2006年10月 南アルプス、甲斐駒黒戸尾根、仙丈、鳳凰三山縦走報告
                        その4
   高瀬正人

                                2006年 10月6〜10日

5合目避難小屋は使用禁止
 黒戸の下部稜線は緩やかな登り。途中小休止の折、黒い物体発見。スワ熊か、と緊張するも、猪なり。安堵する。この頃より稜線には北側から吹き上げる風がだんだん強くなった。

 広葉樹の木々が大きく揺れる。「どっどど どどうど どどうど どどう 青いくるみも吹き飛ばせ すっぱいかりんもふきとばせ」・・・風の又三郎の世界だ。登山道にはまだ青い栗がたくさん落ちて、それをふかふか踏みしめながら歩く。もったいない。ことしは山の実がすくないぞ。なめとこやまのくまは、どうしているだろう。風は次第に強くなる。ここで、後ろから人の気配、若い軽装の男性が私を追い越していった。

 横手神社登山口からとの合流点笹の平を順調なペースで通過、八丁坂の急登にかかる。さらに前屏風ノ頭標高1881m、登山口竹宇神社775mより1106mを稼いだ。目標のちょうど半分(2200m)だ。程なく、刃渡りの岩場だ。両側が切れ落ちた岩場には大きな鎖があるが折からの強風で少し緊張する。黄蓮谷側をみれば、岩壁を走る白い滝のような水の流れ、少し早め紅葉の潅木帯の上に大きな虹がかかる。振り返れば甲府盆地が雲の間に間に望見される。上部は残念、ガスって視界なし。早川尾根も上部は見えず。

 まもなく急なハシゴを越えると不動明王の祠、刀利天狗に着く。さらに少し登りだした頃後方より2人、男女の若いペアが追い越して行った。ザックにヘルメットがある。ダイヤモンドフランケを登るのだろうか?私もペースを上げ五合目避難小屋で追いついた。

 ここで大休止。小屋の入り口にはロープが張ってあり、立ち入り禁止の表示がある。中を覗くとかなりの老朽化で朽ちかけている。小屋全体も少し傾き、これでは危険で使えない。厳冬期黄蓮谷にはこの小屋から下り、約1時間で取り付く。この小屋も少し前までは多くの岳人たちを迎えたであろうに。先ほどのペアーに声をかける。聞くと京都からで、Aフランケの赤蜘蛛を登る予定という。私はザックに赤蜘蛛のルート図をしのばせていた。しばしこのルート図で話がはずむ。

             
                          五合目小屋

○七丈小屋までは、厳しいハシゴ、鎖場の連続。
 五合目小屋までの所要時間4時間40分。最新のガイドブックでは6時間10分、前出のクラッシックルートのテクニカルノートによれば4時間30分となっている。つまり現役のクライマーの標準より10分遅いだけだ。疲れはさほど感じない。しかしこれからが黒戸尾根の本当のはじまりだ。五合目のコル、ここには以前、屏風小屋があり名物の小屋おやじ深山短大初代校長を自認する古屋義成氏なる人物がいたらしい。白旗氏の昭和49年版の南アガイドに記してあった。今はその小屋すらなく、残骸らしきものが残っていた。

 これより岩壁がたちふさがる。その隙間を縫い、或いは巻きながら、急なハシゴ、鎖場が連続する。雨上がりで足元は滑り易い。肩にザックの重みが食い込む。ハシゴは銀メッキされた鉄骨製の主桁と防腐材の木製階段の立派なものだ。その隙間より時折、以前に架けられた古びた雑木が見える。ここは以前は相当やばい箇所だったのだろう。

約1時間急場、悪場を越えほっとしたところ、トンガリ屋根の七丈第一小屋に到着。小屋を覗いてみる。誰もいない。それもそのはず、小屋番とおぼしき人物が、前屏風の頭付近で空の背負子で2本杖で駆け下って行ったのと、すれ違ったのを思い出した。中はこぎれいな様子で黒戸尾根を登る登山者は大半がこの小屋を利用する。10時45分、計画より、45分早い。ここで標高2400m、あと566mで甲斐駒山頂だ。相変らず天候は回復せず、八合目付近より上はガスって見えない。この辺より、赤石沢の岩壁が圧倒的迫力で見える予定だったのに。残念なり、小屋前の冷たく美味しい水で喉を潤し、躊躇なく上を目指す。

            
                        七丈第一小屋

(つづく)

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