クライミング日記
The Way of 老頭児 climber
2017年
クライミングのグレード クライミング用語
7月18日 それなりに進歩 日記が滞っているが、タイトルを「気まぐれクライミング日記」とした方が良かったかな(反省)。 もともとが熱しやすく冷めやすい性格なので、およそ日記なるものは継続したためしがない。日記という一日一日の短いスパンではなく、長い目で見て振り返った時に、「あの日あの時こんなことをし、こんなことを考えたんだ」という自分史でよいのかな、と自らを都合の良いように納得させている。 さて、日記が滞っているからといって、クライミングが滞っているわけではない。自分自身の技術向上や後進の指導も含め、残されたクライミング人生のラストスパートのような入れ込みようなのだ。 ![]() ところで下の写真左は本匠神社エリアの“銀杏の小径”(10c)、クライマーは、“こだわり”がクライミングをするきっかけとなったY氏だ。もう6年ほど前のことだ。この時まで長いこと、クライミング(こだわり流で言えば“岩登り”)をもう一度やってみたいという思いが、頭の隅にくすぶり続けていたのだが・・・だからこそY氏にお願いしてフリークライミングなるものを見学する目的で本匠の岩場に案内してもらったのだが・・・「で、自分に登れるかどうかだが、はっきり言って若いころ(もともとへたくそでよく落ちたが)の技術でも相当苦労しそうだから今ならとても登れない、というのが岩場を見上げての実感。」・・・結局、しっぽを巻いて逃げ帰ったというか、クライミングはきっぱり諦めようと思った。 それから2年後(つまり今から4年前)、いったんは諦めかけたものの諦めきれずに、本気になって一大決心でクライミングにチャレンジしてきた経緯は、この「クライミング日記」にしたためてきたとおりだ。 ![]() ![]() 左:“銀杏の小径”下部(2011年) “銀杏の小径”上部を登る“こだわり”(今年6月) で、この“銀杏の小径”には2年ほど前に一度チャレンジしたが歯がたたなかった。というか相変わらず登れる、という確信がまったく得られなかった。 “こだわり”の山のグループに最近若手が入ってきたし、それに刺激を受けたのか先輩格の若手会員にもクライミング熱が高まってきた。人を指導するということは教える側自身も自己研鑽しないといけない。そういう思いからこのところ結構みっちりクライミングに嵌った。 その結果が上の写真右だ。これまでより少し上手くなったと実感できる瞬間だった。 |
5月3日 往年のザイルパートナー・ガブリエル氏と由布岳観音岩へ 最近体調が今一つとかで、“こだわり”からの色んな誘いに何かと消極的であったガブリエル氏をとうとう観音岩まで足を運んでもらうことに成功した。ガブリエル氏との岩登りは「高崎山別院の岩場再訪」以来のことだから、もう6年ぶりのことになる。 ![]() 還暦を過ぎると、思わぬことが色々と舞い込んできて、思い描いた人生設計通りにはなかなかいかないものだ。あの時(2011年11月)はガブリエル氏は前穂高岳北尾根に燃えていた。滝谷や剱岳や北岳バットレスの岩場などを経験すれば、何を今さら北尾根なのだ?と訝る向きもあろうが、氏によると前穂北尾根は大島亮吉に代表される、近代アルピニズムを語る上で、どうしても避けることの出来ぬ場所ということになる。その意味では過去に“こだわり”らとともにトレースした徳本峠や北鎌尾根と同一次元ということになる。 つまりガブリエル氏に言わせれば、近代アルピニズムの先蹤者達が残した足跡をトレースすることは、氏の“登山(岳)のある人生”の総集編として欠かせぬ儀式・・・ということになるのであろう。 ![]() ![]() ![]() 「あれっ?どこから足を通すんだっけ」・・・ゼルプストの装着に戸惑いながら たかだか3級・・・屏風~前穂東壁~滝谷を継続登攀する者にとっては、重い荷を背負ってノーザイルで岩から岩へと繋ぐアプローチ、言わば一般登山道のようなものかもしれないが、還暦過ぎたこの歳になれば、一応の備えをもって臨まねばならない“岩場”ということになる、前穂北尾根は。 6年前の別院の岩場再訪当時のガブリエル氏は絶好調期であった。がその後、還暦過ぎ世代にありがちな想定外のことに、この北尾根計画が少々トーンダウンせざるを得なかったが、その一方で「まだ諦めてはいません」が口癖でもあった。 さて本題。オールドスタイルにこだわるガブリエル氏の出で立ちはと言えば、ジャヌー遠征のニワピニストからの預かり品であるゼルプストに登山靴だ。一方の“こだわり”は、今風のフリークライミングスタイルだ。6年前の別院の時は壁が苔むして、とても登攀の対象になる代物ではなかったため、今回の観音岩は氏にとって実質的に40数年ぶり、ということになる。 1本目の下部こそ、久々(40数年ぶり)の岩肌の感触に興奮と緊張からか幾分ぎこちなかったが、そこは昔取った杵柄といおうか腐っても鯛といおうか、上部ではもう、昔のガブリエル氏に戻っていた。ホールド、スタンスの一つ一つをいちいちその感触を確かめるようにしながら、この日は結局20m弱のフェース、カンテ、チムニーなど4本を登った。 ![]() ![]() ![]() 最初は戸惑いもあったが、だんだん板についてきた もともと観音岩に打たれたハーケンやボルトは1970代~80年代前半頃のもので、中にはぼろぼろに錆びたものも多い。当然のことながら安全面などを考えてトップロープにしたことは言うまでもない。 久々の岩場の感触に活き活きとした、また、嬉々としたガブリエル氏の顔があった。もちろん、“こだわり”はこの稿をもってガブリエル氏の前穂北尾根志向の再燃や、退路を断つようなことを考えているわけではない。この機会に、ただちょっとだけでいいから、一つの時代を共有した仲間と、当時と同じような時間を共有したいだけなのだ。もちろん、クライミングではなく岩登りの時間を、だ。 ![]() 次は八面山か? |
大洲クライミングボード右大ハング(11a)をクリアしガッツポーズ、満面の笑みの“こだわり”(O本氏撮影)
2016年
左:大洲人工壁10b(2016.4.20) 右:本匠遊歩道エリア10a(2016.5.5)・・・いずれもO本さん撮影
9月22日 大洲クライミングウオール右大ハングクリア![]() ![]() 日程の勘違いや台風などによる日程変更など、いくつかの偶然が重なって、9月22、23の両日に、これまで3か月以上も挑み続けてきた大ハング・・・いったんは新たなセッティングより前に課題をクリアすることをあきらめたのだが・・・チャレンジする幸運に恵まれた。この大ハングの課題を設定して29回目の試技となる。 この日はたまたま、“こだわり”をクライミングの世界に誘いこんだ張本人・Y野氏の姿もあったので、いつもより少しばかり意識が過剰になっている自分を感じつつ、アップもなしにいきなりハング(オレンジテープ11a)に挑んだ。 結果、大ハングを越えて最終ピンにクリップののち、あと1, 2手というところで右手の保持力に限界を感じオレンジ以外のホールドを左手でつかみ、そののちアンカーホールドに達した。 山ヤの“こだわり”としては、「大ハングを越えたことには変わりはない」との思いで一応の達成感がないわけではなかったが、スポーツクライミングという観点では多少後ろめたさを覚えたことも事実だ。 そこで、休憩ののち、再チャレンジ。今度は、うまくいった。 3年半ほど前、それまで封印していた“岩登り”に替わるものとしてクライミングを始めた。近代スポーツクライミングでは、昔取った杵柄などはまったく通用せず、ほとんど一からの出直しのようなものだった。 高さ14.5mで上に行くほどかぶっている大洲クライミングウオールで、初心者向けの一番左側のいくつかのルート(5.9~10a)でさえ、アンカーホールドに両手をタッチするのに8か月を要した。その時思ったことは、「一番右の大ハング(各ルート11a~)は無理にしても、せめて真ん中の中ハング(10b~)は越えてみたいものだね」だった。その真ん中の中ハングを越えるのに、さらに1年以上を要した。 そんな状況だから一番右の大ハングを越えることなど思いもよらなかった。しかし、人間この歳になっても、まだまだ伸びしろはあるものだ。胸から肩回りに筋肉もついてきたし、両腕の保持力もアップしたし、回復力もそれなりについてきた。 まあとりあえず、この秋のリニューアルを前にギリギリのラストチャンスをものにできて良かった。周囲の仲間に祝福の言葉を頂いた。いちいち名前は挙げないが、これまでこのクライミング日誌に登場した仲間の皆さんの技術指導を始めとして、励ましやら、皆さんとの切磋琢磨やらのお陰だと、素直に感謝したい気持ちだ。 こうなると、大ハングでも、もう少しグレードの高いルートにもチャレンジしてみたいとの、新たな欲も湧いてきた。しかしそれよりも、右の大ハングに登れたことで、ここ大洲に群がるクライマーの中で、一体感を共有できていない思いが、払拭できたことが何より大きい。 |
|
9月16日 焦り 大洲の人工壁は1年に一度、プロのルートセッターにより、ルートのセッティング…つまり見直しが行われ、全面的にリニューアルされる。9月18日(日)がその日と聞いた。 この約20日間というもの、秋風とともに仕事関係の出張も多くなり、大洲への足が遠のきがちだけれども、少しでも時間があれば最優先で、これ(右の大ハング)に時間を割いた。 あとちょっとなのだが、そのあとちょっとがなかなか限りなく遠く感じるのだ。仲間はみんなクリアした。心配してかO本さんが今日も付き合ってくれた。 終了点の手前、最後のピンにもクリップできた。その直後、ちょっともたついて消耗してしまいテンションをかけてしまった。三度試みたが、二度目はちょっと惜しかった。どうにかクリアできそうな感じがしてきたが、三度目は余力がなかった。 今のルートは明日までだ。明日登れなければ、今のルートでの課題クリアの機会を永遠に失うことになる。明日がラストチャンスだ。明日に賭けることにしよう。 |
|
8月27日 本匠宮前エリアのクライミング風景![]() 前回の日記と日付が前後してしまった。 大洲の人工壁で伸び悩んでいる時に「たまには気分を変えて本匠に新ソバを食いに行こう」とのお誘いに乗った。この日はリードでは一番左の“ウイ”(10a)をトップロープで“山椒はピリ辛”(10c)、それに写真の中の登攀中の11aも“体験”した。この11aは難しいが、親しみやすい感じがし、もちろん上部の核心部でギブアップだが、今後この課題のクリアを、このエリアの目標にしたいと、少し意欲が湧いてきた。 |
|
8月28日 秋風 5月29日付記事で「新たな挑戦」と題して大洲人工壁の一番右の大ハングルート(11a)に挑み始めたことを既報した。大洲の人工壁では冒頭の写真でわかるように全体としては右側の壁面ほど傾斜がきつく難易度が高くなっている。いつまでも左や中央のハングだけにとどまっていては、ここに群がるクライマーの中で、一体感を共有できていない思いが募り、何となく気後れしてしまう。 右の大ハングを登れてこそ、その気後れ感を払しょくできるというものだ。 初めてのチャレンジから3か月、この間この日記の更新が停滞したのも、未だに課題をクリアできていないからだ。この間、山もほとんど登らず、外岩にもほとんど行かず、週3回ほどひたすら人工壁右大ハングにチャレンジしてきた。今のところ下の写真のもうちょっと上、最終ピンへのクリップ手前で、もたついている。 一緒にチャレンジし始めた仲間はその間、次々とクリアしたから、とうとう最後まで一人取り残されてしまった。“正体(岩に正面から対峙し三点支持で登るという、昔の岩登りの大原則)”という昔のクセから抜け出せず、ムーブ(近代フリークライミングにおける理にかなった体の動かし方)ができていないからだ。 そんなに性急にクリアできはしないと、始めからかまえてはいたものの、吹く風に秋の気配を感じ始めたこの頃、己のセンスのなさに少々焦りの色を感じ始めている。(写真動画いずれもO本氏撮影) ![]() ![]() |
|
6月29日 伸び悩み この1か月間というもの、ほとんど山にも行かず、仕事の隙間にもっぱら大洲のボルダリングやクライミングに週2~3回程度。 …在宅勤務とはいえ仕事勤めをしている関係からはこれでも精いっぱいの大洲通いということになる。 がしかし、先月誓いを立てた“新たな挑戦”すなわち一番右側のハング11aは、まだ手も足も出ない状態だ。 クライミング仲間の阿〇女子は一足先に、この困難な課題をクリアしてしまった(写真右)。 柔和な顔からは想像できないが、彼女の内に秘めた闘争心、失敗を失敗のまま終わらせない、ルートへの読みやイメージトレーニング、保持力や指先の強さ等々、敬服ものだ。 完全に置いて行かれてしまった。 けれども、地団太踏んでいるだけではない。先月から始めた緑山岳会の仲間たちとの毎月曜日と木曜日夕方のボルダリングを通して、少しずつではあるがハング越えのコツのようなものを掴みかけてきた。 |
クライミングウォールの練習も、テンションをかけることをあまり気にせず、なるべく本数を稼ぐよう心掛け始めた。 それにしても、鬱陶しい梅雨空の連続には閉口だ。練習方針の誓いを立てても、何しろ連日の雨だから、保持力向上のための本数稼ぎは思いだけに終わっている ![]() 写真: 右ルートハング11aの課題をクリアし、満面の笑みを浮かべる阿〇女史と、その横で10bに悪戦苦闘中の“こだわり”(写真をクリックすると精細画像になります。O本さん撮影) |
5月29日 新たな挑戦 クライミングと登山の体力の維持はなかなか両立しにくい。クライミング技術の向上のためには、頻繁にクライミングの機会をつくることだから、今月は登山のウェートは小さくしてその分クライミングを重点にしてきた。 幸い今月は、仕事で県外に出る機会が少なかったから、大洲の人工壁やボルダリング場になるべく機会をつくることができた。 そのせいか一定レベルまでの向上がみられたが、さらなるグレードアップでは、足踏み状態が続いている。 人工壁で越すのが難しい一番右側のハング11a(右写真、O本氏撮影)に挑んでいるが、今のところ地団太踏むばかりで手も足も出ない。 |
![]() ボルダリングでも新ボルダリング場のNo.8、No.9に挑戦中だが、これまた毎回同じようなところで足踏み状態だ。 |
5月11日 ヘルメット 本匠のクライミングの写真を見た、古くからの岳友から数日前の夜、突然電話がかかってきた。 「人工壁ならともかくとして、ヘルメットをしないで外岩を登る連中は馬〇じゃねえか!!」と。 今は大分市近郊に引きこもり、かつての登攀を回想する日々の彼・吉賀が珍しく吠えてきた。 かつてペルーアンデスやジャヌーでビッグウォールを登攀した、ほかならぬ吉賀のことだ。発する言葉の意味するところは重い。 ヘルメットのことについては昨年ブログに書いたことがある。ちょっと長くなるが以下に思い起こしてみよう。 (2015.10.22 岳連岩登り講習会に参加しての挾間コメントから) ヘルメットについて 「人工壁とは違い、本匠の壁は石灰岩のため表面の浸食が激しく、かなりイレギュラーですよね。加えて、特に井上タワーは傾斜が緩い分、フォールしたら不規則に落ちることになります。実際、“なめくじら”登攀の高校生は、かなり危なっかしい落ち方をし、振られて腰を強打してました。それよりも、寸でのところで側頭部を岩に打ち当てそうな場面でした。 今回は高校生も参加し、指導教官も保護者も観ていました。万に一つも頭を打つなど有り得そうにもない、体育館の中の人工壁ばかりを登っているスポーツクライミングと、イレギュラーな外壁は違います。あくまでも自己責任で、というのは、これまでの高校部活動での事故の訴訟などの新聞記事に接していれば、それでは済まされないことは自明。主催者はヘルメット着用を義務付けるべきかもしれませんね。 ヘルメットを被らないことの美学 ガストン・レビュファやルネ・ドメゾンなどヨーロッパのアルパインスタイル派は「危険を甘受しなければ真のアルピニズムは存在しない」と言いつつも、ヘルメットはちゃんとしてました。フリークライミングのヨセミテ派が登場して、ヒッピーのような長い髪にバンダナ…これがフリークライミングの定番になりました。一種の自己主張ですよね。 さて、当会※は |
さてそれで、つい数日前の八面山の岩場では、ヘルメットについて、同伴したパートナーには求めたものの自分は、本匠の場合も含め着用しなかった。 何故?・・・別に面倒くさいなどと思ったことは一度もない。強いて言えば周囲のフリークライマーのスタンダードな雰囲気に流されてしまった、ということか。それと心のどこかに「ええ格好しい」の自分があったということだろう。 実際、若者中心の本匠の各エリアは言わずもがなで、すべてのクライマーがヘルメットを着用しない現実があるが、その一方中高年クライマーが比較的多い八面山の岩場では、ヘルメットを着用したグループも時折見かける。 こういう場所では正直な気持ちとしてヘルメットを着用しているグループに対して、「ダサい」と感じる自分を否めない。 吉賀の一言で目が覚めた。俺はアルピニストの端くれだ。フリークライミングはしているが、フリークライマーを志向しているわけではない。彼らとは心のどこかで一線を画してきたことは確かだ。 まあ、人工壁やボルダーリングではともかくとして、岩場ではヘルメットを着用し、ついでにアルピニストHASAMAと書くようにしよう。「これが俺の“山ヤ”としてのアイデンティティなんだ」と。 ヘルメット着用を再認識する良い機会であった。 ![]() 昭和40年代後半、一世を風靡したヘルメット“滝谷”を被る 北ア剱岳小窓ノ王南壁で吉賀(1975年夏) |
5月7日 宝満山、 5月8日 八面山 今年の大型GWは、前半4/29~5/1が古くからの岳友と大崩山、比叡山、それに万年山、中盤は大洲人工壁などでのクライミング、そして後半は5/6(既報)に加え、5/8宝満山山頂付近の岩場、5/9八面山というふうに、近隣の山とクライミングの10日間…世間一般に比べある意味おカネをあまりかけない知的遊戯三昧の10日間であった。 さてその一つ宝満山山頂付近の岩場。福岡のクライミング仲間のお誘いで様子を見に行った。もちろん、クライミング用具一式を担いで、例の急な石段を標高差700mほど登ってやっとこさ辿り着いた山頂には、花崗岩質で高さ10~15mの岩場が随所に林立。 ![]() 宝満山山頂付近の岩場“稚児落とし” 雨で濡れてて幸い?? あいにく予想を裏切っての霧雨で岩肌が濡れ、登攀不可能。残念というよりは、各ルートの最初の1ピンまでの長さや、ピン間隔などからして、相当難儀をしそうな感じで、正直、“雨”という退散理由があってほっとした部分が大きかったというのが本音。 で、大分からの“遠来の客人をこのまま手ぶらで返しては・・・”との案内人KATOHさんの気遣いで、麓の室内人工壁に案内された。 高さこそ7mと、大洲の半分にも満たないが、その分、地面からいきなりハングとなっており、見た目にもなかなか手強そう。⤴ |
⤵ 5.8や10aを何本か登った感想としては、「KATOHさんのうまさの理由が分った」とうこと。つまり、福岡のここらあたりのグレードは、大分のそれより辛めに設定されているということだ。![]() 宝満山山麓にある室内人工壁(筑紫野市) 翌5月8日、大型連休最終日は八面山上部エリア。もちろん、自称“山ヤ”の端くれとしては、律儀に麓の登山口から登り、山頂付近で昨日来のKATOHさんと再び合流。 八面山上部エリアではパートナーの二宮さんと、カプチーノ5.9、鯉の滝登り5.9を交互に。今年は「ものにする」という決意のほどを内面にも表情にも感じ取れる二宮さん、今後の課題は“リードの意識”(昔風に言えば“ザイルのトップ”)の自覚ということになりそう。 一方の私、せっかく八面山まで遠路来たのだから、コスパに見合う登攀を、ということで鯉の滝登りの隣にある“ほうき星11a/b”にチャレンジすることに。前々回、フレンド10bでさえ相当苦労したのだから、11a/bなんて分不相応は承知の上。 一見易しそうに見えて、相当手強いことは前々から聞いて知っていた。しかし、一見易しそうというのは、取り付く決断がしやすいということでもあるし、「ハングは苦手だがスラブには強い」など、得手不得手も、いい方向にここの場合は働きそう。 で、結果的には何度目かのトライで“レッドポイント”達成???・・・しかし問題が。右のクラックに手を入れたことで“難易度が下がる”との指摘に対して、12級クライマーのKATOHさんにもトライしてもらった結果、クラックにホールドを求めないと登りようがないから「OK」と。 レッドポイント red point 2回目以上のトライで完登すること。ドイツのクルト・アルベルトがトライ中のルートの赤丸(レッドサークル)をつけ、完登するとこれを塗りつぶしていたことによる。 |
5月6日 本匠遊歩道エリア 初参戦 フリークライミングを始めて3年になろうとしている。20代の時に熱中した“岩登り”を含めれば、再開してから3年、という方が適当か。 3年前当時、一緒に始めた元山ヤのO本さんも、同じような意味では再開ということになる。彼はいかりやま温泉を経営する社長さんだ。 彼の気さくな人柄と、クライミングのあとの筋肉疲労を癒してくれる温泉効果に魅せられて、大勢のフリークライマー老若男女がこの温泉に集う。最近ではこの温泉は、言わば“フリークライマーの梁山泊”と言ったところか。 さて、そのO本さん、プロ写真家でもある彼、GWに本匠に撮影に行くというので、ご一緒させていただいた。もちろん、クライミングの出で立ちでだ。 本匠には多くのクライミングエリアがあり、井上タワーや宮前エリアなどでの奮闘記録はこのサイトで過去に報告してきた。 これらの既報エリアでのこだわりのレベルは5.9~10a程度。10bともなると相当苦労してきた。 だから、本匠で最もグレードが高く、庇ハングが軒を連ねる遊歩道エリアは、“観るだけ”と思っていた。 さて、当日5月5日、遊歩道エリアの庇ハングには、大洲や碇山温泉の常連達が、すでに張り付いて、というかへばりついていた。 聞けば、2本だけ10aがあるという。「10aならばこだわりでもオンサイト※は可能かも、悪くてもレッドポイント※※くらいは」と少しその気になりかけたが、実際にその2本の壁を見上げ、若者の試技を観ながら、気持ち的には少々ビビってしまっていた。 対岸からO本さんが「かっこよく撮ってやるよ」と、既に一眼レフを構えて、登攀を促している。 遊歩道エリアの、向かって一番右端近くにある10aルートに取りついたが、2ピン目にクリップしたところであえなくテンション・・・その後もテンションのかけっぱなし。技術以前に、すっかり気後れしてしまっていたのだ。 ![]() 遊歩道エリアで数少ない初心者向け10aコース(Gihard) 結局、恥ずかしながらトップロープのお世話になった次第。このコースは落ち方が悪いと、只では済みそうもないし、リードではちょっと自信が湧かず、とりあえずギブアップ。 |
さて気を取り直して次なるもう1本の10a、遊歩道中央に位置するルートにチャレンジ。 このルートは、最初チムニーを背中でせり上がり、張り出したハングの上をトラバース気味に左上する、というもの。最終ピンにクリップする前に、右へのムーブから直上するところが、ホールドが小さく、苦労するところ。 ![]() 遊歩道エリア もう一つの10aコース(安〇女史) こだわりは正直、先ほどの10aでトップロープに甘んじたこともあり、2本目の試技には気が重かった。しかし、このまま登らずに帰ればもっと後悔することだろうとの思いもあり、思い切ってのチャレンジ。 幸い、安〇女史などの助言もあり、このコースはビビったわりには、大した苦労もなく終了点に達した。 ちなみに※オンサイトとは、「あるルートを、そのクライマーにとって最初のトライで墜落やロープに体重を預けることなく、「フリー」でリードすること。ルートのグレードとプロテクションの数以外の情報を事前に知ることは許されず、他人の登りを見ることさえできない。あるルートのオンサイト・トライは一生に一度だけ」とある。 オンサイト・トライでは、コースを観察したり、助言を受けることさえ「ノー!」ということだが、仲間内では暗黙の許容範囲に含まれるようなので、今回のこだわりのトライは、オンサイトでのクリアということにしておこう。 もう一つの10aをオンサイト・クリアできたことで「終わり良ければそれで良し」、来た当初の重苦しい気持ちから、なんぼか解放され帰路につくことが出来た。 ※※レッドポイント:トップロープでの試登の後や、2度目以降のトライで登った時にこう言う。つまり、墜落なしでリードできるまで何回通ってムーブを研究(記憶)してもOKというスタイル。 ![]() 本匠遊歩道エリア 登攀風景 |
4月23日 継続すること 回復力 3月下旬に、約5か月ぶりにクライミングを再開して以降、新たにオープンしたボルダリング場と旧ボルダリング場、それにクライミングウオールなど行ったり来たりで、最近はもっぱら大洲運動公園の人工壁ばかりだが、なるべく中2-3日以上途切れることなく、頻繁に通い詰めている。 その間、クライミングから遠ざかったとはいえ、ボッカ訓練、筋トレ、体重の維持は意識していたから、わりと元のレベル(もともとが大したことないが…)に戻るのにはそう長い時間はかからなかった。とはいえ、20日以上を要した。 冒頭の写真は4月20日、クライミングウォール中央赤テープスラッシュ(10b)を久しぶりにクリアしたものだ。クライミング仲間で元写真家のO本さんが撮ってくれた。やはり実践の継続こそ重要と、再認識した次第。 ![]() |
ところで、ハングの急な中央や右側のルートでは、グレードは一番易しくても10b、上級向けには12a,b,cなど、しだいに難しくなる。比較的易しい中央の10b,cクラスだと技術的なこともさることながら、上腕筋力の保持力がものを言う。 いたずらに上半身を鍛えるということではなく、まずはハングしたまでなるべく足を有効に使い省エネで上腕を保持することが大事だ。 そのうえで、ハングに臨むにあたってもやはり足をいかに有効に使い、腕の負担を軽くするか・・・そこで望まれるのがボルダリングでの技術力だろう。 最近ではボルダーも積極的に取り入れ少しずつ難易度を高くしている。 それにつけても、いざという時の上腕筋は大事だ。いくら省エネでとか言っても、かぶり気味のフェースを10m登ったそのうえで庇ハングに取りつくのだから、筋肉の回復力が早いにこしたことはない。ここら辺りで若者との決定的な差を思い知らされる。 |
4月1日 大洲に新たなボルダリング場オープン 年末に負傷した下あごの再手術で縫合して抜糸がまだのため、昨日3月31日と今日、ザイルを使うのはやめてボルダリングとした。 ボルダリングは5か月ぶりのことで、ボルダリングとクライミングは別物と改めて感じた。 それはともかく、大洲体育館の中の閉店したレストランのスペースを改築し、このほど新たなボルダリング場がオープンした。 従来のボルダリング場はクライミングウォールの西側にあり、夏場は西陽がまともに差し込むため蒸し風呂状態、冷暖房施設がないため、それに手狭だったこともあり、特に我々高年者にはちょっと不便に感じていた。 新しいボルダリング場は冷暖房完備、幅が広くスペースに余裕があり、何となく都会のボルダリング場みたいだ。早速、グレードの易しいのから順にチャレンジ。1,2,3とグレードが上がるが、ここまではなんなくクリア。小ハングを乗っこす№4で行き詰った。何度かのチャレンジののちどうにかクリア。足の使い方やバランスのとり方、ムーブのテクニックがここから先、求められる。⤴ |
継続は力なり ⤵ そうこうしているうちに同じ山岳会のS君が入ってきた。彼はお昼休みのわずかな時間を、寸暇を惜しんでボルダリングにこのところ通っている。クライミング仲間だが、外岩はめったに行くことがなくもっぱらボルダリング専門だ。 ![]() №4をクリア Youtube動画 クライミングではどちらかというとこちらがリードする立場なのだが、その彼、いとも簡単に№4をクリアし、その勢いでNo.7までクリアしてしまった。ちなみにこちらは今日のところは№5まで。 コンスタントにボルダリングに取り組み、常に課題にチャレンジしていることの強みが、あまり考えないでクライミングやっている者との差として、歴然たる現実を突き付けられた感じた。 ![]() S君の試技 |
3月27日 青ホールド10a、赤テープ10a 「狐の嫁入り」とはまさに今日のような天気のことだろう。陽が照ったかと思うと急に陰り肌寒さを通り越して腕の筋肉が固まりそうになったかと思うと、再び陽が照ったまま雨が降り出す、というような目まぐるしい大洲の半日だった。 ボルダリングでウォーミングアップののち青ホールドを何とかクリア。しかし、上の方ではかなり“梯子登り”だったようだ。 それでも上までノーテンションでどうにか登れたので良しとしよう。11aの2/3だけ遊ばせてもらった後 |
緑ホールド10bは最後のところで我慢できずにテンション。 前回半年近く休んだのちは元のレベルのなるのに1か月以上かかったことを思えば、5か月近いブランクにもかかわらず、わずか4,5回で元のレベルに近づきつつあるのは、その間の5か月近くの過ごし方によるだろう。 そう、クライミングからは遠ざかっても、山登りそのものは結構ハードにやったから。それに体重のコントロールや上腕の筋トレなど欠かさなかったことによるだろう。 |
3月25日 青ホールド、緑ホールド 10a、10bクラスがまだ上まで登れない。昨秋のクライミング感覚と、5か月後の今の感覚にかなりのズレがある。体が、実際の体重はほとんど変わらないのに、すごく重く感じる。 10bクラスはもうちょっとかかりそう。 |
転落 小耳にはさんだ話で定かでない部分もあるが最近、大洲の常連さんの1人がクライミングで大けがをしたようだ。クライミングテクニックがかなり上位者なので「まさか」との思いがあった。 実際にはクライミング中のことではなく、どうやらザイルを解いて、下山ルートを下降中に起きた事故のようだ。クライミングやアルパインでは通常、スタカットで攀じるから、登攀中の事故はあっても命取りになるような大事故は意外に少ない。その一方で、終了点に達し、ザイルを解消したり、解消しないままコンテニュアスで一般登山道や下山コースに移動中に起こる事故の方が致命的な場合が多いことは、自分にも心当たりが沢山ある。 矛盾するような話かもしれないが、安全こそがクライミングの前提でなければならないと、改めて自戒させられる。 |
3月20日 本匠 トップロープ 昨日ご一緒したO本さんから急な誘いがあった。「Hさんらの登攀は写真におさめに行くけど、一緒にどうですか。ついでに1,2本易しいとこでも」。昨日こそ再開したばかりなので、まだ本匠に行く気分ではなかったが、せっかくの誘いに、同行することにした。 場所は“切り株エリア”・・・番匠川を徒渉ししばらく上がったところで、ほぼ垂壁15mほどだが、杉林に隠れて対岸からは見えない。 Hさんをはじめ二人は見覚えのある人。12bというこだわりには縁のない困難なところを登っていた。 |
しばらく、観察させてもらった後、“宮前エリア”に移動し、過去に登ったことのある10bルートをトップロープで岩の感触を確かめた。意外にも、感触はそう悪くはなかった。今後に期待しよう。![]() |
3月19日 クライミング再開 大洲 これまでの冬場は奥秩父縦走に始まり、鶴見岳滝ノ谷、地獄谷、伯耆大山大ノ沢、石鎚山北面など、やはり何といっても雪山に気持ちが行ってしまう。これは山ヤとしては当然のことで悪いことではない。クライミングはスポーツではあっても登山ではないから。 |
実質4か月ぶりのクライミング再開で、大洲の一番易しい10aにとりついたが、ノーテンションでは上まで登れず。 まあ感触はそんなに悪くなかったから、早晩昨秋の力(といっても10bクラスまでだが)は取り戻すことだろう。 |
1月27日 2か月半ぶりのクライミング 11月からこっち、仕事の忙しさもさることながら、登山の対象が"雪"に向いてしまうから、どうしてもクライミングが疎かになる。 その間、クライミングへの気持ちだけは維持しておこうと、体重の維持と筋トレだけはなるべく怠りないようにしてきたつもりだった。 |
で、久しぶりのクライミングだったが、一番易しいルートをテンションのかけまくりで、這う這うの体で上まで到達という、体たらく。上達するのには随分と時間がかかるが、落ちるのはあっという間。 さて、これから何とか這い上がらねば。 |
2015年
大洲人工壁(グリーンテープ10a,2015.10.13) 同中央ハング(10b,2015.10.26)
(写真をクリックすると動画が再生します。)
10月31日 由布岳観音岩(10/29) 由布岳の岳本登山道の飯盛ヶ城より少し手前に観音岩という岩場があるらしい。最近まで知らなかったが、写真で見る限り明るくすっきりした日当たりのよい岩場のようで、秋季強化トレーニングの一環として行ってみることにした。 この岩場へのアプローチは西登山口(岳本)からの方が近かろうと思うが、駐車場のこともあり東登山口から合野越経由の方が取っつきやすそうだ。で、東登山口から歩くこと40分少々。草原状斜面の突き出た顕著な岩場だから、すぐそれと分る。 いくつものカンテ、フェース、ジェードルなどあり、結構さまざまな登り方ができそうだ。古い残置ハーケン、ボルトが随所に打たれているが、錆びと表面の腐食が激しく、あまり信頼できそうにはない。幸い、主だった岩場のてっぺんには、迂回路があるし、新しいしっかりしたボルトの支点が打たれているから、トップロープでの練習には格好だ。↗ ![]() |
↘さて、同行のS君と左側のカンテから右側のジェードルまで順に登ることにした。この岩場はおそらく昭和50年代初めころ以降に別府辺りの山岳会によりゲレンデ用に開拓されたものだろう。それより前の40年代なら、当時岩登りに明け暮れたこだわりの耳に入らぬはずはなかろうから。 この日は全部で4本登った。古いグレードでいえばカンテが3級、ジェードルが4級というところか。ややかぶり気味のフェースにはボルトが打たれており、アブミを使えばA1というところ。アブミがなくフリーでも難しそうだったので、ヌンチャクと腕力で乗り切った。この日4本目・中央のかぶり気味のフェースはアブミなしでは手強く中段のボルトに手が届かず降参。次回の宿題となった。 遅れて来たE君は、登山靴で登ったり、来るべく冬に備えて12本爪アイゼンで登ったりと、観ていて、その昔高崎山別院で冬の壁に備えてアイゼン登攀をしていた頃が懐かしく思い出された。 ![]() |
10月27日 秋季強化トレーニング 緑山岳会にはクライミング志向の仲間が6~7人いる。仕事もまちまちだから、なかなか一緒にトレーニングができず、地団太踏んでいる人も居る。 そういう仲間になるべくお付き合いをしてあげたく今回、夏季トレーニングに引き続き、今年度通算第3回目となるトレーニングの場を、中旬から下旬にかけて大洲で6回もつことになった。 もちろん、単にボランティア精神からというわけでもなく、自分自身のクライミング技術向上の場としての目論みであることは言うまでもない。 今回大半を夜間照明下のナイタークライミングにしたのは、Nさんに合わせたためだが、そのNさんはここに来て本気モードになってきた。こだわりが仕事で参加できなかった23日には、テンションかけながらも一番上まで登れたらしい。夏場の頃からすれば格段の進歩だ。 仕事の関係で昼間の小一時間しか時間の取れないSR君も、彼なりにボルダリングやクライミングを継続的にこなし、中央ハングにチャレンジするほどになった。 すでに一定レベルに達しているE君、普段は別の同好の仲間とのクライミングを楽しむことが多いが、前週に続き指導を買って出てくれた。 その他にも、会の重鎮A女史、夏場に躍進したが秋は仕事が忙しくなったHさん、この二人は参加できなくても、クライミングの意欲を持ち続けている。気持ちを持ち続けている、ということは大事なことだ。↗ ![]() 大分緑山岳会の若手のホープ達と |
↘この他にも、クライミング志向のようで、今一つ本気度がよく分らないKさんやSY君も居る。さらに最近入会希望組でクライミング志向が期待される人も居るようだ。体験するだけで充分満足できる、という人は、体験を登山に役立てればそれで良いと思う。無理をすることはない。 ただ、一連の強化トレーニングは、“体験から実践、さらに実戦へ”を謳い文句にした。危険を伴うから、それにやる以上は一定レベルに達してもらいたいから、そう考えると継続が大事だし、参加者の本気度を問うことにもなる。 そのあとに期待されるものは?と問われると、それぞれの参加者の答えには、かなりの温度差があるだろう、きっと。 こだわりに問われれば、三ノ窓雪渓からチンネを登り、長次郎雪渓を下る…そういう気持ちは今大いにありますね。それも、折角緑山岳会の中で盛り上げてきたことだから、できることなら他の力を借りずに独力でね。 「人工壁のクライミングは登山じゃない」と声を大にして言いたい。クライミングテクニックがどんなに優れていても、本匠や八面山で終わっている人のクライミングは、登山とは言えまい。二つ坊主南壁や行縢山雌岳南壁、八面山サニーバンド正面壁が泣いているかもしれない。 さて、強化トレーニングでのこだわりの成果だが、10bクラスが安定的に登れるようになったことかな?。まだまだ伸びしろはありそうなので、もうしばらく奮闘してみたい。 ![]() |
本匠井上タワー“ちょっくら”(10-)![]() |
![]() 左:高校生、右:撮影角度を変えて、こだわりの登攀 約1年ぶりの本匠の岩場。中間のムーブのテクニックを要するところでかなり手こずっていた高校生に負けじと、苦手なルートに挑み、何とかクリア。 |
7月~10月初めのクライミング 随分と日記の間隔が空いてしまったものだ。この間、クライミングが滞っていたわけではなく、10月初めまで、遠出の縦走などがなかったこともあり、むしろクライミングに集中することの方が多かった。 7月から8月いっぱいは、緑山岳会の仲間を集めてクライミングの強化トレーニングをやり、会員のクライミング意識を高めるとともに、自分自身もわずかだが力がついたと実感することができた。 大洲のクライミングウォールは県体終了後に大幅なセッティングが行われ、コース全般のグレードが高くなった。これまでの10bが10aに格下げされ、しかも全面リニューアルのため、新たな10a、10bをクリアするのに2か月近くもかかり、その分力が何ぼかついたというわけだ。 動画:緑テープ(10a)をクリア→こちら ![]() セッティングしなおしでグレードが辛くなった緑ホールド |
八面山の上部エリアやオケボックスでも、これまで5.9のレベルを抜け出せ切れなかったが、強化トレーニングにより10bレベルに近づいてきたし10dにもチャレンジする気持ちにもなった。![]() 尾平スラブ新ルート10aをオンサイト 大分県内の岩場の開拓者Yさんが、尾平スラブに新しいルートをつくったが、まだ誰も登っておらず、名前も決まっていないとのこと。「最初にオンサイトした人に因んだ名前をつけるよ」との開拓者の言葉に発奮して果敢に挑戦。スラブのなかのわずかな凹凸を見逃さずホールド・スタンスを探しながら、きわどい場面もなくはなかったが、何とかオンサイトすることができた。名付けて“桶狭間の戦い”(写真) ![]() |
7月14日 青ホールド(10a)、赤ホールド(10b) ライバル クライミングは上達しようとすれば、その強い意志の持続と、実際にクライミングを間隔空けずに実践しないとダメだ。半年のブランクは大きく、昨年の11月までできていたことが再開して以後、なかなか出来ずにいたが、継続的な練習の成果だろう、何とか上までテンションかけずに行けるようになり、一応昨年11月のレベルに戻った。 クライミングはあくまでもフィットネス的なもの。老体の、衰えつつある五感を研ぎ澄ます、というより五感を維持するためにも、継続が必要だ。少しでも今より向上したいと思うが、そのことに強くはこだわらないようにしよう。↗ |
↘最近になって緑山岳会の中にも、少し本気度を上げてクライミングに取り組んでみたい、と言う仲間を数人得た。これは大いに刺激になる。自分の向上心にもつながる。![]() 九重山星生崎での雨中登攀訓練 |
6月20日 九重連峰星生崎 40数年ぶりに再訪 |
詳しくは→こちら |
6月19日 半歩前進 クライミングボードの一番上までノーテンションで未だ到達できず。それでも、テンションの回数は減り、1回のテンション(腕の休憩)で上まで上がれたことを良しとしよう。周りからは「あそこまで上がっといて何で我慢できんの」との声…励ましと受け取ろう。 写真はOさんが撮ってくれた“こだわり”の登攀。 |
![]() クライミングボード最上部まであとちょっとなのだが… |
6月17日 八面山(登山+クライミング) 半年のブランクを埋めるために暇を見つけては大洲に通い始めた。といっても週1回程度なので、未だに一本たりともクリアできていない。 それでも、半年前のレベルに着実に近づいていることは実感できる。もうちょっとだ。 今日こそは緑ホールド(10b)のクリアを、と張り切っていた矢先、I さんから八面山へのお誘いがあった。大洲は緑山岳会の新人S君との先約ではあったが、一緒に八面山に鞍替えということになった。 ところでその昔、八面山をホームグラウンドとする中津山岳会会長・諏訪さんの「近頃の若いもんは車を横付けするようなところで岩登りをして岳人気取りだ。いかがなものか」というような主旨の言葉を思い出した。直に聴いたわけではないが、人づてのこの言葉はその後妙に心に引っかかっていたことは確かだ。 「うん、ここは新人S君のこともあるからな。山頂まで車で乗り付けるよりも、下から律義に登山をして、しかるのちにクライミングをしよう。そうすればクライミングではなく、いくらか“岩登り”の領域に近くなる。 |
さて、新人S君には初めての岩場だ。大柄な体を少々持て余し、悪戦苦闘していた。継続する気があれば、すぐにクリアできるようになるだろう。 一方の筆者、“鯉の滝登り”(5.9)など前回に比べわりと楽にクリアできたから良し、としよう。それにしても、自分にとって既登のルートから抜け出せないのはいかがなものか。 ![]() ![]() 左:新人S君、右:急成長の若手E君(途中から合流)の登攀…緑山岳会も若手クライマーが育ちつつある |
5月31日 八面山 半年のブランクは大きい。大洲のクライミングボードが上までまだ登れない。誘われるままに八面山の上部エリア…これまた半年以上間が開いてのクライミング。最初のエリアは各ルートとも傾斜がきつく、ボルト間隔が遠く、しかも1ピンまでが遠い。1,2ピンで墜ちれば、グランドフォールしてタダでは済みそうもない。 リードしたパートナーのIさんも相当手こずっていた。それを見て、とてもリードで行こうという気になれずトップロープでなりふり構わずのクライミング。2度終了点へ。 場所を移して別なエリアで既登のルートも、前日の雨による影響が残っており、ひやひやものだった。 |
この日の八面山クライミングエリアはIさんと二人だけ、クライミングそのものもさることながら、過去の山の話などに花が咲いた一日だった。![]() |
5月27日 塚原ボルダリング 所属する緑山岳会に最近入ってきた有力新人のS君に、クライミングとロープワークの実践機会を、ということでわずかの時間であったが、塚原の岩場で実践訓練をした。 ともすれば自己流に陥りがちなので、人に教えるということは、自分の知識と技術の再確認作業という点では、良い機会であった。 で、くだんのS君、クライミングは初めてだったこともあり、また、間に合わせの運動靴ということもあり、スラブは何とかクリアしたものの、かぶり気味の凹角の突破ができずに次回に宿題を残した。 もちろん、この日の先生である筆者が、まずは模範演技を示したことは言うまでもない、“華麗な登攀”だったかはともかく。 |
さて、S君今後どういう方向に発展することか。 別に、クライミングにのめり込まなくてもよいと思うが、いざという時のためにロープワークや登攀技術に対して不断の備えはあるに越したことはない。 ![]() |
5月23日 泰然自若の境地で 11月以来ほぼ半年ぶりの大洲クライミング。この間ボルダリング1回、ビレーヤーとして1回、ここを訪れただけだ。熱が冷めたわけではない。少しの間雪山及びそのトレーニングに集中して気がついてみたらこんなことになっていた、ということだ。 久しぶりの大洲クライミングボードは、老若男女でほどほどの賑わい…いつもの顔見知りのメンバーも和気あいあいの雰囲気で登っており、遠慮したり、気兼ねするほどのことはなしに、自然に仲間に入っていけた。 で、10a~11aクラスを、最初から2/3の高さまでと言うことで4本登った。ぎこちなかったけど登れた。10クラスならすぐに馴染むだろう。この空白の半年間一応、体重のコントロールを欠かさず、また、霊山詣ででも、出張のホテルの机の下に潜り込んでのぶり下がりでも、とにかく上腕の力を維持してきたつもりだから。 再開すると決めた以上、ある程度は間隔を開けないようにして集中しなければ…何せクライミングと登山はあくまで別物だから。 クライミングにはフィットネス感覚での取り組みが、大上段に構えなくていい。自分の限界もセンスもだいたい分ってきたから。 それに加え、垂直に身を置くことで五体の感覚が研ぎ澄まされる…いや、若い頃の感覚が少しでも甦る、それがいいところかもしれない。 |
![]() 大洲のクライミング風景 |
1月24日 冬眠明けはアイスクライミングから 所属する山岳会のこの時期の恒例行事として、今年も宮崎県は大崩山系の宇土内谷へアイスクライミングに出かけた。 心配していた氷結も、とりあえずどうにかスクリューハーケンを埋め込めるほどの厚みはあった。ここの氷瀑は緩いスラブが氷に覆われた感じで、八ヶ岳の大滝・小滝などに比べれば、初心者には取り付きやすい。 そうはいっても、スクリューの利き具合のほどははなはだ心もとなく感じ、リーダーの安東氏から「リードをどうですか」と言われても、「任せとけ」とはなかなか言えない。 今年も、(体重が)少し重そうな安東氏のリードでルートを1本工作し、約30mの氷結した斜面を交替で一人2,3本ずつをトップロープで登った。 緊張感のない緩傾斜のアイスクライミングに、はるばる大分から3時間以上もかけて…という気がしないでもないが、こういう経験はなかなか得難いものもある。来年は、リードでスクリューハーケンを埋め込む緊張感を味合わなきゃあね。 大分緑山岳会ブログ記事 大分緑山岳会yutube動画 |
![]() ![]() |
2014年
10月29日 クライミングウォール更新作業 10月27日に大洲体育館のクライミングウォールが更新され、これまでチョークや手垢でくすんでいたホールド、スタンスが一新され、色鮮やかなコースとして生まれ変わった。早速10aにオンサイトチャレンジしてみた。これまでより少しグレードが上がったように思え苦戦しつつも、何とか一回でクリア。次に10bもオンサイトで挑んだが、 これは最後のところでギブアップ。惜しかった。↗ |
↘ コースの全面見直し、更新作業があることは聞いていたので、何とかそれまでに懸案だった青ホールド(11a)をクリアしたかったが、上部のハングを越えきれないところで、終わってしまった。 その代わり、新たな気分でリスタートが切れた。何とかイレブンクライマーの仲間入りを、これからの1年でできないものか。体力はますます下降していくときに、それでも右肩上がりで居たい。まだ伸びしろはある、と思う。 |
9月29日 少し前進 8月は日高、剱岳、東北と、山中心。9月に入ると仕事が忙しくなり、クライミングも思うに任せず。何しろ今の仕事では「この時期(9~10月)に仕事せんで何時するんだ?」って感じ。そんな中でもとにかく体重のコントロールだけには気を使った。で、最後の週末26日大洲、27日本匠、28日大洲と、久しぶりにクライミングに集中した。いつになく気合が入った。 本匠では宮前エリアの“ウイ”(10a)や“山椒はピリ辛”(10c)に自信がついたし、大洲では緑ホールドをクリア、ピンクホールドもどうにか上まで行けた。 伸び悩んでいた時だけに、先々にまたまた少しだけ希望が持てる、そんなことを実感した3日間だった。 写真:本匠宮前エリア“ウイ”(10a)の核心部の小ハング。 |
![]() ![]() |
7月22日 現状維持 八面山 6月のクライミング実績は外岩マルチピッチ1回のほか、大洲のクライミングウォール3回のみだった。クライミングの回数は激減だが、登山そのものは、わりとハードにやった。気持ちを停滞させないよう、クライミングのために日常できること、例えば腹筋、腕立て伏せ、懸垂上がり、床からの片足立ち上がり、それに何よりも体重のコントロールなどなど心がけた。…だから上手にはならなかったが、下手にもなっていない。 7月19日は、緑山岳会の皆さんに自分が初めて提案して、八面山でクライミングをやった。詳細は緑山岳会の公式ブログに近日アップ予定だ。↗ |
↘岩やクライミングに対する考えが様々な、そもそも山に対して、どう取り組もうとしているのか今一つ分りにくい人も居るけど、“ザイルのトップ”を託される人が一人でも二人でもできてくれるよう、呼びかけ人の責任を全うしなければ、と思う。(写真:2014八面山クライミングシリーズ 第1回7/19)![]() |
6月29日 陶ヶ岳マルチピッチ この週末は本来、東京出張の機会を利用して、先週の飯豊連峰石転び沢に引き続くみちのく名山紀行として和賀岳方面を計画していた。予想される天気もそう悪くはなさそうだった。ただ、旅疲れというのだろうか、何となく気持ちの高揚がなかったことから、得難い東北遠征の機会ではあったが、東北の相棒に丁重にお願いして次の機会に譲ることにした。 そうなってみてそれより以前にお誘いを受け、いったんはお断りしていた陶ヶ岳クライミング(日帰り)に、剱岳のトレーニングのこともあり参加した。 岩場は山口市近郊にあり、300mそこそこの山ながら、中腹~上部に花崗岩質の2~4ピッチの数多くのルートが拓かれている。この山域のクライミングでは“陶ヶ岳”での名で一般に通っているようだが、↗ ![]() |
↘今回目指したのは“亀山(山頂エリア)”というところで、クラッカー(5.10a)~南峰見聞録(5.10a)計3ピッチとアルビナの門(?)~門松(5.8)計2ピッチのマルチピッチクライミングを楽しんだ。正確には、“楽しんだ”ということにしておこう、ということだ。 マルチピッチのセカンドだとスピード優先で登りが雑になるのはしかたがない。それに、1ピッチのみだがリードした部分では、何でもありの喧嘩殺法みたいになってしまって、お世辞にも華麗なクライミングには程遠かった。 それはともかく、大分市から車で4時間近くもかけてはるばる来たこの山だったので、山頂(亀山、300m)を踏むことができたのは良かった。低山ながらも特徴的ないくつかの山の連なりは、この地域では幅広い登山者に親しまれているであろうことが、想像されたし、これまで存在すら知らなかった、そんな著名な山に足跡を残すことができ、私の山歴の貴重な1点となった。(メンバー:一色、笠置) ![]() |
6月24日 気持ちを切らさないこと 6月に入っても指の痛みが取れず、クライミングはほとんどお休み状態が続いている。だけれどもクライミングに対する気持ちが切れたわけではない。他の目的もありボッカや筋トレなどで体重も心肺機能も、維持してきたし、何よりも気持ちを切らさないようにイメージトレーニングは欠かさなかった。 23,24日は久しぶりの大洲クライミングウォールだった。赤ホールド(10a)やオレンジテープ(10b)は無理なく登れた。少しずつだが足の使い方に工夫がみられ、その分、上腕の負担が軽くなったように思う。 今夏は39年ぶりとなる長次郎雪渓から剣、三ノ窓の機会を得た。ためらいの気持ちがないわけではないが、もう賽は投げられたのだ。大事なことは、クライミングテクニックもさることながら、雪や岩に対する気持ちの持ちようだ。気合いだ。 ![]() |
![]() 6/23 日曜日だが雨降りの大洲クライミングウォールは気心の知れた山仲間のみ。週末でも雨の日は意外と穴場なのだ。 |
6月1日 治らぬ指 5月に入ってクライミングはほとんどお休み状態だ。霊山登山道整備の際痛めた右手薬指がいつまで経ったも治らない。これではクライミングで3~4月にせっかく好感触を得ていたのに、元の黙阿弥だ。5月23日と25日に痛みを堪えての、久々の大洲クライミングウォールでは、それなりに登れた。 しかし、休んでいたこのひと月の間に緑ホールドや黄ホールドで先陣争いをしていた数人の仲間は皆クリアしたようで、とうとう自分ひとり取り残されてしまった。何ともさびしい限りだ。 肝腎の右手薬指だが病院で診てもらったものの、一向に治る気配はない。痛みはあるが、だからといってぶら下がれないわけではない。師匠格の一色さん曰く「お友達になりなさい」と。つまりはどうせ治らない指なら、その事実を受け容れそれを前提にした登り方を工夫せよ、ということらしい。 |
|
4月23日 “足るを知る”? 今月に入って、仕事の関係もありクライミングのペースがガクンと落ちた。そのせいかどうか、大洲のクライミングボードでは時間の問題と思われた“緑ホールド10c”がクリアできないでいる。というかむしろ後退した感じだ。いつまでも右肩上がりということにはならないだろうから、いつかは横ばい状態から右肩下がりに転じるだろうが、まだまだ自分を納得させることはできない。 4月6日 尾平スラブの登攀 3/29, 31と大洲では前回に続き一ランク上を目指した。まだ終了点まで達していないが、試技の度に一つ上にクリップすることができたので「良し」とするか。 さて、4/5~6は尾平スラブ。昨年7月以来2度目となるこの岩場。夜来の雨の影響か、処々方々が濡れているような状況下でのクライミングのスタートは“蒲田行進曲5.9+”、次に“アルピニストT5.8”…いずれもまだ岩肌が乾ききっていない状況下にしては、それにこのスラブ二度目にしては、無難にこなした。場所を移動して“カモシカの声5.10”にオンサイトチャレンジ…Iさんの「面白いよ」との含み笑いの意味が取り付いてからわかった。何度もテンションのかけまくり、それになりふり構わずルール破りしつつ何とか終了点へ。このコースは傾斜もあり、いやな草付きもなく岩肌がすっきりしており、小さなホールド・スタンスを探しながらの登攀で、ここをうまく登れるようになれば一つ上の段階へ行ける、という感じだが、未熟さを思い知る結果となった。最後に昨年の課題“尾平越下部10-”は、最後のポケットを取りに行く際の右へのムーブに、この半年余りのトレーニングの成果が出たようで、何とかクリアできた。 今日の尾平スラブは、CCCの例会とかで、どのルートも賑わいをみせた。我々(BBC…ぼちぼちクラブ)の3名は前夜から滞迫峡でキャンプを張りCCCのメンバーNGさんやA夫妻と交流を深めた。みんな山好き、クライミング好きで熱心な人たちだ。 ![]() ![]() 左:「カモシカの声」上部、右:「風に吹かれて(10-)」を攀じるNGさん ![]() 尾平スラブの午後…岩肌がやっと乾きフリクションが利くようになってきた 3月27日 墜落 腰痛 一歩前進二歩後退 仲間 3/ 20, 24, 26と、仕事や出張の合間を縫うようにして大洲クライミング道場に通った。クライミングウォールは対象レベルを一ランク上げたこともあり(5.9➟10a, 10b)、よく墜ちた。しかも派手な墜落での宙吊りだ。新しい段階へ入ろうとするためのもがきかもしれない。 一方、ボルダ゛リングでは壁の耐久時間をなるべく長く保持するよう頑張っているから、これまたよく墜ちる。下がマットとはいえ数メートルを跳び下りるのは、随分と腰に負担がかかる。背骨の軟骨がその都度圧縮されそうで、還暦過ぎの身長がその都度縮んでいく思いだ。お陰でこのところ腰痛が再発してしまった。落ちない登り方を考えなくてはいけない。 今月はクライミングにかなり集中したがそのわりに成長度合いは捗々しくはない。それでも、昨日までできなかったムーブが今日できたりすることもあり、良い感触を掴みかけている。 ところで、足繁く通っていることもあり、老若男女…いろんなクライミング仲間ができた。彼らからはいろんなテクニックを実演をまじえて教わる。呑み込みは悪いが、少しずつ頭の中で整理されつつある。 ![]() ![]() 左:課題のピンクホールド(11a) O君の模範試技、右:カトウ氏の登攀…還暦でもこんなことが 3月19日 恥ずかしながら クライミングを始めて8か月にしてやっとこさ、大洲クライミングウォールをテンションなしで上まで登れた。何とも遅きに失した感は否めない。言い訳っぽいが、これまでそれほどクライミングウォールに固執していたわけではなく、外岩と山(アルパイン志向)主体だったから、これまでの体たらくは当然と言えば当然のことと受け止めている。 で、今月はボルダリングとクライミングウォールに集中したことにより、これまで見えなかったものが見えてきたような気がする。とりあえずは、もうしばらく大洲に集中してみようと思う。 3月15日 我未だ完登せず 13、14日、それに今日と、3日連続で大洲に通った。その間、家ではクリップを繰り返し練習したから、いくらかはパワーロスは解消されることだろう。しかし、大洲のクライミングボードで最も初心者向けの“赤ホールドの足フリー(5.9)”が結局のところクリアできなかった。最後のクリップのところでちょっともたついてテンションをかけてしまった。まあ、クリップがこれまでよりは上手にできるようになったので、テンションかける位置も最上段まで上がり、言わば自己記録更新だ。完登の日は近いぞ、ということにしておこう。 ![]() ![]() なお、14日はO本さんの経営する碇山温泉に、クライミング仲間のエトウ青年とご厄介になり、ついでにすき焼きまでご馳走になり、ガストン・レビュフアだの阿蘇赤ガレ谷、谷川岳だのと、懐かしい青春時代の山の回想のひと時を過ごした。 3月10日 クリップの重要性 久しぶりにO本さんと一緒になった。最近はボルダーからクライミングボードまで幅を広げたことは聞いていた。ここ10日ほどはインフルエンザで伏せていたらしい。病み上がりとはいえ、相変わらずうまい。一緒に講習会を受講した“同期生”なのだが、今では大きく水を空けられてしまった。 その彼のビレーなので、何とかここは意地でもテンションなしに上まで上がりたかったが、やっぱり最後のところで力尽きた。クリップが下手でこれに時間を取られ過ぎたことは軽視できない。途中から一緒になったカトウさんも含め同様な指摘だった。 そこであらためてご両人にクリップを実演してもらった。「なるほど、うまいもんだ。わずか1秒だ」。こちらはというと昔流の岩登りだとカラビナを手に持ってザイルをかけていたし、オーバーハングなどではアブミに乗っていたから、カラビナにザイルを通すことなど、技術を要す余地があまりなかった。 今、ハングで疲れた手に身体を預け、もう片方の手で瞬時にカラビナにロープを通す…もたもたしてはいられない。クリップは立派なクライミングテクニックだ。ついでながらもう一つ、クリップはあまり高いところではなく身体の胸位置以下くらいで…今日教わったこと。これらは、すでに師匠格のIさんに何度も言われたことのような気もするが。 ![]() ![]() 3月7日 クライミング再開 今日はNOBUさんや七個さんがクライミングの約束をしていると聞き、2か月ぶりのクライミングをご一緒させてもらった。このお二方の女性クライマーはムーブなどクライミングの基本ができており、しかも考え方がしっかりしているので、学ぶべことが多々ある。とりあえず“赤ホールドの足フリー”を2回…相変わらず最後のハングでテンションかけてしまった。まあ2か月ぶりのわりにはよく登った、ということにしておこう。 3月3日 ボルダリング再開 久しぶり、約4か月ぶりの大洲でのボルダリングだ。その間クライミングからまったく遠ざかっていたわけではない。どうも人工壁は性に合わないこともあるし、それよりも外岩(そといわ)での、いわゆる“岩登り”の方に惹かれることが多かったから、ボルダリングはしなくとも、クライミングそのものには何らかの関わりを持ち続けてきてはいた。 岩登りの延長線上にアルパインスタイルがある。阿弥陀岳北陵や鶴見岳北谷にはこの冬かなりのエネルギーを注いでいたから、気持ち的にはクライミングの緊張感を維持してきていたつもりである。 それにしても久しぶりの大洲ボルダリング道場は、年末に専門家による定期点検と再整備が行われたらしく、ホールド・スタンスの位置やコースが一変していた。そのこともあり、初心者コース一からの再挑戦になった。 で、感じたことは「ちっともうまくなっていない。というか、後退している」ということだ。これは予想していたことではある。 ただその反面、“岩”への恐怖心の克服やロープワークや、登攀器具の扱いなど成長した部分もある。体型や体力・筋力などは維持したつもりだし、いつもイメージトレーニングは欠かさなかったから、クライミングテクニックは、昨年よりは向上しそうな予感はある。 3月2日(日) 過ぎたるは猶及ばざるが如し 今冬は雪が多かった。昨年末以来八ヶ岳や鶴見岳北谷などでアルパインスタイル(の真似ごと)を楽しんでいるうちに春の訪れとなった。その間、クライミングそのものはほとんど休止状態だったから、体型や上腕、腹筋を維持するために、自宅ばかりでなく出張中でもホテルのデスクを利用するなどして机下クライミングトレーニング(1/30日記参照)だけは怠らなかった。というか、時に机下トレーニングをやり過ぎることが、ままあった。 そのせいかどうか2月の初めに突如“突発性難聴”におそわれた。これは事件だ。ただ事ではない。慌てて耳鼻咽喉科に駆けこんだ。最初の4日間の投薬プログラムでは症状の改善がみられなかったが、次に下された6日間の別の投薬プログラムの効果は劇的だった。 お陰で聴力は約1週間ぶりに戻ったが、7種類もの投薬を計10日間真面目に実践した結果、消化器系は相当ダメージを受けた。 それにもかかわらず、約束事だったので阿蘇~九重⇒鶴見岳地獄谷⇒鶴見岳滝ノ谷⇒九重鉾立峠と、真面目にこなしたところ胃炎(胃潰瘍?)になってしまった。そんなこんなで2月は前、後半ともに大変だった。 難聴の原因は今もって明確ではないが、自分では机下ぶら下がりなどで気張りすぎたことが何らかの遠因ではあろうと考えている。 そもそもクライミングに必要以上の腕力は、上達の妨げになることはこれまでの経験から明白なのだから、“てげてげ”(ほどほど)でよいのだ。下手だから腕力に頼る。その腕力が弱くなると登れなくなるという不安感がつのる。この悪循環が今回の“事件”を生んだ。 すっかり暖かくなった。周りの仲間に出遅れないように、ムーブやバランスなどフリークライミングの基本を大事に、ブランクを取り戻すべく、胎動しよう。 |
|
1月30日(金) 机下クライミングトレーニング アイゼンワークを目的とした昨年末の日出石鎚山岩場でのトレーニング以来、クライミングから遠ざかっている。ブランクをつくると成長も停滞するが、ブランクをつくらないと向上しようとする新たな精神的エネルギーが湧いてこない。しかし、ブランクと言っても何もしないわけではなく、冬場のこの時期、体重の維持、上腕筋力維持など最低限のことはやっておかないと…。 登山は多様性のスポーツだから、登り方に様々なスタイルがあるのは当然だ。机の上で地図を広げ構想を練るとか、カシミール3DやGPSデータを駆使して自身の登山の軌跡を追うなど、いわゆる机上登山というのはよくある話だが、机下…読んで字のごとく机の下、机下トレーニングはすなわち机の下に潜り込んで行うクライミングトレーニングの一手法だ。頑丈な机であることだけが必要条件だ。 具体的にどんなことをやるのかと言えば、まず机上の端に両指第一関節だけで、身体を宙に浮かしてぶら下がり、60数えるまで我慢する。次に、机下の足置きを使って腹筋練習を70回ほど、今度は再び机上端に両指第二関節までで、身体を宙に浮かす…これを60数える…次に腕立て伏せ50回、さらに机下に潜り込み、机上をオーバーハングに見立てて乗っ越し…これを右腕側からと左腕側から、墜落で後頭部を強打する危険があるので後ろに座布団を置くなどする。疲れるまでこれら一連の動作を繰り返す。 果たして、こんなことでクライミング技術が向上するのか、という疑問符が残るが、とりあえず冬場のインドアトレーニングとして、少なくともただイメージするだけよりかは何ぼかマシだろう。 |
2013年
12月22日(日) 日出石鎚山 40数年ぶり アイゼンと手袋での登攀 正月の八ヶ岳行のための意思確認、計画行程確認、装備確認、役割分担確認を行った。また、コンティニュアス時のロープワークについても実地に確認しあった。最後にワンピッチだけではあったがグレード5.7クラスの岩場を12本爪アイゼン、オーバー手袋を着用して登攀した。久しぶりのアイゼン登山靴登攀ということで最初は緊張したが、すぐに慣れた。要は、スタンスをきちんと選べばよいのだ。 ![]() ![]() 装備のチェック アイゼンとオーバー手袋を着けての登攀 12月1日(日) 本匠井上タワー 宿題になっていた下部の10aルートを選んだが、非力さのみが目立つかたちとなった。 ![]() 11月17日(日) 八面山 登山プラスクライミング 普段は山頂付近の駐車場まで車で上がって上部エリアまでわずかな歩程だが、今日は律義に登山口から登山道を登り、ショウケの鼻を経て、上部エリアへ。 中津山岳会のクライミングミーティングらしく、岩場は賑わっていた。風が強くホールドを掴む手がかじかむし、ビレーするのもダウンジャケットなしには寒くて震え上がるほどであった。 それでも熱心に登攀を繰り返す皆さんに感心しつつ、数本登って早々と退散した。これじゃあ、うまくなるはずもないか。…この時期になると、クライミングのことより、冬山本番への体力づくりのことの方に気持ちが行ってしまう。クライミングはしばらく冬ごもりか。 ![]() 11月15日(金) 比叡山 第一スラブノーマル それから悪戦苦闘の最中に仙台の鈴木君からSMS「今丹沢山頂です。朝は好天でしたが現在は曇りです。蛭ヶ岳は断念。のんびりして帰宅」と。 くだんの‘クランプ’は、GWの中休みということもあり、幸いなことに客は女性ボルダーとそのつれあいの二人のみ。難易度の比較的高そうなところを様になるアクションで登っていた。インストラクターの説明によるとこのボードには、初心者用として難易度の低い順に1~8のコースがあり、いずれのコースも緩いハング気味のボードを使用する。 |