新雪かつ あっぱれ快晴の伯耆大山登山と島根半島周遊の旅

                                                       栗秋和彦

 ここ数年、積雪期の伯耆大山とご縁続きだ。13年(3/16)はおごりと慢心でまさかの敗退、昨年(3/7)は山頂からの眺望こそ適わなかったが、雪質に恵まれすんなりと登頂。今回は大寒間近の1月中旬と、時期は繰り上がり、厳冬期という意味で相手にとって不足なし、と意気込んだ。ところが今冬は正月休み明けまで殆ど雪が降らず、麓のスキー場は滑走不可に泣かされた模様。何せ1/9時点で中の原スキー場は積雪3a、山頂付近で20a程度との報に、積雪登山ができるのか危ぶまれたのだ。 しかし冬の大山でしかも大寒間近に、てっぺんで積雪20aなんぞ“あっちあられん“ゆゆしき事態であって、(降雪なしが)長続きする筈がなかった。

 でようやくの寒気団の到来。我々のスケジュールに合わせるように1/14から彼の地は新雪が降りはじめ、何とか雪山登山滑り込みセーフと相成ったのだ。15日深夜(正確には16日0時9分)大山寺到着時、街灯に照らされた大山寺界隈は一面の銀世界で我々を迎えてくれ、夜陰にまぎれた約三名の表情は満面の笑みに溢れていた(と思う)。車中小宴をこなし、午前2時の就寝はいつもどおりのスケジュールであって、伯耆大山着後のルーティンは滞りなく終わり、束の間のやすらぎへと移った。

 おっと今回、特筆すべきはいつもの二人に紅一点、北山ママが加わったこと。挟間兄と同じ緑山岳会に籍を置くパワフルウーマンで、華奢な体躯からは想像もつかぬほど強靭で体育会的行動力を持つ。積雪期の伯耆大山は初めてとあって、登高技術や地勢の把握などすべてを吸収しようとする意欲は、おじさん(己のこと)には新鮮に映ったものだ。

      
   駐車場の朝、出立直前風景      一合目付近を行く         二合目で小憩       四合目付近、豪円山を垣間見る

 さて本番16日は8時半過ぎ駐車場を出発。大山寺橋から見る稜線はわずかにガスがかかってはいるが、新雪に覆われた大山北壁は視界良好、天空は晴れ渡り、過去二回とは打って変わっての好天に出発がもどかしかったくらいだ。登山口で積雪50〜60a、気温は氷点下をちょっと下回ったぐらいか。この時期としてまったく寒くはなかったが、新雪のふわふわ感と宝珠尾根から今や上がらんとする陽光を予測しての期待値が、心地よさを増幅させたのは間違いなかろう。

 そんなこんなで先頭を歩き、気持ちは行け行けドンドンであったが、それとは裏腹に身体は思うように動かず、少々焦った。加えて背後に迫る北山ママのリズミカルな足音に急き立てられ、しんがりが定位置の挟間兄もビデオを回しながら、時にはラッシュして前方まで回り込み、或いはトレースの脇からカメラを回すなど変幻自在に登山を愉しんでいる様子。う〜ん、この落差は何だぃ? ならば取るべき道は精いっぱい平静を装って懸命に登るしかなかった・・・とそんな登りが4合目付近までつづいたが、幾分なりともその呪縛?から解放されたのは、5合目での小憩であったか。  

 木々の合間から望む三鈷峰や豆粒ほどのユートピア小屋、宝珠尾根の連なりと、真っ白と化した大迫力の北壁を臨場感を持って味わえたのだから。その畏怖と憧憬がないまぜになった秀景は登高意欲を湧き立たせるに充分で、おのずと喝!が入ったのだったね (と精神論一辺倒で山頂まで辿り着けるのかなぁ?)。

 で我が出で立ちは登山口からチェーンアイゼンを着用し、ピッケルの代わりにスキーのストックを握った。しかし新雪の樹林帯にアイゼンは不要だったし、スキーストックのグリップ位置は元来、滑降時に有用であって、登りでは高すぎて持て余しつつも、頼ってしまい要らぬ力が入った。つまり登りの難儀さを道具の所為にしたかったが、ちょっと苦しいかな。一方で挟間・北山コンビは六合目までアイゼンは装着せず(結果的には山頂まで要らなかったと思う)、ピッケルは歩行バランスを取る程度と心得てリズミカルな登山スタイルが雪稜に映えていたと持ち上げよう。

 さて六合目からは視界が一気に開けた。昨年はここ六合目の避難小屋は完全に埋まり、見上げる登路は急斜面の雪稜と化していたが、今回は三、四日前までちょろちょろの積雪量だったところに一日、二日で新雪が降り積もったにわか雪山である。小屋は完璧に露出し、狭隘な敷地にマッチ箱のような全貌を露わにしていたし、上部ルートは灌木帯が完全には埋まりきらず、雪を被った枝葉を縫うように、登山道に沿って高みへ詰めていったのだ。その意味では新雪と相俟って、両側の谷へ滑り落ちる心配は殆どなく、急斜面の登りを我慢すれば、自然に山上台地へと導かれる筈である。時々振り返り、豪円山や中の原、上の原のスキー場群や北麓に広がる裾野との高度差を確認しなければ、一気呵成に突き上げる夏山コースの面白みは半減するわな、との口実でしばしば立ち止まって休んだが、この眺望下では自然発生的な立ち振る舞いだったと言っておこう。

      
   六合目にて三鈷峰と宝珠尾根を  六合目の小屋と北壁     上の原スキー場方面を   八合目付近の胸突き八丁を登る

 そしてさしもの登りも八合目を過ぎ最後の急坂を乗っ越すと、急に傾斜は緩くなり頂上台地に達したのが分かった。やがていくらか風がでてきたが、白銀の雪原に陽光を浴びて冠雪した木道とおぼしきトレールを歩けば、山頂小屋が稜線の一角に見え隠れしてきて山頂は近い。弥山へ至る頂上台地を見晴るかすと、これほどまでにたおやかな雪原だったとは、我ながら有頂天の驚きだったと思う。ただ剣ヶ峰へと続く圧巻の主稜線は細かいガスが北壁側から迫っては覆い、殆ど見えず残念至極か。まぁお天道様にお願いするのも気がひけるぐらい天気は上出来だったので、この方角ぐらいは我慢しなければなるまいて。

 さて台地上のちょっとした隆起が弥山山頂だ。登山口からは休み休みで2時間40分ほどかかったが、老若男女のけっこうな人だかりにちょっとびっくり。みんな思い思いの立ち位置で、てっぺんの居心地を愉しんでいる。寒風、烈風吹きすさび、コチコチ、ガチガチ凍てつく厳冬期山頂のイメージとはあまり似つかぬ、明るく穏やかな風景が広がっていたが、まっこと稀なる幸運と言っていいだろう。

      
   八合目を過ぎるとなだらかに 冠雪した木道と湧き立つ雲の妙        おだやかな弥山々頂での2

 にわか新雪の影響は直下に佇む山頂小屋にも表れていた。その全貌を顕しており、この時期としては奇異に感じたのは筆者だけではあるまい。何より昼食を取ろうと中に入って、その明るさに驚いたのだ。経験上、小屋の窓は雪で埋まり、中は真っ暗の筈である。昨年もヘッドランプを点けてカップラーメンをすすった記憶が蘇ったが、今年は何だぃ ! 積雪は窓の縁までしか達しておらず、明るい居室の如き(暖かくはないけれど・・・) 室内では先客10人ほどの登山者がゆるゆると時を費やし、のびのびしたその表情がよく見て取れたんですね。それじゃと我々もすっかり和み、カップラーメンをすすったり、窓外を眺めたりと腰を上げるのが億劫なくらいだったのだ。

 さてそれでももう一つ愉しみにしていた元谷再訪へと腰を上げた。下りは三人ともアイゼンは履かず、どんどんと下った。新雪には却って邪魔だと判断してのことだが、結果、何ら支障はなく、これは正解でしたね。  一方、個人的にはスキーストックが下りで本領発揮してくれる筈だったが、急斜面ではこれに頼り過ぎて足元がおぼつかず、尻もち数回と苦笑い。夏山登山道の元谷分岐からの急降下を含め、なかなか気が抜けなかったが、谷筋では木々に積もった粉雪が陽光に映え、キラキラと舞い落ちてきて、まるでダイヤモンドダストの如く幻想的なシ-ンに息をのんだなぁ。谷間に踏み締める足音と、降り注ぐ“ダイヤモンドダスト “のシャワーが音響付き総天然色で我々に迫り、借景には木々の間から白い鎧をまとった大山北壁の威容を用意して。

      
    山頂小屋でのひととき   夏山尾根から元谷への分岐 “ダイヤモンドダスト”のシャワー  元谷小屋が見えた!

 そして谷底に降り立つと開けた河原が現れ、小高い丘に元谷小屋を望んだ。青春の多感な時期、季節を問わずお世話になったこの小屋にはおよそ40年ぶりの再訪となったが、懐かしさがこみ上げたのは言うまでもない。無雪期の大屏風岩鏡ルート登攀や厳冬期、先輩の大屏風岩登攀サポートなど、この小屋と関わっためくるめく思い出は走馬灯の如く脳裏を駆け巡る。うんうん、過ぎ去りし日々の何と速いことか(ちょっと感傷に浸り過ぎなのは分かっていますとも)。

 河原に立ち、或いは大山寺へ下る道すがら何回も振り返っては北壁を見遣った。ただ単に下山ルートを元谷コースへと取っただけだが、前進基地としての元谷小屋とアルペン的威容を誇る大山北面の岩壁群がいにしえの思い出とオーバーラップして、ずっと気になっていた。もう登れはしまいが、関心は失せてはいないよ、と。時の流れに身を任せた、そんな距離感が今の等身大の感慨であり、大神山神社から大山寺集落と闊歩しながら思い出に耽るのも悪くはなかった。嗚呼、青春は美しである。

      
        元谷から見上げる荒々しき大山北壁2景        大神山神社にて参拝     大山寺の山門を仰ぐ

 話を現実に戻しトピック二点にも触れておこう。一つはおゆぴにすとたる者、下山後の務めとして温泉入湯は外せない。そこで皆生トライアスロン出場(1988〜1990年)以来、四半世紀ぶりに皆生温泉を訪れたが、基本的にたたずまいは変わっていないとみた。しかしどこにどんな共同湯があるのかはさっぱり思い出せぬ。住人に聞き及んで、立ち寄り湯のOUランドを探し当てるのにけっこう時間を費やした。湯に浸るためにはけっこうエネルギーが要ったが、加えてこの湯は備え付けのシャンプー・石鹸などはすべて自前主義のシンプル湯。入った後、それに気づき慌てて買い求めるなど、おゆぴにすとらしからぬ ? 段取りの悪さが残ったね。一方で北山ママはと言えば、湯上り後もクールな面持ち。聞けば山行時は常にアメニティグッズをザックに忍ばせているという。彼女こそ正真正銘のおゆぴにすとだったのだ、嗚呼。

      
     皆生温泉OUランド外観        海の幸がところ狭しと並んだ宿の夕宴2景     外観は素朴な海辺の宿

 二つ目は二日目の宿の夕食についてのコメント。皆生温泉を後に境港を経て、島根半島は日本海に面する松江市島根町野井の民宿「ふくしま」に泊まった。海べりの宿ゆえ海鮮づくしのメニューを期待していたが、それに違わず、いや期待以上の豪華オンパレードには唸った。ズワイガニまるまる一杯にサザエ、エビ、地魚の刺身&天ぷら盛り合わせ、水炊きに煮魚、茶わん蒸し、その他小鉢いろいろとコスパに優れた料理群の前には、“言葉を失う“ほどだったと、てらいなく使おう。この料理でこの宿銭 ? ・・・地元の旬の食材と地酒を堪能してその土地の文化を肌で感じ取ることを旅の心得と信じる筆者にとって、伯耆大山登山と海の幸二点セットは冬の山陰の醍醐味や愉しみが凝縮された満悦の旅だったと断言しよう。その意味では山ほどのお陰のある山陰の旅、正解でしたね挟間さん!

(後記)
 山行の翌週、九州は最大級の寒波到来となり、オフタイムは炬燵から離れられず、ぐずぐずと無為を重ねた。そんんなこんなで月末に至ってやっと山行ルポを脱稿することができたが、日にちが経つにつれ記憶が曖昧になるのは必定。いきおい思い入れの強い部分が強調され、客観性・公平性を欠く文脈になった気がしないでもない。その意味でこのルポを補完し、検証してくれたのが、挟間兄撮影・責任編集したダイジェスト版ビデオ(※)である。新雪直後の雪山の初々しさ(モデルじゃないよ)がよく表現され、まさに視聴者は居ながらにして雪中登山を供に実践しているような錯覚に陥りそうである。更に言えば“百聞は一見にしかず“であって、長ったらしい文章よりもコンパクトな一つの映像に軍配有り!となりかねず、我がルポの補完・検証どころか、映像だけで事足りるよね!と言われそうな危うさをはらんでいたりして・・・。う〜ん、まぁそれでも功罪半ば?のビデオの方も是非ご覧下されとお願いして稿を終えたい。

(※) 1/17 2038挾間⇒栗秋 「3日間にわたり大変お世話になりました。お陰様で楽しい山行ができました。限定公開ながらYoutubeに動画をアップしました。下記アドレスをクリックするとご覧になれます。取り急ぎお礼とお知らせまで」  https://youtu.be/yY_Fvi9FWrY

 (参加者) 挟間、北山、栗秋

(コースタイム)
115 門司(自宅)1917⇒(車・九州道〜中国道・新見I.C〜R180R181経由)⇒大山寺 南光河原駐車場(登山口)009  (車内で小宴のち仮眠)
116 駐車場837→夏山登山道・二合目904 10→五合目945 50→六合目1004 20→八合目1046 1100→弥山々頂1119 (山頂小屋で昼食)1200→六合目1226 35→元谷分岐1241→元谷小屋1311 28→大神山神社1353 57→駐車場(登山口)1419 38⇒(車・米子皆生温泉OUランド入湯15151610〜境港経由)⇒松江市島根町野井1710 (民宿ふくしま泊) 
117宿755⇒(車・松江市内〜山陰道〜松江道〜中国道三次JCT〜中国道〜九州道経由)⇒門司1348                               総走行`850`(門司自宅始終着)

(平成2811517日)