石鎚山積雪期ラストチャンスを我、成功せり!の巻

                                           栗秋和彦

 一週間ほど前、挟間兄から「お誘い・・・“石鎚山積雪期ラストチャンス”」なるタイトルでメールがきた。昨年暮れに誘いがあったものの、直前になって(言いだしっぺの)やむにやまれぬ事情でキャンセルとなった山行だったが、それを気にしてのお誘いとも受け取れた。とまぁ動機はどうであれ断る手はあるまい、と即オッケーと返した。しかも計画は西之川登山口から土小屋へ登り、稜線上を石鎚山を目指すというもの。成就社へのロープウェイや石鎚スカイラインなど、楽ちん登山の恩恵なかりし頃のクラッシックコースで、もちろん北面からのルートは20年ほど前の暮れに、往復ロープウェイを使って成就社から登っただけ。大いに食指が動いたが、気になる点もあった。

  
 今回の歩行ルート(西之川登山口を始終着に18㌔、累積標高差1800㍍)     西之川登山口で出立の準備中
 👆マークが表示される画像はクリックすると精細画像に変わります。

 一つは一泊豪華宴会用の食材を含めたそれなりの重さの荷を担いで、標高差1600㍍弱の険しいルートを、このロートルエンジンで攻めきれるのかという不安その1。もう一つは重荷を背負っても土小屋までは何とかなろう。しかし稜線上の東稜基部から二の鎖元小屋直下までの北壁トラバースルートを、この時期トレースできるのか、が不安その2。北斜面の雪のクラスト具合では進退ままならぬぞ、との思いもあったのだ。

 そんなこんなの期待と不安をかかえ、西之川登山口には11日午後11時過ぎに到着。例によって車内小宴の後、車内泊就寝は午前1時。心地よい眠りについた。

    
 西之川集落に廃屋は珍しくない     御塔谷を渡る      夜明峠への分岐となる岩原   御塔谷を経て八丁への分岐

 翌12日、夜半から雨が降り続き、早朝から曇天にはなったものの気温3℃は標高432㍍の地では暖かい方か。一方でザックの重さは20㌔ほどになり、最近ディパックばかりの我が身には久し振りの負荷が堪えた。まぁしかし何とかなるじゃろ、と7時過ぎおもむろに出発。西之川集落も急斜面に張り付いたように家屋が点在するも、すでに限界集落の様相は明らかだ。今様の生活に必需となった道路に面していない高台の家屋は殆ど廃屋と化していて、苔むした石垣が続き鬱蒼たる杉林の中、成就社への分岐を過ぎても、以前は生活の表舞台だった(と思われる)石垣群を黙々と眺めながらゆるゆると登った、まだまだ序盤。

 ほどなく御塔谷を渡ると、本格的な登りになって、これからが石鎚北面登山のホンマの始まりだぃ、とちょっとは気を引き締めたつもりだ。ただ延々と杉林の中の登高がつづき視界が利く訳でもなし、黙々と登るのみだが、里からけっこう離れて林道も近くにはない。こんな環境下でも感心したのは、広大なエリアの杉林にしては間伐が行き届いている点。人の手が入っていることの証であって、こちとら、ヒーヒー言いながらやっと登っている体ゆえ、林業の大変さが身をもって分かるのであります。

    
 土小屋手前の難路を行く    土小屋まで上がり道路を歩く  鶴ノ子ノ頭北面をトラバース    南側へ廻ると春の陽気

 で夜明峠や八丁への分岐となる岩原は標高900㍍弱の地点。ここまで1時間半余りかかったことになるが、地図でみると土小屋までの1/3ぐらいは登ってきた勘定であって、まだまだ主稜線ははるか彼方である。ここは一歩一歩確実に歩を進めるのみだが、岩原からは少しづつ積雪が現れはじめ、ひとしきりの急坂を詰めると次第に傾斜は緩くなった。重荷のストレスからは幾分緩和されただけ、気分は安寧である。そして緩やかになれば、ピッチも上がり効果的に距離を稼げる筈なので、気持ちはイケイケドンドンになろう。やがて標高1200㍍ぐらいに達すると杉林から桧林へと変わり、これに自然林が加わって、明らかに地勢が変わった。地図上の“ツナノ平(なる)”付近を歩いているだろうとお互いに頷きつつ、前へ前へである。

 もちろん次第に雪は深くなってくるが、吹き溜まりに嵌らなければ、くるぶし上から膝下ぐらいなので歩きにはまったく問題はなし。しかし御塔谷経由八丁への分岐を過ぎると、コースは主稜線へ突き上げる北面のいくつもの支尾根をトラバースしながら土小屋へ向かうので、いくつもの小さな谷を渡っていくことに。その殆どに雪が積もり危なっかしいハシゴが架けられていて、恐々とへっぴり腰の合わせ技みたいな恰好で渡る羽目になってしまうのだ。しかも挟間兄の撮った動画にその動かぬ証拠が2.3残っており、あな恥ずかし見るに耐えぬも、本人(筆者)は必死なんだから笑えぬ。願わくばここんとこカットしてよねっ、と言いたいのだ。

    http://www.oct-net.ne.jp/~w-hasama/IMG_02481.jpg
  土小屋〜石鎚への南側稜線を行く2題(北面からガスが湧く)         北壁直下のトラバースルート2題

 で次第にそれもなくなり静寂の中、熊笹とブナの森をじわじわと登るといきなり視界が開け、土小屋の広大な駐車場へ躍り出てびっくり。4時間以上に及ぶ登りの末、主稜線の末端に辿り着いたが、苦労して登ってきたあげくに人工の構造物に出くわす。このときのミスマッチ感は否めなかったが、山頂への一つの区切りとして、ようやく第二ステージに辿り着いたことへの安堵感の方が勝った、と記しておきたい。

 さてあとは主稜線歩き。少なくとも石鎚本峰東稜基部までは標高差も200㍍ほど、無雪期なら一級国道?の筈である。駐車場から国民宿舎へ上がり、更に雪道を尾根筋の縦走路へと登りきると、フッと森が抜け青空が現れてまたまたびっくり。尾根の南面はまさに春爛漫の陽気に満ち溢れていて、この違いようには驚きを隠せなかった。以降、縦走路は冬と春を交互に繋ぐことに。つまり最初のピークの鶴ノ子ノ頭はピークを踏まずに北側斜面に導かれたが、まさに冬の様相を呈しており、御塔谷から湧き上がるガスであまり視界も利かない中、慎重なトラバースを強いられたのだ。

    
  北壁の氷瀑を見上げる    二の鎖直下を登る      二の鎖元小屋下の鳥居    小屋から雲海の果てに瓶ヶ森を見る

 一方、これを抜けると、縦走路は南面に出て残雪はわずかにして視界すっきり。左前方に望む石鎚本峰南面は、まばらに配した残雪の白と圧倒的な黒々岩肌が混ざり合って春の陽光に映えている。この絶景、歩を進めながらも見飽きることはなかったが、それも東稜分岐まで。以降は二の鎖元小屋に至る1㌔にも及ぶ北壁直下のトラバースの攻略が目下の関心事であって、気を引き締めなければならなかった。ゆえにここでアイゼンを装着し、ピッケルを持つ手にも力が入ったが、「さぁ槍でも鉄砲でも持って来い!」なんて気合いだけでやり過ごせぬは自明。現実的にはアイスバーンになっていないことを願うのみ。恐る恐るもいざ行かんであった。

 でしばし緊張のトラバースはどうだったのか? となるとまぁ何とか渡り?きったので結果オーライということか。以前に降った比較的固い雪の層に、ここ2.3日で積もった新雪の層が被り、急斜面のところどころで滑りやすく、特に筆者のチェーンアイゼンは爪が短いので、不安定な前進を強いられたのだ。その意味では微妙なバランスをカバーしてくれたピッケル君に感謝。そして(己の)チェーンアイゼンを慮って先頭を歩きステップを切ってくれた挟間兄にも感謝だ。もっとも荷が軽ければ、こんな感慨も湧かなかったに違いなかろう。それほど負荷の軽重で難易度が変わることを、今更ながら思い知ったのも新鮮な感想だったね。

 http://www.oct-net.ne.jp/~w-hasama/IMG_60791.jpg  
 三の鎖下の肩から北壁と左手遠方に筒上・手箱を  弥山山頂から二の森〜堂ヶ森方面   春の陽光に満ちた山頂小屋周辺

 で今宵の宿、新築・改装となった桧の香り漂う二の鎖元小屋に荷を置き、まずは弥山山頂を目指した。もちろん二の鎖、三の鎖とも雪壁で覆われていたので、頂へは迂回ルートを取ったが、途中、三の鎖下の肩まで上がると、視界いっぱいに雪をまとった北壁の全容が飛び込んできて、ここはしばし唸るしかなかった。してその中央には覆いかぶさるようにそそり立つ天狗岳が圧巻だし、東稜の後方7〜8㌔には筒上山と手箱山もポッカリと鎮座し、荒々しい本峰北壁を引き立たせている。その意味ではまったくの脇役ながら対照的に温厚・柔和な山容がなごみを演出していて、ちょっとしたアクセントになり得ているぞ。

 更に三の鎖下を過ぎると、一部急峻なトラバースにちょっと緊張する場面もあったが、ヨシヨシ大丈夫と言い聞かせつつの登路か。そしてほどなく山頂直下に達し、南面へと回り込むと眼前には二の森や面河山、遥か遠方には堂ヶ森(たぶん)と、再び春うららの景色が劇的に広がって、大コーフンしたのだったね。加えて弥山頂上からは360度の大パノラマを欲しいままとしたが、春の陽光と静寂の組み合わせが、妙に心に残ったのは歳を重ねて森羅万象への感受性が高まってきた証だろうと、ほくそ笑んでいる(大袈裟かな(^o^)/)。そう云えば西之川を発って、山頂までに出会った登山者は表参道に合流してすぐ、二の鎖元小屋前で会った若者二人のみ。延々と12㌔に及ぶ道のりで、新雪を踏み締めながらのこのコースには静寂がよく似合ったが、殆ど誰にも会わずの登山もここ最近ではまったく珍しかった。天下の石鎚山でもこの時期、このひととき(午後3時過ぎ)は神々の安寧タイムに違いなく、おじさん二人(我々のこと)のみ特別にお邪魔させていただいた、そんなシチュエーションだったと言っていいだろう。

   
               二人だけの静寂境、弥山山頂2題                二の鎖元小屋での夕宴会のひとコマ

 もちろんくだんの小屋まで下り、ありったけの食料と飲料を広げつつ、最後は山の歌100選?の熱唱まで飛び出した宿泊大宴会ができたのも、人っ子ひとりいない貸切状態だったから。相客はいなくとも八百万(やおよろず)の神に見守られながら、安らかな眠りについたのは言うまでもない。

付録1: Youtube動画(画面をクリックすると動画がご覧になれます)



 翌13日は曇天、予報では昼過ぎまでもつとのこと。本日は表参道を成就社まで下り、後はロープウェイの人となるだけなので、のんびりと出立だ。とこれには訳ありで、岳友の北山親子と稜線上で会う前提の出立時刻としたのだ。彼らは一日遅れて今朝5時半に西之川登山口を発っている筈。成就社までは旧参道を延々と登り、我々が小屋を出るころには八丁を過ぎ前社ヶ森付近まで達しているころである。となれば出会いは夜明峠付近とのヨミでゆるゆると下ったが、前日の午後2時過ぎから誰一人として会っていなかったので、人恋しの感なきにしもあらず、と挟間兄の顔に書いている。そして予感的中。峠を過ぎてすぐスピーディな歩きの親子との邂逅が、18時間余ぶりに出会ったホモサピエンスヒト科最初の人であったのだ。しばしの歓談は当然として、彼らの健脚ぶりも特筆もの。日帰り装備とはいえ成就社までの激坂を経て、夜明峠直前まで3時間半余で来たのだから(後刻の報告では弥山山頂を折り返して、下りは夜明峠からルート不明瞭な天柱石コースに手間取ったものの、西之川には午後2時半に降り立ったという。山頂往復9時間は健脚以外の何ものでもなかろう)。

    
 出立前、お世話になった小屋の前で    小屋下の急坂を下る    二の鎖元小屋と弥山山頂  縦走路から北壁を振り返る

 で前社ヶ森手前からポツポツと登ってくる登山者に出会いはじめ、八丁に至るまでに韓国人パーティを含めけっこうな数の登山者との出会いがあった。彼等はアプローチに始発のロープウェイを使ったに違いなく、積雪期の石鎚山登山ルートとしてロープウェイ+表参道コースのセットメニューがもっともポピュラーだったことや、昨日からの山の静寂さはうたかただったことなどを改めて思い知ったのだ。そんなこんなの二日間にわたる石鎚山アタックはロープウェイ山上成就駅で一応の区切りをみたが、たかだか山中一泊の行程にも拘わらず、けっこうな疲労感を味わったのも事実である。なるほど初日のコースは標高差もあったし、担ぎ慣れない荷物の重さもあったろう。そんな物理的バリアに加えて、確実に忍び寄る“寄る年波”に晒されているという伏線もあった。

 その意味でこれからの山行スタイルはどうあるべきか、を考えさせられた山登りだったとも言える。すなわち日々トレーニング怠りなく更に精進して、加齢に抗いアグレッシブさを追い求めるのか、或いは文明の利器は積極的に使い、隙あらば軽装&楽ちん登山を旨とすべしか、大真面目に考えなければならない時期にきているのではないか、と思うのである。

   
 夜明峠を過ぎてすぐ、北山親子と邂逅  参拝(下山報告)の後、成就社を去る   ロープウェイから見た瓶ヶ森の全容

 そして帰りのロープウェイでは、図らずも「片道1030円は高い!けどありがたやねぇ。今後は軽~いザックで、ゴージャスな宿に泊まるのが基本じゃな!」と誰ちゃ言わんが漏らしていたが、ついぞ反論はなかったものね。となると当然後者になびく可能性が高くなりそうだが、おっと第三者からは「いつもの登山スタイルじゃん!」と言われそうで、ここは粛々と稿を終えたい、フーフー。
 (参加者) 挟間、栗秋

付録2: Youtube動画(画面をクリックすると動画がご覧になれます)


(コースタイム)
3/11  JR幸崎駅18:25⇒(車・佐賀関港18:33 19:00~九四国道フェリー~三崎港20:20~松山道・伊予IC~西条IC・経由)⇒西之川登山口駐車場 23:12  (小宴のち車中泊 1:00就寝) 
3/12  西之川7:03→成就分岐7:24 26→御塔谷渡り7:40 42→岩原8:39 41→御塔谷経由八丁への分岐10:17 23→土小屋駐車場11:21 32→国民宿舎上の縦走路11:47 48→稜線上(昼食)12:17 38→東稜への分岐13:15 30→二の鎖元小屋14:41 50→石鎚山(弥山)15:21 32→二の鎖元小屋15:55   歩行㌔12.1㌔
3/13  二の鎖元小屋8:47→夜明峠9:08 10→前社ヶ森9:25 39→八丁10:08 15→成就社10:37 45→山頂成就駅10:54 11:00⇒(ロープウェイ)⇒山麓下谷駅11:08 10→西之川登山口11:21 34⇒(車・松山道・小松IC〜大洲IC~三崎港14:38 15:30~九四国道フェリー佐賀関港16:40 45 経由)⇒JR幸崎駅16:55  19:25帰宅  歩行㌔6㌔  車総走行㌔352㌔(幸崎駅始終着)
  
(平成28年3月11~13日)