切れた。オグラさんから「上からの眺めは良いでしょう?」と。そんな余裕はなかったが、言われてみてふと我に返ると、枌集落方面が一望できなかなかの眺望だった。

 若いころの岩登りと言えば、専ら登山靴だったので、クライミングシューズ靴底・つま先のグリップ力に感心させられる反面、どこまで身体を委ねてよいのやら、まだまだ感覚がつかめていない。



 もう一つ中央の一本、グレードはこれまでの2本に比べ明らかに上とのことで、トップロープにもかかわらず、途中まででギブアップ。

 何十年ぶりかで触れた‘生の岩肌’の感触は悪くない。クライミングボードでのクライミングは、登れなくてもそのうち飽きるだろう。その点、これまで何十年も封印してきた本物の感触を体験し、引っ込みがつかなくなりそう。が、この感じはいやではない。

 6月13日(木) 大洲体育館ボルダリング
 仕事帰りに立ち寄る。夕方4時過ぎ…平日のこの時間はまだ利用者は居らず、鍵をもらって‘道場’に入る。一番やさしいグレード(茶色)のコース1から4まで順にクリア。ただ上まで登ることよりも足の位置、身体の振り方、脚力の上手な使い方など型にこだわった。5時前くらいに入ってきた若者は、非常に手足をしなやかに使いながら軽やかに登っていた。その様を眼に焼き付けて早めに退散。

 6月10日(月) 大洲体育館 再度のクライミングウォール
 先日のクライミング講習会の際、講師の吉野さんが「仕事が忙しくてクライミングに充分に付き合ってあげられないから、面倒見の良い人を紹介するよ」と紹介してくれたのが一色さん…その彼から早速メールが入り、8日に途中までとなったコースの再挑戦となった。

 朝イチの仕事を終え急ぎ駆けつけるとすでに1本登り終え(筆者のために)トップロープを張り終えたところで、今日のパートナーとして、仲間の女性クライマー・オグラさんを紹介していただいた。まず、ひとしきり心構えと注意事項をおさらいしたが、吉野さんの薫陶を受けたというだけあって、クライミングの技術的事項全般はもちろん、心構えというか取り組む姿勢のようなものまで共通点が多いと感じた。

 早速先週8日のコースの再挑戦となったクライミングの方は、オグラさんにビレーしてもらって緊張したのか前回よりも少し手前でギブアップとなった。足のムーブだとか、キョン足だとか、がむしゃらに登るよりも少し時間がかかりながらも「ここはどこに足を置くのがベストか、右足か左足かetc…」と理屈をこねながらだから、前回より後退したことにはそれなりに納得している。

 6月8日(土)待ちに待ったクライミングボード利用資格講習会
 13時30分、高さ13mのクライミングボード前の広場には50人を超える受講者…大半が40歳代以下、女性も結構多い。そんな中を見渡しどうも最年長者は自分らしいことを確信。16時半までの長丁場の講師は、旧知の吉野さん(大分県山岳連盟クライミング部長)だ。傍らで助手を務める山本さんは…大分国体の時のクライミング成年女子のベストエイトとか。この講習会で、かなり以前に岩登りに嵌ったことのある筆者の印象に残ったことは、①クライミングでは落ちることが前提、②危険は下の方にある、③ロープ(昔はザイル)は引っ張り強度が飛躍的に増大しており、しかもよく伸びる、④ロープは個人装備、⑤3点支持の概念を捨て去り、ムーブの活用、などなど。



 実際、体重40キロ台半ばほどの彼女が意図的に転落して見せた際のロープの伸び方、模範試技としての難しそうなコースを、身体を左右にひねりながらその都度スタンス上の足先の在り様を変化させていく…まるで軽やかなにダンスを踊っているような登攀技術には驚かされたね。

 さて、講習会終了後、吉野さんから「せっかく講習を受けたのだから1本登りなさいよ」ということで、吉野「リード(いわゆる‘ザイルのトップ’)?」、私「とんでもない!」、吉野「じゃあトップロープ(ザイルを上から垂らして確保してもらう)で」といったやりとりののち、吉野さんが上まで軽やかに上がっていく。「うまいもんだ」と感心しながら見上げていたが、当の本人さんはビレーする私のロープの出し方がスムースでなかったため、相当なストレスを感じていたらしい。

 さてさて、上から垂らしてもらっているとはいえ、いよいよフリークライミング(ボード)初挑戦だ。登る前の印象は、トップロープなら何とかなるだろう、だったが、果たして結果は行程の2/3までがやっと。最後4mほどのハングのフェースで力尽きたって感じだ。初めて、加えて皆に観られているということからの緊張感、いや、そんなことよりも相変わらず腕力に頼り過ぎ力尽きたって感じかな。

 なにはさておき、晴れて‘大分県立総合体育館クライミングウォール利用者認定講習会受講証明書’を手にして張り切る気持ちに、この歳でも老若の差はなかろう。

 6月4日(火) 再びブラボークライミングにて
 今朝は大分に移動するだけだ。こんな時は朝イチのJR大分駅に乗るのがこれまでだったが、昨日の宿題に心残りがあり、再びブラボークライミングへ。

 開館直後、客の居ない静かなボードを前に、いきなり黄色8に挑む。145度の傾斜でほとんど腕力だけが勝負(上級者はこんな傾斜でも足を上手に使うものだが)という強引な登り方でクリア。直ちに黄色9に、というところで後続の客に先を越され、やむなく一つ飛ばした黄色10…身体のひねりを要求されるが、わりと簡単にクリア。黄色9に戻る。ガバ(指ががっしりと掴めるホールド)がなく、摩擦力を利用しながら直上したあと別な145度のボードに移ることになるのだが、これが何度やってもできない。インストラクターに模範演技をお願いするが、ボルダリング歴11年という彼、しばらく何やら指の動きをシミュレーションしたのち少々てこずりながらも流石、一度で登ってしまった。続く私、なんとなくイメージできたがうまくいかず、黄色9のクリアを次回までの宿題とする。

 6月3日(月) ボルダリング(天神ブラボークライミングにて)
 大洲の県立体育館クライミングボードは講習会を受講しないと使用資格が得られない。講習会は2か月に一度で6/7開催予定、阿蘇‘クランプ’でのボルダリング(5/1)以来ひと月、一日千秋の思いで専ら減量のためのトレーニングと筋トレに明け暮れた。そんなとき福岡天神にボルダリングジムがあることを知った。‘ブラボークライミング’がそれだ。福岡出張の機会を利用しクライミングシューズとチョークバッグなどをデイパックに携えて、会議終了後ホテルからジョギングがてら、早速訪れた。

 先ずは入会手続きと受付嬢による簡単な説明を受ける。「初心者向けピンク色の番号1~10を番号順にまず登ってください。この10コースはたいていの人はクリアできます。それらをクリアしたら黄色番号1~10を順に…、難易度が上がってきますよ」とのこと。

 さて、指示通りの試技を順にスタート。ピンク1~10は難なくクリア。しかも、腕力の消耗は少なくまだまだ余力はある。阿蘇‘クランプ’でのわずか一度の体験とはいえそこは‘昔取った杵柄’、その体験と反省に鑑み、あれからひと月の間、ランニングとヘルシア緑茶による減量、上下半身の筋トレ、トレーニング法の改善とイメージトレーニングなどにより、思いのほか軽快に登れた感じだ。

 黄色番号のコースになるとホールドがやや小さくなり、グリップ力や横のバランス感覚の求められ方が増してくる。それでも1~7までは、油断による二度の再試技はあったもののクリア。ここで黄色8のコース・傾斜度145度のオーバーハングにボードを移す。ここにきて上腕の乳酸が溜まってきた。ほとんど休みもとらずの1時間だったから。おかげで少しの休憩ではとても腕力は回復しそうにない状態のまま番号8コースにチャレンジ。

 結果は、手も足も出ないままのギブアップと言った感じだ。受付嬢に7と8の間の差が大きすぎるが間違いないのか、と尋ねてみると、くだんの受付嬢「(間違いありません。たいていの人はここでつまずきます)次回は黄色コース8からスタートですね。それにしても(その御歳で)いきなり黄色7までクリアするなんてスゴイ!」とさらり。どうやら、「なるべく多くの客をリピーターになってもらうためには褒め上手になること」と教育されているのかもしれないが、そのことを差っ引いても、ひと月前初心者用わずか4コースを登っただけで腕力がなくなった阿蘇‘クランプ’での体験からすれば、上達というか勘を取り戻しつつあることを実感したひとときだったね。

 5月1日(水) ボルダリング 阿蘇“クランプ”にて
 このところの霊山登山で木登りや枝のぶら下がり、懸垂上がりを取り入れているのには、バランスのとれた体力づくりはもちろんのことだが、そればかりではなくフリークライミングのことが頭にあってのことなのだ。しかし大洲の体育館のクライミングボード使用には岳連講習会修了証書の提示が必要だし、講習会は6月8日とまだ先の話だし、とりあえずのところ具体的な目標が定まらないままの上腕トレーニングであった。

 そんな折、たまたまTVニュースでこのGW賑わっている観光スポットの一つとして紹介されたのが‘クランプ’だ。阿蘇内牧にありボルダリングとMTBが楽しめるらしい。近くに‘花阿蘇美’という 家内が喜びそうな花市場もある。そこで、‘肥後赤牛のステーキ丼’と‘花阿蘇美’を撒き餌に家内も一緒に急きょ阿蘇に出かけた。

 くだんの‘クランプ’は、GWの中休みということもあり、幸いなことに客は女性ボルダーとそのつれあいの二人のみ。難易度の比較的高そうなところを様になるアクションで登っていた。インストラクターの説明によるとこのボードには、初心者用として難易度の低い順に1~8のコースがあり、いずれのコースも緩いハング気味のボードを使用する。

 コース1~4は、ただ真上に上がっていくだけだが、ホールド、スタンスの間隔や大きさを難易度に合わせて加減し、コース5~8はこれらの要素の難度アップに加え、トラバースやひねり、足の置き換えなどバランス感覚や判断力が求められるよう、‘ルート作者’(ちゃんとした呼び名があるようだが)の工夫が想起され、やたらとランダムに配置しているのではないことが分かった。さらに難易度の高い上級者向けとして130度と、初心者用より大幅にハングしたボードがある。先ほどの彼女はすでに上級者向けの常連とか。道理で様になっていたはずだ。なお、4mの高低差に一見無造作に色とりどりのホールド、スタンスが設えられているが、一定のルールがあり、同一色だけを使用して登るのだとか。



 さて、先ずは初心者コースの1を‘軽々’とクリア、そしてコース2、3も。しかし、すでに上腕には乳酸が溜まり、立て続けにコース4を、とはいかない。それを見透かしたようにインストラクター氏が、「肘を曲げたままの状態が長くすると必要以上の消耗をします」と。なるほど…「その御歳のわりにはなかなか軽やかですねえ」とでもてっきり褒めるのかと思ったのに。

 ホールド、スタンスの間隔や大きさなどで多少難易度が高まったコース4の1度目の試技は最後のホールドをうまく掴めずあえなく転落。乳酸が溜まり筋持久力も相当落ちてきたが、ハングした壁の途中でもいくらか腕の休め方も要領よくなったこと、足のバネを使って跳躍気味にホールドを掴みに行く、などにより何とかクリアできた。

 コース5は取り付きからいきなりバランスを要求されホールド間隔も遠くなり、何度かの試技で下部はクリアしたものの中断で左にトラバース気味にホールドを掴みにいくところが、身体が振られてうまくできず、その間膝を誤ってホールドに打ち付けたりで戦意喪失し、本日はここでギブアップとした。ちなみにクライミングシューズ、チョーク、それに指導料含め1時間2150円也。この貴重な体験により、今後のトレーニングの在り方に一石を投じたことは確かだ。