リベンジ2015年春山・伯耆大山
     
              
夏山登山道六合目付近から三鈷峰、宝珠尾根などを望む

期間
:2015年3月6〜8日
メンバー:挾間、栗秋
コースタイム:3月6日 大分自宅15:45→門司栗秋邸19:10→大山寺駐車場24:15、 3月7日 大山寺駐車場(標高745m)8:34→標高1000m標識9:09→八合目10:36→大山山頂避難小屋10:52〜11:24→弥山(1709.4m)山頂11:26→大山寺駐車場12:47

“帳面を消す”ということ
 3月初旬という時期の伯耆大山は、厳冬の北アルプス級から、西日本のたかだか1700m級の雪中登山までが、その歳々の積雪状態や気象条件により様々に凝縮された山である。2年前は、今回の相棒・栗さんとのこの山で、アイスバーンの前に“忸怩たる思い”の撤退を余儀なくされた。その翌年、つまり昨年は、その反省もあり万全の態勢で臨み山頂に立ったから、筆者としては今回の山行を待たずして一応のケジメを既につけていたことになる。

 ただ、昨年はメンバーが違っていたから、このままでは一昨年の相棒に対しては義理を欠いたことになる。一昨年の相棒とは、大分弁で言えば「帳面が消えていない」ということだ。何しろ「軽アイゼンでも充分」と高をくくった挙句の果てに、山行そのものを台無しにしてしまったわけだから、同じ相棒とともに“帳面を消す”作業は残されていた懸案事項だったのだ、少なくとも筆者にとっては。

 もちろん、伯耆大山を“西日本の雄山”と思う気持ちに昔も今も変わりないし、心して臨むつもりで今回も万全の準備はした。大分→門司を経由して愛車CX-5で500km以上をひた走って日付が変わった頃大山寺に到着。午前2時車中泊。7時起床して雑煮の朝食をとり、8時35分大山寺を出発。

  大分からはるばる500キロ以上をひた走り、日付が変わる頃に大山寺に到着。車内をフラットに模様替えしたのち、ビールと焼酎、つまみで寝酒。二人での久しぶりの遠出に、往路5時間の車中を加えると計7時間ほど、飽きもせず話が弾んだ。午前2時就寝。写真:朝食の雑煮の準備。 相棒・栗さんには少し窮屈かもしれないが、テントよりは快適なねぐら。最近ではこれが定番だ。駐車場の車は既に満杯状態で、遅い出発の我々は大勢の先行者の後塵を拝すことになった。

夏山登山道
 曇り、五合目くらいまでは微風、時おり小雪がぱらつく。道標は一合目から大半が雪に埋まっている。森林限界過ぎて少し風が出る。気温0℃くらいですぐに汗ばんできて、時おり衣類を脱いで体温調節を図る。

 先行の登山者が多いため雪面はよく踏み固められており、筆者のまだ新しいアルパインシューズは爪先、踵ともにエッジが良く利き、雪面が小気味よい音を立てながら、快調に高度を稼ぐ。

       
                     二、三合目のブナ林にて

 五合目付近稜線からはガスの晴れ間に三鈷峰、ユートピア小屋、宝珠尾根、北壁大屏風岩が時おり望まれたが、剣ヶ峰や天狗ヶ峰など主稜線はガスの中で結局、往路復路ともに北壁上部から主稜線は終始拝むことができなかった。

 一昨年アイスバーンで滑落の恐怖すら感じた六〜八合目稜線左右の急斜面は、今年はパウダースノーだから、気持ちに一昨年とは随分と差がある。また、六合目の避難小屋は完全に雪の中で、そこでの休憩がてらのアイゼン装着のつもりが、どこが六合目かも正確につかめないままに、一気に八合目まで上がってしまい、装着の機会を失してしまった。雪質がその必要性を弱めた部分もある、一昨年、固い雪面にあれほど恐怖したにもかかわらず、だ。

      
          五合目から六合目…しだいに傾斜がきつくなりアルペン的になる


          
          一昨年苦労した七合目付近の急な雪面…今回は快調なペース

 八合目から上部でいくらか風がでてくるが、気温はこの時期としては高い。八合目から上は薄いガスに覆われ始め、頂稜はややホワイトアウト気味だったが、目印のポールに導かれるようにして、という感じだ。

               
               九合目の雪原を行く…ポールがあってもホワイトアウトしそう

 前述したように六合目での休憩のタイミングを失してしまったこともあり、登山口から体温調節のためのわずかな休息のみで、実質的にほとんどノンストップに近く、2時間と18分で、何とも呆気なく大山頂上避難小屋に達した。

               
                   ガスの中の山頂避難小屋


アイゼン考
 「アイゼンは必要になったら着ける」の原則に従い、結局、最後まで着けずに終わった。大勢の先行者により踏み固められた今日の雪面なら爪先や踵のエッジが利くから、しきりにアイゼン着用を奨める栗さんの声に耳を貸すほどのこともない。何も一昨年を意識したわけでもない。結局、上りに2時間19分、下りに1時間19分…構えていただけに終わってみれば何とも拍子抜けだ。

 ツボ足でどこまで行けるか、12本爪、軽アイゼン、チェーンアイゼンのいずれを選択するか…要は、その場その場で最良の選択をすればよいのだ。そのためにはどのようなシチュエーションにも対応可能な備えは、結局のところ必要だろう。

   相棒が使ったチェーンアイゼンのインプレッション
 ・軽い(300g)
 ・装着が簡単、短時間
 ・10本爪が爪先、踵、土踏まずをカバー
 ・クラストした雪面や氷上で威力を発揮
 ・爪が短いのでシャーベット状の雪の下りには弱そう

 一昨年、12本爪が必要であった時にその準備がなく、その反省を受けて今回は当然のことながら12本爪を用意した。だけれども、痩せ我慢したわけでもないが今回は使うまでのことはなかった、ということだ。まあその間、石鎚山北面、鶴見岳北谷、飯豊連峰石転び沢、剱岳長次郎沢など、随分と場数を踏んだこともあるが。

スマートフォンとケイタイ
 この二つの文明の利器が近頃の登山者の在りようにも少なからず変化をもたらしている。相棒はまめな性格であり少しの時間を惜しんで手帳に記録をメモをする、なかなか感心なことだ。が、その一方で、やたらとメールのやりとりが盛んだ。さしてゆっくりとは思えない筆者のペースだけれどそれが、そんな余裕を与えていると言えなくもないほどに体力に自信と余裕があったのだろう。

 地図を広げてルートを確認したり、わずかに与えられた休息時間に手帳を取り出しメモする光景は、岳人として様になっている、と感じる。その一方、実況中継のごとく第三者にメールを送る光景は度が過ぎると「おいおい、またかよ」と少々うんざりだが、このところお付き合いする山仲間の多くが、多かれ少なかれ似たような傾向だ。

 因みに筆者は、現在地確認のためスマートフォンで “地図ロイド”と“山旅ロがー”を使っている。もちろん、地図と磁石は必携品との認識に変わりはないのだが、これからの登山ではスマートフォンは重要なツールと認識している。だが、低温時の使い勝手に、まだまだ「こうやれば大丈夫」というものをつかみきれていない、そのもどかしさの真っただ中にある。

 まあ、今回の両ツールを使う様を傍から観れば、目的手段はどうあれ、電車の中とさして違った光景には見えない、ということだろうけど…。

伯耆大山の天気と避難小屋の有難味
 登り始めの小雪は五合目付近では陽が高くなったこともありみぞれに、そして九合目稜線では小雪混じりの風とガスという状況であったが、気温は山頂付近でもせいぜいマイナス1〜2℃程度で、厳しい寒気に遭遇することは今回なかった。

 10時52分、大山山頂避難小屋に入る。いくつものヘッドランプの灯りの下で暖かそうな湯けむりが上がっている。我々も手探りで奥の方に陣取り、ヘッドランプの灯りの下でカップ麺とパンの昼食をとった。目が慣れてくるに従い、小屋の中は二十人近くの登山者で埋まっていることが分かった。皆一様に、山頂に達したという安堵感は感じられても、これから下山するということの緊張感は感じ取れない。穏やかな天候故にであろう。

     
          山頂避難小屋 左:入った直後はこんな感じ、右:カップ麺の昼食

 所属する山岳会で2月に伯耆大山を目指した時は、山頂避難小屋泊の予定であったが、下山予定日は“春一番”、風速25m以上の強風が吹き荒れるとの予想に、直前になってやむなく大山を諦め吉和冠山に変更した。また、我々が下山した数日後、今冬最大級の寒波の到来で標高1500mの午前9時付近でさえマイナス15℃以下となった模様。

 冒頭述べたように厳冬北アルプスから西日本の普通の雪山までの要素を持った伯耆大山。今回は幸いにも命からがら小屋に逃げ込むようなことにはならなかったものの、この時期は平時でも、ここに避難小屋がある、というのは絶対的な安心感をいつも与えてくれる。

      
             弥山山頂に立つ…栗さんは1975年2月以来40年ぶりとか

これから先、伯耆大山をどう登るか?
 初めての伯耆大山は1971年冬であった。その時は行者谷から八合沢をつめ、主稜線を縦走した。弥山山頂に立ったのち足早に下山を開始し八合目付近を下山中、丁度八合沢をつめて夏山登山道稜線に達したと思われるパーティのすぐ横を通過した。伯耆大山初登山の記憶がおぼろげながら甦ってきた。

            
              八合沢(もしかしたら別山沢?)を終えようとするパーティ

 その後、1975年まで年に1、2度主に1,2月の時期に訪れた。23〜26歳の頃のことだ。宝珠尾根からユートピア小屋〜振子沢〜駒鳥小屋に泊まり槍尾根を目指したが、駒鳥小屋から先が吹雪による完全なホワイトアウト状態で断念、また、北壁大屏風岩登攀では偵察した前年秋には港ルートを完登できたが本番の翌年2月には豪雪の前に手も足も出ず敗退した。ほろ苦い思い出が色々ある。そして時は経ち最近になって2008年に再訪後、かつての記憶を取り戻すべく、夏山登山道、元谷、宝珠尾根、ユートピア小屋、三鈷峰などに足跡を残した。気になっていた相棒とのリベンジも、今回果たせた。

 さて、大山を今後どう登るかである。六合目付近を通過中、ガスの晴れ間から北壁弥山沢を登攀中の5人パーティを遠望した。その時、ガスの晴れ間も、自分に湧いた気持ちもほんの一瞬のことだった。羨ましいと思った。最近、再びいろいろな経験を積んだから登れなくはないだろうと思う。別に今さら、登り残した厳冬伯耆大山大屏風岩登攀を真面目に考えよう、などという気は起こらない。それにしても、今でも自分にできそうなヴァリエーションルートを、という気持ちが少しだけはある。

  北壁弥山沢付近を登攀中の5人パーティ…雪崩を警戒してか、等間隔に整然と登る様は絵になる。技術的には鶴見岳北谷の中でも最上位の滝ノ谷と同等レベルだとは思うのだが…。(往路の六合目付近から300mm望遠ズームで撮影)

 今、これからどう登ったらいいのか分らないけど、伯耆大山に惹かれる気持ちは、まだある、特に冬の大山には。その一方で、寂地、十種、恐羅漢、氷ノ山、三瓶、吉和冠山等々、積雪期の中国山地の低山の味わい深さを最近知った。盟主伯耆大山とそれ以外の中国山地の山々を行きつ戻りつ味わっていくのが良いのかな、というのが今の心境だ。