’11 トピックス&行事報告

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会友・栗秋正寿氏ファミリーとの交歓の夕べ in くぬぎ山荘(2011.8.30追加)New
  

 8月20日夕、九重町吉部のくぬぎ山荘にて開催。

 あいにくの悪天候の中でしたが、正寿さんファミリーとおゆぴにすととの交歓の夕べ、楽しく語らい遅くまで良く飲みました。ファミリーや、最近すっかりおじいちゃんの遺伝子スイッチがONになった高瀬会員など、くぬぎ山荘と聞いて、子供のため、孫のためカブトムシ、クワガタをお目当てだった人にとっては、夕方も朝もあいにくの天気で課外活動がままならず、ちょっぴり残念でした。叔父・栗秋和彦会員も甥・正寿家の愛娘二人をあやすうち、すっかりおじいちゃん遺伝子のスイッチがスタンバイしたみたいですね。

 明けて21日、午前中は室内での時間がたっぷりあったので、ジャヌー、’11室堂〜新穂高ほかスライド映写会もやりました。特にジャヌーは何度観ても、その都度新鮮で新たに学ぶところもあり、みなさんも集中してましたね。惜しむらくは弁士がいなかった、ということですね。

 この日を楽しみにしていた松田、吉賀の両会員には過分な差し入れをいただきました。正寿さんからもアラスカのオーロラ写真のプレゼントがありました。

 このような機会は今後も続けられるようお願いしたいとの、加藤会長からの締めくくりの挨拶がありました。

 最後に、この宴のため食材の買い出しから、宴の準備・片付け、それに手づくり料理など、裏方に徹して宴を支えてくれた加藤会長夫人・衣子さんに参加者一同こころから労いの言葉を送りたいと思います。当のご本人によりますと、「普段(夫から)あまりやさしい言葉をかけられたことがないので、当たり前と思ったことで、みなさんからこんなに感謝され労いの言葉をかけられると、かえって戸惑います」とか。「奥様、次回もよろしくね」

参加者:栗秋正寿ファミリー4名、加藤夫妻と息子・平治、塩月、高瀬、栗秋(和)、西(梓)、狭間

会友・栗秋正寿氏植村直己冒険賞受賞記念講演会 盛会裡に終了(2011.7.13追加)
  

 7月9日(土)大分市府内町のコンパルホール文化ホールにて、午後2時開演、「アラスカ 垂直と水平の旅」と題して冬のマッキンリー、フォレイカー登頂、ハンターへの飽くなき挑戦、北極海目指したアラスカ縦断1400キロリヤカーの旅などの話題に約400名(主催者側発表)の聴衆が酔いしれた。この講演会は当初、おゆぴにすとだけでごく内輪の報告会にとのスタートであったが、加藤会長の日本山岳会東九州支部長就任の初仕事にと、同支部主催とし実質的な運営からはおゆぴにすとは退いたかっこうになった。その分加藤会長兼支部長にのしかかるものは並々ならぬものがあったと思う。その奔走の甲斐もあって当初目標を上回る参加者を確保することできた。

 講演会は午後2時、西梓嬢の司会、加藤会長の挨拶・演者紹介に始まり、約90分の講演とその後の質疑応答、最後に今回の受賞と今後の活躍を願い東九州支部から西梓嬢が花束を贈呈して散会した。写真のとおり頭の白い人やら薄い人が目立った。そう、出席者の大半は中高年層、それもかなり高年層が占め、皆一様に熱心に聞き入っていた。内容的には、むしろ今からの若者に聴かせてやりたいと思ったのは筆者一人ではあるまい。講演会の後、場所を大分センチュリーホテルに移し、正寿氏を囲んで懇親会が行われ、坊がつる讃歌で締めくくった。

        当日会場に展示された植村直己冒険賞      サインを求める人も後を絶たず

         
               懇親会場で挨拶する栗秋正寿氏

  (2011.7.14追加)

         
                  2011.7.13付大分合同新聞夕刊記事


加藤会長 時の人に(2011.6.29追加)  

加藤会長支部長就任祝い及び栗秋正寿氏記念講演会打ち合わせ(2011.6.11追加、6.12追記)
  
 
6月10日(金)、大分市内のサッテージャワで、去る4月16日に日本山岳会東九州支部長に就任(既報)した加藤英彦・当山のいで湯愛好会会長の、支部長としての初仕事の一つとも言える‘栗秋正寿氏植村直己冒険賞受賞記念講演会’の打ち合わせを兼ね、就任祝いの宴をささやかに催した。
 何しろ、支部長就任以来、関係各所への挨拶周りに始まり九州エリアの部会や本部総会、自然保護団体その他諸々への代表参加など東奔西走の日々が続き、合間にやっと取れた安穏の日に急きょはめ込んだかたちになり慌ただしい開催であった。
 宴は、正寿氏講演会の進捗状況報告に始まり、大平会員のエベレストまでの道に‘胸が熱くなりました’という謎の女性(当のご本人は心当たりがないという)や松濤明評など、話題の尽きることのない2時間でしたが、別口とのかけもちだった本報告の編集長は開催時刻を勘違いするわ、諸先輩には失礼ながらすでに酩酊状態にあるわなどで、都合4軒のハシゴで深夜のご帰還、はっきり言ってあまり当夜の記憶が定かでない。遅刻したりエスケープしたり諸々失礼の段は、二日酔いにもめげず速やかに本ニュースを立ちあげた高速レスポンスと最低限の義務を果たしたことに免じて、お許し願いたい。
 なお、東北震災被害者の身でありながら、会長の支部長就任祝賀とのご案内に、「馳せ参じたいがままなりませぬので心ばかりですが云々、加藤会長ほか皆々様にくれぐれもよろしくお伝えください」と高額のご厚志を申し入れてきた仙台の鈴木会員に対しては、参加者一同恐縮至極の面持ちながら「仙台にエールを。君のことは忘れてないよ鈴木君!!」でした。
      
                受賞記念講演会のチラシを掲げる加藤会長を囲んで
(2011.6.12追記)
 あっ、そうそう、おぼろげな記憶の中で一つだけ思いだしたことがあります。話が、おゆぴにすと創刊号がネットの古本屋で‘高額’で売りに出されていることに及んだ時でしたね。間髪入れず「あれは、表紙に用いた俺の版画の芸術的価値の高さに金額がついたんよ、そうに決まっちょる!!」と会長。
 もちろんその時、それまでも今も多少の浮き沈みはあっても会報に心血注いできた編集長としては「あれは当時としての編集長のDTP能力の高さが評価されたんよ」と内心ほくそ笑んだものですが、注目すべき話はそのあと、大平会員から「6号以来紙の出版物は途絶えてるけど、ここらですべてを集大成したものを作ったらどうですか」と唐突な提案があった時です。
 一瞬、戸惑いを隠せない皆の表情を見てとりましたね、酔いどれ編集長は。何しろ当サイトをまともに印刷物にすればA41000ページ以上の超大作が直ちにできあがる。もちろん、数百万円の印刷費用がかかる。おゆぴにすと9人で単純に割っても1人当たり30〜40万円です。これを高いと思うか、安いと思うかは、山行数や書いた文章のボリューム、内容の文献的価値、思い入れの濃淡などなど、会員によって一様ではないでしょう。
 編集長個人的には、どっちみち会社勤めを終えたのち手作りの自費出版としての自分史を、ある節目の年までに作り上げようと思ってましたが、この、ひょんなことからの提案に多少心が揺れましたね。
 これが実現するかどうかは、おゆぴにすと一人ひとりの濃淡の均平化作業がこれから必要でしょう。具体的には例えば「うれしい事に年末大掃除で、探していた、2000年4月・日本縦断、桜と山と時々温泉の記録手帳がでてきた」(2007新年抱負)という高瀬会員や、日本百名山完登まで残りわずかとなった鈴木会員には、ちゃんと文章にして残してもらわないと…。それにおゆぴにすとへの投稿がほとんどないそのほかの会員を含め、今後の関わり方にもよりましょう。
 編集長としては敢えて火中の栗を拾うようなことをするよりも、独り自分史を作るだけに留めておいた方が無難ですね。ところで、「自分史を作ってどうするんや、どこに配るんや」の問いには「自分が書いたものが一番面白い。だから、ただただ自分で何度も読み返し、最後は棺桶に一緒に入れてもらう」ただそれだけのためではありますが・・・。
 いずれにしても大平提案の波紋がどこまで広がるのでしょうか。酒席の戯言に終わらせるかどうかは、ひとえにおゆぴにすと諸氏に突き付けられた今後の課題ですね。
※:DTP(Desktop publishing、デスクトップパブリッシング)とは、日本語で卓上出版を意味し、書籍、新聞などの編集に際して行う割り付けなどの作業。

加藤会長が日本山岳会東九州支部長に就任(2011.5.11追加)

 
去る4月16日に開催された日本山岳会東九州支部本年度総会の席で、これまで26年間務めた梅木秀徳氏の後を受けて、当会会長・加藤英彦氏が満場一致で第三代支部長に推挙された。支部役員体制は、これから新支部長のもと人事に着手する模様。新支部長就任挨拶によれば、様々な問題山積するなか、会員の意識改革、開かれた組織目指して様々な事業を展開しようとする強い意志が伝わってくる。我々おゆぴにすとにも多少関わりのある話として、会友・栗秋正寿さんの植村直己冒険賞受賞記念講演会を本年度の主な実施事業の一つとして取り組むことが提案・承認されている。

 会長の支部長就任が、おゆぴにすとの活動と直接にリンクするものではないが、新支部長体制のもと順調に船出するよう温かく見守るとともに、支えられる部分があれば、側面的に支えていきたい・・・まあ平口に言えば「我々も応援するけん、頑張っちょくれ」というところか。(写真:加藤会長近影)

支部長挨拶全文は→こちら

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